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<title>斎藤周吾</title>
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<description>歴史　小説</description>
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<title>真っ暗闇でも、目が見える。</title>
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<![CDATA[ <h1>私は、下記のヤフーを見て思う。</h1><div>私は74歳になるが、毎晩、寝る前に10分間、5回、目を閉じて、般若心経を唱えて眠る。</div><div>これが、20年以上続けている。</div><div>&nbsp;</div><div>ある時、自分の手がぼんやりと見えた。</div><div>最初は、目を開けているからと思って、アイマスクをしたが、</div><div>それでもぼんやりと見えた。</div><div>それが、ときたまみえる。</div><div>また、部屋の様子がぼんやりと見える。</div><div>目を開けているのか閉じているのか、その感覚がなくなる。</div><div>&nbsp;</div><div>私は、目が健常者なので必要はないので、それ以上の修行は必要がないので</div><div>やっていない。</div><div>&nbsp;</div><div>脳の松果体に第三の目があるので、松果体を活性化することは、第三の目を活性化することにつながうといいます。</div><div>全盲の方は、是非、松果体の活性化を試みていただきたいものです。</div><div>仏教では、第三の目を白毫（びゃくごう）、またはﾋﾞﾝﾃﾞｨｰと言います。</div><div>手塚治虫の漫画では『三つ目族』であろう。</div><div>&nbsp;</div><div>１２歳で盲目のババ・ヴァンガは、ヒットラーさえも訪ねて尋ねたというの予言者である。千以上ある予言で的中率は８５％。５０７９年に人類は別の惑星に向かう為、この世界は終焉する。</div><div>予言者には、全盲の人が多い。</div><div>琵琶法師を始め、健常者とは、違う世界を生きているためだろう。</div><div>&nbsp;</div><div>もし、目が不自由になったら、やっていただきたい。</div><div>&nbsp;</div><h1><a href="https://sdgs.yahoo.co.jp/featured/287.html?cpt_n=mailmaga&amp;cpt_m=em&amp;cpt_s=4&amp;cpt_c=&amp;cpt_k=ang_343916_195110105_20221109">「娘の顔が見えない」突然視力を</a>もし、目が不自由になったなら、<a href="https://sdgs.yahoo.co.jp/featured/287.html?cpt_n=mailmaga&amp;cpt_m=em&amp;cpt_s=4&amp;cpt_c=&amp;cpt_k=ang_343916_195110105_20221109">失った父が気づいた手の届く範囲の笑顔を守るという世界平和　音声ガイド付 | Yahoo! JAPAN SDGs - 豊かな未来のきっかけを届ける</a></h1>
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<link>https://ameblo.jp/youkouagu/entry-12773624824.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Nov 2022 11:58:07 +0900</pubDate>
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<title>有名女優の小島瑠璃子さん、なぜ、今、中国へ留学するのか。</title>
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<![CDATA[ <p>こじるりが知らない中国芸能界の闇<br>&nbsp;</p><p>という、タイトルで、妙佛 DEEP MAX　２０２２．８．１６で、<br>芸能人の小島瑠璃子の中国留学のユーチューブがあった。<br>&nbsp;</p><p>ここでは、<br>知名度があって中国に行くのは、儲かれば莫大な利益があるが、リスクも大きい。</p><p>すなわち、ハイリスクハイリターンである。<br>たとえば、中国で活動しようと思ったら、尖閣は中国の領土であると言わなくてはいけない。</p><p>そうなったら、日本には帰って来れなくなるという。<br><br>中国女優の范 冰冰（ファン・ビンビン）のように、</p><p>折角得た収入も、脱税容疑でつかり、以後の活動ができなくなることもある。</p><p>膨大な収入があっても、殆どの金は本人には行かず、別な所にながれるのも、中国の特徴だといわれる。<br><br>私は、こじるりの事は、今日、初めて知った。<br>ユーチューブを見ると、流暢な北京語でインタビューに答えている。<br>以前から、中国へは並々ならぬ関心があったようだ。<br>映像で見る限りのこじるりは、目が輝き、笑顔にも自信がある。</p><p>積極性があり、前向きな考えの人のようだ。<br>むしろ、危険だ、中国国内は争乱のちまただ、と周りが言うほど、情熱が湧くのであろう。<br>こういう人は、１０年後に日本に帰ってくれば、日中友好の政治家としても成功するであろう。<br><br>かくいう私も、中国の古代史は、子供の頃から親しんでいた。<br>奈良時代の唐留学僧の霊仙は、憲宗皇帝の側近として仕えた優秀な僧であった。<br>余りにも優秀過ぎて唐の機密を知ったとして帰国を許されない。最後は五台山で暗殺された。<br>こじるりも、死んで元々の覚悟でチャレンジするのであろう。<br>織田信長は、刀の刃先を渡ることで生きがいを感じたという。<br>こじるりも、女の幸せより、人としての生き甲斐を追求したいのであろう。<br>理性ではなく、心の底から燃えあがる何者かに突き動かされてゆくのであろう。<br>いわば、天才型の衝動性格のようだ。<br>初めは、私は政治の事には関心がありませんとして活躍するであろう。<br>&nbsp;</p><p>いよいよになったら、<br>「尖閣は、日中友好の掛け橋の島にしたい」と言えば、どちらにも、義理を尽くすことになる。</p><p>それでも駄目なら、中国に骨をうずめるか、帰国するかであろう。<br>だが、１０年後の中国は、日本以上に変化しているであろう。<br>その理由は、</p><p>中国だからである。</p><p>それが、中国の歴史だからである。<br><br>したたかさもあわせもつ人であろうから、日本女性活躍の嚆矢になっていただきたい。<br>日本も、立派な母になれという大和撫子の考えから、神功皇后のような傑女がで生まれつつある。<br>中国での活躍をお祈りしたい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/youkouagu/entry-12759083041.html</link>
