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<title>ゆらログ。</title>
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<description>煮詰まっている人にヒントになるような場所になりたい、そして一緒に楽しんでくれる人に見つけてもらいたい。考えていること、気付き、やりたいこと、あとタロットの話や色々な企画の募集とか。</description>
<language>ja</language>
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<title>正しいかどうか、ではなく</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>色々な文章や考え方が、ネットで探してみたりすると特に色々ありますが、</p><p>「何を伝えることを目的にしているのか」を考えてみると良いですよ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>特定の能力の重要性を説いているものもあれば、</p><p>「努力している人」など、特定の属性の人へのエールだったりとか。</p><p>&nbsp;</p><p>そして何かを応援したり肯定したりすることだけでなく、</p><p>その事柄の反対側を否定することも隠れた目的になっている文章もありますよね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>色々な文章や考え方を取り入れるかどうか選ぶときに大事なのは、</p><p>「正しいかどうか」ではないです。</p><p>その言葉を取り入れた時に、「自分を良い方向へ向けてくれるかどうか」、です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>「正しいかどうか」で考えると、まぁ大体は間違っていないですよ。</p><p>ある状況には適しているだろうし適していない状況もある、そんなもんです。</p><p>&nbsp;</p><p>でもある種の正しさがあったところで、</p><p>それを取り入れて自分が元気なくなったりするだけなら何の意味もなくないですか。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>「権威ある」と感じる人が発信していたとしても、</p><p>多くの人がその考え方を信じていたとしても、</p><p>いくら正しく感じても、取り入れない方が良い文章や考え方って、あるんです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>食べ物と一緒でさ、</p><p>いくら栄養価が高いよーって話だとしても、</p><p>重度のアレルギーなら食べるべきものではない。</p><p>文章や考え方でもそういうことって、ある。</p><p>&nbsp;</p><p>で、これも食べ物と一緒で、</p><p>今の自分自身に合うもので、目的に沿ったものを取り入れると良いよ。</p><p>筋肉を付けたいならタンパク質を多く摂るように、</p><p>望む方向に向かって後押ししてくれたり、</p><p>何か良いものがあるように感じるものを取り入れると良いです。</p><p>&nbsp;</p><p>あと、「正しいかどうか」が気になる時って大体取り入れない方がいい。</p><p>「取り入れたくないけれど、取り入れなければならないような圧力を感じる」、</p><p>そういうサインだから。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そんな程度のものですよ、文章って、考え方って、言葉って。</p><p>&nbsp;</p><p>自分の人生の方が、どう考えても大事じゃないですか。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yurralog/entry-12748007374.html</link>
<pubDate>Mon, 13 Jun 2022 20:00:00 +0900</pubDate>
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<title>傷つく時に考えること、私の一例</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>特定の言葉に傷つく時、特定のパターンに傷つく時。</p><p>&nbsp;</p><p>そしてその傷つき方が、「まぁ当たり前に酷いことだよね」という感じでなく、</p><p>誰かに必死で訴えなければいけないような気持ちになったり、</p><p>怒れば怒るほど、惨めになっていくような気がする時。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>それは、「世界は私のことをこう扱う」という思い込みがある。</p><p>&nbsp;</p><p>それは裏を返せば、「私は世界からこう扱われる人間である」という思い込みだ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>私が私の扱い方を間違えている時に、その傷付けられ方を惨めだと感じる。</p><p>傷つけられた時、丁寧に見ていけば私が私の誇りを取り戻すチャンスにもなる。</p><p>どの思い込みを変える必要があるのか、傷つくことは教えてくれる。</p><p>&nbsp;</p><p>＊＊＊</p><p>&nbsp;</p><p>私の例なんですけれど、</p><p>「親を助けてあげなさい」ということを言われるのがすごく嫌でした。