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<title>ピエロのブランコ</title>
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<description>「今」がとっても大切に思えてきた今日この頃。日々の徒然や心に響いた言葉、子育てをしながら感じたことを綴ってみようと思う。ブランコをこいでいる時のような、優しい風と光に包まれた時間が続きますように。</description>
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<title>寄り添う</title>
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<![CDATA[ <p>子供に寄り添うって、どういうことだろう。　</p><p><br></p><p>子供が試験を受けている学校の講堂でぼんやり考える。</p><p><br></p><p>３時間もあるのだから、家に帰って家事を片付けたり、外に出てカフェでゆっくり好きな本を読んで過ごしたりしても、きっと何も変わらない。</p><p><br></p><p>今の私のように学校の講堂でじっと祈るように、励ますように座っている母親が子供に寄り添っていて、外に出てこの時間を自分のために遣っている人はそうではない、とはやっぱり言えない。</p><p><br></p><p>でも、私はこの瞬間、子供に寄り添っていると実感している。実感したいから、ここにいるのかもしれないけれど。</p><p><br></p><p>この私の実感が当の子供に愛情として伝わることはないだろう。</p><p><br></p><p>でも、よく子供を急かすために</p><p>「時間は命よ。無駄に遣わないで大切にして」と言っている私なりの寄り添い方だとは思う。</p><p><br></p><p>他の人はどんな寄り添い方をしているのだろうか。</p><p><br></p><p>それぞれの親の思いが子供達に届きますように。</p><p><br></p>
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<pubDate>Thu, 02 Feb 2023 10:15:04 +0900</pubDate>
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<title>証</title>
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<![CDATA[ <p>特別な日々ではなく、むしろ何だか冴えないなぁ…なんて思っている日常でも、ひとたび病気などでその日常が失われてしまうかもしれないと思った時、一瞬にしてかけがえのないものに変わる。</p><p><br></p><p>今までの日常をこれからも変わらず続けていくことが最大のミッションとなり、切なる願いになる。</p><p><br></p><p>その願いが叶った今、私の毎日は本当にこれでいいのだろうかと心配になる。</p><p><br></p><p>他人には元気でいてくれさえすれば…とか、居てくれるだけで充分、などと心から思えるのに自分に対しては違っていた。</p><p><br></p><p>向上心を持って、前向きに、せっかくの人生なのだから、ずっと心の中で唱えながら生きてきた気がする。</p><p><br></p><p>頑張るのをやめるって、何だか怖くて勇気がいる。</p><p>その割に何を頑張っているのかもよく分からなくて、もしかしたら私は本心に蓋をすることを「頑張って」きたのではないか…と思ったりもする。</p><p><br></p><p>「人を信じなさい。しかし、その百倍、自分を信じなさい。」手塚治虫の言葉が心に染みる。</p>
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<pubDate>Sat, 03 Dec 2022 22:22:53 +0900</pubDate>
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<title>やさしさ</title>
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<![CDATA[ <p>「本当に優しいお子さんですね。」</p><p>そう言ってもらえて親として嬉しくないわけではないけれど、苦笑いしか出来ない私。</p><p><br></p><p>やさしい、よく気が付く子、と言われて心からほっとして喜んでいられたのは、いつまでだっただろう。</p><p><br></p><p>小さなことにもよく気付く繊細さ、それを優しさと言ってもいいのだろうか…。</p><p><br></p><p>他にも『粘り強さ』が「こだわりの強さ」に思えてきたり、『綺麗好き』が「潔癖」に見えたり。</p><p><br></p><p>子供のことをちゃんと知っておきたい、という気持ちが、一体真実は何処にあるのかと余計に私を疑心暗鬼にさせる。</p><p><br></p><p>自分で外したいと思っている心のフィルターは本当はないのかもしれないし、ついたままかもしれない。</p><p><br></p><p>結局、この人の本当の姿を知りたいと思う、それが愛情で、それだけでいいと思うことにした。</p><p>あとは、その時その時に得た自分の直感を信じるしかない。</p><p><br></p><p>心のフィルターをつけたり、外したりしながら、沢山の世界を重ねて観ていけたらいいと思う。</p><p><br></p><p>あまり大きなパラダイムの変換を気負い過ぎずに。</p><p>人のことも、自分のことも。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/yasuna3/entry-12772304060.html</link>
