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<title>yuutourのブログ</title>
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<title>職業の選び方</title>
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<![CDATA[ <p>僕の職業は解体屋です。とは言っても皆さんの認識は少し遠いかもしれません。建物、言わば建造物を解体し、無くす、そして更地にする仕事です。知っている人も知らない人もいると思いますが、大半の認識は汚い、危ない、ガサツで野蛮、恐い人とかクルド人とか中国人がやってそうとかマイナスなイメージしかわかないのではないかと思います、僕は生まれは新潟長岡で19歳で埼玉に1人移住し成り行きで解体屋になりました。当時は賃金が低い事にも気付かず、最低最悪な仕事だと思いながらもダラダラと続けているだけの青年期でしたが、今はこれが天職だったのだろうと自分で理解しています。仕事とは、どんな人がどんな仕事に就くとしてもどうやら天職になりうる、もしくは天職を見つけるきっかけにはなりうる物であるという事をこれまでの経験からあり得ると自負しています。出くわした仕事がどの様に発展していくかは本人の姿勢で如何様にもなるのだと気付けました。それは今までの僕の経験が教えてくれました。天職とは使命と言えるでしょう。好奇心や成り行きで得た縁は形をなし、人を繋ぎます、しかし縁は奥ゆかしい物で、錆びたり腐ったりするとたちまち姿が見えなくなります。本人が如何に才能に恵まれたとしても才能に胡座をかき、横柄に傲慢になるならば才能に食われたと言わざるを得ないでしょう。実際僕はそうでした。そうです、才能は自分の為だけに使おうとするとたちまち孤立無縁になり役に立てる状況すら与えられないという現実が押し寄せてきます。しかし、逆もまた然りであって、依頼人、または家族、従業員、その他ステークホルダー全ての為に、誠意を持って技術やサービスを提供するならば、与えられた才能は輝き、そしてまた派生や進化を続けていくでしょう。僕の先生の赤塚高仁師もそう言ってました。天職になると今度は次の世代に伝えなくてはなりませんが、どうしても伝えきれません。なぜなら、僕は重機で切断している鉄の温度や摩擦程度、コンクリート構造物の柱の中にある鉄筋の粘土、後、どれくらいで千切れるとか、熱、圧力、地下構造の土圧水圧、重力や張力、それに高所から物体が落下する軌跡、それがわかるんです。解体には建築と違って構造計算などはなく、劣化具合を見ながら建物と相談しなければなりません。熟練の技術と経験が必要であり、そこにたどり着くのはやはり極一部の人だけしかこれてない気がします。</p><p><br></p><p>縁にはまだ後いくつかのベクトルが存在します。</p><p><br></p><p>それは現場との出会いの縁です。どんなに本人がやりたい仕事があったとしても相手に頼まれなければ縁が紡ぐ事はないでしょう。それは運と言っても過言ではないと思います。一見しては解体業者が仕事を選んでいるかの様に見えるが実際は解体物件が選んでいるように思えてなりません。</p><p>依頼人との縁であり、物件の念が業者とを引き合わせているように思います。</p><p>共すると本質的には解体屋は本質的には浄化であり、実際に地縛霊を除霊している事になりえるのです。先程、目に見えない力ばかりを書き並べましたが、これが本質的な事実なんでしょう。</p><p>良いものが呼ぶ時もあれば悪いものが呼ぶ時もあり、私達はそれらの要望にも答えていかなくてはなりません。</p><p>赤塚先生もその盟友、かっこちゃんも言ってましたが、全ての物質は分子から原子、原子構造崩壊するとさらに小さくクォークになる、全ては回転であり実体はない。原子も波動でできていると。</p><p>僕もコンクリートは粉の塊、鉄は液体だと思って解体してきました。</p><p>講座から懇親会に行く道の間、この話を聞いた時に、僕はこの話が出来る人がいる事に驚きました。</p><p>さて、どうやって次の世代にこれを伝えていけばよいのか。</p><p>この前のヤマト人の講座、式年遷宮の話。</p><p>20年20年20年</p><p>技術継承の話ですが僕も伝える事にシフトチェンジしていかないとなのかなと思うこの頃です。</p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/yuutour/entry-12970990633.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Jun 2026 20:39:44 +0900</pubDate>
