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<title>八木沢マタギ</title>
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<description>ー　後世に伝えたい「八木沢マタギ」200年の変遷　ー</description>
<language>ja</language>
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<title>神秘のカゴ山 熾烈を極めた 巨熊とマタギ</title>
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<![CDATA[ <p style="text-align: left;">&nbsp;<span style="font-size:1.4em;"><strong>マタギと山の主　カゴ山の巨熊</strong></span><br><strong>&nbsp; &nbsp; 　&nbsp;　連綿と受け継がれたマタギ習俗　畏敬と神信仰<br>　　　　　　　　　そこは奥深き神秘の山　想像を絶する威容が阻んだ</strong><br><br>　　暗闇の中で微かにひかる巨熊の眼光　頭を持ち上げたその瞬間<br>　　　　　　　　　　　鉄砲の引き金が引かれた　弾丸は前頭部に命中　<br>　　　巨熊の悲鳴　山のうねり　大量の血が熊穴に溢れた　<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　やがて山は雪から雨へと急変した<br><br><strong>　熾烈を極める急峻な岩山「カゴ山」<br>　　　　　　　　　昔のマタギは先祖代々女子山と呼んだ<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　八木沢マタギ</strong><br><br>　この記録は聞き取りと実証を基に余すところなく書き上げたものである<br><strong>&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; <img height="480" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/93/d3/j/o1920108015700067702.jpg" width="853"><br>　　　　&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;熊は山の神さまからの授かり物&nbsp; カゴ山（486）2013.11.30</strong><br><br><strong>　</strong>人を寄せつけない八木沢集落南西に聳える岩山のカゴ山は先祖代々からマタギ衆は女子山と呼称していた。良蔵マタギはここで生まれここで育ち15から鉄砲を所持、山を知り尽くした親方マタギではあるが初めて足を踏み入れた未知の山でもあった。鋭い勘のマタギはカゴ山で生涯最大級の熊との熾烈を極めた嘗て無い壮絶な狩りを顧みた。66年12月15日、狩りで出羽からナガネを歩いていると巨大な熊の足跡を発見、熊は冬眠穴に向かっていると確信し翌16日、二人の勢子を引き連れ熊の足跡を追ったが岩場で幾つもの難所に阻まれマタギは鉄砲を勢子に背負わせ岩場をよじ登りやっとの思いで冬眠穴についたと意中を語り始めた。※出羽(下流）からナガネ(稜線）はマタギ言葉。<br><br><strong>【聞き取り】　</strong><br>　1966(昭和41)年12月15日 小雪降る中、八木沢集落の南西に位置するカゴ山へ一人で狩りに出かけた時のこと、降り積もる雪に冬眠直前の巨熊の足跡を見つけた。翌16日、午前7時頃、良蔵マタギは勢子二人（村田勇、佐藤良広）を引き連れ、昨日見つけた岩山の場所へと三尺(約90.9㌢）も降り積もった雪をかき分け、やっとの思いで熊の足跡にたどりついた。熊は巨大な体を引きずり、断崖絶壁を横切っていた。三人は岩場にへばりつきながら熊の足跡を追い、ついに熊の冬眠する穴にたどりついたのが午前10時頃、熊はゴヨウマツの倒木の根元に掘った穴に入っていた。穴は二つで真新しく掘った土や木の小枝が断崖に散乱し穴から漂う獣の匂い、間違いなく熊がいると確信したという。10時30分頃、良蔵マタギは猟銃を構えながら恐る恐る熊穴を覗いたその時、暗闇の中で微かに目が光った気がしたので猟銃を構えると熊が頭を持ち上げたその瞬間、二連発銃の引き金を引いた。弾丸は頭に命中した瞬間、山のうねりのような悲鳴が鳴り響き一瞬にして熊穴が真っ赤な血の海へとなった。<br><br>　射止めた熊の頭から大量の血が止めどもなく流れ出ていた。熊は死ぬ間際に大きな唸り声をあげると先人のマタギたちから代々語り継がれていたので唸り声が出ないうちは、そばに寄りつくものではないとされた。結局、この巨熊は、たった一晩、穴に入っただけの雄熊で体重約二百㌔を超す大物、このあと勢子の良広が熊穴に入り体にロープを巻きつけてから三人で穴から引きずり出したが大変だったという。引きずり出した巨熊を断崖絶壁の岩場から突き落としたが、まるで大木が岩から落ちたときのように「ゴーンゴーン」と凄まじい音を立てながら落ちていったが巨熊の体は無傷で不思議だった。丁度 この頃、山は雪から雨へと変わったと山の急変に驚いた。数多くの熊を射止めるなかで生涯最大級の熊、これ以上の巨熊を射止めることはなかった。集落に運ぶと一目見ようと村中の人が集まり大騒ぎで歓声と歓喜で溢れ、解体された巨熊は集落の一軒一軒に「わしゃど」(子供）によって平等に振る舞われた。「わしゃど」が熊肉を配る風習は先祖代々から引き継がれた風習で熊は山の神からの授かり物とした。<br>　　　　<img height="975" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/9e/f3/j/o0644074015700067707.jpg" width="848">　<br><strong>　　 　　　　　　　　　【射止めたカゴ山の巨熊　♂】<br>　　　　　右：集落最後のマタギ 佐藤良蔵 / 左：勢子の村田勇　1966.12.16　</strong></p><p><br><strong>　　　　<img contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/17/3c/j/o1920144015700067712.jpg" width="220">　　<img contenteditable="inherit" height="176" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/53/a2/j/o0364029115700067717.jpg" width="220"></strong><br>　　　　<b style="font-weight:bold;">巨熊から摘出した弾丸（熊弾）　　発射された実物熊弾(1950年代製）</b><br><br><br><strong>2013年5月26日(日) 晴　カゴ山の調査(11：30～14：30）</strong><br>樹木：ゴヨウマツ、スギ、ブナ、クロベ、ムラサキヤシオ、ヤマツツジ、リョウブ、アカシデなど<br>　聞き取りを基にルート、装備などを事前に準備をして単独で調査を決行、最も関心があったのは背景とする山の生態系、巨熊の冬眠穴付近の考察であったが、いざ入山をすると想像以上の厳しい山で唯々驚いてしまった。<br>　11:30　危険を覚悟で単独入山、斜面はガレ場で岩や石がゴロゴロ散乱、地表にはゴヨウマツの葉が何層にも堆積するような斜面、傾斜約75～85度を四つん這いになり急斜面を登るが下山のときが危険、滑落をしたら助からないだろうと心の中で呟きながらもマタギが歩いたルート、射止めた冬眠穴、その生態系など、マタギが巨熊を射止めるまでの様子をこの目で体感したいと稜線にたどりついた。周囲の樹木はゴヨウマツやスギで覆われていたが圧倒的にゴヨウマツが多く、岩の割れ目にへばりつくゴヨウマツが至る所にあって太古から循環し世代交代をくりかえしている神秘的な山を五感で感じた。<br>&nbsp;</p><p><strong>・見事なゴヨウマツの純林が密生する生態系に圧倒</strong></p><p>　　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/cf/1f/j/o0640042515700067719.jpg"></p><p><strong>　　　ゴヨウマツ（五葉松、学名: Pinus parviflora）マツ科マツ属の常緑高木</strong><br>&nbsp;</p><p>　稜線ナイフエッジ　バランスを崩したら谷底に滑落　生存不可能だろう<br>　　　　胸を突くような斜面を恐る恐る岩肌をよじ登るがこれ以上は進めない<br>　　　　　　冬眠したと思われる熊穴に進むのは危険すぎて途中で断念　引き返す<br>　<br><strong>　　　　　　　　<img height="366" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/06/74/j/o1920108015700067726.jpg" width="651"><br>&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp;</strong><br>　　　　　　　　　　熊穴は東側岩場の斜面(中腹）にあると推測　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>　　　　　　　　<strong><img height="369" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/b7/d9/j/o1920108015700067732.jpg" width="656"><br>　　　　　　　　　　　　　<br>　　　　　この岩場は一枚岩の垂直岩盤で恐怖　　<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　撮影場所に苦慮　足が震えた　　</strong><br><br>　下山も身震いをするほど恐怖で写真撮影する場所も困難、熊穴は中腹の窪地にあると思われるが無理、この斜面をマタギと勢子が横切ったと思われるが想像を絶する狩りで唯々驚くばかり、ようやく撮影場所を見つけたが滑落をしないように樹木に体を巻きつけて撮影をし終え恐る恐る下るが南西側は深い谷底でムラサキヤシオツツジと淡紅色のイワカガミが鮮やかに咲き誇り心身が癒される思いがする。</p><p>　　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/ec/d5/j/o0640042515700067733.jpg"></p><p>　　　　<br>　　　　切り立つ痩せ尾根、バランスを失ったら深い谷底に滑落すると無縁仏<br>　　　<strong>　　　　　<img height="357" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/39/8d/j/o1920108015700067739.jpg" width="635"><br>　　　　　　　　　　　ゴヨウマツの樹幹に熊のカジリ痕</strong><br><br><strong>　ゴヨウマツの巨木に熊のカジリ痕、この付近で熊独特の土臭さとホコリ臭さが漂う</strong><br><br>　樹齢数百年ものゴヨウマツの根もとに生々しい熊のカジリ痕、獣臭さが漂う不気味な稜線、熊は冬眠間近に松ヤニの皮を食べ便秘状態にして付近の穴に冬眠をする野生動物特有の縄張りを示す習性がある。ここでの生態は個体が冬眠場所の近くで木にカジリといって歯形をつけ樹木の幹を上から下に向って噛んでいると熊はその近くの穴に冬眠をすると言われ、冬眠直前になると松ヤニのある「ヒメコマツ」(マタギはヒメ・ヒメと呼称）などの皮を食べ、肛門に栓をして便秘状態に胃腸を整える。この行動はゴヨウマツ,アカマツ、カツラの木でも確認される。また、熊は冬眠穴から出ると沢伝いの山菜などを大量に食べ排便をくりかえすが最初は硬い便が排泄されている。<br>　　　　　　</p><p>　<strong>【不思議　自然界に起きる現象に取り憑かれた】</strong><br>　岩場とムラサキヤシオツツジ、熊のカジリ痕付近で怖い思いをした。<br>一帯は常緑針葉樹のゴヨウマツの純林で覆われ圧倒、切り立った稜線、南面は深い谷底、不思議な怪奇現象に取り憑かれた。<br>南面真っ暗な谷底に仰向けになり死んでいる自身の姿が、そして突然、楽曲の題名【母さんの歌】のメロディーが聞こえてきた。<br><br>　かあさんは夜なべをして　手ぶくろ編んでくれた　<br>　　　こがらし吹いちゃ　つめたかろうて　せっせと編んだだよ　<br>　　　　　　　　故郷（ふるさと）の便りはとどく　いろりの匂いがした　<br><br>　　遠くから母が私の名前を何度も呼ぶ声が<br>　　　　　　　　　　不思議な怪奇現象が脳裏を掠め怖さと後悔の連続だった<br><br>　切り立つ稜線からルートを間違わないように慎重に下山したがカゴ山の自然生態系は人を寄せ付けない厳しい自然環境は太古から循環を繰り返し、そこに山の主巨熊が君臨していたとうなずける。それにしても登りの急斜面、ガレ場、ゴヨウマツの密生、熊のかじり跡、獣臭さ、南西方向はナイフリッジと絶壁、巻いて登ろうとするが岩場で難所の連続、どうにか写真撮影をして下山したが想像を絶する厳しい山に驚いてしまった。<br><br>　<strong>2013.11.30</strong>　マタギ犬を連れカゴ山の麓に立つと熊の足跡が新雪に残されカゴ山方向に向かっていた。まだ付近にいると思われマタギ犬が後ろ脚で立ち山に向かい何度も激しく匂いをかぎ分けた、その行動は凄まじく間違いなく巨熊はカゴ山に向かっていた。<br><br><strong>　・カゴ山に向う熊の足跡</strong><br>&nbsp;</p><p>　　　<img contenteditable="inherit" height="391" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/de/e8/j/o0360064015700067743.jpg" width="220">　　　　<img contenteditable="inherit" height="367" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/1c/f1/j/o0240040015700067746.jpg" width="220"><br><strong>　　　　　　&nbsp;　 2013.11.30　カゴ山の入山口で巨熊の足跡<br>　&nbsp; &nbsp;冬眠間近になると穴の近くに姿を現す　　　八木沢集落 最後のマタギ犬</strong></p><p style="text-align: left;">　<br><b style="font-weight:bold;">　　</b>マタギは射止めた熊穴に別の熊が冬眠するかもしれないと言った事はまさにその通りかもしれない<br><br><strong>・熊の調査記録より抜粋</strong><br>　　　　　　　　　　　<img contenteditable="inherit" height="532" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/a7/f4/j/o1024076815700067751.jpg" width="709"><br>　　　　　　　　　<br>　　<b style="font-weight:bold;">時々背後を振り向きながら頻繁に匂いを嗅ぎ分ける熊は人間をも観察していた<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　2009.05.09　15:30</b><br><br>　この熊はフキの周りに座って右手でフキを食べていた。熊との距離は約15ｍ、その行動を観察していた私に気づいて走り出し樹幹(カツラ）の根元に身を潜め鼻で私の匂いを頻繁に嗅いでいたが、この時に思ったのは「熊は臭覚で相手方の行動を感知しているのではないか」と。<br>　観察を続けていると熊の行動に変化が表れ始め数分後、熊は元の場所に戻り再びフキを食べ始めたので私も熊に刺激を与えずに忍び足で近づき間近でその行動をつぶさに観察していたが今まで生き物の調査で熊に限らず他の動物でも同様のケースが見られ、自然、動物、人間との関わりは不可思議で昔の狩猟採取を営んだマタギの世界が思い出される。<br><br><strong>【熊の冬眠穴】</strong><br><br><span style="font-size: 24px;"><strong><img height="379" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/cb/6a/j/o1024057615700067752.jpg" width="674"></strong><br><span style="font-size: 16px;">　　　　　　　　　<strong>生々しく刳られた熊穴　入口には無数の毛が付着</strong><br>　冬眠穴にはすぐには近づかない、五感を働かせ慎重に周囲の観察をしながら徐々に接近、 沢沿いの熊穴は冬眠しやすいように奥深く牙と爪で刳られ無数の毛が付着していて生々しく身の毛がよだつ思いがする。この場所、この穴が本来の野生動物の姿かもしれない、昔の八木沢集落のマタギは生き物に対し畏敬の念を抱いたもので今に思うと良く理解できる。</span></span><br>　　　　　　　　　<img height="402" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/08/f9/j/o1024057615700067759.jpg" width="715"><br>　　　　<b style="font-weight:bold;">出羽山系の天然秋田スギ、南西側に熊の冬眠穴　2010.10.07　14:06</b><br>　<br><strong>熊穴(冬眠穴）</strong><br>　熊の冬眠穴は太平山系、標高4~500㍍の尾根からクマタカ(絶滅危惧種）の生態調査をしていて偶然発見した。穴は南面に位置しガレ地、双眼鏡で対岸から調査をしていると突如、熊が冬眠穴から一瞬に出たのに驚いた。数日後、付近を調査すると熊が棲息する格好の生態系にあった。冬眠穴は二か所、いずれも岩穴で斜面が崩落し岩に土砂が幾重にも堆積、乾燥した堆積物は熊が冬眠しやすい恰好の条件でしかも狩猟区ではあるが一度も狩人を見たこともそれらしい痕跡も無い。熊は深い横長の穴を掘り何年も同じ穴に入っていると推測、二か所ある冬眠穴の距離は数十㌔離れておりそれぞれが別の個体と区別され熊の危険地帯と判断されるが調査をする身にとっては常に警戒を怠らずに行動をしながら下山したが緊張の連続であった。