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<title>yuu's blog</title>
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<title>西洋文明論</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<link>https://ameblo.jp/xchanyu/amemberentry-12342777118.html</link>
<pubDate>Mon, 08 Jan 2018 11:44:01 +0900</pubDate>
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<title>ハンド</title>
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<![CDATA[ ハンドスピナーについて<br><br>私はプレゼンテーションでハンドスピナーについて発表しました。今回レポートでもハンドスピナーについてより詳しく調べたことなどを書いていこうと思います。<br><br>まずハンドスピナー(フィジェットスピーナーとも呼ばれる)とは今海外でもっとも流行とされている手持ち無沙汰を解消するために特化されたおもちゃです。海外では、あまりに流行ってしまい一部持ち込みを禁止になる学校もあるくらい人気のおもちゃになっています。<br><br>値段はハンドスピナーに使われる素材によって値段が変わってきます。安いものは300円程、高い物になると金属製で10000円を超えてくるものもあります。<br>値段が高いハンドスピナーは金属製で重いため長時間持続して回すことに特化した作りになっていて、ハンドスピナーを使って技をしたりする人も増えてきているのでそういったところから価格が高いハンドスピナーを購入される人も少なくはありません。<br><br>もともと、ハンドスピナーが作られた理由として主にADHD(注意欠陥・多動性障害)や自閉症の子供たちが落ち着いたり、ストレスを和らげたりするのを助けるアイテムとして作られました。それが広まり現在は大人から子供まで幅広くこのハンドスピナーを持っている人が現れています。<br>ハンドスピナーをずっと回している事はただ手持ち無沙汰を解消するだけでなく様々な効果があると言われています。<br><br>・ストレス解消<br><br>ハンドスピナーを回すと心が落ち着いたりするのでストレス解消アイテムとして使えるようです。<br><br>・集中力向上<br><br>ハンドスピナーを回すと回転していることに<br>見とれてしまいます。同じ場所をずっと見続ける行動は集中力強化になるのでハンドスピナーを回すと集中力が上がるようです。<br><br>・多動性ADHDや老人に効果有り<br><br>落ち着きの無い人にはハンドスピナーは効果的！心を落ち着かせるアイテムなので多動性ADHDや老人にはある程度効果があるようです。<br><br>など、ハンドスピナーを使って遊ぶことによって様々な効果があることがわかりました。<br><br>ハンドスピナーには、様々な形があり下記のようなタイプがあります。<br><br><br><br>画像。<br><br><br><br>このように今、全世界で話題になっているハンドスピナーですがこれを調べて是非今度実際にやってみたいと思いました。また、このように単純かつ簡単に遊べる商品がたくさん出てきているのでそれぞれの商品がどのような効果があるのかや、どういった遊び方ができるのかも調べてみようかなと思いました。<br>
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<link>https://ameblo.jp/xchanyu/entry-12291643820.html</link>
<pubDate>Tue, 11 Jul 2017 13:16:59 +0900</pubDate>
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<title>超域</title>
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<![CDATA[ 今回私は【第7回 ユダヤ人と杉浦千畝『六千人の命のビザ』 】のレジュメに関連した杉浦千畝についてレポートを書くことにした。この内容を選んだ理由として、初めて彼の存在を知ったのがこの授業であり、その時授業で流れたDVD観て、またこの回の内容の授業を受けた時私は衝撃を受けた。こんな日本人がいたことに。また、彼のその時どういった気持ちでそのような行動をとったのか、彼の考え方をより知りたいと思ったのである。こういったことからこの内容をレポートにすることに決めた。<br><br><br><br>杉浦千畝（すぎはらちうね）は「東洋のシンドラー」とも呼ばれる外交官である。彼は、第二次世界大戦中、日本領事館領事代理として赴任していたリトアニアのカウナスという都市で、ナチス・ドイツによって迫害されていた多くのユダヤ人にビザを発給し、彼らの亡命を手助けしたことで知られている。<br><br>1900年：１月１日、岐阜県加茂郡八百津町に父・好水、母・やつの次男として生まれる。<br><br>1919年：早稲田大学高等師範部英語科中退、外務省留学生としてハルピンでロシア語を学ぶ。<br><br>1924年：外務省に奉職。満州、フィンランド、リトアニア、ドイツ、チェコ、東プロセイン、ルーマニアの日本領事館に勤務する。<br><br>1940年：７月、ナチスドイツに迫害されていたユダヤ人たちは、日本通過ビザを求め日本領事館に押し寄せた。オランダやフランスもナチスに占領され、ソ連から日本を通って他の国に逃げるしか、もはや助かる道がなくなっていたためである。千畝は５人のユダヤ人代表を選び話を聞いた。数人のビザなら領事の権限で発行できるが、数千人のビザとなると本国の許可がいる。電報を打って問い合わせたが、日本政府から「ユダヤ人難民にはビザを発行しないよう」言われ続けていた。一晩中考えぬいた結果、外交官としての自分の立場や外務省の指示ではなく、自らの判断でビザを発行することを決断した。