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<title>yaroan5022のブログ</title>
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<title>西田幾多郎と朝永三十郎への〝書簡〟</title>
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<![CDATA[ <p>波多野精一は、1917年に西田幾多郎によって京都帝国大学文学部哲学科宗教学講座教授として招かれた。朝永三十郎は１９０７年に京都帝国大学文学部哲学科の助教授、１９１３年に文学部哲学科の今日主として哲学史を担当することになる。<br><br>波多野精一は、早稲田大学でキリスト教を教えるとともに、哲学史も教えていた。波多野精一の哲学史に対する学識の深さは世間でも知られていて、波多野精一は若き日に『西洋哲学史要』を表していた。<br><br>ある旧制高等学校から校長就任の誘いを受けていた朝永三十郎は、そのような哲学史家として有名な波多野精一を差し置いて、自分が京都帝国大学文学部哲学科で哲学史を担当していて本当によいのかと思い悩んだ朝永三十郎は、西田幾多郎にその悩みを打ち明け、教授辞任を申し出たという。<br><br>すると西田幾多郎は、朝永三十郎に、<br>「きみがもつ西洋哲学史の学識が波多野精一くんに劣るとは考えていない。また学生からも同僚からも社会からも、きみが哲学史の授業を行えことへの不満の声は、大学にもわたしには上がってきていない。波多野精一君は哲学史家としても優秀な人であることは言うまでもないが、きみにはきみの哲学史に対する特色のある研究があるとわたしは見ている。京都帝国大学文学部にとってきみを失うことは大きな損失となる。だからここは大学に残って西洋哲学史の口座を担当してほしい。きみはこれまで通り、哲学史を担当してもらいたい」<br>というような内容の書簡を送ったという。<br><br>わたしは、このような西田幾多郎と朝永三十郎のやりとりを、上田久著『祖父・西田幾多郎　正・続』（南窓社）で知ったのであるが、《<span style="display: inline !important; float: none; background-color: rgb(255, 255, 255); color: rgb(68, 68, 68); font-family: &quot;ヒラギノ角ゴ Pro W3&quot;,&quot;Hiragino Kaku Gothic Pro&quot;,&quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;,&quot;MS PGothic&quot;,sans-serif,&quot;メイリオ&quot;,Meiryo; font-size: 16px; font-style: normal; font-variant: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; orphans: 2; text-align: left; text-decoration: none; text-indent: 0px; text-transform: none; -webkit-text-stroke-width: 0px; white-space: normal; word-spacing: 0px;">京都学派の哲学</span>》の創成期時代の京都帝国大学文学部哲学科の前身である文科大学時代の哲学科の様子が分かるように思える。</p><p><br>西田幾多郎は桑木厳翼の留学中の〝留守番役〟として京都帝国大学の哲学科に招かれた。しかし留学帰国後桑木厳翼は東京帝国大学の哲学科の主任教授におさまってしまう。その後の京都帝国大学の哲学科を創設する任を西田幾多郎が担うこととなった。この西田幾多郎と朝永三十郎への〝書簡〟は、京都帝国大学の哲学科創設に西田幾多郎がいかに奮闘していたのかということをよく表しているように思えるのである。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yaroan5022/entry-12420353518.html</link>
<pubDate>Tue, 20 Nov 2018 14:49:09 +0900</pubDate>
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<title>『世界的立場と日本』という本</title>
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<![CDATA[ <p>わたしの本箱のなかにポンと、西谷啓治、高山岩男、高坂正顕、鈴木成高の『世界史的立場と日本―東亜共栄圏の倫理性と歴史性　総力戦の哲学』（中央公論社　昭和18年3月25日初版）か置かれている。<br><br>この『世界史的立場と日本』という対談こそが西谷啓治、高山岩男、高坂正顕、鈴木成高を戦後、戦争責任を負われて京都帝国大学から追放とされた理由の一つである。<br><br>当時、京都帝国大学文学部哲学科の教授であった高山岩男（哲学）高坂正顕（哲学史）西谷啓治（宗教学）鈴木成高（文学部史学科西洋史）は、アジア太平洋十五年戦争を〝哲学的〟に意味付け、肯定しようとした。そのことが〝戦争責任〟に問われたのである。<br><br>しかし今日では、この『世界史的立場と日本』（中央公論社）は、稀本としてそれなりに高価な値段がついている。<br><br>しかしその『世界史的立場と日本』（中央公論社）がわたしの手元にあるのだろうか。その理由がわたしにもよくわからない。ただぼんやりと、<br>「この本がぼくたちの〝戦後〟という人生を、生き方を大きく狂わせた一冊だ。きみ、持っておいてくれないか」<br>と、恩師・原野栄二先生から頂いたということを、ぼんやりと覚えている。あのとき、原野栄二先生はすでに病床についておられたころだったのか、またお元気で燈影舎の編集の仕事をされていた頃なのか、その記憶は定かではない。<br>ただ、〝この本がぼくたちの〝戦後〟という人生を、生き方を大きく狂わせた一冊だ〟と言われたことは、なぜか鮮明に覚えている。<br><br>実際、この『世界的立場と日本』という本は、戦時中の京都学派の中心にいた、高山岩男、高坂正顕、西谷啓治、鈴木成高があのアジア太平洋十五年戦争をどのように考え、そしてどのような〝哲学的〟に意味づけようとしていたのかということ考えるうえで、〝第一級的資料〟であることはいうもまでもない。ただわたしは京都学派の戦争責任とは、あのアジア太平洋十五年戦争の〝実態〟を知ろうとはしなかったことにあり、自分たちの教え子である学生たちがどのような戦場に送られることになるのかということを知ろうとはしなかった、そこに〝帝国大学の教官〟としての最大の戦争責任があると考えているのである。<br><br>しかしわたしの本箱のなかに『世界史的立場と日本』（中央公論社）がポンと置かれている。とても不思議なように思える。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yaroan5022/entry-12418497424.html</link>
<pubDate>Mon, 12 Nov 2018 12:01:29 +0900</pubDate>
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<title>「Ｓｉｌｅｎｃｅ＝Ｄｅａｔｈ（沈黙は死）」</title>
