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<title>「口臭大王」日記</title>
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<description>なぜ生まれ、なぜ死ぬのかを探究する日記ではありません。</description>
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<title>人生おしまい</title>
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<![CDATA[ <br><br>５月１日（金）。<br><br><br>　好きで書いているこのブログですが、わたし自身は危機に立ち至っていることをご報告しなければなりません。<br><br>　今朝も、お酒を飲みました。朝から、コンビニ「ローソン」店頭にて飲みました。朝から、「ローソン」店頭にて、お酒を飲みました。<br><br>　今日から５月です。<br><br>　５月１日から、朝６時に起き、外へ歩きに出て、朝食はお外でコンビニで食べよう、と決めておりました。<br><br>　用意周到なわたしは、練習、というか馴らし運転というか、３日前から感触を試しておいた方がいい、と考えました。<br><br>　４月２８、２９、３０と、朝６時に起き、外へ歩きに出て、コンビニ「ローソン」で、焼きそばパンなどを食べました。…<br><br>　その際、つい、出来心で、「世界から１本、お酒を消費する」というご迷惑をおかけしました。<br><br>　朝からなのに。<br><br>　朝から、が罪の意識でした。<br><br>　が、３日続け、今日、いよいよ本番でも、やっぱり朝から飲んだのですから、反省の色もない、といわれても仕方がありません。<br><br>　５月１日、今日から本番ですが、「もうやめよう」と思いました。<br><br>　顔は、鏡と光の具合によっては、前より肥えています。<br><br>　お酒で、ささやかな外食で、明らかに体重が増えているのです。<br><br>　朝の歩きは、太るのを阻止する目的性にはかないませんでした。<br><br>　朝食も、結局、お酒が必然となり、喜べるおいしい食事といえるには何かが過剰という意味合いを連れてくるものでしかありませんでした。…<br><br><br>　今日は、本番始まりとともに、このプロジェクトの最終日。昨日９％の「氷結ストロング・パイナップル５００ミリリットル」を飲みましたから、さらに上を行く何かを飲まなければ、と武者震いにふるえました。<br><br>　ウォッカが入っているのだと追跡調査した昨日の「氷結パイナップル」は、期間限定でもあり、巡り会えたのが幸運でしたが、２日続けて飲む気にはなりません。<br><br>　ぜひアルコール度数で、９％以上を求めなければ最終日が泣きます。<br><br>　すると、「日本酒に手を出すしかない」のは見え見えです。<br><br>　朝７時にもなっていない爽やかな５月、わたしはただ人生が駄目だという理由だけで日本酒に手をそめるのです。<br><br>　コンビニ「ローソン」の、一回で飲める小型のビンの日本酒は、７、８種類、ありました。<br><br>　どれも１３とか１４とか１５とかの度数で、わたしにとっては新たな挑戦になります。…<br><br>　最初だから、いちばん度数の低いのを選んで「伸びしろ」をもとう、と思いました。<br><br>　そこで最終的に手にとったのは、「白鶴」です。<br><br>「きりっと冴える『生』貯蔵酒・しぼりたての風味『白鶴』」と書かれてありました。<br><br>　ブログに書くためメモしました。<br><br>　この「白鶴」を選ばなければ、「浦霞」「上善如水」「玉之光」「菊水」「山田錦」などがありました。<br><br>　ブログに書くためメモしました。<br><br>　これらの居並ぶ中、最終的に「白鶴」を選んだのは、アルコール度数が１３％で、「１４％以上１５％未満」などの表示ではなかったからです。<br><br>　しかも、「白鶴」本社は神戸のようです。<br><br>　神戸も神戸、東灘区にあるようです。<br><br>　わたしが昔、高校は出ていていたけれども大学へは入っていなかった頃、高校は出ていたけれどもまだ大学を卒業していない、元同級生の友人と、神戸、大阪あたりを旅したことがありました。<br><br>　友人の、「男なのに宝塚好き」なのにつきあって、宝塚へ行ったのがメインだったのですが、分離して行動する際、どこへ１人で出かけてみるかが問題となりました。…<br><br>　わたしはいっとき受験に狂うバカで、あの私立学園、圧倒的超優秀受験校の「灘中・灘高」を見に行ってやろう、と思ったのでした。<br><br>　そういう趣味、変だよ、と友人にいわれましたが、友人だって男のくせに「宝塚」です。<br><br>　男のくせに「宝塚」の者が、たかが中・高を名物にして、観光のように見に行く受験バカを、変だよ、といったのです。<br><br>　そりゃ変でしょう、と思いました。現役高校時代は、将棋の団体戦で、東京のあの「開成高校」に勝ったとき、眠れなくなるくらい、興奮しました。<br><br>　さまざまな制約が許すなら、全国の超一流私立校、国立校を、見て回りたいと思っていました。<br><br>　さて、神戸市東灘区の灘中高を訪問、不審者のように門の外をぐるりと回って歩いていましたら、水のない涸れた落ち葉の溝に、何か意味ありげなものが落ちていました。<br><br>　エロ本でした。<br><br>　灘中生、灘高生でも、エロ本を見るんだと思いました。<br><br>　エロ本は、記念にホテルへ持って帰りました。<br><br>　友人は遅くまで外で活動して帰って来たものらしく、朝になって昨日のことなど語らったりしたのでした。<br><br>　灘の中高生が使ったに違いないエロ本のことをしゃべりました。<br><br>　すると友人が、「それ、まだある？」というのでした。<br><br>「ベッドのマットレスの下に隠した。…というか、そこに棄てて帰るよ」…<br><br>　掃除に来たホテル職員は、わたしが使ったと思い込むことでしょう。<br><br>　だけど残念、灘高生が使ったものですよ。…<br><br>　灘高生でも、こういうのを使うんですよ。…<br><br>　ちなみにわたしは、いやらしいことをしたのが１８歳で初めてです。<br><br>　２人でのやつじゃなく、１人でのやつであります。<br><br>　高校を卒業して、３ヶ月くらいあとに、初めての１人暮らしでやりましたです。<br><br>　甘美な想い出です。<br><br>　灘高生は、なぜあんなところに棄てたのでしょう？<br><br>　まさか、灘中高生のものじゃない？…そういう仮定は夢を壊します。やめておきましょう。あのエロ本は、断じて灘高生以外は使ってはいないのです。<br><br>　男なのに宝塚が大好きな友人は、話を聞いてあきれました。でも何もいいませんでした。…<br><br>　この友人は、アニメが大好きな男で、まだ日本のアニメの草創期からして研究していました。<br><br>　やがてわたしが大学に入り、彼が会社に入り、あるとき会社の寮で、引っ越ししなきゃならなくなった、手伝ってくれ、と電話がありました。<br><br>　いいよといって、しかも約束を破らざるをえぬ展開となり、交遊は断裂しましたが、そのとき思いました。「高校の同級生に、寮の部屋から部屋への引っ越しを手伝ってくれだなんて、つまり、友達がいないんだな。…実は、あいつこそ『おたく』ってやつだったのかな？」…<br><br>　察しの悪いわたしは、自分ももしかしたら「おたく」の一種かも、という考えには気づいていませんでした。…<br><br>　わたしも「おたく」なのでしょうか？　つまらない話でごめんなさい。…<br><br><br>　さて、朝、日本酒を３００ミリリットルのビンで飲むと、気持ち悪くなり、…おにぎり１個「いくら」を食べただけ、パンは焼きそばパンも他のもいいのがなく、この２品だけ消費して、まずはこのローソンを済ませてもう１つある途中のローソンで適宜補完しよう、とりあえず「白鶴」だけで「出来事」になっちゃうのだけは惜しもう、などと思いました。…<br><br>　いくらおにぎりと、「白鶴」とで、おしまいの気分になった内省を込めて、もう１つの途中のローソンに入ったのは、３０分ほどあとのことでした。<br><br>　結局、ここでも、食べ物を足して食う気になれず、ええい、もう人生おしまいだから、９％の「氷結ストロング・パイナップル」３５０ミリリットルを買いこみ、店頭に立ち尽くしてあおりました。<br><br>　ますますいやな気分になってゆきました。<br><br>　白鶴も合わず、パイナップルも、要は合わないのです。<br><br>　合わないのに、飲んでいるのです。<br><br>　宝塚好きの友人、お酒飲むか結婚するか選ぶとしたら、どちらの苦難に立ち向かうかな、とも思いました。<br><br>　あいつ、あるとき、「１００人しかいない中でいちばんいい子を選ぶのと、１０００人いる中でいちばん可愛い子を選ぶのとでは、どれくらい差が生ずるだろうか？」などと、わたしにいってきました。<br><br>　出来たら１０００人の中から選びたいそうです。<br><br><br>　わたしも人生の夢や夢に似たものを捨て去る日が近づいてはまいりました。<br><br>　勝手に転がって生き、みんなに迷惑をかけ、死んでいきたしです。<br><br>　何歳まで生きるのだろう、とあらためて思います。<br><br>　はかない人生にも、あれこれくらいはあったということであります。ただ、そのあれこれくらいに、価値はありませんでした。…過去に価値を与えるには、未来で成功しなければなりませんが、「価値」の大きさ小ささと、「成功」の大きさ小ささの兼ね合いが、とても難しいのを感じておりまして、５月１日においては「疲れた」ということなのでありましょう。…<br><br><br><br><br>　<br><br>　<br><br>　<br><br>　<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/yuuugooo168/entry-12021284054.html</link>
<pubDate>Fri, 01 May 2015 19:52:04 +0900</pubDate>
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<title>焼きそばパン</title>
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<![CDATA[ <br><br><br>４月３０日（木）。<br><br><br>　今日も、朝からお酒を飲んでしまいました。<br><br>「今日も」というのは、一昨日、昨日と、朝からお酒を飲んだからです。<br><br>「今日も」、朝からお散歩をいたしました。<br><br>　途中のローソンへ寄り、お酒を買い、駐車場にて飲むのです。<br><br><br>　駐車場から白い柵を隔て、車と道と太陽が見えます。<br><br>　畑や家や、中学生も見えます。<br><br>「朝食」と称してお酒を飲んでるんだともいえます。<br><br>　なぜならお酒だけ買って飲んで、その他、食べるものを買ってないかといえば、ちゃんと買って食べているからです。…<br><br><br>　今日は、焼きそばパンが売り切れでした。<br><br>　一昨日、昨日と、焼きそばパンを食べれました。<br><br>　焼きそばパンがない今日、かわりを指定しなければ、待っている胃が、腸が納得しません。<br><br>　ハムスティックマヨネーズ味に決めました。<br><br>　ハムスティックマヨネーズ味なら、３つほど残っておりました。<br><br>　ハムスティックマヨネーズ味は、ねじったパンに、ハムがあまりおしゃれにでなくはさまって、おっしゃる通りマヨネーズの味です。<br><br>　朝食から太らせがちな食べ物を食べるつもりはなかったので、マヨネーズ味は不本意ですが、いかんせん焼きそばパンがないので仕方がありません。<br><br>　しかも、ハムスティックマヨネーズ味は、３本セットでした。<br><br>　３本セットで１つの商品で、それが３個、売れ残っていたのです。<br><br>　あまりおしゃれじゃなくねじれたパン。…<br><br>　おしゃれでもおしゃれじゃなくてもそれを喰うしかない、己の限界。…<br><br>　焼きそばパンのない、寂寥感。…<br><br>　おにぎりの方は、新潟たっぷり生たらこをゲット出来ました。