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<title>朝ぼらけブログ</title>
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<description>日常のこと、シングルマザー生活のこと、歴史のことなどを書いています。役に立ちそうで何か違う、っという感じなので笑って許してください。</description>
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<title>台風。</title>
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<![CDATA[ おはようございます。<br>北茨城市は今になって雨が激しくなってきました。<br>今日は幸いなことに仕事が休みです。<br>娘の保育園も休ませます。<br><br>さて、北茨城市は明日までが夏休みです。夏休み明けの子どもたちは思い出話をたくさん持って学校に行きます。<br>ですが、中には学校に行くのが大変な子もいます。いじめなどで学校が地獄だった子どもが夏休み期間は学校から離れる…しかし、夏休みが終わってしまう。子どもの自殺は夏休み明けが多いのです。<br>学校に行くのが美徳、勤勉の象徴である日本で学校に行かないというのは怠惰に見られがちです。<br>少なからず親は学校に行って勉強をしてもらいと願っています。<br>子どもの要望と親の要望が食い違うために苦しむパターンがこれなのです。<br><br>ボランティアで学習支援塾を主宰していますが、今度は不登校支援も視野にいれようと考えています。<br>さて、不登校支援の計画をねりましょう！<br>
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<pubDate>Tue, 30 Aug 2016 07:47:59 +0900</pubDate>
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<title>玄宗の愛妃。</title>
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<![CDATA[ 唐の玄宗と言えば、楊貴妃とのロマンスが有名ですね。<br>しかし、楊貴妃の前に寵愛した女性がいました。武恵妃という女性です。<br>武恵妃の名前は伝わっていません。彼女は武則天の血筋の娘でした。<br>美貌で音楽に精通していた彼女は後宮に入ると婕妤となりました。<br>彼女が入宮したときに寵愛を得ていたのは趙麗妃、皇甫徳儀、劉才人でした。<br>彼女たちの寵愛が薄れると武婕妤が寵愛を得ていきます。<br>逆を言えば、武婕妤が愛され始めたから彼女たちの寵愛が薄れたのでしょう。<br>皇后王氏が廃されると「恵妃」となりました。この「恵妃」は正一品で三夫人の首位でした。<br>玄宗は武恵妃を皇后に望みました。<br>しかし、あの女傑・武則天の血筋を引く女性。家臣たちはまた女帝が誕生するのではないかと危惧し、それを拒みました。<br>また、武恵妃は息子を皇太子にしようとしますが失敗してしまいます。<br>その皇太子に押し上げようとした息子こそ、楊玉環(楊貴妃)の前夫である寿王でした。<br>玄宗は武恵妃と一緒にいた美貌の王妃に心を奪われたのでしょう。<br>武恵妃の死後、玄宗は王妃であった楊玉環を妃嬪とします。<br>きっと楊貴妃は閨で玄宗に囁いたのかもしれません。<br>「陛下、武恵妃さまはお優しく…」<br>そう囁いて思い出話をしたのでしょう。<br>思い出は美しいものです。<br>愛した女性の思い出を語る楊貴妃の気持ちはわかりませんし、囁いたかもわかりません。<br>ただ、武恵妃と楊貴妃の共通点としては音楽を嗜んだということです。<br>舞う楊貴妃を若かりし武恵妃に重ね合わせていたのかもしれませんね。
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<pubDate>Mon, 29 Aug 2016 18:51:41 +0900</pubDate>
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<title>陸貞のモデル。</title>
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<![CDATA[ 「後宮の涙(陸貞傅)」での陸貞にはいつもハラハラさせられていました。<br>それでも観てしまうから華流マジックにどはまりしていますね(笑)。<br>ドラマでの陸貞はひたむきで聡明。それでも恋愛には不器用。<br>しかし、実際の陸貞はどうだったのでしょうか？<br><br>陸貞のモデルは陸令萱(りく・れいけん)という後宮の下女でした。<br>北斉皇帝高緯の乳母で３番目の皇后である穆黄花の養母でもありました。<br>高緯が即位すると陸令萱は郡君、そして皇后の母親に与えられる「太姫」という称号も与えられました。<br>ドラマでは高湛と結婚しますが、史実では夫がいました。その夫の罪に連座するかたちで令萱は後宮の下女になったのです。<br>しかし、幸運の持ち主だったのでしょうか。<br>皇帝の乳母に抜擢されます。よく世話をした令萱は信頼を集めていきます。<br>そして皇帝の寵愛を受ける穆黄花に目をつけたのです。<br>自分の意にそぐわない皇妃を蹴散らすために穆黄花を養女に。そして皇后に。<br>皇帝の信頼で令萱は女官の女侍中となります。しかし、北周との戦いで殺されました。<br>皇帝の生母でも后妃でもない女性が信頼を糧に権勢を振るったのは稀な例でした。<br>それは幸運が重なった結果でもあります。<br>別な見方をすれば、令萱は愛情深い女性で悪辣な意がなく皇帝を世話したのかも知れません。<br>度重なる幸運が彼女をのしあげたのかもしれません。<br>ですが、令萱は悪女として記憶されてしまうのです。
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<link>https://ameblo.jp/yuitonic/entry-12193493737.html</link>