<br><br><strong>・二つの内、一つの冬眠穴には間違いなく熊が入っていた</strong>　<br>　　　　　　　　　<img height="433" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/de/04/j/o0640040915700067762.jpg" width="678"><br>　　　　　　<b style="font-weight:bold;">熊の冬眠穴　冬眠前後、イタドリの茎を食べていた　2001.4.22</b><br><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>　・この穴に熊が冬眠をしていた</strong><br>　　12月初旬、熊の調査で熊穴に立つと穴から突然唸りだした<br>　　　　　その甲高い唸りに恐怖を感じ雪山の急斜面を滑るように逃げた記憶がある<br><br>　冬眠穴を1年かけて調査をしてみると入口は南西と北側方向の二か所、主に南西側から出入りしていたと思われる。両穴の入口付近には枯れた太いイタドリの茎が穴に引きずられ食べかすが異様に生々しく、推測すると熊は冬眠穴に入ってもすぐには冬眠せずイタドリなどの茎を食べながら降り積もる雪と共に徐々に深い眠りにつくと思われた。さらに翌年、この冬眠穴を4月初旬、調査をしていると穴から出て沢沿いの山菜等を食べ始めているのが対岸から確認ができた。<br><br><strong><span style="font-size: 18px;">・熊の冬眠穴は南面に位置するガレ地にあって　熊が穴から出るのは一瞬　</span>　<br>　　　　　　　　　<img height="445" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/b9/53/j/o1024065615700067766.jpg" width="694"><br>　&nbsp; 土がはだけた熊の冬眠穴　熊の出入口は二か所にあった(太平山系）　2001.04.22<br><br>・熊が冬眠穴から出る時は一瞬</strong><br>　調査でとても驚いたのは熊が冬眠穴から出るのは一瞬で小さな穴から大きな巨体が瞬時に出たのに驚く。この様子をマタギに話すとマタギも「大きな巨体が一瞬で出る」と興奮しながら話していた事が思い出される。その後の調査でこの熊は穴から出ると沢沿いの山菜等を食べ始めるがその行動は穏やかで採食後に固い便を排泄しながら徐々に行動範囲を広げて奥地へと移動をするのが確認でき一定の調査の中で熊は冬眠間近になると再びこの穴に戻っていた。<br>　早春、観察中に裏山で数人の男女が山菜採りをしている様子が対岸から見えたが警告をするにしても数キロも離れており見守るだけであったが数十分後、何事もなく熊は尾根方向に移動していくのを確認、熊も人間も山菜に夢中で気付かずに動き回ることがあるが鉢合わせをするととても危険で特に母熊が子連れであれば凶暴になることが十分予想されるので警戒する必要がある。この冬眠穴は、12月中旬、積雪約45㌢、穴を調査していると間違いなく同じ穴に冬眠をしていた。<br><br><strong>岩穴の熊・出産と子育ての様子</strong><br>　熊の冬眠穴は沢沿いのナラの巨木、天然スギ、土穴、岩穴などで確認されたが最も怖かったのが春、出羽山系の赤倉岳（1093）北東斜面、標高約1000㍍付近の岩場であった。雪消えの春、稜線は早春とはいえ数㍍の残雪が残り根回り付近は雪が溶けだし春の訪れを告げようとしていた。<br>　快晴で午前7時30分、旭又を出発、最低限の装備で急斜面を登り稜線に出てから1000㍍級の山塊に降り積もった残雪を踏みしめて尾根から斜面を下りポイント地点に着いたのが10時頃、直線で約7~80㍍、深いV字型の沢を挟んだ対岸、樹木に身を潜め8倍の双眼鏡を両手に岩場の熊穴を覗くと「いた、いた、子熊が一頭、元気に動き回っている」。早春とはいえ子熊はもう真っ黒の毛が体を被い動きも活発だ。熊の交尾期は5～7月、出産は12月～3月頃で冬眠中に出産するが地形や気象、冬眠穴の状況などによって大きく異なり一概に言うことはできないが、この繁殖地での子熊の成長は最も早く、通常の出産は一頭から二頭だがこの繁殖地では1頭の子熊を出産していて母熊は子熊の動きを目から離さずに大きな巨体で寄り添っていた。動き回る子熊の体調は約30㌢を超えると思われ逆算をしてみると冬眠は11月下旬から12月上旬、出産は1月前後と推測される。岩穴の入口は平坦で滑らか、土が乾き動き回る子熊の周りは土埃が舞い上がっているようで冬眠穴は外敵の心配もなく餌や出産、子育てに適した環境にあって毎年冬眠をしているものと断定、観察をしていると活発に動きまわる子熊の首を母熊が離れるたびに口に加えて元の場所に連れ戻す行動が何度も見られ、四つん這いで頭を左右に振りながら子熊から目を離さず見守る様子が確認された。調査で何時間もかけてこの観察場所に足を運び数十分の観察でこの場を離れるのは忍び難いが自然に生きる生き物たちの調査は一対一を基本とし、その中で生き物を刺激しない、調査地点を自然の状態に戻し最終確認をし終えて再び1000㍍級の稜線に出た。出羽山系の長い尾根、深い谷底の大旭又沢、前方に聳える大平山・白子森などの山塊を仰ぎながら残雪を踏みしめ引き返す。<br><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</strong><br><strong><span style="font-size: 16px;">・子連れ親子熊の観察</span></strong><br>　大平山北東、標高約800㍍付近の急斜面、ブナとナラの混交林帯を下山中に子熊がナラ木の横枝を何度も往復しているのが目にとまった。子熊はすでに私の気配に気づきおどおど動き回っていた。この春生まれた小熊で生後約7～8か月、体調55㌢前後かと思われる。付近には必ず母熊がいると警戒をしながら周囲を見渡すと樹の根元に身を潜め、鋭い眼光で私を凝視、今でも飛び掛かってくるようで緊迫した雰囲気が続いた。熊との距離は約15～20㍍、格闘したら4~50㍍下の沢に転落する。緊迫する親熊との睨みあいが続いたがついに子熊は枝先から前かがみになり地表に飛び降りた瞬間、母熊がけたたましい勢いで上流へ逃げ去るとすぐその後を子熊が追いかけ瞬く間に姿を消していった。<br>　山歩きをしていると必ずと言っていいほど熊を見かけたが何十頭もの熊を観察する中で大平山（1170）東側斜面、標高約1000㍍付近で対面した巨熊との距離約5ｍ、仁王立ちした熊との睨み合いは今でも忘れることができない。　<br><br><strong>【検証：カゴ山の巨熊とマタギ】</strong><br>11/15　07:00巨熊の足跡発見、翌16日勢子二人引き連れようやく熊穴に到着(10:00頃）、３時間を要し着いたがここまでたどり着くのに岩場の難所に遮られマタギは猟銃を勢子に持たせ慎重に慎重を重ねやっとの思いで熊穴に近づく。人を寄せつけない険しく神秘の山に冬眠寸前の熊穴の前に忍び足で近づく、熾烈を極める空白の事象、無心の境地、やがて一発の銃弾が発射された。<br><br><strong>　　</strong>超越をした狩りの検証　　検証は奥が深く未知の世界<br>　　　　　　「熊は山の神様からの授かり物で山の神からの恵」とする<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　マタギ精神にたどりついた<br><br><strong>〈ポイント〉</strong><br>①　マタギはカゴ山には過去一度も狩りで歩いたことのない未知の山。<br>➁　若い経験豊富な山歩きの勢子（村田勇、佐藤良広）に支えられた。<br>③　雪を活用、岩場に付着する雪を踏み固めて足場をつくった。<br>④　長年の熊狩りで経験豊富、洞察力、観察力、射撃の腕前、知識と経験、技術。<br>⑤　熊に対する畏敬、「熊は山の神様からの授かり物」集落みんなの恵みとするマタギ精神が先行。<br>⑥　山の神からの享受。</p><p>　マタギの超越した狩りの手腕は人間技の域を超えていた。岩場の急斜面を勢子に支えられやっとの思いで熊穴に近づいた。二人の勢子は距離間を開け緊迫した状況を見守った。マタギはタイミングを見計らい、つま先・忍び足で熊穴に近づき穴を覗くと巨熊が頭を上げた瞬間、実弾(熊弾）を発射。熊は死ぬ間際に大きな唸り声をあげるので唸り声が出ないうちは、そばに寄りつくものではないと先人からの教えで近づかなかった。結局この巨熊は一晩冬眠に入っただけの200㌔超の雄の巨熊であった。熊穴は非常に小さく頭部が入るか入らないかの間口に勢子が入り熊の体にロープを巻き付け引きずり出し岩場から転がしたが途中で何度も樹木や岩場の割れ目などに引っかかり、そこに三人が斜面を下り突き落とし熊は沢でとまったと断定。多分、数百㍍の地点からマタギと勢子は急斜面を降りるのも至難の業、また落とした熊を探すのも大変、さらには沢に落ちた200㌔超の巨熊を引きずり上げるのも大変だったろう。射止めた熊は集落に運ばれ皆の前で毛裂きをして肉は皆に平等に分配されたが、この風習は先祖代々から受け継がれてきた八木沢マタギの儀式、熊は山の神様からの授かり物とし熊肉を配り歩く役目は子供の役目であった。<br>　半世紀以上前の記憶であるが二人の勢子とも狩りで一緒に巻き狩りに参加をしたことがある。二人は足が速く身軽で急斜面の山では追いつくのにつらかった。また良蔵マタギとは熊狩りや巻き狩りで何度か勢子として仲間に入り狩りの様子を見たが猟の技術はずば抜けていた、忍び足、雪山でカンジキをはいて歩くが雪に埋まらず身軽に歩き飛び跳ねや俊敏に体を180℃回転させる行動など、洞察力、勘の鋭さに感銘を受けた記憶がある。<br>　2009年春、良蔵マタギは鉄砲を返納し引退「今やめなければやめられない」と本音を語る八木沢集落、最後のマタギであったが、惜しくも2013年12月未明、山の神の嘆きだと思うほどの猛吹雪の荒れ狂う日に家族に見守られ安らかに89歳の生涯をとじた。この月日はあの「山の主」200㌔超の巨熊の足跡を見つけた同じ日で偶然重なった。また、葬儀も集落のマタギ文化を後世に伝えようとする直系と同じ誕生日に営まれた。マタギ即ち、マタギ文化を主軸とする一本の線は固く結ばれ深い因縁のなかにあって人智、魑魅網魎の未知の世界でもある。生前、良蔵マタギはマタギには長い歴史がある、動物は感が鋭いので気づかれないよう 皆が心を一つにした。熊は山の神からの恵み、射止めた熊は集落のみんなに振る舞う。振る舞う役目は子供で昔からの風習、長いマタギ生活や慣習のなかで、猟期が近づくと気心の合ったマタギがそれぞれ親方の家に集まったものだと言い残した。<br>　1966年初冬、あの八木沢集落の南西に聳えるカゴ山で射止められた巨熊の遺物、「毛皮」は半世紀過ぎた今なおも時代から取り残されることなく壮烈な姿で子孫の手によって手厚く祀られ連綿と受け継がれ「畏敬と神信仰」を本髄とする八木沢マタギは今尚も集落に漂い続けている。<br>　<br>資料と検証・考察：佐藤良美(集落最後のマタギ　佐藤良蔵の三男）<br><br><br>関連記事<br>「鉱山と温泉」マタギとの密接な関係 ： 八木沢マタギ<br>秋山郷　八木澤マタギとの関連を求め　熊穴に立っ<br>八木沢マタギ　有形民俗文化財　<br>鷹とマタギは何か共通をしている</p><p><br>&nbsp;<br><br>　　　　　　　<strong>ー後世に語り伝えたい「八木沢マタギ」200年の歴史ー</strong></p>
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<link>https://ameblo.jp/yagisawamatagi/entry-12939766524.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Aug 2026 03:25:17 +0900</pubDate>
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<title>八木沢マタギ　有形民俗文化財　</title>
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<![CDATA[ <p><strong>【八木沢マタギの発祥】</strong><br>　八木沢集落は 1813年(文化10年）、秋田県阿仁・根子集落のマタギによって開村、根子集落を背に村田徳助(村田組）、佐藤七左衛門(善兵衛組）、山田三之丞(六之丞組）の三軒が最初に移住、生業とする伝統マタギは1960年代まで見られ、熊狩りになると明治生まれのマタギの姿もあった。70年以降、つぎつぎと明治・大正マタギが鉄砲を警察に返納しマタギ集落は衰退、ついに2009年春、集落最後のマタギ　佐藤良蔵マタギ(根子 善兵衛組頭子孫）も鉄砲を返納、200年近いマタギ文化が途絶えた。これを契機にマタギ集落の証を後世に残そう佐藤良蔵マタギとその三男、佐藤良美の二人の親子によって2012年（平成24年）春、上小阿仁村教育委員会へ狩猟用具５点を有形民俗文化財の指定を申請、村文化財保護審議会が調査を行って村教委に答申し、同年8月29日、狩猟用具五点が村の有形民俗文化財として指定された。<br><br>　八木沢マタギは江戸後期、秋田の旅マタギが出羽丘陵・奥羽山脈での狩りをする中継地として八木沢集落が誕生している、根子から稜線を渉り赤沢・大蔵又、太平山地稜線へと向かうと右手に八の字のようになだらかに末広がる沢が目にとまる。この大きな沢を「八木沢」(通称：やぎじゃっこ）と呼称、沢水は一面に広がる集落の棚田に注がれて潤いをもたらしかつての故老マタギは八木沢の地名は、この沢から呼称したと語っていた。今において八木沢誕生の秘話は大昔のマタギのみが知る所以になってしまった。<br>　　<strong> 　　<img height="283" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/bc/6e/j/o0640019715700067464.jpg" width="919">　<br>&nbsp; &nbsp;　　　　　　　　　茅葺屋根のマタギ集落「八木沢」1960年代<br><br>&nbsp;　&nbsp;集落は文化10年、根子マタギによって開村　<br>　　　　　　　　今においても大昔の旅マタギで用いた狩猟用具が残されている<br><br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</strong><br><strong>・八木沢のモロビ</strong>　<br>　 昔のマタギは萩形(離村・旧マタギ集落）の奥地、土地見平から大平山奥岳(1170）に向かう稜線、笹森(1045）との中間地点でも頻繁に狩りがおこなわれていた。マタギにとっていちばん怖いのが「ワシ」、ワシは八木沢集落のマタギ言葉で雪崩を意味した。<br><br>　　　　<img contenteditable="inherit" height="138" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/68/d3/j/o1024064115700067471.jpg" width="220">　<strong><img contenteditable="inherit" height="124" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/7b/84/j/o1920108015700067472.jpg" width="220">&nbsp; &nbsp;<br>　　　熊狩りの狩場　太平山地(2011.01.13）と魔よけの儀式　八木沢のモロビ</strong>　　<br><br>　冬狩りで山神様のお供えをしたモロビに火をつけ、燻した煙を体全体にふりかける魔よけの儀式は60年代前半まで行われていた。マタギ衆がもっとも恐れたのが冬から春にかけてのワシ(雪崩）で禁忌事項、戒めの戒律は厳しい自然界に立ち向かってきたマタギ文化の習俗、この太平山地でも明治期に集落のマタギが熊狩りで尊い命を落としている。マタギの死は禁句で忌み詞、語り継がれない死語であり、古くから伝統マタギを重んずる集落の風習を頑なに遵守するマタギ文化は長い歴史のなかにおいても愚直に継承されてきたのは確かである。<br><br><strong>《今に伝える江戸後期の八木沢マタギ狩猟用具　有形民俗文化財五点》</strong><br>　・<strong>マタギ史料の検証と特質<br>　　　　　　　　　　　<img height="498" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/ea/4e/j/o1920127515700067476.jpg" width="751">　<br>　　　　　　　　　　　　マタギ猟具が収蔵されていた蔵</strong>　<br><br>　有形民俗文化財五点の内、三点はこの蔵に収蔵されていた。火縄銃を入れた「背負袋」二袋は天井に吊るされ、「マタギ熊槍」は穂先を油紙に包まれて柱に掛けられていた。マタギ槍は穂先と柄が別々の場所に置かれ、マキリは赤錆が付着していたため念入りに砥ぎ鞘が無かったので山兎の毛皮で作った。肝心な火縄銃は戦後、亡父良蔵マタギが復員すると五代目金治マタギが既に手放し存在しなかった。また、先祖が旅マタギで用いた「てっきぇぁす」(カモシカの毛皮手袋）や毛足袋は父が「ボロボロ」で捨てたと言っていた。残されたわずかな史料は根底とする根子集落、根子マタギから八木沢集落、八木沢マタギに「継承」されたものでここが中軸となる。<br>　先祖代々から継承されてきた史料は狩猟文化の変貌を示す、集落はマタギ集落であったとする証を残したいと村の文化財指定が頭に浮かんだ。他の自治体でマタギ狩猟用具が文化財の指定を受けていたので八木沢のマタギ猟具も指定されるかもしれないと2009年春から集落の開祖、根子集落を皮切りに調査を開始、足掛け二年、遠くは信州秋山郷まで行って調査をした。調査に際し多くの方々からのご協力を得て2012年8月、八木沢マタギ狩猟用具五点が村の有形民俗文化財として指定を受けた。申請の際、「員数は何点でも良い、とにもかくにも証を残したい。」と強い決意があった。<br>　八木沢集落は今においてもマタギ集落であり、マタギとして有り続ける、マタギ集落であった事実は不変、且つ残された狩猟用具は個人所有ではあるが集落の狩猟文化の生成と変遷が凝縮された民俗遺産である事には間違いがない。<br><br><strong>【根子と八木沢の中間に橋の無い大きな沢がある】</strong><br>　昔　八木沢のマタギは根子集落から派生した。初代開祖は村田徳助、山田三之助、佐藤七佐衛門で1965年頃まで、東側から根子集落への山道が整備され行き来をしていたが中間において橋のない大きな川(堀内沢）を渉らなければならなかった。この川は水かさが増して根子も八木沢マタギ衆も川を渉れず戸惑う時が何度もあった。