それからおよそ１か月の間、千畝はビザを書き続け、これにより6000人〜8000人ともいわれるユダヤ人の命が救われた。<br><br>1946年：その後、チェコ、ルーマニアなどで勤務し日本へ帰国。翌年、訓令違反のビザ発給を理由に退職に追い込まれたことから外務省を退職した。<br><br><br><br>これが、杉浦千畝の生きてきた過程である。<br><br><br><br>(１)彼はなぜ自分の立場や外務省の指示より自らこの判断をしたのか。<br><br><br><br>(２)自分だけでなく家族も危険な状態にも関わらず杉浦の意思を尊重した家族の想いとは。<br><br><br><br>(３)杉浦千畝の気持ち。<br><br><br><br><br><br>《１》このような外交上の事態では、本国に指示をあおぐのは当たり前のことであり、杉原が外務省からの指示に従いビザの発給を断ったからといって、それは誰からも決して責められるものではなかったはず、しかし遠く離れた地にいる者には分からない、一刻を争うような状況を肌で感じ、必死で助けを求める、生きたいと願うユダヤ人たちを目の前にした杉原は、外交官としての自分の立場や外務省の指示よりも、人間としてなすべきことを優先させた。<br><br><br><br>《２》妻・幸子さんは杉浦の一番の支えであった。危険と隣同士にも関わらず、杉浦の意思や気持ちを常に信じてきた。そうできたのは、杉浦自身の人柄、考え、そして助けたいという気持ちが家族に痛いほど伝わったからである。家族の理解と後押しがあったからこような決断を出来たことは過言ではない。<br><br><br><br>《３》ユダヤ人の”生きたい”という気持ちを直に受け取ったのであろう。自分なら何千人の命を救える。自分が行動すれば一人でも多くの命を救える。と。<br><br>同じ人間として、同じ家族がいる一人としてユダヤ人の命を救おうと思った。<br><br><br><br>ー杉浦千畝 名言ー<br><br><br><br>・私のしたことは外交官としては、<br><br>間違ったことだったかもしれない。<br><br>しかし 私には頼ってきた何千人もの人を<br><br>見殺しにすることはできなかった。<br><br>大したことをしたわけではない。<br><br>当然のことをしただけです。<br><br><br><br>・外務省に背いて領事の権限を使って<br><br>この人たちにビザを発行しようと思う<br><br><br><br>・私たちと同じ立場の人が仮に百人いたとしても<br><br>このユダヤ人たちを助けようとしないかもしれない。<br><br>でも僕たちはやろうか<br><br><br><br>・私に頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。<br><br>でなければ私は神に背く<br><br><br><br>・世界は、大きな車輪のようなものですからね。<br><br>対立したり、あらそったりせずに、<br><br>みんなで手をつなぎあって、<br><br>まわっていかなければなりません。<br><br><br><br><br><br>彼の勇敢な行動はたくさんの命を救い、世界を動かした。自分の地位や名誉などではなく”生きたい”と願う人々の気持ちを第一に考えた。授業で観たDVDでは列車でベルがなっても、列車に乗っても最後の最後までサインをし続けたあのシーンはとても印象的である。手が動かなくなるほど必死になり、たくさんの命を助けたにも関わらず、サイン出来なかった子供達を見て涙を浮かべた杉浦の気持ちはとても辛いものであっただろう。しかし、このように何年、何十年、そしてこれから何百年月日が経ったとしても杉浦千畝という人物の存在は世界中の中では消えるものはない。世界には差別や偏見、それにあたる争いなど、まだまだ存在するが、世界で一番大切な命、一人にたった一回しかない人生を私は大切にしなければいけないと思う。そして、そういった考えを誰もが思えるそんな世界になればと強く願う。私は杉浦千畝を心から尊敬する。そして、彼の考えや勇気のある行動を自分の人生において見習っていかなければいけないことが多くあることをこの授業を通して知ることができた。<br><br><br><br>(参考文献：<br><br><br><br>『杉浦千畝物語ー命のビザをありがとう』<br><br>著者：杉原幸子・杉原弘樹の共著書。<br><br>幸子さんは杉原千畝の妻<br><br>弘樹さんは杉原千畝の長男。<br><br><br><br>映画&amp;DVD<br><br><br><br>・『杉浦千畝』<br><br>監督：チェリン･グラック<br><br><br><br>・日本のシンドラー杉浦千畝物語<br><br>『六千人の命のビザ』<br><br>監督：渡邊孝好、原作：杉原幸子、脚本：渡邉睦月
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<link>https://ameblo.jp/xchanyu/entry-12291628575.html</link>
<pubDate>Tue, 11 Jul 2017 12:12:37 +0900</pubDate>
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<title>スヌーピー</title>