<br><br>　一昨日も、おにぎりは生たらこでした。<br><br>　これが案外、「たっぷり」でもないのです。<br><br>「たっぷり」というほどは、たらこが入っていないのです。<br><br>　己の限界を思い知らされます。<br><br>　せっかくたらこおにぎりが好きなのに、そしてたらこおにぎりを喰えるのに、…意外にたっぷりでない、たらこの量。<br><br>　それを選ばざるをえない、己の限界。…<br><br>　朝食は以上、２品です。<br><br>　たらこのおにぎりと、ハムスティックマヨネーズ味です。<br><br>　一昨日、昨日と、やはりおにぎり１つにパン１つでした。<br><br>　一昨日は、たらこおにぎりと、焼きそばパン。<br><br>　昨日は、明太子玉子焼きのおにぎりと、焼きそばパン。<br><br>　今日は、一昨日と同じたらこおにぎりと、一昨日とも昨日とも違う、ハムスティックマヨネーズ味。…<br><br>　どこか悲しく、どこか嬉しい朝ごはん。<br><br>　焼きそばパンを、３日連続で食べれると思っていました。…<br><br>　パンの面で、今日は妥協、…焼きそばパン売り切れでは仕方ありません。<br><br>　おにぎりの面ではどうでしょう？<br><br>　明太子玉子焼きのおにぎりよりたっぷり生たらこのおにぎりの方がいいのだから、いいのだともいえます。<br><br>　ですが、思うほどたらこがたっぷりではありません。<br><br>　こうした「食」のささやかな挫折に連動、われわれは「飲」の観点で「朝」を見つめることとなるのです。…<br><br><br>「朝食」の一如としての、朝からの飲酒。…一昨日は、アルコール度６％でプリン体に配慮した発泡酒を５００ミリリットル、飲みました。<br><br>　昨日は、アルコール度やはり６％のちょっといい生ビール「ドライポーター」を飲みました。<br><br>　今日は、アルコール度９％の、わけがわからずふらっと手が伸びた、「キリン氷結ストロング・パイナップル」を飲んだのでした。…<br><br>　キリン氷結は、知っています。おなじみですけど、交流はありませんでした。<br><br>　それが、９％まで攻撃領域を広げて、パイナップル味にまで飛躍しているのだと、知らされました。<br><br>　もともと、ただ酔いたいだけで、飲むのならば、安いし度数の高い、こういう商品を珍重すべきです。<br><br>　わたしは知恵もなく、お酒を見る目もなく、なぜか缶ビールにこだわってきました。<br><br>「キリン氷結」にしちゃえば味付き、安値、んもう絶望的に、ぼろぼろに、だらしなく厭世的に、酔える、そう思いました。<br><br>　９％で、５００ミリ飲む。<br><br>　どんな感じか、やや怖い。…<br><br>　ですが、手が伸びたのが先で、健康にも人生にも計算高くはないのです。<br><br>　どうせ、んもう、駄目な人生。…<br><br>　駄目な朝。…駄目な４月。…このダメさこそ、ブログに書いて、世界完結といきましょう。…これを飲まなければいけないな、と思いました。<br><br>　わたしの２０１５年４月末日の、かけがえのない朝食。…<br><br>　焼きそばパンに挫折し、ハムスティックマヨネーズ味。<br><br>　たっぷりじゃないけどたっぷりたらこのおにぎり。<br><br>　そして度数９％の果汁入りのお酒。「酎ハイ」と呼ばれるジャンルかと思われました。<br><br>　パイナップル果汁は、初めてでした。…<br><br>　おにぎりとパンが、みそ汁と比例するとしたら、みそ汁にあたるのが、今朝はパイナップル果汁のお酒だというわけなのです。…<br><br><br>　駐車場にて食べる、新潟産コシヒカリでむすんだ、たっぷり生たらこおにぎり１つ。<br><br>　朝日を仰ぎ、高架を走る自家用車やトラックを見ながら食べるのは、ハムスティックマヨネーズ味。<br><br>　お味噌汁は、パイナップル味の、缶酎ハイ５００ミリリットル。<br><br>　以上が今日の、わたしの朝食です。<br><br>　ささやかな、１日２食の中の、１食目です。<br><br>　しつこいようですが、いくつか矛盾があると思うのです。<br><br>　太らないつもりでの、お散歩と、朝食のはずではなかったでしょうか？<br><br>　太らないつもりなら、マヨネーズ味はいけませんし、缶酎ハイも、どぎつくカロリーを含むでしょう。<br><br>　新潟産コシヒカリをむすんだたっぷり生たらこも結構ですが、添加物たっぷり、たっぷりさの協賛となるでしょう。…<br><br>　そもそも太らない朝食なら、お散歩などしないでいいから家で食べるのがよいのです。<br><br>　母の用意する、生サラダというには少々つらい、厳しい困難の道を、それでも歩めばよいのです。<br><br>　静かに玄米を噛むがよいのです。<br><br>　ラーメンだけ、我慢すればよいのです。<br><br>　そこをおして、お散歩の名で外で食い、添加物たっぷり、マヨネーズ味、カロリー全開のアルコール飲料とは、健康と安全の空中分解です。<br><br>　それでも朝食の「おいしさ」に懸けたのか？<br><br>　そう、わたしは「おいしさ」に懸けたのです。食べたいものを食べ、飲みたいものを飲みたかったのです。<br><br>　朝６時には起き、木曜日はプラスチックその他ゴミを出し、それからどこかそわそわしてシューズを履きなおして、「お散歩」！<br><br>　途中のローソンで、コストパフォーマンスの悪い「朝食」！<br><br>　なにが「焼きそばパン」でしょう。しかも今日は、焼きそばパンさえ食えません。<br><br>　母からしたら、高値あまりに高値の朝食、３品のそろい踏み。…<br><br>　新潟産コシヒカリをむすんだたっぷり生たらこおにぎり。<br><br>　ハムスティックマヨネーズ味は３本。<br><br>　氷結ストロングはパイナップル果汁の味で、ふんだんに５００ミリリットル分余すところなし。<br><br>　よく起きたし、よく歩きましたが、とても模範的な朝食とはいえません。<br><br>　栄養の面でも。経済的にも。…そして、健康や安全の面でも！<br><br>　ただ「おいしい」「自由な」朝食を食べたかっただけなのです！<br><br>　本題は、朝からお酒の罪の意識でしたが、朝食をめぐる不道徳感に拡大してしまいました。…<br><br>　明日はどうしたらいいのでしょう？<br><br>　もともと５月１日から「お散歩」して痩せる、先立つ３日間は、練習のつもり、でしたが、いろいろなほころびが見えてきました。<br><br>　明日から、こんな朝の営為、本番に突入させていいのでしょうか？<br><br>　明日はいちばん好きな、焼きそばパンがあるかもしれません。<br><br>　おにぎりも、たらこがたっぷりじゃないことを学習しました。<br><br>　お酒に関しましては、お味噌汁の扱いですから、罪の意識は加速度的に軽減の方向へいくでしょうが、どのジャンルのどの１本を選んだらいいかは迷走を極めています。<br><br>　そもそも、わたしはそんなに痩せたいのでしょうか？<br><br>　鏡を見て、顔がぷっくりしたのに警戒心を抱き、「まだ俺は終わっていない」と思うためにも運動が必要だと思ったのは確かですが、朝、歩いて、途中でローソンに寄って、方針がぎくしゃくしている感があるし、歩かなくても食事をただ改善させる方が合理的、という気もいたします。<br><br>　わたしはやはり「おいしいものを好きなだけ食べたい」にすぎないのでしょう。<br><br>　ローソンで食べるためなら６時から起きて外へ出てダイエットなんだと偽装するのが重荷でないだけの、でも少し悪食して太ってしまうという、自己矛盾の体現だったにすぎないのでした。<br><br>　しかも、「おいしいものを好きなだけ」なんて食べてないし。…<br><br>　人生ぼろぼろの演出にも酒量が足りていないし。…<br><br>　明日は焼きそばパンを２つ、たらこの「たっぷり」を実現するためにもおにぎりはたらこのを３つ、さらにお味噌汁としてのお酒、こいつは駐車場の隅で酔って眠りこけて、軽トラにひかれて新聞もこの事故死をお酒とはからめて書いてくれない、そんな飲酒模様を構築して、「人生最後に食べたのが焼きそばパンかたらこおにぎりだった」という悲哀に包むため、お酒は、あえて指定せずふんだんに買い込み飲み込むのこそがいいのでしょう。<br><br>　明日は、とりあえずは、焼きそばパンが食べたくなりました。<br><br>　初日、２日目と、焼きそばパンを選んだのは、焼きそばが好きという、純真な心からでした。<br><br>　パンは、本来好きではないのです。焼きそばが好きなのです。<br><br>　焼きそばパンは、焼きそばゆえ、好きなのです。<br><br>　だったら焼きそばを朝から喰えばいいのですが、ローソンのイート・インコーナーではお酒の喜びが禁じられております。<br><br>　焼きそばを買い、温めてもらい、店内で食うのは、お酒もという前提では、不可能なのです。<br><br>　焼きそばも、平気な顔で、外で食えよ、ということになりますが、なぜか「そこまで落ちぶれてはいない」といいたくなります。<br><br>　やはり、焼きそばなら店内、焼きそばパンなら外で食えるのです。<br><br>　お酒と一緒なら、外での飲み食いが必然。…いかに「お味噌汁」が主役になっていたかがわかります。<br><br>　わたしはしかるべき朝食購入後、駐車場へまわり、白い柵から畑や中学生を見つつ、まずお味噌汁をあおるわけです。<br><br>　お酒をやけになって飲むためローソンに立ち寄ったのです。<br><br>　やけになっても１本のみ。なぜなら「飲み」でなく「朝食」ですから。…<br><br>　１本、一気に飲み干しますと、おにぎりやパンのご登場となるのです。<br><br>　たらこおにぎり、焼きそばパン等の顔見世となるのです。<br><br>　わたしの朝食は、栄養を考えるとか、安く済ますとか、お酒をやめるとかから中途半端だといえます。<br><br>　なぜたかが朝食で、わたしたちは不満の残る結果ばかり出してしまうのでしょう？<br><br>　つい「朝食以後」を考えてしまうからでしょうか？<br><br>　どこか「朝食」と「人生」を、油断しているからでしょうか？<br><br>　わたしは油断しても太り、油断しなくても太るような気がしています。<br><br>「朝食」になど、妙な意識を傾けている方が、太りやすい魔法にかかるのではないでしょうか？…<br><br><br>　たった２日でも、実は、鏡の顔が、すっきりし、朝と夕の２食があれくらいだと、出るんだなあ、と感じている３日目です。<br><br>　朝は、既述のごとく、お酒とともにコンビニ商品を食べ、歩くにはちゃんと歩くのです。<br><br>　夕は、母の用意してくれる、朝よりおいしいものを、必ずもてあまして食べます。<br><br>　いつか、遠い未来から、静かに振り返る、ここ数日。---<br><br>「わたしはあの頃、痩せようと思ってました」…<br>「わたしは焼きそばパンを、連日で食べたものです」…<br><br>　あのかけがえのない日々、朝のお散歩で寄ったローソンで、焼きそばパンを食べた甘い想い出！<br><br>　お酒も朝から飲んだなあ！<br><br>　４月末日の、５月にいたる連休、…わたしは確かに焼きそばパンや、たっぷり生たらこおにぎりを、朝から罪の意識のお酒を飲み喰いしました。<br><br>　この妙な不摂生のせいで死んでしまったときを除き、想い出としては楽しかったじゃないか、いい想い出だなあ、と先取りして考えるのです。…<br><br><br><br><br><br><br>　<br><br>　<br><br><br><br><br>　<br><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Thu, 30 Apr 2015 15:11:24 +0900</pubDate>
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<title>ホウ酸ダンゴ</title>
