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<title>yakakubowのブログ</title>
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<title>子宝に御利益のあるバカ祭り</title>
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<![CDATA[ <p><b>阿見町福田の鹿島神社バカ祭り　　　　　　　　</b><b>野鶴坊典正</b></p><p><b>御祭神　：　建御雷之男神（タケミカズチノオノカミ）</b></p><p><b>　</b><b>説：　福田のバカ祭りが行われている　これは子宝に恵まれる習わしとしてまた、</b></p><p><b>　　　　祈願の祭りとして古くから引き継がれている。　　　　　男性器・女性器を大根に刻み形を作って福田の鹿島神社に奉納し、町内参加者が婚礼装束で参列し架空結婚式を行い祈願する。　その後町内を練り歩きにぎやかな雰囲気の中で祭りとしている。　ねり歩き中に既婚・未婚を問わず女性に男根をもって追いかける面白くも楽しい所作を見られる。　　因みに全国より子宝に恵まれない夫婦が参拝し追われ受け、最後に男根・女陰を模った大根を切り刻み配る。　参拝した人・大根を食した多くの女性が子宝に恵まれたと伝わり、全国から切り刻み大根を予約する人が多数。</b></p><p><b>創設鹿島神社御祭神と異なるのは武甕槌命の縁者と推測される。</b></p><p><b>&nbsp;</b></p><p><b>創設鹿島神社について</b><b>（</b><b>近隣・</b><b>全国に多数存在する</b><b>）</b></p><p><b>（鹿島神宮との関係は定かでないが御祭神は同じ武甕槌命である）</b></p><p><b>御祭神　：　<a name="_Hlk120528324"></a><a name="_Hlk120527062">武</a><a name="_Hlk120524626">甕</a>槌命（タケミカズチノミコト）　</b></p><p><b>熯速御祭神　日命（ヒハヤヒノミコト）</b></p><p><b>　　　　　　甕速日命（ミカハヤヒコノミコト）</b></p><p><b>神代の時代に天照大神の命を受けた経津主命とともに出雲の国に天下り</b></p><p><b>大国主命とともに国護りの交渉で日本を一つの国にまとめた。　その後</b></p><p><b>日本中を歩き最後に関東地方の開拓と鎮撫に活躍した神である。　仁明天皇時代　</b></p><p><b>承和１２年（西暦８４５年）９月２８日に鹿島神社が開設された。</b></p>
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<link>https://ameblo.jp/yakakubow/entry-12801942900.html</link>
<pubDate>Sun, 07 May 2023 18:39:19 +0900</pubDate>
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<title>聖徳太子石像と太子講</title>
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<![CDATA[ <p><b>茨城県阿見町に聖徳太子石像を祀り、江戸時代から伝わる太子講を未だに脈々と続けている一団がある。　縁あってそこの掃除手入れを手伝ってきた　その際に聖徳太子にまつわる歴史を残し後世に伝える為にも説明書き案内があった方がいいと進言</b></p><p><b>太子お堂脇に表しすることになったので以下の通り記して贈呈した。</b></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><b>阿見聖徳太子石像（</b><b>尊称･厩戸豊耳皇子）</b></p><p><b>飛鳥時代の用明天皇の第二皇子・皇族であり政治家　推古天皇に仕えた。</b></p><p><b>生誕は五七四年二月七日　　没年は六二二年二月二十一日　四十八歳</b></p><p><b>墓所は五〇メートル径・高さ一〇メートルの円墳で内部は精巧な切石を用いた横穴式石室である（太子と母君と妃･膳郎女の三棺が納められている）</b></p><p><b>曽我馬子と協調して遣隋使派遣で隋（古代中国）の進んだ文化・制度を取り入れ冠位十二階・憲法十七条を定め天皇中心の中央集権国家を設立した。&nbsp;仏教を厚く信仰し、法隆寺・四天王寺など七つの大寺を建立した。　</b></p><p><b>&nbsp;</b></p><p><b>曲尺（まがりしゃく・かねじゃく・さしがね）を考案したと伝わり以来、大工の守り神として信仰されるようになり、江戸時代中期からは太子命日（旧暦二月二十一日＝新暦三月二十一日）には大工、左官などの職人達が聖徳太子信仰と商売繁盛を祈願し宴を始めるようになったのが太子講と言われ脈々と現在まで伝えられ職人たちの大切な行事ともなっている。　</b></p><p><b>&nbsp;</b></p><p><b>ここに鎮座する阿見聖徳太子石像は江戸時代より始まった太子講に伴い阿見近隣地区の信奉に合わせ阿見村立ノ越の廃寺西光寺跡地（地主・松浦孝一氏）に祀られていた。阿見職工組合も同地で昭和三年より太子講を開催してきたが石像安置場所地主の移転要望で阿見職工組合が解散後に元組合員有志により平成二十一年に譲り受けた。&nbsp; &nbsp; ここ村松松男氏敷地内に松男氏自らの手で建立の祠・御堂に安置し祀っている。&nbsp;</b></p><p><b>今なお有志によりこの場において年二回、太子講を引き継いでいる。</b></p>