<pubDate>Tue, 16 Aug 2022 10:29:28 +0900</pubDate>
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<title>ネバーギブアップ　雉も鳴かずば　原発事故に思う</title>
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<![CDATA[ <p><font size="4">    雉も鳴かずば射たれまい。（原発事故）<br>　<br>　報道では、消火活動に当たっている自衛隊機が、放射能が強くて福島の原発上空には近づけないという。<br>　原発敷地に引く電線の架設工事の進捗もはかばかしくない。<br>　<br>　太平洋のミッドウェー海戦で、航空作戦を第一航空艦隊航空参謀の源田實は、<br>　英国に留学した時の話しとして、『海軍航空隊始末記』、の冒頭に書いている。<br>　<br>　以下は、<br>　英国は、ジェントルマンシップにより、公衆道徳の発達していることは到底日本の比ではないと前置きし、<br>　第二次大戦中、独軍によって敷設された磁気機雷の数はおびただしい被害を英国にもたらされた。<br>　海上のライフラインを絶たれたら、島国の英国は完全に乾上がる。<br>　危機的状況の英国海軍は、一定の数の人を選定して機雷の分解を強行する事にした。<br>　これらの人は順序に従って一人ずつ機雷の分解に当たるのであるが、<br>　ただ一人だけ機雷に近づいて作業する。<br>　他の人々は、爆発しても被害のない程の距離で記録をとる。<br>　第一の人は、ボルト一本外しても、<br>　「どこどこのボルトをどうやって外した」「どの覆いをとった」「次には何をどうする」という風に報告する。<br>　この方法でいけば、完全分解まで何度か爆発する。<br>　これによってその人は死ぬが、危険な場所は1箇所確認される。<br>　<br>　次にはこの場所に触れないようにして分解を進める。<br>　英国海軍は、幾人かの貴い生命を犠牲にしたあと、機雷の秘密を知った。<br>　<br>　握ったあとは、全英国船舶に機雷対策を施すのに、わずか二ヶ月であったという。<br>　<br>　独軍の攻撃に、英国国民は微塵も敗れるとは考えていなかった。<br>　必ず勝利すると、人々の心は、独軍のロケット攻撃にも屈する事は無かったという。<br>　伝統あるユニオンジャックを称えている。<br>　<br>　日本でも、太平洋戦争末期、特攻隊の生みの親である大西瀧治郎中将は、<br>　『おれも後から行く』、と、特攻隊員を送り出した中将は、終戦の日に、特攻の華と散った。<br>　同乗する、妻子ある部下に涙したという。<br><br>　特攻については色々、賛否両論はある。<br>　<br>　こうして書いている私にも、そんならお前が原発上空から、裸になってパラシュートで降りろ、<br>　と読者からごうごうたる避難が寄せられるだろう。<br>　<br>　また、老い先が短いから、そんな身勝手な事を言えると、言われるだろう。<br>　皆には、大事な家族がいるのだ、と言われるだろう。<br>　<br>　むかし、造る橋が洪水で流される。<br>　工事の棟梁は、『人柱があれば完成する』、と言ったら、よってたかって、その男を橋の基礎に生き埋めして殺し、その上に橋脚を建てた。</font></p><p><font size="4">　いわゆる、人柱にしたのだ。</font></p><p><font size="4">　</font></p><p><font size="4">　余談だが、出雲の松江城を造る時も、若い女を人柱にした。その幽霊が後にでたという。</font></p><p><font size="4">　松江城は残ったが、藩主の堀尾家は祟りで絶えたという。<br>　<br>　妾に落とされた娘が後に、歩いていると雉が鳴いている。側に居た主人が矢をつがえ、その雉を射殺した。<br>　雉は比較的大型で、直前に迫られて初めて逃げ飛ぶ。<br>　そして羽が短い為に飛び上がるのが遅く、直線的にしか飛べない。<br>　狩をすると、クレー射撃より簡単に、面白く落とせるのだ。<br>　鷹狩より面白いのだろう。<br>　<br>　その娘は、雉も鳴かずば射たれまい、と涙を流して呟いたという。<br>　<br>　私は子供の時、母方の叔父に連れられて雉狩りの現場を見たが、<br>　銃弾に落ちる雉を見た時、子供心に衝撃的であった。<br>　それから、釣りや狩猟は一切やらない。<br>　　<br>　よく人に、釣りもやらないのに刺身が大好物とは、お前は矛盾していると言われる。<br>　　<br>　だが、この未曾有の国難の時、今こそ、日本人の心底に持つ、<br>　『大和魂』<br>　を、甦らせる時である。<br>　　<br>　幾多の困難を乗り越えて、今の世界の日本を築いた日本人である。　　<br>　公衆道徳は今や、世界の冠たる。<br>　ネバー、ギブ、アップ。<br>　我々は屈しない。<br>　日本人に勝利あれ。　 </font><br></p>
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<pubDate>Thu, 17 Mar 2011 11:29:29 +0900</pubDate>
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<title>映画、桜田門外の変</title>