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<![CDATA[ <br><br><br><br><br>４月２９日（水）（祝）。<br><br><br>　わたしは今日も、朝からお酒を飲んでしまいました。…<br><br>　飲酒の道徳・不道徳に敏感な家に生まれた者としては、罪の意識です。<br><br>　今日は、祝日ですから、妻子を背負わない者としては、まあ、いいだろうと、思わないでもないですが、昨日の朝との連続なのです。<br><br>　れっきとした火曜日、平日であった昨日の朝も、朝からお酒を飲みました。<br><br>　とりまとめていうと、わたしは昨日の朝も、今日の朝も、お酒を飲みました。<br><br>　そう、お酒を飲みました。<br><br>　飲酒の道徳・不道徳に敏感な家に生まれた者としては、罪の意識です。<br><br>　罰の意識への、前半戦です。<br><br>　昨日、今日、明日と、朝６時に起きて、１時間は歩こう、と思いました。<br><br>　５月１日から朝６時に起きて、歩こう、と思ったからであります。<br><br>　周到に、３日の慣れを作り出そうとしているわけです。<br><br>　さて、肥えたのを抑えるためともいえますが、本当の、朝歩きの目的は、母のつくる朝食から逃れるためでありました。<br><br>　母は、老いて衰えてなお、ろくでなしの次男のために、朝から食事を用意してくれますが、重荷を背負うのは、作る側でなく、食べるろくでなしの次男の方なのです。<br><br>　ほぼなまの、人参が、酢の味に浸されている、栄養満点のおかず。…<br><br>　玉ねぎも、ようやく球形よりは、線形に似させているとはいえ、酢の味、栄養満点。…<br><br>　この「栄養満点」さが、苦痛となってきたのです。<br><br>　わたしだって、コンビニのおにぎりが食べたく、焼きそばパンが食べたく、…朝からいっそ、お酒が飲みたいと思いました。…<br><br>　ぱさぱさの玄米は、母のせいではありません。人参も玉ねぎも、コーンも海苔も、家のほぼすべてに慣れた、母とわたしに調和し、最高の朝食ではあるのです。<br><br>　が、ちょっと気分を替えたくなりました。<br><br>　外へ出てみたくなりました。<br><br>　朝から起きて、歩いてたどり着いて、コンビニ店舗内で売っているものなど喰えたら最高だな、と思えたのです。<br><br>　この流れとわたしという傾きとでいけば、牛乳や野菜ジュースや玉ねぎや人参、それに母には申し訳ありませんが、お酒を飲むという行為も加えざるをえないわけです。<br><br>　昨日、お酒とたらこのおにぎりと、焼きそばパンを食べました。<br><br>　今日、お酒と玉子焼き明太子のおにぎり、焼きそばパンとを食べました。<br><br>　明日も、お酒とおにぎり１つと焼きそばパンを食べるでしょう。<br><br>　今日は昭和の日。祝日であります。…<br><br>「祝日です。朝からお酒くらいいいでしょう」というには、昨日も明日も、朝から飲むつもりでおり、祝日は関係ありません。<br><br>「昭和」も「平成」も、くそもありません。<br><br>　わたしはきわめて軽微な飲酒嗜好者です。<br><br>　あまりに軽微な嗜好者です。<br><br>　昨日のお酒は、アルコール度６％の発泡酒を選びました。<br><br>　今日は、やはりアルコール度５でも７でもない、ドライポーターという、生ビールを選びました。<br><br>　それぞれに、私的に、旭日小綬章を授けました。<br><br>　ありがとう、発泡酒。よくやったね、生ビール。<br><br>　５００ミリリットルの缶１つ飲み干して、くらくらして来ました。…<br><br>　昨日も今日も明日もない、くらくらくら、…となると、ふと矢沢永吉のことなど想われました。<br><br>　わたしがローソンのレジに並んだときに、前の客が、プレミアムモルツの支払いをしようとしていたのです。<br><br>　まだ飲んでいないのに、くらくらして来ました。<br><br>　奴が飲む。俺が飲む。…くらくらしてきてどちらが先に酔うかを占います。<br><br>　矢沢永吉は、極貧の生まれだといいます。<br><br>　プレミアムモルツのCMに欠かせない存在です。<br><br>　矢沢永吉が、５００万円の時計や１０００万円のワインに興味があるかは、つまびらかにしません。<br><br>　日本国内で成り上がった、学習院大学でも成城大学でもない幾多の会社社長が時計やワインを嗜好する中で、本当に極貧から成り上がった尊敬すべき矢沢永吉は、あんなモノについての趣味のよいこと悪いことをするのだろうか、とふと、想ったのでした。…<br><br>　どうせ、みな平民です。<br><br>　成り上がるためと、成り上がったから、両者互い違いに理由をもって、親孝行ろくにせず、時計やワインやゴルフやなんやらするのでしょう、俺もそうなりてえや、と思いました。<br><br>　生まれ育ちが悪くても、いろいろな方向へ分岐する宿運に添い、１部は女のことだけは誤魔化すを辞さず、１部はあけすけに今も下劣だ、悪いかと吠えるのが似合うでしょう。…<br><br>　わたしも金が欲しいし、圧倒的な不特定多数にちやほやされたいし、むろん女に、男にされることとは違うことをされたいと思うにやぶさかではありません。<br><br>　物理力学としてとらえると、わたしを引き留める何ものが作用し反作用を待って、ついには７００万の花火のプレゼントのかわりに、眼の前には、ドライポーターとおにぎり１つと、焼きそばパン１つの隊列が並ぶにいたるのでしょう。<br><br>　わたしも金が欲しいといいつつ、金のある実力者たちに嫉妬するものではありません。<br><br>　自己完結で金が欲しく、自己完結でお酒を飲むのが夢ですから、対外的にはもっと特別なものを用意しています。特別なものがあるから、金もお酒も自己完結でよし、と思えるのです。<br><br>　矢沢永吉は、音楽がありましたが、音楽で成功する条件は誰よりも目立ちたがりであることといい切ります。<br><br>　エネルギーがまずあって、それからジャンルがついてきて、…というか、必ず何かがある者に対してだけ、エネルギーがあるように仕組まれているのであろうと思われます。<br><br>　あるいは、エネルギーがある者には、ジャンルをひねり出すもったいなさの感覚がなければ自滅するだけ、という自動化の力学もある、と解釈することも出来るかと思います。<br><br>　お酒を飲んでもいい表現が出来る場合、物に執着しても魂の高揚へつながる場合を含め、何がどんな信号で天地の上下左右へつながってゆくかは計り知れません。<br><br>　が、幻想より覚めて、焼きそばパンを咥えると、わたしはまたくらくらして来ました。<br><br>　勝ち負けは決まっていない、といいますものの、「今ここ」のわたしは大敗です。<br><br>　原因の一端は、ほら、お酒のかわりに牛乳、野菜ジュース、お母様の特製サラダを軽んじる態度をとったことだよ、といわれても、「はい、ビール、３本目はやめときます」とうなだれるのが関の山でしょうか。<br><br>　お酒の道徳・不道徳に敏感。…<br><br>　人によっては、朝からの飲酒、いいじゃねえか、俺は認めるぜ、といってくれる人も、いるかもしれません。<br><br>　そのくらいじゃないと駄目、ともいえる人間が、世の中にはいるものだとご理解を下さるとか。…<br><br>　朝からの飲酒をいい悪い、気にしている方が、貧乏くさくていやだ、という人もいることでしょう。<br><br>　わたしはいわゆる「他者への想像力」がないタイプです。<br><br>　自分がどう見えているか、標準的な眼じゃどう見えるのか、想像することが出来かねております。<br><br>　朝の飲酒、世の中じゃどう思うのか、距離感をもって考えることが出来ません。<br><br>　やはり、いけなかろう嗜好性でしょうか？<br><br>　平日は駄目で、「昭和の日」ならいいのでしょうか？<br><br>　いやいや、ほんと、家族がないなら自由だよ、羨ましいねえ、という人もいるでしょうか？<br><br>　妻子があるかないかなど関係ないでしょうか？<br><br>　よくいうのは「酒を飲むあり方」です。<br><br>　わたしのように、おいしいのかおいしくないのかわからないで、逃げるように飲んでいるのは失格、という場合はあろうかと、かろうじて想像いたします。<br><br>　誰もが仕事のあと、ほとんどそれだけが楽しみで、お酒を飲み、また頑張ろうと思う、…などと指摘されれば、わたしはさらに２缶か３缶、飲みたくなるでしょう。…<br><br>　自由な人生。…義務でも法的拘束性のない数々のこと。…結局の、自業自得。…嫉妬とぎりぎりの万民相似性。…隠れた事情や本能をどこまで知り、いうのか？…生まれながらの運命じゃ仕方がないのか？…<br><br>　家庭をもっての喜びと悲しみに応じ、家庭をもたない喜びと悲しみがあるかもしれません。<br><br>　わたしが朝からお酒を飲み、己を振り返る愚の突端にいても、お酒は飲まないけれども別の落ち度のある方々が、同じく「いちばんいけないことは？」と模索しているかもしれません。<br><br>　わたしは矢沢永吉の例を出したことを後悔しております。<br><br>　１つ固有名詞を出すと、責任が生じます。矢沢永吉の精密に正確な情報を押し流していなかったし、それは不可能ですので、広島じゃない音楽じゃないエネルギーじゃないところでの、人や物のポジション取りに、誤解を転がすことを、積極的に推進してしまったことになるかと思われます。…<br><br>　が、あえてもう１度、矢沢永吉を想い出すのはお酒のせいではありません。<br><br>　わたしは矢沢栄吉のファンでなく、「成り上がり」という文庫本に、この人はすぐれているなあ、といわば人間学的に、思ったことがあった、というまでです。<br><br>　夢を叶えるには、夢が叶ったときの映像を、その部屋の様子やらなんやら、出来るだけ細かく想像することだ、という内容の言葉があります。<br><br>　こういう言葉に「わかってるなあ」と思います。<br><br>　過去に褒められたことを、何度も何度も反芻するとか、大きな刺激を受けたときは、心の整理がつくまで３時間も部屋内をうろついて、決して邪魔させないとか、これらは「成り上がり」にある例ではないですが、わたしが私生活で感知していることのいくつかです。<br><br>　将棋の羽生名人は、あるとき「午後から調子がよくなることもありますから」といっていました。こんな、どうでもいいけれども具体的なことが、エネルギーの循環のちょっといい人なんだな、と思わせます。<br><br>　わたしはスプーンの裏側が舌に当たるのが嫌いです。皿と皿を重ね合わせると汚れる感じが大嫌いです。複数のお皿がおかずとして出ていても、必ず１枚１枚片づけてゆきます。<br><br>　総じて「混ざり合う」のが嫌いなのだとわかるのです。<br><br>　空気が読めない、など大喜びです。空気を読まなければならないところへ進出して駄目になる自分も、いっそ自滅してゆく人類と並走しているだけだと割り切りたくなります。<br><br>　わたしは何をいっているのでしょう？　朝からお酒を飲むことの、まったく迂遠な正当化でしたか？<br><br>　正当化はしておりませず、自意識過剰をいささかもてあます程度です。こんなろくでなしですが、淡白にいえば、嫌われたくない、という自己愛過剰の上塗りゆえ、迷走しているのです。<br><br>　人生、選んだものに縛られます。<br><br>　が、いちばん自分で選べなかった「出生」にこそ縛られまくりであることは、多くの人が知らないふりをします。<br><br>　運命、と来て、でも体感出来ないし結果も変わらないから、せめて自力で現実を運んでいけると日々にすがります。舞台上での立ち位置をよくしようとするため、自己愛で絡み争い合いますが、本当は何もかも許されている地平であるはずなのをわかっているのです。<br><br>　わたしの貧乏ったらしい内省や相談事も、焼きそばパンのように、他のどの人の手にとられるはずだったかわかりません。ですが、誰の手にとられ、食われてしまうかは決まっていて、想いも行動も、シナリオに規定され演じている「事後的」なものなのではないかと最近、考えるようになりました。…<br><br>　たかが朝のお散歩のことからも、運命の紐を結んだり解いたりしていくことが出来ます。１つの場所にとらわれるのが偶然か必然かさえわかりませんが、１例が「朝からお酒を飲むわたし」なら、嬉しくも悲しくもありません。<br><br>　本当は、「走り」でもなく「ウォーキング」でもない朝の営為の茶化しから入って、「JKお散歩」について語らうプランでいきましたところが、勝手な連想はついえ、仮想より悪い文章を編みこんでしまいました。…<br><br>　憧れの違法「JKお散歩」で、おにぎり１つと焼きそばパンが朝食で、…と語らおうとすると、楽しい会話に進まず、焼きそばパンが悪いか！、とキレかけます。あっけなく２人の主題が重なり合うのが親孝行の話で、とりあえず親より先に死んじゃダメ、…というところで警察が来て、いえ、年齢知りませんでした。契約関係なんてないです。…でも捕まりました。わたしは女子高生に、ドライポーターというお酒まで飲ませていたのでした。…<br><br>　これはあまりにこじつけにすぎない想像でしょう。わたしはなぜしたくもないお散歩に憧れているのでしょう？<br><br><br><br><br>　<br><br>　　<br>　<br><br>　<br><br>　<br><br>　<br><br>　<br><br>　<br><br>　<br>　