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<![CDATA[ <p><b>（私の視点）マイノリティー差別　「寛容であれ」誰に求めるか　尾辻かな子</b>）<br>　月刊誌「新潮４５」８月号に、ＬＧＢＴに関する杉田水脈衆議院議員の寄稿が掲載された。私がツイッターで、ＬＧＢＴに対する間違った情報や偏見を助長する点を指摘すると、様々な反応があった。１０月号では寄稿についての特集記事が掲載され、その後突然休刊となった。<br>　しかし、新潮社の社長声明にあった「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」にあたる部分の特定、編集のチェック機能不全に対する分析、再発防止策など、具体的な発表がないまま事態を収束することに懸念がある。このままでは、場を変えて同じことが起こるのではないか。<br>　この間、ＬＧＢＴに関する正確な知識や土台となる事実がないままの水かけ論が多いように感じている。例えばＬＧＢＴ差別がないという前提の議論は、内閣府の世論調査で１８歳以上の約５割が差別があると考え、別の調査ではＬＧＢＴ当事者の約７割が差別を感じている結果とはかけ離れている。学校・職場での困難や、婚姻の平等がないために同性カップルには相続などで異性間の結婚と同じ権利がない、といった現実を踏まえているとは思えない。<br>　この４、５年の新聞社などの同性婚をめぐる世論調査は、賛成多数の結果となった。賛成の割合は男性より女性が高く、若い世代は賛成が圧倒的に多いが、７０代になると反対多数となる傾向がある。リベラル、保守という枠組みで賛成、反対を論じるのではなく、これらの事実を土台にして議論は出発するべきではないか。日本の国会議員は女性が少なく、若者も少ない。国会と社会全体の意識の隔たりともとれると思う。<br>　寄稿に対する自民党本部前での抗議活動などには、一部で批判が起こっている。ＬＧＢＴの可視化のひとつであるパレードの開催についても、声をあげずに静かにしていてほしいという議論が当事者の間にもある。だが、その批判の先にあるものが、沈黙や行動の抑制を求めることであってはならないと思う。<br>　　　　　＊<br>　民主主義社会では、投票行動のみが政治参加の手段ではない。声をあげること、デモをすること、署名運動をすることは、市民として当然の政治参加の行為のひとつである。アメリカでＨＩＶ感染が広がった際、市民が「Ｓｉｌｅｎｃｅ＝Ｄｅａｔｈ（沈黙は死）」を掲げて行動した。感染症予防に本腰を入れない政府に対して立ち上がり、対策を求めた。黙っていたら、マイノリティーの存在は見えず、思いは社会に伝わらない。<br>　東京都立府中青年の家が同性愛者団体の宿泊を拒んだのは違法だとして東京高裁が賠償を命じた裁判も、声をあげた側をバッシングする風潮があった。マイノリティー社会も、そこにいる当事者も複層的である。ただ、声をあげることで社会の課題が認識され、行動することによって変化がもたらされるという側面を忘れてはならない。<br>　　　　　＊<br>　「寛容であれ」。これは誰が誰に対して寛容を求めるかによって、文脈が変わる。差別を受けた側に寛容を求めることは、マイノリティーとして声をあげるのをためらう状況を維持することにならないか。こんなことで声をあげるのは間違っていると、沈黙や行動の抑制を求めることにならないだろうか。傷つき声をあげている人を対話的でないと非難するのは、筋が違う。寛容や対話は、差別や差別の扇動を許すことではない。<br>　権力を持つ者やマジョリティーから、周辺に追いやられた人やマイノリティーに発せられた差別的発言を指摘することにちゅうちょする社会は、差別の構造が強まっていく。さらなる暴論を許す土台をつくり、当事者は萎縮していく。それを止めるために、声をあげる、謝罪、反省を求める行為は、否定されるものではない。その過程を経て、対話のプロセスは始まるのではないだろうか。対話には、差別的発言で他者を傷つけない、根拠ある事実に基づいて議論する、という前提も必要だ。対立か対話か、という二項対立的な議論には違和感を抱く。<br>　当事者以外の人が声をあげることに否定的な言論が、社会運動の連帯の広がりを阻害することにならないか危惧している。「パレードへようこそ」という映画がある。サッチャー政権時代のイギリスで、ともに抑圧されていた炭鉱労働者とロンドンのレズビアン、ゲイ団体の友情の物語だ。ゲイに支援されたくないと拒否反応を示していた労働者とその地域の住民が、交流を通じて理解しあい、友情が芽生える。同性愛者たちによる支援集会に出席した労働運動のリーダーは、同性愛者たちの支援に感謝し、「巨大な敵と戦っているとき、どこかで見知らぬ友が応援してくれていると思うと最高の気分です」とスピーチした。後に、ゲイパレードに労働組合として参加する。<br>　社会運動は、様々な人々の連帯によって成り立っている。ＬＧＢＴの課題は、社会構造の課題でもあり、ひとごとではない。<br>　　　　　◇<br>　おつじかなこ　衆議院議員　１９７４年生まれ。２００５年に同性愛者であることを公表。１３年に参議院議員、１７年に衆議院議員に当選。<br>****************************************************************************<br>上記は、１１月３日の朝日新聞に掲載された、衆議院議員・尾辻かな子による「（私の視点）マイノリティー差別　「寛容であれ」誰に求めるか」という寄稿文の全文である。<br><br>わたしがこの尾辻かな子氏の寄稿文で注目したのは、下記の一文である。<br><br>〝民主主義社会では、投票行動のみが政治参加の手段ではない。声をあげること、デモをすること、署名運動をすることは、市民として当然の政治参加の行為のひとつである。アメリカでＨＩＶ感染が広がった際、市民が「Ｓｉｌｅｎｃｅ＝Ｄｅａｔｈ（沈黙は死）」を掲げて行動した。感染症予防に本腰を入れない政府に対して立ち上がり、対策を求めた。黙っていたら、マイノリティーの存在は見えず、思いは社会に伝わらない。/　東京都立府中青年の家が同性愛者団体の宿泊を拒んだのは違法だとして東京高裁が賠償を命じた裁判も、声をあげた側をバッシングする風潮があった。マイノリティー社会も、そこにいる当事者も複層的である。ただ、声をあげることで社会の課題が認識され、行動することによって変化がもたらされるという側面を忘れてはならない。〟　<br><br>この一文にある、アメリカの市民が掲げて行動したという<strong>〝「Ｓｉｌｅｎｃｅ＝Ｄｅａｔｈ（沈黙は死）」〟</strong>という言葉がわたしの心をとらえた。<br><br>自民党衆議院議員・杉田水脈の〝ＬＧＢＴは子どもを産まない、だから生産性がない〟という発言は、わたしにとって「相模原障害者殺傷テロ事件」の植松聖容疑者の「ナチスの優生思想」を連想され、人間を〝生産性〟という言葉で評価することに激しい憤りを感じた。しかしその後も旧優生保護法下で行われた障害者といわれる人たちに対する〝強制避妊手術〟事件、ある域中央官庁における〝障害者雇用水増し〟詐欺事件など、この国は本当に障害者といわれる人たちの〝人権〟〝生きる権利〟を認めているのかと考えされる事件が立て続けに起こった。わたしはその都度、障害者といわれる人たちの一人として怒りの声を挙げてきたつもりである。しかし杉田水脈の〝ＬＧＢＴは子どもを産まない、だから生産性がない〟という発言を擁護する人たちは〝言論の自由〟を盾にわたしたちの言葉をかき消してきた。<br><br>尾辻かな子氏は次のように書いておられる。<br><br>〝「寛容であれ」。これは誰が誰に対して寛容を求めるかによって、文脈が変わる。差別を受けた側に寛容を求めることは、マイノリティーとして声をあげるのをためらう状況を維持することにならないか。こんなことで声をあげるのは間違っていると、沈黙や行動の抑制を求めることにならないだろうか。傷つき声をあげている人を対話的でないと非難するのは、筋が違う。寛容や対話は、差別や差別の扇動を許すことではない。/　権力を持つ者やマジョリティーから、周辺に追いやられた人やマイノリティーに発せられた差別的発言を指摘することにちゅうちょする社会は、差別の構造が強まっていく。さらなる暴論を許す土台をつくり、当事者は萎縮していく。それを止めるために、声をあげる、謝罪、反省を求める行為は、否定されるものではない。その過程を経て、対話のプロセスは始まるのではないだろうか。対話には、差別的発言で他者を傷つけない、根拠ある事実に基づいて議論する、という前提も必要だ。