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<![CDATA[                    映画、桜田門外の変<br><br>　私は、佐藤純彌監督作品の映画「桜田門外の変」が、１０月１６日に公開されるというので、８月末、<br>　水戸市の千波湖畔に、井伊直弼の上屋敷と桜田門のオープンセットを構えたのを、見に行った。<br>　<br>　白い砂を撒いて、雪の日を作っていた。　<br>　暗殺当時の季節外れの大雪が、浪士隊に幸いしたのを強調したセットであった。<br><br>　先週、私は同名の映画を見に行った。<br>　<br>　善・悪でない歴史を描くというが、テロという非道なものを、起こす側から描く事は倫理観からしても難しい。<br>　忠臣蔵のように、実行者が全て死んだ事から描けるのではあるが、<br>　この関係者も１８人が自刎、刑死したので描きやすかったのだろう。<br>　<br>　暗殺後の首謀者二人が、屋形船でゆっくりと雪見酒を飲むシーンがあるが、<br>　初めて人を斬った者がそれほど悠然とできるものだろうか。<br>　<br>　冷静でいられるなら、安政の地震や大獄で多くの人の死を見ていたからだろうか。<br>　さもなくば、怨恨がなくては大息に耽ることができないであろう。<br>　武士としての誇りを強調したいためか。<br>　その悠然さの描写が、善悪を超越した象徴を描いたものと想う。<br>　<br>　昔は、戦勝した側は敗者は退治すると言った。<br>　中国に進軍したわが皇軍も、天に代わりて不義を討つと、出征していった。<br>　平和な時は、善悪のない方が人々の共感を得る。<br>　戦後の吉川英治や司馬遼太郎の小説には悪人がいない。<br><br>　また、映画の主人公の関鉄之介がかつての配下に捕まった。<br>　配下の者は捕縛時も礼を持って関に接したが、実際はどうだろう。<br>　その後、水戸では天狗党と諸生党の内部抗争を繰り返して多くの人材を失い、<br>　水戸藩は自滅したのを見ると、実際は憎くて捕縛したものと想わざるを得ない。<br>　<br>　映画はあくまでも善悪を超越したのを描いた作品と思う。<br>　<br>　中国問題が起こり、平和外交が基調の日本にも変化が見えている。<br>　現に中東で戦争が起こっているのに、日本だけが、蚊帳の外にいられる訳がないと思い知らされた。<br>　<br>　今からは、善悪、白黒のはっきりした映画や文学が主流を占めて行くだろう。<br><br>　全ては、江戸定府して権力を握っている水戸斉昭と、それに対抗する井伊直弼の確執から始まり、<br>　ペリーが来航して恫喝した事から歴史の歯車が大きく回転し、雪だるまのように膨れて明治維新へと続いた。<br>　<br>　德川宗家内の内紛を起こして幕府の力は凋落し、<br>　外様大名は息を吹き返したのであるが、それを映画では描かなかった。<br>　德川斉昭は、共に挙兵するはずの薩摩が動かず、幕府からは睨まれ、<br>　家臣を見殺しにして家中での影響力が無くなった。<br>　永蟄居とは、座敷牢そのものであった。<br>　その、絶望という心労で死んだ。<br><br>　だが、北大路欣也の斉昭をかっこよく演技させた為、深みがなかった。<br>　<br>　茨城県の後援として映画は作られ、常磐神社の祭神として祭られている斉昭を悪くは描けなかったのだろう。<br>　内部抗争を繰り返した原因は斉昭の性格に帰する。<br>　親藩である水戸藩の力を削ごうとした外様の謀略に乗ったのも一因だろうが、<br>　天狗党と諸政党が骨肉の争いをして自滅した水戸藩を、善悪はつけがたかったのであろう。<br>　<br><br>　歴史解釈はともかく、映画の魅力は何といっても、楽しく、面白い事に尽きる。<br>　<br>　はらはらどきどき、役者の、暗殺という緊迫感があって面白かった。<br>　<br>　日本人として忘れかけていた、公に尽くす情熱と潔さは、一見する価値がある。
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<link>https://ameblo.jp/youkouagu/entry-10696203713.html</link>
<pubDate>Wed, 03 Nov 2010 20:19:44 +0900</pubDate>
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<title>映画、　桜田門外の変の、　桜田門外にある井伊直弼の乗った駕籠と、井伊直弼の上屋敷でここから出仕</title>
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<![CDATA[ <br><p>　　　　</p><p>　　　　　<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20101103/20/youkouagu/2a/49/j/o0320024010838195811.jpg"><img alt="斎藤周吾-桜田門と井伊直弼が乗った駕籠" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20101103/20/youkouagu/2a/49/j/t02200165_0320024010838195811.jpg"></a> <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20101103/20/youkouagu/10/d9/j/o0320024010838195810.jpg"><img alt="斎藤周吾-井伊直弼の上屋敷で、ここから出仕して暗殺された。" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20101103/20/youkouagu/10/d9/j/t02200165_0320024010838195810.jpg"></a> </p>
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<link>https://ameblo.jp/youkouagu/entry-10696202332.html</link>
<pubDate>Wed, 03 Nov 2010 20:18:21 +0900</pubDate>
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<title>ミッドウェイ海戦　続きの続き</title>