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<![CDATA[ <br>私は今回のプレゼンテーションで扱った<br>スヌーピーの『モトクロス大会』について<br>レポートでまとめていきたいと思う。<br><br>まず、始めにこの作品はスヌーピーが<br>テニスをやるシーンから始まります。<br>ここのシーンで分かったことはスヌーピーは<br>右利きだということである。犬に利き手が<br>あるのか調べたところ、犬にも利き手(利き足)が<br>あることがわかった。人間は右利きの方が多いが<br>犬の利き手は右・左の数がほとんど同じなことが<br>わかった。しかし、これだけテニスを上手く<br>プレーをする犬は世界でスヌーピーだけだろう。<br>この作品でスヌーピーはテニスをするにあたって<br>ショットの種類を多く変えている。<br>スライス、トップスピン、ドロップ、ロブなど<br>様々なショットを打てることができる。<br>また、公式戦の試合でもなかなか反則を取らない<br>”フットフォルト”という反則もしっかりとっている。<br>そこで私はなぜここまでテニスに関して詳しく描かれているのか調べてみた。するとピーナッツの生みの親チャールズ・シュルツさんの趣味がテニスだということがわかった。チャールズさんのスポーツの趣味は他にもあり、テニス、ゴルフ、アイススケートなどスポーツがとても好きだったことが分かった。だから、テニスのルールに関しても詳しいんだと調べて改めて分かった。<br>ここでは、スヌーピーの対戦相手がまだわからない状態だが結果最後には親友のウッドストックと戦っていた。テニスボールの大きさと何の変わりもないウッドストックがスヌーピーと同じくらいの速さのボールを打ってることがとても不思議に思った。この作品では題名であるモトクロス大会がメインだが、チャールズさんの好みかテニスのシーンがとても多く描かれていて、テニスをやっている私にはとても楽しい作品であった。<br>モトクロス大会のシーンでは、ペパーミントパティー、チャーリー、スヌーピーが大会に参加し、競い合った。<br>スピードが速そうなバイクを持っているパティーと、安い今にも壊れそうなバイクを持っているチャーリー、また、どこから拾ってきたかわからない謎なバイクを持ったスヌーピー。こんな中レースがスタートした。スタート直後チャーリーとスヌーピーが激突し互いに病院送りになったが、そこでスヌーピーが人間の病院チャーリーが動物病院に送られるという普通では考えられないシーンがあり、ピーナッツならではの面白みだなと思った。<br>２人はパティーと共にまた激闘のレースに戻った。チャーリーは今にも壊れそうなバイクだが○○や○○の応援によりレースもなんとな持ちこたえていた。<br>パティーは泥沼にはまり、スヌーピーとの２人の1位争いになったがスヌーピーは余裕の様子で１人でピクニックなどをしだすがスヌーピーも結局水たまりにはまってしまい、結局最後まで自分のペースで諦めず走ったチャーリーが優勝した。チャーリーが何かで1位を取るというのもなかなか珍しいものだが、高いバイクを持ったから強いのではない。おんぼろバイクでも一生懸命諦めず頑張れば結果が付いてくるということを教えてもらった作品であった。しかし、優勝商品が散発無料券という結果がやっぱりチャーリーらしいなとも思った。<br>ピーナッツの作品は子供向けの作品だがどこか奥が深くて大人が見ても考えれば考えるほど面白い作品だなと１年間ピーナッツ作品について学んできて思ったことであった。また、機会があれば詳しくピーナッツ作品について調べていきたいと思った。
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<link>https://ameblo.jp/xchanyu/entry-12237329054.html</link>
<pubDate>Thu, 12 Jan 2017 10:13:43 +0900</pubDate>
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<title>世界情勢アジア</title>
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<![CDATA[ 今回私は【第3回 スポーツと日本のアジア貢献度&amp;シンクロ日本代表ヘッドコーチ 井村雅代 】のレジュメに関連したシンクロ日本代表ヘッドコーチの井村雅代さんについてレポートを書くことにした。この内容を選んだ理由として、違うスポーツをやっているにしろ私もスポーツをやってる人間であり、彼女が選手たちへ、スポーツ(シンクロナイズドスイミング)を指導するにあたっての気持ち、考え方をより知っていきたいと思ったからである。また、彼女が指導するチームはとても強くなる。その強さもともに調べていきたい。<br>井村雅代は大阪府出身の日本、中国、イギリスのシンクロナイズドスイミングの指導者で元選手である。<br>小学校の頃から地元大阪府で、水泳を習い、中学生になった頃、シンクロを始めた。高校、大学と卒業して、選手時代は日本選手権で二度優勝し、公開競技として行われたミュンヘンオリンピックに出場した。<br>大阪市内の中学校などで保健体育科の教諭を務めつつ、<br>シンクロ指導者としての活動始めた。1978年から日本代表コーチに就任し、また、1985年には大阪府内に自身が代表として務める「井村シンクロクラブ」を創設し、競技者を彼女の独特のスパルタな指導法で育成し世界的な選手を次々と育てた。井村はシンクロの指導者として2015年1月にはリオ五輪のヘッドコーチに起用されている。また井村はスパルタな指導法とは言え、代表的な指導者としての実績や功績の大きさから「（日本の）シンクロ界の母」と呼ばれるようになった。<br><br>井村雅代のスパルタな指導法<br><br>１）軍隊式練習<br>１日の平均練習時間は１２時間以上。<br>朝７時３０分から午後１時３０分、<br>同２時３０分から同６時３０分、<br>同８時から同１０時３０分。<br>その後のケアは個別で行う。<br>井村「練習以外に自らを支えるものはない。<br>１６日間の合宿なら休みは１日」<br>その休日も休めず、与えられた課題を克服するため午前中は陸トレ、水中での自主練習を行わせた。<br><br>（２）生活指導<br>ある選手の部屋が整理整頓できていなかった。<br>「シンクロのチームはビシッと並ぶ。部屋がぐちゃぐちゃなのはあり得ないやろ。あんたらは水着もきれいで、きちんと化粧して本番に臨むでしょう」<br>早朝、睡眠不足と疲労から表情の暗い選手がいた。<br>「シンクロは笑顔でやるもの。空元気で隠せ。弱そうな顔をしたら相手が有利になる。寒くても寒そうな顔をするな」<br>涙も禁止されていた。<br>「泣いても疲れるだけで何の解決にもならん。<br>親が死んだとき以外はなし」<br><br>（３）なれ合い排除<br>今の選手は優しく、調和の取れた選手が多い。だが彼女にはそれが物足りなかった。<br>「昔の選手は失敗した人がいたら<br>『いいかげんにしてよ』と怒った。<br>今の子は言わない。怒ることで、自分は失敗できないとの、責任が生まれる。