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<title>囚人Tの大脱走記</title>
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<description>2013年1月吉日、長きに渡り収容されていた地下室より大脱走を開始します。そして2014年3月某日までに、陽の当たる場所へたどり着くべく、奮闘した記録をここに残します。今はまだ謎多き囚人Tをどうぞよろしく。</description>
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<title>大脱走 ♯２</title>
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<![CDATA[ 1月18日 地元の沖縄系居酒屋にて<br><br>5年前まで一緒に働いていたアルバイト時代の仲間たちと集まり新年会をやった。<br><br>その中に昨年末のライブを見に来てくれたやつがいて、こういった。<br><br>友人『こないだのライブめっちゃ良かった～！アンコール前の『地元を歌う曲（以下、地元讃歌）』って曲。ライブ終わった後、デモ音源（※）聞いたけど、めっちゃいい！』<br><br>囚人Ｔ『ありがとう。』<br><br>友人『ただ歌が下手！音程がずれてるし。もったいないよ、曲めっちゃいいのに。』<br><br>囚人Ｔ『そうか‥。（そこ突っ込まれると言葉が返せない。。）』<br><br>※ 2012年夏より配布を開始した、新曲『地元讃歌（仮称）』の無料デモ音源。<br><br>この指摘は、ごもっとも。<br>私は声を張ると、ピッチ（音程）がズレやすいからだ。<br><br>しかし、この地元讃歌に関しては、ピッチのズレをあまり自覚していなかった。<br><br>今までリリースしてきたCDの中では、一番ピッチが安定していた。<br>あくまで、今までの中で。<br><br>だから気付かなかったのか、自分の欠点から目をそらしていたらしい。<br><br>その友人（※別名『成公』、アルバイト時代の２コ下の後輩で、「成」り上がるため<br>上京してきた「後（こう）」輩なので、以下、成公とよぶ。）もまた、ボーカルを担当している。<br>なんでも成公は、ボイトレに通い始めたそうだ。<br><br>そいつに今年の目標を話した。<br>概ねは、先日の大脱走記に書いたことだが、技術的な目標についても話した。<br><br>囚人Ｔ『目標は、自分がこの世で一番好きになれる曲を作ることかな。』<br><br>成公『たしかに出来たらスゴいけど、お客さんには歌がしっかりしていないと伝わらないよ。』<br><br>囚人Ｔ『…。』<br><br>成公『囚人Ｔは歌練習してないでしょ？練習したら全然変わるよ！』<br><br>囚人Ｔ『うん、あんま練習出来てないな。』<br><br>あまりに的確に弱いところを指摘されたので、動揺した。<br>ただそれと同時に、痛いところをついてくれる友人に感謝の気持ちも湧いてきた。<br>あとはこれを自分なりに考え、実践できればの話だが。<br><br>囚人Ｔ『いつもどういう練習してんの？』<br><br>成公『ピアノに合わせた発声練習とか。』<br><br><br>色々教えてもらった。<br><br>口を閉じ、「プルプル…。」と唇を振るわせる。これが保てる息の量が、歌うときに必要な量と同じだと。<br><br>喉にかけ、「カラカラ…。」という音を出し、裏声混じりの声を出せたら、それがハイトーンの発声に近いと。<br><br>まとめると、吐く息の量が大事で、地声と歌声の境目を知る。<br>やみくもに大声で歌うのが一番良くない。<br>それを踏まえて、声を張らなくても出せる声で、ピッチの矯正をする必要がある。<br><br>全てを鵜呑みにすれば良いということではないが、何もしていない私にとって、プラスになることは間違いない。<br><br>私は自分の歌声に全く自信がない。<br>ギターにも自信がないが、ギターボーカルだからという甘えがあり、ピンのやつらより個々では劣るとさえ考えていた。<br><br>それが良くないのはわかっていた。<br><br>まずは歌か。<br><br>自分なりに出来ることを探してみよう。<br><br>続く
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<link>https://ameblo.jp/yardbard/entry-11453460551.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Jan 2013 23:42:00 +0900</pubDate>
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<title>大脱走 ♯１</title>