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<![CDATA[ ミッドウェイ島奇襲が成功したと判断した。<br>　敵の攻撃機はもう居ないと判断した。<br>　<br>　今度は地上爆撃の段階だ。<br>　敵空母が居るのを案じ、魚雷を装備していた攻撃機に、地上爆弾の装填し直しを命じた。<br>　<br>　だが、偵察により、島の飛行機数を報告する数より、敵機数が多く、飛来する時間帯も異なる。<br>　もしや空母がいるのでは、<br>　と不安になり、万が一の事があっては取り返しがつかない。<br>　<br>　急遽、索敵機を、再び飛ばす事にした。<br>　<br>　敵空母がいるとすればもちろん、島と連携ができるミッドウェイ島周辺だ。<br>　ハワイとミッドウェイ島の両方を守備できる、島の東南に浮かんでいる公算が大きい。<br>　<br>　だが、その辺りを偵察に向かう予定の利根が、カタパルト故障で発進が３０分遅れた。<br>　<br>　ようやく飛び立った利根は敵の空母を発見し、執拗に偵察した。<br>　だが、またもや通信機に異常が発生した。<br>　ようやく修理して打電した。<br>　<br>　近海には居ない筈の敵空母がいるのだ。<br>　<br>　それも３隻。<br>　<br>　艦種は分からぬが、大破して戦線復帰が無い筈のヨークタウンもいる公算が大きい。<br>　ハワイにあるドッグの修理能力の高さに驚き、半年前の真珠湾奇襲の時に、波状攻撃してドッグも破壊すべきであったと臍を噛んだ時には、遅し。<br>　<br>　あれやこれやで、空母赤城艦橋にある第一艦隊首脳は一時、大パニックになった。<br>　<br>　更に、ミッドウェイ島を攻撃しようとして、<br>　地上爆弾に切り替える装填が全て完了していた。<br>　<br>「腹にかかえる陸上爆弾で、そのまま敵艦を攻撃すべし」<br>　<br>　と、空母飛竜に乗る第二航空戦隊司令官の山口多聞少将から、即座に、旗艦赤城に信号が送られた。<br>　<br>　だが、艦隊司令には、さきほど、ミッドウェイ島から飛び立った敵機からの攻撃回避に成功した成功体験がある。<br>　<br>　ましてこちらは４隻の空母がある。戦力は上回る。<br>　<br>　更に、３６機の艦爆を戦闘機の護衛なしで出さねばならない。<br>　戦闘機の護衛なしで重い爆弾を抱える攻撃隊を飛ばせば、敵戦闘機にどうぞ撃ち落として下さいと言っているようなものだ。<br>　肝腎の護衛戦闘機隊であるが、ミッドッウェイ島攻略に向かった友永隊が燃料切れで帰り、上空で着艦を待っている所だ。<br>　<br>　先に攻撃機を飛ばせば、戦闘機隊は燃料が無くなって海に落ちる。人だけでも駆逐艦に助けて貰えとは言えない。<br>　まして、虎の子の戦闘機を失っては今後の戦局に影響する。<br>　<br>　第一航空艦隊参謀の源田実は、南雲長官にまず上空の友軍機を収用すべしと進言した。<br>　彼等を降ろし、給油してから飛ばそうと思った。<br>　ましてその時、源田は、熱を出していた。<br>　敵空母発見を聞いて、急いで艦橋にあがってきていたのだ。<br>　<br>　切所の時の判断も弱気になり、決断に精彩が欠ける。<br>　セオリー通りにやるよう進言した。<br>　草鹿航空参謀長も同意見であった。<br>　まして、水雷屋の南雲は、航空機の事は全て二人に任せていた。<br>　<br>　結局は、<br>　「でしゃばりで、お節介な奴」<br>　とばかりに、山口多聞の具申を無視した。<br>　<br>　ミッドウェイ島の攻撃に離艦しようとした飛行機から急ぎ地上爆弾を外し、魚雷に装填しなおしを命じた。<br>　<br>　アメリカ側は、友永隊がミッドウェイ島を攻め、燃料切れで帰る時間帯を、スプルアーンス司令官はじっと待っていたのだ。<br>　<br>　気力の充実している山口司令官は、友軍機が上空に待機しているのを見て、ここをやられたら一番被害が大きい、いや、敵はこの時を狙っていたのだ。と直感した。<br>　敵は常に、我の最も弱い所を突くのだ。<br>　<br>　ロシアのボロジノの戦いでナポレオンは鼻風邪をひいたのも一因で、ルイ・ダウー元帥の適切な進言にも命令を出せずにためらい、フランス軍は多大な犠牲を払いながらも、ロシア軍を敗ることはできなかった。<br>　<br>　ミッドウェイでも、ニミッツは、病気を押して出撃しようとしたハルゼー提督を岡に上げ、スプルアースン司令官に変えた。それが勝利した。<br>　<br>　どんな名将でも病気になると、極限の中で判断しなければならない時、わずかに消極的になるようだ。<br>　<br>　ここでも、人種が違っても、人の子に変わりはない。<br>　<br>　その上層部のわずかの差が、戦局に大きく響いて行く事がある。<br>　特に、勢力が拮抗している時は、良い方に行く時より、多くは悪い方にゆくようだ。<br>　戦いは多くの錯誤の連続である。誤りがより少ない方が勝者となる、のが兵理である。<br>　<br>　まして我が軍は連戦連勝している時である。<br>　<br>　飛行機を海に不時着させ、もし、アメリカ軍の攻撃がなかったら、大事な戦闘機を海に落としたとして、源田は更迭されていた。<br>　また、戦後、平和時の航空幕僚長にもなれなかった。<br>　いわば、保身の為に部下に情けをかけた。<br>　<br>　どれもこれも、米空母がいると初めから分かっていれば、防げ得た事であった。<br>　<br>　最高責任者の南雲忠一司令長官は、レーダーの無い当時、敵機がまもなく上空に現れる事を知らず、山口多聞の具申を無視し、悠長に、対艦用爆弾に切り替えを命じた。<br>　<br>　だが、戦後分かったことだが、<br>　出撃した後の米空母の上空は、がら空きだったのだ。<br>　脆弱な空母である。<br>　陸上爆弾でも、広い甲板に落とされただけで、誘爆を起こしていた。<br>　<br>　まさに、山口多聞の判断は神域に迫る。<br>　<br>　戦後、源田実は山口を評して、生きていれば、連合艦隊司令長官の器であったと絶賛した。<br>　<br>　まさに陸上爆弾から対艦攻撃用爆弾に装填換えの途中に敵の爆撃を受けた。<br>　<br>　直接の被害は小さかったが、艦底の弾薬庫から引き揚げて、爆発用の信管を取り付けて装填中の航空魚雷や爆弾が誘爆した。<br>　更に、積んでいた航空用揮発油（ガソリン）に引火し、次々と虎の子の空母は大破した。<br>　我が空母には、航空機が待機した広い甲板に爆弾を受けた場合の消火設備が殆どなかった。<br>　<br>　戦艦を改造した赤城加賀等の初期の空母には、ダメージコントロールという考えもないし、戦訓もない。<br>　空母運用が始まって間がない当時、世界共通の、空母の致命的欠陥を露呈していた。<br>　まさしく、あっけなく大破した。<br>　<br>　戦艦改良型の空母で装甲が厚く、浮いてはいたものの、着艦発艦はできず、空母の用をなさなくなった。<br>　<br>　この海戦で、技量の高い我が航空兵の殆どが戦死した。<br>　<br>　あと５分、アメリカ艦爆機の攻撃が遅れるか、利根の発見が５分速ければ、我が飛行機は飛び立ち、航空技量が高い我が軍が勝っていたといわれる。<br>