<pubDate>Wed, 16 Nov 2022 18:38:01 +0900</pubDate>
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<title>キラキラ</title>
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<![CDATA[ <p>学校で友達と話題になったのか、将来の夢を饒舌に話し続ける下の子供。</p><p>唐突に「お母さんは大きくなったら、何になりたいの？」と私にたずねてきた。</p><p><br></p><p>そばにいた上の子供が、プッと笑う。</p><p><br></p><p>「お母さんはもう大きくなってるからねぇ…」と時間稼ぎをしながら、思いのほか動揺している自分に気付く。</p><p><br></p><p>どんな答えが返ってくるのか、期待に満ちたまっすぐな瞳から目を逸らしながら、私は「もう2人のお母さんにはなれたから、次はどんな夢を叶えようかなぁ」と不自然に明るくなってしまった声で答えた。</p><p><br></p><p>それが約半年前。</p><p><br></p><p>昨日、食卓で下の子供が以前と同じような質問を夫にしていた。</p><p><br></p><p>「お父さんは大きくなったら、何になりたかったの？」</p><p><br></p><p>本人は気づいていないけれど、「なりたかったの？」と正しく過去形に直されているその問いかけに、私は一人で寂しさを覚えた。</p><p><br></p><p>子供が日々成長していることを実感しながらも、まっすぐな眼差しで私を戸惑わせた、あの半年前にあったキラキラした大切な何かが、子供の中から失われてしまったようで。</p><p><br></p><p>贅沢で勝手な親のエゴだなぁと思いながら、私自身は生まれてから今まで、どんなキラキラを何度落としてきたのだろうかと掴みどころもなく、もともとない記憶を辿るように振り返った。</p><p><br></p><p>もしかしたら落としたのではなくて、変化させてきたのかもしれないけれど…。</p><p>キラキラと引き換えに私はちゃんと何かを得ているのだろうか。<br></p><p><br></p><p>なぁーんにも考えずに、思いっきり無責任な未来を描いてみたくなった。</p><p><br></p><p>なれるかどうかではなくて、なりたい自分とか、遠くて大きな目標とか、生きている間に見てみたいものとか٩( ᐛ )و</p>
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<link>https://ameblo.jp/yasuna3/entry-12765131382.html</link>
<pubDate>Tue, 18 Oct 2022 21:01:04 +0900</pubDate>
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<title>私の時間</title>
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<![CDATA[ <p>1年程前、初めて受けた人間ドックでひっかかり、精密検査を経て年末に手術をした。</p><p><br></p><p>手術直後の一晩はICUに入ったのだが、ベッドの周りは薄いカーテン1枚で仕切られているだけなので、ICU内で交わされる会話は全て筒抜け状態(^◇^;)</p><p><br></p><p>夜11時過ぎ、私の左隣のベッドに8時間近い手術を終えた中学生くらいの男の子が運ばれてきた。<br></p><p><br></p><p>全身の痛みで眠れず、耳だけが鋭敏になってしまっている私は目を閉じたまま会話を聞いていた。</p><div><br></div><p>すぐに病室に入ってきた男の子のお母さんは、よく頑張ったね、何も話さなくていいから…と言いながら号泣し始める。</p><p><br></p><p>なかなか収まらないその声を聞きながら、「やっぱり子供のこういう姿を見るのは、お母さんはつらいよね…。」と母親の気持ちになってみたり、病院へ向かうタクシーの中からかけた電話口で泣いていた母を思い出して、「私も母にこんな思いをさせているのかなぁ」とベッドの上で娘に戻り、申し訳ない気持ちになったりした。</p><p><br></p><p>私の身体の中に「母親」と「娘」。</p><p><br></p><p>そして、その２つを客観的に観察している、もう一人の「私」。</p><p><br></p><p>私は一体幾つの人格？と感情を内包しているのだろうか。</p><p><br></p><p>こんなにも複雑で自分自身のこともよく解らないのだから、たとえ家族であっても他人を理解するなんて、とても無理なように思う。</p><p><br></p><p>でも、沢山の人を想いながら、心配しながら、あなたを解りたいと言いながら、私の時間を生きていけたら、きっと豊かな人生になるはず。</p><p>そう思いたい。</p><p><br></p>
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<pubDate>Wed, 28 Sep 2022 18:38:27 +0900</pubDate>
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<title>心の距離</title>
