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<title>思考のくずかご</title>
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<description>ブログを思考のはけ口として使うのもどうかと思ったのですが、文字通り思考のくずかごを設けさせて頂 きましたm(_ _)mm(_ _)mたまに吐瀉物とか混じってるのでご注意下さい、ただ再生可能なアルミ缶とか飲み残しのエナジードリンクとかあるかもしれません。</description>
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<title>「きれいなコーヒー」試してみた</title>
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<![CDATA[ こんにちは、お久しぶりですm(__)m<br><br><br>今回は、モニプラさん経由で「きれいなコーヒー」を体験いたしました！<br><br>携帯からの送信方法がわからず画像を貼れませんが、ティーバックで本格的なコーヒーを淹れることができる、という代物です。<br><br>味が若干不安でしたが、いざ飲んでみるとドリップコーヒーもびっくりの美味しい味！<br><br>豆にも、洗浄法（「きれいな」）などにこだわりがあるということで、それが美味しさの秘訣なのかもしれません。<br><br>みなさんもぜひ！<br><br><br>↓↓下のリンクから色々みられるはずです～～！<br><br><a href="http://www.oasiscoffee.co.jp/" rel="nofollow"><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fimage.edita.jp%2Fmp%2Fimage_data%2Fitem_img%2F17842715794cd20186aa71f%2Frelated_site_img1_19974107285561ece971d1b.gif" alt="オアシス珈琲の「きれいなコーヒー」"></a><br><br><br><a href="http://www.oasiscoffee.co.jp/cupincoffee15.html" rel="nofollow">オアシス珈琲「カップイン・コーヒー」新発売記念キャンペーン</a><br><br><br><br><a href="http://monipla.jp/bl_rd/iid-19974107285561ece971d1b/m-555d93dd1b363/k-1/s-0/" rel="nofollow">「きれいなコーヒー」オアシス珈琲ファンサイト参加中</a><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fmp.charley.jp%2Fbl_img.php%3Fiid%3D19974107285561ece971d1b%26m%3D555d93dd1b363%26k%3D1" alt="" border="0" style="border:0px;" width="1" height="1"><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Ftrack.monipla.jp%2Fmp_track%2Feff_imp.php%3Fe%3D17842715794cd20186aa71f%26m%3D555d93dd1b363%26i%3D19974107285561ece971d1b%26fk%3D0%26kind%3D1" alt="" border="0" style="border:0px;" width="1" height="1">
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<link>https://ameblo.jp/wtnbyusi/entry-12042271410.html</link>
<pubDate>Tue, 23 Jun 2015 16:23:08 +0900</pubDate>
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<title>モノモース⑦　～人型ロボットって要る？～</title>
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<![CDATA[ こんばんは。<br><br><br>今日はロボットについての雑感を記してみます。<br><br>昨今の先進国では、人型ロボットの開発が競われています。日本でも大々的に企業が、加えて町工場などが次々に新たな性能を持ったロボットを生んでいます。<br><br>話がしやすいので人型ロボットに限定いたしますが、正直ロボット全体に言えることとして、「（人型）ロボットは要らない」ということです。<br><br>開発の行く末に何の実利があるのでしょう。いや、実利がなくとも研究するということはまだわかるのですが、この場合、結果的により損害を被る方向に進んでいるような気がします。<br><br>確かに適度な具合を規定していくことになって人類がロボットに支配される時はそうそう来ないかもしれないけれど、問題なのは、歴史上の馬・蒸気機関・鉄道などと比べた時にロボットが実生活に役立つのか。そして取りあえず役に立つと考えるなら、その便利さは人間の見識を広めること、生活の質の向上に貢献するのか。