</p><p>&nbsp;</p><p>親がまた、私から見たら明らかに無駄な関わりを親族にして助けようとする人で、</p><p>親がそれに疲れて私がケアをするということに最近とても疲れていて、</p><p>そして何度でも繰り返されて徒労を重ねさせられる気しかしなかったんです。</p><p>&nbsp;</p><p>その時かけた電話占い師さんに言われたことが上記の言葉でした。</p><p>「あなたが強くなって、母親をいい方向に導く力をつけるのがいい」と。</p><p>&nbsp;</p><p>私は冷静でいられなくなって、その電話を切りました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>さて、ここからは、ある程度思考も使って探してみるところです。</p><p>&nbsp;</p><p>私がケアする立場の人に傷つけられる言動をした時に怒ってこなかった人なら、</p><p>今回の一件で自分の立場から怒るということを許可するチャンスになります。</p><p>ただ、私の立場から相手に対して怒ることは自分自身に許せていたし、</p><p>怒り続けてみたところで突破口がある感じもしなかったので、今回は違いました。</p><p>&nbsp;</p><p>それに、占い師さんの言っていることが間違っているわけでもありません。</p><p>というか今まで母をケアしながら突破口を見つけるのは何度もしてきたし、</p><p>まぁ今回もなんだかんだでそうなんだろうなーというのはどこかで思ってました。</p><p>そういうわけで、「母親を幸せにしたくない」わけでもないのです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>この一件で得られた大事な情報は、</p><p>「親を助けてあげなさい」と第三者から言われるシチュエーションが</p><p>冷静でいられない程傷つくことです（ここまでとは無自覚でした）。</p><p>&nbsp;</p><p>もう一つ、傷ついたということは別の言葉を期待していた、ということです。</p><p>そして他人に何かの言葉を期待するということは、</p><p>自分自身でその言葉を必要なのに自分にかけていないということです。</p><p>&nbsp;</p><p>更に掘り下げてみると、「親」の部分に他の人が入ったとしても不快感はあり、</p><p>その不快感は他者に対する漠然とした嫌悪感、警戒感と同一の感覚でした。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>不快感を言葉にしてみると、</p><p>「世界から『お前より他の人たちの幸せの方が重要だ』と言われている」</p><p>という感覚だと思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>それは、「私は他の人より幸せを尊重されない存在である」ということになります。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、世界の方が、特定の人だけを扱いを変えるという存在ではないので、</p><p>「私が、私は他の人より幸せを尊重されない存在である」と定義づけているのです。</p><p>&nbsp;</p><p>この部分は、今回初めて辿り着いた部分でした。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>これで、思考を使って問題点はある程度的を絞れた感じがするので、</p><p>今度はこれをどうすればいいか、自分自身にそのまま聞いてみます。</p><p>&nbsp;</p><p>「私は幸せになってもいい」、と、自分に言い聞かせることが必要だと感じました。</p><p>&nbsp;</p><p>その時、「あ、私って自分の幸せを完全には許可してなかったんだ」と気付き、</p><p>初めて「私は幸せになってもいい」という言葉の意味を理解した感じがしました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>「幸せになってもいい」「自由になってもいい」という言葉は、</p><p>思い返せば色々な所で言われたり、触れたりした言葉でした。</p><p>&nbsp;</p><p>今回の一連の経験で初めて「自分自身に対してそう思っていない」ことを知り、</p><p>それによって初めてそれらの言葉を、きちんと受け止められるようになったのです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yurralog/entry-12744312722.html</link>
<pubDate>Tue, 24 May 2022 20:00:00 +0900</pubDate>
