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<title>京都カウンセリングルーム　nagano yasuakiのブログ</title>
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<description>人生の総括として書き綴ります。どうぞよろしく。京都カウンセリングルーム（http://www.counselor-nagano.jp/)の主催者ですが、特にカウンセラーの立場からの発信ではありません。</description>
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<title>○生とは逸脱の連続性の上にこそ成り立つものではないか?</title>
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<![CDATA[ <p>○生とは逸脱の連続性の上にこそ成り立つものではないか?</p><p><br>人間とは逸脱する存在である。何から? たぶん、正常という論理から。あるいは正常という生活形態から。この世に生を受け、成長し、学習し、恋愛し、結婚し、子どもを産み育て、世の中に送り出し、そして老後と呼ばれる不可思議な世界に足を踏み入れ、己れの死を受容する、といった素描を正常な生活形態と仮に位置づけるなら、人間の生とは絶対に素描のままには終わらない存在である。つまりは生とは、逸脱の歴史と言っても過言ではない。それが人生さ、という居直りが、僕には白々しい言い訳などより、どちらかと言うと、よほどすがすがしい。何故なら逸脱こそが人生の真理の別の表現だからである。道徳や倫理観とは、生きる知恵のようなもので、逸脱し続けようとする生のあり方をいっとき正常な? 生の素描に近づけてくれる特効薬のようなものだ。脱線しながらも、何とか生の終焉を迎えることの出来る人たちは幸福である。自殺を試みた人間としての僕が言うのもおかしなことなのだが、やはり生を唐突に打ち切るような自死というのは、いかにも勿体ない、といまは思う。自死を選ぶ人たちは、原因は数え上げたらキリがないが、どのように言葉を繕ってみても、やはり根底には深い絶望感が横たわっているはずである。だからといって、僕は自死を選び取った人々が己れの絶望感に敗北したのだ、などと断罪するつもりは毛頭ない。むしろ、自殺を敗北だ、と言ってのけられる野放図な神経こそを軽蔑する。僕が自死が勿体ない、と言ったのは、絶望も生の、時折訪れる逃れがたい存在なのだから、それが深くともそれほどのものでなくても、やはり生きて、絶望の中に身を浸す価値がある、とは言いたい。苦しくて自らの身を掻きむしり、血を流しつつその場に身を伏せている、長い、長い、時間の経緯だ。投げ出した方がどれほど辻褄が合っているか、と思うだろう。</p><p><br>逸脱とは生の辻褄が合わぬ論理的思考といえば矛盾した言い方だが、たぶん敢えて定義すると、僕の裡では、こうなってしまう。その意味で自死は辻褄が合いすぎていて、潔癖過ぎる行為であり、思想である。途中から俄然おもしろくなってくるドラマを、投げ出して劇場を後にするようなものである。入場料が勿体ない。人生という劇場への入場料をドブに捨てるようなものである。<br><br><br>逸脱こそが人生だ。逸脱することに伴うあらゆる行為を僕は認める。ただし、他者に迷惑をかけぬことと、その究極の行為としての他殺は認めない。それ以外のことは生きていくからには大抵は認められる行為だ、と思う。苦悩も引き受けてこそのエピュキュリアンとしての生きざまだ。そう思う。</p><p><br>○推薦図書「滴り落ちる時計たちの波紋」 平野啓一郎著。文春文庫。文学こそが生の逸脱を表現する最も有利な方法でしょう。人間の暗黒の心の底の底まで描くことの出来る文学とはいいものです。その意味でこの平野の作品集をお勧めします。文学の底知れぬ可能性、生の底知れぬ可能性を表現している読みごたえのある作品です。お勧めです。いかがでしょう?</p><p><br><a title="" href="http://www.counselor-nagano.jp/" target="">京都カウンセリングルーム</a><br><a title="" href="http://blog.goo.ne.jp/yasnagano" target="">文学ノートぼくはかつてここにいた</a><br>長野安晃<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/yasuaki1953/entry-11711803952.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Nov 2013 11:45:11 +0900</pubDate>
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<title>○青少年よ、騙されてはいけない!</title>
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<![CDATA[ <p>○青少年よ、騙されてはいけない!</p><p><br>昔、職場には、「生理休暇」という制度があった。男の僕などに生理のつらさや出産の過酷さなど想像できるはずもないが、何気なく生活しているように見える女性が抱えている身体的な問題がもし男性に同じように振りかかってきたら、たぶん殆どの男性は音を上げるに違いない、と思う。そういう想像だけは出来る。「生理休暇」という制度は性差ということを暗に男の自分に分からせてくれるという意味でも大切な制度だった、と思う。勿論個体差というものもあるから、生理がつらくてたまらない女性もいれば、そうでない女性もいるに違いはないが、子どもをこの世界に生み出すための体の仕組みであってみれば、それは社会的な視野で弱き者を守る法的措置が講じられてしかるべきものだ。女性を大切に出来ないような社会はやはり屋台骨が腐りかけているとしか思えない。</p><p><br>もう遥か前の話になるが、男女雇用機会均等法が法制化されて、男女に社会的平等の社会が確立されたかのような錯覚を多くの人々は抱いただろう。しかし平等という概念は時として、過酷な競争主義を粉飾するための耳障りのよいスローガンとして利用される。これは怖いことなのである。日本の政府はアメリカが好きでたまらないようで、真似事ばかりしている。それどころか、アメリカの軍事基地さえいくつもいまだに存在し続けている。アメリカの核の傘の下に入っているなんて、とても危険なことだ。アメリカ神話なんてベトナム戦争の敗北で化けの皮が剥がれたはずだ。近いところでは、ニューヨークの貿易センタービルの壊滅的な崩壊。難攻不落だったはずのペンタゴンへの攻撃と破壊。それもこれまでアメリカの大国主義が馬鹿にし続けてきた小国の、命をかけたテロリズムに簡単にアメリカ本国が攻撃を受け、揺さぶられる時代だ。それに比べれば、日本の真珠湾攻撃なんてかわいいものだ、と思う。それでも日本はいまだにアメリカという国をお手本にしている。