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<link>https://ameblo.jp/yuuugooo168/entry-12020324828.html</link>
<pubDate>Wed, 29 Apr 2015 12:35:59 +0900</pubDate>
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<title>新しく始めたことが実は２度目。</title>
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<![CDATA[ <br><br><br><br>４月２８日（火）。<br><br><br><br>　今、新しく一冊の本を、読み終わりました。<br><br>　見城徹の「たった一人の熱狂」という本です。<br><br>　昨日、銀行がある隣の駅の書店に、まだ電車に時間があるというので寄って、珍しく、すぐさま買って来て、昨日今日で読み終えました。…<br><br>　見城徹は出版社の社長です。<br><br>　出版社は「幻冬舎」です。<br><br>「幻冬舎」は、いわゆる「角川書店」から、見城徹のカリスマ的な力量で自立した危険な出版社で、今もこれからも、冒険してゆくいい出版社だといっておきましょう。…<br><br>　しかし著書内で、著者というかたちの人がいっているとおり、２年後、５年後、１０年後には何が起きているかわからないのが金儲けの現場です。<br><br>　著書自体、とても魅力的ですが、あまり売れないことを期待したいか売れることを希望したいか、お節介ながら、見守りたい気分ではあります。…<br><br>「幻冬舎」の社屋は、実物を、JR千駄ヶ谷駅で降りて、足足を道道に押しつけては離し、打ちつけては遠のけすれば、１０数分で、たどり着き、見まがうことなく見ることが出来ます。<br><br>　ちょっといい、白い、幾屋かに分かれている社屋です。<br><br>　ここで、１００万部売れば１億稼げるような、魔術の秘儀が執り行われているととれば、電車賃をかけて、JR千駄ヶ谷駅にたどり着いた価値もあるというものです。…<br><br><br>　わたしは今年に入ってからのあと、この「幻冬舎」の社屋を見聞いたしました。<br><br>　見聞、というには見ただけ、体感しようとして出来なかっただけなのですが、出来るだけ卑屈にならずに、物語ることといたしましょう。…<br><br>　あの日、わたしは、神保町あたりで原稿の持ち込みを試み、２社にとりあえずの原稿授受を果たしたのち、３つめを、予定通り、千駄ヶ谷駅のある場にある、河出書房新社にて果たそうと思い、転戦していました。<br><br>　河出では、「文藝」という雑誌を出しています。純文学も、ぎりぎり許容されている範囲内でしょう。<br><br>　内線電話だけで撤退、「そうだ、幻冬舎も近くだ」と思い、河出書房新社に持ち込もうとしていた原稿を、いきなり、幻冬舎へ持っていってやろうかと思いました。<br><br>　あくまでわたしの実力が足りないので、皆さん、わたしには浮薄な批判精神などないのを信じていただきたいのですが、河出はもちろん、「幻冬舎」も、持ち込みなど受けていただけなくてもまったく構わないのであります。<br><br>　しかも「幻冬舎」は、いかんせん純文学で儲けるまたは文化を維持し果てる体質になるところの出版社でなく、わたしの思いつきの方が、相手に面倒くさかっただけなのです。<br><br>　純文学で、「幻冬舎」で受け入れていただき、お金も儲けるなど、考える人は、日本で２，３人しかいません。…<br><br>　わたし。<br><br>　わたし以外（単数）。<br><br>　わたし以外（複数）で、<br><br>　２、３人です。<br><br>　わたしは気が弱く、お酒にも弱く、助詞の使い方入門編にも弱く、１号館だけにとどまらない「幻冬舎」の社屋のわき道の坂を、下ってゆきましたです。<br><br>　結局、入れませんでした。<br><br>　納入業者か何かのトラックが置いてある通り道の狭さと業者さまにすら見とがめられたくないおのれの貧相な姿を計算にかけ、誰にも見られず証拠も残さない侵入を試みたのですが、…<br><br>　自動ドアが開きませんでした。<br><br>　冬でした。黒いコートを着ておりました。<br><br>　自動ドアが開くべきポジションへ侵入、自動ドアを、大人の身体の重さで電子的に開けようとしたのですが、…<br><br>　開きませんでした。<br><br>　帰って神さまに報告するとき「２度、試みなかったのか？」と咎められることを憂慮し、もう１度、離れ、侵入し直しましたが、自動のドアは開きませんでした。<br><br>　誰も見てなどいないのに、何もなかったように、後退したのでした。…<br><br>　セキュリティーがしっかりしているのでしょうが、わたしが悪いのか、原稿がお話にならないのか、死ぬまで天が味方してくれないのを親切にも予告してくれたのか、開かない自動ドアゆえ、傷つき方は、半分以下にはなってくれました。…<br><br>　さて、その麗しくも短時間で感受し印象の残り方がいささか圧倒的であった「幻冬舎」でしたが、今回、その社長である見城徹・６４歳の著書「たった一人の熱狂」を読み通しました。<br><br>　この本に、大変な頻度で出てくる言葉があるのですが、それは「才能」でも「本能」でも「煩悩」でもありません。…<br><br>「圧倒的努力」という語が、よく出てくるのです。<br><br>　著者は、ことあるごとに、「圧倒的努力」で切り抜けてきた、辻褄を合わせてきた、打開してきた、というようなことをいわれます。<br><br>　ここにすでに、微妙な魔法が使われています。<br><br>「圧倒的努力」でやり抜いて成功がある、となりますと、誰も文句はいえません。<br><br>「努力」なら、平等に機会が与えられており、「する」も「しない」も選択のようなニュアンスがあり、すなわち「平等」ともとれるからです。<br><br>　しかし、見城徹というオヤジの「圧倒的努力」は、「圧倒的」の向こうに「天啓」があり、「努力」の背後には、「資質」ばかりが隠されています。<br><br>　見城徹という「方々の中の方」「人々の中の人」にしか出来ない「努力」ばかりなので、「圧倒的」といって押し倒すのでなく、いっそ全体を、「天啓です資質です」と寄り切ってしまった方が早いのでは、という疑惑が気体のように漂う感があるのでした。…<br><br>　しかし、あえて「圧倒的努力」という語に命運を預けて、貫きながらも好かれようとしている人間の天分を裏切らずにいる著者は、もしかしたなら「傲慢」のレッテルを張り直される懸念もあるでしょう。…<br><br>「圧倒的」に「努力」しているから金を儲けているのだぞ、といいながら、「小さな約束もおざなりにしない」と語る著者ですが、幻冬舎文庫の読者の大半は、「圧倒的」には「努力」出来ない人々であり、彼らの１冊１冊の購買こそが、その「小さな約束」こそが、著者を金持ちにしているわけだからです。<br><br>　著者は、今も親しく交友を続けている、名もない同級生たちを、ハワイへ招待するつもりだと語りますが、１冊１０００といくらで「幻冬舎」を潤し続けている市井の読者たちは、何が「努力」か踏み迷います。著者は「金がすべてだ」と言い切ることで、主義主張の正当化が出来ているように語るのですが、「金がすべてだが儲けられないし、しかも正しい」人だっているわけです。<br><br>　だから、いっそ突き放すようにするのが文脈なのですが、「圧倒的」を狡猾につけて、誰にでもできるはずの「努力」に起因をまとめようとするのです。<br><br>　見城徹氏の「努力」は若い頃から現在に至るまで、それは凄いですから、凄さを「真似する仮定も立てられないなあ」と理解するためだけでも、この本を、読む価値があるくらいです。<br><br>　誰それとの交友、とか、時計やワインは何がいい、とかより、作家の原稿をとるためどんな「資質」があるのかに関し読み切った方が、読後、よほど割り切った気分になれます。<br><br>　通常、わたしのこの文章を読んで、著者がわたしを見限るとしたら、「君は意識してしか努力出来ないのかい？」ということになると思われますが、「実はわたしも意識せず努力出来る局面くらい、あります。ですが『圧倒的』では、ないのです」と答えるでしょう。<br><br>「圧倒的努力」など、生まれてから１度も出来ない（しない、のでなく）人もいるのに、この本を手に取る人ならと、無意識に選んで、「君にだって『圧倒的』努力が出来る、『努力』なんだから」といっている、悪い言葉でいえば「誤魔化し」が悔しいのです。<br><br>　このことを含め、著書は、貫いているだけでなく、正しいだけでなく、人に好かれようとしている、理解の隙間をつくっている、といえることが、所詮、処世的で、ずるいのです。…<br><br>　ということで、翻ってみますと、本というものは、著者が１００％、おのれを正しくしてしまえます。<br><br>　しかし、著者がどんなに偉大さへ足をかけていても、５０正しく、５０は踏み迷っているものでしょう。<br><br>　素晴らしい筆致で説得を受ければ、「見城徹」の「幻冬舎」は、数々の戦いに勝って、なおも冒険する、かけがえのない出版社である、との様相に染められてしまいます。<br><br>　が、冷静にもの想えば、１年で１００万部売る流行本と、１００年後には累計６００万部になるであろう名作との、「すぐれ方」の比較はなされておりません。<br><br>　郷ひろみから劇団ひとりまで売り切っても、賞をとらずに埋もれている何かの本が、見城徹の次の次の次の代ではどんな扱いかは、当面、想像力をはばたかされてはおりません。<br><br>　不遇というのは、死後発掘されて、日の目を見たら、凄かった、というあり方のように思われていますが、実は、真の不遇は、永久に日の目を見ない、でも天だけが、その存在と優秀性を知っている、そんな「零」のあり方であるように思われます。<br><br>　数字が大事だ、というこの本の著者は、「零」の深みについて、どれだけ留意したことがあるか、留意したらどれだけ「金儲け」と絡ませて考えられるのか、２３７頁の厚みでは、解明していない方向性といえます。<br><br>「金が一番」なのは、やがてそれに参加したいわたしとても同じ信条ですが、「零」という本質への想いがないと、「金儲け」は怖いだけのものになってしまいそうです。<br><br>　わたしも金持ちになりたいですが、「圧倒的」「努力」とは違う世界の声もわかってもらいたいのが半分です。<br><br>　本当に、いろんな意味で、「努力」が出来ない者もいるのです。<br><br>　見城徹という６４歳のオヤジは文章もうまい、というか、構成がうまく仕上がるように調整出来ているのでしょうが、おのれの青春時代を描いた２節だけ、とても未熟な文章になっているのが際立ちます。<br><br>　恋愛について、革命については、「金儲け」について熱弁を振るった同じ人とは思えないくらい、隙を見せています。<br><br>「圧倒的努力」でない世界が、そこにはあったからでしょうか？　いちばんなまの「資質」が飛び出てくるであろう場所へ、「努力」が感じられない筆致が投影されているのです。<br><br>　また、見城徹というすぐれた世界解釈者は、７５５で、若者からこんな質問が来た、くだらなくはないかい？、というような、受けて応じてくれるだけでありがたく、見城氏がすぐれていることを証明するのと一体で、本気の問答をしている、興味深い一部を構成しておりますが、逆に、若者から見れば、見城氏の青春時代の赤軍の行為を美化したりした一節の方が、危険極まりない「くだらなさ」に見えるかもしれないことを、公準に近づけた方がいいのではないか、などとも思われます。<br><br>　見城氏は、革命から去る青春時代の自己を、親が悲しむし、就職も出来なくなるし、という「くだらない」理由で、殉じられなかったのだ、と多分の嫌悪も交えて描いておられるのですが、今の若者とやらには当たり前どころか「くだらなく」なく、「誰かを悲しませたくない」のも「自分が安定しないでいる」のも、ある種、周りが規定する価値に、わがままになって逆らえないから、周囲を、他者を、尊重しなければならないから、という気分で、虜にされている面もあると思われるのです。昔の青春はむしろ、悪い意味でも、勝手気ままにやれたのではないか、という仮定さえ図れます。