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<link>https://ameblo.jp/yakakubow/entry-12801939889.html</link>
<pubDate>Sun, 07 May 2023 18:16:44 +0900</pubDate>
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<title>√３（ルートサン）</title>
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<![CDATA[ <p>年を重ねた人（老人）の多くに　膝がいたい　腰が痛い　という人の多いこと　を</p><p>よく耳にしながら　なんで皆さんそこが痛むのか　　まるでそれには縁のない自分の体力を信じ好きに暴れてきたが　ある日を境に　所謂　腰痛に襲われた　なんだこれと思いながらもそのうちに治ると高をくくっていたがなかなか治まらん　仕方なく</p><p>マッサージに通いいくらか改善　よしよしと思いながらも完治はしてない　そこで</p><p>youtube での腰痛ストレッチ動画やマッサージ動画を見て実行したところ完治に近い腰となって一安心　　グランドゴルフに向かったところ中学生くらいが２名ほどで</p><p>サッカーボールを蹴りっこしていた　おじさんにも蹴らせてよ　と３人でボールを蹴りまわしした　調子に乗って強くも蹴ったりした　できた。　その遊びをやめてグランドゴルフをプレーするうちに腰に違和感　痛い　屈むのが辛くなり痛い　要するに治りかけていた腰痛なのに、蹴るという動作で腰に負担をかけ再発したようだ</p><p>帰ってからは　立ち座りも苦痛　歩きも痛む　調子に乗りすぎ安静を壊し無茶の結果だったようだ　我が体力の自信が仇となり　明日が怖い　ひと眠りで治まればいいが</p><p>大概は悪化してるのではないだろうかと　自信のあった耐力・力なのに所詮は俺も</p><p>ルート３だった　√３　＝　１．７３２　ヒトナミニ　→　人並に　年寄りでした。</p><p>&nbsp;</p><p>年寄りの冷や水から・・か　身を知らず・・か　歳は正直でした　情けない一筆</p>
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<link>https://ameblo.jp/yakakubow/entry-12796601469.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Apr 2023 21:25:22 +0900</pubDate>
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<title>歌が好きな音痴爺</title>
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<![CDATA[ <p>最近複数の知り合いからカラオケに行こうと誘われ，その度に体よく断わっていた。</p><p>誘われたときのために少し覚えようと歌手の歌を聴きながら歌ってみるが　自分で笑ってしまうほど音程はめちゃくちゃ　それでもしつこく誘われて　歌わないよ　皆さんのを聞くだけの条件で同伴　しかし店内では歌え　歌って　と催促を受け歌う羽目に　今風の曲は歌えない　カラオケが流行するまでにあった　軍隊酒場へ出入りしてそこでは誰もが軍歌ばかりを歌う　俺も・・そこでカラオケ店では軍歌を・・今時流行らないけど・・結構受けてご満悦　調子に乗って下手ながら歌ってしまった。</p><p>愛国の花　と　従軍看護婦　を歌ってみた　聞いていた４名ほどの客から大拍手を</p><p>うけ　その一人は　私も　と　愛国お花を気に入って歌いだした　それがなんと上手いのなんの　歌すきの人はすぐに歌えるんだ～と感心　この二つは女性を歌っている軍歌　なかなかいいですから　特に今の時代にもこんな女性が増えてくれるといい</p><p>ちょっと耳にしない歌だが　youtube で題名を検索すれば出てきますから一度聞いて歌詞を覚えて歌ってください。　昔の歌は歌詞がいいい　心に響く　序に演歌も少し歌ってきました。　星の流れに　帰り船　長崎の女　歌手で藤圭子さんは上手い</p><p>よく聞いていますよ　残念ながら今は亡き人だけど　歌は健康にも言いそうなのでちょっと歌い続けるかも　独りで・・・　　　</p>