アメリカ自体が自己の存在理由を必死で捜し求めている混迷の時代に、だ。アメリカという国は素敵なところも勿論あるし、全否定などするつもりはないが、根底にはあのアメリカン・ドリームという弱者切り捨ての思想に侵された国だ。成功の機会は皆平等にある。誰にでもチャンスはものに出来る。社会的な不成功を云々するのは負け犬の遠吠えだ、という社会的勝ち組たちの結果論的思想、いや正当化という方が正確か? 日本の男女雇用機会均等法など、矮小化されたアメリカン・ドリームの焼直しではないか。女性という身体的な特徴を無視する弱者切り捨ての怖い法律だ。総合職という地位が会社の中に出来た。さあ、女性よ、頑張れば出世の道は男と同じように開かれた! という訳だ。しかし、本当にそうなのか? ごく少数の女性はそれぞれの社会でトップになってはいる。だが、こういう女性はどのような制度下でも成り上がってくる人々だ。所謂「鉄の女」だ。日本にもイギリス元首相のサッチャーたちが何人もいるのは確かではある。そうではあっても、いったいどれだけの総合職とやらについた女性たちが、その能力に応じた仕事を与えられているか? が問題なのだ。</p><p><br>日本は一体、どこに向かって突き進んでいるのだろう? 何度も書くが終身雇用制という制度が姿を消して、いつ何どきリストラに遇うやも知れぬ社会だ。アメリカはまだ仕事を換えてのキャリア・アップがある世界だ。しかし日本にはそれがそもそもない。リストラに遇えば、確実にキャリア・ダウンする。そもそも派遣社員とはなんぞや? 体の良いアルバイトではないか。以前、「ハケンの品格」などという人気女優を主人公にしたテレビドラマがかなりの視聴率を稼ぎ出した。が、これなどは派遣社員という名のアルバイト雇用制度を美化するだけのデマゴギー番組だ。質が悪い。誤解を恐れずに言えば、派遣社員に品格など与えられていない。そんな身分的保障はそもそもないのが派遣という残酷な制度だ。必要なのは品格ある正社員の雇用形態だろう。青少年よ、誤魔化されるな! そう僕は現代社会に向かって毒づきたい。</p><p><br>○推薦図書「アメリカン・マインドの終焉」 アラン・ブルーム著。みすず書房刊。以前に推薦した書です。今日の僕の観想と合致します。深い洞察があります。アラン・ブルームはどちらかと言えば保守主義の側の思想家ですが、保守主義者もアメリカの退落を憂いています。詳細な分析と洞察に富んだ書です。あらためて推薦します。</p><p><br><a title="" href="http://www.counselor-nagano.jp/" target="">京都カウンセリングルーム</a><br><a title="" href="http://blog.goo.ne.jp/yasnagano" target="">文学ノートぼくはかつてここにいた</a><br>長野安晃<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/yasuaki1953/entry-11711242626.html</link>
<pubDate>Sun, 24 Nov 2013 14:35:51 +0900</pubDate>
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<title>○心と身体という総体としての&lt;からだ&gt;について語ろう</title>
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<![CDATA[ <p>○心と身体という総体としての&lt;からだ&gt;について語ろう</p><p><br>心あってこその身体、身体あってこその心である。この両者を敢えて切り離すような思想は、開拓者時代からはじまった、アメリカのプロティスタンティズムという悪しき思考のスタイルである。とりわけ、身体がまいっているときにこの悪しき思想は有効である。心、即ち精神性が身体を支配するという考え方であるからだ。確かにある一面の真理はあるだろう。精神が身体を健全にするという表層的な意味合いにおいてはまさにその通りである。しかし、プロティスタンティズムの思想は、体力の限界性を超えても、精神さえ強固であれば持ち堪えられる、というかつて奴隷を縛ったそれである。</p><p><br>こういう発想は現代の日本にも顕著で、特にスピリチャルなものの流行がそれをよく証明している。スピリチャルな要素が勝てば、人間の身体性は無視される。あるいは控えめに言っても軽視されるのである。とりわけ昨今の怪しげな新興宗教の類はそのことをマスコミ報道から性的犯罪がらみの事件としてよく見てとれる。教祖と名乗る人物が信者の女性を信仰というベールをかぶせて性的暴行を平気で犯す。具体的にそういうエセものの宗教の名をここに書き連ねることもないだろう。もう誰もが知っている。</p><p><br>精神と身体という要素を切り離して考えるのは、従って多くの不幸を招きかねない。イスラム原理主義の一部の派閥は、精神性の崇高さを極端に唱えてみせる。彼らの思想からすれば、身体などは単なる血や肉の固まりに過ぎない。自爆テロがそのことの証左である。日本にもかつては、同じ種の原理主義的なものが若者たちの心を捉えて離さなかった。「葉隠」に隠された精神至上主義の、身体を犠牲にした自爆テロ、それはかつての神風特攻隊であり、人間魚雷回天の思想がイスラム原理主義のありようと同根であることをよく物語っているではないか。いや、日本のかつての軍隊が多くの南洋の島々で玉砕したのも、ある種の原理主義の横行である。日本的原理主義の現れであった、と僕は思う。</p><p><br>だからこそ、敢えて言いたい。人間存在とは心と身体との総合体としてこそ、意味あるものである、と。心と身体の総合体のことを僕はかりに&lt;からだ&gt;というひらがなで定義することにする。&lt;からだ&gt;とはどこまでいっても分離不可能な存在である。スピリチャルなある種乾いた存在である精神と、ぐちゃぐちゃとした粘液質の固まりである身体との一体性。いまこそ、こういう&lt;からだ&gt;の思想が根づかねばならない時である。それは、精神性だけが突出することもなければ、身体性だけが突出することもない。人間存在を大切にする思想である。</p><p><br>21世紀を生き抜く思想は&lt;からだ&gt;としての人間存在を認めることだし、&lt;からだ&gt;としての人間存在を底で支えているのは愛である。心と身体を分離する思想性には、愛が決定的に欠落している。だからこそ人間はどこまでも残酷にもなれる。愛は&lt;からだ&gt;としての人間存在の快復に欠かせない最も大きなファクターである。僕はそう思う。</p><p><br>○推薦図書「ヌルイコイ」 井上荒野(アレノ)著。光文社文庫。主人公のなつ恵は死に到る病を宣告されつつも気だるい愛と不安が漂う日常性の中で生きている。そういうある種の恋愛小説なのだが、この書にはもっと本質的な&lt;からだ&gt;として生きようとしている主人公の生と性に対する拘りがあります。何気ない表現の中にそういう要素が散りばめられています。</p><p><br><a title="" href="http://www.counselor-nagano.jp/" target="">京都カウンセリングルーム</a><br><a title="" href="http://blog.goo.ne.jp/yasnagano" target="">文学ノートぼくはかつてここにいた</a><br>長野安晃<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/yasuaki1953/entry-11710594064.html</link>