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<title>ガチャみたいなことがしたい</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>何を書けばいいのか分からないまま、気が付けば1ヶ月が経ってましたね。</p><p>ちょっと初心に返って最近気付いたやりたいことの話をします。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>「何なのか分からないけど、ちょっと楽しい体験」を届けることがしたいです。</p><p>その人の悩みと向き合うとか、その人の視野外の活路を開く瞬間に立ち会うとか、</p><p>そういうことをやりたい気持ちはあるんですけれど、</p><p>それとは完全に別の話みたいです。</p><p>&nbsp;</p><p>占いに対して一般の方が思っているイメージが一番近いと思います。</p><p>タロット占いは具体的な悩みに対して具体的な回答を出すのが得意なんですが、</p><p>「何が出てくるか分からないけれど楽しみ」みたいな、</p><p>絵のイメージを楽しむみたいなフランクな使い方もできるんですよね。</p><p>&nbsp;</p><p>あと、文通ではなく手紙が欲しい人に手紙を書く、みたいなこともしたいんですが、</p><p>それも悩み相談、というよりは「何か楽しみ」を体験として届けたいんだな、と。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>この辺り、何となくは分かってたんですけれど大きく考えてしまうことが多くて、</p><p>気が付けばそんなにやりたくもない形になっていることが多かったんですよね。</p><p>&nbsp;</p><p>小さな規模の望みを小さいまま楽しんで大事にする、ということ、</p><p>意外と盲点になりやすいことだなぁ、と、実感したという話です。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/yurralog/entry-12743745376.html</link>
<pubDate>Fri, 20 May 2022 20:00:00 +0900</pubDate>
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<title>「わかってほしい」の罠</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>「わかってほしい」って、</p><p>自分を相手に適切な形で知ってほしい、という欲求じゃないんです。</p><p>「適切に」、じゃなくて、「特別に」扱ってもらわないとダメなんですよ。</p><p>&nbsp;</p><p>「特別に」扱う、というのが何かというと、</p><p>「適切に」「正当に」という範囲を超えて、</p><p>相手が相手の立場を投げ捨てて100%被害者としての自分の立場に寄り添ったり、</p><p>その結果として、何らかの侵入や迷惑を仕方がないものだと納得する、</p><p>そういう対等でない特別扱いを示してもらう、ということだったりします。</p><p>&nbsp;</p><p>「わかってほしい」って、それ自体が加害的な欲求なんです。</p><p>単に自分のことについて知って欲しいという可愛い欲求じゃありません。</p><p>相手に対するコントロール欲求です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>あと、人間関係の加害的な関わりの根底が「わかってほしい」なことも多いです。</p><p>自分が被害にあったから相手に同じ思いをさせる、というのも、</p><p>「その時の自分をわかってほしいから」、そうすることも多いです。</p><p>意見の押し付けにも「わかってほしい」はかなり絡んできます。</p><p>&nbsp;</p><p>「わかってほしい」が「わかってもらえた」と感じる時があったとしたら、</p><p>その時感じているのは相手を支配した快楽です。</p><p>だから一回「わかってもらえた」からって納まりません。</p><p>また、時間が経つとむくむくと、「わかってほしい」が出てきます。</p><p>根本的な解決ではないただの快楽だからです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>「わかってほしい」が出てきた時、考えるべきは、</p><p>「どうやって相手にわかってもらうか」ではなくて、</p><p>「どうやって相手にわかってもらわなくても良い状態にするか」、です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>で、否定したところで欲求というのは消えるものではありませんので、</p><p>そういうものを抱えているということ自体は認めつつ、</p><p>どこに落とし所を用意するかを自分で掘り下げることが、そこからは必要です。</p><p>&nbsp;</p><p>手に負えないのであれば、セラピストなどのプロの方の手を借りる手段も使います。</p><p>プロの手を借りてでも、自分で処理をします。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>「他人には自分が思うように自分を理解する義務などない」ということを、</p><p>どこまでも深く、腑に落とすこと。</p><p>多分その度合いが、自分自身で幸せを掴むことができる度合いにもなると思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yurralog/entry-12738118933.html</link>
<pubDate>Mon, 18 Apr 2022 20:00:00 +0900</pubDate>