対立か対話か、という二項対立的な議論には違和感を抱く。〟<br><br>わたしは、尾辻かな子氏の〝〝「寛容であれ」。これは誰が誰に対して寛容を求めるかによって、文脈が変わる。差別を受けた側に寛容を求めることは、マイノリティーとして声をあげるのをためらう状況を維持することにならないか。こんなことで声をあげるのは間違っていると、沈黙や行動の抑制を求めることにならないだろうか。傷つき声をあげている人を対話的でないと非難するのは、筋が違う。寛容や対話は、差別や差別の扇動を許すことではない。〟という池名に大いに作動する。<br><br>「寛容であれ」とは、マジョリティーの側にいる人がマイノリティーの側にいる人に対して行われる行為であって、決してマジョリティーの側にいる人がマイノリティーの側にいる人に対して求める行為ではない。それはもはや〝寛容〟い゛はなく、〝抑圧〟であり〝封殺〟であり〝暴力〟でさえあるのだ。<br><br>わたしは、かつて一度尾辻かな子氏にお会いしたことがある。尾辻かな子氏がまだ大阪府会議員だった頃、トランスジェンダーとして日本初の区会議員になられた上川あや氏の講演会を主宰されたときだったと思う。その時にわたしは尾辻かな子氏と上川あや氏にお会いすことができ、やはりマイノリティーの一人として社会に声を挙げていかねばならないと思い、その後、勤めていた会社での不当な〝退職勧奨〟を受けた際、会社と交渉することができたのである。その意味でお二人との出会いは、わたしにとって大きく心の支えとなっている。<br><br>〝　当事者以外の人が声をあげることに否定的な言論が、社会運動の連帯の広がりを阻害することにならないか危惧している。「パレードへようこそ」という映画がある。サッチャー政権時代のイギリスで、ともに抑圧されていた炭鉱労働者とロンドンのレズビアン、ゲイ団体の友情の物語だ。ゲイに支援されたくないと拒否反応を示していた労働者とその地域の住民が、交流を通じて理解しあい、友情が芽生える。同性愛者たちによる支援集会に出席した労働運動のリーダーは、同性愛者たちの支援に感謝し、「巨大な敵と戦っているとき、どこかで見知らぬ友が応援してくれていると思うと最高の気分です」とスピーチした。後に、ゲイパレードに労働組合として参加する。/　社会運動は、様々な人々の連帯によって成り立っている。ＬＧＢＴの課題は、社会構造の課題でもあり、ひとごとではない。〟<br><br>毎年、五月に東京で行われる〝レインボー・パレード〟に来年こそは参加したいと思っている。そのパレードには以前わたしが務めていた会社のパースもあるというのでそのブースものぞいてみたいこともある。<br><br>尾辻かな子氏の寄稿文にあった、「Ｓｉｌｅｎｃｅ＝Ｄｅａｔｈ（沈黙は死）」という言葉はわたしの心に深く突き刺したのである。</p>
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<pubDate>Mon, 05 Nov 2018 13:17:46 +0900</pubDate>
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<title>燈影舎の『シェリング著作集』からの撤退－また一つ思い出が遠くなっていった</title>
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<![CDATA[ <p class="heading">昨日、〝本の通販ストアhonto〟（ジュンク堂書店のホームページ）を見ていたら、『シェリング著作集 新装版』（全５巻８冊）というのを見つけてしまった。</p><div class="body"><br>〝えっ、これって燈影舎から出ていた『シェリング著作集』ではないのか〟<br>と思って、その『シェリング著作集 新装版』を刊行している〝文屋秋栄〟という出版社に電話をかけてみることにした。その文屋秋栄という出版社も燈影舎と同じ京都にある出版社である。<br><br>文屋秋栄に電話をかけると、男性が出てきた。<br>「そちらから刊行されているシェリング著作集というのは、以前燈影舎から刊行されていたものなのですか」<br>と、わたしが聞くと、その男性は「そうです」と答えてくれた。<br><br>その男性によると、燈影舎から刊行していた『シェリング著作集』はもう〝絶版〟という形で、著作集の刊行を途中で打ち切ったという。そこで燈影舎版の『シェリング著作集』の翻訳に関わった京都大学出身の大学の哲学教師たちが〝シェリング著作集編集委員会〟なるものを立ち上げ、自分たちが翻訳したシェリング著作集の原稿を出版してくれる出版社を探した。その出版社が文屋秋栄という出版社だという。<br><br>ただ、、『シェリング著作集　新装版』と〝新装版〟と銘打ったのは、前回の燈影舎版のシェリング著作集とは内容が異なっているからだとも、その男性は話してくれた。ということは、前回の燈影舎版のシェリング著作集とはまた違ったものになるのではないかと思ったりした。となると、文屋秋栄刊行の『シェリング著作集 新装版』が欲しくなってくる。しかし一巻が４３００円以上する。<br><br>シェリングという哲学者は、ドイツ観念論の哲学者たちの中で〝神秘主義という深い森の中を最も深く覗き込んで哲学者〟だとわたしは考えている。 カント以降のフィヒテ、ヘーゲル、シェリングのなかで、カントの〝根本悪〟という問題を人間的自由の問題としてとらえ直したのはシェリングであった。ただシェリングはカントと異なって、悪の問題を人間存在の根源性として論じていた。そこには中世におけるドイツ神秘主義の影響を色濃くみられるように思えたのである。<br><br>ドイツ観念論とドイツ神秘主義との関連性については、様々な論説がある。カントがドイツの北部に暮らしていてドイツ神秘主義の影響がない思想圏で哲学的思索をしていたのに対して、フィヒテ、ヘーゲル、シェリングはドイツ南部のドイツ神秘主義の影響が色濃く残る思想圏で哲学的思索をしていたとも言われている。しかしカントは本当にドイツ神秘主義の影響を受けずに思索していたのか否か、わたしは反対にカントがドイツ神秘主義の影響を意識していたがために、敢えて人間的理性を批判的限界を明らかにしようとしたのではないかと考えている。<br><br>とにかく、わたしにとって〝悪の問題〟は、親鸞の〝悪人正機説〟に始まり、カントの理性宗教における悪、シェリングの根源悪、そしてアーレントの〝凡庸としての悪〟と、一体人間にとって、いや、自分にとって〝悪〟とはいかなる問題なのかということが頭から離れないのである。だからこそ、独り暮らしを始めるに当たって一旦はこれらの〝悪の問題〟を切り離そうとして、意図的に関係する書籍を古本屋に売却したのであるが、ここにきてまた〝悪の問題〟に意識が行くようになったのである。<br><br>しかし燈影舎は、もはや〝哲学書路線〟から完全撤退することにしたのであろうか。わたしと燈影舎とのかかわりが始まったのは、わたしがまだ大谷大学の学生だった頃である。燈影舎とは、京都にある西田天香の一燈園の出版部であった。そこの出版部の幹部がわたしの恩師である西谷啓治先生を尋ね、下村寅太郎先生とのお二人を最高顧問として〝哲学書路線〟を企画したことから始まる。その時に西谷啓治先生、下村寅太郎先生が最高顧問引き受ける条件としたのが原野栄二先生の〝編集長〟就任であった。<br><br>そんなわけで燈影舎は、以前出版され今は絶版になっている名著の復刊を意図した『燈影選書』、『西田哲学選書』『京都哲学選書』等を刊行していったが、西谷啓治先生が亡くなり、下村寅太郎先生が亡くなり、そして原野栄二先生が亡くなられて行った。そして西谷啓治先生に最高顧問を依頼した幹部の人も亡くなられた。つまり燈影舎の〝哲学書路線〟を引き継ごうという人がいなくなり、また哲学書自体が売れなくなっている昨今、燈影舎が〝哲学書路線〟から完全撤退を決め、『シェリング著作集』の打ち切りを決めたのも無理ならんことなのかもしれない。<br><br>そういえば、創文社も２０２０年に廃業を決めたという。では創文社から刊行途中の『ハイデッガー全集』はどうなるのだろうかと思ったりしている。創文社ももともとは原野栄二先生が編集長を務められていた弘文堂が廃業する際、退職金の代わりとして弘文堂から譲られた版権をもとに立ち上げられた出版社である。創文社の廃業は原野栄二先生の弘文堂時代の思い出がまた一つなくなっていくことのようにも思われる。<br><br>文屋秋栄の人には『シェリング著作集 新装版』の内容見本とか何かあれば自宅に送ってほしいと言っておいたが、燈影舎が『シェリング著作集』を途中で投げ出してしまったことは、ある意味、西谷啓治、下村寅太郎、そして原野栄二という燈影舎での時代が終わってしまったことを意味している。なんだかとても寂しい思いがしているのてある。</div>