<pubDate>Sat, 23 Nov 2013 13:17:41 +0900</pubDate>
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<title>○うたた寝の観想を少し</title>
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<![CDATA[ <p>○うたた寝の観想を少し</p><p><br>僕は本を読みながらよく居眠りをする。とりわけ食事が終わって文庫本などをねっ転がって読んでいると気持ちよく眠りの中に落ちていく。しかし、一方で目覚めの方はいつもひどく悪い。憂鬱で、孤独で、世界から取り残されてしまったようなうんざりとする感覚。いつものことだ、と諦めはするが、今日は何故だか何でなの? という感慨に耽ることになった。結果が出た。たぶん間違いないと思うが、うたた寝の後の憂鬱な気分というのは、僕のごく幼い頃の体験と深く繋がり合っているようだ。<br><br><br>小学校に入る前の、幼いが妙に明確な輪郭を持った記憶。体が覚えてしまった記憶の名残りがいまだに自分を支配しているのか、と思うとかなり居心地が悪くなってしまった。当時、僕は神戸の同和地区のど真ん中の商店街の片角にひっそりと残っていた古ぼけたアパートに、両親と叔父叔母夫婦と伴に、別々の部屋で暮らしていた。ガラス製の大きな入口のドア、ドアには、廃れた臙脂色のビロードが破れかかったままに張りついている。廊下は広い。いや広すぎるつくり。古びて変色しているが、かなり凝った分厚い絨毯が敷きつめられている。部屋はやたらに多い。紅桜荘(ベニザクラソウ)という時代錯誤の名称。たぶんこの建物が出来てから変わることのなかった名前だろう。部屋の中は仕切りの壁が中途半端に真ん中辺りにあり、丸くくり抜かれている。幼い僕にもこの建物が何か口を閉ざしながら住み続けなければならない場所だ、ということが感じとれた。進駐軍相手の売春宿をアパートに転用した建物に僕たち家族はひっそりと暮らしていたのである。</p><p><br>ある日の夕暮れ時、叔母が何を思ったのか、医者からもらった茶色の水薬の小瓶を僕に見つからないようにミシンの裏に隠して出かけた。僕は、しかし、その様子をしっかりと目の端で捉えていたのである。風邪を引いても同じ色の水薬が普通に処方されていた時代だ。甘くて、舌に残る苦い味が僕の好みだった。ミシンの裏の小瓶は果して、僕の期待した色の水薬の小瓶だった。瓶の下の方に厚くたまった白い層があって、僕は味が落ちるといけないと思って、その小瓶を丁寧に振った。白い粉の層は水薬全体に広がって消えた。少し口をつけると慣れ親しんだ味がしたので、僕は一気に飲み干した。窓から見える夕暮れどきの風景がいまだに頭の中に焼きついている。少しずつ意識が遠のくのがとても気持ちよかった。たぶんそのまま畳の上で眠ってしまったのだろう。これが何度か死にかけた僕の生涯最初の死への極端な接近だったらしい。厚く溜まった白い層の粉は大人用に処方された強い睡眠薬だった、と後で聞いた。当時の睡眠薬はそれだけで死ねた。いまの軟弱な睡眠導入剤とは訳が違う。</p><p><br>うっすらと意識がもどるにつれて、自分が布団の上に寝かされていることや、僕の目の前には白衣の膝頭が見え、視線を移すと両親と叔父叔母が僕を覗き込んでいる。徐々に僕は覚醒していった。白衣の膝頭の上の方で「もうだいじょうぶですよ」という声がした。同時にどうしようもない嘔吐感に襲われ、枕元の小さな金たらいの上に吐いた。胃液だけが喉もとを上がってきたので、喉がやけるように痛かった。頭は割れそうに痛かった。同時に天井がぐるぐる回った。死から生への移行だ。逆も苦しいのだろうが、生き返るというのも苦しいのである。あの時、僕は言葉には勿論できなかったが、いまその感覚を言葉にすれば、それは世界から切り離された隔絶感であり、孤独感であり、憂鬱感であった、と思う。まる4日間の死への彷徨だった。そして同じ感覚が死が迫りつつあるこの歳になっても僕を支配している。だからうたた寝から醒めた僕の心はいつも重い。寂しくて孤独だ。</p><p><br>今度同じような体験をするのは確実に生から死への移行のときだ。もう覚醒の苦しみはないだろう。しかし、死の苦しみはあるだろうから、やはりそのときも世界から隔絶した、孤独感や憂鬱感を味わうのだろうか? たぶんそうなるのだろう。生と死は恐らくは同根だろうから。</p><p><br>○推薦図書「これで おしまい」 永倉萬治著。集英社刊。リストラされて途方に暮れる中年男、欲情と純愛のはざまでうろたえている青年、偏屈だが愛嬌ある老人。死の直前までこの書の出版にこだわり続けた永倉の最期の作品集です。</p><p><br><a title="" href="http://www.counselor-nagano.jp/" target="">京都カウンセリングルーム</a><br><a title="" href="http://blog.goo.ne.jp/yasnagano" target="">文学ノートぼくはかつてここにいた</a><br>長野安晃<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/yasuaki1953/entry-11709172024.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Nov 2013 11:03:39 +0900</pubDate>
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<title>○こんな学校もあるんです。</title>
