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<title>認知症の母と暮らした１３年間の記憶</title>
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<description>１３年間の記憶を基に認知症や介護、ひいては人生の仕舞い方について考えて行きたいと思います。</description>
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<title>クリスマス</title>
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<![CDATA[ <p>介護施設に入所しておよそ１０ヶ月、クリスマスがやってきた。</p><p>でももう「クリスマス」すら認識できなくなっていた。</p><p>&nbsp;</p><p>いつも夢の中にいる様子。</p><p>話しかけると時折はっと我に返ったように「なに？」と言葉を返す。</p><p>私が笑うと「なんだねぇ」と言って笑い返す母。</p><p>&nbsp;</p><p>でも次の瞬間、またうつらうつらと夢の中に戻ってしまう。</p><p>亡くなる４ヶ月前の母の様子。</p><p>静かにそしてとてもゆっくり時間は流れていた。</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20161224/15/yoshi101962/70/ce/j/o0303040413828533640.jpg"><img width="220" height="293" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20161224/15/yoshi101962/70/ce/j/o0303040413828533640.jpg"></a></p>
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<pubDate>Sat, 24 Dec 2016 15:51:28 +0900</pubDate>
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<title>終わりは必ず来る</title>
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<![CDATA[ <p>認知症を発症してから在宅介護をしていた１２年間は、この状態がいつまで続くのかという思いに苦しんでいた。</p><p>イライラを募らせ、ときには母を怒鳴りつけてしまうことも。</p><p>&nbsp;</p><p>でも不思議なことに、残された時間はあまりないと悟ったとき、私の中からそのような感情は無くなっていた。</p><p>とにかく生きていてくれることに感謝する毎日。</p><p>この状態が永遠に続いて欲しいとさえ思っていた。</p>
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<pubDate>Sun, 18 Dec 2016 16:48:54 +0900</pubDate>
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<title>脳出血～リハビリ</title>
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<![CDATA[ <p>病院に着き検査の結果、ゴルフボール大の脳出血があることがわかった。</p><p>&nbsp;</p><p>年齢が年齢（当時９１歳）なだけに手術はせず、経過を観察すると言われた。</p><p>今思えばいつ亡くなってもおかしくない状況だったのだろう。</p><p>担当医にも覚悟はしておくように言われた。</p><p>&nbsp;</p><p>でもここからの母がすごかった。</p><p>数日後、容体が安定してくると少しずつしゃべり出し、リハビリも開始。</p><p>ひと月もすると自力で起き上がったり、会話すらすることができるようになっていた。</p><p>&nbsp;</p><p>私はこの時頑張って生き延びてくれた母に今もとても感謝している。</p><p>もしあのとき、家で亡くなってしまっていたら、病院に着いてもそのあとが無かったら、今の私は決して平穏ではいられなかったことだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>なぜなら、この時からお別れまでの１年４ヶ月は母が作ってくれた時間だと思うから。</p>
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<pubDate>Sun, 18 Dec 2016 16:31:00 +0900</pubDate>
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<title>最後の入院</title>
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<![CDATA[ <p>一昨年の今日（2014年12月18日）、在宅介護に終止符を打つことに。</p><p>&nbsp;</p><p>前日の夜、私の所属する団体の忘年会があり、明けて深夜に帰宅すると母は居間で横になっていた。</p><p>こたつから這い出、火の消えたストーブの前にいた。</p><p>&nbsp;</p><p>「寒いのに何でこたつから出てるよ。」</p><p>話しかけたがもごもごと何を言っているのかもわからない状態、動こうともしないので抱きかかえてこたつの中に入れた。</p><p>少し心配になり、私も一緒にこたつで寝ることにした。</p><p>&nbsp;</p><p>夜が明けて異変に気が付いた。</p><p>起こそうとしたが起きれない。</p><p>上体を起こそうとしても崩れてしまい、口元が歪み会話もできない状態。</p><p>病院が開くのを待ってかかりつけ医に電話をすると、すぐに救急車を呼ぶように言われた。</p><p>&nbsp;</p><p>１１９番に電話をして救急車を待つ間、母は一言だけ発した。</p><p>「なんで死ねん、なんで死ねんだ。」</p><p>なぜかこの言葉だけははっきりとしていた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yoshi101962/entry-12229729883.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Dec 2016 15:44:46 +0900</pubDate>