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<title>赤塚高仁先生との出会い②</title>
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<![CDATA[ <p>人生最大のピンチは人生の最大のチャンスでした。</p><p><br></p><p>病むに病んでいたその当時、すべて捨てて蒸発するか、死んでしまった方が楽ではないかと悩む日々が続き、逃げられない葛藤、複雑な思いが精神を蝕みました。</p><p>しかし、建てかけの自宅、5人の子供と妻、これらを矢面に立たせる訳にはいかない、そして従業員の方達を見捨てる訳にもいかない。</p><p>プライドや体裁は地に堕ちた中でもその気持ちを捨てきる事は出来なかったんです。僕は裏山のお稲荷さんや神様仏様に祈りました。そしてお墓参りに辿り着きました。</p><p><br></p><p>毎日が長く重く、しかし気がつけば15時を過ぎている、そんな毎日が続きました。考え方もかわり始め、高級品や今まで築いた資産や人間関係の整理が始まりました。</p><p>わかりやすく手のひら返したかのように身近な人でも去っていく人もいたなかでとても暖かく支えて下さった方達もたくさんいました。苦しくも僕はそんな方達の優しさに触れる事でさらに愚かな自分を見直す機会を得られたのでした。</p><p><br></p><p>最も困り果てた時の祈りはこれでした。</p><p>「もしも僕がこの家族とこのまま人生を共にできてまだこの会社の社長で居続ける事が出来るのならば僕の才能や命は使命として僕の能力を必要としてくれる人々の為に惜しみなく尽力します。」こう祈りました。</p><p><br></p><p>そして、これが条件だったみたいです。誓いという事の重みを知り、神様との約束を結んだ僕はここから思いもよらない奇跡というの体験する事になりました。</p><p>必要な知識や教養は得てして必然的なタイミングでヒントをもらえる様です。啓発本とビジネス書を読んでいる中でナポレオンヒルと出会い、ナポレオンヒルの中の「悪魔を出し抜け」に出会います。</p><p>その次に出くわしたのが「金鉱まで残り3フィート」という本に出会い、大分助けられました。いろんな本を読みました。付箋やチェック、必要なワードを書き出した手帳は地獄の底から拾い出したパワーワードがびっしり書き出してあります。</p><p>そうしてリレーしていくうちに聖書に出会うのでした。聖書の中にマタイ20-25-28</p><p>「仕える者に」</p><p>貴方達の中で大いなる者になりたいと思う者は貴方達に仕える者になるだろう。また、貴方達の中で筆頭となりたいと思う者は万人の奴隷になるだろうと記されていました。</p><p>特にこの一節には思い知らされました。こうして聖書に興味を惹かれ、より理解を深める為に先生を探している所、以前から生命保険を担当していてくれた込山さんにある日、中村文昭さんの御縁紡ぎ大学のプレ講演に誘われました。込山さんにも本当に助けられました。生命保険の支払い残高を払い戻しできる保険に入っていたのです。</p><p>困り果てていた時の200万の払い戻しは非常にありがたい限りでした。</p><p>そうしてそのプレ講演の時に出会した、OGATAさんに尾道でのアシュレイの公開に誘われる事になります。</p><p>尾道がどこかも知らず安易に行く約束をしてしまい、込山さんも上演前に少し小講演がありましたのでその応援も兼ねて伺いました。埼玉から尾道日帰りツアーです。当日、埼玉を出発する前に、込山さんに連絡した所、昼に着くならランチでもとの事でした。現地に着いた僕は込山さんにすぐに連絡しました。