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<![CDATA[ <p>○こんな学校もあるんです。</p><p><br>人の心の中は、崇高な愛の概念から忌むべき憎悪の感情まで様々なレベルの想念で埋めつくされているようだ。今日は僕の中でいまだにムカつく感情のいくつか、それはたぶん憎悪という感情に相当するが、そのことについて書こうと思う。不快ならば読み飛ばしてほしい、と思う。思い切り自分本意のブログである。己れの精神の浄化作用のためだけに書いているようなカスのような内容だから。</p><p><br>僕の勤めていた私立の中学高等学校で、なぜか僕は就職してからずっと高等学校に配属されていた。校務分掌の関係で、ある意味評価されていたからだろう、と思う。それ以外に理由を探す方が難しい。39歳の頃だったと思うが、中学からお呼びがかかった。教師たちは総じて中学校へは行きたがらなかった。何かと理由をつけて醜いほどの執着をさらけ出して高校にとどまる算段をしていたように思う。理由は簡単だ。高校生くらいになると、教師の少しくらいの失敗や授業のつまらなさを無視するか、見逃してくれる。そういう年齢だ。しかし中学生となるとそうはいかない。ダメ教師ははっきりとダメ出しをされる。露骨に態度に現してくる。高校で女子生徒たちに甘やかされて人間的にも、人生に甘えるようになってしまった教師たちにとって、中学配属は地獄の決断に相当する。だからみんな嫌がった。いきおい中学配属組の教師たちは新任の教師たちが殆どだ。中学行きを嫌がる教師たちの身代わりだ。その頃、僕の同期の数学の教師が高校の教頭になった。教師に成り立ての頃、しきりに僕に日本共産党に入党するように説得していた男だ。しかし、この男、理事会の偉いさんに取り入るようになった。恥も外聞もなく、というやつだ。よく一緒に飲みに行っては密談するようになっていた。この男の唯一の言い訳としては、日本共産党員が浄土真宗の支配する女子学園の教頭に食い込んだ、という理由だけだろう。しかし、そこにはウソがあるのは誰が見ても丸見え状態だった。奴は単に理事会に丸め込まれ、教頭に成り上がっただけだ。見え見えの一人よがりだ。近い将来は校長も夢ではない、と理事会を牛耳る悪徳坊主から約束された、と本人から直接聞いた。クソあほらしい! 共産党ももう少し党員の質的な向上を考えて、堕落した党員は追放すべきだな。だって共産党はいかにも優れた人材を宮本顕治時代に党からたくさん追放しているではないか。あの野坂参三すら共産党の歴史から葬ったわけだから。たくさんの学者たちも追放された。なのにあんなアホタレが教頭だなんて。いまだに党員だなんて、ほんとにクソあほらしい! 共産党員になんかならなくてホントによかった、と思う。<br></p><p>39歳で中学に行くことに決めた。英語教師としては腕の見せ所だった。英語で授業をやり通した。当然最近の保護者は教育熱と学歴は高いので、それで大学へ入れるのか? という強烈な批判もあったが、僕は屈しなかった。僕を支持する保護者もたくさんいたからだ。英語熱は高まる一方だったが、僕に反発してくる保護者たちの思考はなぜか同じように屈折していた。時代の変化は感じとっているはずなのに、彼らは一様に、自分たちが何十年か前に受けた古ぼけた英語の授業が、自分たちの考える授業の規範になっていたということだった。まったくどうかしている!</p><p><br>長年中学の教頭をしていた教師が退職し、さて誰を次の教頭にするかが専らの話題になった。50前のまさに教師にしかなれなかったような常識知らずの国語の女性教師を何となく気が進まぬままに組合からも、校長に推薦というより裏交渉して、中学の教頭にしてしまった。これがまた大きな間違いだった。中学に「保護者の会」という自主的組織を立ち上げた。指導者は勿論僕だ。学園にも保護者会があったが、これは理事会のなすがまま、保護者会費も学園の言うがままに使わせるような、暇で金だけがある親たちの集まりだ。話にならない。だから中学から保護者会を実質的に変えてやろう、と密かにもくろんでいた。あるいは少なくとも保護者会を通じて理事会を脅かしてやろう、彼らに大枚の保護者会費を使い放題させてなるものか、という想いで心が疼いていた。「保護者の会」の活動がうまく軌道に乗った頃、生徒に対して授業に対する無記名のアンケート調査をする決議を上げさせた。当然中学の職員会議にも僕が提案した。多くの教師たちは無記名にこだわった。せめて記名アンケートにさせてはどうか? と反論してきた。絶対に譲らなかった。記名させれば自由に物が言えない。何せ生徒は立場が弱いのだ。押し切った。無記名アンケート内容が細かく検討され、実施された。アンケートの集計は「保護者の会」の大きな援助があって結果が出た。教頭になっていた国語教師は、年賀状に長々とその年の自分の国語教師としての活動を詳細に書いて来るような人間だ。自分の授業にも自信があったに違いない。が、結果は見事に裏目に出た。教頭の国語の授業が最も評判が悪かった。それ以来その教頭はことごとく僕に批判的になり、出来の悪い僧侶というだけで校長に成り上がった、これももと国語教師とベタベタとした関係性を築いていった。浄土真宗には地獄という概念があるわけで、この校長が死んだら絶対に地獄に落ちるだろうし、こんなつまらない坊主にへりくだる自己本意の女教頭だって同じように地獄に落ちるに決まっている。浄土真宗とやらがまともな宗派ならそうなって当然ではないか、と思った。そんなことを考えている自分に最も腹が立った。アホらしいことこの上ないからである。</p><p><br>僕が学校を辞めてから、この女性教頭は教頭職を降りて、その後半年も入院した、と風の噂で聞いた。たぶん癌だろう。復帰したらしいが、もう定年退職して生きているやら、死んでいるやら。どちらでもよい。前述の共産党員の数学教員上がりの教頭も、しぶとい坊主校長が生き残っているうちに、中学の教頭に理事会から特別に任命された、どこかの位の高い? 寺の坊主が教頭になった。たぶん理事会の気が変わったのだろう。あの学園で校長になるには、僧侶でなければなれない。あるいは得度するかだが、そんなことをして校長に成り上がっても本物の寺持ちの理事会の坊主たちに苛めぬかれて早死にするだけだろう。ずっと以前「散華した校長」というテーマで書いた校長は僧侶でもないのに得度して成り上がって、坊主たちに苛め抜かれて、53歳で通勤途中のバスの中で心筋梗塞であえなくこの世を去った。よかったではないか! 君は共産党員として、意識的に？少なくとも教頭にまではなれたのだから。風の噂に聞いたが、この数学教師、結局校長には任命されず、約束を反故にされて、位の高い？寺の僧侶が校長になったらしい。どこまでも腐った学園だったと心底思う。もう、こんな経験、思い出すのも止めにしたい。残された人生に暗い影を落としかねないから。</p><p><br><a title="" href="http://www.counselor-nagano.jp/" target="">京都カウンセリングルーム</a><br><a title="" href="http://blog.goo.ne.jp/yasnagano" target="">文学ノートぼくはかつてここにいた</a><br>長野安晃</p>
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<link>https://ameblo.jp/yasuaki1953/entry-11706475930.html</link>
<pubDate>Wed, 20 Nov 2013 11:57:26 +0900</pubDate>
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<title>○僕たちの多くは時代に取り残されよう、としている !</title>