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<title>コンロが燃えている</title>
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<![CDATA[ <p>認知症を発症すると、まず鍋を焦がすと聞いていたが、母の場合も同じく鍋ややかんを火にかけたことを忘れて焦がすことから始まった。</p><p>&nbsp;</p><p>最初のうちは「あーっ、またやっちゃった。」と忘れたことを自覚していたが、日が経つにつれ使える鍋が減ってくると「私は知らない。」「あんたやっただら。」と自分がやったことを自覚できなくなっていった。</p><p>&nbsp;</p><p>そしてある日、仕事を終えて家に帰り玄関のドアを開けると家の中が煙で真っ白に！</p><p>居間にいた母はウトウトとうたた寝。</p><p>急いで台所にまわると鍋をかけたコンロ自体が燃え上がっていた。</p><p>あと少し帰るのが遅かったら・・・</p><p>&nbsp;</p><p>これを機にコンロは廃棄、つまみをはずせるタイプの一口コンロに置き換え、母が一人になるときにはつまみを隠して火を使えないようにした。</p><p>台所仕事ができなくなった母は寂しそうだったが仕方ない決断だった。</p>
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<pubDate>Thu, 30 Jun 2016 08:13:43 +0900</pubDate>
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<title>月命日</title>
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<![CDATA[ <p>昨日、母が亡くなってから２回目の月命日を迎えた。</p><p>&nbsp;</p><p>生前の母（認知症を発症する前）は毎朝、既に亡くなっていた自分の父、母、姉に手を合わせていた。</p><p>「お父さん、お母さん、お姉さん・・・おはようございます。」</p><p>何故かそれをしなければ一日が始まらない。</p><p>そんな感じがしていた。</p><p>&nbsp;</p><p>そのときその”何故か”は分からなかったが、今ははっきりと理解ができる。</p><p>私も何故か同じことをしている。</p><p>毎日水を換え、花を供え、ローソクを立て、母に語りかける。</p><p>そうせずにはいられない。</p><p>そんな気持ちになった。</p><p>&nbsp;</p><p>母はきっと孤独だったのだと思う。</p><p>私も今、そうすることで孤独に耐えている。</p><p>生きている間に気付いてあげられたら良かったのに。</p><p>そう思う。</p>
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<pubDate>Mon, 27 Jun 2016 22:03:24 +0900</pubDate>
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<title>まだら</title>
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<![CDATA[ <p>認知症の初期の状態を総じて『まだら』と表現することがある。</p><p>普通に日常生活を送っているように見えていても、時に脱線する。</p><p>記憶が繋がったり外れたり、そして段々まだら模様が大きくなって行く。</p><p>&nbsp;</p><p>母の場合もそうだった。</p><p>今言ったこと、今やったことを全部忘れてしまう訳ではなく、覚えていたり、いなかったり。</p><p>都合の悪いことを隠すこともあるので、時には忘れたふりをしているんじゃないかと勘繰り、介護者はついイライラを募らせてしまう。</p><p>私にとってはまだ紛れもなく母であるから、認知症であることをつい忘れ、怒ったり注意したりしてしまっていた。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、今思えばこの段階ではまだ感情のやり取りが出来ていた。</p><p>親子の会話が成立していた。</p><p>分からないときには反抗するという形であっても。</p><p>だから亡くなってから会いたいと思うのは、この頃の母である。</p><p>何かもっとうまく接してあげられたのではないかと後悔するのもこの頃である。</p><p>&nbsp;</p><p>もしこの段階で悩んでいる介護者の方がいるようであれば、悔いの残らないようにして欲しい。</p><p>永遠と思われるこの時間は、いずれ終ってしまうということを覚えておいて欲しい。</p><p>&nbsp;</p><p>私の場合は４～５年程度だった。</p>
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<pubDate>Sat, 25 Jun 2016 00:01:03 +0900</pubDate>