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<pubDate>Sun, 02 Apr 2023 18:55:08 +0900</pubDate>
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<title>嘘じゃなかった</title>
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<![CDATA[ <p>テレビコマーシャルは多々あってほとんどが販売目的なのであまり宣伝文句を信用もしないし、購入することもない。　そんな臍曲がりが歳の性か何をしたわけではなくある日から腰痛に見舞われた。　当初は接骨院へ。　さらには整形外科医院受診するも、共に病名はなし、【リハビリですね】と誘導するのみ、此の種のリハビリは信じていないし過去に受けたことからは効果を得た試しもない。　患者は長期に通わされお金を払わされるだけという結論だった。　自分で湿布で凌ぐも痛み治まらず。</p><p>月次健康診断の内科医に相談、『レントゲンで異常は見られない・筋肉のつかれ・固まったのでしょう　温泉でマッサージがいい』といわれ温泉はともかくマッサージに通ってみた。4回ほど通い痛みが減少、ほぼよくなったので安心したが数日をして痛み再発。　遡って数ケ月前に友人が『膝がいたんで歩行が困難』というのでたまたま見つけたyoutubeで教えていた【膝痛治療マッサージ】を見せてそのマッサージを続けることを進言したら１０日ほどして友人が『治ったよ！　朝晩１０分ほどマッサージを続けたら』と歩くのもびっこを引いていたのに今では駆け足まで・・・・　そんな</p><p>ことから　youtube　で腰痛マッサージを調べ　視聴　いくつかある中の二つを見て</p><p>画面指導する医者の指示に従ってマッサージと動作を真似てみた。　歳の性で言われる通りには足関節も曲がらないが３つのコースをやってみた。　　翌朝起きたとき、</p><p>立ち上がりにも痛みが走るはずがきがつかないままトイレ・洗顔・食事を済ませ</p><p>『あれ～　あの痛みは？』と自問　大きく曲げると多少の痛みは出たが昨日までの腰痛はない　不思議　まあ今日これから状況注視していくが確実に痛みが消えている</p><p>この番組は嘘を言っていない　友達の膝痛とともに医者に行かずともお金を払わなくても治せる手段があった　嘘ではなかった　youtube番組でこの種の動画はいいぞ</p><p>　　</p>
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<link>https://ameblo.jp/yakakubow/entry-12796186224.html</link>
<pubDate>Fri, 31 Mar 2023 07:55:20 +0900</pubDate>
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<title>子供の頃欲しかったもの</title>
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<![CDATA[ <p>我が物心の付いた子供の頃と言えば5歳(昭和22年＝1947年）～15歳(1958年）ころのことだろうか。　そのころはまだ子供が欲しがる品(玩具）も現在のような精巧で</p><p>便利なものはなかった。　玩具自体はあったろうが高価な贅沢品の一種で親も子に与えることもほぼなかった。　戦後の生活苦の時代であるからそんな余裕はなかった。</p><p>欲しい玩具があったわけでもない。　ようするに市販の玩具などないというより子供の眼には入ってなかった。　玩具と言えば青年団や町の年寄りが教えてくれ造ってくれた竹とんぼ・竹馬・紙飛行機・ゴム銃・紙鉄砲などでろう。　子供たちもそれで満足して友達仲間と楽しんでいた。　今世のスマホなど電子機器など皆無だし他の便利玩具の存在も知らない田舎社会だった。　チャンバラ遊びをするには自分で竹藪から竹を切り出し造った粗末な刀で・・・。　目に留まり欲しいなあと思ったのは8歳ころだろうか町内子供で野球を始めたときバットは竹・ボールは柔らかいゴムボールだけだった。　そこでほしいなあとなったのがバットとグローブが最初だったと思う。しかしこれも誰もが手に入れる代物ではなかった。　欲しいなあと思った記憶からは子の程度のものだが時代が許さなかった。　唯一欲しいなあと強く思ったものが一つ</p><p>それは青い色した炭酸水、ソーダ水だ　親に連れられ京都の百貨店へ行ったとき食堂で食事を与えられたがショーウィンドに飾られていたあの青いきれいな水、あれ飲みたいと強烈に思ったが、親には言えなく子供の頃には飲んだことがない。　その後に</p><p>目にすることもない飲み物だった。　大学で東京に出てきて最初に連れられて行った喫茶店でそれを見つけオーダー、やっと念願の青いきれいな水を口にしたときの感触と言いうか味は格別だった。　こんな旨いんだ～と虜になり8０歳を過ぎた今も喫茶店に入るとコーヒーかソーダ水か迷う　夏場は迷わず青いきれいな水をオーダーする。</p><p>あの時代では欲しいという物欲を持てた時代ではなかったこともろう。　現時代では考えも及ばぬもの、子供心で欲しかった青いきれいな水、我身にとってはかけがえのない長年にわたり夢くれた、今も懐かしみ満足な歓びをも与え続けている。</p><p>　</p>