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<![CDATA[ <p>○僕たちの多くは時代に取り残されよう、としている !</p><p><br>かなり前の新聞記事の内容を思い出した。それは確か以下のようなものだった。衝撃的というか、予測どおりというか、そんなアンケート結果が発表されていた。北大の準教授らによる学校の健康診断における精神状態の診断結果(うつ病)が、中学1年生ではパーセンテージにして約4.1％に達しており、大人の有病率が5％であるのと比べても、現代の中学生における精神疾患の発病率は大人とほぼ同じなのだ、と言う。嫌な予感が当たったという想いである。いずれにせよ大人にも青少年にとっても、一歩間違えば危ない世の中であることには違いない。</p><p><br>原因が分からないで、何故なのか? と苦悶しているのならまだそれだけ世の中がまっとうだ、ということである。しかし、もうこのような結果が出るのは現実の社会のシステムが証明している。なるべくしてなった結果がこれである。さらに言うとこの棲みにくい社会システムはどんどんと悪い方向へ向かおうとしている。21世紀という時代は、間違ったら立ち止まって後戻りする、という発想がまるでない。後戻りは時代の逆行だ、という泥沼の進歩?主義に犯されている。それも深く。まるでベトナムのジャングルで、あるいはアジアの密林の泥沼の中で、戦わずして疫病によって次々に倒れて朽ちていく、アメリカ兵や旧日本兵の姿に現代に生きる人々は似ていなくもない。</p><p><br>何度も書くが終身雇用制度という安全弁が脆くも外れた。会社は生涯懸けて働く場所ではなくなった。雇用されている側はいつもリストラや倒産の危険性と隣り合わせである。かと言って会社を渡り歩けば必ずキャリア・ダウンするのが日本という現状だ。安心して働ける足場がもうないのである。残業はあたりまえ。残業手当てが出ないという無慈悲で過酷な現実。消費税も上がる。勿論どのような世の中にも一部の所謂勝ち組の人々がいるから、その人たちにとって消費税が上がることなんてどうってことはないにしても、勝ち組に入れなかった人々はそういう人々を眺めつつ、指をくわえて見ているしかない。</p><p><br>いったい、いま、われわれの前に明るい材料などあるのか? もう絶望して笑うしかないのではないか? それにしても暗い笑い、だ。悲しい時代だ、と思う。だからと云ってはなんだけれど、僕の好きな作家の、ヘンリー・ミラーの作品の「愛と笑いの夜」みたいに、世界を少々突き放して視てみてもいいのかも知れない。</p><p><br>○推薦図書「殺される側の論理」 本多勝一著。朝日新聞社(文庫)。近代戦争を素材にした本多の優れた考察ですが、もはや時代は戦争並です。それが現代という時代なのかもわかりません。「殺される側」からの論理で時代を見返す必要がいまこそある、と僕は感じます。お勧めの書です。</p><p><br><a title="" href="http://www.counselor-nagano.jp/" target="">京都カウンセリングルーム</a><br><a title="" href="http://blog.goo.ne.jp/yasnagano" target="">文学ノートぼくはかつてここにいた</a><br>長野安晃<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/yasuaki1953/entry-11703601244.html</link>
<pubDate>Tue, 19 Nov 2013 09:11:51 +0900</pubDate>
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<title>○感傷という装置</title>
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<![CDATA[ <p>○感傷という装置</p><p><br>感傷というと満たされない現在に窮して、かつてはある程度の喜びに恵まれた過去という存在をことさら美化し、現実を忘却の彼方へと押しやる、負のイメージを想起することが多いと思う。勿論こういう考え方を言下に否定するつもりは毛頭ない。何故ならそれは、かなり精度の高い定義ではあるからだ。特に人生の昇り坂にいるような人々にとっては、未来だけを見据えているのであって、過去へのいざないの装置である感傷という概念こそが、未来への加速には不必要な負荷をかけてしまう邪魔ものにしか感じられないのであろう。それはそれでよい、と思う。<br>&nbsp;<br><br>ただ、僕くらいの、人生の折り返し点をとっくに越えてしまった人間にとっては、そろそろ過去を見返す時期に来ているのではないか、と思う。そして、そのための心の装置の一つとして在るのが、感傷という思念である。さて、その感傷という心の装置に身を任せてみると、いろいろなことが分かってくる。自分の過去の姿が鮮明に蘇る。自己の過去を美化するでもなく、無闇に切り捨てるでもない過去への身の落とし方、これが僕の云う感傷という装置の意味である。</p><p><br>さて自分の過去を具体的に振り返ってみよう、と思う。小・中・高・大までの生きざまは、ジタバタもあったがまずまずだ。たぶん人によっては、僕と同じような生きざまに晒されたら、ポキリと折れてしまう人もいるだろう、とは思う。だがいまさら、それをどうこう言うつもりはない。ただ苦しくはあった、と総括しておこう。</p><p><br>僕がこだわっているのは、苦悩の只なかにあった自分の生にではなく、むしろ、やっとまともに仕事にもつき、それほど恥ずかしくはない社会的生活を送った教師としての23年間であり、そしてその生活に伴う結婚生活の21年間の顛末についてである。まず教師という仕事についてはどうだったのか? 僕にはたくさんの教え子がおり、素朴にも僕は時折はその教え子たちの心の中に過ぎ去った過去の欠かし得ない人物の一人として登場するもの、といういかにも素朴な感慨を抱いていたのである。そして同僚たちのことだ。確かに切れ切れではあっても仕事を通じて心が繋がり合った、という実感を持っていたのである。結婚生活の21年間もそれほど家庭を無視した覚えはない。むしろ子どもには手をかけた父親だったと思う。ただ、少し昔風の父親像として子どもたちには接してきたのかも知れない。とは言え家庭の運営をかつての妻に任せきりにした覚えはない。今のように紙おむつが普通に使われる時代ではなかった。サラシの生地のおむつを洗うのが僕の仕事の一つだった。哺乳瓶を煮沸消毒するのも同じように僕の仕事であった。そして子どもたちを風呂に入れることも。子どもの具合が悪い時、まだ授乳期にある息子たちのウンチをなめたことも何度もある。色と味で子どもの健康が分かるのだ。そういう父親だった。</p><p><br>僕の宗教的妨害による坊主たちの積年の恨みで仕事がダメになり、教師生活にピリオドを打つことになった。教師には失業手当ての制度がない。辞めたその月から給与が止まり、失業手当てもなく、47歳にして僕はやはりジタバタしていた。妻の態度が豹変した。稼ぎのない夫に早くも愛想が尽きたのだ。彼女は、僕の退職金や貯蓄や不動産を売って、いかに現ナマを多く取るか、日々奔走していた。残り少なくなった現金で急いで車の免許を取った。