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<title>浄土真宗親鸞会　横浜ミーティングルーム</title>
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<description>横浜の親鸞会会員のミーティングルームです。人生の目的（なぜ生きる）などについて語っていきたいと思います。</description>
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<title>未来の運命を決めるものは何か７</title>
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今、自分が受けている結果の全ては、過去の自分の種まきが生み出したものと知れば、善果には感謝となり、悪果には反省、向上の得がたい勝縁となるでしょう。真実の仏法を知らされ、因果の道理を信じている人は、悪い運命にあえば、自己の行為を反省し、善い運命に恵まれれば、より努力精進して無限の向上に努めずにおれなくなります。成功も栄達も皆、その人の努力精進の結果です。厳正な因果の理法を知らず、不平や愚痴を並べていると善い結果はきませんね。余計に苦しまなければなりません。現在の運命はかつての自己が創造し、未来は今
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<dc:date>2013-03-23T23:01:28+09:00</dc:date>
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<title>未来の運命を決めるものは何か６</title>
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「因」とは私の行為です。仏教では、行いとは心と口と体から評価します。これを三業といいます。身業・口業・意業の３つです。体でやる行いが身業。口で話す行いを口業、心でいろいろのことを思う行いを意業といいます。法律や道徳では、体と口の行いを問題にしますが、仏法では心も行いであると言われます。しかも心を最も重視します。心で思ったことを、体で行い、口で言う。あらゆる行為のもとだからですね。たとえて言うと心は火の元であり、体や口は火の粉です。火事が起きた時に、消防士はホースを火の元に向けます。火を消す時も、
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<title>未来の運命を決めるものは何か５</title>
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次に、「自因自果」は、自分の蒔いた種は、自分が刈り取らなければならないということです。他人のまいた種の結果が私に表れる「他因自果」もなければ、私の蒔いた種の結果が他の人にいく「自因他果」ということも絶対にないと教えられています。自分が勉強すれば自分の成績があがります。友達の成績が上がると思ったら、だれも一生懸命勉強する人はいないでしょう。お酒を飲んで酔っぱらって怪我をするのは飲んだ本人であって、隣にいる人がふらふらになるということは絶対にありません。ここで「因」と言われているのは「行為」のことで
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<dc:date>2013-03-09T23:47:46+09:00</dc:date>
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<title>未来の運命を決めるものは何か３</title>
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科学をはじめ、あらゆる学問は、この因果の法則に立脚しているのですが、仏教では特に私達の最も知りたい幸福や不幸の原因と結果の関係を教えられています。運命の因果関係ということです。仏教では運命と言う言葉を使いませんが、分かりやすく言うと運命ということです。突然ですが、「なぜ私は、日本に生まれてきたのだろう」と考えたことはありませんか。しかも、この時代に、この県で、この両親の元に生まれてきたか。生まれる国や時代が違うだけで、私の人生は大きく変わっていたに違いありません。「運命は何によって決まるのか」科
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<dc:date>2013-02-24T23:07:11+09:00</dc:date>
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<title>未来の運命を決めるものは何か２</title>
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因果とは「原因」と「結果」ということです。どんな結果にも必ず原因がある。原因無しに起きる結果は万に一つ、億に一つもないと教えられています。例えば、大海原に飛行機が墜落し、機体が海の底深く沈んでしまった場合、墜落の原因を知ることはできないでしょう。しかし、原因が分からないからと言って、「この事故に原因はなかった」と言う人がいたら変ですね。乱気流に巻き込まれたとか、鳥の大群がエンジンに突っ込んだとか、操縦ミスなど、必ず原因があったのです。原因不明となっただけです。「原因が分からなかった」ということと
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<dc:date>2013-02-15T22:39:57+09:00</dc:date>
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<title>未来の運命を決めるものは何か１</title>
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因果の道理は「仏教の根幹」です。仏教とは、仏の説かれたみ教えをいいます。２６００年前にインドで活躍なされたお釈迦様が、３５歳の１２月８日に大宇宙最高の仏という悟りを開かれ、８０歳でお亡くなりになるまでの４５年間、説いていかれたみ教えを今日、仏教と言われます。その根幹とは、仏教を一本の木とすれば、根っこにあたり、幹にあたるということです。根っこがなければ木は枯れてしまいますし、幹を切ったら木は倒れてしまいます。因果の道理が分からなければ仏教は全く分からなくなる！ということです。「道理」とは、三世十
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<dc:date>2013-02-10T22:59:37+09:00</dc:date>
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<title>比べて分かる仏教１０</title>
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６．清浄光（しょうじょうこう）貪欲を照らすはたらきです。救われても欲の心は変わりません。それが清浄光に照られされて、懺悔となり歓喜になるのです。７．歓喜光（かんぎこう）瞋恚を照らすはたらきです。怒りは、すべてを焼き尽くす恐ろしい心です。それが、歓喜光に照らされて、懺悔となり歓喜になるのです。８．智慧光（ちえこう）智慧がないために、因果の道理がわからないバカな心が愚痴です。自らの不幸を他人のせいにして恨み、他人の幸福をねたみ、そねむ。そんな者を照らして、「バカだなあ」と知らせてくださるのです。９．
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<dc:date>2013-02-01T23:58:05+09:00</dc:date>
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<title>比べて分かる仏教９</title>
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阿弥陀仏が、本師本仏とあがめられるのは、阿弥陀仏の、私たちを救うお力がズバぬけているからです。仏法では、仏の念力、仏力を「光明」といいますが、『大無量寿経』には次のように喝破されています。「無量寿仏の威神光明は最尊第一にして諸仏の光明の及ぶこと能わざる所なり。」”阿弥陀仏のお力は、諸仏をはるかに超えて、ずばぬけている”この弥陀のお力を、十二とおりに分けて教えられたのが、「十二光」といわれるものです。１．無量光（むりょうこう）阿弥陀仏の寿命には限りがないので、無量光といわれます。過去、現在、未来に
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<dc:date>2013-01-26T22:57:26+09:00</dc:date>
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<title>比べて分かる仏教８</title>
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諸仏からも見放された、煩悩具足の私たち。しかし、他人に嫌われるような子供は、なおかわいい親心のように、大宇宙の諸仏に見捨てられた極悪人なら、なおさら捨てておけぬと、大悲やるせなく、何とか救わねばならないと立ち上がってくだされたのが、阿弥陀仏といわれる仏です。ゆえに私たちは、阿弥陀仏のお力によってのみ救われることができる、と説くのが浄土仏教です。「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」といわれるように、地球上で、仏のさとりを開かれた方は、お釈迦さまただお一人です。そのお釈迦さまが、「私の尊い先生を紹
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<title>比べて分かる仏教７</title>
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だれよりも真剣に心を磨こうと努められて知らされた人間の実態を、親鸞聖人は、「煩悩熾盛の衆生」（歎異抄）と言われています。「熾盛」とは、燃え盛るということ。欲や怒りの煩悩が、燃え盛っているのが人間（衆生）である、ということです。これをまた、「煩悩具足の凡夫」とも言われます。「煩悩具足の凡夫」とは、煩悩に目鼻をつけたような人間、ということです。ちょうど、雪だるまは雪でできていますから、雪を取ったら何も残らないように、人間から煩悩を取ったら何も残らない。私たちは百八の煩悩を持っているどころか、煩悩の塊
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