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<link>https://ameblo.jp/yakakubow/entry-12792542165.html</link>
<pubDate>Tue, 07 Mar 2023 08:12:44 +0900</pubDate>
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<title>人の心</title>
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<![CDATA[ <p>１００才翁の伴をして小旅行に出かけることに対する周りの人警告・注意・不安など</p><p>を耳にするにあたり、そうなんだ　これが普通の考えか　と納得させられた。</p><p>１００才翁の願い、温泉に浸かり身体を癒したい　しかし独りでは叶わない　家族や周りの知人に『付き合ってくれないか』というも１００％の人が何らかの理由をつけて『No』　そこで２年の付き合いである俺に『付き合ってくれないか』・断る理由もないし翁の気持ちが伝わり『いいですよ』と応じた。　翁は大喜びで『やっと同行者が見つかった・これで旅に行ける』と心から嬉しそうに周り人に告げていた。</p><p>その後は身内の人・周りの人誰もが『大変だよ　面倒だよ　断った方がいいよ』と言ってくる。　ある人は『なんで受けたの？　今からでも断りなよ』と言う。　あ俺は『大変だというご忠告は受けます、でも今見てるところでは何の心配もない、それにあれだけ喜んでいるのにそれを消してしまうことはできない』と応えた。　頭の中に</p><p>【自反而　雖千萬人　吾往矣】＝自らを省みてそれが正しければ千万人を相手にも立ち向かう　という孟子の言葉が浮かんだ。　周りの誰もが面倒だ・或いは何が起きるかわからんという、そんな理由で彼らは断っていたのか、どう大変なのだろう・どう面倒なのだろうと考えてみたが目の前にいる１００歳翁とはグランドゴルフで知り合った。プレーも力強いし上手いし体力的問題は見られない。　　知力抜群で周りへの気配りからも人間性に欠陥はみられない。　寧ろ１００歳を感じない猛者である。　強いて言えば歩行速度は少し遅いしかしヨタヨタでもない。　それでも旅となると独りでは難しいから誰かを誘っていたのだ。　100才が望み果たしたいことにわが身ができるだろうことは果たし手助けしてやりたい。　これが人情だろうに。　結局、人々の多くは己の損得勘定・面倒回避が先立ち避けるようだ。　今世の荒廃した人心如実である。　現世・時代の流れで何事も変わりつつある　しかし人の心は変わることはない　時代により変わったとすれば心に損得袋をかぶせるからかもしてない。　【情けは人の為ならず】　を皆、解釈間違えをしていることのようだ。</p><p>&nbsp;</p><p>　</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/yakakubow/entry-12792385401.html</link>
<pubDate>Mon, 06 Mar 2023 08:32:22 +0900</pubDate>
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<title>姥捨て山は今もある</title>
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<![CDATA[ <p>姥捨て山、古い日にこの言葉はあった。　由来は、貧しい家で長生きして役立たない老人（婆）の存在は一家の食を食うから無駄な存在、そこで背負って山の中に捨てに行くことを意味していた。　実際におこなわれていたかは定かでないが言葉があるのだからあったのであろう。　姥＝女性ということは昔から長生きした証でもあろう。</p><p>男は早死にしたからだろう　爺捨て山とは言葉もない。　　１００歳の翁とグランドゴルフで仲良くなった。　１００歳と言えど現在の世の中を熟知しているほど頭もしっかりしているし動作もヨタヨタではない　ゴフルボールも力強く打てる　上手い</p><p>さすがに歩行速度は遅いがゴルフで約３０００歩もお荷物となることもなく歩ききっていいる。　ある日、『おい、ハワイアンズへ行きたいのだが付き合ってくれないか』と言われた、断る理由もないし・１００才さんの望み添えるように『いいですよ』と応えた。　知人多くに声をかけたが断られていたそうだ。　