自分の時間のエリアだけいい意味でのものに論じてしまった青春時代の一節は、失敗だったと思われます。<br><br><br>　わたしは本来、本の感想じみたもので記事の大半を埋めるつもりはありませんでした。今日より新しいことを始めたので、「新しいことを始めたが２度目だった」ことだけ書きたかったのです。それは、たかが、朝の散歩で、「圧倒的努力」というには資質も腹回りもいらない矮小な試行でした。…<br><br>　お正月に、「とにかくやってみよう」と思い、１０日間だけ、朝歩きました。１時間から１時間半でした。わたしは「やる前に考える」タイプなので、無理やり意味を掘り下げず、「やってみよう」と思い、やりました。<br><br>　区切りよく、５月１日からやろうとも思いましたが、４月の最後の３日間を、馴らし運転にしようと思い、やりました。１月のときは、やはり意味なく始め、意味なく終わり、「やってみた」だけでしたが、月の終盤で活きました。今はついえているので情けないのですが、あのときは「これ一発！」と思える１シリーズの努力期間が続けられました。お正月の１０日間が、ささやかに次へ続いていたのだと思います。<br><br>　今回も、精神状態、生理状態の機微、抜群なのに、行動を起こせていないおのれに喝を、と思い、「まず歩いてみよう」と思いました。ただ歩いているだけの今ですが、数日後、数１０日後、数１００日後、どう続いてゆくかわかりません。「まずやってみる」のも、何かにつながってゆく、と意識するようでは、ただやってみる、の神髄にはなっていないかもしれませんが。…<br><br>　朝、６時よりは前に起き、６時１５分よりは前に外へ出、８時ちょうどよりは前に、帰って来ました。…<br><br>　ただ歩くとともに、ペンとメモを用意し「書きとめておくことが生ずる」という不慮の事態に、いつもながら備えましたが、１句２節３文、何一つ浮かびませんでした。悪癖からつい、朝からお酒を入れてしまうという、どこか予定されていたようないなかったような営為を折りはさみました。おいしかろう生ビールの「ドライ・ポーター」を見つけ、３００円以上払って買おうとしましたものの、なんとなく、身分を感じ、発泡酒にしました。せっかく歩くので、禁欲の匂いがなければ、と思ったのでした。…<br><br>　発泡酒も、プリン体を気にした、アルコール度数は６％の、いい発泡酒ではありました。明日からも、朝から、６％の発泡酒を５００ミリリットル飲み、朝食も、母のものでなく、生たらこのおにぎりや、焼きそばパンでいきたい、とそう思っております。…<br><br>　顔がふくれてきたのを察知、もう一度痩せ直すため、歩こう、と思ったのが実相であります。それから、わたしは毎年、５月１日から１０月３１日まで、風呂場で身体を洗うとき水にします。４月の最後の３日間を「馴らし運転」にするので今日から水にいたしました。水を頭からかぶって頭こそを洗い、水で泡を塗りたくってこそ身体を洗います。これを、きっと、永久に永久に続けるでしょう。１０月３１日まで、…次のどうしようもない不調期が来てしまうまで、…永久に永久に続けるでしょう。…<br><br><br><br><br>　<br><br>　<br>　<br><br>　<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/yuuugooo168/entry-12019974792.html</link>
<pubDate>Tue, 28 Apr 2015 15:16:57 +0900</pubDate>
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<title>当たり前のことをしているだけなのに怖い銀行。</title>
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<![CDATA[ <br><br><br><br>４月２７日（月）。<br><br><br>　本日は２度、帰宅をしました。<br><br>　夜おそらくもう１度、帰宅をするでしょう。<br><br>　帰宅をするには、家をいったん、出れば済むことです。<br><br>　出て、帰れば、帰宅です。<br><br>　お金も、借りて返せば、利息だけです。<br><br>　利息だけはとられますが、完済です。<br><br>　帰宅は、完済という、すがすがしい気分です。<br><br>　ゼロに戻っただけなのに、１００点の気持ちです。<br><br>　さて、我が家は、ゼロに戻せず、１００点とれず、借金地獄か借金天国に、家族一体、堕ちかかり、内部での、分担の方策を模索しております。…<br><br>　詳しくは、そのことを中核に書く、気まぐれなときをお待ちください。…<br><br><br>　先段にて、３つの謎を、提示してしまいました。<br><br>　一家一体での借金について。<br><br>　わたしの今日の、２度の帰宅について。<br><br>　そして、夜おそらくもう１度、外出‐帰宅するであろうことについて。…<br><br>　義務はないとも思いますが、行きがかり上、説明をしましょう。<br><br>　わたしは今日、計３度の帰宅をすると思われます。そのうち２つはすでにクリア、１つは夜になる、と思われます。<br><br>　そして、一家一体での借金と、わたし個人にふりかかるであろう、借金文化・借金文明。…<br><br>　言い換えれば、借金地獄と借金天国。…<br><br>　整理能力のない、わたしの説明ですから、錯綜としてこないようにするには、一本化、というか、一元化してゆかなければなりますまい。<br><br>　借金について語るか？<br><br>　２度の帰宅、もしくは３度の帰宅についても語るものでしょうか？<br><br>　どちらもお金が動きます。<br><br>　お金を動かす営為においてすら、お金が動くのです。<br><br>　過去のお金の問題において、現在未来、派生してお金が動く、この雁字搦め！<br><br>　ちょっと明るい話題を提供しましょう。<br><br>　最近、１度目でなく２度目の読みをかました「夢をかなえるゾウ２」という本に、上手に借金を茶化して済ませている、とてもいい１部分があるのです。<br><br>　この本は、水野敬也というすぐれた血と涙の著書にて、読んでいるのを神に打ち明けるには恥ずかしいけれども、借金やお笑いにからめて読んでおりますと自白するにはすぐれた書物で、面白さと優秀な人生論においてはためになるともいえる、すでに皆様の多くが読まれているであろう、よく売れた本の１冊だと思われます。<br><br>　この本や、その周辺の本を、実力通りに出している出版社は、わたしも以前、自分の原稿の持ち込みに行ったこともある、A新社という、１０階未満のビルで、２階だったと記憶する、白と銀の出版社です。<br><br>　それはともかく、偉大なこの本で、成功しないお笑い芸人の主人公が、なぜかハローワークの前でネタを披露する行きがかりに見舞われ、無職のおじさんたちを励ますようなお笑いを、即興するという場面があるのです。<br><br>「借金」という、もの悲しさと負のスパイラルの予感に満ち満ちた語感をまずやめよう、という発想を紹介するのです。<br><br>「借金」のかわりに、「シャキーン」と呼ぼう。…雰囲気が変わってきます。<br><br>　あるいは、「肝試しマネー」「株式会社『俺』への投資」「夢職」「公園のベンチウォーマー」「『不況』の父と『就職難』の母から生まれました。『無職』です」「スティーブン・ノージョブス」などと次々と、借金のこと、貧乏であること、駄目な人間であることをかわす、言いかえの工夫を提案し、おじさんたちの賛同のような、賛同でないようなものを受けるのです。…<br><br>　あまりに面白いので、つい、わたしも、普段あれほどネガティブですが、笑いなおしてしまいました。<br><br>　もし、全然面白くないんだけど、という方には、わたしから謝罪いたします。紹介の仕方が下手だったのだと思います。<br><br>　その、「シャキーン」でもない借金、「夢職」でもない「無職」、「スティーブン・ノージョブズ」でもない「ただの無職の小説家志望のわたし××××」と関わり実体している人間わたし、本を読んで笑えるくらいじゃ軽傷でもありましょうか？<br><br>　しかし、「シャキーン」でもない借金のため、窮地に陥りつつある一家、そして個人、…わたしは金にまつわる外出・帰宅を地味に、きわめて地味に、今日も執り行いまして候、なのです。<br><br>　毎月２７日は、各種「引き落とし日」です。<br><br>　世の中には、「引き落とし日」であるがために、２７日を、ひと月で特別の日付と心得る方々が、たくさんいらっしゃると思われます。<br><br>　我が家は、生活の中心は衣食住ですが、意識の中心は常に、「ローンがまだまだ残っているぞ」です。<br><br>　ローンも玉ねぎやコーンのように、毎朝食べて消してゆけるものならいいのですが、いかんせん、２７日めがけて襲いかかって来て、２８日には何事もなかったように、また仮の姿で朝食の皿に載る、というわけですから始末に負えません。<br><br>　現に、今朝の食事ですが、レタス、玉ねぎ、ポテトサラダ、人参がおかずでした。<br><br>　ポテトサラダには、コーンも入っておりました。<br><br>　わたしは母に、朝から、「今日、何の日？」と訊かれたようなものでした。<br><br>　そのくせ本当に母がそれを言い出したのは、朝食を終えてからの皿洗いのときで、「え？」と思いました。<br><br>　実は、２４日（金）に、わたしの電話へ着信があり、うっかり出ずにいて、番号を見たら、MS銀行の担当者Yさんでした。<br><br>　土日をはさむので、２７日の引き落としの念を入れる電話を、２４日にかけたのかと思いましたが、もしかしたら、一時的に通帳を所持し、先月だけの例でいえばちゃんと払ってくれていた母が、もう払っちゃって、「確認しました。またよろしくお願いします」の確認の電話だったんじゃないか、とある意味、現実逃避していたのでありました。<br><br>　老いた母に、問題を掘り下げると、またいろいろな妄想が湧いて面倒になるので、土、日と、母には知らんぷりでいたのでした。<br><br>　２７日が来て母がうっかりしたままでも放っておけ、という自暴自棄なる気分も手伝っておりました。<br><br>　２７日（月）、今日、午前１０時の、朝食よりややあとになって、母が自力で気づきました。<br><br>「ああ、今日月曜日だ！」<br><br>「どうしたの？」<br><br>「今日ローンの日だよ。大変大変！」<br><br>　玉ねぎとかコーン、ポテトとか人参を食べさせておいて、それらが胃腸をたどって外へ出ない前から、次の悲痛なおかずを食わせるようです。<br><br>　母のおかずはまずくないのですが、最近、衰えたのか、いつも玉ねぎとか人参です。<br><br>　どうも、生のままの食感を主張する人参、玉ねぎであり、ポテトサラダはこにゃこにゃしておいしいのですが、全体として、「調理するのが面倒くさい」感じありありです。<br><br>　仕方ない、うちは貧しいんだ、と思いつつ、わたしは昨日は１人で１万円の傘を買ってきたし、お金に危機感があるなら別のやつにすればよい、いい銘柄のビールを飲んできてしまったりしました。<br><br>　朝食は、玄米に、ひと皿野菜類ですので、野菜類が血であり肉であり骨でもあるのですが、しんなりした野菜類の表情にそれらの役は務まりません。<br><br>　ただ母が「調理する気力もない」といっているだけのように思われるのです。<br><br>　わたしはせめて日々を頑張るため、栄養のない、袋ラーメンを取り出し、お湯をかけてはレンジで調理、ずるずる食べたりします。<br><br>　母が「そうだ、お汁もね」というのでご厚意に甘えよう、ほんとはいらないのにと思っていると、給湯ポットにお湯がなかったらしく、言葉でちゃんとその旨いうのに、出て来たお汁、水になっていたりもするのです。<br><br>　わたしは頭上に降りかかる借金のことを想いながら、「昔ながらの中華そば」をすすりました。<br><br>　そして、数十分ののち、母が「今日支払日だ！」と気がつきます。<br><br>　やっぱり、２４日の銀行からの電話は、大丈夫かの、確認だったんだということがわかりました。<br><br>　母は、わたしの朝食が終わるのを待って、銀行通帳も、お金も準備しました。<br><br>　母とわたしの生活は、いろいろと混乱していて、出費も、あやふやな分掌制になっていて、完全な一本化、というか一元化のシステムを確立できておりません。<br><br>　先月は、喧嘩をし、結局、母からの会計で、ローン支払い分は、済みました。<br><br>　その前までは、数か月間、わたしからの会計で、支払っていました。