いまだ、金のあるうちにやってしまえ、という訳だ。彼女の頭にあったのは離婚し、その後の生活に困らないこと、それ一点に目標が絞られたようだった。そういう姿を見て自分の結婚生活は完全な失敗だった、と悟った。人を見る目がなかったのだ。全てが自分の責任だ、と思った。</p><p><br>教師生活はなにがしかの手応えがあった、と思っていた。素朴にも。何人かの同僚と、何人かの教え子の将来を見てみたい、という欲求は強かった。これはメールでやりとりして、それほど見込みのない自分の未来への力にするつもりでいた。ある瞬間からどちらの側からもメールがピタっと来なくなった。中には縁切りを露骨に伝えてきたかつての仲間もいたし、完全に無視された人たちもいた。かつての生徒たちも僕から積極的にメールをする勇気を奪い去るような無視の仕方だった。自分の教師生活の全容を俯瞰した想いがした。自分の教師としての評価もかなり低いところで定まった。これこそが自分の実力なのだ、と思い知らされた。感傷という心の装置が、深く傷ついた自分を何とか慰めてくれた。虚しいが、当時の僕には必要なことだった。それなしにこれからの自分の残された人生の青写真は描けなかった。いま何とか生きていられるのはごく少数の人たちが、僕を見捨てずにいてくれるからである。自分の人生の最も光り輝く時代、人生の只なかで油が乗り切っている時代を僕は無駄に過ごした。大いなる後悔である。とはいえ、失敗の中にも、忘れがたい思い出もある。感傷という装置が多分間違いなく輝かしかったその時々に僕を誘ってくれる。決して自分を甘やかすつもりはない。感傷という心の装置によって生きる勇気を取り出しているのである。感傷の中に身を浸しているわけではない。あくまで、生を、残り少なくなった生を燃焼させるための生きる技術のようなものである。切ないが何とか生きていこう、といまは思っている。<br>&nbsp;<br><br>○推薦図書「水の恋」 池永 陽著。角川文庫。生の切なさを描かせたらこの人を抜かす訳にはいかないほどに僕は池永の良き読み手です。この書は人生のさまざまな鬱屈の先にあるたしかな希望と、その再生の物語です。恋愛小説としても一級品です。</p><p><br><a title="" href="http://www.counselor-nagano.jp/" target="">京都カウンセリングルーム</a><br><a title="" href="http://blog.goo.ne.jp/yasnagano" target="">文学ノートぼくはかつてここにいた</a><br>長野安晃<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/yasuaki1953/entry-11701059296.html</link>
<pubDate>Mon, 18 Nov 2013 09:21:31 +0900</pubDate>
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<title>○書ききれなかった告白を一つ</title>
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<![CDATA[ <p>○書ききれなかった告白を一つ</p><p><br>間違いの多い人間である。だからと言って何かに懺悔してすっきりと生き直すなどという虫のよい話もないだろう。真正面から受け止めるしかない。できるだけ自分を許そうとして命を永らえてきたように思う。とは言え、いまだに一つだけ自分を絶対に許せないことがある。これまで何度かそのことを書こうと思いながら、同じエピソードを角度を変えて書き続けてはきた。しかし、一度だけ目立たないように書いたが、書いた内容が、本質的にそれがどのような意味をもつことになるのか? については、触れることはなかった。今日はそのことについて書くことにする。懺悔の意味でなく、自分という人間の卑劣さを再認識するためだ。</p><p><br>神戸の福原という歓楽街で父がタクシーを降り立ったところへ、母がそれを事前に探偵社に調べさせて待ち伏せをし、父に向かって一直線に自分の全体重をかけてぶつかっていった。両の手には包丁が握りしめられていた。狙いは胸だ。スジ者のやくざが、抗争相手の鉄砲玉のチンピラに命を狙われて襲われる場面とそっくりそのままである。鉄砲玉のチンピラも同じように胸を狙うだろう。殺意がある人間なら誰だってそうする。父は刺された胸を押さえ、その場にうずくまった。警察が母を連行し、父は救急車で救急病院へ搬送された。殆どやくざ映画さながらの光景だった、と思う。</p><p><br>その頃、やっと大学に入り、学生運動の影を追い払おうとしていた矢先の出来事だった。父の搬送された病院に急いだ。夜の電車の窓に映る自分の姿が老人のように見えた。父はベッドを大きなビニールに囲われて、肺を刺し貫かれてウンウン唸っていた。医者はちょうど肺に溜まった血を脇の少し下の辺りに穴を空け、そこにスチール製のパイプ、いやビニール製だったかも知れないが、そのときの僕の記憶にあるのは父が、スチール製のパイプを穿たれた穴に差し込まれて、肺に溜まった血を抜かれている最中の光景だった。あれは治療というより拷問に見えた。父の苦痛がますます増大しているのが手にとるように分かった。見ているしかなかった。</p><p><br>夜が明け、昼近くになると警察がやってきた。何人いたか覚えていない。僕の記憶にはドカドカという警察官の足音しか残っていない。たぶん2、3人は来たのだろう。それが何を意味するのか、僕には分かっていた。母は殺人未遂者である。たとえ夫婦の問題であれ、訴えがあれば殺人未遂者として裁かれる。執行猶予はつかないだろうと直観した。僕は父の耳元に行き、様子を伺う振りをして、父に訴えるな! と小さくても強い調子で囁いた。父は二度頷いた。その足で警察の留置所へ母を引き取りに行った。これが僕の大いなる自己欺瞞であり、母に罪の大きさを悟らせなくさせた元凶である。結局、僕は自分のことしか考えていなかった。殺人未遂で実刑を食らった母を持つということの重さ。そのことによる自分の未来に対する暗雲たる想像図。就職もままならず、世界に毒づいている自分の姿。それらが次々に僕の頭の中を駆けめぐった。父に訴える気持ちがなくても、訴えさせるべきだった、といまはつくづく反省している。当時父は母の実家を抵当に入れて、多額の借金の穴埋めをして、家を出た。母にとって憎い対象であったのは容易に想像できる。だが、事件後の母は何事もなかったように振る舞った。母にしてみれば、父は当然の報いを受けた、という心情だった、と思う。自分の犯した罪の大きさは、するりと母の頭の中から滑り出てしまっていた。</p><p><br>この事件が契機で結局両親は離婚するが、父とは音信を絶やしたことはなかった。自分が犯した罪の大きさを自覚出来ない母を憎悪した。母とは音信を絶った。それでも何度か母にはこちらから連絡をし、関係の修復をはかったが、母から漏れ出る言葉は、あくまで父憎し、であった。父が母に与えた傷の大きさは分かる。しかし、だからと言って、やくざまがいの殺人未遂が相殺されるわけではない。