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<![CDATA[ <p>iPhoneの自動機能で突然、数年前に撮った子供の動画が出てきた。</p><p><br></p><p>画面には2人の子供が映っているけれど、心なしかカメラレンズが下の子供のことを追っている感じがする。</p><p><br></p><p>撮っている私の視線そのものなのだろう。</p><p><br></p><p>つい写真や動画の焦点が下の子供にいってしまうのは、私自身がこんなふうに在りたいと思う純真さや無邪気さがそこにあったり、なりふり構わず自己表現をしている子供が面白くて、なんだか心地良いから。<br></p><p><br></p><p>上の子供はそんな私の心の内を見透かしているのか、途中からカメラに近づいて撮影の邪魔をし始める。</p><p><br></p><p>今更ながら、度アップになった上の子供のおちゃらけた笑顔の下に見え隠れしている、寂しさや自己主張のようなものに、心が痛む。</p><p><br></p><p><br></p><p>ふと、3歳年下の自分の弟を思った。<br></p><p><br></p><p>何かを装ったり、頑張ったりしなくても</p><p>弟の「そのまま」が大人達を面白がらせ、癒している姿を、この家に馴染んでいるなぁと、私は心の距離を保ちながら見ていた。</p><div><br></div><p>長女の私は幼い頃から優等生風ではあるけれど、自分は個性と創造性に乏しい、つまらない人間だと思っていた。</p><p><br></p><p>両親の愛情を全身に感じながら、何故か頑張っていないと家族の一員として認めてもらえないような気がしていた。</p><p><br></p><p>「気がしていた」と今なら言えるのだけれど。</p><p><br></p><p>かつての自分と上の子供が重なり、複雑な心持ちになる。</p><p><br></p><p>子供は同じように可愛い…当たり前で、親が決して覆してはいけない前提。</p><p>私の中の心の声に耳を澄ませても、そこに偽りはないのだけれど、割り切れない何かが残る。</p><p><br></p><p>きっと子供は、未熟な私がまだ気付いていない、その何かを直感的に分かっている。</p><p><br></p><p>そんな子供に私が出来ることは、結局のところ、ひたすらに愛情を注いでいく、それだけ。</p><p><br></p><p>いつでも正しい親でいられなくても、いいかなぁ…。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/yasuna3/entry-12764750801.html</link>
<pubDate>Mon, 19 Sep 2022 15:16:41 +0900</pubDate>
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<title>半袖</title>
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<![CDATA[ <p>まだ昼間は30℃を超えているというのに、子供がロンTを着始めた。</p><p><br></p><p>長袖を着れないなら学校には行きたくない、と言われ、今回は早々に私が駆け引きに負けた。<br></p><p><br></p><p>私と子供の駆け引きは毎年6月に入る頃から始まる。暑くなっても、なかなか長袖から半袖になれないから、子供の両ひじの内側は汗疹だらけ。</p><p><br></p><p>ご褒美などで話をつけながら、何とか半袖に移行していく。</p><p><br></p><p>そして苦労しながらやっと半袖に慣れた頃、夏はもう終わるからと言って、子供はすぐにまた長袖になる。</p><p><br></p><p><br></p><p>数年前の学習発表会。</p><p>劇で猿の役をするというので茶色い服を用意したのに、本番の舞台の上でグレーのフリースを着たまま台詞を言っている子供を観て、私はため息をついた。</p><p>冬は長袖を重ね着するのだ。</p><p><br></p><p>兎にも角にも、長袖を着ていないと落ち着かないという。</p><p><br></p><p>普通じゃないかもしれない、何だか理解できない…そんな本音を沢山飲み込みながら、子供の全てを個性として受け入れようと覚悟を決めたはずなのに、</p><p>周囲から好奇な眼差しや心ない言葉を浴びせられて傷つく子供の姿は見たくないから、親として「注意」せざるを得ないという思いが覚悟と矛盾する言葉となって私が子供を傷つける。</p><p><br></p><p>きっと本当はちょっと個性的な子供をまだ受け入れられていない。</p><p><br></p><p>それでも、私は親であることを諦めてはいけないと自分に言い聞かせる。</p><p><br></p><p>毎日向き合っていると疲れてしまう日もあるけれど、吹き出すような楽しい笑い声とか、思いがけなく子供からもらえた優しさのようなものを糧に、子供がいつか「こっちの道を行ってみるよ。」と言って自ら私の手を離すまで、私は子供の手を諦めずにしっかり握っていよう思う。</p><p><br></p><p>数えきれない矛盾を抱えながら、子育ては続く…。</p>
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<pubDate>Sat, 10 Sep 2022 21:28:07 +0900</pubDate>
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<title>アメジスト</title>