失敗しない人間はいない。偉そうに言って失敗できないと思うからこそ、人間は無理して頑張る」<br><br>彼女のスパルタな指導法に対して賛否両論あるでしょう。しかし、私は強くなるためにはとても素晴らしい指導法だと思う。特に(３)は私はとても同意である。今の若者は言いたいことを表に言えず陰で言ったり、抱え込んだりする子が多い。逆に表に出さないことが揉め事を起こしたり、チームワークが欠ける原因にもなるだろう。しっかり自分の意見を相手に伝え、共用することにより、より良い緊張感を引き出し良いチームが出来上がっていくのだと考える。<br>彼女のスパルタ指導法は過酷であると思うが私はしっかりした選手たちやシンクロへの愛があると思う。<br><br>授業で見た『「できない」から逃げるな！』というDVDをもう一度見直してみた。今回は私も春から就職活動が始まるため、社員研修用DVDを観ることにした。<br>研修のねらいとしてピックアップしてみた。<br><br>《新入社員》<br>・結果が出ていないのに「努力はしました」と<br>胸を張って言う新入社員<br><br>・すぐに「向いていない」「適性がない」と<br>言う新入社員<br><br>・できない言い訳ばかりをして<br>チャレンジしない新入社員<br><br><br>《若手社員》<br>・「私、みんなと一緒がいいですから」という若手社員<br><br>・“大きな目標”ばかりを語り、何も行動しない若手社員<br><br>・結果が出なくても悔しがらない若手社員<br><br>《上司》<br><br>・職場の人の様子に関心がない課長<br><br>・チームのメンバーのやる気を引き出せない部長<br><br>このような考えの社員へ井村雅代コーチは<br><br>新入社員<br>→仕事のやりがい、人生の楽しさを感じてもらいたい。<br><br>若手社員<br>→努力の大切さを理解し、結果に対するねばり強さを<br>身につけてもらいたい。<br><br>上司<br>→部下のモチベーションの引き出し方<br>部下との向き合い方を考えてもらいたい<br><br>と思っている。<br><br>長年やってきた指導歴の中でそれぞれにこのように<br>心の弱い選手や、メンバーのやる気を引き出せないコーチたちの考え方を変え、世界で戦える選手に育ててきた。そんな彼女がDVDのインタビューで語った言葉たちはとても感心するものであった。<br><br>新入社員・若手社員には<br><br>＊どんな世界でも序列がついて当然<br>だからこそ、自分がとれる一番をとりにいかなければならない。みんなと一緒ではいけない。<br><br>＊結果にこだわろう<br>スポーツの世界でも社会人になっても結果がすべて。<br>結果が輝いて、はじめてがんばった日々も輝く。<br><br>＊心の才能が一番大事<br>心の才能のない人は、「向いていない、適性がない」と簡単に言う。心の才能がある人は、「自分の努力の仕方、がんばり方が足りなかった。もっと努力しよう、もっとがんばろう」と考える。<br><br>＊人は生きているかぎり努力をして当然<br>壁を乗り越えることが人生であり醍醐味。だから、人よりも努力をして、苦手なことを克服しようとしなければならない。<br><br>＊１ミリの努力<br>大きな目標も大切だが、小さな目標を積み重ねることも大切。１ミリ前に進んで次の日に１ミリ前に進んだら10日で１センチ進むーー。そういう努力をしなければならない。努力するにあたって絶対にしてはいけないことは、明日からしようとすること。<br><br>上司・先輩には<br><br>＊心のスイッチを入れてあげる<br>今の若者は、自分で自分を奮起させるのが下手。<br>そういう若者たちを戦うモードにするのが上司の仕事。<br><br>＊部下の人生を預かっている<br>この部下に良い人生を歩んでほしい、より良い人間になってほしい。そのお手伝いをしたいという気持ちがあるか。そういう気持ちがあれば、「あの上司のもとでやっていてよかった」と思ってもらえる。<br><br>＊部下の観察・把握は上司の大切な仕事<br>観察して、一人ひとりを把握することが大事。<br>把握しているから何かが起こった時に適切な言葉が<br>かけられる。観察するから部下の導き方が見えてくる。<br><br>彼女が指導するにあたっての言葉たちにはとても厳しいこともあるがこのようにしっかりとした意味が含まれていて、だからこそ彼女が指導するシンクロナイズドスイミングの選手たちにはしっかり結果がついてきている。<br>このような考え方の持つ人が減っているのではないかと私は思う。自分にも他人にも甘い考えになっている人々が増えてきている。私は、彼女の考え方や生き方を尊敬するとともに、今回観たDVD、書籍をこれからの就職活動又、仕事に就いた時の参考にしていきたいと考えている。<br><br><br>(参考文献：<br><br>井村雅代 (シンクロナイズドスイミング日本代表ヘッドコーチ) 著<br>『井村雅代コーチの結果を出す力』～あと「1ミリの努力」で限界を超える<br><br>井村雅代 (シンクロナイズドスイミング日本代表ヘッドコーチ) 監修<br>ＤＶＤ『井村雅代コーチの「できない」から逃げるな！ 』<br>
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<link>https://ameblo.jp/xchanyu/entry-12235478284.html</link>
<pubDate>Fri, 06 Jan 2017 11:48:58 +0900</pubDate>
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<title>国際交流論</title>