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<title>予兆</title>
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<![CDATA[ <p>今になって思い返せば認知症を発症する少し前に予兆とも思える事件が度々あった。</p><p>&nbsp;</p><p>それは思い出せない自分の行動について無かったことにするというもの。</p><p>実際には記憶に無いのだから「無かったことにする」では語弊があるが、何度確認しても「知らない。」「私じゃない。」の一点張りで埒が明かず、仕舞いには怒り出してしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>そして「誰かがやった。」「あんたがやったんじゃないの？」と他人のせいにするようにも。</p><p>&nbsp;</p><p>もともとが頑固な性格だったので、自分の非を認められないのだと思っていたけれど、後の検査で古い脳梗塞の痕がいくつも見つかったことを思えば、これも認知症の初期症状だったのではないかと思える。</p><p>&nbsp;</p><p>顔を合わせれば口喧嘩ばかりしていたあの頃の母は、きっと何を言われているのか理解できず、またそのことをわかってくれない私にもイライラを募らせていたのではないかと思うと可愛そうなことをしたと心苦しい限りである。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yoshi101962/entry-12173296097.html</link>
<pubDate>Wed, 22 Jun 2016 17:16:37 +0900</pubDate>
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<title>既往症</title>
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<![CDATA[ <p>認知症が進み近所の掛かりつけの病院に連れて行ったとき、「お母さんはずいぶん前に狭心症の診断を受けて薬を飲んでいたはずだけど、どうしてた？」と聞かれた。</p><p>&nbsp;</p><p>実は認知症を発症する５年ほど前から「もう薬なんか飲まなくても大丈夫だから。」と自分で判断して通院も服薬も止めてしまっていたのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>そのことを医師に話すと、「薬を飲んでいたから大丈夫だったのに。残念なことをしたね。」</p><p>「薬さえ飲んでいれば、まだまだ認知症も発症せず健康でいられたかもしれないのに。」</p><p>&nbsp;</p><p>母の認知症の一因は動脈硬化であったらしく、医師はそれを指摘していた。</p><p>&nbsp;</p><p>私も病院で薬を処方されても途中で飲むのを止めてしまったり、もう治ったと自己判断して通院自体を止めてしまうことがあった。</p><p>&nbsp;</p><p>でも病院では必要だから薬を処方しているのであって、服薬も通院も止める時期を決めるのは医師だということを思い知らされた。</p><p>&nbsp;</p><p>母が残してくれたこの大切な教訓は、私だけでなく誰にでも起こり得ることとして、今後私に関わるすべての人に伝えて行けたらと思う。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yoshi101962/entry-12171992678.html</link>
<pubDate>Sat, 18 Jun 2016 19:13:06 +0900</pubDate>
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<title>はじまり</title>
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<![CDATA[ <p>母を見送ってから昨日でちょうど50日。</p><p>4日前の日曜日に五十日祭も終え、ようやく心も落ち着きを取り戻し始めた。</p><p>だから忘れないうちに記憶を留めておけるようブログを開設することにした。</p><p>時系列ではなく、思いつくままランダムに記載して行く。</p><p>私のこの体験が誰かの役に立つのであれば幸いである。</p><p>&nbsp;</p><p>今日のタイトルは『はじまり』</p><p>&nbsp;</p><p>はじまりは2003年の春。小春日和の暖かい朝のことだった。</p><p>当時、実家のすぐ近くのアパートに住んでいた私が家に立ち寄ると、「おかしいだよ。なんだかわからんけど、なんかぜんぜんわからなくなっちゃっただよ。」と母が椅子に座り憔悴し切っていた。</p><p>そのうち「わからん、わからん。」と言いながら「えーん、えーん。」泣き始めた。</p><p>&nbsp;</p><p>「どうしたよ。何言ってるよ。大丈夫だよ。」と声を掛け、その日は様子を見るために仕事を休むことにした。</p><p>&nbsp;</p><p>たぶんこれが認知症の始まった瞬間だったのだと思う。</p><p>数年後の検査で、古い脳梗塞の跡が5～6ヶ所あると病院で言われたのだが、それはこのときのものなのではないかと思っている。</p><p>&nbsp;</p><p>いずれにしても認知症は突然やってくる。</p><p>ただ、ある程度の予防は可能であると私は思っている。</p><p>そのことについては次回に触れたいと思う。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yoshi101962/entry-12171316052.html</link>
<pubDate>Thu, 16 Jun 2016 17:58:20 +0900</pubDate>
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