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<pubDate>Wed, 03 Nov 2010 19:04:55 +0900</pubDate>
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<title>ミッドウェイ海戦　続き</title>
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<![CDATA[ <p>いよいよ海戦　（前）<br>　<br>　　この作戦は、アメリカの領土であるミッドウェイ島を占領する事により、敵の戦意を挫き、次はハワイ攻略。<br>　アメリカに、早く講和せよとの催促の作戦でもあった。<br>　<br>　ミッドウェイ作戦そのものは、ミッドウェイ島を占領するのが主目標であり、アメリカの空母など、連合艦隊司令部の眼中にはなかった。<br>　<br>　それは、前月に行われた珊瑚海海戦で空母ヨークタウンを大破している。<br>　戦線復帰は半年は無理だ。<br>　残るはエンタープライズとホーネットの二空母しかないからである。<br>　<br>　我が軍には正規空母だけで４隻あり、敵に倍する。<br>　<br>　まして、中国軍と戦って技量があがっている我が国の歴戦の勇士と、戦争が始まって間がなく、実戦の経験が殆ど無い米軍の兵士とでは比較にならなかった。<br>　<br>　更に、我が国の徹底的に軽さを追求して、空中旋回半径の小さいゼロ戦に、敵主力戦闘機のグラマンＦ４ワイルドキャットは、上昇力、運動性能、速力のいずれの点でも劣り、格闘戦闘である１対１のドッグファイトには殆ど撃ち落としていた。<br>　<br>　空母艦隊は単なる露払いの役目でしかなく、連合艦隊本部は、戦艦の居ない敵の機動部隊の存在を軽視していた。<br>　<br>　ミッドウェイ島からの航空攻撃圏外である３５０海里という遙か後方に、戦艦大和を旗艦とする連合艦隊の主力が、今や遅しと上陸作戦に向けて待機していた。<br>　<br>　上陸作戦の為にまず、空母機動部隊を送り、敵航空機を撃滅し、滑走路を爆弾で耕して上陸作戦を容易にする事がこの作戦の主目標であった。<br>　<br>　ミッドウェイ攻略は、日本側作戦名のＭＩ作戦で行われた。<br>　ＭＩとはミッドウェイの単純な頭文字である。これではアメリカにミッドウェイ島を攻めますよと言っているようなものだ。<br>　<br>　まして暗号名『ＡＦ』とは、ミッドウェイ島であることをアメリカに探られていた。<br>　日本側は、暗号が筒抜けになっている事を全く知らなかった。むしろ、戦後まで知らなかったという驚くべき情報音痴である。<br>　<br>　わが機動部隊は、アメリカの水上機や潜水艦の偵察を受け、海戦前から完全な監視下にあったが、どうせ何もできないと、高を括っていた。<br>　<br>　戦争は未だ始まったばかりだ、アメリカの工業力からして、大反攻が予想される。ふんどしを引き締めよ、と自戒しなければならなかった時期であったが、敵の士気は相当に落ちていると推測していた。<br>　<br>　獅子は、兎を狩る時でさえ、全身全霊で向かう。<br>　<br>　織田信長は、相手がどんなに小敵でも、決戦場には敵よりも優勢な態勢になるよう、慎重に組み上げて臨んだ。<br>　ゆえに、越前の金ヶ崎では、浅井長政が敵方に奔ったと知るや、勝っていても、最前線の兵を置き去りにして、即座に逃げた。<br>　<br>　戦は錯誤の連続である。より多く誤った方が敗れる。だから信長は絶対に暁光を期待せず、即座に撤退したのだ。<br>　<br>　だが、撤退するには、主将に対する全軍の揺るぎなき信頼がなければ、ただの潰走になる。<br>　<br>　反面、開戦以来連戦連勝で優位に立っている南雲空母艦隊は、敵空母探しの索敵より、味方の兵力を過信していた。<br>　まして、明治開闢以来、敗北を知らない世界最強の連合艦隊である。<br>　<br>　三方原の戦いで、武田信玄は德川家康を完膚無きまでに粉砕した。<br>　甲州軍は、遠い浜松の地の利に暗い筈である。それが、間道を逃げる家康軍より速く、待ち伏せしていたのだ。<br>　敵の追撃の速さに、家康は乗る馬の鞍に脱糞したのも気付かぬ程に動顛して、這々の体で城に逃げ帰った。<br>　<br>　だが、武田方が明日は総攻撃と言うその晩、德川の家臣の大久保忠世は、武田方の背後の山から夜襲の鉄砲を撃ち掛けた。<br>　武田方は、今頃家康は眠れず、震えてノイローゼになっているだろうと思っていたのだ。<br>　まさかの武田軍は慌てふためいた。<br>　小荷駄隊の中には見えぬ敵に逃げ惑い、谷底に落死した者もいた。<br>　<br>　翌朝、ちょこざいな家康め、とばかりに城を強襲しようと怒り狂う猛将が多い中で、甲陽軍艦の作者で名高く、武田家四臣の一人である高坂弾正は、<br>「夜襲する敵の勢い、未だ強く、当たるべからず」<br>　と進言した。<br>　大勝しているのも関わらず、冷静沈着な信玄は、いかにも、と微笑して城攻めを止めた。<br>　<br>　攻撃していれば、浜松城で頑強な抵抗を受けて損害を多くし、戦果を拡大できぬ恐れが濃厚であった。<br>　<br>　本敵は尾張の信長である。信玄は城の囲みを解いて先を急いだ。<br>　<br>　戊辰戦争で会津を攻めた板垣退助は、進撃時、部下に向かい、列を乱すな。糞尿は垂れ流せと命じた。<br>　人の生理現象は時や場所を構わない。ユリアポットのある現代人から見ると、目を背ける過酷な戦場だが、家康の時代も、戦闘中に脱糞する事など普通であった。<br>　<br>　たぶん、家康は戦闘初めから急に催していた。催すこと自体、武士として日頃の戦の心がけ足りないからだ、と主将は言っている。<br>　ゆえに、将兵には列を乱すなと厳命して自分だけが馬から下りてトイレ幕を張らせる訳にはいかない。<br>　更に垂れ流しては、劣勢な味方の士気は落ちると我慢していたのだろう。<br>　<br>　家康は不快がり、指揮にも影響していた。<br>　だから、逃げ帰って腹が空き、直ぐに湯漬を三杯も脱糞して空になった腹に押しこめ、全ての城門を開け放ち、眠ってしまったのだろう。<br>　話しが家康だから面白いのである。<br>　<br>　人の心は人種が違っても同じである。