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<title>「これで幸せになっていい」と思えるか</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>ケースによっては当てはまらないこともあるかもしれないですが、</p><p>私が個人的に、大事だと思っていることを書きます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>「幸せ」になっていく方法、その過程。</p><p>様々な心理療法やセラピー、スピリチュアル的なやり方もありますが、</p><p>「この経験によってなら幸せになってもいい」と、</p><p>本人が思えるやり方でないと回復していかない、ということです。</p><p>&nbsp;</p><p>どんなに他の人にとって成果のあるやり方でも、</p><p>「こんなやり方で幸せになりたくない」と思う方法だったら上手くいかないです。</p><p>そしてどのやり方なら良いと思えるかは、その人の価値観や</p><p>その時得たい体験が何なのかにも因ります。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>苦しんでいるところから幸せになること、って、</p><p>その人の人生にとっても核になるイベントだったりします。</p><p>また、誰かに理解してもらう経験や、本当に好きな世界の中に入る入り口として、</p><p>その経験のために苦しみが必要になっていることもあります。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>人生を変えるような分岐点を、好きでもなければ自分の中にニーズもないやり方で</p><p>誤魔化すように何とかしようとしても効果がない場合がほとんどだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>「話をしっかり聞いてほしい」とか「何か特別な体験によって変わりたい」とか、</p><p>自分の中に苦しみを使って体験したいことが見えているなら、</p><p>それを叶えることが多分一番近道です。</p><p>&nbsp;</p><p>どういった方向性で、どれ位の熱量をそこに注いでもらって、</p><p>どういう経験をすれば「幸せになっても良いかもしれない」と思えるのか。</p><p>あとそうですね、「この人に関わってもらいたい」と思えるかも重要ですね。</p><p>&nbsp;</p><p>幸せになる、そのための方法を色々探すという経験は、</p><p>どこまで自分を尊重し、敬意を持った選択ができるか、ということだと思います。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/yurralog/entry-12734195556.html</link>
<pubDate>Sun, 27 Mar 2022 19:30:50 +0900</pubDate>
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<title>アートセラピーのススメ</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>言葉で自分の気持ちを整理することが最近は多かったのですけれど、</p><p>非言語的な手段の表現の良さを実感する出来事があったので、</p><p>ちょっとその話をしようと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>最近はわりと上手く流れに乗っていたのですが、</p><p>妨害的な出来事にあった後また煮詰まった状態になりまして。</p><p>ノートに言葉で色々探りながら書いていたのですがどうにも突破口がなく、</p><p>ただただ煮詰まっている、ということしか出てこなくて大分お手上げでした。</p><p>&nbsp;</p><p>で、あんまり上手く表現できる気もしなくて乗り気ではなかったんですが、</p><p>乗り気でない一方で謎に「色を使いたい」みたいな衝動もあり、</p><p>まぁ出来るところから描いてみるか、何にもならなくても元々だしな、と、</p><p>久々に芸術療法的なことをやってみました。</p><p>&nbsp;</p><p>といってもやることは結構単純で、</p><p>アクリル絵の具で煮詰まり感を簡単な抽象画として表現しようとしただけです。</p><p>水彩よりカチッとしていて発色が良いものを使いたくてアクリルにしました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>煮詰まり感は不自由さかな、枠の中から出れない感じかな、と思っていたので、</p><p>まずは黒い枠を描いてみました。</p><p>&nbsp;</p><p>そして枠の中に何があるのか、外にかろうじて出せているものはどんな色か、</p><p>描いてみることで枠の正体が掴もうと思っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>何故か枠の外にも中にもぐちゃぐちゃに絵の具が広がりました。</p><p>&nbsp;</p><p>ぐちゃぐちゃに広がった絵を見て、ただただ、「駄作だな」と感じました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そしてその、「駄作だな」という感覚は、</p><p>自分の人生にも同じことを感じているな、と、それから気付きました。</p><p>そしてそれを昔からずっと感じていたことに、その時初めて気付きました。</p><p>&nbsp;</p><p>中も外もぐちゃぐちゃなので、枠は全然関係ありませんでした。</p><p>問題点は不自由感ではなく、その奥がぐちゃぐちゃになっていたことでした。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>感覚を掴むことができれば後は言葉で深掘りしていくことができます。</p><p>いつからそう感じていたのか、どういう時にこの感覚が浮上するのか。