<br><br>　わたしの働いた金ではありません。施設にいる父の生命保険を解約して得たお金がまだあるのです。<br><br>　ですが、出来るだけまとめてもっていたく、母からの会計でローンすら済めば、万々歳の２７日となるはずなのでありました。<br><br>　母からの会計は、母への年金、貸しているアパートの家賃、それに母が教えているお茶の教室からの収入です。<br><br>　このように、収入の出所はあるのに、２７日を苦しむ、というのは、どこか当事者が「スティーブ・ノージョブス」な面をもっているからに他ならないでしょう。<br><br>　しかし、一生懸命、玉ねぎと人参のなまのサラダを朝から喰い、ちゃんと本を読んではいつか書ける本が派生する希望を棄てずにい、喧嘩はもうしない、の中心主題の上に母の買い物をすべて請け負ってあげ、いつ来る破滅、明日はまだ、などと念じつつ快眠、あっという間に一生懸命過ごしたはずの１日が、短くとても短く過ぎていってしまうのです。…<br><br>　MS銀行の担当者からも、今にも電話が来るはずでした。<br><br>　２４日に確認するつもりが出なかったため、当日の今日、確認する電話が来るはずです。<br><br>　待ち構えることが出来ただけ、よかったと思います。不意打ちには、ことのほか弱いからです。<br><br>　母が「パンもないの」というので「パンだけ？　他にない？」といいますと、パン、鶏肉もも、牛乳、天ぷら、玉子も買って来てほしいといわれました。<br><br>「玉子は昨日だったら９９円だったのにね」といわれました。<br><br>　昨日は日曜、近くのスーパーでは玉子の他１０００円以上のお買い物で玉子が９９円になるのでした。<br><br>　知ってて、ついうっかりしました。<br><br>　銀行へ、母から渡された通帳と半分ほどの金にわたしの会計から半分足して、大事な大事な紙幣数十枚持って、出かけるのはいいのですが、些末に「スーパーでの買い物」もしなければならなくなりました。<br><br>　食パン１つ。母の希望する、８枚切りのいちばん安いやつ。<br><br>　鶏肉もも。２００円台か３００円台で迷い、３００円台にしました。<br><br>　玉子。選ぶ必要がありません。…１８９円です。<br><br>　さらに、牛乳も公平な２本を籠に入れ、こういう細かいところからちゃんとやらないと「肝試しマネー」は楽しい余裕に結実しないかなあ、と思いつつ、お金を払い、袋へ詰めておりましたところ、電話が来たのでした。…<br><br>「はい」<br>「MS銀行のYですがあ。お世話になっております」<br>「はい、お世話になっております」わたしは先制攻撃をして、「これから２０分後くらいには預け入れ出来ると思いますがあ」といいました。<br>「それはありがとうございます」…若いYさんは、丁寧に、でも当たり前の口調でいいました。「実はそれとは別件のお話もあるのですが…」<br>「わかりました」といいつつ、どっきりして来ます。「今、ちょっと話出来かねます場所で受けているものですから。…ちょっとスーパーのレジの近くという場所にいますものですから」…<br><br>　銀行へ行くより、スーパーが先だったと、いっているようなものでしょうか？<br><br>　Yさんは、来月には、担当が代わりますので、１度、新しい担当とお伺いし、ご挨拶したい、との内容の電話を、レジのそばの約２０分後に、あらためて、あちらから、かけてきてくれました。<br><br>　新しい担当は、年上の人のようです。<br><br>　ある程度、意味はわかっています。<br><br>　担当を代え、日本人の、日本人による、日本人のための義理人情を薄くし、「こう聞いておりましたが」とか「それ以前のことは関わるものではありません」の言葉の効果を最大化し、より厳しく迫ってくるのが「担当代え」の内実ではないかと思われました。…<br><br>　安売りじゃない玉子やいつも公平な牛乳、かき揚げ天ぷらや３００円台の鶏肉ももを携えて帰宅。…これが１度目の帰宅でした。<br><br>　気分をゼロに戻しつ戻せないのが普通かもしれないところを案外、普通に、気分を持ち直せちゃったりし、地元のATMでは不安なので、わざわざ駅から電車に乗り、隣の大きな街へ出向き、MS銀行そのものへ行って、手ずから預金通帳に、大きな額を追加、齟齬なく帰ってくることが出来ました、…が、トマトが足りないともさっき、第１の帰宅で母にいわれていて、そのトマトを買い、つい、自分のビールも買い、帰宅して、…これが２度目の帰宅ですが、…ビールはブログを書いたあとにまわそうと思いました。いつかビールは超贅沢品と、なるのでしょうか？…<br><br>　それ以前に、禁酒を掲げて守っていた事情がスカスカになっており、枯葉に穴が空くように、飲んだり飲まなかったりになってしまいました。貧しさの予告より、心の挫折や萎みが現在あることこそが、問題です。わたしはどうしちゃったのでしょう？　気分は良く、生理機能は万全なのに、やがて本にすると奮い立つ書き物は書けないし、前に読んだ本を、気まぐれに再読すると笑えちゃったり、自分を管理できにくくなったというか、もう少しちゃんと、わかりやすく、一本化、というか、一元化したいところなのであります。本当は、当面していない金の問題はどうでもよく、当面してから考えたい、というのが正直なところでしょう。が、人生の主軸の文芸面でも、熱心な活動が、沸き上がって来ないため、ただただ「調子がいい」ということをだけ、もてあましている感が強いのです。…<br><br>　こうしてビールを飲むに先立つブログ書きも、今回も、皆さまのご協力のおかげで一区切り出来ました。ブログ書きも、書き出すときは、借金を抱えているようで、書き終えたときは、完済したような気分です。１回１回、書けるか書き切れるか、書けたか書き切れたか、という感じではあるのです。そんな感じに１つずつ、課題をこなしてゆかなければならないのでしょうが、悪い緊張感がないとはいえず、借金のように、常に通底している感じがやむにやまれません。ブログも毎日更新と決めているため、ローン返済を毎月重ねてゆく感じとまったく異なるものでもないのです。…<br><br><br>　では、今日、４月２７日（月）。ローンの２０１５年４月支払い分を、支払いました。…それに呼応している今回の記事の、総括だけしておきましょう。<br><br>　わたしは２度の帰宅をいたしました。１度目はスーパーの買い物に行って、帰って来た帰宅。---<br><br>　２度目は銀行へ行って、トマトとビールだけ買うスーパーの買い物から帰って来た帰宅。---<br><br>　夜、予定されている帰宅は、２度の帰宅と同じく外出に連動するものであり、駐車場を借りている猪口さんに、駐車場代を払いに行きます。その小さな外出からの、帰宅。---これも２７日が原則なのです。<br><br>　最後に、「シャキーン」でなく「借金」ですが、今回払っても払っても、全体としての金額の桁数は変わりはしないことをご報告申し上げます。<br><br>　皆さま、水野敬也の「夢をかなえるゾウ」シリーズは面白いですが、娯楽の向こうに人生論がいくら隠れていても、「シャキーン」返済額は変わりません。<br><br>　本すら買う金がなければ買えないのだぞ、と思いつつ買う本が、どんな学習へといざない、次のお金へと結びつく夢など見ても、刻々と、ほぼ同じ間隔で、時間は刻まれてゆくでしょう。<br><br>　死なないと仮定して１つ思うことは、書くのが使命の者は、書いていられれば、状況など何も変わらないに等しい、と考えるのが真ということでしょう。<br><br>　書く、という実動の作業が、最低、紙とボールペンで出来るなら、ゆったり温かくおいしくこころよい環境で書けているときと、同じだということです。<br><br>　まだまだ恵まれているうちは、ブログがやれることに甘え、ブログ以外も含めた宇宙にたゆたいたいと思われます。<br><br>　このように、なんだかんだいっても、本日も記事を書き切れまして候、です。<br><br>　このあとなんと、ビールを飲むことが許されているのです！<br><br>　わたしという大王は、なんと偉大でしょう！　こんなろくでなしに、ビールを飲ませる余裕があるのですから！…<br><br>　<br><br>　<br><br>　<br>　<br>　<br>　<br>　<br><br><br><br><br><br>　
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<link>https://ameblo.jp/yuuugooo168/entry-12019541614.html</link>
<pubDate>Mon, 27 Apr 2015 14:51:25 +0900</pubDate>
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<title>食事後、腹が痛くなってきた。</title>
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<![CDATA[ <br><br>４月２６日（日）。<br><br><br><br>　今日は野望も義務感もなく、早めに短めに終わらすつもりです。<br><br>　そんなことを書いたって迷惑でしょうが、先ほどからおなかが痛くなってきました。<br><br>　父に似たわたしのこと、いつか消化器に癌が見つかると思っています。<br><br>　父も、胃がんか大腸がんか直腸がんでした。<br><br>　手術をして、助かっており、今もなお生きております。<br><br>　わたしはよく人がいうとおり、「切られるくらいなら手をほどこさなくて殺してくれ」と思います。<br><br>　そのわがままを、今は想いますが、いざ現実となってどうなるかは頼りありません。<br><br>　社会でのポジションにもよりますし、その日、何を食べてどんな気持ちでいたかにもよると思われます。…<br><br>　さて、直近の、今の腹痛ですが、下痢とか食中毒とかでない、臓器的なものを感じます。<br><br>　下痢も食中毒とかも、「臓器的」なのかもしれませんが、何か「排泄」的な作用へと、汚く出現しそうな痛みではない、といえるのです。<br><br>　これを「臓器的」と表現するのに他の諸器官の、手助けや勇み足を感じた覚えもありませんでした。…<br><br><br>　腹が痛むからといって悪い文章を書きたくありませんが、文章を書きながらよい内省でもしようかと思えば、痛みの要因の１つは飲酒です。<br><br>　たった２本の缶ビールで、要因の１つとなす、となると、情けないのですが、飲みたくもなくて飲んだ、気持ちとやさぐれ感の調和性のものが、反映するには、アルコールと腹あたりがちょうどよかったかかもしれません。…<br><br>　いい文章を書いてやろうとの野望なく、短く書いて終わらそう、となると、心構えからして失格です。<br><br>　じゃあ読むのをやめようと、気持ちの機微が伝播してしまう、そんな作用もあるでしょう。<br><br>　実はこいつ、「書くネタがなくて、書きながらに迷走しているだけ」が真相、と思う人もいるかもしれません。<br><br>　ですが残念、これを書こう、と思っていた事柄は、あったのです。<br><br>　あったのですが、正直な語り手のわたしは、腹が痛いという、目下の現実のことを避けて、文章を始めるということが出来ませんでした。<br><br>　本日、わたしは珍しく、Oという商業都市へ、電車を使って出かけたのです。<br><br>　この破格な冒険は、<br><br>　１　わたしが都市へ受け入れられる。<br>　２　わたしは都市へは受け入れられない。<br>　３　受け入れられるか受け入れられないかの問題ではない。<br><br>　のどれかを帰結としたはずでした。<br><br>　受け入れられるなら受け入れられる、受け入れられないなら受け入れられない、---どちらかの評価へ続く、実際の、象徴的な行動は、なんと「傘を買う」という目的的な行動なのでした。…<br><br><br>　家が３５００万円の借金を抱えており、６月には銀行のひどい仕打ちが実体化する、そんなわたしの４月２６日・日曜日、快晴の、そんな日の目的的行動として、「傘を買う」は許されるでしょうか？<br><br>　金策に奔走して、次男としては親をサポート、弟としては長兄をテレポートして、一家の危機を救うべく動き回るのこそが、４月第４週の日曜日にすべき、「腹痛」の代わりだったのではないでしょうか？<br><br>　大体、長兄を「テレポート」してしまったら、「テレポーテーション」というのは「どこでもドア」のことだと思いますし、債務者・連帯保証人の欄を、書き換えることにしかならない、無為な営為なのではなかったでしょうか？