その罪の重さを母に分かってほしくて、何度となく音信が途絶えながらも、僕は無駄と知りつつも関係の修復をこちらからしたのだろう、と思う。いや、正確には、自分の父に対する言葉の重さと己れのエゴイズムとを、母に罪の意味を悟らせることによって帳消しにしたかったのだろう。どこまで行っても卑劣な人間だ、と僕は自分のことを嫌悪しつつ、馬鹿な母をそれ以上に憎悪した。</p><p><br>父はこの傷が引き金になって、肺結核を患い、投薬で治すが、常に咳が止まらず、苦しげに58歳でこの世を去った。死因は肝臓癌だったが、遠因を探ればどうしても母の狂気の行為に行き着いてしまう。何度目かの衝突の末、何年か前のの正月、僕は母と縁を切った。母からも連絡はない。互いの葬式にも出ないだろう。父には懺悔したい気持ちが残り、母には、自分の犯した罪の大きさの意味を悟らせることなく、家族は解体した。僕に大いなる責任がある。あのときの父の耳元で囁いた言葉がなかったら、少なくとも母は罪人にはなっただろうが、まともな老人にはなっていただろう、と思う。</p><p><br>僕は自分の罪を背負いながら、生きていくしかない。これがこれまで書けなかった僕の告白である。</p><p><br>○推薦図書「リレキショ」 中村 航著。河出文庫。この物語には不思議な世界が広がっています。他人としての人間どうしが、軽いきっかけで心が繋がっていく様が何となくホッとさせてくれるのです。人間ってこんなふうにも生きていけるのか? という安心感を読者に与えてくれます。人間関係に疲れたときにでもどうぞ。</p><p><br><a title="" href="http://www.counselor-nagano.jp/" target="">京都カウンセリングルーム</a><br><a title="" href="http://blog.goo.ne.jp/yasnagano" target="">文学ノートぼくはかつてここにいた</a><br>長野安晃</p>
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<link>https://ameblo.jp/yasuaki1953/entry-11698724228.html</link>
<pubDate>Sun, 17 Nov 2013 11:31:55 +0900</pubDate>
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<title>○あれはいったい、どういう意味だったのだろう?</title>
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<![CDATA[ <p>○あれはいったい、どういう意味だったのだろう?</p><p><br>この頃20代の青年と話をすると、どういうものか無条件に彼らの主張を認めてしまう。知り合った青年が、人生の只なかで悩み、職につけず、宗教に救いを求めている話を聞けば、うん、それもよい、まだまだ若いのだ。今こそ生の真理を追求すればよいではないか! 生活などその後についてくる、と納得してしまう。別の青年が今の仕事に嫌な同僚がおり、職場に行けなくなったと聞けば、そもそもその嫌な中年野郎が悪い、そんな奴のいるところにこだわる必要などないではないか! 別の仕事も考えてみてはどうか、と口にしている。お堅い仕事の試験に二つも受かり、しかしそれを投げ出して、飲食業に身を投じた青年が、30歳までは一つのことにこだわるつもりはない、可能性をいろいろ試したい、と言えば、理由もなく頼もしく思えてくる。そうだ、そのとおりだから、思い切り自分の可能性を試せばいいんだ、と共感してしまう。大学を卒業して、海外の大学に入り直して、それこそ地球規模で働くんだ、という青年には、それこそが若さというものだ、オレにはそんな真似はできもしなかった。うらやましい限りだ。君の可能性は無限だ、と率直に思う。一流大学に入ってからなぜか大学の講義に出られない青年がいて、その理由を聞くと、自分にはなかった純粋な考え方をしていて、その場で身動きがとれなくなっている。それはそれでいいのではないか? 必ず君の疑問の答が胸に落ちる瞬間がある。それまで悩むだけ悩めばいいではないか。それが考える能力をもった人間の強さに繋がるんだから、と心底思う。</p><p><br>もう取り返しのつかない年齢になって、可能性という言葉が最も似合わなくなった自分から見ると、青年たちの悩みはそれぞれ重いが、それでも一生懸命だ、と感心させられてしまう。そしてその姿が美しくもある。自分が青年の頃、彼らのように純粋に悩みはしなかった。生活が成り立たなかった大学時代を何とか生き延びて、ただただ食えればそれでいいとよく考えもせず、教師という生業についた。結局失敗した。いろいろ理屈をつけてはいるが、結局は、青年の頃にもっと悩み、その果てに行き着いた結論であれば、たぶん私学の教師にはならなかっただろう、といまにして思う。宗教などにあれほど抗う自分の姿が想像できなかった。しかしよく考えて見れば、自分が筋金入りの無神論者でアナーキストである、という根底にある思想性を、食うために一旦ドブに捨てた。ドブに捨てたものだって、筋金が入っていれば、腐りはしない。いつかは泥の底からであっても太陽の光を受けて反射光を放つときが来る。僕の人生の失敗は、己れの思想の本質を裏切ったことだ。人生の失敗は当然の結果だ、と思う。だからこそ青年の苦悩を僕は決してオトナという視点で軽く見たり、割り切らせたりは絶対にしない。青年の頃の苦悩は、そのままに生の養分になる。これは間違いなく後年光輝くものだ。だから苦悩に妙な妥協などするものではない。中途半端に割り切ると手痛いワリを食らう。自分の人生で証明済みなのだ。青年よ、苦悩せよ!納得できない道に迷い込むな! </p><p><br>繰り返しになるが、自分の人生は失敗作だった、と認める。たぶん教師時代の僕であれば、苦悩に身を浸している青年諸氏に対して一々反論し、説得し、論破することだけを考えたことだろう。想えば、僕はそんな厭味な中年だった。人生の真っ盛りに青年の頃に自分の本質を誤魔化した化けの皮が少しずつ剥がれてきた。醜悪な中年だった、と思う。一方で自分の生活を合理化しようとし、その一方で合理化しようとする自分に腹を立てていた。矛盾だらけの中年男がそれなりの理屈を捏ねだしたら、それはそれでなにほどかの力がある。たぶん僕は捏造した生活理論を自分の二人の息子たちに無言の圧力で、押しつけてきたのだろう。説得も説教もした覚えはないが、自分が発する無言の弾圧の空気を二人の息子は敏感に感じとっていたはずである。苦悩する青年たちの向こうに自分の息子たちの姿が視えるような気がする。僕は息子たちの年齢の頃、やはり両親は離婚していたが、父には会っていた。無理なことを言う父だったが、無責任さから来るものなのか、敢えてそうしていたのか分からぬが、ともかく威圧感というものを感じさせない男だった。父と交わす少ない言葉、汲み交わす酒、火をつけあう煙草、お互いの体から吐き出される煙草の煙が空気中で交差する。父から得ていたものは、絶対的な安心感だった、と思う。離婚して二人の息子たちはそれぞれに成人しているはずだ。