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<![CDATA[ 今回私は【第11回 イエス・キリストとマザーテレサの愛 】のレジュメに関連したマザーテレサ<br><br>このテーマを選んだ理由は2017年を迎えた今、<br>世界では様々な所で争いがあり、十分に食事を取れなず、病気を治す治療費がなく、またその治療を治す技術不足などの問題がたくさんあり、その中で”マザーテレサ”という人物がどれだけ偉大な人間だったのか、どのようなことをしてきた人間だったのかを調べていきたいと考えたからである。また、今後この世界はどうしていけばより良い世界が作ることができるのか、大学生の私たちが、出来ることは何かも、共に考えていくことにした。<br><br>マザー・テレサ（Mother Teresa)本名：アルーマニア語でアグネサ／アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジ(Agnesa/Antigona Gongea Boiagi)は1910年8月26日にアルバニア人の両親の間に生まれた。<br>聖マリア高等学校(ロレット修道会経営)で地理の教師、<br>また校長も何年か果たしてた。マザー・テレサだが貧しい人たちのために働こうと決心した。マザー・テレサはキリスト教の教えに一番近い人と言われている。そんなマザー・テレサは1952年にカルカッタのカリガートに病気や食べるものがなく栄養が取れず、行き倒れになっている人々を受け入れるための施設である「死を待つ人の家」(Home for Dying Destitutes) を設立した。その名前の通りその「死を待つ人の家」には骨と皮だけになってしまった人々で溢れていた。マザー・テレサはシスターたちと共に人々に優しく体を洗ってあげ、清潔な洋服を着させてあげたり、また栄養のある食事を彼らに与えていた。彼女らはそのような人々の命の大切さを伝えると共に人々にたくさんの愛を与えた。1954年には最初の「孤児の家」を開設する。私はマザー・テレサ100の言葉という本を読み印象に残ってる言葉があります。<br><br>ある日のこと、私は、もう決して何も食べようとしない、ひとりの小さな子どもを見かけました。彼のお母さんは亡くなってしまっていたのです。私は、その子のお母さんによく似ている一人のシスターを探しました。<br><br>わたしは、彼女に言いました。<br>「あの子と遊ぶ以外、何もしてはいけません。」<br>すると、その子にまた食欲が戻ってきたのです。<br><br>※『マザー・テレサ100の言葉』参照<br><br>幼い子どもにとって母親がいない悲しみと不安の大きさはきっと消えることはない。また、一生抱えていかなければならいだろう。しかし多忙なシスターに、その子どもの心のケアのためだけに専念するようにと言い放ったマザー・テレサの深い愛情と優しさと彼を思う気持ちに私は胸が熱くなりました。そして、ほかにも様々な名言がマザー・テレサにはあります。<br><br>マザー・テレサ 名言集<br><br>・この世界は食べ物に対する飢餓よりも、愛や感謝に対する飢餓の方が大きいのです。<br><br>・平和は微笑みから始まります。<br><br>・私たちは、大きいことはできません。小さなことを大きな愛をもって行うだけです。<br><br>・人間の微笑み人間のふれあいを忘れた人がいます。これはとても大きな貧困です。<br><br>・愛されることより愛することを。理解されることよりは理解することを。<br><br>・短くて口に出しやすい言葉でも、心のこもった言葉はある。そんな言葉はいつまでも心の中に輝き続ける。<br><br>・大切なのは、どれだけ多くをほどこしたかではなく、<br>それをするのに、どれだけ多くの愛をこめたかです。<br>大切なのは、どれだけ多くを与えたかではなく、それを与えることに、どれだけ愛をこめたかです。<br><br>・誰かに微笑みかけること、それは愛の表現であり、その人へのすばらしい贈り物となるのです。<br><br>・世界平和のためにできることですか？家に帰って家族を愛してあげてください。<br><br><br>このようにたくさんの名言を彼女は残している。<br>彼女が発した名言のほとんどが”愛” 、”笑顔”という言葉を多く使ってることがわかる。それは、彼女が一番大切にしてきたことであり、食べ物を与えること、暖かい部屋にいれることが大事なのではない。愛する気持ちを持って、笑顔で居ることが一番大切だと彼女は教えてくれた。<br>マザー・テレサは<br><br>マザー・テレサは1979年にノーベル平和賞を受賞し<br>受賞した理由は、長期間にわたる献身的な働きにより、苦しみのなかにいる人々に安息をもたらしたというものであった。他にも様々な賞をもらっているマザー・テレサだが、彼女は様々な賞をもらってもお金をもらっても自分で使うことはなく全て難民のために使った。<br><br>私は今回マザー・テレサについて調べてきたがこれから先こんなにも人々を愛し、誰かのためにこれだけのことができるのは彼女だけだと痛感した。彼女の言葉や生き方や考え方、接し方全てがたくさんの人々を救ってきた。今でも飢え絶えてる人々はたくさん存在している。医療技術の発展、医師が少なくても病気を治せる薬の製作などこれからもっと発展していく世界になるだろう。<br>その中で私たち学生が出来ることは清潔な衣類の寄付やボランティア活動の積極的な参加だと考える。私も海外に興味がありボランティア活動として貧しい国への留学をしたいと考えている。そういった小さなことから私たちも考えていくべきだと思う。<br><br><br>(参考文献：<br>マザー・テレサ著・鳥居千代香<br>『マザー・テレサ 最後の愛のことば』<br>マザー・テレサ著・ヴォルフガング・バーダー 編・山本文子<br>『マザー・テレサ100の言葉』)
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<link>https://ameblo.jp/xchanyu/entry-12235239203.html</link>
<pubDate>Thu, 05 Jan 2017 16:44:30 +0900</pubDate>
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<title>言語論</title>