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<![CDATA[ 2013年1月某日<br><br>狂犬Ｈとともに楽器屋へ向かった。<br><br>楽器屋の聖地、お茶の水である。<br><br>それは、高校野球で言えば甲子園、<br>バスケットで言えば代々木第二体育館みたいなものだ。<br>少し違うか。<br><br>目的は私、囚人Ｔの新しい相棒となるギター探しだ。<br><br>今回はお目当ての品をある程度絞っていた。<br><br>これまでのギターは、ベースの音と衝突し、出したい音が飽和状態になりがちだった。<br>野球で言うとオール４番バッターの打線、<br>バスケットでいうとオールセーターみたいな感じだ。<br>明確な役割分担を音作りで出来ないわけではない。<br>ただ、４番バッターにスピードスターになれといっても限界があるように、ギターにも特性がある、<br>その楽器同士の一番良い音がぶつかるというのは、勿体ない。<br>狂犬Ｈは１年前に新しい相棒を手に入れた。<br>これまで二軍のベースが、一軍のベースとなった。<br>当然それが備え持つポテンシャルは高い。<br>それが故、Epiphoneのセミアコと喧嘩する。<br>（大袈裟に言っているかもしれないので補足。一定のバランスではあったが、絶妙ではなかった。）<br><br>今のベースと素の音同士で役割分担できるのは、と考えたら、GRETSCHのセミアコ、またはFenderのテレキャス、ストラトが有力候補になった。<br>と言っても、圧倒的第一候補はGRETSCHだったが。。<br><br>悩んだ挙げ句、行き着いた店は、GRETSCH専門店。<br><br>７本くらい試奏し、候補は２つに絞られた。<br>ひとつは、オレンジ・タイガーのG6120SSL（ブライアンセッツァーモデルといった方が分かりやすいか。）。<br>もうひとつは、ブラックファルコン。<br><br>前者はシンプルで使い勝手が良く、音は当然良い。<br>後者はゴージャスで目立つ。これも当然音が良い。<br><br>悩んだ末、利便性と音色の相性から前者を選択した。<br>何より手にした時のテンションが何れよりも高かった。<br><br>それはなんと40万もするギターだった。<br>当然、お金のない私はローンを組み、月々２万の返済をする道を選んだ訳だが。。。<br><br>このギターを以後タイガーと呼ぶことにしようと思う。<br><br><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130117/23/yardbard/2e/82/j/o0480064012381361237.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130117/23/yardbard/2e/82/j/o0480064012381361237.jpg" width="300" height="400"></a></div><br><br><br>この思い切った衝動買いには、経緯がある。<br><br>**************<br><br>2012年12月末<br><br>浅草にて2012年最後のライブをしたときのことだ。<br><br>ライブ中に弦が切れ、スペアを持たぬ私は、そのまま乗り切る覚悟を固めた。<br><br>その時、対バン仲間がギターを貸してくれた。<br><br>GRETSCHのホワイトファルコンだ。<br><br>このギターの音は弾き手の想像と体感を遥かに超えた感動を観衆に与えたらしい。<br><br>それをお客さんや対バン仲間から教えてもらった。<br><br>その瞬間、ギターを買うことを決めた。<br><br>***************<br><br>購入したギターはとてもまぶしい。<br><br>スタジオでメンバーと合わせたが、何から何までしっくり来る感じがした。<br><br>何かを成し遂げられるのではないかという希望すら湧いてきた。<br><br>そこで、一つ。<br><br>このギターを弾きつくし、体の一部にしたい。という目標を定めた。<br><br>これは日々の積み重ねとなるから、終わりのない目標だ。<br><br>だからこそ、まずそこから始める必要があり、継続しなければならない。<br><br>この当たり前のことが私は全然できていないから、そこに集中してみようと思う。<br><br>そして時折ここで近況報告でもしよう。<br>続かなかったら正直な懺悔します。<br><br>続く
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<link>https://ameblo.jp/yardbard/entry-11450772595.html</link>
<pubDate>Thu, 17 Jan 2013 03:33:00 +0900</pubDate>