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<pubDate>Fri, 19 Oct 2018 13:06:04 +0900</pubDate>
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<title>わたしたちは何のために存在するのか―柴山昌彦の〝教育勅語発言〟から</title>
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<![CDATA[ <p><br><strong>敎育ニ關スル勅語</strong><br>朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン<br>斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ<br>明治二十三年十月三十日<br>御名御璽<br>----------------------------------------------------------------------------<br><strong>高橋源一郎氏の「教育勅語」現代語訳</strong><br>「はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね」<br>「きみたち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです」<br>「その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと」<br>「そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません」<br>「もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください」<br>「というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです<br>「いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです」<br>「そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。以上！ 明治二十三年十月三十日 天皇」<br>****************************************************************************<br>上記は、明治天皇による「敎育ニ關スル勅語」、いわゆる〝教育勅語〟と、その〝教育勅語〟の高橋源一郎氏による「現代語訳」の全文である。<br><br>第四次安倍改造内閣で文部科学相に就任した柴山昌彦は、教育勅語について、「現代風に解釈され、あるいはアレンジした形で、道徳などに使うことができる分野というのは十分にある。普遍性をもっている部分がみてとれる」と述べたといわれる。<br><br>しかしそもそもこの柴山昌彦は〝教育勅語〟の制定理由、もっと言えば〝教育勅語〟を読んだことがあるのだろうか。<br><br>〝教育勅語〟とは、国家君主たる天皇の、臣下たる〝臣民たる国民〟に対して、天皇が〝臣民はこうあれ〟と命じたものなのである。つまり〝教育勅語〟とは、天皇の臣下たる〝臣民たる国民〟は、〝国難〟に際しては、国家君主たる天皇のために〝死ね〟と命じたものなのである。<br><br>天皇制とは、〝日本独自の伝統的な国家統治制度〟であって、柴山昌彦が言う「普遍性」等、どこにもはないのである。<br><br>わたしが恐れているのは、今回の柴山昌彦の〝教育勅語発言〟にしろ、片山さつきの〝天賦人権説の否定〟にしろ、<br><br><strong>〝国民は国家があって初めて国民であり、だから国家は国民の人権よりも優勢されるのだ〟</strong><br><br>という、〝国家主義〟傾向が色濃くなってきたように思われることなのである。この傾向の延長上に、あの杉田水脈の〝生産性発言〟もあるように思われるのである。<br><br>しかしわたしたちは、国家のため、日本国のため、もっと言えば、安倍晋三のために存在しているのだろうか。<br><br>そう考えると、あの〝教育勅語〟をあのように考える人物に文部科学大臣は絶対に務まらない、いや、務めされてはならないのである。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yaroan5022/entry-12410448636.html</link>
<pubDate>Mon, 08 Oct 2018 13:46:58 +0900</pubDate>
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<title>〝限りなく健常者といわれる人たちと同等なレベルでの労働能力を障害者と言われる人たちに求める〟限り</title>
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<![CDATA[ <p><b>社説 政府の障害者雇用率調査　義務果たす計画を早急に</b><br>　国の行政機関の８割が障害者手帳を持っていない人を障害者雇用率に算入し、その数は計３４６０人に上ることを政府が公表した。<br>　昨年のまとめでは、国の行政機関で雇用している障害者は約６９００人とされている。その半数がうそだったことになる。制度の根幹を揺るがす深刻な事態だ。<br>　厚生労働省のガイドラインでは、雇用率に算入できるのは障害者手帳を持っている人か指定医の診断書のある人だけだ。企業や省庁は障害者雇用数を厚労省に報告する際、手帳を確認することが定められている。<br>　「ガイドラインの解釈の仕方が違っていた」「手帳を確認する必要性を認識していなかった」などと各省庁の大臣らはコメントするが、そうした言い訳は素直に受け取れない。<br>　地方自治体でも障害者雇用の水増しがあることが報道で明らかになっている。その中には手帳を持っていないことを知りながら虚偽報告していた例もある。国の行政機関の８割が解釈や認識の違いだけで恒常的な水増しをしていたとするのは不自然だ。詳しく検証すべきである。<br>　省庁の雇用率は、水増し分を差し引くと平均１・１９％になり、法律で義務づけられた２・５％を大幅に下回る。１％未満の省庁は半数以上ある。国税庁に至っては１０００人を超える水増しが行われてきた。<br>　公的機関や企業で働くことを希望しながら、よい仕事に就けていない障害者は多い。中央省庁の水増しの分だけ、就労からはじき出された障害者がいるということだ。<br>　政府は加藤勝信厚労相を議長に省庁の官房長らで構成する連絡会議を設けて対策を検討するという。だが、新たに３５００人もの障害者を雇用するのは容易ではない。官邸主導で具体的な行程を定めた行動計画をすみやかに策定すべきだ。<br>　障害者差別解消法では障害者が働きやすくなるための合理的配慮が公的機関に義務づけられている。民間企業は努力義務にとどまっているが、優れた合理的配慮をしている企業は多い。各省庁は民間を参考にして真剣に取り組むべきである。<br>　もともと中央省庁は民間企業に範を垂れるべき存在として雇用率も高く設定されている。