<br>　　　　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/8d/b4/j/o0640042515700067477.jpg"><br>　　　　　　　　　　　　<strong>堀内沢　2015.09.28　11:56撮影</strong><br><strong>　　　　　　　　　　　　<br>　大きな川で密林地帯　鉄砲を背負うマタギを戸惑わせた「ホリネ(マタギ言葉）」</strong>　<br><br>　マタギは堀内沢を「ホリネ」と呼称、沢ではなく大きな川、密林で鉄砲を背負う<br>　マタギ衆が戸惑う難所、渉れない時が何度もあった。集落の老婆、村田チサ(大正10年生故人）は「八木沢のマタギはおめえ(あなたの）の先祖、七佐衛門と徳助、三之助の三人が根子からマタギをしにきて住みついた。(狩猟目的で住みついた）ここにくるのに(ここまでくるのに）橋のない川(堀内沢）を渡ってきた。おめえの父さん(良蔵マタギ）は何度も本家(七佐衛門）の根子を行き帰(往復）をしていた」「集落の人はみんなが鉄砲を持ちマタギが盛んであった」と語っていた。(2022.04.16聞き取り）<br>&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;　　　&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/93/22/j/o0640036015700067479.jpg"><br>&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; 　　　　　　　　&nbsp; 根子集落&nbsp; 2011.02.12　 11:49 撮影　</p><p>　<br>・<b style="font-weight:bold;">本質を極めた八木沢マタギ狩猟用具は民族の根幹をなすと思われる。</b></p><p><br><strong>【八木沢マタギ狩猟用具　有形民俗文化財】</strong>　<br><strong>員　数</strong>：5点　マタギ熊槍・マタギ槍・火縄銃の背負袋・マタギマキリ・マタギベラ　<br><strong>指定日</strong>：2012年8月29日　<br><strong>所在地</strong>：上小阿仁村八木沢　<br><strong>所有者</strong>：佐藤良美<br><br><strong>1.マタギ熊槍(くまやり)（通称：三角槍）</strong><br>　穂先：37・8㌢・柄：2㍍　 近世後期。新潟県村上市三面（旧朝日村）の鍛冶屋で作られたと推測される。旧朝日村三面マタギや信州秋山郷、秋山マタギが所持した槍と酷似し本県で造られたものではない。大型の熊槍専用で「タチマエ」（射手）が所持したものである。断面は三角で溝があることから「三角槍」とも呼称し熊猟で用いられた。&nbsp; &nbsp; 　　　<br>　　　　　　　　　　　　　<img height="171" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/7f/8b/j/o0640015715700067483.jpg" width="697"><br>　<strong>補足</strong><br>　八木沢集落には「三角槍」と「平槍」の二種がある、平槍は根子マタギが所持した秋田の槍で三角槍は三面や信州秋山郷の槍と酷似することから集落のマタギ文化の変遷を示し総体的に先祖は八木沢に移住時には既に「熊槍」も一緒に持ち込まれたと検証された。<br>　<br><strong>2.マタギ槍　身…鉄材　木部材質：クルミの木</strong>　<br>　近世初期から中期。阿仁マタギは「たて」（槍型）と呼称。阿仁マタギ猟具と同一で根子から移住以前から用いられたものである。一般的な「槍」でクマ狩りなどに用いた。火縄銃が浸透する以前からの代表的な狩猟具で鉄砲が普及したあとも用いられる。<br>　　　　　　　　　<img height="154" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/c2/75/j/o0640014015700067484.jpg" width="704"><br><br>　<strong>3.火縄銃の背負袋（しょいぶくろ）唯一無二の旅マタギ史料</strong>　<br>　近世末期とされ、牛革で作られた火縄銃の背負袋は集落の蔵に二組収蔵され一組は破れている。根子の旅マタギ、長吉が所持したとされ、火縄銃は戦後手放している。史料からしても八木沢集落は早くから火縄銃が伝播され旅マタギが主流であったと推測される。<br>※根子の旅マタギ「長吉・長松兄弟」は江戸後期、八木沢集落に移住・定着している。<br>　　　　　　　　　　　<img height="409" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/9a/09/j/o1920108015700067490.jpg" width="724">　<br>&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;<br>&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp;<strong>集落の蔵に二組あったが一組は片割れ、火縄銃を背負う旅マタギが偲ばれる</strong><br>&nbsp;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&nbsp; (木彫りと木箱の製作： 佐藤良美）<br><br>　<strong>4.マタギマキリ　刃長4寸8分（約14.8㌢）柄（イタヤ材）長さ11㌢</strong>&nbsp;<br>　マキリはアイヌ語と共通。近世中期、クマやアオ（カモシカ）などの大型動物を解体するための道具として用いられた。 刃は鋼で日本刀を改造したものとされる。新潟県岩船郡朝日村、三面マタギが所持したものと酷似、鞘が無かった為に山兎の毛皮でつくった。<br>　　　　　　　　　　　<img alt="" border="0" height="243" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/16/6d/j/o1920084415700067494.jpg" width="720"></p><div class="entry-body"><div class="entry-body-text"><p><br><strong>5.マタギベラ（長さ167㌢・幅8㌢） 近世中期</strong>&nbsp;<br>　イタヤ製の雪ベラで日本古来の狩猟用具の代表。冬狩りでアオ猟（カモシカ）で用いられた。アオ猟は毛皮を獲るものとされ、槍を使わず、巻狩りで「マタギベラ」で斃(たお）して獲った。まん中の窪みは火縄銃が用いられたときに上端に銃身をのせ安定させて撃つことができるように窪みをつけたものである。また、狩りだけではなく、雪除けや雪洞づくり、猟具を股に挟んで急斜面を滑り下りるとき等にも用いられる冬狩りマタギの必需品、先祖代々から継承されてきたマタギの「守り刀」同等に匹敵する史料となる。</p><p>　　　　　　　　　　　<img alt="" border="0" height="118" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/78/ea/j/o1800025115700067500.jpg" width="714"><br><br><br><strong>　以上五点　八木沢マタギ狩猟用具　有形民俗文化財</strong>　<br><br><strong>補足）マタギベラに秘められたマタギの本質</strong><br>　生前、父良蔵マタギはこの史料は先祖代々から継承されたものだと言った。従って私が所有する史料は先祖代々からの継承、預かりであるが、ただ一点だけはもらったものがある。それがこの「マタギベラ」である。<br>　世を去る半年前、父良蔵マタギが私を呼び「このマタギベラをがにける」(このマタギベラをおまえにあげる）」と差し出した。マタギベラの材質は堅いイタヤ材、先が擦り減り丸みを帯びている、大正・明治時代から用いられた史料では無い、江戸時代から家長のマタギを引き継ぐ「跡目」の猟具で私が所有する史料の中で直に(じかに）もらったのはこの「マタギベラ」だけで他の史料は先祖代々からの継承、預かりで秘められたマタギの本質はここにも秘鑰(ひやく）されている。</p><p>　　　　　　　　　　　　　　<img height="432" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/12/6e/j/o1342090015700067502.jpg" width="644"><strong>　<br>　　　　　　　　</strong>「ヤマドリ」(マタギベラの原型）と熊槍の柄だろうか<strong>　　　</strong></p><p><br>　史料、上の写真で二本はマタギベラの原型、極めて珍しい貴重な資料でマタギは「ヤマドリ」と呼称していた。長さ140㌢・幅10㌢、材質はイタヤ材で日本、唯一無二の狩猟具材に分類されると思う。下は熊槍の柄と思われ、蔵に「ヤマドリ」」と一緒にあった。柄は長さ294㌢・幅5㌢、材質は天然秋田スギで樹齢2～300年と推定、秋田スギは木目が密で強度であるのが特徴。かなり使いこなしているのか「キズ」が多く柄先の部分には熊のキバ跡と思われる深いキズがある、穂先の深いキズは熊との格闘によるものではないだろうか、マタギが蔵に収蔵していたのは根深い思いがあった、マタギ文化の視点から推測するならば非常に価値があったと考えられる。<br><br><strong>史料の検証及び考察</strong><br>・八木沢集落には平槍と三角槍の二種を所持、この史料からしてもマタギ文化の変遷が示される。　　　　　　　　　　　　　　　　<br><strong>　　　　　　　　　　　<img height="467" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/4b/2e/j/o0640042615700067508.jpg" width="702"></strong><br><br>　　　　　　　　　　　<b style="font-weight:bold;">　手作りの槍五本　製作：佐藤良美</b><br><br><strong>・手作りの槍五本「マタギ文化」の変遷の証を邂逅してみた</strong><br>　槍五本　阿仁マタギと信州秋山郷の類似の槍を天スギの材料で制作、手前が昔の根子マタギが所持したタテ　製作した槍を上から①②③④⑤とすると③と⑤が阿仁の代表的なタテ(槍）、残り三本は秋山マタギが所持した槍に酷似する事から八木沢マタギは他国との交渉があったことが裏付けられ、旅マタギが主流で他諸国を旅するマタギ文化から構築されていたと推測される。　<br>　マタギ猟具5点の内、3点は日本に二つとないない唯一無二の史料となる。特にマタギ熊槍は刃渡り（37.8㌢）で同種の槍よりも3～4倍の大型の槍で江戸後期の史料と思われる。この槍は秋田で造られ秋田で用いられたものではない、推測から江戸後期、新潟県村上市の鍛冶屋で製造され信州秋山郷との関連性があると考察された。穂先：37・8㌢・柄：2㍍の熊槍は近世後期と推測、穂先の断面は三角で溝があることから「三角槍」とも呼称し熊猟で用いられた。その後の調査で製造は秋田の鍛冶屋で鑑定をして頂いたが全くもって秋田で造られたものではなかった。昔の古老マタギは「穴に落ちた熊を仕留めるには槍以外に方法はない」と断言をしていた。<br>　集落の大きな特質に阿仁、三面、秋山郷マタギが所持する槍と酷似、隔絶した集落は近世、他諸国との交渉があって伝播されたと検証、集落の大きな特質に阿仁、三面、秋山郷マタギが所持する槍と酷似、隔絶した集落は近世、他諸国との交渉があって伝播されたと検証する。<br>　八木沢集落には「三角槍」と「平槍」の二種類が残されている。平槍は根子マタギが所持した秋田の槍で三角槍は三面や信州秋山郷の槍と酷似することから集落のマタギ文化の変遷を示すものである。八木沢集落に移住した「長吉と長松」が秋山郷にいたかどうかは江戸期に遡及しなければ確証は得られないが生前、父良蔵マタギが阿仁の菩提寺の住職から「子供(長吉・長松兄弟）が先祖（七左衛門）を連れてきたのだろう」と言っていたという。狩猟用具、古文書、伝承等から照らしても先祖、七左衛門と長吉、長松が一緒に八木沢に移住時にはすでに「熊槍」も一緒に持ち込まれたと考察される。<br>　古文書等の史料を基に調査の結果、新潟県村上市三面（旧朝日村）の鍛冶屋で造られたと推測され、旧朝日村三面マタギや信州秋山郷、秋山マタギが所持した槍と酷似、また、鈴木牧之・秋山紀行に登場する根子の旅マタギ「長松・長吉兄弟」と同じく八木沢の根子マタギ「長吉・長松兄弟」との関連性があるのではないだろうか。これまでの調査で八木沢集落の多くのマタギは根子の善兵衛派であった。いまだ集落の墓地にはその当時の変遷を物語る源氏車の紋章が刻まれた墓石が静かに眠る。源氏の紋章は源義経の忠臣、佐藤継信・忠信兄弟の末裔との言伝えがある。<br>　<br>　　　　<img contenteditable="inherit" height="147" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/fd/3d/j/o1920128015700067513.jpg" width="220">　　<img contenteditable="inherit" height="150" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/b2/de/j/o1614109815700067516.jpg" width="220"><strong>&nbsp;<br>&nbsp; &nbsp; &nbsp;　 　 左：&nbsp;八木沢墓地 源氏車の紋章が刻まれる墓石（1955年10月建立）　　　　&nbsp; &nbsp;<br>&nbsp;　　　 右：八木澤旅又鬼と其之子等(昭和初期 八木澤番楽にて）</strong><br><br>　八木沢集落の多くのマタギは根子の善兵衛派、集落の墓地には勇壮な八木澤番楽は又鬼や其之子等によって舞を演じた当時の変遷を物語る源氏車の紋章が刻まれた墓石が静かに眠る。<br><br><strong>関連資料</strong><br>　秋山郷　八木澤マタギとの関連を求め　熊穴に立つ</p><p><br><strong>邂逅</strong>　<br>　1961年春、ドンヨリトした日で集落は霧に包まれていた。女子が大声で「熊を捕った」と叫ぶ声がして外に出ると歓声が沸きマタギ4～5人が犬の毛皮に銃身の長い村田銃を背負い誇らしげな表情で立っていた。さっそくマタギは熊の解体を手際良く慣れた手つきでたちまち均等に分けていた。肉の配分は親方が一番小さな肉を取っていたのを見て呆気にとられた。解体された肉は子供が集落の皆に配り歩くしきたりであった。思えば茅葺の大きな家、重く分厚い板戸、中に入り暗い土間で肉を渡した記憶がある、熊は山神さんからの授かり物、どんな奥地でも射止めた熊を集落まで運び肉を子供が振舞うのが昔からの風習で祖先から受け継がれた文化、大きな支柱で強い絆で結ばれる一連の風俗習慣は自然への感謝と熊への成仏、マタギ文化の継承、そして狩りで仲間を失った同胞への思いが根底にあったと今に思うと胸が熱くなる。<br>　2009年春、集落最後のマタギ、父良蔵マタギが鉄砲を返納し200年近いマタギ文化が消滅した。人の記憶というものは長い年月を経るとともに薄れ未だ多くの謎を残したまま埋没してしまったマタギ集落、1965年ころまで根子集落との道が残存していたが、いまは跡形も無く変貌、かつてのマタギ屋敷跡が点在し集落の変遷を物語っている。<br><br><strong>謝意</strong>　<br>　八木沢マタギ狩猟猟具が村有形民俗文化財の指定に際し、陰ながら支えてくれた方々のご協力があってこそ民俗文化財として誕生した。生前、父良蔵マタギは「俺は山が好きだ、先祖が山で使った道具が村の文化財として指定を受けたことは一番の幸せだ。」と言い残し翌年12月中旬、この世を去った。父というよりも最後の最後までマタギであった、根底にはマタギ文化を守り抜く精神が全身に染み込んでいたと思っている。<br>　八木沢マタギの系譜は非常に奥が深く多くの謎を秘めているが、ここに狩猟用具が集落の有形民俗文化財として後世に残せたことは意義深く尊く思う。200年の歴史、八木沢マタギを二文字で準えるならば「畏敬」につきる。<br>　文化財指定に際し心温まるマタギ関係者からの支えがあってこそ誕生したと確信をしている。ここに僭越(せんえつ)ながらマタギやその関係機関を掲載させて頂きます。ありがとうございました。<br><br>朝日新聞秋田総局、河北新報社、秋田魁新報社、北鹿新聞社<br>上小阿仁村教育委員会及び文化財審議会<br>村田新吉、佐藤徳三郎、佐藤幸市、佐藤一郎、佐藤勇太郎、佐藤良蔵、山田佐一郎、山田運治郎、以上八木沢集落のマタギ<br>佐藤ニ朗、佐藤冨久栄、佐藤国男　以上根子集落のマタギ関係者<br>根子集落、八木沢集落、不動羅集落、北の又集落、三面集落、信州秋山郷、その他関係機関　　（故人 敬称省略）<br>　　　　　　　　<br><strong>【その他の参考資料】</strong><strong>　<br>以下は八木沢のマタギ資料火縄銃と村田銃</strong><br><br>　　　　<img contenteditable="inherit" height="147" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/2e/f7/j/o0640042715700067527.jpg" width="220">　<img contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/a2/d5/j/o0640048115700067528.jpg" width="220">　<br>　　　　<strong>　</strong>1961年春 集落のマタギが射止めた熊の上顎(彫:佐藤良美）　<br>　　　　　　火縄銃と村田銃を作ってみました(材質：天然秋田スギ）<br><br>　集落は火縄銃を所持したマタギが4～5人、みんなが鉄砲を所持する生粋のマタギ集落であった。資料右側の火縄銃と村田銃を実物大に制作、材質は天然秋田スギである。村田銃の材料(天スギ）は亡き父良蔵マタギが準備してくれたものであった。<br>　狩りでマタギが銃身の長い村田銃を構え獲物を狙う様子は眼光が鋭く別人にかわった記憶が今でも鮮明に思い出される。<br><br><strong>【弾つくり道具】</strong><br>　　　　　　　　　　　　　　<img height="320" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/de/b6/j/o1920108015700067530.jpg" width="570">　<br>　　　　　　　　　　　　　 　<strong>【真鍮の薬莢】</strong>　<br>　<br>　江戸後期から明治、大正、昭和にかけて火縄銃から村田銃へと変遷をする中で鉄砲弾は1960年ころまで自分で造っていた。