<br><br>このままの脳味噌では、「日常を便利にしてくれるロボット」が誕生した場合人間の満腹中枢・言語野・利他行動は適切に追い付かず、必要以上に食べ、言葉の力を忘れ（よほど凄いロボットならまあどうなるかわかりませんが）、群れなくなります。またイラついたときに、対人ならば抑圧できた怒りが対ロボットではそのまま発散されるということが起こり、結果対人コミュニケーションが変わっていきます。まあ、その前に何らかの形で歯止めがかかるとは思いますが。<br><br>使い方によっては核兵器に匹敵する危険度をひそめていると思われる（いや、勝手に思っているだけかもしれませんが）人型ロボットの開発が中止されるには、求められる力が大きすぎます。「ロボットが（誤作動でも）人を殺す」という事件が起こるとしても、自粛および開発規制という形がとられて数年もすれば自然と開発を再開してしまうでしょう。<br><br>何故作り続けるのか、私の疑問です。作ったら作ったで人を助け生活を向上させることはできるものかもしれませんが、人間だけで充分に回せる世の中に混乱の一要素を加えてどうするんだ、っていう。
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<link>https://ameblo.jp/wtnbyusi/entry-12016429298.html</link>
<pubDate>Sun, 19 Apr 2015 23:18:31 +0900</pubDate>
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<title>モノモース⑥</title>
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<![CDATA[ http://whats.be/109510<br><br>上記の記事からの雑感を久しぶりに投稿します。今回は若干政治的な内容になってしまいそうです。<br><br><br>「差別のない世の中を目指そう」という主旨の末尾で締めくくられているこの記事ですが、そんなことよりも日本との比較検討をしたほうがいいんじゃないかと思いました。<br><br>パリの暮らしの中に切実な差別が残っているということは、やはりパリ人・フランス人（あるいは白人？）には意識から消し去ることのできない民族感情というものがあるということです。<br>日本では比較的この種の排外的な考え方はないため声高に「差別のない世の中を」と言われているわけですが、（島国だから、という理由もあるのかもしれませんが）それが日本の生き方だからであり、現実から考えるならば（地続きだからなのかはわかりませんが）排外的な西欧の生き方・国としてのサバイバル術を視座に話さなければいけないと思うのです。<br>歴史的にも、どの範囲で団結するかを繰り返してきた国々ですし、敵は敵、と見做さないと領土も政治も危ないのではないかと思います。西欧の国々は自然と排外的論理によって国を存続させてきました。すると、ある程度の民族感情＝差別意識は仕方ないと思うのです。<br><br>ここからは個人の問題でしょうが、2つ大きな選択肢があると思います。差別を肯定するか否定するかです（そりゃそうか）。<br>差別を肯定する場合、やはり「同じ民族なんだから同じ場所に住め」という論理です。部外者なんだから入ってきたら嫌われるのは当然だ、と。<br>差別を否定するにしても、脳裏に民族感情を抱える前提で非差別を説いていかなければなりません。また、一定の非差別文化が誕生した後で、何かを契機に民族感情が勃発してしまった場合さらなる戦闘が予期されます。<br><br>このへんは何も不勉強ですしまだ何の主張もありませんが。。。
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<link>https://ameblo.jp/wtnbyusi/entry-12012270399.html</link>
<pubDate>Thu, 09 Apr 2015 19:26:09 +0900</pubDate>
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<title>モノモース⑤</title>
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<![CDATA[ 私が常々抱いていたロボットに対する嫌悪感の由来が分かった。<br><br><br>今日、自宅で昼飯を食べていたときのこと。偶々なのだがそのメニューが、<br>・十穀米に野菜たっぷりカレー、納豆つき<br>・魚肉ソーセージ<br>・レモネードのような、ビタミンC入り飲料<br>・ヤクルトとヨーグルト<br>という栄養バランスが（実際はともかく）完璧に見えるもの。<br>味にも食感にも齟齬がなく、おいしい取り合わせだったものの、食べていて何か物足りないというか、不完全を欲しているというか、料理の完全さが苦しかった。<br><br>おい、不完全を望むなんて先進国の贅沢な悩みじゃないか、などと言う方もいるかもしれないけれども、やはり人間の歴史として完全に見える料理には慣れていない。但し、それが簡単に作れてしまうとすると。逆に郷土料理にある手の込んで作られた栄養食なんかは、味によらず好きである。<br><br>要するに私はあるモノはある閾値から、『人の思考が入ってないように見えるもの』『人の匂いが消えているもの』という一段階進んだモノに成り代わるのを感じるようだ。そして少しの恐怖を覚え場合によっては忌避する。<br>これと同じことを色々当てはめることが出来て、たとえば読書するとき、その内容がすべて正しいと思えるようなことがあったらその本は教典かマニュアルで、もはや読書している感じではなくなる。本、から一段階モノが変わったのである。<br><br>ロボットも、人の役に立ち、人の思考の下で動く分にはまだ良いと思う（それをロボットだと思える）けれど、人工知能なぞが発達して人の思考を離れた日には、それはもうロボットと呼べず、一段階進んでしまったモノになる。これを本能的に忌避するようだ。