これ以上の背信や怠慢は許されない。<br>***************************************************************************<br>上記は、今朝の毎日新聞の社説「政府の障害者雇用率調査　義務果たす計画を早急に」の全文である。<br><br>〝「ガイドラインの解釈の仕方が違っていた」「手帳を確認する必要性を認識していなかった」などと各省庁の大臣らはコメントするが、そうした言い訳は素直に受け取れない。 〟<br><br>この中央官庁の「障害者雇用〝水増し不正〟問題」に関する報道のなかで、医師資格も持たない人事担当者が健康診断の結果を見て、〝障害者雇用率にカウントしていた〟という報道を見た。そもそも医師でもなんでもない、単なる人事担当者は何の権限があってそのような〝違法行為〟を行ったのか、その理由を聞いてみたい気がする。<br><br>もっとひどいと思ったのは、自分が障害者雇用率にカウントされていることを本人は知らなかったというケースがあったということだ。これはもはや〝名誉棄損〟であり、その職員の人権を冒涜する行為である。あるいは毎日新聞の報道によれば、〝死亡職員まで障害者雇用率のカウントに算入していた〟というのは、もはや〝犯罪行為〟である。<br><br>〝手帳を確認する必要性を認識していなかった〟<br>これは絶対にありえない。わたしは民間企業で障害者雇用業務を担当していたとき、会社が障害者雇用率にカウントしている社員の障害者手帳のコピーをすべて管理していた。もちろん障害を持つ社員には障害者雇用率にカウントすることについて事前の了解を得ていた。なかには障害者手帳を持っているのに、障害者雇用率にカウントされることを拒む人もいた。理由は〝障害者扱いはされたくはない〟ということであったが、社内に公表するのは、障害者雇用率という〝数字〟だけで、誰がカウントされているのかということは公表するものではないということで、本人の了解を得たこともあった。その時、障害者雇用を担当する人事担当者として、当社の環境がまだまだ障害を持つ社員にとって厳しい状態にあるのだなということを実感した覚えがある。<br><br>このような障害者雇用に携わってきたものとして、気になったのは下記の部分である。<br><br>〝公的機関や企業で働くことを希望しながら、よい仕事に就けていない障害者は多い。中央省庁の水増しの分だけ、就労からはじき出された障害者がいるということだ。/　政府は加藤勝信厚労相を議長に省庁の官房長らで構成する連絡会議を設けて対策を検討するという。だが、新たに３５００人もの障害者を雇用するのは容易ではない。官邸主導で具体的な行程を定めた行動計画をすみやかに策定すべきだ。〟<br><br><strong>〝新たに３５００人もの障害者を雇用するのは容易ではない。〟 </strong><br><br>障害を持ちながらも、〝働きたい〟という労働意欲を持つ障害者は少なくない。しかしその障害が重度であればあるほど、その〝労働機会〟は狭まっている。昔、ある報道番組で重度の身体障害者がハローワークに登録したいと出向いたことがある。しかしハローワークの職員はその人に対して〝あなたには労働能力はない〟と言って、登録を拒否した。その人は後日マスコミにその事実を紹介し、後日一緒にハローワークに出向いたときに、ようやく登録することができたということを見たことがあった。障害者と言われる人の〝労働意欲〟とハローワークの職員逝った〝労働能力〟との距離に、わたしは現代日本社会における障害者と言われる人の置かれている現状があるように思える。<br><br>しかしハローワークの職員が言った〝労働能力〟とは何なのだろうか。むしろ〝労働意欲〟を持つ障害者と言われる人たちが自分の持てる〝労働能力〟を最大限に発揮できるようにサポートすることが社会の使命であり、ハローワーク職員の使命ではないかと思ったことがある。<br><br>わたしたち民間企業では、障害者雇用率に算入されてもらうことを前提とした〝障害者雇用枠〟という健常者といわれる人とはまた違った〝採用枠〟を設けて障害者雇用を行ってきた。しかし中央官庁にはその〝障害者雇用枠〟自体も受けられていない。ということは、限りなく健常者といわれる人たちと同等な〝労働能力〟が求められる。つまり〝障害があるから〟と言って、健常者といわれる人たちとまた違った業務を行うことはできないということになる。<br><br>なのに、毎年購入していた内閣府発行の『障害者白書』によれば。中央官庁はすべて障害者雇用率は達成することはできていた。民間企業で障害者雇用を担当するものとしては、官庁でおみなっている〝障害者雇用に関するトール〟の公開を強く望んでいた。どうやって官庁は障害者雇用を行っているのか、そのツール、方法を教えてほしと強く願っていたのだ。<br><br>しかしすべてはウソであった。官庁の障害者雇用率は法定雇用率を達成するどころか、１．１９％と、わたしが民間企業で障害者雇用を担当していた頃の民間企業に無義務付けされていた１．８％にも大きく届かない数字である。そこにあるのは、<br><br><strong>〝限りなく健常者といわれる人たちと同等なレベルでの労働能力を障害者と言われる人たちに求める〟 </strong><br><br>という発想なのである。<br><br>しかしでは官庁は。そもそも「障害者の雇用の促進等に関する法律」（障害者雇用促進法）でいう「障害者」とは、「身体障害、知的障害又は精神障害があるため、長期にわたり、職業生活に 相当の制限を受け、又は職業生活を営むことが著しく困難な者」だと定められていることをどのように考えているのだろうか。<br><br>わたしには「障害者促進法」が適用されるのは民間企業だけであって、自分たち官庁には適用されないのだ゛と考えているとしか思えないのである。〝限りなく健常者といわれる人たちと同等なレベルでの労働能力を障害者と言われる人たちに求める〟という発想に正面から立ち向かい、それクリアしていかない限り、当然のことではあるが、新たに３５００人もの障害者を雇用するのは容易ではないであろう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yaroan5022/entry-12401197363.html</link>
<pubDate>Wed, 29 Aug 2018 14:31:27 +0900</pubDate>
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<title>『親鸞『教行信証』(現代語訳)―鈴木大拙の英訳にもとづく現代日本語訳』</title>
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<![CDATA[ <p class="heading">東本願寺出版部から『親鸞『教行信証』(現代語訳)―鈴木大拙の英訳にもとづく現代日本語訳』という書籍が刊行されていることを思い出した。</p><div class="body"><br>わたしがこの鈴木大拙によって英訳された、親鸞の主著である『教行信証』再度日本語訳されたという話は以前から聞いていたが、それが『親鸞『教行信証』(現代語訳)―鈴木大拙の英訳にもとづく現代日本語訳』として東本願寺出バンプから刊行されたということを知ったのは、2016年４月のことてあった。<br><br>『親鸞『教行信証』(現代語訳)―鈴木大拙の英訳にもとづく現代日本語訳』の内容紹介としては次のように書かれている。<br><br>〝本書は、国際的に名高い仏教学者・鈴木大拙氏による『英訳 教行信証』を、現代の日本人にも読みやすい形に日本語訳したものです。 『教行信証』は親鸞聖人の著作であり、原文は漢文で書かれています。その後、約50年前に大拙氏によって英訳されたものをこのたび、親鸞仏教センターによって現代日本語訳へと翻訳しました。 現代日本語訳に際しては、「英文の正確な理解に努める」、「大拙氏の個性を尊重する」、「仏教独特の用語を極力用いない」といった点に配慮しており、これは「仏教独特の基礎的な概念を全く持たない人が、親鸞聖人の思想を大まかにでも理解できるようなものとなるように」という願いのもとでの編集方針であります。 