そしたら打ち合わせがあるから先に会場行っててとの事でした。なんだと思っていたのですが気を取り直しせっかくなので１人で尾道ラーメン屋を探してウロウロしていました。数軒あるラーメン屋の中で、たまたま入ったラーメン屋に赤塚高仁先生と宮川監督、込山さんがいたのでした。来る予定ではなかった本家本元に得てして合流する事に。その時は僕はまた赤塚先生の事をよく知りませんでした。</p><p>あの日の事は今でもはっきり覚えてます。店に入るなり込山さんは目を丸くして驚いていました。</p><p>赤塚先生が僕の事を込山さんに知り合いかと尋ねられ、込山さんが後輩みたいな者だと答えるや否や赤塚先生は僕にこっちにおいで、隣に座りなと言うのでした。言われるがまま隣に座らせてもらい、赤塚先生は「同じのでいいのか？」と僕に言われました。僕は基本的には何でもいいのではいと答えて初対面のよく知らないおじさんとラーメンを食べる事になりました。話を聞いてるととても不思議な感覚でした。変わったおじさんだなと不思議なおじさんだなと、僕の直感がビシバシ語りかけてきました。そして赤塚先生にラーメンを奢ってもらい会場に向かい歩きながら宮川監督にプリンを奢ってもらい、会場に行くのでした。</p><p>会場に着いたら開演までまだ１時間以上ありました。赤塚先生と込山さんは会場で爆睡してました。</p><p>僕は会場でウロウロしててそこで東京聖書塾に出会うのでした。誰かも分からない人にチラシを貰いました。金額もそれなりでしたが、気持ちは決まっていました。あの人にな　ら教わっていいかなと。教わってみたいなと。</p><p>アシュレイを見終わった後、帰り際に赤塚先生に「ラーメンごちそう様でした、ありがとうございました」って言ったら先生は「過ぎた事や、気にすんな」って言いました。</p><p>この時食べたラーメンは僕の記憶の中で過去一に印象深く刻み込まれました。</p><p>それが赤塚先生との初めての出会いでした。</p><p>得てして、あの時僕が苦境に立たされ諦めていたら。反省と学ぶ道に進まなかったら、日常の普通が普通ではないと言う事に気が付かなかったと思います。</p><p>なのでピンチはチャンス。逆転の発想なのではないかとしみじみ思います。</p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/yuutour/entry-12965295627.html</link>
<pubDate>Wed, 06 May 2026 16:17:55 +0900</pubDate>
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<title>師との出会い方</title>
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<![CDATA[ <p>私は28歳の時に解体工事業の会社を立ち上げました。最初から法人として以前勤めていた会社を辞める少し前から手続きをしていました。</p><p><br></p><p>地元の素行の悪い工業高校を卒業し19歳で田舎から関東に出ました。</p><p>当時卒業就活の時に、ワルは皆こぞって解体業界に就職していました。</p><p>僕は地元で出世できない事がわかっていたので、母方の祖父の内縁の旦那の所でお世話になろうと思っていました。通称:東京のおじさん:です。東京のおじさんが何の職業かも分からないまま関東にでて、当たった先がやはり解体業だったんです。</p><p><br></p><p>実際19歳の僕は3K所か4Kも5Kもありそうなこの業界の洗礼を受けました。3年程最初の会社に勤めていた所、とあるタイミングで手伝いをお願いしていた業者の中に若い職人ばかりの会社がありました。関東に友達がいなかった僕にはすごく魅力的でした。すぐにその会社に移籍したい気持ちが湧き、先輩方と社長に伝えました。</p><p>建設業あるあるですぐには移籍は難しかったんですが、どうにか移籍する事が出来ました。受け入れる会社の方にももしかしたら客先を失うというリスクはあったんです。</p><p><br></p><p>移籍したのは良かったのですが同世代の活躍するなかで中途の僕は周りの同僚達より努力する必要がありました。