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<![CDATA[ 「言葉は人間にとってどのようなものか」<br>そう聞かれるとなかなか簡単には答えられるものではないが、一般的には「言葉はコミュニケーションの道具」であると言われたり、「言葉は思考の道具」であると言われたり、また、言語は「イデオロギー」であるとか「アイデンティティー」であると考える人もいるようである。私たちは、言葉を使って現実世界を描いているが、一方で、実は、ことばによって現実世界に対する(ものの見方)が、規定されている。<br>この話題について、もっとも良く知られた例で「虹は何色か」というトピックがある。「虹にいくつの色が見えるか」という問いに関しては、言語圏によって色の数が異なることが知られている。<br>虹は何色かと問われたとき、日本語を母語としている者なら「７色」というのが一般的で、紫、藍、青、緑、黄、橙、赤の７つというのが日本語の常識である。<br>ところが、英語では一般的に「６色」だそうだ。英語で６つとなるのは、日本語の「紫」と「藍」が区別されず、violetで表されるからである。その結果、英語ではviolet、bule、green、yellow、orange、redの６つとなる。また、アフリカのショナ語(Shona)という言語を話す人たちは、虹にの色を３色(紫・藍・橙・赤 cipswuka、青・緑 citema、緑・黄 cicena)と答え、同じくアフリカのバサ語(Bassa)を話す人たちは２色(紫・藍・青・緑 hui 、黄・橙・赤 ziza)しかないと答えるようだ。その他、スペイン語では６色、ドイツ語では６色、ロシア語では５色が多いようである。<br>もちろん、虹というものは、世界中どこでも同じ気象学的現象であって、色彩的にも国や地域によって変わることはない。それにもかかわらず、日本語では虹の色を７色といい、英語では６色と言うのは何故なのだろうか。<br>これは、人間が、言語を通して現実世界を見ているためであって、日本語や英語で虹の色をあらわす語？が異なるために、現実世界の虹も異なって見えると説明されている。この考え方は「言語相対説(サピア＝ウォーフの仮説)」といい、より一般化して言えば「言語の語彙体系や構造な(ある程度まで)人間のものの見方を規定する」という仮説を言う。虹の色を表す色彩語の数によって虹の色彩が違って見えるというのは、このように表すことができる。<br><br><br>＊日本語話者→紫・藍・青・緑・黄・橙・赤の７色<br>＊英語話者→violet、bule、green、yellow、orange、red<br>＊ショナ語話者→cipswuka、citema、cicena<br><br>つまり、日本語を母語とする人が虹の色を７色というのは、日本語に７つの色彩語彙が用意されているからであって、英語を母語とするひとが虹の色を６色と言うのは、英語に６つの色彩語彙しか用意されてないためと説明できる。また同様に、ショナ語話者が３色というのもショナ語に３色の色彩語彙しか用意されてないからというのが言語相対説の考え方である。<br>上にあげた、３つの印があらわしているのは虹という物理的に同じ対象であっても、その人を使う言語が異なると、色の数が違って見えるという関係である。<br>また、他の例をあげると日本語では、兄弟関係を表す際、「兄」「弟」「姉」「妹」という４つの語がある。４つの語があるということは、兄弟関係を４つに分けてに見ているということを示している。これに対し、英語では、brotherとsisterという２つの語で体系を作るので男と女の区別はするものの、年上と年下の区別はしていないことになる。もちろん、elder brother(兄)や<br>younger sister(妹)のように形容詞elderやyoungerをつけて年齢の上下関係を示すことも可能だが、兄弟関係の語彙が、もともと２つにしか分かれていないことがわかる。日本語が４つに分けるのは、そもそも最初から兄弟関係の語彙が「兄」「弟」「姉」「妹」の４つで体系が作られているわけで、英語の２分割と日本語の４分割は語彙体系における固有の分割法ということになる。<br>先程の虹と同じように言語構造の差異がものの見方の差異を生むという観点から言えば、日本語を話す者は４つの内どこに入るかという見方で兄弟姉妹をみているのに対し、英語を話す人は２つのうちどちらに入るかで見ているということになる。英語で、I have two sisters.(私にはsisterが２人います)という発話が、日本語を話す人にとって、疑問点が残るのはsisterが２人いると言われても、姉か妹かがわからない状態で情報不足と感じてしまうからである。情報不足と感じるのは、日本語で４つに分割しているからで、英語流の２分割では分け方が「粗すぎる」ということになる。他方、インドネシア語では、兄弟姉妹を２つに分けるが、英語とは違い「年上」と「年下」を基準に２分割するものの、「男」と「女」の区別をしない。インドネシア語では、年上であれば男性(兄)でも女性(姉)でもkakakといい、年下であれば男性(弟)でも女性(妹)でもadikという。日本語を話す者は日本語式の４分割のほか、英語式の２分割にもある程度慣れているいるが、さすがにインドネシア語の分け方に従って「私にはkakakが２人いる」と言われても、理解した気持ちになれないのは、インドネシア語式の分割法に日本語を話す者が慣れていないためだということになる。ここから言えることは、どのような言葉をつかうか考えることは、どのようなものの見方をするかを考えることになる。ここに、ことばの教育がものの見方の教育になる理論的根拠があるということがわかった。<br>これと関連して、<br>子どもは犬を「ワンワン」という。これは日本を話す者は犬の鳴き声は「ワンワン」と聞こえることから「犬」という言葉ではなく、子どもならではの「ワンワン」という呼び方になっている。しかし、「犬」の鳴き声が「ワンワン」と聞こえるのは世界共通なわけではない。<br>英語ではbow-wow「バウワウ」、韓国語では、멍멍「モンモン」、フランス語ではwaouh-waouh「ワフワフ」、ドイツ語ではhaff-haff「ハフハフ」と表現する。これも、日本語を話す者からすると、なぜそのように聞こえるのかと疑問に思うだろう。これもまた、日本と他国との言語の構造の差異があるからということになる。
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<link>https://ameblo.jp/xchanyu/entry-12185223604.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Jul 2016 11:08:16 +0900</pubDate>