<pubDate>Thu, 25 Aug 2016 07:45:18 +0900</pubDate>
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<title>昨日。</title>
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<![CDATA[ 昨日の茨城県はものすごい雨でした。<br>冠水や水浸しの場所が多く、その影響で常磐線は止まってしましました。<br>大動脈である6国は大混乱。<br>全く進みませんでした。<br>約3時間かけて自宅につきました。<br><br>このように雨が酷いと昨年の水害を思い出します。<br>台風の次の日で水位が上がった河に大雨…<br>ゆるんだ地盤も心配です。<br>今日も怪しい天気です。<br>色々と心配になってしまいます。
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<link>https://ameblo.jp/yuitonic/entry-12193184513.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Aug 2016 06:59:36 +0900</pubDate>
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<title>今日は。</title>
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<![CDATA[ おはようございます。<br>昨日はいかがお過ごしでしたか？<br>茨城県は一部の地域で停電になり、慌てて懐中電灯を探してスマホとiPadを充電しました。<br>備えていましたが、停電はありませんでした。<br><br>さて、今日は救命講習を受講してきます。<br>新しくなった消防署に行くのでワクワクしています。あと消防士さんに会えるから…(笑)<br>今日も１日頑張りましょう！
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<link>https://ameblo.jp/yuitonic/entry-12192878759.html</link>
<pubDate>Tue, 23 Aug 2016 06:30:27 +0900</pubDate>
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<title>翁主。</title>
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<![CDATA[ 李氏朝鮮では王妃が産んだ娘を公主、側室が産んだ娘を翁主と呼びました。<br>それは朝鮮史や韓流マニアの人なら既に分かっていますね(笑)<br>悪女・趙貴人の娘である孝明翁主(ヒョミョン)、正祖の叔母、和緩翁主(ファワン)、悲劇の王女、徳恵翁主(トッケ)など庶女ながら独自の運命を辿ったお姫様がいました。<br>彼女たちは嫡女よりも光を放つ存在感を持っています。<br>さて、この「翁主」という称号は何でしょうか？<br><br>「翁主」は中国西漢の諸侯の娘の称号でした。諸侯とは皇帝の家族や王に封じられた功臣のことで、「翁主」は王女という意味を持っていました。<br>「公主」の由来は婚儀を三公が取り仕切るためで、「翁主」は婚儀を父親、つまり翁が取り仕切るため「翁主」となりました。<br><br>また、「翁主」は琉球王朝の王女が結婚後に与えられる称号でした。<br>高麗時代や李氏朝鮮初期の後宮にも「翁主」という称号があります。<br>推測するに「王女」というよりは貴族の「姫」という感じで使っていたのでしょう。<br>李氏朝鮮初期の宗室夫人たちも「翁主」の称号が与えられており、その推測が出ました。<br>この「翁主」という称号は大日本帝国の併合制作により消えてしまいました。<br>古代中国でも西漢以降は見受けられません。<br>「翁主」のかわりに諸侯の娘に使う称号は「縣主」となります。<br>それは宋朝の一部の期間を除いては継承されました。<br>名前を残せなかった女性がいる反面、称号でしか名前の残らない女性はある意味で幸運かもしれません。<br>しかし、その称号で運命を狂わせられた女性もいます。<br>そう考えると、どちらが幸運だったのでしょうか？
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<link>https://ameblo.jp/yuitonic/entry-12192757553.html</link>
<pubDate>Mon, 22 Aug 2016 19:26:41 +0900</pubDate>
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<title>おはようございます。</title>
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<![CDATA[ 台風の影響がではじめていますね。<br>通勤されるみなさんは気をつけてください。<br><br>さて、ボランティアグループの名称が決まりました。<br>「まろにえ」に決まりました。<br>マロニエはフランスのシャンゼリゼ通りに植えてある街路樹で花言葉は「天才」。<br>子どもは未来を秘めた存在、子どもはみんな天才という意味を込めてつけました。<br><br>あとは長期活動メンバーと短期活動メンバーを募集しています。<br>詳しくはコメント、またはメッセージをください。
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<link>https://ameblo.jp/yuitonic/entry-12192563719.html</link>
<pubDate>Mon, 22 Aug 2016 06:56:52 +0900</pubDate>
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<title>お久しぶりです。</title>