やんちゃな世代の若者達がしのぎを削り合う様な日々で切磋琢磨していく中で社長からの信頼を得て従業員40人くらいいる中でトップ集団の中、筆頭になりました。辞める時に社長に言われたのが1000人に1人の逸材だと言われました。今でも覚えています。</p><p>給料も待遇も良かったのですが、ちょっとした事で社長と衝突する事になりました。そこで私は辞職を決意し自惚れていた僕は誰の傘下にも入らず独立の道を選んだ訳です。</p><p><br></p><p>当時28歳の僕は自信過剰でした。</p><p>実際にやってみると資金繰り、経理、事務整理、現場だけではない事をしり、何度も失敗しました。　キャッシュが足りず月末に500万必要だったにも関わらず払えない、</p><p>八方塞がり、資材置場で座り込み、1人焚き火でゆで卵を茹でていた時もありました。それでも月日は経験を与え、解決を促すのでした。</p><p>アップエンドダウンを繰り返し、社長としてキャリアを積み増す。</p><p>8年目に出世案件が重なりました。</p><p>5000万から一億の物件が重なりました。しかし派手に上がると派手に落ちるという事を知る事になります。</p><p>キャッシュがあると詐欺や投資の話が舞い込んでくるのです。</p><p>結局、その次の年、7500万で買ったビルを2000万で売る事になり2000万の仕事で工事金を支払って貰えず、裁判して1980万債権確定判決は出ても結局支払って貰えず銀行から現場引当融資の借換えで2000万引き上げられ、消費税金支払いが1680万</p><p>トータルで一億円以上を失いました。</p><p>そして最高の状態だったので自宅まで新築していたんです。個人資金で1千万出していました。</p><p><br></p><p>今までにも何度も苦境には当たって来ましたが今回は過去一でした。</p><p>毎回過去一のレベルが上がっているんです</p><p>銀行の担当者の方々も真っ青でした。</p><p>新居建築の為に購入させて頂いた土地は数年前にも資材置場用地を探している時にご紹介して頂いた所です。その時は条件が合わず購入は断念していたのですが、数年経った後、またお話を頂く事となり、僕もロケーションの良さや、子供達が伸び伸び暮らせる様に、敷地共に広い建築面積が欲しく、自宅用にと考えていたら不思議と話は進んでいく流れに。</p><p>当初は古屋付きで解体が必須でした。古い長屋で北側に山を背負って南側に畑が広がる典型的な昔の農家の作りです。弊社は解体業者なので自社で解体させて頂き、建築は銀行担当者の紹介で地元工務店にお願い致しました。</p><p>解体完了後、確定測量と崖法の対策の為、建築部分を全体的に南側にずらす必要がありました。そして建物建築中に先程お話していた事件が起こったのです。</p><p>頭金の千万をなんとか工面し、これ以上経済状況を悪化させないよう、日々焦燥感にかられながら、しかし、会社のリーダーとして不安や恐れを表に出さないよう平然を装いました。家族、会社のチームメイト達はよく大丈夫だと言う私の言葉を信じてくれたと思います。</p><p>自分自身、何度も自分を疑いました。何度も何度もギリギリの精神状態の中で出会った本や起きた出来事はやはり事実は小説よりも奇なりでした。</p><p>ある日、精神を病んだ僕はなんとなくふらふらと建築中の自宅敷地に立ち寄りました。本当に完成させる事ができるのか、もはや半信半疑の中で建築中の自宅を見回しながらふと裏山の方に行くと最初気づかなかったのですが、測量業者が通った部分に獣道見たいな感じで草木雑木が薄い通りがありました。気になって見てみると小さな狐の依代のかたわれがありました。気になって少し落葉と汚れを手で払い、依代を拭いて中に戻しました。その話を奥さんにも報告しました。</p><p>何度か自宅建築現場に立ち寄る際、お詣りをするようになり、徐々に整備し、階段を設置し、小さな鳥居も設置しました。</p><p>鳥居を買ってから設置するまでの期間、車に小さな鳥居を乗せたまま少し期間があいてしまい高速道路で不思議な事件があったんですがそれは今回は割愛させて頂きます。</p><p>階段を設置してからしばらくし、奥さんもお詣りに行ってくれたようで、僕が探した時に見当たらなかった依代のかたわれを見つけてくれました。すごく不思議な小さな祠です。それから1年後、狐の子供を預かる事になるのでした。</p><p>今回はいきさつばかりで長くなってしまったので一回きります</p>