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<title>スヌーピ</title>
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<![CDATA[ <br>今回私は、セミナーⅠで配布された資料の<br>P55の真ん中のシーンについて発表しました。<br>レポートではP55のシーンとスヌーピーと<br>食べ物との関連性をまとめました。<br><br>まずはじめに、P55の真ん中のこのシーンは<br>チャーリーがスヌーピーにサンドウィッチを<br>あげるシーンから始まります。<br><br>ストーリーはチャーリーがスヌーピーに<br>サンドウィッチをあげスヌーピーがそれを食べて<br>パンの耳の部分を食べたスヌーピーが<br>耳の部分をカットしてくれたらもっと<br>美味しいのになぁ、と思っているという<br>スヌーピーです。<br><br>このシーンを見た感想は、チャーリーから<br>もらったサンドウィッチに、いちゃもんを<br>付けているスヌーピーはなかなか生意気<br>だなと思いました。<br>また、この時のチャーリーがスヌーピーに<br>サンドウィッチを渡す時の顔はとても<br>優しい顔をしていて、スヌーピーにも<br>サンドウィッチを分け与えてるチャーリーは<br>優しい子だなと思いました。<br><br>スヌーピーはとても食いしん坊な犬です。<br>他のシーンでもスヌーピーが食べ物を食べている<br>シーンは沢山あります。<br>スヌーピーは食べ物に対しての気持ちが<br>とても強いことがわかりました。<br><br>資料のP65にはチャーリーから餌をもらった<br>スヌーピーは、様々なところでチャーリーの<br>友達からご飯を食べることを邪魔され、<br>怒って、誰もいないとこでコーンを置いて<br>邪魔をされないように食べているシーンも<br>ありました。<br><br>ご飯を食べてる時に誰かに何かを言われたり<br>邪魔をされるのが嫌いなスヌーピーなのが<br>このシーンを見てわかりました。<br><br>スヌーピーの好きな食べ物は<br>・ドッグフード<br>・チョコチップクッキー<br>・ピザ<br>・アイスクリーム<br>・ドーナッツ<br>です。<br><br>P64の真ん中のシーンでは、<br>おいしそうに大好物のドーナツを<br>食べています。<br>その、姿はとても幸せそうです。<br><br>そんな食いしん坊のスヌーピーですが<br>嫌いな食べ物もあります。<br>それはココナッツです。<br>なぜスヌーピーはココナッツが嫌いか<br>調べたところ、作者のチャールズ・シュルツ氏が<br>ココナッツを嫌いだったことから、スヌーピーも<br>ココナッツが嫌いという設定になったということが<br>わかりました。<br><br>スヌーピーは皮肉っぽく、時に愛くるしい<br>そんなアニメーションですが沢山の名言もあります。<br>その中で、食べ物を用いて名言を出してることも<br>あります。<br><br>それは、人生はアイスクリームだ！<br>時に舐めることも覚えないと<br><br>[画像]<br><br>人生、真面目に生きすぎない！ということ。<br>時には、なめてかかってもいい！<br>要するに人生、気楽にいくことも大事！<br>ということです。<br><br>大好きなアイスクリームを用いての名言で<br>とても、スヌーピーらしい発言だなと思います。<br><br>このように、お茶目な考えと仕草、<br>また少し生意気な行動が全世界から<br>親しみを持たれる理由なんだと思いました。<br><br>後期でも、スヌーピーについて奥深くまで<br>考えて、見ていきたいとおもいました。
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<link>https://ameblo.jp/xchanyu/entry-12182466881.html</link>
<pubDate>Wed, 20 Jul 2016 17:27:37 +0900</pubDate>
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<title>レポート</title>
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<![CDATA[ 今回私は授業で行った世界の通学路について<br><br>まとめ、レポートにしました。<br><br><br><br>世界では勉強したくても出来ない。<br><br>学校に行きたくても行けない。<br><br>友達に会いたくても会えない。<br><br>そんな子供達がたくさんいます。<br><br><br><br>その中で、学校に行くために想像を絶する<br><br>道のりを毎日通っている子どもたちがいます。<br><br><br><br>そんな子供達が<br><br>どのような環境で、どのような、行き方で<br><br>学校に通っているのか授業で見たDVD、<br><br>また、ボランティアに参加した<br><br>同じサークルの先輩に話を聞いたことを<br><br>まとめていきたいと思います。<br><br><br><br>授業で見たDVDでは、馬に乗って登校したり<br><br>足が不自由な友達を、あまり物が良くない<br><br>車椅子のようなものを押して行ったりと<br><br>様々な危険と向かい合わせな通学路を<br><br>子供達は何時間もかけて登校しています。<br><br>道は険しく、危険で、いつ崩れるかわからない<br><br>崖を通り、学校へ向かいます。<br><br><br><br>なぜ、そこまでして学校に行きたいのか。<br><br>その理由としてほとんどの子がこう言います。<br><br><br><br>貧乏だからこそ、たくさん勉強して<br><br>良い職について、お金持ちになりたい。<br><br><br><br>と。<br><br><br><br>日本はとても安全で裕福な国だと思います。<br><br>しかし、世界では 洋服１つ買えない人や<br><br>ご飯を食べれず痩せていく一方の人など<br><br>不自由に暮らしてる人が沢山います。