</p><p>&nbsp;</p><p>その後色々動きがあったのですが、</p><p>あんまり説明もしにくいので、その後のことについては控えます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>「駄作だな」という感覚が私が私に感じていたことの全てではありません。</p><p>誇りを持っている部分も、希望を持っている部分もあります。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、「駄作だな」と感じている部分は確かにあって、</p><p>それを処理しないまま、自覚しないまま押し込めていたことで</p><p>その感覚はそのままの形で、人生の色々な所で効力を持ってしまっていました。</p><p>&nbsp;</p><p>物事の始まりとして、自分が感じていることをうまく自覚しないと、</p><p>それを解決する方向にも向かえないです。</p><p>&nbsp;</p><p>そして自覚のためのツールとして、アートの方が向いていることがあります。</p><p>非言語表現は思い込みから自由な表現が出てきやすいこと、</p><p>そして身体的な表現でもあるので、衝動や感覚が出てきやすいことです。</p><p>&nbsp;</p><p>言葉ってすごく厳密な表現もできるからこそ、</p><p>逆に広く見渡しにくいツールでもあると思っています。</p><p>ある程度見えてきたものを更に深掘りするにはすごく強いツールだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そのまま抽象画として描いてみよう、でも見えてくると思いますし、</p><p>自由すぎると戸惑う方にはマンダラ塗り絵なんかもオススメです。</p><p>言葉で探っていても出てこない何かを引き出す時に、</p><p>非言語的な表現、アートを使ってみることで開けるものがあるかもしれません。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/yurralog/entry-12733354509.html</link>
<pubDate>Tue, 22 Mar 2022 22:22:22 +0900</pubDate>
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<title>「学んでいる」ということ自体の魅力</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>読まなきゃと思ったまま積んでいた心理系の本を色々読み始めています。</p><p>臨床心理周辺の本、ずっと好きで数年前までそんな本ばかり読んでいたのですが、</p><p>しばらく離れていたのでちょっとリハビリ感があります。</p><p>&nbsp;</p><p>書かれている内容の感覚はわかるけれど、</p><p>書かれていることの価値は、多分昔の方が実感として分かっただろうなと思ったり。</p><p>自分のペースで色々読み進めていくうちに戻ってくると良いなぁと思ってます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>改めて「学んでいる」という状態は大事だな、と思ったのでそんな話を書きます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>最初にこのことを考えたのは、学生時代に読んだとある本からです。</p><p>内容も全然残っていないのでタイトルもわからない本の話からで申し訳ないです、</p><p>確か新任教師におすすめの本を紹介するという内容の本だったと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>「学び続けることは教師にとって大事だ」というメッセージの本だったのですが、</p><p>その中に、「どこかに傲慢さもあり新任一年目のクラスが荒れてしまったが、</p><p>これはいけないと本を真剣に読んで学んでいったら、子ども達も変わった」</p><p>というエピソードが書かれていました。</p><p>&nbsp;</p><p>だからちゃんと知識を身につけて学んでいくことは大事なんだ、というように</p><p>それ以降の本の文章は展開していくのですが、</p><p>私は「知識ではなく、学んでいるという状態自体の作用だ」と思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>「学んでいる」という状態、つまり目標や一定の方向に向かうために</p><p>周囲から全力で情報を収集して自分の思考回路を自発的に変化させている状態って、</p><p>それ自体に、周囲や運を味方につける力があるなぁと感じます。</p><p>&nbsp;</p><p>魅力の一つは、学ぶ事柄に関わる周りに対して誠実に開かれているということ。</p><p>もう一つは、学んだ先にある可能性の広がりの気配を感じ取れることだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>逆にいうと、何も「学んでいる」という状態がない、</p><p>興味や方向性がない、という状態が長く続くことは、</p><p>周囲に対して閉じていてこれからの可能性もない、</p><p>現状維持のように見えて根本的に後退している、とも言えると思います。</p><p>&nbsp;</p><p>ストイックである必要はないしコロコロ対象は変わっても良いと思いますが、</p><p>何かしら「学んでいる」という状態は作っておきたい、そう思った次第です。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yurralog/entry-12731568988.html</link>