<br><br>　わたしはビールをたったの２本、飲みました。<br><br>　腹など痛くありませんでした。<br><br>　傘を、丸井で買いました。<br><br>　なお、腹など痛くはなりませんでした。<br><br>　では、１日２食の朝と晩とを検証してみましょう。<br><br>　２０１５年４月２６日・日曜日の朝食。---<br><br>　玄米。トマトと小松菜とコーン、缶詰のウィンナーと玉ねぎと、にんじんはほぼ生でサラダ風、酢の味。…<br><br>　目玉焼きもついていたと思いましたがつい、インスタントのラーメン１つも食べてしまいました。…<br><br>　老いた母が作ってくれた渾身のメニューには、添加物の多い塩味こそが足りない、と思えたからです。<br><br>　以上の朝食ですが、腹痛の原因になる伏線を、引っ張ってくる要素、見え隠れしているでしょうか？<br><br>　さっき食べた、夕食。---<br><br>　豚肉のステーキという贅を尽くして税を払わなそうな脂したたる肥りもしそうなものを、つい、食べてしまいました。…<br><br>　玄米ですが。…<br><br>　我が家は---といっても母とわたしの２人ですが---最近、玄米です。<br><br>　父と母との、ウサギを追ったり赤子を負ったりした田舎の秋田から、---２種類の親戚の家から---送ってもらえる貴重なふるさとの便りは、ずっと、米でした。最初から、白米でした。<br><br>　ずっと、あきたこまちだと信じていましたが、あきたこまちじゃない白米を経由せず、急に、玄米になってしまいました。<br><br>　いつから玄米になっていたのかわかりません。大きな１０キロの袋が３つも４つも溜まり、母は昔ながらの友人で関東圏に来ている家族へ袋そのまんま、あげたり余裕をかましていました。<br><br>　どうでもいいですが、友人の１人は今、がんの末期で、明日にでも亡くなりそうでいるのですが、車でわざわざ米をもらいに来た、そのときは、まだ白米だったはずでした。<br><br>　袋を開けるまでは、あきたこまちか玄米かなど、知りたくもありません。<br><br>　あきたこまちだと断定していたいからです。<br><br>　ずっと白米の時代だったので、玄米へ政権交代しただの考えたくもありませんでした。<br><br>　開けて、玄米だった今回、ショックで母は水の加減を間違え、悲惨なぽろぽろのご飯が炊きあがってしまったり、迷走をしました。…<br><br>　でも、こんなことを書いている場合ではありません。<br><br>　２０１５年４月２６日・日曜日の我が家の夕食、それは、贅を尽くした豚肉のステーキでした。<br><br>　玄米で、この贅沢な料理を食べました。<br><br>　玄米も、一時期流行りましたが、たとえば豚肉のステーキには合わないと思われます。<br><br>　白米を喰える、そんな当たり前のことが幸せだったんだと思いました。…<br><br>　玄米は、大きな茶色い袋、１０キロまで、食い尽くさねば、次のステージへと進めません。<br><br>　問題は、この夕食が、夕食後の腹痛に関与しているかどうかですが、関与はしていない、と思います。<br><br>　昼間、Oの街で飲んだ、あくまで２本の缶ビールですが、これが、状況証拠的には、痛みをもたらした主因だと思うのです。そんな「雰囲気」がするのです。…<br><br><br>　今、冷静に振り返らなくても、２本は、別々に飲みました。<br><br>　立て続けに飲むという、胃に悪いことはしませんでしたが、どちらかというと空いた腹に流し込むという、胃腸に悪いことはしてしまいました。<br><br>　朝食を終えての、５、６時間後でした。<br><br>　１日２食でなければ次の食事が普通に欲しい、太陽の光が燦々と降り注ぐOの街で、人ごみをすり抜けかわし抜け、ある聖なる場所で、わたしはお酒を飲んだのですよ、刑事さん。<br><br>　Oの街へ行くと、必ず１本、買い、聖なる場所へ行き、壁一面の鏡に姿を映しながら、飲み干すことにしています。<br><br>　姿は細身に見えるように出来ている鏡で、服装のチェックを入れ、「今日は駄目だ！」というのが６割５分。ところがうまくくすんで、「鏡のせいだ！」に出来る余地を残してくれる、お気に入りの鏡なのです。<br><br>　わたしは服装が苦手ですが、成功しているときは、この時点で、高揚に火がつくといえるでしょう。<br><br>　細身に映る鏡で、服も成功していると思えると、携えた缶ビールの１本もなくても、舞い上がり、数分後からの激しい速足が約束されます。<br><br>　わたしは高揚しているときの速歩が自慢です。<br><br>　男たち女たちをかき分け、他の何物にも興味がないぞといわんばかりに危なく歩きます。<br><br>・　物理的には、完璧に人にぶつからず、市民・貴族、国王という序列的には「危なく」歩けるのです。<br><br>　ある種の革命で、眼が爛々と輝いています。<br><br>　精神医学の専門家で、患者の有能に嫉妬しない医学者なら「占い師を呼べ！　すぐにだ！」といってくれるはずです。<br><br>　緊張・興奮が、何も必要とせず起き、見返りを求めず匂いたち、加齢臭ではないのを証明しなければなりません。<br><br>　あの鏡の前で、…本日は、新しいいい服を着てきたので細身の姿なのだけが際立ち、夕方までのバリケード封鎖を約束させました。<br><br>　そもそも今日の外出ですが、傘を買うのが目的、というのが１位か２位かわからず、２位か１位かわからない方が、新しいブレザーを、着ておかないと暑くなっちゃうぞ、という目的でもあって、試しに着て都市へ出ていかなければならなかったのでした。<br><br>　金もなく、服もなく、己の容姿の幻想なく、傘買う目的、ビールもなく、何から何までなくて、昨日とてもいやなことがあって、被害意識が昂進していて、数日眠れもせずして薬もサボっていたら、わたしはOの街にて１５、６人を殺傷する無差別通り魔事件を起こしていたかもしれません。…<br><br>　太陽の陽射しにも恵まれたわたしは鏡の前でビールを飲み、離れて立っているわたし自身の平面体と、状況整理の便宜的な討議を試みます。<br><br>「お、おれ、…おれさ、…殺しに来たんだっけ？　それとも傘だっけ？」<br>「よく想い出してみろよ。なんで殺しにこの街へ来たって？」<br>「じゃあ殺しに来たんじゃないんだな？」<br>「通り魔だって、殺しに来るわけじゃないだろうがな」<br>「ではお、おれは、…何しに来たんだっけ？」<br>「傘を買いに来たのだろう。ついでに新しいいい服を試しに来たのだろう」<br>「お、お、…おれってさ、…地獄の中では才能ある方かな？」<br>「うむ。地獄の中では才能ある方だろうな」<br>「じゃあ傘、買えるかな？」<br>「金さえあればな」<br>「か、金？」<br>「お前、金あるだろ？」<br>「いくら？」<br>「いい傘買うなら１万円なきゃ不安だ」<br>「い、い、…１万円？　い、い、…いい傘？」<br>「うむ。いい傘だよ。いい１万円札だ」…<br><br>　心の傷がうずきました。そもそも傘を買うという行動には、２種類の背景があるといっていいでしょう。１つはもうすぐ雨の季節ですから用意として買う。もう１つは通常近い過去にて愛用の傘を壊したりなくしたりしたから新しいのを買う。…わたしは後者でしたので、壊すというより壊れてしまった愛用だった傘のことを想い、消極的に、トラウマティック・ストレスに酔いしれました。あのフランスのブランドのいい傘は、１万円を踏み越えました。今回も、家に３５００万円の借金があるのにいい傘を買うつもりでした。１つには、高揚で、買っちゃえる気持ちの後押しがありました。己の価値が、とてつもなく上へ上へ行ける気持ちが勝手に暴走してしまうなら、同じ心で傷をもっていても、障害にはなりません。…<br><br>　おお！　まず、１本目の、缶ビール。赤い、薫り華やぐエビスを選び、飲み干しました。<br><br>　むん！　２本目の、缶ビールには、なんだか気持ちがしぼむ、緑色の、スーパードライの弱体化したような、今季わたしは初めての缶、を選び、飲み干しました。<br><br>　１本目は、鏡の前。２本目は、デパートメント・ストアの「そごう」の地下１階、ブルーベリーアイスクリームの売っているわきのベンチのややこちらに逸れた、他の店の仕切りの壁の白い半ドアのような景色のところで飲み干しました。<br><br>「お前さん、…お前さんは、はっきり目的性を、見失っているぞ」<br>「も、も、…目的性？」<br>「率直にいえ。何をしに、Oの街へ来た？」<br>「考えても考えても、傘を買うため、としか思い浮かびません」<br>「それがお前の、限界ということだな」<br>「実はわたしも、方向性を見失っている自覚くらい、あるのですよ」<br>「いうまでもないが、お前、この鏡の前に来る前にも、去ってゆ鏡のあとのあとでも、いろいろな、均質なことをやっているといえる」<br>「はい」<br>「何をしに来た？、なんて、答えがなくてもいいのだともいえる」<br>「しかし、傘を買いには参りました」<br>「買えたかな？」<br>「これから買うわけです」<br>「だから、買えたといえるのかな？」<br>「これから買えるのですといえそうでしょ」<br>「では買うがよい。間に挟まる事象が全力で、引き留めにかかるかもしれない」<br>「そんな大袈裟なことでしょうか？　お金があれば、傘は買えるでしょう」<br>「どっちへ行くのだ？」<br>「傘がある方向」<br>「そごうかい？　丸井かい？」<br>「男物の傘があれば、買う、というだけの話ですよ」…<br><br>　わたしは結局、２本の缶ビールを飲み干しましたが、そごうにも丸井にも行きました。地元にはない、大きな規模の書店にも行って、「何か一冊買う」のを義務としつつ買わなかったのには、挫折と諦めを感じましたが、傘を買うに至っては、男の店員にカード会員になるべく促され、いやでしたが折れて手続きしたら、わたしのこの身分制度の社会では審査を通らなかったようで、店員がいちばんがっかりし、失礼な話なのですが、２０分もかかって手続きをなぞって心労があったことには一言も触れず、おざなりに傘だけくれ、支払いにはおつりをくれ、なおもがっかりした表情、実に気まずい表情、…わたしの方こそカード会員になれないで、とても安心したのでした。…<br><br><br>　さて、「今現在の腹痛」に戻って来なければならないのですが、いくつか話題を整理しておこうと思うのです。<br><br>　１　なぜ書店では、１冊買おうと思ったのに買わなかったか？<br>　　「はい、神さま、買いたい本がなかったからです」<br>　２　買いたい本がなくても買うのが本屋ではないか？<br>　　「はい、仏さま、そのへんは柔軟に挫折しますよ」<br>　３　挫折とは選びとるものでなく追い詰められ仕方なく受容するものだろう。お前のは挫折じゃないんじゃないか？<br>　　「はい、刑事さん、わたしのは挫折じゃありませんでした！」<br><br>　わたしがあえて本を買わなかったのか、買うという選択が出来なかった微小な挫折なのかはわかりません。その数時間後になりますが、夕食後のわたしの胃か胃腸かに痛痒が襲いました。<br><br>　「臓器的」な痛みです。トラウマティック・ストレスに後れをとる、立派に肉体的な痛傷です。<br><br>　全部を語ると「朝からの全部」「昨夜からの全部」が「今日の全部というよりここまで」です。生死に際し、わたしのミスは、朝食を食べたこと、植物へ水撒きをしたこと、選挙行ってくると偽り家を出たこと、Oの街へ来たなら２缶、ビールを飲んだこと、先のとがった傘を買ったこと、…最後の決定打は本屋で本を買わなかったことでなく、…家を出る前、身体を風呂場で洗う前、…ちょっとした本を読んでいて、新たな１冊をまだ買う必要がない理由を成立させていました。…<br><br>　その本には、悲しいことに、わたしが貧乏であるべくして貧乏である理由が的確に描きこまれておりました。わたしはお客様の望むものをわかっていないらしく、自分の夢にとらわれているだけ、というのが真相だそうです。ああ、これ以上は書かせないでください刑事さん！　わたしは一生、夢を追い続け、それにとらわれては、お客さんのことがまるで見えていないらしいのです。望んでそうしてるわけじゃないですけれども、宿命の匂いしかいたしません。…わたしは今日のOの街へ行く一大事業においても、己の貧乏くさいところをあれこれ感じ取り、想い出すことが出来たのでした。刑事さん、腹痛はある程度我慢できますからわたしを救って下さい。この時点で、「どうも一生、うまくいかないぞ」などと暗示しないでください！<br><br>　わたしはビールくらいでも３本飲むと頭が痛くなるので今は、飲みながら書いてはいません。少しでもそのように思えてしまわれたら（わたし－ビール）のせい、才能と灼熱の陽射しのせいですのでわたしを許さないでください！　かわりに革命を起こしてください！<br><br>　<br><br>　<br><br>　<br><br><br>　<br>　<br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/yuuugooo168/entry-12019206090.html</link>