<br>　ミッドウェイの日本海軍も、わが空母の監視下をかいくぐり、東京空襲をしたドーリットルを見て、敵の戦意はむしろ高まっている、と全海軍に警鐘を鳴らすべきであった。<br>　まして、アメリカのハルゼー提督は、正規空母が残り少なくなって出撃を見合わせようとしたのを、<br>「太平洋に一隻の空母も浮かべる必要はない。全部沈めてしまえ」<br>　と積極攻勢を唱えた人である。<br>　事実、ミッドウェイ海戦の半年後、作戦可能な米空母は、エンタープライズ、ただ、一隻であった。<br>　戦後、アメリカに原子力空母が初めて出現した時、この名誉ある不沈空母の艦名を使った事はよく知られている。<br>　<br>　ハワイ攻略の時は、択捉島の単冠湾（ひとかっぷわん）に集結し、密封命令でハワイに向かった。<br>　密封命令とは、洋上に出て、初めて命令書を開く事である。<br>　南雲司令官以下、洋上で命令書を開いて初めて、ハワイに向かう事を知ったのだ。<br>　それほど秘匿したから、ハワイ真珠湾攻撃は奇襲に成功したのだ。<br>　<br>　だが、今回のミッドウェイ作戦は、殆どの兵が知っていた。<br>　家族に、これからミッドウェイ島攻略に向かうと、手紙に書き送った者まである。<br>　真珠湾攻撃時の密封命令とは雲泥の差だ。<br>　<br>　だが、機動部隊の第一の目的は、敵機動部隊の撲滅である。<br>　機動部隊がいなければ、ミッドウェイ島の飛行場を無力化する事が第二の目的であった。<br>　その二つの使命を帯びていた。<br>　それも第二の使命が上位であった。<br>　<br>　ただし、前項に書いたように、敵の空母など今頃逃げ惑っているか、来たとしても鎧袖一触と思っていた。<br>　<br>　それゆえに、通信網を張り巡らし、アメリカにそれとなく情報を流し、ミッドウェイ島近海に敵機動部隊をおびき出すことでもあった。<br>　<br>　だから、これ見よがしに、ＭＩ作戦と銘打ったのだ。<br>　<br>　当然、機動部隊の司令部は、敵空母が居るか居ないか分からず、ミッドウェイ島から飛び立つ飛行機の攻撃圏外に我が空母群を置いて、セオリー通りに索敵した。<br>　<br>　その時の索敵では、敵空母を発見できなかった。<br>　だが、慎重を期すなら、前方に警戒艦隊を配置し、島の近海をもっと徹底的に索敵すべきであった。<br>　<br>　だが、弱いアメリカと勘違いしてそれを怠った。<br>　南雲機動部隊は、敵の空母は南方にでも出掛け、敵の機動部隊が近海には居ないと判断した。<br>　まさに、油断と傲慢以外の何物でもない。<br>　<br>　それでミッドウェイ島に安心して近づいた。<br>　島から、当然の如く敵攻撃機が向かって来た。<br>　あらかじめ予想していた艦隊司令である南雲中将は敵の航空魚雷攻撃を自ら操舵員に直接命じ、全てを見事にかわしたのだ。<br>　操艦は艦長の仕事の筈であるが、水雷専門の南雲提督の面目躍如たるものがあった。<br>　何事も結果オーライである。<br>さらに、敵機を悉く撃ち落とした。<br>　この時点が、南雲提督の最高栄誉に輝く時であった。</p><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/youkouagu/entry-10696128690.html</link>
<pubDate>Wed, 03 Nov 2010 19:01:07 +0900</pubDate>
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<title>敗戦に学ぶ　ミッドウェイ海戦</title>
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<![CDATA[ 昭和１６年１２月８日に太平洋戦争が始まり、その半年後の昭和１７年６月５日、<br>　ミッドウェイ海戦が行われた。<br>　<br>　日米の正規航空母艦群同士が、史上初の戦いをした所である。<br>　<br>　海戦の行われたミッドウェイ諸島は、<br>　日本の東方４、０００㎞、ハワイの西方２、０００㎞にある。<br>　<br>　太平洋のほぼ中央にある所から、ミッドウェイと名付けらられた島である。<br>　<br>　この戦いに至る経緯は、<br>　<br>　４月１８日、アメリカ軍のドーリットル中佐率いるＢ２５爆撃機、<br>　１６機が空母ホーネットから飛び立り、日本の本土を初空襲した。<br>　<br>　航続距離の短い艦載用爆撃機を使うのでは、<br>　空母が日本の沿岸まで接近せねばならない。<br>　艦隊が日本空母の餌食になる可能性が大きい。<br>　<br>　ハワイ奇襲でアメリカ太平洋艦隊に大打撃を与えた日本軍は、<br>　制空権、制海権を完全に握っていたからだ。<br>　<br>　しかし、重く大きい陸上用の爆撃機ゆえに、<br>　発艦はできるが、着艦は不可能であった。<br>　爆撃後、飛行機は中国に着陸した。<br>　<br>　日本の空母のいない海域から飛び立たせた。<br>　飛んだ後、空母は直ぐに反転したことは言うまでもない。<br>　ドーリットルは東京、横須賀、神戸等を空襲して中国に去った。<br>　<br>　被害はそれ程大きくなかったが、<br>　無防備な所に爆撃された心理的な圧力が大きかった。<br>　日本本土が敵の攻撃を受けたのは、鎌倉時代の元寇以来である。<br>　<br>　日露戦争でも、ロシア艦隊が東京湾沖に現れ、首都を艦砲射撃しようとしたが、<br>　海堡で要塞化した東京湾を見て、思い留まった。<br>　揺れる船と、掩蔽された目標の小さい海堡では、圧倒的に船側が不利である。<br>　<br>　余談だが、<br>　薩英戦争の時である。薩摩軍の射った弾がイギリス船の旗艦に初弾から命中し、<br>　船長が戦死。錨を上げる間もなく、錨を切り捨て、慌てて逃げた。<br>　島津斉彬が西洋を見よう見まねで作った貧弱な大砲で、である。<br>　<br>　また、日露戦争時、海から要塞化した旅順を攻められず、陸から攻め、<br>　乃木大将の悲劇を招いた。<br><br>　太平洋戦争、緒戦の時の山下奉文は、<br>　イギリスの海に向けて要塞化したシンガポールを攻略する時、<br>　旅順の悲劇を知っていたので、海から攻めず、<br>　ジャングルの湿地帯を越えて攻略した。<br>　　　<br>　だが、米軍は意表を突いて、空から来たのだ。<br>　<br>　これをもってしても、もう、空の時代になっていた。<br>　<br>　太平洋戦争の初戦である、<br>　ハワイ真珠湾やマレー沖海戦の航空戦に勝利した日本だが、<br>　皮肉にも、初めて制空権の重要さに気付いた。