<pubDate>Sat, 12 Mar 2022 22:22:22 +0900</pubDate>
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<title>「自信が“ない”」「自信が“ある”」</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>ずっと思っていたことを一つ書いてみようと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>「自信がない」</p><p>「自信がある」</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>あのね、</p><p>この表現、</p><p>&nbsp;</p><p>罠だと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>落ち込んでいた時期のことをある程度立ち直った今から考えると、</p><p>「自己否定が“ある”」</p><p>「自己否定が“ない”」</p><p>という表現の方が正しいと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>「自信がない状態で生まれてきた赤ちゃんはいない」って、聞いたことないですか。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そう、「自信がある」方が余計なものがくっ付いてない状態。</p><p>「自信がない」方が後天的に余計なものがくっ付いた状態。</p><p>&nbsp;</p><p>だから、「自信がない」から抜け出すために必要な作業は、</p><p>付け足しでなくくっついた余計なものを見つけ出し、取り除くことです。</p><p>&nbsp;</p><p>たまーに「自信をつけよう」として、その中で余計なものがとれることはあるけど。</p><p>でもそれってどっちかというと幸運みたいな話だなと思うし、</p><p>「自己否定があり過ぎる」と到底そんなこともできないから、</p><p>解決策としてもあんまり有用ではないと思うんです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>なんかね、多分、日本人、根っこのどっかに</p><p>「自信とは、正当な努力による結果の報酬として得られるもの」</p><p>って思い込みが広く常識的にある感じがする。</p><p>&nbsp;</p><p>そのせいで「自己否定がない」状態になるのが難しいって側面、あると思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yurralog/entry-12731229559.html</link>
<pubDate>Thu, 10 Mar 2022 23:40:00 +0900</pubDate>
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<title>特に、うまくいかない時に考えること</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>何だかうまくいかないな、という時とか、調子があんまり良くない時とか。</p><p>何をしたら切り抜けられるのか今一つ分からない時の突破口の探し方として、</p><p>特効薬ではないですが、土台として持っておくと良い考え方の話をします。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>改善する具体的な方法が見つからない時期に意識を向けると良いこと。</p><p>それは、「現在を冷静に観察する」ことと、「未来への希望を見続ける」ことです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>どういうことか、サッカーを例に出して説明してみようと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>「現在の観察」、味方が今どこに居たり、相手の守りの手薄な所はどこか探ったり、</p><p>点差の状況、流れ、今攻めて行けそうかどうか、そういうことの冷静な観察です。</p><p>&nbsp;</p><p>「未来の希望」、どうにかして最終的に勝つ、ということを念頭に、</p><p>チャンスに対してアンテナを張り巡らせたり、隙を生み出させようとしたり、</p><p>望む結果を意志によって見据え、そこに至るまでの勝ち筋を探り続けることです。</p><p>&nbsp;</p><p>今勝利に向かう道が見えないとしても、状況としては不利だとしても、</p><p>それでも勝ちを見据え続けるということです。</p><p>そして勝ち筋を見つけるために、誤魔化さずに状況を認識するということです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>「現在の不利な要素も認識する」ことと、「未来の希望を見る」ことは、</p><p>相反することではなく、両立させることもそんなに難しいことではないです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>体調が悪い時、体のどの場所がどれくらい調子が悪くて、</p><p>何がちょっと無理という状態になっているのか、というのを観察すること。</p><p>&nbsp;</p><p>そして休んでも回復しない、回復するのに必要な休息がすぐに取れないとしても、</p><p>最終的に元気になるまで回復する、少しずつでも回復する、という意志を持つこと。