俺の受諾を知った</p><p>周りから『断ればいいのに』という声、理由は『歩きが遅いし旅には無理だ』という</p><p>即ち【同行には面倒だ】　【歳だから何かあったら】という自己防衛からの発想だ</p><p>家族・親族からも敬遠・疎外され、知人にまでも・・気の毒・かわいそうである。</p><p>捨てはしないが　これは姥捨て山思考の現代版と言える。　（今世の世間は冷たい）を垣間見た。　この現実を目の当たりに情けなくもなった。　　俺が受諾したのは【面倒くさい・厄介だ】という思考はない。　１００歳の元気な翁の希望にできることは叶えてやりたい】からである。　確かに御歳を考えれば【何か起きたら】の不安がないわけではないがそれを理由に断る考えは持たない。　一緒に愉しめば翁も喜ぶだろう。　情けは人の為ならず　古来から言われてる真意が曲げられている。</p><p>【長生きは　歳をとらねば果たせない　誰もが望めど　嫌われ疎外され　ああ悲し】</p><p>【年寄りを笑うな　やがて行く道ぞ　今の年より己の未来　心せよ】</p><p>確かに１００歳まで生きるとこれまでの朋や親しきものは消え去り孤独となるが、己の人生での人格・言動・思考などから歳離れていても新たな朋を手にするだろう。</p><p>朋は人生の最高宝なり</p><p>　</p><p>　</p>
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<link>https://ameblo.jp/yakakubow/entry-12791903207.html</link>
<pubDate>Fri, 03 Mar 2023 08:17:11 +0900</pubDate>
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<title>歳重ねると・・・・</title>
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<![CDATA[ <p>毎日食事もおいしく　体を動かし　よく眠る　まあ俺は元気だと自我自賛していても</p><p>歩行中に小さな石に躓いたり　縁石に足を取られたり　はたまた外出時に靴を履こうと片足を靴に入れ始めるとバランスを崩しヨロヨロ　幸いなるか病と言うものはないが　怪我はある　昨日何もしていないのに椅子から立ち上がり歩こうとしたら右足足首に激痛が走った　その後は痛くて歩きを止めた　思い当たる原因としては3年以上前にアキレス筋・ふくらはぎ・足首を傷め半年快癒まで苦労した　多分この後遺症かと</p><p>自己診断　その夜は湿布したが次なる朝も激痛　こりゃいかんとばかりに整形医院へ</p><p>診断の結果　骨・筋肉・筋には全くの異常はなし　医者曰く　多分痛風です　尿酸値が高いと思うので調べましょう　ということでその日は痛む足のまま帰宅</p><p>かように大丈夫だと思っていても身体は歳に従って不具合を得るという悲しい現実</p><p>毎日のグランドゴルフを休もうおおと思ったが　異常はなく痛風なら痛みを我慢すればとグランドゴルフへ　痛みに耐えて何とか完遂　</p>
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<link>https://ameblo.jp/yakakubow/entry-12772167999.html</link>
<pubDate>Mon, 31 Oct 2022 19:50:29 +0900</pubDate>
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<title>歳ならではの不器用</title>
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<![CDATA[ <p>お気に入りのパジャマのボタンが２つ取れてしまったので久しぶりに裁縫と言っても</p><p>ボタンの取り付けをした。　まず針に糸を通すだけで２・３分も要した　見えないのではなく　指先が上手く動かないから・・・これが歳かあ～と思ったがそれにしてもこんなはずではと頑張るも難しいこと（笑）　いよいよ針を通してのボタン付けもスムーズには動かない　なんとか二つをつけ終えたが実に悪戦苦闘だった。　昔というか中学生頃より裁縫はよくやっていたから簡単だったし、　当時の足踏みしながらのミシンかけも得意だっだけに、イライラしたしこんなはずでは・・これが老人の手・指の動きか～と思うもショックだった　まあ何年ぶりでの裁縫だから・・・年取れば手足はもちろん身体を動かさねばと再確認　現代は便利すぎ、洗濯も時に手洗い</p><p>したり掃除も箒と塵取りを使い暇には文字も手書きすることにしている。　原始的生活も必要だ　面倒がらず体を使いうことが大切を再確認の８０歳でした。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yakakubow/entry-12767874836.html</link>
<pubDate>Wed, 05 Oct 2022 18:06:21 +0900</pubDate>
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