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<title>大脱走 ♯０</title>
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<![CDATA[ はじめまして、こんにちは。<br>私、囚人Ｔと申します。<br><br>まずは簡単に自己紹介を。<br><br>【幼少期】<br>1980年代、東京に生まれる。<br>幼稚園に入り、今のバンドメンバーであるベーシスト・狂犬Ｈと出会う。<br>小学校に入り、同じく今のバンドメンバーであるドラマー・キャメルＴＰと出会う。<br>低学年時代に米米クラブのライブを見てボーカルに憧れる。<br>高学年になり所謂ポップミュージックを聴くようになる。<br>その後、親の影響でcreamとLed Zeppelinを聞き始め、ギターに興味を持つようになる。<br>しかし子どもの意思とは移ろいやすいもので、スラムダンクの影響から中学進学後にバスケットを始める。<br>（合言葉は『リバウンド王におれはなる！』でした。）<br>中学一年の時に初恋の女の子を呼び出し、<br>告白を行う。<br>言葉を発するのに緊張のあまり1時間以上要した。<br>そして言うまでもなく撃沈した。<br><br>バスケットの才能がなかった私は、三年間のバスケット生活を終えた後、バンドがやりたくなる。<br>ここでキャメルＴＰとコピーバンドを結成。<br>囚人Ｔはギター、キャメルＴＰはベース（元はベースなんです）、あとはドラマー、ボーカルの四人編成である。<br>このボーカルもまた幼稚園からの同級生であり、私たちにとって後に重要な存在となる。名をゼネラルＫＭという。<br><br>練習は地元の児童館の図工室。小さいアンプに、使い方のわからない転がっていたエフェクターを繋ぎ音を出した。<br>たしかドラムは電子ドラムだった。<br><br>そして中学三年の秋に音楽室での結成ライブ（集客二人）を敢行し、すぐに解散した。<br><br>【少年期】<br>高校に進学し、アルバイトも始めた。<br>15才の私からすると、当時の大学生は別世界の大人に感じた。<br>しかも心底遊びを楽しむ人たちばかり。<br>ここで、色々なことを覚えた。<br>法に触れることもあるかもしれないので、詳細については割愛する。<br><br>そして同時に人生最大のモテキ到来。<br>数年我慢すれば訪れる大人の付き合いを維持したかったのか、ただただ有頂天だったのか、気がついたら高校を中退していた。<br><br>時を同じくして、高校進学後はバラバラになった幼なじみたちである、ゼネラルＫＭ（Vo）とキャメルＴＰ（Ba）と、狂犬Ｈ（Dr）の四人で、コピーバンド：ネパール（※）を結成。<br>※素性を明かすまでは、人名・バンド名は偽名としています。<br>しかしベースは華麗、ギターは下手、ドラムは初心者といった具合で、レベルがアンマッチだったためにテンションが上がらず、あえなく解散。<br><br>そしてその後しばらくアルバイト生活を送り地を這う毎日。<br><br>それでも、解散後も仲が良かった旧ネパールのメンバーは夜な夜な集まっては呑んでいた。<br>（未成年であったので、何を呑んでいたのかは割愛。）<br>ある日、深夜に放送していたブラックリストというイベントのライブを見た。<br>それに四人とも触発され、ネパールは再結成した。<br>また前回の教訓からスキルの平準化を図り<br>、全員下手というスタートラインに立つべく、ゼネラルＫＭはボーカル、囚人Ｔはギター、狂犬Ｈはベース、キャメルＴＰはドラムとした。<br>これが今に繋がる白囚人ズ（仮称）の前進であり、私たちの中では歴史的瞬間となった。<br>（この頃、1万円の初心者ギター『legend』を購入。）<br>そして2002年、ライブハウスデビューを果たす。<br>（高校生だったので、客は大入り。楽しいイベントだった。）<br><br>【青少年期】<br>2003年、狂犬ＨとキャメルＴＰは既に進学していた。<br>取り残されたゼネラルＫＭと私、囚人Ｔは進学を目指すべくバンド活動と休止。<br><br>2004年<br>何とかシャバに戻りたい思いが叶い、奇跡的に大学へ進学した。<br>しかし進路の都合からここでゼネラルＫＭが脱退した。<br><br>そしてコピーバンドからオリジナルバンドへ生まれ変わる決意を固め、狂犬ＨとキャメルＴＰの３人で『白囚人ズ（仮称）』を結成。<br><br>昼は大学、夜はライブ&amp;スタジオの生活を開始した。<br>そう、人生初の『安定期』到来である。<br>（この頃、3万円のEpiphoneのレスポールを購入）<br><br>しかしそれもまた、長くは続かなかった。<br>私囚人Ｔのまさかのできちゃった結婚が起因する。<br>2005年、ネタが尽きぬ男と呼ばれた、現世の浪人・若かりし囚人Ｔは、こうして家庭を持つことになり、平成のマスオさんと巷では噂になった。（私の思い込みかもしれないが。）