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<link>https://ameblo.jp/wtnbyusi/entry-12003229461.html</link>
<pubDate>Wed, 18 Mar 2015 21:41:25 +0900</pubDate>
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<title>大学での吹奏楽への抱負</title>
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<![CDATA[ お久しぶりです。<br><br><br><br>吹奏楽から引退して一年が過ぎようとしています。吹奏楽に対する情熱、興味、恋心は依然よりそれほど衰えず、大学では是非吹奏楽部に入りたい気持ちでいるのですが、懸念がひとつだけ。<br><br>私は、正直言って大学・成人団体やプロバンドの演奏も素晴らしく上手いとは思いますが、高校生の大会やアマチュアバンドの魅力により惹かれます。これはある友人も頷いていました。なぜなのでしょう。<br>自分が高校生という枠から外れたことでちょっと気付いたのですが、音楽でもなんでも、外に向かって表現するということを行う時に、少しずつ年齢を重ねるにつれて、童心を失うというのか、表現（演奏）している最中に、無意識に自分自身の外見を客観視するようなことが起こってくるのです。一旦そうなると、自分は果たしてこれで良いのか、うん？　という感情を持ちつつ吹くことになり、自然演奏に熱がこもらず、ひいては全体の演奏に差し支えます。<br>全国大会での高校生などは、やはりひとりひとりが演奏に熱中し、没入し、（練習期間の長さもあるでしょうが）ベストを尽くそうという本気さ、それが聴衆に伝わります。ためらいを持たない、或いは信念を一にすることが感動の演奏に繋がるのではないか、と思っています。<br><br>決してナルシストになるのではなく、またプロバンドを批判しているわけではありません。<br><br>個人の範疇として、やはり演奏している時に全てを演奏に捧げる『無意識的な』集中なしには良い演奏が生まれないような気がするのです。意識して集中しようとするのは違うんです。とても難しい。技量面でカバーできないことを毎年成功させてくる全国大会名門の吹奏楽強豪校の先生方は、これまた意識しないでこういう雰囲気づくりができるのだろうなぁ。勝手に嘆息。<br><br>と、まとまりがなくなりましたが、ともかく大学ではそのように自己演技でない流暢で自然な演奏方法を体得したいものです。
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<link>https://ameblo.jp/wtnbyusi/entry-11997691746.html</link>
<pubDate>Thu, 05 Mar 2015 15:02:06 +0900</pubDate>
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<title>モノモース④</title>
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<![CDATA[ 写真は撮る側が撮られる側より上位にある。という考えがあり、個人的にそうだと思う。<br><br><br>ネットサーフィンをしていて思ったが、<br>はじめはyoutubeなどに投稿するのは自らを下位にする作業であった（投稿者の多くはそう思ってないのかもしれないけれど）が、逆に閲覧数によって順位のようなものが決まってくると、そちらの方に主眼が置かれるのですな。はじめてyoutubeが双方向的になることを知った。
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<link>https://ameblo.jp/wtnbyusi/entry-11993187088.html</link>
<pubDate>Sun, 22 Feb 2015 17:12:55 +0900</pubDate>
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<title>世界史（マニア向け）</title>
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<![CDATA[ えっ！<br><br><br>蟻鼻銭ってご存知でしょうか。<br>中国の春秋時代楚で流通した青銅貨幣なんですが、これ<br>『蟻の頭』と『鬼の鼻』を組み合わせたみたいだからだそうです。勝手に蟻の鼻（細かっ！）だと思ってた。うむ…。
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<link>https://ameblo.jp/wtnbyusi/entry-11990791510.html</link>
<pubDate>Mon, 16 Feb 2015 21:51:43 +0900</pubDate>
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<title>モノモース③</title>