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<link>https://ameblo.jp/yuutour/entry-12963777707.html</link>
<pubDate>Wed, 22 Apr 2026 08:29:24 +0900</pubDate>
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<title>赤塚高仁師からの学び</title>
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<![CDATA[ 東京大和人が始まりました。<br>講義の中で先生が言っていた、（やりたい事を書き出してみる）<br>先生はその理由としてブログにライフワークの事を綴っていた。<br>それを自分に当てはめれば、僕は今の仕事が天職であり使命であると確信している。<br>才能はないとかあるとかではなくて覚醒できるかできないかじゃないのかと思う。<br>たまたま、この仕事は僕には合っていたのかもしれない。<br>しかし最初は、大嫌いですぐ辞めようと思ってました。世に言う3Kで、会社の先輩達も不平と愚痴を並べ後輩に威張り腐っている様な連中ばかりでこんな風にはなりたくないと心から思っていたんです。<br>そんな中で3年程過ごし、その時転機が訪れたんです。<br><p>たまたま現場をやっている中で手伝いに来てくれていた業者がありました。その会社は僕と年の近い作業員の人達が一線で活躍していました。</p><br>僕の会社にはおじさんしかいなくて（今の僕と同じくらい）当時19歳で地元を離れ友達もいない自分にはすごく斬新でした。<br><p>すぐに転職したいと思ったんですが建設業あるあるでそんなに容易な事ではなく、社長同士の話し合いになり、なんとか移籍決定しました。</p>長くなるから端折りますが、そこでキャリアを積み重ね、40人前後の会社の中で成績トップになり社長には1番可愛がられていたと思ってます。<br>しかし、人間そうなると勘違いが始まるんです。<br>僕はとあるきっかけで社長と相反し、辞職を決意（当時は若く、全て自分の実力だと思ってました）<br>生意気を通り越していたので誰の下に着くことも拒み独立の道へ。<br>そして看板のお陰を知る事に。<br>最初に無力さを実感した時でした。今となりようやく気づきましたが個人の能力や才能に自惚れると才能を活かす場所すら与えて貰えなくなるという法則にぶつかるんです。<br>能力が合っても仕える人も場所もなければその能力は輝きを失います。<br><p>自惚れていた僕は業績がよくなると何か登りつめたかの如く自惚れ、悪くなると海より深く反省し、</p><p>それを繰り返していました。それをこじらせて数年前、会社の存続危機をおこした僕は人生で1番反省し、自分の能力は必要としてくれるお客様に使うと今は誓って会社を存続させて頂いています。（その時赤塚高仁師に出会いました。）そして今はまたたくさんのお客様に指名して頂いているので天職だと確信出来ています</p><br><p>才能を自分の金儲けのためだけに使うと、かつての僕のようなひとりぼっちになるんじゃないかと思います。才能は社会の為に使い、その対価として報酬をもらう。そしてさらに鍛えていくと六感は開き感覚がとぎすまされて行きます。これが覚醒だと思ってます。僕はこれがライフワークとの出会う方法だと思っています。それもこれも</p><p>ただただそれに気づかせてくれる周りにいる皆さんがいてくれるからだと思っています</p><p>皆さんいつもありがとうございます</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/yuutour/entry-12963360072.html</link>
<pubDate>Sat, 18 Apr 2026 08:38:32 +0900</pubDate>
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