なお、2012年にオックスフォード大学出版局から発行された『英訳「教行信証」』改訂版と照らし合わせながら読み進められるようになっておりますので、そちらをお持ちの方はぜひ本書もお求めください。 〟<br><br>そして出版社である東本願寺出版部からのコメントとしては、<br><br>〝高名な仏教学者である鈴木大拙氏は、宗祖親鸞聖人七百回御遠忌(1961年)に際して、宗派からの依頼により親鸞の主著『教行信証』の英訳に着手され、大拙氏の死後は宗派内で英訳作業を引き継ぎ、1973年に『英訳 教行信証』が発刊されました。それから50年、宗祖七百五十回御遠忌に際して親鸞仏教センターにおいて編集を行った『英訳 教行信証(改訂版)』(オックスフォード大学出版局発行)が発刊され、本書はその現代日本語訳となります。 『教行信証』は親鸞聖人の著作であり、原文は漢文で書かれています。その後、約50年前に大拙氏によって英訳されたものをこのたび、親鸞仏教センターが現代日本語訳へと翻訳しました。現代日本語訳に際しては、「英文の正確な理解に努める」、「大拙氏の個性を尊重する」、「仏教独特の用語を極力用いない」といった点に配慮しており、これは「仏教独特の基礎的な概念を全く持たない人が、親鸞聖人の思想を大まかにでも理解できるようなものとなるように」という願いのもとでの編集方針であります。 本書の帯には『この国に生まれたのなら、生きている内に読んでおくべきだ。仏教独特の難解な言葉を用いない一気に読める『教行信証』現代語訳』という言葉を載せています。約750年前にしるされた『教行信証』の「おこころ」に仏教的知識を持ち合わせない現代人であっても抵抗なくふれることができる、まさに画期的な一冊だと思います。 〟（アマゾンより）<br><br>わたしが大谷大学に入学した頃、鈴木大拙、曽我量深、金子大栄、西谷啓治の四人は〝大谷大学四天王〟と言われていた。そしてその四人が宗祖親鸞聖人七百回御遠忌(1961年)に座談会を行い、それが『親鸞の世界』という一冊になっていた。大谷大学では、毎年卒業生にその『親鸞の世界』を〝無料配布〟していた。そのことを知った原野栄二先生が〝それは非常にもったいない〟として『燈影選書』の一冊として出版できないかと、東本願寺に掛け合ったりされていたことを思い出す。しかし東本願寺はうんとは言わず、『燈影選書』の一冊として『親鸞の世界』を世に問うことはできなかった。<br><br>しかしわたしはその本で鈴木大拙師が親鸞の『教行信証』を英訳されたということは知っていた。わたしも親鸞の『教行信証』には関心があり、会社勤めをしていた頃、３０代半ばの頃ではあるが、親鸞の『教行信証』の〝御自釈〟と言われる、親鸞が引用した経典や論、註に自らの解釈を書いた部分をノートしたこともある。そしていつかそのノートをもとに親鸞の『教行信証』に関してエッセイでも書きたいと思っていた時期もあった。そんな経緯もあって、鈴木大拙師の英訳『教行信証』には関心があった。<br><br>しかし２０１６年４月の時点では、まだいつでも購入することができると高をくくっていたが、東本願寺出版部のサイトを見たとき、〝在庫９５〟ということに気付いて、慌ててジュンク堂書店大阪本店に取寄せの依頼をした。<br><br>鈴木大拙師に関しては、西田幾多郎の〝友人〟であり、〝禅的真宗論〟とか〝真宗的禅学〟とかと言われるユニークの立場に関心があり、『日本的霊性』を再読したことからもう一度、鈴木大拙を考えてみたいと思い出したころであった。いずれにせよ、『親鸞『教行信証』(現代語訳)―鈴木大拙の英訳にもとづく現代日本語訳』を購入することにした。</div>
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<link>https://ameblo.jp/yaroan5022/entry-12400730021.html</link>
<pubDate>Mon, 27 Aug 2018 13:10:08 +0900</pubDate>
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<title>それでもわたしは声を挙げていく</title>
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<![CDATA[ <p><b>（社説）わたしたちの現在地　深まる危機に目を凝らす </b><br>　うその答弁に文書の改ざん、言いのがれ、開き直り――。民主主義をなり立たせる最低限のルールも倫理もない、異常な国会が幕を閉じて１週間になる。<br>　豪雨被害、そして酷暑に人々の関心は移り、不都合なもろもろを、このままなかったことにしてしまおうという為政者の思惑が、少しずつ、しかし着実に世の中を覆っていく。<br>　私たちの日本社会はいま、危うく、きわどい地点にさしかかっているのではないか。<br><br>　■忠誠が生み出す罪悪<br>　来月３日まで東京・岩波ホールで公開されている映画「ゲッベルスと私」の主人公ブルンヒルデ・ポムゼルは、第２次大戦当時、ユダヤ人虐殺を進めたナチスの宣伝相ゲッベルスの秘書として働いた。顔に深いしわが刻まれた１０３歳が語る。<br>　「私は、言われたことを忠実にやっていた」<br>　彼女が担った役割は、ナチスの犯罪のごく末端にすぎない。だがそうした小さな悪の集積が大きなうねりとなり、当時のドイツを破滅に追いやった。<br>　「私に罪はない」とポムゼルは言う。たしかに自分もその一人ではあった。でも、みんなが同じく加担したのだ、と。<br>　ナチス親衛隊の元中佐で、ユダヤ人を強制収容所や絶滅収容所に送りこむ実務責任者だったアドルフ・アイヒマンを思い起こす人も少なくないだろう。<br>　戦後逃亡して１９６０年に逮捕された彼もまた、自らの裁判で、上司の命令と当時の法、つまり総統ヒトラーの意思に忠実だったまでで、自分に罪があるとは感じていないと述べた。法廷を傍聴した政治哲学者のハンナ・アーレントは、権威への追従が重大な罪につながる「悪の陳腐さ」を指摘している。<br>　大きな流れのなかで一人ひとりの罪の意識は薄まり、上に立つ者の意を踏まえた無責任の構造が、「悪」を行うことへの抵抗をなくしていく。<br><br>　■奇っ怪な記録と記憶<br>　ナチスの所業と安易に対比することはできない。だが、森友問題でこの国の官僚が見せた態度に、相通じるものを見る。<br>　「文書の廃棄や改ざんの方向性を決定づけた」とされる当時の理財局長の下、多くの財務省職員が、およそ公務員にあるまじき行為に手を染めた。<br>　そもそも、優秀な官僚のはずの局長は、改ざんに走る以前に、なぜ基本的な事実関係すら確認せずに「記録はない」と虚偽の国会答弁をしたのか。この根本的な疑問に、財務省の調査報告書は答えていない。<br>　はっきりしているのは、「私や妻が関係していれば、首相も国会議員も辞める」と安倍首相が国会で発言した直後から、廃棄と改ざんに向けた動きが始まったということである。<br>　もう一方の加計学園問題でも不可思議な話が尽きない。<br>　元首相秘書官は、首相に不利に働く事実は頭の中からきれいに消えてしまい、その逆については鮮明に覚えているという、特異な記憶力を披瀝（ひれき）した。<br>　もうひとつ。獣医学部の新設をめぐって学園理事長と首相が面会していた旨の記載が、愛媛県の文書に残っていた。本当ならば、これまでの首相の答弁は根底から崩れる。すると突然、学園の事務局長が「私が県に誤った情報を伝えた」と言い出した。面会がないとしたら、前後の事実のつじつまが合わなくなるのに、お構いなしである。<br>　ジョージ・オーウェルの小説「一九八四年」の世界では、歴史は常に支配者の都合で書き換えられる。反抗した主人公は捕らえられ、「党」があらゆる記録や、個人の記憶まで管理するのだとたたき込まれる。<br>　首相の周辺で起きていることは、この約７０年前に書かれた逆ユートピア小説に重なる。<br><br>　■手遅れになる前に<br>　黒を白と言いくるめる。国会を愚弄（ぐろう）し、反対意見にまじめに向きあわない。