<br><br>当時贔屓にしていた某ライブハウスの計らいで、結婚祝いのライブを企画してくれた。<br>これが事実上の活動休止ライブである。<br><br>【青年期】<br>2006年、第一子が生まれ生命の神秘を実感。<br>家庭では人並みの衝突を繰り返し、少しずつ『他人』から『家族』へ。<br>（長い長い道のりであった。そしてこれは今もなお続いている）<br>この頃、昼は大学、夜はアルバイト、あとは家庭人と、バンドの入る隙間はなかった。<br><br>2007年、私はバンドがやりたくてやりたくて、ウズウズしていた。<br>そこで、結婚前に購入していたMTRを引っ張り出し作曲活動をひっそりと開始。<br>囚人Ｔがドラムを始めたのはこの頃からとなる。<br>バイト仲間の支援もあり、何曲かのレコーディングを終えた。<br>しかし、やはりバンドが出力する生音には叶わず、やりたい気持ちが強くなるだけだった。<br><br>そんな折、活動停止中の白囚人ズ（仮称）のベーシスト『狂犬Ｈ』からバンドをまたやらないかと誘われる。<br><br>ダメ元で嫁さんに交渉を開始し、熱意が伝わったのか、ありがたいことに白囚人ズ（仮称）は再結成した。<br>待ってくれていたメンバーに対し絶対的な信頼が芽生えのはこの頃である。<br>（この頃、5万円のEpiphoneのセミアコを20回払いのローンで購入。）<br><br>バンドの再結成ライブを同年12月に敢行。<br>そしてまさかの第二子の妊娠を発表。<br>ライブハウスでは歓喜の声と、また活動休止か！？という不安の声が飛び交ったことは言うまでもない。<br><br>しかしライブは年一というスローな活動であったが、白囚人ズはもう活動を止めることはなかった。<br><br>【続青年期】<br>2008年、大学を卒業し、家族を養うべく就職。<br>そして第二子が誕生した。<br>そして二人の子どもを溺愛した。<br><br>2009年になりとある転機が訪れる。<br>嫁さんさんから一定のバンド活動の許可がおりたのだ。<br>恐らく働き始めたからだろう。子育てにも慣れてきて心にゆとりが出来たのかもしれない。<br>活動休止から丸四年、本格的に第二期バンド生活がスタートした。<br><br>そしてこの年に念願の1stミニアルバム（自主製作）をリリースした。<br><br>一からのスタート切った白囚人ズ（仮称）はこのように、まずはやり残したことから一つ一つ始めていくことにした。<br><br>2010年、活動再開して一年が経つというころで、あることに気が付いた。<br>これまで周りは年上のバンドばかりであったが、今は同年代が躍動している。<br><br>少し前まで下手だったやつらもメキメキと力をつけてきた。<br><br>自分も、白囚人ズ（仮称）も今のままでは行けないと感じた。<br>（もしかしたら狂犬ＨやキャメルＴＰは既に感じていたのかもしれない）<br><br>曲作り、音作りに対し聴き手を意識したのはこの頃からとなる。<br><br>2011年にはセルフレコーディング盤の2ndミニアルバム（自主製作）をリリース。<br>しかし、なりたい自分はまだまだ遠く、仕事の忙しさから少しずつ怠慢になっていく自分がいた。<br><br>2012年に入り、ふんどしをしめなおした。<br>一番やりたいのはバンド活動であると再認識し、曲を作った。<br>そして初めてたくさんの人たちから『この曲好きだな』といってもらえた。<br>人生最大級の喜びだった。<br><br>さらっと言うが、<br>同年暮れに第三子が、誕生した。<br>さすがに周りはもう驚かなかった。<br><br>そしてこれがきっかけとなり一つの目標ができた。<br>子育てしながらでも、働きながらでも本当にやりたいことは出来ることを体現し、周りに勇気を与えられるバンド人になりたいという明確な目標だ。<br><br>そして現在に至る。<br><br><br>子どもたちも順調に育ち、バンドもやれて順風満帆と言える。<br><br>しかし、かけもち何かを『する』だけなら誰にでも出来る。<br>私もその一人だ。<br><br>ひとつのことに賭けている人たちに追い付き、追い越すには生半可な覚悟では無理だった。<br><br>この三年は、自分に足りないことばかりを痛感する日々であった。<br><br>悪い意味で、なんとかなるという根拠のない怠慢を繰り返していたからだ。<br><br>そこで、足りないことは何で、今これから何をしていかなければならないのか、<br>取捨選択をし、行動することが、2013年の抱負としようと思う。<br>現在からの脱却を試みる、この大脱走の記録をここに残していこうと思う。<br><br>続く<br>
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<pubDate>Wed, 16 Jan 2013 00:01:00 +0900</pubDate>
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