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<title>yunoking05のブログ</title>
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<title>鰻屋の大将の志</title>
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<![CDATA[ お昼ご飯を食べそびれた15時。<br><br><br>夏に向けての戦いを既にはじめているダイエッター柚木は蕎麦でも食べようかと地元の商店街をさまよっていた。<br><br><br>すると、鰻屋さんが目に入り、<br><br>疲れを取るにはビタミンBだ！<br><br><br>ダイエットとは全く関係ない軸で自分を説得し、鰻屋さんへIN。<br><br><br><br>時間帯的にもお客さんは私一人。<br><br><br>待つこと20分。<br><br><br>鰻を提供し終わり大将とのトークセッションがスタートした。<br><br><br>スケールの大きな素敵な大将だった。<br><br><br>お店には震災の方々からの感謝の寄せ書きが飾ってあった。<br>もう何度もボランティアで鰻を提供しに行っていた。<br><br><br><br>たくさんの感謝状の中に、小学生に提供したときの感謝の寄せ書きが飾ってあった。<br><br><br><br>その活動理由が私の考える鰻屋さんの枠を超えていた。<br><br><br><br>大将は語ってくれた。<br><br>「子供達にとっても大変な経験だったと思う。<br><br>でもそれを辛い思い出としてだけ残すのではなくて、<br><br><br>食べ物も手に入らないそんな時にだからこそ、本物のうまいものを食べた、という体験をして欲しい。<br><br><br>そんな経験をした子達が大きくなり、同じように窮地に立った人を見た時に、その時のことを思い出して、人を助けるような人間に育つのではないかと考えているんです。」<br><br><br><br>鰻を通じて教育ということを考えていた。<br><br>鰻をはじめて食べた子供もたくさんいたそうです。<br><br>その道40年の親父がつくる丁寧に仕上げたとろける鰻を食べた子供達。<br><br><br>何らかの影響を受けていることは間違いないです。<br><br><br><br>その話をしていた時、ふと自分が学生時代に人生の壁にぶち当たり埼玉から福岡まで自転車で旅した日のことを思い出した。<br><br><br>柚木23歳の頃を回想。<br><br><br>たまたま立ち寄った愛知県の味噌カツ屋さん。<br><br><br><br>薄汚れたジャージの私に味噌カツ屋さんの店主が興味深そうに<br><br>「なにしてんだ？」と話しかけてきた。<br><br><br>実はかくかくしかじかで自転車で旅してまして。と私。<br><br>「箱根峠危なかっただろ？」と聞かれた時に、<br><br><br>量販店で1万円で並んで買ったマウンテンバイクだったので後ろに荷物をくくりつけていて、ハンドルが軽すぎてもってかれちゃって超危なかったです、と答えた。<br><br><br>その後、店主がカウンターからいなくなったので奧さんと思しき方と雑談していた。<br><br><br><br>しばらくすると、店主がちょっとこっち来い、と外から手招きしている。<br><br><br><br>出てみると、店主が手に自転車の前かごを持っていた。<br><br><br><br>自分の乗っていた自転車からそれをとって私のためにつけてくれようとしていた。<br><br> <br><br>いやいやマウンテンバイクだから前カゴの付いてたら変でしょ！<br>と考える間も無く、とてつもない感謝が湧いてきた。<br><br><br>なんではじめて会った私のためにここまでしてくれるんですか？<br><br><br>と聞いた。<br><br>別にお前のためにやってるわけじゃない。<br>と言われた。<br><br><br>情けは人の為ではなく、自分の為だと。<br>巡り巡ってかえってくるんだと話してくれた。<br><br><br><br>あの時のことは、ここでこうやって思い出すように、私の中に根付いている。<br><br><br>いつもいつも意識してる訳ではないが、きっと何かの判断や選択の際に影響を及ぼしてるんだと思う。<br><br><br>仕事でもプライベートでも、たくさんの人が周りにいてくれて協力してくれてる私をくれたのは、味噌カツ屋の店主かも知れない。<br><br><br>脱線したので話を鰻屋の大将に戻します。<br><br><br><br>若い頃は儲けることに走った時代もありますよ、と笑いながら話してくれた。<br><br><br>今はただの鰻屋で終わりたく無い、と言っていた。<br><br>奧さんには奥さんの人生が、息子には息子の人生が<br><br>そして俺には俺の人生がある。<br><br><br>何かのせいにして、できない理由を探すんじゃなくて、前に進みたい。<br>失敗がない人生なんてつまらんじゃないですか。<br><br><br>そう語る大将75歳。<br><br><br><br>後光が差していた。<br><br><br><br>鰻という一つの道を極めたことから可能性が広がり、やっていることが教育にまでつながっている。<br><br><br><br>この人、鰻界のイチローだなと思った。<br><br><br>鰻界のイチローに私もインスパイアされている！！<br><br><br>自分が欲しい成果のために道を極めていくことが結果として、人に影響を及ぼすことになると知った今日。<br><br><br>自分が欲しいものを得たり欲求を最大限に通そうとすると結果的には相手の欲求も叶えないとそれはできない。<br><br><br>とことん自分の考えを押し通そうとすると相手の幸せを考えざるを得ない。<br><br><br>自分に真剣であることは人の為なのだ。<br><br><br>大将ありがとう、俺、器の大きな人間になるよ。<br><br>心で呟いた。<br><br><br><br>お会計時、<br><br><br>お釣りは大将の活動にあててください。<br><br><br>そう言って颯爽と去る自分をカッコいいと思ってしまった成長の余地の大きな私。<br><br><br>愛してます。<br>私と世界を。<br>