権利や自由を縛る法律を力ずくで制定し、憲法を軽んじる。そんなことを続けても内閣支持率は底堅い。<br>　不満はあるが、経済はそこそこうまく回っているようだし、何よりとって代わる適任者が思い浮かばない。モリカケ問題が日々の生活に直接悪い影響を及ぼしているわけでもない。そんなところが理由だろうか。<br>　だが民主主義は、適正な手続きと真摯（しんし）な議論の交換があってはじめて成立する。その土台がいま、むしばまれつつある。<br>　危機の兆候を見逃したり、大したことにはなるまいと思ったりしているうちに、抜き差しならぬ事態に立ち至る。歴史が警告するところだ。<br>　そうさせないために何をすればいいか。政治への関心を失わず、様々なルートや機会を通じて、社会とかかわり続ける。あきらめずに行動し、多様な価値観が並び立つ世界を維持する。それらを積み重ねることが、くらしを守る盾になるだろう。<br>　なんだか息苦しい。そう感じたときには、もう空気が切れかかっているかもしれないのだ。<br>************************************************************************************************************<br>上記は、今朝の朝日新聞の社説「わたしたちの現在地　深まる危機に目を凝らす」の全文である。<br><br>この社説のなかでわたしが注目したのは、次の一節である。<br><br>〝　■忠誠が生み出す罪悪<br>　来月３日まで東京・岩波ホールで公開されている映画「ゲッベルスと私」の主人公ブルンヒルデ・ポムゼルは、第２次大戦当時、ユダヤ人虐殺を進めたナチスの宣伝相ゲッベルスの秘書として働いた。顔に深いしわが刻まれた１０３歳が語る。/　「私は、言われたことを忠実にやっていた」/　彼女が担った役割は、ナチスの犯罪のごく末端にすぎない。だがそうした小さな悪の集積が大きなうねりとなり、当時のドイツを破滅に追いやった。/　「私に罪はない」とポムゼルは言う。たしかに自分もその一人ではあった。でも、みんなが同じく加担したのだ、と。/　ナチス親衛隊の元中佐で、ユダヤ人を強制収容所や絶滅収容所に送りこむ実務責任者だったアドルフ・アイヒマンを思い起こす人も少なくないだろう。/　戦後逃亡して１９６０年に逮捕された彼もまた、自らの裁判で、上司の命令と当時の法、つまり総統ヒトラーの意思に忠実だったまでで、自分に罪があるとは感じていないと述べた。法廷を傍聴した政治哲学者のハンナ・アーレントは、権威への追従が重大な罪につながる「悪の陳腐さ」を指摘している。/　大きな流れのなかで一人ひとりの罪の意識は薄まり、上に立つ者の意を踏まえた無責任の構造が、「悪」を行うことへの抵抗をなくしていく。〟<br><br>最近、わたしはハンナ・アーレントの〝凡庸としての悪〟ということを考えている。アーレントは、悪とはそんなに根源的なことではなく、わたしたちの何気ない日所生活にあるのだと。<br><br>この社説でも〝大きな流れのなかで一人ひとりの罪の意識は薄まり、上に立つ者の意を踏まえた無責任の構造が、「悪」を行うことへの抵抗をなくしていく。〟だと、アーレントの〝凡庸としての悪〟を語っている。<br><br>では、時代の大きな流れのなかで、わたしたち一人ひとりは何ができるのであろうか。それは、たとえ小さな声であってとしても、<br>「それは違う」<br>と、声を挙げていくことではないだろうか。<br><br>〝■手遅れになる前に<br>　黒を白と言いくるめる。国会を愚弄（ぐろう）し、反対意見にまじめに向きあわない。権利や自由を縛る法律を力ずくで制定し、憲法を軽んじる。そんなことを続けても内閣支持率は底堅い。/　不満はあるが、経済はそこそこうまく回っているようだし、何よりとって代わる適任者が思い浮かばない。モリカケ問題が日々の生活に直接悪い影響を及ぼしているわけでもない。そんなところが理由だろうか。/　だが民主主義は、適正な手続きと真摯（しんし）な議論の交換があってはじめて成立する。その土台がいま、むしばまれつつある。/　危機の兆候を見逃したり、大したことにはなるまいと思ったりしているうちに、抜き差しならぬ事態に立ち至る。歴史が警告するところだ。/　そうさせないために何をすればいいか。政治への関心を失わず、様々なルートや機会を通じて、社会とかかわり続ける。あきらめずに行動し、多様な価値観が並び立つ世界を維持する。それらを積み重ねることが、くらしを守る盾になるだろう。/　なんだか息苦しい。そう感じたときには、もう空気が切れかかっているかもしれないのだ。〟<br><br>朝日新聞は、その社説で〝わたしたちの現在地〟、つまりわたしたちが今どこにいるのか、と問いかけ、その現在地が〝深まる危機〟に満ちているのではないかと示唆している。では私たちは、その朝日新聞の問いかけにどのように答えていくのか。<br><br>わたしは、自分の頭で考え、自分の言葉で、<br>「それは違う」<br>と声を挙げていくことだと考えている。それはきっととても小さな抵抗でしかないだろう。しかしそれでもわたしは声を挙げていく。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yaroan5022/entry-12394122882.html</link>
<pubDate>Sun, 29 Jul 2018 12:43:50 +0900</pubDate>
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<title>青木敬麿の〝二十世紀文化論〟―〝永劫に救いの途なき地獄の徒〟こそが現代の私たちの在り方だ</title>
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<![CDATA[ <p>人間が動物でなく人間であるゆえんは、自らの力の不足を知ることでなければならぬ。力の不足を知るがゆえに、原始人は手を使った。現代人の科学と雖も要するにこの〈手〉の発展にすぎない。然るに今や地上に人間の相手をする自然物がなくなった時、人はその〈手〉の起源を忘れて、自ら力の主座に坐った。ひとは、相手がないゆえに、そして各々自ら力の主座を以て任じるがゆえに、隣人を斥ける。ここに戦争がある。もはや相手は自然でなく、人と人との競闘である。主と主との相奪である。帰趨は明らかである。人はもはや取って喰ふ自然がないゆえに人を喰ふ。自ら自らを喰ふのである。何者、戦争は隣人がなくなるまで継続する。そして隣人がなくなるとき、自らもまた亡びる。文化は一時この滅亡を救うかに見えた。摩擦を恐れるがゆえに、言葉を飾った、服装を整えた、勤務の時間を定めた。かくして二十世紀の文化が出来上がり、西洋も東洋も一意文化の無限向上を信じた。街路は整頓された。建築物の高さも規制された。人間が形だけ蜂の政体を真似たのである。然るに真似は所詮真似にすぎない。人は各々本心においてこの政体を軽蔑しつづけた。かくして時間性は人間に懶惰を教えた。自治制は人間から自責の心を奪い去った。そして学校制は青年に働くことの愚かさを教えこんでしまった。二十世紀の文化は、頭を下げることを知らない。頭を下げるときは唯相手を利用し同時に軽蔑する時である。二十世紀の文化は、師父を知らない。師は年長の俸給生活者にすぎない。二十世紀の文化都市（世界中が今一都市である、）にあるものは、政治も教育も経営も戦争も、唯倦怠と洒落と賭博と無智である。そしてその尽くが、わが力を知らぬ、という一事に起因する。〈唯仏独明了〉―この言葉が今日の人に分かるであろうか。<br>***************************************************************************<br>上記は、青木敬麿著『善導和尚』（南窓社）中に綴られた、青木敬麿の〝二十世紀文化論〟である。<br><br>ここで青木敬麿は、〝二十世紀の文化は、頭を下げることを知らない。頭を下げるときは唯相手を利用し同時に軽蔑する時である。〟と書き記している。わたしには、この青木敬麿の言葉がとても心に強く突き刺してくるのである。