村田銃は村田式歩兵銃を民生用に改造した単発銃で子供等が寝静まった頃を見計らい神棚のある引き戸から道具を取り出し囲炉裏端で鉛を溶かして弾型に流す。次に黒色火薬を薬莢に充填し弾型から取り出した球形の鉛丸や熊用一発弾を装填して実包を造っていたが一連のしぐさは厳格で近寄りがたい存在であった。<br>　</p><p><strong>　　　　<img contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/ac/c7/j/o1024076815700067536.jpg" width="220">　<img contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/24/6e/j/o1024076815700067543.jpg" width="220"></strong><br>&nbsp;</p><p><strong>　　　　　　　</strong>　　<b style="font-weight:bold;">【先祖代々から継承された　弾つくり用道具】</b><br><br><strong>　　　　<img contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/58/85/j/o0640048015700067548.jpg" width="220">　<img contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/43/b9/j/o0640048015700067550.jpg" width="220">　<br><br>　　　　　　　　　　　　　</strong><b style="font-weight:bold;">巨熊を射止めた弾痕　三点</b><br><strong>　</strong>　　</p><p style="text-align: left;">　　　　　　<img alt="" contenteditable="inherit" height="236" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/7a/df/j/o0640036015700067551.jpg" width="420">　　<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>　　　　　　　　　　<b style="font-weight:bold;">江戸期のマタギヘラの原型、鉈、カンジキ</b>　　　　　　　　　<br><br>　　　　　　<img contenteditable="inherit" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/0c/e9/j/o0640048015700067554.jpg" width="420"><br>　　　　　　　　　　　　　　　　　<b style="font-weight:bold;">ナガサと鉈</b><br><br><strong>　腰鉈　土佐一文字之作　</strong>　　　　　　　　　　　　　<br>　　　　　<img contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/06/8c/j/o0640048015700067556.jpg" width="220">　　<strong><img height="190" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/75/a9/j/o0640042715700067557.jpg" width="285"><br>　　　　　　　　　　　　　土佐一文字之作　鞘は樺細工　</strong><br>&nbsp;</p><p>　土佐一文字之作、鞘は桜の樺細工でかなり古い、表面に梅と鶯の絵柄、裏面に般若の面が彫れている。八木沢の明治の旅マタギが所持していたものであるがマタギ猟具は先祖代々からの継承で明治以前の史料となる。<br><br>　<strong>マタギの魂はこの鉈にいまだ宿る</strong><br>　マタギは刃物を大切にしていた。腰にぶら下げ、体の一部でもあった。昔のマタギは口数が少なくマタギの話を一切せず、多くを語ることは無かった。その思いは、この鉈が語り掛けているような気がする。<br><br>　<br><strong>　　<img contenteditable="inherit" height="147" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/2c/c9/j/o1024068315700067565.jpg" width="220">　　<img contenteditable="inherit" height="330" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/c7/0e/j/o0683102415700067567.jpg" width="220">　<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</strong><br>　鞘に文字が彫られた「ナガサ」は八木沢の蔵に収蔵されていたもので江戸期から代々のマタギに継承されてきた用具、数百年の間、蔵に収蔵されていたので赤錆が付着していたが、あえて錆びた状態で当時を偲び敢えて研磨をせずにそのままの状態で保存している。<br><br><strong>根源の証しマタギ文化</strong><br>・ 根子 善兵衛組頭から派生した七左衛門の槍と越後(新潟）三面・信州秋山の槍と酷似。</p><p>　　　　　　<img contenteditable="inherit" height="236" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/31/9b/j/o1920108015700067571.jpg" width="420"><strong>　　<br>　　　　　　タギ小槍（全長122、穂先１３、柄116㌢,材質はサビタ）</strong><br>&nbsp;</p><div class="entry-body"><div class="entry-body-text"><p>　根子マタギ善兵衛組頭の子、佐藤七左衛門マタギが所持したとされ、近世初期から中期のものと思われる最も古い槍で穂先の形状からしても江戸期、秋田で製造されたものではない。柄にはカキ渋が塗られ柄の腐食と強度を保つ昔のマタギの知恵であった。槍の穂先が極端に擦り減っていることからして、相当「熊狩り」で用いられたと推測、近世、村上市三面（旧朝日村）の鍛冶屋で造られたと思われ三面や信州秋山郷、秋山マタギが所持した槍と酷似、八木沢集落に移住以前から越後のマタギ等との交流があったと推測し槍は江戸期中期以前と検証される。</p><div class="entry-body"><div class="entry-body-text"><p style="text-align: left;"><br>　　　　　<img contenteditable="inherit" height="124" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/07/46/j/o1920108015700067573.jpg" width="220">　<img contenteditable="inherit" height="109" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/f7/8c/j/o1685083215700067585.jpg" width="220"><strong>　<br>　</strong>マタギがはいたカンジキ　材質：オオバクロモジと牛の皮　　　　　　　　　　　　　マタギが所持したナガサとナタ　<br><br><strong>・近世後期から昭和初期</strong><strong>マタギの衣類を織った機織り道具</strong><br>　日本最古の機織り道具と思われ、集落に残されて蔵に収蔵され、叔母村田チサ(大正10年生）は生前、旅マタギ長吉のアバ(妻）が編んでいたと証言していた。　<br><br><br>　　　　<img contenteditable="inherit" height="124" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/68/9e/j/o0640036015700067588.jpg" width="220">　　<img contenteditable="inherit" height="124" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/83/b0/j/o1920108015700067596.jpg" width="220">　<br>　　　　　　　　　<strong>機織り道具は昔、マタギの袴を織り</strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br><br><strong>カラムシ</strong><br>・機織り道具は昔、主にマタギの袴を織っていた<br>・カラムシは集落のいたる所に自生していた<br>・地機の杼（ひ）いとくりわく（糸繰枠）など 集落に残された蔵に収蔵されていた　<br><br>　古くから機屋さんがあって相当遅くまで編んでいたとされ畑から採集した糸の原料、カラムシを釜で蒸かした後、皮をむいてオシキダでギューッとこくると白い繊維が出る。それを洗い棹にかけて乾燥させ女性が夜に糸を紡ぎ、へそ巻きにヒョウタン型に巻いて吊るし材料にして布を織るが主にマタギの衣装などでマタギ袴は風を通すが冬狩りでは雪がまったくつかず自給自足でどこの家にもあって袴は1935年ころまではいていたとされる。<br><br><strong>・古文書から集落の長吉マタギ(善兵衛組頭の子孫）が子等に教鞭をしていた。</strong>&nbsp; &nbsp; &nbsp;　　　　　　　　　　<br><strong>＜古文書</strong><strong>12冊（＊は不明）＞</strong>◆御手本　1冊◆庭訓往来　一冊◆掌中安政附合集　青雲堂＊　安政戌年◆節繁＊＊捕＊　明治二十五天立＊＊＊＊◆孟子（天明改正　孟子　　道春点　二」）　１冊◆論語　1冊◆直江氏持用（直江村蔵）　直江山城守末孫　直江鎌治郎　一冊◆「新版 假名安驥集」5巻・新版 假名安驥集は1604年、国内初めて出版された馬医学書で全巻12巻、江戸初期から後期にかけて刊行された指南書で集落のマタタギが所持した。<br><br>　　　　　　<img alt="" border="0" contenteditable="inherit" height="279" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/0a/60/j/o1920127515700067602.jpg" width="420">&nbsp; 　　<br>　　　　　　　　　　　　　<strong>集落のマタギが所持した古文書</strong>　 　<br><br><br><strong>関連記事</strong><br>・神秘のカゴ山 熾烈を極めた 巨熊とマタギ<br>・「鉱山と温泉」マタギとの密接な関係 ： 八木沢マタギ<br>・秋山郷　八木澤マタギとの関連を求め　熊穴に立っ<br>・鷹とマタギは何か共通をしている<br>&nbsp;</p></div></div><div class="entry-body"><div class="entry-body-text"><p dir="ltr"><strong>資料と文：佐藤良美</strong><br>1954年12月　八木沢集落に生まれる<br>　根子の旅マタギ「長吉、長松」兄弟の子孫、集落最後のマタギ 佐藤良蔵の三男<br>1978年&nbsp; 3月　秋田経済大学経済学部卒、日本自然保護協会、日本鳥学会を経てフリー<br>1997年&nbsp; 7月　大平山北側斜面の萩形沢で初めてクマゲラ(国の天然記念物）の生息を確認(1997年7月24日　秋田さきがけ紙記事）<br><br>　近世、マタギの発祥とされる秋田マタギの根子村（根子マタギ）「現北秋田市」から移住・定着した「村田徳助、山田三之助、佐藤七左衛門」の裏付け調査、狩猟地「カゴ山、タカオトシ山」の調査と考察。赤沢、太平山地での萩形(離村)、根子、八木沢マタギとの共同で狩りをした狩猟地や山田家先祖代々記の記述「第十三　明治４３年冬　南秋田郡上新城村」の記述調査等など、集落に残された狩猟具の検証を目的とし、昔の旅マタギの親族や根子マタギ関係者、鍛冶屋、遠くは岩手県の碧祥寺、信州秋山郷などを歩き昔マタギや現役の猟師等からの聞き取りをしながら近世の八木沢マタギの変遷を長きにわたり調べている。<br>　2009年春、父良蔵マタギが鉄砲を返納し集落のマタギ文化が途絶えたのを発端として歴史を後世に残そうと同年秋、「八木沢マタギを語る会」を発足、今に至り地道な活動を継続している。<br><br><br>　　　　　　　　<strong>ー後世に語り伝えたい「八木沢マタギ」200年の歴史ー</strong></p></div></div></div></div></div></div>
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<link>https://ameblo.jp/yagisawamatagi/entry-12939766440.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Aug 2026 03:24:38 +0900</pubDate>
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<title>「鉱山と温泉」マタギとの密接な関係  八木沢マタギ</title>
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<![CDATA[ <p><strong>　古文書による　二十年間の裏付け調査　</strong></p><p style="text-align: left;"><strong>　　　白山鉱山と湯乃沢温泉、八木沢マタギとの密接な関係</strong><br><br>　　　　　&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;<img alt="" contenteditable="inherit" height="307" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/1d/f1/j/o1472107715700067669.jpg" width="420">&nbsp; 　　<br><strong>　　　　　　　　　　　　　古文書　山田家先祖代々記　</strong><br><br>「第十三　明治４３年冬　南秋田郡上新城村　鎌田兼蔵方二宿泊ス又鬼ヲナス　猿弐拾三疋　青獅子一頭　マミ五疋　狸五疋　テン二疋　猟ス　此の歳テン皮一枚七円　狸皮一枚五円」<br><br>　2011年 4月下旬、明治４３年冬　南秋田郡上新城村の記述調査で現秋田市上新城集落を何日も尋ね歩き、あきらめようとしたその日にマタギ宿をみつけた。多数の古老等からの聞き取りをもとに一帯を調査、そこにはマタギと温泉との深い関わりがあった。<br>　　　　　　　<img contenteditable="inherit" height="285" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/54/c7/j/o0590040115700067674.jpg" width="420"><br><br><strong>　　　　　　　　　　長坂千軒集落・歓楽施設として芸者小屋一棟</strong><br>　<br>　湯乃沢温泉、硫黄分を含んだ沢水を沸かし明治期から大正年代の頃まで茅葺屋根の建物が二棟あった。鉱山は白山集落から新城川・白山川沿い北東４㌔地点に白山と新城鉱山、白山沢銀山には長坂千軒集落があって近隣に歓楽施設、芸者小屋一棟が建ち銀山町として賑わいを見せ、そこにマタギの姿が見え隠れしていた。<br>&nbsp;</p><p>　昔、サルは向いの沢や、この周辺にもいたそうだ。また、小又集落の古老は白山にサルがいたことは聞いている、マタギは射止めた獲物を湯ノ沢温泉で売ったりしたのではないのだろうか、昔は銀山町として賑やかであったようだという。また、白山集落の最長老(大正12年生）は昔、おら方に「だし風」が吹く頃、奥にある、白山沢にサルが出ると聞いている。この奥に「湯乃沢温泉」があった。そこにマタギが泊まった話は聞いている。田んぼの近くで見たマタギは2～3人で阿仁の方から来たと言って温泉に入っていった。ほかにもマタギが田んぼの近くでサル二匹を生きたまま縄で縛り背負っていたのを見たことがある。長老は白山集落には「白山様」を祀っているため、昭和2~30年頃まで肉は一切食べられなかった。いくらマタギが獲っても買う人がいなければ成立しない、マタギが獲った獲物を温泉に持ち寄ったことは十分考えられると語っていた。<br>　調査の結果、鎌田兼蔵宅は秋田市上新城小又にあった。この間、何度もあきらめようと思ったその日に見つかった。偶然、畑をたがやしていた方が遠縁にあたり「鎌田兼蔵の家はここだ、昔の大地主で平屋建て、蔵もあったすごい家だったと私を誇らしげに裏庭に案内をしてくれたがそこは見事な庭園で大きな池が二つあって渡り橋もあった。池には山椒魚の産卵が見られ昔の名残が感じられた。<br><br>　　　　　　<img contenteditable="inherit" height="236" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/0c/40/j/o0640036015700067681.jpg" width="420"><br>　　　　　　　　　　<strong>2011.04.11　14:23　山椒魚の産卵</strong><br><br>　サルは昔、向いの沢や、この周辺にもいたそうだ。白山には鉱山があって、それで栄えた。「長坂千軒屋敷」という大きい集落があって温泉もあった。八木沢のマタギは狩りで射止めた獲物を温泉に持ち寄ったのではないか。また、小又集落の入口付近で尋ねた男性は鎌田兼蔵さの家は知らないが白山にサルがいたことは聞いている。マタギが射止めた獲物は湯ノ沢温泉で売ったり買ったりしたのではないのだろうか、昔は銀山町としてにぎやかであったようだという。