</p><p>&nbsp;</p><p>精神的に崩れていたりするような場合も同様です。</p><p>何ができて何ができそうになくて、それを認めて無理はしない。</p><p>けれどその延長線上の未来を見て悲観しない、見るのは予測でなく上手くいく状況。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>観察の結果感じたことが「このまま自分でやっても勝算がある気がしない」、</p><p>「そもそも不安によって観察も上手くできていない」ということなら、</p><p>パッとプロの手や他人の手を借りるのも良いですね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>無理矢理ポジティブにして誤魔化したり、無理して今を捻じ曲げようとしない。</p><p>今がうまくいってない要素が多くてもそのまま未来を諦めない。</p><p>結構、これだけで少しずつ物事が展開していくことも多いと思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yurralog/entry-12730147919.html</link>
<pubDate>Fri, 04 Mar 2022 22:40:00 +0900</pubDate>
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<title>“神様”に手紙を書こう！</title>
<description>
<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>本日2回目の記事です。</p><p>もうちょっとブログ全体が固まってから出した方が良い内容かもしれませんが、</p><p>今日軽やかな感じになって急に閃いて書きたくなったことなので、</p><p>この感覚を忘れない内に書くだけ書いちゃいます。</p><p>もうちょっと人に見てもらえるようになったらまた改めて記事化する予定です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>タイトルまんまですが、“神様”に宛てる手紙を書いてみましょう、というススメです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>“神様”、宛先は「神様」でも「守護霊さん」でも「ハイヤーセルフ」でも、</p><p>しっくり来て味方になってくれそうな存在だったら何でも良いです。</p><p>ふとした直感を届けてくれたり、自分のことを生かすように動いてくれる、</p><p>そんな自分の味方であり、そして信頼できる「見えない存在」がいると仮定して、</p><p>その存在宛に手紙を書いてみましょう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>で、書く道具。</p><p>お気に入りのレターセットでも良いし、無ければコピー用紙と茶封筒でも良いです。</p><p>何でも良いので“神様”に宛てる言葉を書く紙を一枚、</p><p>そしてそれをしまって届けるための封筒を一枚。</p><p>&nbsp;</p><p>そう、書ける量は一枚だけです。</p><p>願い事でも感謝でも泣き言でも何でも良い、</p><p>相手は寛容に聞き入れてくれる存在なので何を書いても大丈夫です。</p><p>書きながら考えるような文章でも、大丈夫です、受け止めてくれます。</p><p>一枚の中に、信頼できる「見えない存在」に伝えたい言葉をしっかり書きましょう！</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>書けたら封筒にしまって、シールなり糊付けなりして封をします。</p><p>そして「届ける為の場所」にしまいます。</p><p>押し入れの引き出しの奥でもいいし、ポストっぽく綺麗な缶の中もオススメです。</p><p>ただ、「届ける為の手紙」なので、すぐゴミ箱行きはやめた方がいいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そうして「届けた」手紙は宛てた“神様”がしっかり読んでくれます。</p><p>そもそも「見えない存在」なので、物理的に届いてなくても手紙は読めます。</p><p>&nbsp;</p><p>そして味方になってくれる存在なので、貴方のために色々と動いてくれます。</p><p>願い事を書いたらその願いが叶ってくれるように、</p><p>泣き言を書いたらそれが楽になっていくように、</p><p>ある時には直感で道を示してくれたり、ある時は奇妙にタイミングが合ったりと、</p><p>貴方が見ているより広い視野から、ありとあらゆる協力をしてくれます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>このワークを、2週間に1回くらいの頻度でやるとすごく良いと思います。</p><p>確信はあるのですがまだこの形での検証はしていないので、</p><p>今から始めてみて、その変化もブログの中でお伝えしたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>効果をはっきりと書けるようになったら、改めて、記事にしたいと思います。</p>
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<pubDate>Sun, 27 Feb 2022 22:22:22 +0900</pubDate>
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