<br><br>大袈裟に言えば死と向かい合わせの人もいます。<br><br><br><br>子供達はこういった現状を<br><br>自分の目で見ているのです。<br><br>だからこそ、<br><br>親を楽にしてあげたい。<br><br>自分が病気だからこそ、こういった<br><br>人たちを助ける医者になりたい。<br><br>と、思うのです。<br><br><br><br>私たち日本人はとても幸せな環境に<br><br>あります。<br><br><br><br>綺麗な街。戦争も無い。衛生面でも安心。<br><br>風にも負けない家もあり、多くの人が<br><br>学校にも通えて満足に食べられるご飯もある。<br><br><br><br>こういった、とても良い環境にありながら<br><br>学校に行かなかったり、無駄を増やす<br><br>人たちも少なくありません。<br><br><br><br>日本人で、勉強が”好き”と答える人は<br><br>どれくらいいるのでしょう。<br><br>私は、全体で見たらとても少ないと思います。<br><br><br><br>親に学校に通わせてもらっていながら<br><br>学校に行かなかったり、授業に出なかったり<br><br>勉強が嫌いで、ぐーたらしていたり...<br><br>そんな人は今現在の日本では少なくないのでは<br><br>ないかと思います。<br><br><br><br>例えば帝京大学。<br><br><br><br>ソラティオ、17号館など、とても綺麗な校舎、<br><br>綺麗な椅子や机、またトイレや自動販売機などの<br><br>設置など、勉強をする最適な環境があります。<br><br>メリックもあり、わからないことは<br><br>すぐ調べることができ、理解することができます。<br><br><br><br>しかし、多くの国で学校はあるけれど<br><br>机や椅子など、決していいものではありません。<br><br>また、トイレも外にあったり、なかったり<br><br>そんな国もあるでしょう。<br><br><br><br>そんな環境でも、必死で勉強をしている<br><br>子どもたちの姿は、ぐーたらしている<br><br>そんな日本人はこの子供達のよう<br><br>見習わなければなりません。<br><br><br><br>このDVDで、ある子どもは自分の国の<br><br>言語ではない英語でインタビューに<br><br>受け答えしています。<br><br>その姿はとても素晴らしく、たくましく<br><br>また、立派に感じます。<br><br>自分の母国語ではないけれど、きっとこの先<br><br>必ず使うであろう世界共通言語の英語を<br><br>勉強し、インタビュアーの前でそれを<br><br>実践している彼らの将来への希望、夢を<br><br>とても、大きなものだと感じることができます。<br><br><br><br>小さいながらも全力で夢に向かい、<br><br>突き進んでいる彼らの姿にきっと誰もが<br><br>感動するはずです。<br><br><br><br>半年前、私のサークルの先輩がフィリピンに<br><br>ボランティアとして10日間ほど<br><br>滞在していたので、私はその彼から<br><br>話を聞くことができました。<br><br><br><br>殺風景な街にたくさんの子どもたち。<br><br>ボロボロになった洋服や靴。<br><br>裸足で歩いてた子も居たそうです。<br><br>とてもお腹を空かせていて<br><br>痩せている子、病気を持っている子。<br><br>そんな子達も沢山いました。<br><br>しかし、彼は言っていました。<br><br>みんな とてつもない笑顔を見せてくれるのだと。<br><br>カメラを向けたらいつでもポーズをとり<br><br>満面の笑顔でこちらを向いてくれ、<br><br>彼を慕っていたそうです。<br><br><br><br>しかし、彼らにも制限があり<br><br>持ってきたお菓子やモノは決してあげては<br><br>いけないと。日本で安く購入した<br><br>お菓子やおもちゃ。そんなものを<br><br>現地の子供達にあげれたらと彼は<br><br>言っていました。<br><br><br><br>何が一番楽しい？と聞くと子供達は<br><br>声を揃えて    ”学校”<br><br>そう答えたそうです。<br><br><br><br>このような話を聞いて、私たちの<br><br>”当たり前”は子どもたちにとっては<br><br>とても貴重なもので、そんな時間を<br><br>私たち日本人は無駄にはしてはいけないなと<br><br>そう思いました。<br><br><br><br> <br><br>今回、DVDまた、先輩のボランティア活動の<br><br>話を聞いて、学べることが当たり前ではないという<br><br>こと、普通に生活できていることが幸せだということ<br><br>それが実感させられました。<br><br>世界中には苦しい環境で生きながらも懸命に勉強に励み夢に向かい努力している子どもたちがいます。<br><br><br><br>私は、先輩の話を聞いてそういった子どもたちを<br><br>支援する、ボランティア活動にとても興味が<br><br>湧き、子どもたちが素敵な未来を掴めるための<br><br>手助けになれることをしていきたいと思いました。<br><br><br><br>子どもたちのその姿は誰もがそう思えることであり<br><br>きっと彼らは沢山の幸せを掴むことでしょう。<br><br><br><br>私は機会があったらこういった<br><br>ボランティアや子どもたちの支援となるような<br><br>活動を積極的に行い、たくさんの子どもたちの<br><br>笑顔を見たいと思いました。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/xchanyu/entry-12178130834.html</link>
<pubDate>Thu, 07 Jul 2016 11:01:23 +0900</pubDate>
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