<br>&nbsp;</p><p><strong>　　　　明治４３年の記述、白山の狩りはこの山域一帯で行われたと推測される</strong><br>　　　　　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/1a/82/j/o0640042515700067682.jpg"><br>　　　　　　　　　<b style="font-weight:bold;">早春の白山</b>　<strong>2013年5月6日　11:00　撮影</strong><br>　　<br>　集落の最長老は昔、おら方に「だし風」が吹く頃、奥にある、白山沢にサルが出ると聞いている。この奥に「湯乃沢温泉」があった。そこにマタギが泊まった話は聞いている。田んぼの近くで見たマタギは2～3人で阿仁の方から来たといって温泉に入っていった。ほかにもマタギがサルを生きたまま縄でしばり二匹獲って「しょって」(背負う）きたのを見た記憶がある。昔は三里も奥に集落もあったし鉱山もあった。温泉の先、100も200㍍も奥さ行けば(奥に行くと）「かやぶき屋根」の泊まるところもあったが段々と人がこなくなって温泉は昭和の初めになくなったという。<br>&nbsp;</p><p>　　　　　<img contenteditable="inherit" height="124" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/06/16/j/o0640036015700067683.jpg" width="220">　　<img contenteditable="inherit" height="124" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/c7/43/j/o0640036015700067688.jpg" width="220"><br>　　　　　　<strong>2011.04.22調査にて（左：湯之沢温泉跡</strong><strong>　右：マタギ宿跡地）</strong><br>　</p><p><strong>・湯乃沢温泉</strong><br>硫黄分を含んだ沢水を沸かしていた「湯乃沢温泉」には明治から大正の頃まで茅葺屋根の建物が二棟あった。白山集落から新城川・白山川沿い北東４㌔地点に「白山鉱山」と「新城鉱山」があった。「白山沢銀山」には「長坂千軒集落」があって、近隣に歓楽施設、芸者小屋一棟が建ち銀山町として賑わいを見せていた。<br>　　　　　　　　<img height="659" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/e1/82/j/o0957083815700067691.jpg" width="753"><br><strong>　　　　　　新城鑛山第一中切抗（あきた鉱山盛衰記：秋田魁新報社資料）</strong><br>&nbsp;</p><p>　出羽山地の山魂、「土地見平」付近には大昔マタギが歩いた山道がかすかに残っている。その道が姿を見せるのはクマ狩りが始まる春一瞬でマタギはその道を歩くことにより代々先祖から受け継がれてきた「マタギの魂」が伝わると思っている。いわゆる「マタギ魂」の継承であり、マタギ魂の掛け橋だと思っている。<br>&nbsp;</p><p>　　　　　　　　　　<img height="404" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/d4/04/j/o1024064115700067692.jpg" width="646"></p><p>　　　<br>　　　　　　<b style="font-weight:bold;">春一瞬　かすかに昔のマタギが歩いた道が姿を見せる太平山地</b>　<br>　　　　　　　　　　　<b style="font-weight:bold;">　2011.01.13&nbsp; 撮影：佐藤良美</b></p><p>&nbsp;</p><p><strong>【検証：古文書、伝承、聞き取り、考察】<br>　・八木沢マタギの本質</strong><br><br>　新城鉱山が栄え、それに伴い「湯乃沢温泉」も栄えた。鉱夫が欲する物は貴重な肉ではなかったのだろうか、長坂千軒に住む鉱山関係者の腹を満たすには程遠い肉と考えられるが単に金銭だけではなく、マタギとしての使命を受け大自然を享受、肉をむさぼる鉱山関係者の姿がマタギの喜びで新城鉱山は、やがて下火になり「湯乃里温泉」も自然に消えた。これを境に八木沢マタギの使命は終わったと考察、八木沢の故老は「どんなに奥地でも射止めたクマを集落まで運び皆で喜び分かち合った、獲物は皆の物、クマは自然から享受する最高の獲物、皆が喜ぶ姿が一番嬉しい」と語っていた。<br>　明治43年の記述、八木沢マタギの本質は大自然を崇拝する狩猟の民はみな同じ仲間ととらえ大自然と一体、射止めた多くの獲物を温泉に持ち寄り交易の場として鉱山で働く労働者や湯治をする人々への山から授かった獲物の肉を供給する橋渡しの役目を八木沢マタギは担っていたのであろう。<br>　八木沢集落は根子マタギによって開村した集落、江戸後期、旅マタギ「長吉・長松」兄弟を中心とするマタギ文化が栄えた。<strong>明治４３年の記述、白山の狩り</strong>は江戸期のマタギから明治マタギに変遷、冬狩りが定期的におこなわれたと推測され、ここに地層の如く時代要因がクローズアップされる。新城鉱山が栄え、それに伴い「湯乃沢温泉」も栄え鉱山で働く労働者や湯治をする人々にとっては貴重な肉であったに違いない。<br>　調査で大きな疑問は奥深い山里・八木沢には1945年頃までサルがいてマタギはサル狩りを「シシ狩り・シシ狩り」と呼称、根子マタギと八木沢マタギの共同の狩猟地、豊穣の大地・赤沢は旅マタギが歩く山道、昔のマタギが語っていた「豊かな生態系に恵まれ豊饒の大地でクマやサル・カモシカ、バンドリ、ヤマドリ等々多くの生き物が生息していた」と、それなのに何故白山で狩りをしたのだろうかと大きな疑問が頭に浮かんでいた。尋ね歩くなかで鎌田兼蔵宅から第一別家の御老体を尋ねた。御老体は「俺の家は第一別家だ、マタギの話しは先祖から聞いている。白山にサルがいたことも聞いている、サル狩りには河辺郡・三内マタギ(現秋田市）も狩りをしていたし八木沢と三内マタギとの武勇伝も先祖から聞いていると語ってくれた。加えて御老体は鎌田兼蔵宅を俗に言う「マタギ宿」だと言っていた。<br>　大自然に生きるマタギと鉱山、温泉との密接な関係は遠の昔に風化してしまったが明治に書き残した記述の本質を語るとすれば、それは大自然を崇拝する狩猟の民はみな同じ仲間ととらえ、大自然と一体であったと結論付けられる。奥深いマタギの調査は暗闇の中を手探り状態だが微かな明かりを目指し進む、まるで昔のマタギの狩りが思い出される。調査で感じるのはマタギも不可思議で奥が深すぎる。ただ、真実を知りたい一心で二十年間の調査を要したが、それは計り知れない長い歳月が過ぎてしまったような気がする。<br><br><strong>【八木沢マタギ】</strong><br>　文化十年（1813）、旧荒瀬村根子(現北秋田市)から居着いたマタギが起源とされ、村田徳助、山田三之丞、佐藤七左衛門が開祖。七左衛門は筆者の先祖に当たる。集落は射止めた熊肉は山の神からの授かり物とし集落の皆に公平に配るのが昔からの風習で自然を敬い山の神に感謝するマタギ文化が根付いていた。2009年春、集落最後のマタギ・佐藤良蔵が鉄砲を返納し200年近いマタギ文化が消滅、開祖七左衛門の子孫(筆者）が所持する狩猟用具五点は上小阿仁村の有形民俗文化財に指定されている。<br>&nbsp;</p><p><strong>文献</strong><br>・秋田魁新報社「あきた鉱山盛衰記」、　秋田県鉱山会館「秋田県鉱山誌」　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　・史料と文：佐藤良美</p><p><br>【関連記事】<br>神秘のカゴ山 熾烈を極めた 巨熊とマタギ<br>秋山郷　八木澤マタギとの関連を求め　熊穴に立っ<br>八木沢マタギ　有形民俗文化財　<br>鷹とマタギは何か共通をしている</p><p><br><br><br><strong>　　　　　　　ー後世に語り伝えたい「八木沢マタギ」200年の歴史ー</strong></p>
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<link>https://ameblo.jp/yagisawamatagi/entry-12939766488.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Aug 2026 03:23:47 +0900</pubDate>
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<title>秋山郷　八木澤マタギとの関連を求め　熊穴に立っ</title>
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<![CDATA[ <p align="left"><b style="font-weight:bold;">マタギ史料の検証</b><br>・集落に残された大型の「熊槍」は秋田の物ではない、その要訣は信州秋山郷に隠されていると思った。身の危険を覚悟で未知の国、秋山郷へと<span class="midashigo" title="一途に">一途に</span>むかった<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>「<strong>信州秋山紀行　秋田マタギの変遷/奥羽山脈、信州秋山郷　八木沢マタギとの接点」</strong><br>　江戸後期、旅マタギは太平山地、峻険に切り立つ屏風のように長く南北に連なる奥羽山脈で狩りをしながら上信越国境地帯、秋山郷までマタギの姿があった。伝承によれば秋田県北、根子集落から秋山郷までの距離は約120里とも言われ鈴木牧之・秋山郷に登場する二人の兄弟「長松・長吉」は根子の旅マタギ、この二人の兄弟は八木沢に定着をしたマタギと同一人物であろうか。<br>　　　　　　　　<img height="444" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/74/8e/j/o1499093915700067607.jpg" width="709"><br>　　　　　　　　　　<b style="font-weight:bold;">マンブ積雪5～6㍍の太平山地　</b><br><br>・近世、秋田マタギは越後、三面、信州秋山郷へと、このナガネを歩いていた。　<br>　※マンブ(雪庇）、ナガネ(稜線）はマタギ言葉：1987.01.03　撮影：佐藤良美<br><br>・<strong>国境のまち　北信州・栄村　秋山郷</strong><br>長野県の最北部に位置する栄村、山々に囲まれたこの地域は積雪量が日本一(7ｍ85㎝)を記録したこともある日本有数の豪雪地帯。村の南部に聳える苗場山と鳥甲山に挟まれた細長い山峡｢秋山郷｣は、江戸時代の文人・鈴木牧之の著した｢秋山紀行｣で初めて世に紹介された。長野、群馬、新潟の県境に位置する場所だった。三国山、新潟県大赤沢、小赤沢、津南町、甘酒村跡、栄村（旧箕作集落）、長野県と新潟県の県境にまたがる。秋山郷は新潟県・長野県をまたぎ中津川渓谷に点在する12集落の総称、豪雪地帯であったことから、独特の生活習慣が残され、一帯は、鷹狩りの主役・鷹の繁殖地で狩猟禁止･･･実質上の保護区であった。1727年の文書では、秋山郷周辺に10名の巣守がいたことが記されている。この狩猟禁止区域に、秋田の旅マタギが入るようになるのが19世紀頃といわれ、この時期は幕府の弱体化と巣守らの特権が崩れてゆく時代でもあった。<br><br><strong>鈴木牧之・秋山紀行</strong><br>　文政11（1828）年、越後塩沢の文人・鈴木牧之（1770－1842）は、58歳の時、町内の桶屋と秘境・秋山郷を旅し、1831年「秋山紀行」を書き上げる。この紀行によると、鈴木牧之が現在の切明（湯本）で秋田マタギと出会い、草津温泉を市場に狩猟や山漁を行っていた様子が詳細に記されている。牧之が秋山郷を訪れた目的の一つは、秋田の旅マタギに会うことで清津峡の二居には<strong>秋田から長松・長吉という兄弟がきて猟を伝授</strong>したという。 「夜になると、約束を違わず、狩人二人のうちの一人が訪ねてきた。年は三十ほどと見え、いかにも勇猛そう。背中には熊の皮を着、同じ毛皮で作った煙草入れ、鉄製の大煙管で煙を吹き出す様子は、あっぱれな狩人と見えた・・・」。「お国は羽州の秋田の辺りですか」と尋ねると、<strong>「城下から三里も離れた山里だ」</strong>と答えた。牧之は「秋田在の訛も交わらず言葉鮮なれば、一つも繰返して聞直すこともなく」と記されている。<br><br>　処佳興ならすと云ふも更なり　懐敷哉　此川上こそ　星霜十七・八年の昔登山して近国まて一目と眺望せし　其下流　責て清流を一口なりとも呑はやと　水汲もなく平ラ手に味ふに　宛氷の如く五臓にしむ　是より少し右の山の手ニ　甘酒と云ふ二軒の村あり　一宇に立寄り　しはし休足を頼み　腰うちかけ見廻すに　爰ニも山挊の留守にて　女性独あり　色光沢とて世間の女子と替らねと　髪に油も附ねハ　あか黒くして首筋まて乱れたるをつかね　垢附たる　手足も見ゆる斗りの短かきしとねを着　中入らしきも見へぬほつれたる帯前ニ結び　ほろほろしたる筵のうへにて　茶袋なと取出すをさし留め　小赤沢まてハ尚遠し煙草の火を一ツを乞ふに　大木の節穴一はいに土塗り込たるに火を入て出しぬ　抑々清水川原より村々を尋ねしに　是や秋山中まて始めての多葉粉盆と　帰庵迄の一ツ噺也けり　扨此処も纔ニ家二軒　雪中杯ハ嘸や淋しからんと云に　女か答に　雪の内ハ里の人ハ一人もこない　秋田の狩人時々見へ申迄た　昔より此村ハ増しもせす　減りもせない　惣秋山中の根本　大秋山とて川西に八軒あったか　四十六年以前　卯の凶年ニ餓死して　一軒なしに盈したもう　其時も己か村二軒なから　卯の難渋を兎や角凌いたりやこそ　今てハ楽々と食物ニ乏みないと云ふに甘酒の村ハ纔に家二軒卯の凶年にこほさぬと云ふ<br><br>　　　　　　　甘酒の村はわずかに家二軒卯の凶作にこぼさぬと云ふ<br>　<strong>　</strong>　<br>　民俗学者 宮本常一著「山に生きる人びと」によれば、「お国は秋田のあたりかと聞くと、<strong>城下から三里へだてた山里</strong>だと答えた。上小阿仁村あたりであろうか」今日、狩猟を主として生活をたてている村はなくなっているが、かつて狩猟によって生きていたという村ならばいくつか見かけることができる。秋田県では北秋田郡の阿仁町露熊・根子、<strong>上小阿仁村八木沢</strong>・萩形、仙北郡檜木内村などで東北地方日本海斜面の山中に点々として見かけるのであると記されている。<br><br>考察：ここに登場する「長松・長吉」兄弟マタギの人物像は三つの場面からなると思われる。　&nbsp;<br>　①　清津峡の二居には秋田から長松・長吉という兄弟マタギがきて猟を伝授。<br>　②　牧之が「お国は羽州の秋田の辺りですか」と聞くとマタギは「城下から三里も離れた山里だ」と答えた。<br>　③　甘酒村、女は答える「雪の間は里の人は一人もやってきません。ただ秋田のマタギが時々やってくるだけでございます」。<br><br>　文政11年、鈴木牧師　秋山郷での秋田マタギの出会いのなかで、「お国は羽州の秋田の辺りか」と尋ねると、「城下から三里も離れた山里」と答えた。城下（久保田城下・秋田藩）から三里だとすれば現在の上小阿仁村八木沢集落になると思われる。八木沢集落から秋田郡大阿仁根子（現阿仁町）までの距離は直線で約二里、マタギの足で約3時間。集落は江戸後期、根子のマタギが移り住んだ。八木沢の「赤沢」は根子マタギの狩猟地、集落は左右が小高い山に囲まれた小盆地、地形が独立しているため生活に適し秋田マタギが旅する中継地点でもあった。<br>&nbsp;<br><strong>五城目町史の記録とマタギとの接点を考察</strong><br>　集落は江戸後期、八木沢から五十目村、城下のルートが結ばれ、太平山地の西側に位置する五十目村はマタギルートでもあり山麓にマタギ宿があった。秋田藩への最短距離でマタギルートだけではなく集落に生活する人々が主要な道路に出るまでの生活道路でそのため集落どうしの交流があって江戸後期から昭和初期にかけて八木沢集落のマタギとの婚姻も成立していた。<br><br>　関連資料として五城目町史に1336～1762年間の世相が詳細に記されている。<br><strong>以下一部記録を抜粋し掲載</strong><br>1.　一三三六（建武三）年頃、県北を浅利氏・安東氏、県南を小野寺氏・戸沢氏・六郷氏・本党氏、由利地方を由利十二頭と呼ばれる豪族等が押　　　　　　　　　　　　えていた。五城目付近は安東氏の所領に入り、山内（五十目）城・馬場目城・浦城があった。<br>2.　一六二九（寛永六）年六月二二日、藩主義宣が五十目市（現五城目市）を視察した。一七五八（宝暦八）年　二月、五十目村の指紙開許可される〔（石井家文章）〕。<br>3.　一七六二（宝暦一二）年この年、藩、山林保護条目を制定し、木山奉行を置き山林区を制定する。番山繰を実施する。<br><br>　五十目村は昭和六年に軌道が敷設され手押しのトロッコから出発、十八年にガソリンカーが登場、そして戦後はディーゼル機関車が導入され、最盛期の昭和二十七年には全県で百二十七台の機車が走り回った「五城目町馬場目地区を走る県内最後の森林鉄道＝杉沢森林鉄道」は木材輸送のみならず、山奥の辺地だけにかつては、沿線住民の唯一の交通機関として、通勤・通学・町への買物、そして嫁入りなどの記録が残された。また、集落のマタギが記した古文書に「山田三之助ヨリ小樽及ビサバ樽共六ケ」「佐藤七左衛門ヨリサバ樽一ケ」と記され、生活の基盤とする主要な交通機関でもあったとされる。明治43年の記述「鉱山と温泉」マタギとの密接な関係 ： 八木沢マタギ」はこのルートでもあった。<br>&nbsp;　<br><strong>〔調査：秋山郷と八木沢マタギの関連性について〕</strong><br>　秋山郷:八木沢マタギとの関連調査<br>八木沢集落に存在する長吉マタギが所持した「マタギ熊槍」は秋田で造られ、秋田で用いられた狩猟具ではなく、信州秋山郷との関連があると推測する「肝」で身の危険を承知の上で秋山郷に向かうことを決意した。<strong>　　　　　　　　　　</strong></p><p align="left"><strong>2012年6月23日（土）小雨</strong>　<strong>出発</strong><br>午後3時、秋田から秋山郷まで片道約580㌔、未知の旅で気持ちが昂るが往路の不安を隠せず、秋山郷を歩き情景と熊穴をこの目で確認をしないと本筋が見えてこない、覚悟して一路信州秋山郷をめざした。<br><strong>2012年6月24日（日）晴&nbsp; 　深夜、新潟県小千谷着</strong>、<strong>マタギに詳しい古老等から情報を収集</strong>　　　<br>　深夜、迷いに迷ってようやく、道の駅「ちぢみの里おぢや」道路情報ターミナル（R17号線）に着いた。この遠路、断念をして秋田に戻ろうと思ったほど遠すぎた。施設は奇麗で監視カメラ、暖房がついて室内が暖かいので休憩をすることにした。室内の掲示板によると目的地の秋山郷はこの方向のようなので安心した。