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<link>https://ameblo.jp/yunoking05/entry-12153616827.html</link>
<pubDate>Sun, 24 Apr 2016 22:26:12 +0900</pubDate>
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<title>第６回　さなぎの会</title>
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<![CDATA[ 我が家に現役の経営者さんを招いて創業の経緯や苦労、今目指すところなど、大きな講演会では話してもらえない生々しい話を語って頂く、「さなぎの会」も第六回を迎えました。<br>今回ご登壇頂いのは、株式会社BRASTの柏原社長34歳です。<br>とってもファンキーないでたちですが、チャレンジを楽しむその生き方に非常に力づけられました。<br>創業の経緯は、18歳でお子さんができて、とにかくお金を稼がなくてはいけない状況になったこと。<br><br>足場工事の職人、いわゆるとび職として個人事業でスタート。<br>「みんなが休んでいる時にも働いてました」<br>そう語る柏原社長は20歳の頃には月に100万以上を稼ぐ職人に。<br><br>当時、周りの仲間が「いいなあ、お前は稼いでいて・・」<br>「だったら働けよ」と言ったそうですが、<br>「お前みたいに稼げる仕事じゃないし。」<br><br>若いうちから十分休みながら稼ごうなんてムシがよすぎるとばっさり切り捨てる様カッコよかった。<br>そうだその通り！！<br><br>当時、たくさん稼ぎながらもいつも不安に思っていたこと。<br>体力勝負で歳をとったら仕事ができなくなる。<br>転機は25歳の時。当時の取引先の大手ゼネコンからある部署の責任者としてうちの会社に来ないかと声がかかった時。<br>そのポジションをひきうけると会社員になるため稼ぎは今までの三分の一。<br>それでも将来の自分のために、今、現場仕事をやるより、ここで学べることがあると考えて引き受けたとのこと。<br>できそうでできないよ、こりゃ。<br><br>突然やってきたよそ者に社内でも多くの反対の声があったとか。<br>そりゃそうだ。<br><br>ある日、自分の部署が同業他社への突然の身売り話を聞かされ<br>柏原青年は多額の負債を背負いその部署を買い取り社長就任。<br>一緒に働いていた部署のほとんどがついてきてくれたそうです。<br>当時28歳。<br><br>会社員時代に看板ではなく、男、柏原として自分の名前でたくさんの取引先と信頼関係を築いていたため、仕事はあったそうです。<br><br>経営者として立ってからは、取引先がお金を払ってくれないこともあったとのこと。<br>それでも、社員が一生懸命仕上げた仕事に対価が払われないということは許せず、やりたい仕事ではなかったけど、お金を取り立てに行く仕事もした、と。<br>このくだりは生々しくてかけませんが、男としてはしびれる話でした。<br><br>一番みじめだったのは自分がやると決めた仕事なのにお金がまわらず親に頭を下げたとき。<br><br><br>社員のためにというよりも、俺がやりたいことをやってるだけですよ、と笑いながら話していた。<br><br>足場工事からスタートした会社も順調に大きくなった。<br>事務員さんが辞めるという話になったとき、理由を聞くと仕事を続けたいと思ったけど子供ができたので迷惑になると思って。<br>だったら、託児所をつくればいい！<br>そんな発想で託児所がスタート。<br>今では託児所も事業化して地域の子育てママたちの力になっている。<br><br>もともと子供好きなため、毎日託児所に顔を出してから出社するようになると、ふと毎日コンビニ弁当が昼食の子供に気づく。<br>ちゃんとした食事をとらせてあげたい。<br>よく考えると独身の従業員もしっかりと栄養のある食事がとれているのだろうか。<br>そうだ、食堂をつくろう。<br>そんな発想で食堂スタート。<br>今ではこちらも事業化して、地元の人に愛される食堂に。<br><br>そして、託児所にいる子供たちをみていると、いつも部屋の中にいて運動不足なんじゃないかと思ったそうです。<br>運動をさせてあげたい。<br>そう考え、なんと公園までつくってしまいます。<br>（ジャングルジムやすべり台って超高え！）<br><br>現在34歳。<br>七十人の社員さんが働く会社に。<br>そして、千葉県優秀経営者表彰を受賞。<br><br>「チャレンジって超楽しく無いですか？」<br>そう言って子供のように笑う笑顔が超かっこよかった。<br><br><br>目先の損得ではなく自分の欲しい人生を得るという観点に立ち、物事を選択し、それを世の中のためにという観点と結びつける発想が天才的でした。<br><br>プライベートな少人数の会にて、オープンに人生を分かち合ってくれた、柏原社長に感謝。<br><br>さなぎの会は「生きるを変える、働くを変える」を提供します。<br><br>柏原社長インタビュー（※さなぎの会映像ではありません）<br>http://buzip.net/chiba/brast/president/<br>ブログ<br>http://www.sakura-brast.blogspot.jp<br>HP<br>http://www.brast-a.jp<br>
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<link>https://ameblo.jp/yunoking05/entry-12153611364.html</link>
<pubDate>Sun, 24 Apr 2016 22:11:53 +0900</pubDate>
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