<br>　ドーリットルに教えられたのだ。<br><br>　アメリカは真珠湾やマレー沖で航空兵力の重要さに気付き、<br>　即座に空母や飛行機を作り始めた。<br>　<br>　日本は、ドーリットル以後やミッドウェイ以後にようやく、<br>　航空機の優先生産体制に切り替えた。<br>　その差は半年である。戦時下の半年は大きい。<br>　<br>　共に、手痛い損害を受けてから切り替えた。<br>　<br>　習慣性の動物である人間は、<br>　勝っている時はこれでいいのだと、殆どが改革に反対する。<br>　負けて、命の危険が迫ってようやく、仕方なく改革する。<br>　<br>　悲しいかな、これが、人類の興亡の歴史でもある。<br>　<br>　その後の防衛に、<br>　日本の大都市は高射砲や戦闘機を配備したのはいうまでもない。<br>　<br>　日本は、太平洋上の制空権を得るために、<br>　ミッドウェイ島、更にハワイ諸島の占領計画を立てねばならなかった。<br>　<br>　<br>　ミッドウェイ海戦に日本が勝っていれば、<br>　アメリカとの単独和平がなったかも知れないと言われている。<br>　<br>　日本も石油の出る南方、インドネシアのパレンバンを確保して目的は達していた。<br>　<br>　アメリカはドイツ参戦をメインとし、<br>　大西洋と太平洋の二正面作戦は避けたいからだ。<br>　<br>　とりあえず日本と講和し、全力を対ドイツ戦に注ぎたいのが本音であった。<br>　<br>　だが、勝ったアメリカは戦後、その講和の存在を闇に葬ったが・・。<br>　<br>　もし講和が成立していれば、その後の原爆投下はなかった事になる。<br>　<br>　ミッドウェイ海戦は、それほど重要な戦いであった。<br>　ハワイ奇襲で、日本軍は米国太平洋艦隊の主力艦の殆どを葬り、<br>　圧倒的な戦力格差を持っていた。<br>　守勢一方のアメリカに対して、勝って当然の海戦であった。<br>　<br>　米軍は日本軍の暗号を全て解読して、ミッドウェイ攻撃を知っていた。<br>　しかし、それは欺瞞作戦で、本当の狙いはハワイ攻撃かも知れないと迷っていた。<br>　当然、ミッドウェイ島の守備は薄くなる。<br>　<br>　日本軍は敵の空母機動部隊の位置を最後まで知らなかったが、<br>　米軍は、潜水艦や偵察機で、日本空母の位置を正確に知っていた。<br>　<br>　時々、敵の潜水艦の追尾が分かっていながら、<br>　日本軍の駆逐艦は爆雷を投下しなかった。<br>　むしろ、どうせ何もできないと冷笑して放置した。<br>　<br>　日本海海戦の中で、<br>　宮古島沖で敵発見以来、日本の追跡艦船は無線を打ち続けた。<br>　それに対し、ロシアバルチック艦隊は、妨害電波を出さず放置しておいた。<br>　<br>　教訓として、<br>　負ける者は、まず、初戦の情報戦で劣勢になっている。<br>　敵に対する恐怖心がないから、敵を知ろうとしないのだ。<br>　<br>　日本の連合艦隊司令部は、米軍の暗号をある程度解読していた。<br>　だが、その情報を戦艦大和に居る司令部は、空母に伝えなかった。<br>　通信すれば、大和の位置が敵に知られるのを恐れた。<br>　<br>　これも、日露戦争以来、陸地でなく、艦船に連合艦隊司令部をおいていた。<br>「アメリカ軍のニミッツを見よ、ハワイに太平洋艦隊司令部がある」<br>　と、山本五十六は不満で、陸地に置こうとした。<br>　<br>　しかし、後方にいては前線にいる将兵の士気に関わる。<br>　提督はまず自らを危険にさらせ、という東郷元帥以来の訓辞が生きていた。<br>　宇垣纏参謀等の猛反対にあっていた。<br>　<br>　昭和の海軍はなお、バルチック艦隊にパーフェクトに勝った、<br>　東郷神社に鎮座する東郷の神言に怯えていたのだ。<br>　<br>　日露戦争に勝ったが故に大胆な改革ができず、墨守して硬直化していた。 <br>
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<link>https://ameblo.jp/youkouagu/entry-10696124867.html</link>
<pubDate>Wed, 03 Nov 2010 18:58:09 +0900</pubDate>
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<title>歴史を学ぶのは、過去を知る事ではなく、未来を識るためである。</title>
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<![CDATA[ <p>今の日本人は、諸外国に比べ、歴史を学ぶのは少ないと言われる。</p><p>歴史に学ばないから、同じ過ちを繰り返す。</p><br><p>戦争を無くす平和な世界を築こうと思ったら、世界の軍事中心の行動を理解する必要がある。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/youkouagu/entry-10613007397.html</link>
<pubDate>Sat, 07 Aug 2010 21:47:23 +0900</pubDate>
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<title>賤ヶ岳合戦における中川清秀の奮戦</title>
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<![CDATA[ <p>   捨　　　て　　　石<br></p><br><p>斎藤　周吾　　<br>　<br>「瀬兵衛、大儀。吾は明朝、三七殿（織田信孝）が籠もる岐阜城を攻める。ここに居残る汝に、何か事欠くことはないか」<br>　初夏に入った新月の夜、篝火が灯る大岩山の砦に、羽柴秀吉が前触れもなくやってきた。秀吉は、長滞陣する憂き顔の中川清秀を鼓舞しようと、日輪のような明るさで問いかけた。<br>「三万の柴田勢に対し、いかに峻険な山頂に普請した砦とは申せ、僅か五百の兵では、羽柴殿に忠義を尽くせまい」<br>　先月、秀吉の命で千五百余の兵を不穏な西国に割かれた。反骨余りある清秀は、にやけ顔の秀吉を睨んだ。<br>「やはり不満を漏らしているという噂は眞か。吾と武勇優る汝は義兄弟ではないか。そう怒るな。まっ、怒ると茹でた明石の蛸のように膨れる直情径行な所が愛(う)い所だが。清秀、来よ」<br>　秀吉は急に顔を引き締め、自ら砦の見張台に登った。後ろには琵琶湖が広がり、左下には波静かな余呉湖がある。