ここまでくれば安心と気持ちが昂った。<br>04:00　老人の物音で目をさます。75歳前後の老人が折りたたみ式の長い棒で昆虫を取りにきて窓をたたく音がする。どこからきたのか分からないが｢今日は昆虫がいねえがよ、寒いからだろう。｣と独り言をいっていた。私は老人に栄村を尋ねたら「栄村はまだ先でここは小千谷だ」「あなたの仕事はなんだろう、えらい地図を一杯持っていて｣と言って「栄村、秋山郷は、この先の信号を越して橋を渡っていけばええがな～」と教えてくれた。私は、もしこの老人にあわなければどうなっていったことやら、救いの神のように思えた。車が混みだす前に急いで出発の準備をはじめる。<br>05:00　出発、117号線から旧道入り、草取りをしていた中年女性に秋山郷への行先を聞いたら「この先を進めばいい、津南町に入ったらまた聞いたほうがいい」とご親切に教えてくれたのに感謝をした。<br><br><strong>津南町に入る</strong><br>・情報収集と聞き取り調査<br>　50～60代の男性は「秋山郷は秋田のマタギがきて普及したと伝承されている」と言ったのに驚いた。さらに聞き取り調査をしながら進むと前方に荒々しい山並みが現れ、とても美しい棚田が見えてくる、近場にいた集落の男性は元々秋山郷には秋田のマタギがきて普及したところで今でも何人かのマタギがいると話す。<br>06:55　秋山郷<br>　古老男性は昔、水平２連銃を所持、10日ばかり集落を離れて旅マタギをしたことがある。この集落には熊やサル、イノシシもハクビシン，シカなど何でもいる。昔、ここには秋田のマタギが狩りに来て指導したところで最初にここに住み着いた人は山田文五郎だ、この集落には槍も村田銃も持っていたが今どうなったのかわからない。秋田のマタギは罠に落ちた獣を槍で仕留める方法を指導したと思う。阿仁マタギが来たおかげで良い暮らしになったと言っていた。色々な情報を聞いてから最後に熊の落とし穴があるかを聞くと古老は「熊の落とし穴は今でもある。秋田のマタギは槍で獲物をとる方法を教えたのではないか。」そこで私の槍の写真を見てもらうと古老は槍の大きさに「大きいな～」と驚いていた。<br>10:20　秋山郷総合センター「とねんぼ」民俗資料室を見学<br>槍は3本展示されていた。たしかに秋山郷で使われた槍と共通しているが私が所持する槍の穂先は資料室の槍よりも2倍の大きさ、柄の長さも30㌢ほど長い特殊な大型槍である。<br>12:30　津南町歴史民俗資料館に移動、施設内見学、阿仁マタギが使用した槍が収蔵されていたが八木沢の熊槍と同種のものは無かった。そのまま熊穴を見に出発する。<br>15:00　熊の落とし穴を確認、神社を見に行くときに出会わせた方に熊の落とし穴を聞いて探したらすぐに見つけた。この場所が一番の目的であった。<br><br>　聞き取り調査で津南町歴史民俗資料館の職員や津南町、秋山郷の住民達は秋田マタギと秋山マタギとは深い親戚関係の間柄で未だに深い絆で結ばれているとは予想だにしてなかった。長い人類の歴史の中でも今においても消え失せることなく語り継がれていたのに驚いてしまった。<br><br><strong>秋山郷　熊の落とし穴に立つ</strong><br>　八木沢集落の狩猟用具の中でマタギ熊槍（通称：三角槍　有形民俗文化財）は秋田で製造されたものでもなく秋田で用いられたものでも無い、いったいどこで造られ何処で用いられたのだろうか、そのヒントは信州秋山郷にあると導かれるように信州秋山郷の熊穴の前に立った。落とし穴は、深さが3.5m～4.5mとかなり深い。穴は深く暗いが神秘的で末広がる大きな穴だと実感した。はたして八木沢集落に移住した根子の旅マタギ長吉・長松兄弟がこの穴の前に姿があったのだろうか。1800年代、秋山郷の集落や焼畑周辺には、熊の落とし穴が幾つもあったとされる。<br><strong>　　　</strong></p><p>　　　　　　　　　　<strong>&nbsp;&nbsp;<img height="424" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/bf/d1/j/o1920127515700067611.jpg" width="638"></strong><br>　　　&nbsp;秋山郷　熊の落とし穴は今でも一つだけ残されている　 2012.06.24 15:00&nbsp;&nbsp;<br>　<br>　<br><strong>　【槍の機能検証】</strong><br><strong>　　　　　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/d3/ab/j/o0640042615700067613.jpg"><br>　　　　　　　　　　　　　　　<br>　　　　　　江戸期の槍の変遷を考察(材質天然秋田スギ・製作 佐藤良美）</strong><br><br>　手前から①②(平槍）は秋田の槍で③④⑤(三角槍）は三面や信州秋山郷の槍と類似する。八木沢集落は平槍と三角槍の二種を所持、この資料からしてもマタギ文化の変遷が示される。<br><br>　八木沢集落の山田福蔵マタギが書き残した記述「山田家先祖代々記」に次のように書かれている。<br>&nbsp;第四「実ハ他村ヨリ来ル者ナルガ故ニ佐藤七左衛門ノ子長松・・・」とある。「佐藤七左衛門ノ子長松」は我が先祖、長吉は佐藤七左衛門の長男で戸籍にもある。七左衛門の子で長吉と長松は兄弟、根子のマタギで善兵衛組頭の孫である。七左衛門は根子の中心的な組頭・善兵衛の長男、古文書、戸籍、伝承から善兵衛の子である七左衛門に二人の男の子(長吉・長松）がいて長吉が長男である。八木沢集落での戸籍、墓地で三代目を継承していたが戸籍上では初代・二代とも「七左衛門」の屋号をひきついでいた。(長子相続）<br>※長子相続制度～相続者の親との続柄からみた相続形態の一つで，通例男子のうちの長子，すなわち長男が親の財産を相続する形態をいう。 長子相続は，未開社会のなかでは父系的傾向のつよい社会，歴史的にはヨーロッパの封建社会に顕著にみられた。<br><br>　八木沢集落には「三角槍」と「平槍」の二種類が残されている。平槍は根子マタギが所持した秋田の槍で三角槍は三面や信州秋山郷の槍と酷似することから集落のマタギ文化の変遷を示すものである。八木沢集落に移住した「長吉と長松」が秋山郷にいたかどうかは江戸期に遡及しなければ確証は得られないが生前、父良蔵マタギが阿仁の菩提寺の住職から「子供(長吉・長松兄弟）が先祖（七左衛門）を連れてきたのだろう」と言っていたという。狩猟用具、古文書、伝承等からしても先祖、七左衛門と長吉、長松が一緒に八木沢に移住時にはすでに「熊槍」も一緒に持ち込まれたと考察すると点々と様相を呈している未知のマタギ文化が一本の線につながる。<br>　信州秋山郷の熊狩りで八木沢マタギの姿があったのか、江戸後期、清津峡二居、甘酒村、現在の切明（湯本）での秋田マタギ、登場人物の長松・長吉兄弟と八木沢の長吉・長松兄弟は同一人物なのか、共通点は同じ根子マタギ、八木沢の兄弟マタギは善兵衛組頭の孫にあたる根子の旅マタギ、古文書や集落に残されたマタギ狩猟用具等の史料を検証・考察をすると多くの共通点が散見される。二人の兄弟マタギは八木沢の兄弟マタギと同一人物と推測されるがこの周辺の熊穴に姿を見せたのかどうか確証は得られない、ただ「熊槍」は村上市の鍛冶屋で造られ、三面、秋山郷との深い関連性があったとする痕跡は明白であろう。<br><br>　<strong>八木沢マタギの発祥</strong><br>　集落は1813年、秋田県阿仁・根子集落のマタギによって開村、根子を背に村田徳助、佐藤七左衛門(善兵衛から分家）、山田三之丞の三軒が最初に移住する旅マタギの集落で生業とする伝統マタギは1960年ころまで見られた。長年の調査で八木沢集落の多くのマタギは根子の善兵衛派であった。いまだ集落の墓地にはその当時の変遷を物語る源氏車の紋章が刻まれた墓石が静かに眠る。源氏の紋章は源義経の忠臣、佐藤継信・忠信兄弟の末裔との言伝えがある。<br><br>　　　　<img contenteditable="inherit" height="147" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/c7/de/j/o1920128015700067615.jpg" width="220">　　<img contenteditable="inherit" height="150" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/63/5e/j/o1614109815700067617.jpg" width="220"><br><br><strong>&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;&nbsp;　　 写真左： 八木沢墓地 源氏車の紋章が刻まれる墓石（1955年10月建立）　　　<br>　　　　 写真右：八木澤旅又鬼と其之子等(昭和初期 八木澤番楽にて）</strong><br><br>　1950年代頃まで熊狩りになると明治生まれのマタギの姿もあった。200年もの長い歴史の変遷をたどる八木沢マタギ集落、そこに中軸として纏めていたのは長吉・長松兄弟で江戸期、根子の旅マタギは出羽丘陵や奥羽山脈での狩りをする中継拠点地として八木沢集落が誕生、根子から稜線を渉り赤倉山、太平山地稜線へと向かうと右手に八の字のようになだらかに末広がる沢(八木沢）が目にとまる。八木沢マタギの発祥の原点はここにあって、八木沢は旅マタギによって開村された集落である。昔のマタギの中には火縄銃、大正、昭和にかけては村田銃を所持、鉄砲弾は1960年ころまで自分で造っていた。村田銃は村田式歩兵銃を民生用に改造した単発銃で子供等が寝静まった頃を見計らい神棚のある引き戸から道具を取り出し囲炉裏端で鉛を溶かして弾型に流す。次に黒色火薬を薬莢に充填し弾型から取り出した球形の鉛丸や熊用一発弾を装填して実包を造っていたが一連のしぐさは厳格で近寄りがたい存在、1960年頃から明治、大正マタギが鉄砲を警察に返納し引退する者が多くマタギ集落は衰退、2009年春、集落最後の古老マタギが鉄砲を返納し200年近いマタギ文化が途絶えた。今において先人が用いた狩猟用具五点が村の有形無形文化財として残され後世に語り継がれようとしている。<br>　<br>&nbsp;<strong>【狩猟猟具、古文書、機織り機など物語る根源の証し】</strong>&nbsp;&nbsp;<br>古文書、狩猟用具、機織り機、民具などは八木沢の旅マタギが諸国(越後・信州）との交流の中で伝播されたと推測、幾重にも断層の如く積み重なる重層文化の証しである史料が残されている。<br><br><strong>1.古文書</strong><br>　集落のマタギが所持した古文書12冊（＊は不明）<br>◆御手本　1冊◆庭訓往来　一冊◆掌中安政附合集　青雲堂＊　安政戌年◆節繁＊＊捕＊　明治二十五天立＊＊＊＊◆孟子（天明改正　孟子　　道春点　二」）　１冊◆論語　1冊◆直江氏持用（直江村蔵）　直江山城守末孫　直江鎌治郎　一冊◆「新版 假名安驥集」5巻<br>・新版 假名安驥集は1604年、国内初めて出版された馬医学書で全巻12巻、江戸初期から後期にかけて刊行された指南書である。<br>　　　　　　<br>　　　　　<img alt="" border="0" contenteditable="inherit" height="146" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/f4/4f/j/o1920127515700067620.jpg" width="220">&nbsp; 　<img contenteditable="inherit" height="124" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/7c/47/j/o0640036015700067624.jpg" width="220">　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>　　　　　<b style="font-weight:bold;">写真左</b>：<strong>集落のマタギが所持した古文書　　　　　　　　　　　　<br>　　　　　写真右：馬医学書「假名安驥集」七左衛門はマタギであり獣医でもあった</strong><br><br><br><strong>2.マタギの衣類等を織った機織り道具</strong><br>　機織り道具は集落の「蔵」に残されていた。生前、叔母の村田チサ(大正10年生）は「長吉の妻が編んでいた、昔は各々の家で機を織っていたものだ」と語っていた。<br><br><strong>　　鈴木牧之「北越雪譜」</strong><br>　雪中に糸となし、雪中に織り、雪水に洒ぎ、雪上に晒す　雪ありて縮あり　<br>　　　　されば越後縮は雪と人と気力相半ばして名産の名あり<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　魚沼郡の雪は縮の親といふべし<br>　<br>　牧之が記した雪国の生活感は、まさに江戸期の八木沢集落が再現され同一村落を思い描き、まるで鏡のように映る。はるか遠い大昔の八木沢集落は茅葺屋根の豪雪地帯、マタギと機織り、杣人、雪に閉ざされた集落の中心を清らかに流れる小阿仁川、冬場の棚田に雪晒し、機織りの臨場感溢れる情景は八木沢集落と良く似て心に伝わる何かがある。<br>&nbsp;</p><div><p>　　　　<img contenteditable="inherit" height="124" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/96/0c/j/o0640036015700067626.jpg" width="220">　　<img contenteditable="inherit" height="124" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/2e/48/j/o1920108015700067629.jpg" width="220"><br><strong>　　　　江戸後期、マタギの衣類を織った機織り道具と糸の原料、カラムシ　　　　　　　　<br>　　　　<br>　　機織り道具は昔、マタギの袴を織り<br>　　　　　地機（じばた）の杼（ひ）いとくりわく（糸繰枠）など<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　集落に残された蔵に収蔵されていた<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</strong><br>　集落の古老マタギは古くから機屋さんがあって相当遅くまで編んでいたとされ畑から採集した糸の原料、カラムシを釜で蒸かした後、皮をむいてオシキダでギューッとこくると白い繊維が出る。それを洗い棹にかけて乾燥させ女性が夜に糸を紡ぎ、へそ巻きにヒョウタン型に巻いて吊るし材料にして布を織るが主にマタギの衣装などでマタギ袴は風を通すが冬狩りでは雪がまったくつかず自給自足でどこの家にもあって袴は1935年ころまではいていたとされる。カラムシは今でも長吉マタギの屋敷跡に残されている。<br>&nbsp;</p></div><div class="entry-body"><div class="entry-body-text"><p><strong>3.マタギ狩猟用具</strong><br><strong>八木沢のマタギ熊槍（村有形民俗文化財指定）</strong><br>　穂先：37・8㌢・柄：2㍍　 近世後期。断面は三角で溝があることから「三角槍」とも呼称し熊猟で用いられた。新潟県村上市三面（旧朝日村）の鍛冶屋で作られたと推測される。旧朝日村三面マタギや信州秋山郷、秋山マタギが所持した槍と酷似し秋田県で造られたものではない、大型の熊槍で根子の旅マタギ、佐藤長吉マタギ(根子　善兵衛組頭の孫）が所持したものとされる。<br><br>&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; 　&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;<img height="176" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/f3/63/j/o0640015715700067634.jpg" width="717"></p><p>　　　　　　　　　　　&nbsp; 　<strong>八木沢民俗文化財指定「マタギ熊槍」　</strong><br>　　　　　　　　　　　<br>※敷皮はアオ、生き物の調査で五十目村(元五城目）の奥地を調査した際に沢添えでアオの亡骸があった、野生動物に捕食され無残な姿、冬毛のアオの毛皮を明治、大正、昭和初期のマタギは狩りで身に着けていた。※　アオ(カモシカ）はマタギ言葉<br><br><br><strong>・江戸期以前からの狩猟用具「マタギ小槍」は決定的な根源の証しである</strong><br><br>　　　　　<img height="233" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/7a/f2/j/o1920108015700067635.jpg" width="414"><br>　　　　　　マタギ小槍（全長122、穂先１３、柄116㌢,材質はサビタ）<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　所有者：佐藤良美<br>&nbsp;</p><p>　 根子マタギ善兵衛組頭の子、佐藤七左衛門マタギが所持したとされ、近世初期から中期のものと思われる最も古い槍で穂先の形状からしても江戸期、秋田で製造されたものではない。柄にはカキ渋が塗られ柄の腐食と強度を保つ昔のマタギの知恵であった。槍の穂先が極端に擦り減っていることからして、相当「熊狩り」で用いられたと推測、マタギ熊槍と同様に近世中期、村上市三面（旧朝日村）の鍛冶屋で造られたと思われ三面や信州秋山郷、秋山マタギが所持した槍と酷似、八木沢集落に移住以前から越後のマタギ等との交流があったと推測し槍は江戸期中期以前と検証される。</p><p><br>4.　<strong>江戸後期、根子から移住した八木沢の長吉・長松兄弟の屋敷跡　</strong></p></div></div><p style="text-align: left;"><strong>　　　　<img contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/7e/16/j/o1920144015700067644.jpg" width="220">　　　<img contenteditable="inherit" height="124" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/b8/54/j/o0640036015700067645.jpg" width="220"></strong><br>　　　　　　弟の長松マタギ屋敷跡　　　　　兄長吉屋敷跡　樹齢約200年の<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ソメイヨシノが咲き誇る<br><br>　長松の槍には熊のカジリ痕がある、朽ち果てた家屋を掘り起こせば槍が出てくるかもしれないと冗談で言った古老マタギがいた。