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<title>てつやのエッセイ</title>
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<description>面白いなと思ったことを書いています。</description>
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<title>絶望のパスタ</title>
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<![CDATA[ <p>最近、家にいることが多いため、料理のバリエーションが増えてきた。</p><p>&nbsp;</p><p>そのなかでも作っていて楽しいのは、「絶望のパスタ」ことアーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ（以下、アーリオ・オーリオ）である。</p><p>&nbsp;</p><p>イタリア語で「アーリア」はにんにく、「オーリオ」はオリーブオイル、「エ」は物事を並列するときの接続詞、つまり英語のand、「ペペロンチーノ」は唐辛子のことであり、この料理は、これらの材料を混ぜ、パスタに絡めるだけで簡単にできる。</p><p>&nbsp;</p><p>にんにく、オリーブオイル、唐辛子といった、イタリアならどんな家庭にも常備してある材料（というより調味料）だけで作ることができるこのパスタによって、貧乏でお金のない人でも腹を満たすことができ、そのため、「貧乏で絶望している人でも食べられるパスタ」という意味で、「絶望のパスタ」と呼ばれているそうである。</p><p>&nbsp;</p><p>日本では、値段の高いオリーブオイルを常備している家庭はそう多くないだろうから、むしろ「ブルジョワジーのパスタ」、「金持ちのパスタ」、「暇人のパスタ」である。</p><p>&nbsp;</p><p>その醍醐味は、何と言っても、ソース作りにある。</p><p>&nbsp;</p><p>アーリオ・オーリオのソースは、にんにくと唐辛子の風味を移したオリーブオイルと、パスタの茹で汁を混ぜることで生成される。</p><p>&nbsp;</p><p>でんぷんが作用して乳化が進み、白濁すれば成功であるが、これが結構難しい。</p><p>&nbsp;</p><p>成功すると美味しくなるが、失敗すると、ただの油と水がかかったパスタを食べることになる。</p><p>&nbsp;</p><p>多分、端から見ると全然楽しそうには見えないであろうが、これが実に面白く、食べ飽きてもなお、作ってしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>ちなみに、マッキントッシュで「あーりお」と入力すると、「aglio olio」と自動変換される。高級ブランドのマッキントッシュと「絶望のパスタ」ほど不釣り合いな組み合わせはないと思うのだが。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/yamamoto-20/entry-12591065999.html</link>
<pubDate>Mon, 20 Apr 2020 16:09:57 +0900</pubDate>
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<title>六十而耳順</title>
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<![CDATA[ <p>吾十有五而志于学。</p><p>三十而立。</p><p>四十而不惑。</p><p>五十而知天命。</p><p>六十而耳順。</p><p>七十而従心所欲、不踰矩</p><p>&nbsp;</p><p>これは、孔子がみずからが歩んだ「学」の道について振り返える『論語』の有名な一節だが、読み返していて、面白いことに気がついた。</p><p>&nbsp;</p><p>十五にして学問を志したのち、五十になってついにおのれ天命まで知るようになった「大人」でさえ、人のはなしを素直に聞けるようになったのは、六十を迎えてからであったそうだ。</p><p>&nbsp;</p><p>確かに、自分の言いたいことは矢継ぎ早にまくし立てるくせに、相手の言うことにまったく興味を示さない人はよくいるし、こういう人は少しでも自分の意見を批判されると、ただただ不機嫌になる。</p><p>&nbsp;</p><p>多くの弟子に尊敬され、人格の優れた孔子でさえ、六十まで人の意見を聞けなかったというのだから、それも当然のことである。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし考えてみれば、自分の意見と思っているものは、実際にはどこかで聞いた意見であることや、ほかの人との会話がきっかけで思いついた意見であることが少なくない。</p><p>&nbsp;</p><p>その意味では、純粋な自分の意見など存在せず、全ては人の意見のような気もするが、人はよく、自分の意見に所有権があるかのように振る舞う。</p><p>&nbsp;</p><p>「六十而耳順」とは、自分の意見がいかに「他者性」を含みながら構成されているかに気がつき、自分の意見に対して抱いていた「所有権」のようなものが融解した、ということであるようにも思える。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yamamoto-20/entry-12590955433.html</link>
<pubDate>Mon, 20 Apr 2020 05:50:20 +0900</pubDate>
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<title>「Ö」</title>