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<![CDATA[ チャイルドカウンセラー見習いの赤津です。<br>この度、ボランティアグループを結成しようと邁進しています。認定心理士かなさんも活動に賛同してくれています。<br>どんな活動をしているか？というよりするか、ですね(笑)<br>・貧困家庭中心の学習支援<br>・心理面に不安のある子どもさんのサポート<br>・ミニカウンセリング<br>上記のことを計画しています。<br>まだまだ、カウンセラー見習いですが皆さんと触れ合いながら成長していきたいと思っています。<br>まだ、メンバーがいない状況です。<br>大学生、短大生、教員を目指す高校生を茨城県北部中心、福島県いわき市で募集しています。<br>詳しくはコメント、もしくはメッセージをください。<br>短期メンバーやアドバイスメンバーも募集しています。<br>
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<link>https://ameblo.jp/yuitonic/entry-12192373216.html</link>
<pubDate>Sun, 21 Aug 2016 15:41:44 +0900</pubDate>
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<title>世子嬪。</title>
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<![CDATA[ 李氏朝鮮の君主は王と言いました。<br>その世継ぎは王世子と言います。なぜ王太子という称号を使わないのは朝鮮という国が中国の臣下だったからです。<br>太子というのはあくまでも皇帝の世継ぎに使われる称号でした。<br>なら、世子嬪という称号の謎が解けますよね。<br>后というのは正室に使う漢字です。<br>妃、嬪というのは諸王の正室や側室に使う漢字で、嬪は女官を表す漢字でした。<br>李氏朝鮮は中国の臣下です。つまり、諸王にあたります。だから、原則｢妃｣を使います。妃というのは諸王の正室。世継ぎの正室とは別格です。だから、｢嬪｣になります。なんとなく段階的な感じですね。<br>漢代だと…<br>皇帝の正室→皇后<br>太子の正室→太子妃<br>太孫の正室→太孫夫人<br>となります。太孫夫人の称号は調べて初めて知りました^^<br>さて、世子嬪には世宗までは｢〇嬪｣のように徽号が与えられました。<br>定宗の正室、定安王后は｢徳嬪｣の徽号が与えられていました。元敬王后は｢敬嬪｣、あるいは｢正嬪｣の徽号がありましたが、この徽号の習慣は世宗以降はなくなります。<br>｢王妃に世子嬪っていう称号があるなら徽号はいらないよね～｣。<br>こうして徽号制度はなくなりました。しかし、王世子の未亡人に対しては改封として嬪号と徽号を与えました。<br>この未亡人からのし上がったのが粋嬪こと仁粋大妃というのは有名です。<br>彼女はイレギュラーな例だったのでまた改めてお話しようと思います。<br>世子嬪から王大妃にまでなった女性は数名しかいませんでした。<br>世子嬪で亡くなる女性もいました。その女性が王妃になるには夫が即位してから加封された後になります。<br>しかし、世子嬪のままの女性もいたので一概には言えません。<br>また、イレギュラー中のイレギュラーは正祖の生母である恵慶宮ですね。彼女にも逸話があるので後ほど(笑)<br>このように世子嬪の称号を見つめていくと様々なことが見えてきます。<br>そして彼女たちの運命も少しだけ垣間見ることができるのです。<br>
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<link>https://ameblo.jp/yuitonic/entry-12159201556.html</link>
<pubDate>Wed, 11 May 2016 12:38:55 +0900</pubDate>
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<title>太后と太妃。</title>
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<![CDATA[ 皇帝の生母は太后といいます。<br>なら、側室で王、郡王の生母は？<br>太妃といいます。歴史好きの方なら知っていると思います。<br>この太妃とは厳密には｢五公｣の母親となっていて政治的地位は無いとされています。<br>しかし、清代には四太妃という四人の太妃が権力を持ちます。それには理由があって太后が不在だったのがあります。<br>この｢太〇｣という位には種類があります。<br>誥命夫人は太夫人、〇國公の母親や未亡人は〇國太夫人となっています。<br>上のは唐代、では清代後宮ではどうかというと、<br>皇后→皇太后<br>皇貴妃→皇貴太妃<br>貴妃→貴太妃<br>〇妃→〇太妃<br>〇嬪→〇太嬪<br>貴人→皇考貴人<br>常在→皇考常在<br>答應→皇考答應<br>となります。貴人以下の｢皇考｣とは先代という意味があるそうです。<br>また、｢太儀｣という位も存在しました。<br>これは公主の生母の位でした。地位としては太妃の下になります。<br>後宮もそうですが、宮中の女性たちは身分や与えられた地位で生きるしかなかったのです。今の時代には考えられないことです。また、唐代は正五品以下(才人～采女)は皇帝の死後は寺に入りました。<br>この寺から不死鳥の如く復活したのが武媚娘こと則天武后です。<br>不本意で後宮に入った女性達としては女盛りで寺に入るのは不服だったでしょう。<br>彼女のように復活した女性と後宮の片隅で死ぬまで仏様を拝むだけの女性…<br>どちらが安寧で幸せだったでしょうか。
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<link>https://ameblo.jp/yuitonic/entry-12158842977.html</link>
<pubDate>Tue, 10 May 2016 08:40:27 +0900</pubDate>
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