今においては何も無くなくなり消えてしまった。<br>　七左衛門の子、長吉は根子善兵衛の孫で三代目を継承する旅マタギ、六代目の良蔵マタギを最後にマタギは途絶えた。残された狩猟用具だけが子孫の手によって後世に残されようとしている。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br><br><strong>5.ご祖先を偲ぶ　佐藤長吉の蔵と墓地</strong><br>　マタギとは畏敬そのもの秘めた遺物から点が線で結ばれる。<br><br><strong>　　　　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/8e/70/j/o1920127515700067647.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="146" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/8e/70/j/o1920127515700067647.jpg" width="220"></a>　　　　<img contenteditable="inherit" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/19/8e/j/o1440192015700067651.jpg" width="220"></strong><br>　　　　<strong>マタギ熊槍や機織り機、民具などが収蔵されていた蔵　　　　</strong><br><strong>　　　　</strong><strong>消滅をした佐藤長吉マタギの墓</strong><br>　<br>　蔵は江戸後期以降に長吉マタギが建造したとされている。蔵の中には火縄銃の背負袋や槍、機織り機などが収蔵されていた。長吉マタギの墓はすでに消滅して幻となってしまった。「マタギ熊槍」は油紙で包んで収蔵され、「機織り機」は天井の棚にありのままの状態で残されていた。これらの史料は集落の歴史のみならず本質のマタギ文化の変遷を示す史料となり今に残され続けている。<br><br><strong>・火縄銃の背負袋(村有形民俗文化財指定）　唯一無二の旅マタギ史料</strong><br>　近世末期とされ、牛革で作られた火縄銃の背負袋は集落の蔵に二組収蔵され一組は破れている。根子の旅マタギ、長吉が所持したとされ、火縄銃は戦後手放している。史料からしても八木沢集落は早くから火縄銃が伝播され旅マタギが主流であったと推測される。<br><br><strong>　　　　　　　　　　　<img height="326" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/b9/21/j/o1920108015700067656.jpg" width="577"></strong><br>　集落の蔵に二組あったが一組は片割れ、火縄銃を背負う旅マタギが偲ばれる<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　(木箱と木彫り製作： 佐藤良美）<br>&nbsp;</p><p><strong>・マタギマキリ　刃長4寸8分（約14.8㌢）柄（イタヤ材）長さ11㌢</strong><br>&nbsp;　マキリはアイヌ語と共通。近世中期、熊やアオ（カモシカ）などの大型動物を解体するための道具として用いられた。 刃は鋼で日本刀を改造したものとされる。新潟県岩船郡朝日村、三面マタギが所持したものと酷似する。<br><br>　　　　　　　　　　　<img height="254" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/dd/71/j/o1920084415700067659.jpg" width="578"><br><strong>　　　　　　　　マタギマキリ(有形民俗文化財指定）鞘は山兎の毛皮</strong><br><br>　マタギマキリ見つけた時には鞘が無く赤錆びが付着しボロボロの状態であった。それを研磨してから山兎の皮で鞘を作り、最後は日本刀剣協会に鑑定依頼をしたものである。※毛皮の鞘～この山兎の毛皮は晩秋から初冬にかけての毛皮で冬になると全身の毛が白くなる。</p><p><br><strong>考証</strong><br>・甘酒村、秋田マタギのシーンに隠されたものとは…。<br>　近世、根子から移住した八木沢のマタギは五十目村（現五城目町）との交渉があって、城下へのルートは同村を経由したと推測、根子の長松・長吉兄弟は江戸後期、八木沢に長吉（兄）と長松（弟）の兄弟が移り住んだ。秋山紀行に登場する長松・長吉兄弟と八木沢の長吉・長松兄弟は同じ根子のマタギであった。<br>　豪雪、津南町、秋山郷は1945～1955年頃の八木沢の暮らしぶりと類似している。津南町の資料館などを見てあまりに共通する点があるのに驚いた。八木沢集落の文化は三面、津南町、秋山郷から伝播されたと思われるほど昔の文化が共通している点が多く、秋山紀行のくだりに牧之が1人のマタギに「お国は秋田のあたりか」と聞くとマタギは「城下から三里へだてた山里」と返答、秘鑰はここにあった。城下から三里だとすれば八木沢集落に間違いない、その道は集落南西から浮内沢沿いを登るルート、道が荒れ難所の箇所が幾つもあるが城下まで最短距離。道は1960年代まで微かに残されていたが、今においては幻の山道になりもはや幻の記憶に留めるだけになってしまった。二人の兄弟マタギが八木沢集落の兄弟マタギだと想察するならば清津峡二居で猟を伝授したマタギと秋山郷、温泉長屋の二人は同じマタギ、甘酒村の老婆に通ったマタギは兄長吉、牧之が温泉宿で対面したマタギは弟の長吉、兄弟マタギは根子マタギの善兵組頭の孫、古文書に長松が子等に語学を教示、また マタギ背負袋やマタギ熊槍は長吉が旅マタギで用いたとされ、史料検証等から近世、八木沢集落と越後が同じ地形上の狩猟範囲に分布し隣地に秋山郷があって、その時代において伝承が円滑に行われ諸国から伝播された基層文化を形成、集落誕生以前から信州秋山郷との狩猟文化との交流があったと推測、マタギ文化のルーツを一つ一つ考察していくと信州秋山郷の熊穴が徐々に広がり八木沢の狩猟地赤倉が浮かび上がり、そこに見えるのは勇壮な昔のマタギの姿であった。近世の秋田マタギ、終結は阿仁根子と八木沢、越後・三面、信州・秋山郷とが一本の線で結ばれる。秋田マタギ「長松・長吉」兄弟と八木沢の「長吉・長松」兄弟は断定できないものの多くの共通点が散見され同一人物と推知された。<br><br><strong>邂逅</strong><br>　1961年春、ドンヨリトした日で集落は霧に包まれていた。女性が大声で「熊を捕った」と叫ぶ声がして外に出ると歓声が沸きマタギ4～5人が犬の毛皮に銃身の長い村田銃を背負い誇らしげな表情で立っていた。さっそくマタギは熊を解体し始め手際良く慣れた手つきで大きな巨体をたちまち均等に分け分配で射止めた親方は一番小さな肉を取っていたのを見て呆気にとられた。肉は子供が集落の皆に配り歩くしきたりであるが思えば茅葺の大きな家、重く分厚い板戸、中に入り暗い土間で肉を渡した記憶がある。熊は山神さんからの授かり物、どんな奥地でも射止めた熊を集落まで運び肉を子供が振舞うのが昔からの風習で祖先から受け継がれた文化、大きな支柱で強い絆で結ばれていた。一連の風俗習慣は自然への感謝と熊への成仏、マタギ文化の継承、そして狩りで仲間を失った同胞への思いが根底にあったと思う。<br>　2009年春、集落最後のマタギが鉄砲を返納し200年近いマタギ文化の幕が降ろされた。人の記憶というものは長い年月を経るとともに薄れ未だ多くの謎を残したまま埋没してしまったマタギ集落、65年ころまで根子集落との道が残存していたが、いまは跡形も無く変貌、かつてのマタギ屋敷跡が点在し集落の変遷を物語る。<br>　12年6月 、信州・秋山郷の熊の落とし穴前に立った。目的は文政11年、牧之・秋山紀行に登場する二人の兄弟「長松・長吉」と八木沢集落の長吉・長松兄弟が同一人物なのか、マタギ熊槍(村文化財）のルーツなど色々検証する目的があった。熊槍は秋田の鍛冶屋や狩猟用具に詳しい古老マタギ等に鑑定結果、秋田では存在しない槍が何処で造られ、何処で使用されたのかであるが、その手掛かりは信州秋山郷に隠されていると思った。秋山郷を訪ねマタギ関係者等からの聞き取りをして目的地の熊の落とし穴に立った。穴の深さ約3.5～4.5mと推測、この穴に落ちた熊をどのように仕留めたのか、暗い穴を覗くと不思議と昔の狩りの様子が再現され秋山郷と八木沢が、かけ離れた地とは思えず自身が八木沢にいると思うほど身近に感じた。<br><br>　幼少期から生き物の調査をし、最後は集落に残されたマタギ猟具だった。マタギの家系に生まれた宿命であろうか、天空から「もういい、俺の事はこれ以上探すな、ここまでお前を導いたのだからもうこれでいいだろう！」と遠くから先祖、長吉マタギの声が聞こえそうだ。<br><br><b style="font-weight:bold;">文　　献：</b>宮本常一「山に生きる人びと」・鈴木牧之「秋山紀行」「北越雪譜」<br><b style="font-weight:bold;">史料と文：</b>佐藤良美（集落最後のマタギ佐藤良蔵の三男）　<br><br><strong>関連記事</strong><br>神秘のカゴ山 熾烈を極めた 巨熊とマタギ<br>「鉱山と温泉」マタギとの密接な関係 ： 八木沢マタギ<br>八木沢マタギ　有形民俗文化財　<br>鷹とマタギは何か共通をしている</p><div class="entry-body"><div class="entry-body-text">　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</div></div><p align="left">　　<br><strong>　　　　　　　ー後世に語り伝えたい「八木沢マタギ」200年の歴史ー</strong></p>
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<link>https://ameblo.jp/yagisawamatagi/entry-12939766469.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Aug 2026 03:23:15 +0900</pubDate>
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<title>鷹とマタギは何か共通をしている</title>
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<![CDATA[ <p style="text-align: left;">　　　　 <img contenteditable="inherit" height="279" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/10/12/j/o1544102415700067335.jpg" width="420"><br><br><strong>　　　　　　　　　　　　　クマタカの親（♀）</strong><br><br><strong>クマタカの調査</strong><br>　調査で最も大切な季節は酷寒の冬、風雪舞う1月から2月ころ、上空を飛翔するタカの行動を稜線から目で追った、長時間雪原に立ち風雪にさらされながらも観察を続けたのはタカにとってこの季節は最も繁殖行動が活発になるからであった。<br>　クマタカは食物連鎖の頂点に位置する希少な猛禽類で1989年のレッドデータブックで絶滅危惧種とされ、種の保存法「絶滅のおそれのある野生動植物・種の保存に関する法律」では政令指定種、また1993年にできた「種の保存法」でもトキやライチョウ、ヤンバルクイナ等と同じランクで絶滅の危機に瀕している鳥類のリストにはいる。個体の生息する環境は広く自然林が残され、バランスのとれた餌が供給される自然環境が不可欠で採餌できる場所や繁殖に適した場所が必要であることは言うまでもない。<br>　<br><strong>　　　　　　　　　　　　　子育て・純白のヒナ親を待つ</strong>　<br><br>　　　　　　<img contenteditable="inherit" height="279" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/1a/48/j/o1544102415700067343.jpg" width="420"><br><br><strong>　　　　　　　　　　　　巣に餌を運んだ直前の親（♀）</strong><br><br>　　　　　　<img contenteditable="inherit" height="279" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/b1/06/j/o1544102415700067346.jpg" width="420"><br>&nbsp;</p><p>&nbsp;　　　　　　　　　　　　　<strong>巣内に餌のヘビを運ぶ♀</strong><br>&nbsp;</p><p style="text-align: left;"><strong>　　　　　　<img contenteditable="inherit" height="279" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/52/9c/j/o1544102415700067358.jpg" width="420"><br>&nbsp;　　　　　　　　　　　　　　ヒナに餌をあたえる親(♀）</strong><br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>　子育てを観察していた時だった、突然クマが急斜面を登ってきたのでタカの巣から目をそらしクマを観察しているとクマはボール玉のように体を丸くし柔軟に朽ちた根回りを夢中で餌を探していたのを見て「クマの体は非常に柔らかいのだ・・・」と微笑ましくなった。<br><br><br><strong>&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; 　&nbsp; 　　　　　太平山地でのクマタカの調査にて</strong><br><br>&nbsp; 　　　<img contenteditable="inherit" height="149" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/f4/46/j/o0640043415700067363.jpg" width="220">　<img contenteditable="inherit" height="139" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/9e/c0/j/o0640040315700067366.jpg" width="220"><br><strong>　　　　　　　　ペリット　　　　　　　　熊鷹に捕食された大山兎</strong><br><br><br>　　　　<img alt="" border="0" contenteditable="inherit" height="244" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/8a/0d/j/o0967107315700067369.jpg" width="220">　　<img contenteditable="inherit" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/9a/34/j/o1920144015700067379.jpg" width="220"><br><strong>　　　　　　　　　<br>　　　　　　巣立ったヒナの卵殻　　　　　　　　営巣中のタカの観察</strong><br><br><br>　透き通るような空間の中で静かに物音も立てずに営巣中のタカを観察し続けた。ここまでくるのに重いカメラ機材と三脚、テントを背負い急斜面を登り窪地に迷彩テントを設置して子育ての様子を観察するが単独でのタカの調査は多くの危険が伴った。奥地だから危険、低地だから大丈夫とは限らない、むしろ低地ほど最も危険が伴い冷静な判断が常に求められた。<br>　調査で心掛けた事は種の保存、「して良い事・ダメな事」であった。夏場、テント内は蒸し暑く立ちっぱなしもつらい、警戒心の強いタカはたとえ迷彩テントのなかでもすぐに気がつき一瞬で巣に入り、一瞬で巣から離れるその瞬間を見逃さないように日を追って観察を続けやがてヒナの巣立ちをむかえる。<br>　感動の一瞬、ヒナが巣立つ一瞬で苦労が感動へと変わった。しかし巣立つヒナには厳しい自然界が待ち構えていた。<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br><span style="font-size: medium;"><strong>【オオタカ】</strong></span><br>　タカ科に属する鳥類で中型の種、幼鳥の体毛は褐色をしているが、成鳥になると頭から尾羽にかけた上面が灰色になる。