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<![CDATA[ <p>昨年から、オーストリアのスーパー、薬局、文房具屋などで買い物をすると、会計の際に、「jöカード」を持っているかどうか確認される。</p><p>&nbsp;</p><p>「jöカード」とは、オーストリアの多くの店舗で共通して使用できるいわゆるポイントカードで、顧客は買い物額に応じて「Ö」を得ることができる</p><p>&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200419/23/yamamoto-20/3a/c5/p/o0251025014746215449.png"><img alt="" contenteditable="inherit" height="100" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200419/23/yamamoto-20/3a/c5/p/o0251025014746215449.png" width="100"></a></p><p>&nbsp;</p><p>日本でも一昔前、日本を意味するであろう「J」を冠した「Jアラート」なるものが頻繁に鳴っていたが、これと同じ発想で、「Ö」とはÖsterreich（オーストリア）の頭文字であることが予想される。</p><p>&nbsp;</p><p>どれだけの客が「Ö」を真剣に集めているかは分からないが、レジの横で観察する限りは、およそ3人のう２人は「Ö」を得るために「jöカード」を取り出しているように思える。</p><p>&nbsp;</p><p>かつてローソンの「ポンタカード」でポイントを貯めていたことがあったが、これと同じ感覚で、いまオーストリアでは皆が「Ö」の収集に励んでいる。</p><p>&nbsp;</p><p>ちなみにこの前、「jöカード」があるかとの質問に「ない」と答えると、レジの店員が彼女自身のものと思われる「jöカード」を取り出し、そのカードにレジのスキャナーを当てていた。</p><p>&nbsp;</p><p>記録を調べれば、彼女の「Ö」取得の頻度が異常であることが発覚し、すぐに大きな問題へと発展すると思うのだが、そこまでして集める価値が「Ö」にはあるらしい。</p><p>&nbsp;</p><p>程度の違いはあれ、オーストリアでは「Ö」が身近なものとして浸透しつつある。</p><p>&nbsp;</p><p>ちなみに、調べてみたが、「jö」が何を指すかはいまいち分からなかった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yamamoto-20/entry-12590933834.html</link>
<pubDate>Mon, 20 Apr 2020 00:31:12 +0900</pubDate>
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<title>ピクトグラム</title>
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<![CDATA[ <p>コロナウイルスの感染流行を受けて、筆者が現在滞在しているウィーンでも、数々の対抗策が実施された。</p><p>&nbsp;</p><p>ほとんどすべての店舗と施設が閉鎖されたり、公共の場での集会が禁止されたりと、まさに戦時中のような状態が続いている。</p><p>&nbsp;</p><p>以前はまったく見られなかったマスクも、今ではほとんどの人が着用している。</p><p>&nbsp;</p><p>スーパーマーケットでは先週から、公共交通機関では今週からマスクの着用が義務付けられ、もはやマスクは外出時の必須アイテムとなっている。</p><p>&nbsp;</p><p>ありがたいことに、近所のスーパーでは無料でマスクの配布があり、買い物時にはこれを利用させてもらっている。</p><p>&nbsp;</p><p>こうした状況下で、ウィーンには最近、マスク着用義務を知らせる新たなピクトグラムが登場した。主に、バスと地下鉄に貼られていて、違反すると罰金を取られることがあるそうだ。</p><p>&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200418/05/yamamoto-20/b3/57/j/o0650036614745194900.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="124" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200418/05/yamamoto-20/b3/57/j/o0650036614745194900.jpg" width="220"></a></p><p>&nbsp;</p><p>当初WHO、並びに欧州各国はマスクの効果に懐疑的であったが、最近はその効果を認め、着用を推奨しているようである。</p><p>&nbsp;</p><p>ヨーロッパでは、公共の場で顔を隠すことに対して、文化的にかなり強い忌避感があったようだが、それが今回の騒動で一変してしまった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yamamoto-20/entry-12590446495.html</link>
<pubDate>Sat, 18 Apr 2020 05:59:21 +0900</pubDate>
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<title>どこにもなくて、ここにしかない場所</title>
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<![CDATA[ <p>先日、友人から電話がかかってきた。</p><p>&nbsp;</p><p>あるクイズを思いつき、それを誰かに問いかけたくなったらしい。</p><p>&nbsp;</p><p>電話越しにその友人は、「わたしはいま、どこにいるでしょう」と述べ、以下の四つの選択肢を提示した。</p><p>&nbsp;</p><p>１、京都</p><p>２、大阪</p><p>３、神戸</p><p>４、どこにもなくて、ここにしかない場所</p><p>&nbsp;</p><p>彼が京都在住であることを知っているため、普通に考えれば、選択肢１が答えであると思われたが、気になるのは、きわめて村上春樹的な（？）選択肢４である。</p><p>&nbsp;</p><p>考えてみると、生活のなかで、いま現在滞在している場所を意識する場面は、意外に少ない。</p><p>&nbsp;</p><p>星野源が言うように「意味などなく、暮らしがあるだけ」の状態のほうが、圧倒的に多い。この意味では、選択肢４が答えではないかと思えてくる。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、彼が、まさにこのようなクイズを出題している瞬間は、みずからが存在する場所を意識せざるを得ないのではないか。この意味では、やはり選択肢１が答えなのではないかとも思える。</p><p>&nbsp;</p><p>熟考の末、正直、答えるのは困難であるが、おそらく、選択肢１が答えではないかと友人に伝えた。</p><p>&nbsp;</p><p>彼はそうだと答えて、電話を切った。</p><p>&nbsp;</p><p>彼は、普通に京都に住んでいるらしい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yamamoto-20/entry-12590435659.html</link>
<pubDate>Sat, 18 Apr 2020 02:45:50 +0900</pubDate>
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