彼らは、僕がかつて経験したような安堵感を父親に感じることなく、息せき切って生きているような気がする。自分の無能さをつくづく感じる。連絡をとろうとすれば出来るはずなのだ。しかし彼らは僕を見限った。順当な結果だ、と猛省する。</p><p><br>もう家庭崩壊寸前のときに当時高校3年生だった下の息子が、「親父が70歳くらいになったら、そのときはきちんと話をつけに行くからな!」と言った。何の脈絡もなく。あの言葉はいったい何を意味しているのだろうか? 自分が70歳まで生きているとは到底思えない。息子の話は聞けないまま僕はこの世界から消えていくことになるのだろうか? どんな話をつけに来るのか聞いてみたい、と心底思う。父親として。いや、ひとりの死にゆく老人として。</p><p><br>○推薦図書「君たちに明日はない」 垣根涼介著 新潮社刊。リストラ請負人としての主人公の青年とリストラされていく人間たちの哀しくも切ない物語ですが、垣根の持味はやはり人に対する優しい視点です。僕の二人の息子たちもこんな厳しい世の中に生きているのでしょう。生き抜いてほしい、とこの書を読みながら願うばかりでした。</p><p><br><a title="" href="http://www.counselor-nagano.jp/" target="">京都カウンセリングルーム</a><br><a title="" href="http://blog.goo.ne.jp/yasnagano" target="">文学ノートぼくはかつてここにいた</a><br>長野安晃<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/yasuaki1953/entry-11696290979.html</link>
<pubDate>Sat, 16 Nov 2013 12:00:20 +0900</pubDate>
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<title>○浮遊している自分がいる!</title>
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<![CDATA[ <p>○浮遊している自分がいる!</p><p><br>若い頃に妙な妥協は絶対にすべきでない、と書いたことがある。やはりそれがよい、と今も思う。自分の裡の矛盾と徹底的に向き合ってほしいし、抗ってもほしい。確かにこの21世紀とは前がまるで見えない状況だから、困難なことは認める。僕の時代は時折訪れる不況の波があり、その時々で就職難が襲ってきた。僕も卒業の頃ひどい不況で、優秀な学生は安全志向が働いて公務員試験は80倍を超える自治体も珍しくなかった。勿論国家公務員の第1種の試験など、到底僕の当時のサボり倒した学生時代の不勉強さでは挑戦するなどと言ったら、友達にせせら笑われただろう。それに僕は文学部英文科なのだ。法律関係の勉強など出来る余裕もなかった。国家公務員の第1種のための勉強をしかけたこともある。もともとフランス文学志望だったのに、英文科に入ってしまったのは、自分のようなオケラの人間が、もしも教員になるとすれば英語の教師の需要はまだ大きいはずだ、と朧げながら思っていたという、つまらない的はずれな計算をしていたのである。たぶんロクな人間ではなかったが、大学に入るまでにかなりの精神的なエネルギーを人並み以上にジタバタと空費したことが原因で、深く考えるという粘着質なエネルギーを使い果たしていたのだろう。もう中年のおっさん並の発想しかなかったように思う。</p><p><br>でもその場凌ぎの考えほど脆いものはない。僕の場合はもっと早くに崩壊していればよかったが、じわじわと崩壊していったわけで、その崩壊感覚を加速したのも、やはり誰でもない、この自分という存在だったのだ。23年間の教師生活はまさに崩壊過程そのものだった、と思う。夫として、父親として、形だけは何とかやり通したつもりだったが、それも中抜け状態だっただろう。21年間の結婚生活の後半の10年間は確かに僕は家族に対する愛を喪失していた、と思う。仕事に逃げていた10年間だった。家族で夏休みには必ず遠方へ旅行した。が、ホテルに着いても何も楽しい気持ちは湧いて来なかった。夕食を終えると必ずと言ってよいほど、僕は家族を部屋に残し、ホテルのロビーで論文の構想を練っていた。ノートと万年筆は離さなかった。喪失した自分を、物を書くことによってなにほどか取り戻せるのではないか? と淡い期待をしていたに過ぎない。10年間学校の研究紀要に論文を書き続けたが、たいした中身のない駄文ばかりだ。それが僕というロクでもない教師という存在、形ばかりの家庭人という存在を暴露しているかのように、見事な駄文ばかりだった。気負いばかりが目立つ駄文だ。いま読み返しても何の魅力も感じない。崩壊感覚の過程で崩れるがままに気負って表現したものなどが人の共感を誘うはずがないではないか。僕の認識している限りにおいては、人間の崩壊感覚の姿を明確な意思力を持って小説という方法論でなし得た作家は野間 宏氏と武田泰淳氏の二人だけだ。彼らは崩壊感覚を小説世界で思想化し得た人たちだが、僕の場合は世界に向かって呪詛していたに過ぎない。それが僕の駄文の正体だ。比較の対象にもならない。野間 宏も武田泰淳も勝手に比較の対象に持ち出されてさぞや迷惑していることだろう。</p><p><br>教師を辞めた47歳から今日に到るまでの年月の内実は、はっきり言って、よく思い出せない。断片的な記憶がバラバラに頭の中を浮遊しているだけである。いま何とか飯を食えていて、屋根のある部屋でこうして読者のみなさんには大して実りもないことを書き散らかしていられるのも単なる偶然の結果に過ぎないのは何とも情けない。書き続けることによってひょっとすると何かの偶然で、自分の生きた軌跡の中に意味が見出せるかも知れぬ、というとんでもない見当はずれの行為を繰り返しているのかも知れない。ただ、いまは書きつづけるしか自分の存在理由が見つからないような気がしている。確信などない。おそらくは成り行きなのだ。偽らざる感慨だ。</p><p><br>○推薦図書「だれかのいとしいひと」 角田光代著。文春文庫。どこか不安定で、仕事にも恋に対しても不器用な主人公たちの繰り広げる青春小説です。角田はそれにしても表現者としてはあなどれない作家です。生の真実をかいま見せてくれます。実力派です。</p><p><br><a title="" href="http://www.counselor-nagano.jp/" target="">京都カウンセリングルーム</a><br><a title="" href="http://blog.goo.ne.jp/yasnagano" target="">文学ノートぼくはかつてここにいた</a><br>長野安晃</p>
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<pubDate>Fri, 15 Nov 2013 08:36:06 +0900</pubDate>
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