<br><br>青木敬麿がこのような〝二十世紀文化論〟を展開するのは、『善導和尚』において自力難行、つまりわたしたちが自らの力で仏になれない、救われないというわが身の事実を知られば知るほど、他力易行、つまり阿弥陀如来が自らの名前を唱えるだけで救ってやるという言葉を〝聞く〟ということを説く場面においてである。<br><br>青木敬麿は、次のように書いている。<br><br>「自力行道を難行と知るときに、始めて他力易行の道が開けてくる。開けて来たのである。諸仏が弥陀になり、一切衆生が凡夫になったのである。衆生の根気勝れてあればあるほど、自力の危道が恐ろしいはすである。我が財を積み、我が児を養ひ、乃至は学問し、栄達して、心安らかなるを得る、と思い定めてある間は、大工でも大臣でも、斉しく凡夫である。否、我身を知らぬ俗見の徒は凡太すらいえぬ。永劫に救いの途なき地獄の徒である。地獄にあることを自ら知らぬゆえに真実の無間地獄である。」<br><br>青木敬麿がここに書き記した〝永劫に救いの途なき地獄の徒〟こそがわたしたち現代人のすかだであるとわたしは確信している。自らの祖父母やその祖父母たち、またわたしたち日本人の先人たちが沖縄や台湾、朝鮮半島、中国大陸で何を行ってきたのかもまともに知ろうとしないくせに、やたらに〝戦前の日本は何も他国がら貶められるような行いはやっていない〟と声高らかに叫んでいる。<br><br>今回の桜井義孝の慰安婦について、「について「職業としての娼婦、ビジネスだった。これを何か犠牲者のような宣伝工作に惑わされ過ぎている」という発言は、戦前の旧日本軍による慰安婦制度の実態について何一つまともなことを知ろうとはしていないだけではなく、戦前の公娼制度についても何一つ知ってはいない。<br><br>作家である斎藤美奈子氏は、東京新聞の〝 本音のこらむ 〟に「公娼の現実」という一文を書かれている。<br><br>「慰安婦問題の盲点の一つは,戦前の公娼制度である.。近世から昭和戦前期までの日本は集娼制をとり,娼妓となった娘たちは一定の場所(吉原など)に集められ,厳しい管理下に置かれた. 前借金に縛られた彼女らに事実上,廃業の自由はなかった. 国際常識でいえば「性奴隷」である。/それが明るみに出たのが1872(明治5)年のマリア・ルーズ号事件である. 中国人奴隷(苦力)を乗せたペルー船マリア・ルーズ号が横浜に入港した際,苦力の一人が脱走,英国軍艦が明治政府に保護を求めた. 時の副島種臣外相は苦力の解放に尽力するが,「日本にも奴隷制度があるではないか」と指摘され,あわてて芸娼妓解放令を出すに至った。/もっともそれは名ばかり解放令であり,公娼制度は維持されたため,激しい廃娼運動が起こる. 慰安婦制度はこうした公娼制度の戦地への流用と見ることも出来る。/朝日新聞の誤報を理由に「国が性奴隷を認めたという誤った認識を世界に与えた」と述べた安倍首相,「性的虐待も否定された」と決議した自民党の某委員会. 2007年,国会議員を含む有志がワシントン・ポスト紙に「慰安婦は性奴隷ではなく公娼」とする意見広告を出し,火に油を注いだことをお忘れかしら. 明治政府でさえ公娼は性奴隷と認識していたのだよ。 的外れにもほどがある。」（東京新聞2014４年10月８日）<br><br>この斎藤美奈子氏の「公娼の現実」というコラムによると、〝明治政府でさえ公娼は性奴隷と認識していた〟のだ。ましてや日本軍による慰安婦制度が〝性奴隷制度〟ではなかったという論拠は一体どこにあるのだろうか。<br><br>昨年末の日韓合意により、日本政府は、慰安婦制度に関して日本政府および日本軍の〝関与〟を認めた。そして日本政府は20億円の資金を日本政府が韓国政府が行う〝元慰安婦だった被害女性の名誉回復と福祉事業〟に出資するということを決めてきた。その代わり慰安婦問題を〝最終的かつ不可逆的に解決することを確認〟ということは、慰安婦問題を〝蒸し返す〟のは何も韓国側からだけではない、日本側からもである。<br><br>いわゆる「河野談話」以降の日本国内に「河野談話」そのものを否定する意見が飛び交った。それを見た韓国国民が怒ってソウルの日本大使館前に〝少女像〟を設置したのだ。慰安婦問題を〝蒸し返してきた〟のは、日本側であったことをわたしたちは忘れてはならないのである。<br><br>日本は、世界でも希有な国家である。というのは、日本は他国から侵略や植民地化された歴史を持たないからなのだ。ゆえに、長年日本に植民地化されてきた韓国や中国の人々の気持ちが分からないのである。いや、〝分からない〟ということさえ、分からないのである。<br><br>上記の青木敬麿の〝二十世紀文化論〟は、今日の世界を映し出し、わたしたちの在り方そのものを映し出しているように思えるのだ。青木敬麿の『善導和尚』という書籍が持つ今日的意味もそのあたりにもあるように考えているのである。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yaroan5022/entry-12358823716.html</link>
<pubDate>Fri, 09 Mar 2018 12:42:33 +0900</pubDate>
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<title>青木敬麿師の〝未刊の歌〟の自筆原稿が見つかる</title>
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<![CDATA[ <p>先日、引越のための机を整理していたら、下村寅太郎先生が恩師・原野栄二先生に送られた青木敬麿師の〝未刊の歌〟の自筆原稿が出てきた。<br><br>どうしてこのようなものがわたしの机のなかにあるのか、その経緯も思い出せない。晩年の原野栄二先生からいろいろなものを〝お預かり〟している。<br><br>たとえば、高山岩男先生と久山康氏との対談、『京大時代の思い出』というコピーや前川敏氏の久松真一先生の昭和22年度の『宗教学概論』ノートなどである。<br><br>これらは、原野栄二先生が一冊の書籍にしたいという思いがあって、手元に置かれ、そしてそれらがわたしの手元にあるのである。<br><br>晩年の原野栄二先生は、とにかくわたしに何でも預けられた。しかも梅田からの帰りのバスのなかで転倒し、寝たっきりになる前の、まだお元気だった頃に、「これを預かっておいてくれ」と雑誌類や原稿類をわたしに預けられたことは記憶にある。<br><br>この下村寅太郎先生が原野栄二先生に送られた青木敬麿師の〝未刊の歌〟の自筆原稿も、下村寅太郎先生が原野栄二先生に、この青木敬麿の未刊の歌の原稿を一冊の〝歌集〟として世に出してほしいという思いを込めて送られたものではないかと思えるのである。<br><br>この青木敬麿師の自筆原稿が〝未刊の歌〟であるとわかったのは、下村寅太郎先生が原野栄二先生に宛てられた〝手紙〟が添えられていたからである。<br><br>下村寅太郎先生の字は、達筆過ぎてわたしには判読がなかなか難しいのであるが、下村寅太郎先生が書斎を整理していた時に、たまたま青木敬麿師の〝未刊の歌〟の自筆原稿が出てきたらしい。そしてその原稿を原野栄二先生に贈るということを書いておられた。その原稿が今、わたしの手元にある。<br><br>しかしわたしにはこの青木敬麿師の〝未刊の歌〟を一冊の歌集として世に出す術がない。いや、〝歌〟のことさえ、分からないのである。今、〝青木敬麿の歌集〟と言って、どれだけの価値があるのかさえ、よくわからないのである。<br><br>歌集を専門に出版している出版社にでも連絡してみたいのであるが、歌集を専門に出版している出版社もよくわからないのである。こんなわたしがこの青木敬麿師の〝未刊の歌〟の自筆原稿をもっていても、〝猫に小判〟である。しかしなんとかしたいと考えている。<br><br>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sun, 31 Dec 2017 10:29:58 +0900</pubDate>
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