<span style="font-size: medium;"><strong>&nbsp;<br><br>　　　　　　<img contenteditable="inherit" height="263" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/c5/27/j/o1498093815700067387.jpg" width="420">&nbsp;&nbsp;</strong></span><br><strong>　　　　　　ヒナとはいえどども獲物に飛びつく様子はすさまじい</strong><br><br>　　　　　<img contenteditable="inherit" height="138" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/a2/9f/j/o1498093815700067389.jpg" width="220">　<img contenteditable="inherit" height="137" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/5f/a8/j/o1500093715700067391.jpg" width="220"><br><strong>　　　　　　　　　　　　　太平山地でのオオタカ</strong><br><br>　　　　　<img alt="" border="0" contenteditable="inherit" height="137" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/70/3d/j/o1498093415700067396.jpg" width="220">　<img alt="" border="0" contenteditable="inherit" height="138" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/f2/c7/j/o1500094415700067397.jpg" width="220"><br>　　　　　　　　<strong>オオタカのヒナ</strong>　　　　　　　<strong>餌をくわえるヒナ</strong></p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p><strong>【ハヤブサ】</strong><br>　頭部の羽衣は黒く頬に黒い髭状の斑紋が入り体上面や翼上面の羽衣は青みがかった黒で喉から体下面の羽衣は白く、胸部から体側面にかけて黒褐色の横縞、眼瞼は黄色く、虹彩（こうさい）は暗褐色、嘴の色彩は黒く、基部は青灰色。嘴基部を覆う肉質（蝋膜）は黄色。<br><br><strong>　<br>　ヒナの巣立ち　大空へはばたく<br><br>　　　　　　　<img contenteditable="inherit" height="284" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/77/4d/j/o1464099015700067402.jpg" width="420"><br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　感動　巣立ち<br><br>ヒナの巣立ち　感動の一瞬</strong></p><p style="text-align: left;">　標高約二百八十㍍の断崖絶壁のくぼみに作られた巣から、親鳥の後を追うように四羽のヒナが次々と飛び立ったが、そのうちの一羽がすぐに巣にひきかえした。<br>　その後の観察でもヒナは再び飛ぶことはなかった。　<br><strong>　</strong><br>　　　　　　　　<img contenteditable="inherit" height="284" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/b5/01/j/o1463099015700067406.jpg" width="420"><br><strong>　　　　　　　　　　　　　&nbsp; &nbsp; &nbsp;　　大空を舞う 三羽のヒナ<br><br>・クマとの睨み合い</strong><br>　鷹の調査をしていると何度もクマを見かけた。絶壁に営巣するハヤブサ、崖下にタケノコ（ネマガリタケ）が沢山あって付近に糞や食痕が確認された。付近にクマが絶対にいると警戒していたら案の定、近くのブナの木にクマが登っていて突然、目の前に飛び降り睨み合いになった。大きなクマだった、単独の調査は常に危険が伴った。<br><strong>　　</strong><br>　　　　　　　　<img contenteditable="inherit" height="279" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/cc/f8/j/o1920127515700067411.jpg" width="420"><br><strong>　　　　　　　　　　　&nbsp; 　サルメンエビネ（猿面海老根）ラン科</strong><br><br><strong>・鷹の調査でまれに貴重なラン科の植物をみかけた</strong><br>　可憐に咲くサルメンエビネは断崖絶壁に営巣する「ハヤブサ」の観察場所付近にひっそりと咲いていた。<br><br><strong>【ミサゴ】</strong><br>　雄雌ほぼ同じ色彩で背中と翼の上面は黒褐色、腹部と翼の下面は白色で顔も白く眼を通って首に達する太い黒褐色の線が走る。後頭部に小さな冠羽があって嘴は黒く脚は青灰色、食性は主に魚類を食べるが爬虫類、鳥類、貝類を食べることもある。<br>　獲物を見つけると素早く翼を羽ばたかせて空中に静止するホバリング飛行を行った後に急降下し水面近くで脚を伸ばし両足で獲物を捕らえた。<br>&nbsp;</p><p style="text-align: left;">　　　　　　　　<img contenteditable="inherit" height="279" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/e0/5a/j/o1544102415700067415.jpg" width="420"><br><strong>　　　　　　　　　ミサゴの親（♂）餌の魚をつかまえて巣に降りる瞬間</strong><br><br>　<strong>キエビネとアカエビネ　ミサゴの営巣地付近に咲き誇る</strong><br><br>　　　　　　　　<img contenteditable="inherit" height="279" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/26/cf/j/o1920127515700067418.jpg" width="420"></p><p style="text-align: left;">　　　　　　　　　　　　　　　　<strong>キエビネとアカエビネ</strong><br><br>　重いカメラ機材を背負い急斜面を登っていくと偶然足元を見たらエビネが咲いているのに驚いた。<br>「いまごろ咲いているの？しかも、黄色エビネと鮮やかな紅紫色のエビネが同じところに咲いている！！」あまりの美しさに圧倒され、しばし足を止めて愛でた<span class="yomi">（めでた）、思わず</span>山からのプレゼントだと思った。<br><br><br><strong>秋田県河辺郡河辺町岩見三内のミサゴ</strong><br>　ミサゴは主に魚類を食べるので「雄物川」の近くで営巣をしていた。</p><p style="text-align: left;">　<br><span style="font-size: medium;"><strong>　　　　　　<img contenteditable="inherit" height="275" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/01/03/j/o1493097715700067424.jpg" width="420"><br><br>&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;　　　　　　　　　　ミサゴのつがい　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 　　　　　　　　　　　　　　</strong></span><br><br><br><strong>&nbsp; &nbsp; &nbsp; 　　<img alt="" border="0" contenteditable="inherit" height="148" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/fb/29/j/o1469099015700067426.jpg" width="220">　</strong>　<img alt="" border="0" contenteditable="inherit" height="148" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/65/a3/j/o1469099015700067428.jpg" width="220"><br>　　　<strong>　　</strong>　<strong>巣材をはこぶ親（♀）　　　　　巣に降りる寸前の親(♂）</strong>&nbsp;</p><p style="text-align: left;"><br><strong>【太平山地　クマゲラの棲息調査】</strong><br>　半世紀以上が過ぎてしまったが秋田のマタギ史に萩形マタギ集落があったが、現在は廃村になり何もない自然にもどった。この奥地から1000㍍級の山塊に取り憑く秘境、マタギの狩猟地、そこには国の天然記念物「クマゲラ」が棲息していた。<br><br>　私は冬、この奥地を単独で歩いていた。<br><br><br>　　　　　　<img contenteditable="inherit" height="283" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/18/30/j/o0640043115700067431.jpg" width="420"><br><br>　　江戸後期から昭和20年代まで八木沢のマタギはこの太平山地で熊狩りをしていた<br>　　射止めた熊は山の神からの授かり物とし、集落まで運び皆に公平に分け与えた　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　</p><p style="text-align: left;"><strong>　</strong><br><strong>　　　　　&nbsp;<img contenteditable="inherit" height="318" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/1a/7a/j/o0443064015700067435.jpg" width="220">　 <img contenteditable="inherit" height="152" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/24/1d/j/o0640044315700067439.jpg" width="220"><br><br>　　　　　　　　　　　クマゲラの棲息を確認<br><br>　　　　　<img contenteditable="inherit" height="138" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/4f/2a/j/o0640040015700067442.jpg" width="220">　　<img contenteditable="inherit" height="145" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/ae/a2/j/o0640042315700067445.jpg" width="220"><br><br><br>　　　　　　　　　　　　　<img contenteditable="inherit" height="336" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/64/de/j/o0419064015700067448.jpg" width="220"></strong><br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<strong>採餌痕<br><br><br>太平山地での貴重な植物</strong><br><br>　　　　　<img contenteditable="inherit" height="325" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/ec/03/j/o0433064015700067451.jpg" width="220">　<img contenteditable="inherit" height="156" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/2c/43/j/o0640045515700067456.jpg" width="220"><br>　<br><strong>　</strong>岩場にへばりつく　ウラジロヨウラク　　厳しい環境で越冬　ハクサンシャクナゲ<br><br><br><strong>マタギが好きだった「ヤシャビシャク」<br><br>　　　　　<img contenteditable="inherit" height="284" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251020/17/yagisawamatagi/17/54/j/o0640043315700067460.jpg" width="420">&nbsp;&nbsp;<br>　　　　　　　　　　　　　　　ヤシャビシャク<br><br>タカとマタギは同じ仲間のようだ</strong><br>　タカは生態系の頂点に位置し狩りは集中して獲物に襲い掛かる、捕らえた獲物を子育て中の巣へと飛び立つ、その様子を観察していると昔のマタギとよく似ていた。マタギとタカは自然界で一定のルールに沿って狩りをするが、その様子はまるで流派の流れをくむようだった。<br>　マタギは世襲で秘伝を伝授し代々受け継がれてきた文化、大自然のなかで棲息する生き物、特にタカとマタギは狩のしかたに多くの共通点が見られ、感銘をする一面が多く見られた。昔のマタギは「クマは山の神からの授かり物」とされ、必要以外は捕獲しないのが原則でタカもそうだった。<br>　古来、タカとマタギは兄弟とされ、狩りの術は親から子へと厳然と受け継がれていた。古い話になるが嘗て八木沢集落の故老マタギが狩りからもどる途中、衰弱したタカを保護し自宅の金網小屋に入れ肉を食べさせるとたちまち回復して怖くなってしまったと興奮しながら話しをしていた。さらにマタギは回復をしたタカを放鳥してから数か月後、そのタカは数回、マタギの前に姿を見せたと話をしていた、多分、タカはマタギと同じ仲間だと捉えていたと思う。(写真と文：佐藤良美）　<br><br>&nbsp;</p><p style="text-align: left;"><strong>【主な新聞掲載記事】</strong><br>　平成09年04月06日　ニホンザルとらえた「秋田魁新報社」<br>　平成09年07月24日　太平山北面でクマゲラ生息確認「秋田魁新報社」<br>　平成12年04月24日　太平山でイヌワシの写真撮影に成功「秋田魁新報社」<br>　平成12年12月28日　太平山上空のクマタカ撮影「秋田魁新報社」<br>　平成13年06月16日　営巣中のミサゴ撮影「秋田魁新報社」<br>　平成15年08月22日　ミサゴの営巣を観察　巣立ちの瞬間など撮影「秋田魁新報社」<br>　平成16年08月03日　仁別でミサゴの巣立ちの瞬間撮影に成功「秋田魁新報社」<br>　平成16年09月08日　ミサゴのひな巣立つ　秋田市濁川「秋田魁新報社」<br>　平成17年06月19日　仁別でクマタカ営巣地発見「秋田魁新報社」<br>　平成17年08月09日　クマタカのひな巣立ち「秋田魁新報社<br>　平成18年07月09日　ハヤブサのひな大空へ　岩見ダム周辺「秋田魁新報社<br>　平成18年07月25日　秋田市添川でミサゴ 自然界の厳しさカメラにおさめる<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「秋田魁新報社」<br>　平成19年08月14日　クマタカ巣立ち　2年ぶりに確認「秋田魁新報社」<br>　平成20年08月28日　クマタカのひな巣立つ　絶滅危惧種　<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　仁別で会社員確認「秋田魁新報社」<br>　平成21年05月14日　山菜採りクマにご注意「秋田魁新報社」<br>　平成21年07月24日　オオタカ2羽巣立つ　仁別で会社員が確認「秋田魁新報社」<br>　平成21年08月18日　クマタカひな巣立つ　会社員が確認し撮影「秋田魁新報社」<br>　平成22年07月28日　秋田市濁川　みさごひな巣立つ「秋田魁新報社」<br>　平成22年08月06日　クマタカ巣立つ　仁別「秋田魁新報社」<br>　平成23年07月14日　巣立ち間近い？オオタカのひな「朝日新聞 秋田」<br>　平成25年06月19日　オオタカのひな すくすく育つ 河辺で営巣確認<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「秋田魁新報社」<br>　平成25年06月23日　秋田さきがけ 週刊NIE 家族で読もう<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　 注目2「オオタカのひな育つ」(P7)<br>　平成<span lang="EN-US">27</span>年<span lang="EN-US">08</span>月<span lang="EN-US">14</span>日　秋田<span lang="EN-US">)</span>クマタカのひなが巣立つ<br>　　　　　　　　　　　　　　　秋田の山林から「朝日新聞　秋田総局」<br>　平成<span lang="EN-US">29</span>年<span lang="EN-US">08</span>月<span lang="EN-US">16</span>日　クマタカ　巣立ちの季節「秋田魁新報社」&nbsp;<br>　平成<span lang="EN-US">29</span>年<span lang="EN-US">09</span>月<span lang="EN-US">19</span>日　地方点描　巣立ち「秋田魁新報社」<br><br><strong>関連資料</strong><br>・神秘のカゴ山 熾烈を極めた 巨熊とマタギ<br>・秋山郷　八木澤マタギとの関連を求め　熊穴に立っ<br>・「鉱山と温泉」マタギとの密接な関係 ： 八木沢マタギ<br>・八木沢マタギ　有形民俗文化財　</p><p align="left"><br>&nbsp;</p><div style="text-align: center;"><strong>ー後世に語り伝えたい「八木沢マタギ」200年の歴史ー</strong></div>
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<link>https://ameblo.jp/yagisawamatagi/entry-12939766379.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Aug 2026 03:22:48 +0900</pubDate>
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