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<![CDATA[ <p>久々に思い出したアメジストのネックレス。</p><p><br></p><p>高校時代からの親友が10代の頃に、何故か一度だけバースデープレゼントをくれたことがあった。</p><p><br></p><p>どうしたの？！と驚いている私に、別にいいじゃん！と彼女は笑うだけだった。</p><p><br></p><p>彼女が逝ってしまってから何年経っただろう。</p><p><br></p><p>最後に会ったのは彼女が子宮頸がんで子宮を全摘出し、抗がん剤治療も終えて自宅に帰ってきて間もない頃だった。</p><p><br></p><p>まさか会っていたその日も再発の影が彼女に忍び寄っていたなんて、夢にも思わなかった。</p><p><br></p><p>「これからはもっと自分のために生きようと思うの。私だって綺麗な服を着たいし、美味しいものを食べたいもん。子供のことで忙しかったけれど、少し楽をしようと思って。</p><p><br></p><p>まったくうちの旦那様は私の入院中にすごい食費遣っちゃってさー、ハーゲンダッツなんて食べちゃって…冷蔵庫のまずいアイスでも食ってろっつーの！」と愛らしい笑顔で最愛のご主人の愚痴を言っていた。</p><p><br></p><p>私の友人の中で一番頭が良くて、生きるエネルギーに溢れていた彼女だったが、たった１つ、ずっと理解出来ないことがあった。</p><p><br></p><p>最期まで生きることを諦めなかった彼女が何故、遺書を残していたのか。</p><p><br></p><p>生きたいとの強い意志と遺書を書くということが、どうしても相反する思いのようで、彼女が亡くなってから何年も私は考え続けていた。</p><p><br></p><p>でも最近、ようやく霧が晴れてきたような気がしている。</p><p><br></p><p>彼女が遺した手紙は、なりふり構わず辛い治療に立ち向かっていく覚悟だったのではないだろうか。</p><p><br></p><p>友人や家族に覚えていて欲しい自分の姿や、知っておいてもらいたい思いを残しながら、彼女は生きるために闘う意志を強くしていたのかもしれない。</p><p><br></p><p>自分の葬儀では友人達同士で知り合いになり、新しい友達を作って笑顔で帰宅して欲しい、と綴った彼女の精神性の高さに、いつか私も追いつきたい。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<pubDate>Sat, 03 Sep 2022 21:01:48 +0900</pubDate>
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<title>親が子供にしてあげられること</title>
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<![CDATA[ <p>先日、養老孟司先生の昆虫イベントに参加した。</p><p><br></p><p>箱根にある養老先生の別荘にて少人数で開催され、子供達が近くの原っぱで捕まえてきた虫を養老先生と一緒に顕微鏡で観察したりした。</p><p><br></p><p>養老孟司は物静かな方で、様々な質問に対して明確な回答はほとんどされない。</p><p><br></p><p>　「じゃあ、どうしたらいいのだろうか」と、なんでも答えを求めてはいけない。</p><p><br></p><p>自分の寿命がいつくるのか分からないのと同じで、子育てに答えは出ない。</p><p><br></p><p>子育ては親の修行なのだから。</p><p><br></p><p>親はただ子供の相手になってあげるだけ。</p><p><br></p><p>そして子供には、他人の目や周囲からの評価なんて気にならないくらい夢中になれる好きなことをさせてあげればいい。</p><p><br></p><p><br></p><p>ぽつりぽつりと語られる養老先生の教えに、</p><p>答えがあることを前提にいつも何かを探している自分に気付いた。</p><p><br></p><p>そして、宿題が終わっていない！とか遅刻するから急ぎなさいっ！！を子供に向かって連呼している私の日常を振り返りながら、子供ではなく私に課題があるのかもしれないとも思った<span style="-webkit-tap-highlight-color: rgba(0, 0, 0, 0);">。</span></p>
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<link>https://ameblo.jp/yasuna3/entry-12761403224.html</link>
<pubDate>Mon, 29 Aug 2022 16:56:09 +0900</pubDate>
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<title>遠まわり</title>
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<![CDATA[ <div>「たとえ不本意に思えても、ひとつひとつ目の前のことに精一杯取り組んでみる。遠まわりをするなら、意味のある遠まわりにしたいから。」</div><div><br></div><div><br></div><div>でも、意味って何だろう。成長の糧？学び？</div><div>意味のあるものとないもの、その線引きは私がしているだけ。</div><div>意味のないものとして、くくってきたものが多すぎてはいないだろうか。</div><div><br></div><div>先へ先へと進む為に、あえて置いてきたものの中に大切な何か、本当は意味を見出せる何かがあったように思う。</div><div><br></div><div>たまにはゆっくりと、景色を見ながら、“くくる‘’ことをせずに歩く心境を持ちたい。</div>
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<link>https://ameblo.jp/yasuna3/entry-12361722854.html</link>
<pubDate>Tue, 20 Mar 2018 10:17:18 +0900</pubDate>
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