右方の眼下には、敵の夜襲に備えた味方の篝火が煌々と灯っている。秀吉は、さらに目を遠くに向けると、秀吉陣よりも遙かに少ない敵の篝火が所々に点在する。<br>「見よ、北国熊の勝家は、今でも冬眠の構えだ。吾が陣は十三段を峰から嶺に伝え、鶴翼に備えたれば、たむろする敵には十万から十二万に映るだろう。ゆえに、汝の兵は不要だ」<br>　秀吉は、得意顔で清秀を振り返った。<br>（我とて歴戦の武将だ。柴田勢が守勢の構えである事など、夕闇に漂う氛気(ふんき)で判る。だが、窮鼠猫を噛むという事もある）<br>　清秀は、秀吉の垂訓を蔑むように聞いた。<br>　織田信長が本能寺で横死した翌年の天正11年（1583年）、羽柴秀吉と柴田勝家との間に、世に云う賤ヶ岳合戦があった時であった。柴田方は、余呉湖北に砦を築き、北国街道の隘路を北庄城に向かって北進する羽柴軍を逆落しに攻める態勢を布いていた。しかし決戦を避けるように、更に奧の行市山に堅砦を築いていた。それに対して羽柴方も、損害の大きい力攻めは止め、持久戦を行う為に砦や馬防柵を築いた。さらに、秀吉方の背後を脅かす、余呉湖の西方面から来る敵に対し防ぐ鉄壁の陣が必要があった。険阻に阻まれた西の狭い切り通しからの大軍は動かしにくい。僅かの兵を置くだけで十分な防衛ができる。そこで秀吉は摂津茨木十二万石城主中川瀬兵衛清秀に命じ、余呉湖東岸にそびえる大岩山に砦を急造させていたのだ。<br>　だが、和を結んだはずの織田信孝が柴田勝家に呼応し、岐阜城で再び反旗を翻した。<br>「信孝一族は皆殺しだ」<br>　烈火のごとく怒った秀吉である。さっそく岐阜城攻めに向かう事になり、その別れ際に秀吉は大岩山の清秀の陣にやってきたのであった。<br>　秀吉はさらに、<br>「吾は昨年、先君信長公御妹の市殿に対し、正妻がいるので妾になって欲しいと申し入れた。妾とは無礼な、と怒った市殿が吾への面当てに勝家の正室となった。北庄城は今頃、市殿に屋台骨まで抜かれておるわい」<br>　秀吉は柴田陣を睨み、またもにやけ顔で、呵々大笑した。<br>　政(まつりごと)に色恋まで利用する秀吉の執念に、清秀は思わず顔色を失った。また、我を睨む秀吉の目は、織田家姻戚の我に、お市様を通して勝家に寝返るのは損だと牽制しているのだ。万が一、我が寝返っても脅威にならぬよう、前もって我が兵を西国に追いやったのか。清秀はそう感じると慄然とした。<br>「そちはここの湖で、のんびりと釣り糸を垂れていてくれれば味方大勝利だ。そちを決して捨石には終わらせぬ」<br>　秀吉が言った後、二人は枕を揃えて床についた。秀吉はいつになく親しく、清秀に朝まで語りかけた。<br>　翌朝、清秀は秀吉を見送りながら考えた。<br>（山崎合戦直後、我が秀吉の背に猿と罵倒した事をあ奴は忘れぬ。だから功があった我には加増もなく、本領安堵のみであった。此度も、いかに戦場から遠い摂津に領地を預かっているとはいえ、手柄を立てられぬ背後の山中に殿軍として置いた。いかに気遣ってくれても人の気持ちなど何となく伝わるものだ。天下を取った宋の趙匡胤が建国功臣の武人を隠遁させた如く、人誑(たら)しの奴が天下を取った暁には、我に引退せよと因果を含めて去ったのだ。この戦が終わったら隠居し、数奇者として老いを養おう・・）<br>　やがて東の空に、太陽と共に白く霞んだ月が現れた。<br>（日輪が現れれば、月は消える：：　琵琶湖北隣にある余呉湖は小さい湖だ。我などは、朝日昇天の秀吉から見れば、琵琶という楽器の先端に留まった蠅のように小さい存在になった）<br>　ようやく不惑を過ぎた清秀は、余呉湖の側で、夜明けて消える運命の月を見ながら、迷いを吹っ切ったように眼下に去る秀吉を見送るのであった。</p><p>「敵襲です。湖の西岸から佐久間盛政の旗印を掲げる敵が、わが砦に押し寄せて来ました」<br>　それから二十日後、見張りが駆け込んだ。<br>「なに？　わが陣中深く敵の中入り、か：：　さては猿め、この大岩山の砦を粗雑に普請作事させ、少数の兵を配して敵を誘ったのか：：」<br>　今日も釣竿を持って湖に下ろうとした清秀は唖然と呟いた。しかも、田上山の留主本陣は貝のように黙している。下知がないのに勝手に砦を捨てれば、我を嫌う猿は何かと理屈を付けて罪を問う。まして山崎合戦の直前、先君は本能寺で討たれたのに、上様は死中を脱して大和で奮戦中、と我に嘘を吐いた陰惨な男だ。<br>「おのれ、猿め、我を捨石にする策か。死守して時を稼げと謎かけて美濃に征ったのか。善人なし、この世に一人の善人もなしとデウス様は言っていたが、やはり、奴もか。御為ごかしの秀吉め・・」<br>　清秀は美濃の空を睨んで歯ぎしりした。秀吉が先夜、朝までしみじみと昔物語をした訳が今ようやく分かったのであった。<br>　だが、歴戦の清秀は素早く頭を切り換え、敵情を右筆に口述した。<br>「敵将盛政を遠望すれば、彼は己の采配に遊(すさ)び事のように酔い、大軍を芋洗うかのように我が砦下に集めている。西岸の狭い切り通しは撤退に不利。羽柴殿が速やかに大返し、盛政勢に夜襲の尾撃をすれば、お味方大勝利」<br>　秀吉は諸事万端を承知だろうが、花押を認めて美濃の秀吉の許に使いを奔らせ、<br>「死ねや者ども、人は百まで生きぬ。最後の一人まで戦って時を稼げ」<br>　清秀は母衣(ほろ)を纏い、自ら決死の槍を振るった。<br>　<br>　やがて、清秀の首は、佐久間盛政の配下である若武者の近藤無一郎に挙げられた。砦に籠もる兵の殆ども討死した。</p><p>　夕刻、清秀の首実検を終えた盛政が大岩山砦の見張台に登った。眼下には、大狸が狸汁にしてくれと言わんばかりに死んだふりするような敵陣が広がるではないか。”我が策成れり”。大きな獲物に垂涎した若い盛政は、明日は挟撃して屠るべし、と未だ春遊に従う叔父勝家に矢のような催促をした。<br>　遥か美濃の方角に増える灯りは、もはや、得意げな盛政の目には、只の家の明りにしか映らなかったのだ。<br>　<br>　<br>　　これは、<br>　　東京都品川区西五反田２の１４の１０五反田ハイム５０４<br>　　電話０３・３７７９・３１２７<br>　「歴史研究」　　編集発行　吉成　勇<br>　　第５５８号（２００８年正月号）<br>に掲載した作品を、加筆修正したものです。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/youkouagu/entry-10603531866.html</link>
<pubDate>Wed, 28 Jul 2010 20:00:11 +0900</pubDate>
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