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<![CDATA[ <br>どこかのお国の殊勝な首相さんが「戦後以来の大改革！」と唱えたそうな。めでたしめでたし。<br><br>どこがめでたい。戦後以来の大失策にならないことを願うばかり。<br><br><br>というか、テレビでこの報道を見たとき、もはや民衆は立ち上がって政府に文句言うような考え方を失って、どうぞお茶番を宜しくみたいな雰囲気になっているような気がしたんですよ。中世の双務的封建関係ではないけれど自国の失政に呆れたら移民となって他国で働く、っていうのも現実味を帯びてきた（かもしれない）。<br><br>近いうちに「国」ってなんだ、って話になり、一旦世界連合みたいな枠組みが目指されて地球国民ばんざーいという日が来るかもです。でもそれを手に入れちゃったあとはまた「ここ俺らのだし」という地域意識が生まれてくるんだろうし。うーむ。<br><br>今日もヒヨドリがヒーヨヒヨ～ヒーヨヒヨ～
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<link>https://ameblo.jp/wtnbyusi/entry-11989035072.html</link>
<pubDate>Thu, 12 Feb 2015 19:59:41 +0900</pubDate>
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<title>～無限の猿定理～</title>
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<![CDATA[ ペッションペッション　ペペペペッション<br>緑の山の麓から<br>ペッションペッション　ペペペペッション<br>明るい洋風五稜郭！<br><br>ペッションペッション　ペペペペッション<br>星の瞬く荒地から<br>のっそり地上絵起き上がる<br><br>ペッションペッション　ペペペペッション<br>どっしりふかーい海溝は<br>マグママグマを突き上げる！<br><br>ペッションペッション　ペペペペッション<br>ペッションペッション　ペペペペッション<br>（楽園に住まう風来坊　住むべき所なかりけり<br>天網恢恢　日月盈食　丸顔丸腰ひょうたん池！）<br><br>ッパー！<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/wtnbyusi/entry-11988198730.html</link>
<pubDate>Tue, 10 Feb 2015 19:56:59 +0900</pubDate>
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<title>モノモース②</title>
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<![CDATA[ 　最近テレビで『叱られたい若者たち』というテーマの特集を見た。夕食を食べながら。<br><br><br>　まあ別にそもそもメディアを信用していないのですが、にしても「叱られるためにおっさんをレンタルした。すっきりした」「今の上司は叱ってくれない」という声は確かに多いようですし、また大変驚きました。イスラム国の報道よりも驚きましたね。<br><br>　どういう心理が働いているのでしょうか、というテレビ番組定番の流れで色々議論していましたが、私はとりあえず２つ考えました。<br><br><br>①若者は充分な愛情をそそいでもらっていない<br><br>②ある程度愛情がなくても耐えられるほどのメンタルが育っていないor信仰（神）を持っていない<br><br><br>　①については、そもそも『本気で叱る』というのは『相手の改善の余地を信じている』からこそ行い、つまり受け手から感じたら、叱られないということは自分にそもそも期待をかけていないんじゃないか、（マザーテレサの言葉ではないが）無関心なんじゃないかと疑えるということがあります。『叱る』というのは元々一種の『信頼』からで出てくる行動であるはずです。<br>　そしてつまるところ『叱り』という表現でいいから愛情をかけてくれ、という悲鳴。……うーん、ちょっと無理やりすぎでしょうか。<br><br>　②は、まあ言い換えると自分の中に対話あるいは助言可能な存在がない、というか。どういう心理か説明が難しいけれど『自分ではいけないと思っていても叱られないと変えられない行為』ってあるじゃないですか。（恐らく「自分の行為のいけなさにうすうす気付く」→（時間経過）→「もしここで自分から行動を変えちゃったら、今まで罪悪感がなかったのかと責められる」→「叱られて初めて自分の行為が悪かったことに気付いた風にしよう」、でしょうか）これが信仰などによって自己内に確立した存在をもっていると、その絶対的命令に従える（というか反対するなんてその対象に申し訳ない）故に自分で行為を変革でき、叱られることが不要になるのです。<br><br>　<br>　うーんと大雑把にまとめると、「おてんとさんが見ているよ」と思うことが大事です。いやあ大胆。
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<link>https://ameblo.jp/wtnbyusi/entry-11987293748.html</link>
<pubDate>Sun, 08 Feb 2015 16:48:19 +0900</pubDate>
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