<pubDate>Sun, 26 Apr 2015 19:08:02 +0900</pubDate>
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<title>普通すぎて怖い、野望のない土曜日。</title>
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<![CDATA[ <br><br><br><br>４月２５日（土）。<br><br><br>「何を書いたらいいのかわからない状態」が自転・公転しております。<br><br>「それでも必ず書くと決めているので」という状態でもあります。<br><br>　おそるべく、「前よりあっけなくしらけちゃった感じ」も自転・公転し、「書き出せば盛り上がる」感じ・考え方・はたらき方でもあります。…<br><br><br>　昨日は、夜遅くまで、脳内で盛り上がって、かなりの遠くまで行ってしまえる気持ちでもありましたが、すっかり眠りすぎ、しっかりドーパミン抑え込み、「通常の状態へ行くことをそそのかされる」という不思議な作用を受け、消極的に反作用いたしました。…<br><br>　書店へ行き、願いかなわず、公募ガイド買えず、調査も出来ずじまいでした。夕方頃の、自転のとき。<br><br>　明日は高揚が続くとだけ漠然と思い、何なにしたとか何なにしなかったとか、公転としては、思いました。<br><br>　何なにしよう、とも思っていなかったような質感があり、本日へと引き継がれたたたずまいの一部を失いきれずにいます。<br><br>　書くと、格好つけているように瞬間後、思うことがありますが、瞬間後、思っては命とりなので、格好つけていないように見える文を、文に重ねてゆくのがなによりなのでしょうが、微妙な瞬時の振り返りと、仕方なく次へ進まざるをえぬ自動性があって、これにて自転・公転という言い方を使うのだろう、とも思えます。…<br><br>　さて、昨日、高揚を閲し、近未来への可能性を見出した感、嘘ではありませんでしたが、書いた後、書店へ行くほかは、特に何もしませんでしたし、明けて本日も、特別なことはしておりません。<br><br>　だから、特別なことでもない、本日しただけのことを、書くしかないのだと、考えてもおります。<br><br>「特別なことをしたわけじゃないからこそそれを書くしかない」ということは、生きる死ぬということでもあり、真向かうと、ささやかながら恐怖にいざなわれるかと思われます。<br><br>　ですから自衛としてここで読むのをやめてくださりますなら、今も外でうるさく選挙カーが貧しい自己紹介をしておりますが、その自己紹介より、耳にするしないの自由があるということになり、お互いのためになるかもしれません。読まれるというのが知られることで、知られないというのが書く必要がなくなることなら、わたしが不特定多数の「代表」になどなりたく思っていない以上、わたしは車もマイクも自分の名前さえ用意せずに、向上心というか抵抗感なく寝ころんで、お菓子を食べ、肥っていればいいわけですから。…<br><br><br>　わたしはつくづく真面目な人間なのかなあ、と思います。<br><br>　いくら１つの事物に吸着してしまう資質と感性が、値高くなる時季があるからといって、土曜の午後のブログで生き死にについて踏み迷ったふりのようなことをするでしょうか？<br><br>　この筆者、難病かな？、と思い違いされる方なども、ありはしないかと思います。<br><br>　わたしは何もしなかった１８歳、…のように、この土曜、…何もしませんでした。…<br><br>　昨日、「公募ガイド」を買うとか雑誌を調べるとかして６月末の純文学系の新人賞へ応募のヴィジョンを耕す、という流れが、昨日の残りでかなわず、別に今日、引き継いだ行動を起こさず、高揚は、盛り上がったとも引き潮を閲したともいえませんが、行動・実動としては、零点の自転・公転、…なるほど、自転・公転は、零点でもあり、百点でもあり、…４９点くらいともいえますね、などと、考えたりしてしまいます。…<br><br>　また、いつでも、昨日するはずだったことが出来ます。…といっているうちに、人生を生き過ごしてしまう、という定番であったなら、いやなくすぐったさと、小さな痛みではありうるでしょう。<br><br>　で、本日ですが、朝、起き、１０時までに、射精１回、そののちラーメン店「幸楽苑」へ向上心のない食事、帰ってテレビをつけて、だらだらした歯磨き、…そうそう、ラーメン店へ行く前には、ちゃんと風呂場で身体を洗いました。<br><br>　すでに、調子がいいとも悪いとも思いませんでした。<br><br>　調子が「いい」には近いけれども昇華的な実動、成果、達成のようなものがなければ「いい」といいにくいので、「続きはあるかな？」的な、「新たな衛星は、引き連れないな？」という胸騒ぎくらいはありました。<br><br>　この程度のあやふやな説明では、念願の「症例その１２」にでもなって、精神医学者の本の中に活躍する機会も生じないかと、それはがっかりします。<br><br>　わたしを過去から未来まで、昨日から明日まで詳細に分析しても、何か隕石がぶつかって来たみたいな事件がなければおいしい研究のきっかけにもならないでしょう。<br><br>　昨日のことはお流れ、にしても、今日は、本当に、何もやりませんでした。今こうして書いていても、ささやかに高鳴ってくるのは感じますが、それならなぜ創作作品を書かないのか、となると、無為な静かな失望さざめく限り、というところです。<br><br>　楽しいラーメン店「幸楽苑」行きの前に、性欲の自己処理。<br><br>　楽しいラーメン店「幸楽苑」行き。<br><br>　楽しいラーメン店「幸楽苑」行き以後。<br><br>　…という具合に、歴史を３つの時代に分けることが可能です。<br><br>　楽しいラーメン店「幸楽苑」行きの前に、性欲の自己処理と、風呂場で身体を洗いおおせたこと。<br><br>　ラーメン店「幸楽苑」ではみそタンメンと餃子を喰うにいたりました。<br><br>「幸楽苑」を出た後には、部屋へ帰り、のんびりテレビ、歯磨きだけで５０分。…<br><br>　そののちあっというまに日々が過ぎ去りゆき明日にでも同時代人らが死ぬというわけです。<br><br>　歴史は不思議で、与えられた時間は均等なはずが、人間の都合の「重要な事件」というのがあって、そして「時代の区分」というのが生じて、トピックという渦にめがけて他の事象を「要因」<br>「流れ」「中核的出来事」などと、整理・統合したがります。<br><br>　それでいえば、わたしの半日は、「自慰」「食事」「昼下がりのひととき」などとなるのです。<br><br>　時系列的にやるのが便利ということになっていますが、太字で書いたり大きな字で書いたり、…その太さ、大きさの基準は、次の時代のどこくらいにまで影響を与えることとなるか、などの推定によるものなのか何だか、わかりかねます。<br><br>　事件の重要度とは、何でしょうか？<br><br>　今生きてある以上、次の最大のトピックは死でありますから、死へと流れ込む、流れにどう関係しているかが出来事の重大さ加減かもしれません。<br><br>　死から遠ざかるような楽しい出来事も、死へと続いています。<br><br>　死のあとにも何かがある気がするのは、全部を「死へ続くもの」とだけ規定したくない想いというか、「死へと続くもの」とだけ規定するのを不条理とも思うからです。<br><br>　人は、人生が死へ続くわけじゃなくて、結果的に、死が来るだけで、因果ではない、と思いたがりますが、それでも、人生すべての瞬間が、死へと続いております。<br><br>　楽しく食べても自慰をしても、テレビを見ても歯を磨いても、確実に、死へ向け、遠ざかったふりをしたりまた近づいたりの、死ぬための、死ぬためだけの営為であります。<br><br>　くどいようですが、だからこそ、１つにつながるからこそ、出来事の重要度、というものを、仮設定出来るのだと思われます。<br><br>　わたしは週に１度、性欲の自己処理行為を行います。<br><br>　今日はネット画像のアイドルN・Mの水着姿に積極的いたずらをばしかけました。<br><br>　しらけて覚めて、風呂場で身体を洗いました。<br><br>　ラーメン店「幸楽苑」も習慣です。土曜日の習慣です。自転・公転の一環です。<br><br>　ですが、わたしという人が人より偉大な森羅万象を解釈しきれず、見落としていた、１つの重大事がありました。<br><br>　飲酒であります。<br><br>　これは大きな通史上のトピックです。<br><br>　１月下旬から禁酒をうたっていたわたしでしたがつい先だって、破りまして、また禁酒再開を数日やりましたけれども昨日の晩、缶ビールを１本、飲み干しました。<br><br>　引き続く今日、締め付けがありません。自然に１本飲みました。<br><br>　今日は土曜日なので、いいと思うのですが、昨日は、掟破りだったと思います。<br><br>　高揚した気分のままに、夕食も終わり、「高揚なのに何の仕事にもつながらねえぞ」と穏やかさを逸し、ただただ気持ちいい、気持ちいいけど無生産、と１人で念じてこのまま死ぬもよしだぞ自殺でなく運命で、などと、寝ころんでおりました。<br><br>　高揚期なのに、確実に気持ちいいのに、肉体として動かず、動くにはあと何が必要か過去から検索してもわかる範囲になく、だらけて怠けておりまして、夜、母からのおつかいでスーパーに行く用が出来たため、「こりゃいい機会だ」とばかり、５００ミリリットルのあんまり高くない缶ビールを店より出てすぐベンチのそばに立ったままにて飲んで飲んで、飲み干してしまいました。<br><br>　挫折感のない、掟破りでありました。<br><br>　ですので今日、飲むのは、まったく問題がありません。ラーメン店「幸楽苑」のそばに、コンビニがあります。缶ビールにおいてはやや高い意識があるのか、飲みたいのが３、４種類あり、迷います。「やがてこんなのは飲めなくなるんだ。だから今は飲んでしまえ」と、急に、６月の銀行氏の訪問を予期、わざと忘れてやって、人間が最も苦手な「事前の節約」などせず、それでも想えば、貧しくなったらビールどころか発泡酒どころかパーセンテージと安さだけを基準にチューハイ系などに行き、頭を痛くしながら軽めに酔うのか重く倒れるのか知りませんが、…そんな棚の前から棚へ手を入れ、取り出して飲むことを決意させた赤いドライプレミアム、…５００ミリリットルで３００円を超え、アルコール度は６・５％です。<br><br>　今の数行に浮き沈む「歴史」「歴史解釈」は、どんなものになるでしょうか？　どの部分が「重要」でしょうか？　何が何の「因果」で、きっかけと実動はそんなにも自動的でないものなのでしょうか？<br><br>　さらに、微細には、赤いドライプレミアムを選んだ遠因は、過去のすべてですから、自慰でネット画像のアイドルN・Mをおいしくした事案からも、放射線を受けていると思われるのです。人間に計算出来ないものを因果から外し、そのくせわかったように「宇宙的に」といい、「霊的」といわれるものすら解明できず、歴史など浅い、とてつもなく浅いものだと思いますけれども、人間の等身大でしょう。また来たうるさい選挙カー、それによる時空の少しのずれ、そしてみそタンメンと餃子すら、赤いドライプレミアムに逆方向からつながり、６月７月にもつながり、アイドルN・Mにつながり、そいつの生まれた年月日にもつながるのでしょう。人は人程度にしかわからない存在で恵まれています。よほど理解でき認識でき解釈できちゃう存在だったらその段階での苦しみに慣れるのに、しばらくというより永遠の時間がかかるでしょう。…<br><br><br>　しかも、わたしがしたことは、たかが性欲の自己処理とラーメン・餃子の消化です。風呂場で身体を洗ったのはタイムリーヒットかフォアボールかわかりません。明日選挙ということで、またまた選挙カーが参りました。こいつら昨日の晩は何をしていたとか明日から明日からといってどこまで遠くを見ているのかわからなく、どれくらい重要に、今に立ち戻っているのかわかりません。人は何かあれば「立ち止まるな」といいますが、公平に見て、「立ち止まる」のと「前へ進む」のやらと、「振り返る」「退く」などというのは等価値だと思われます。何か政治をするなら新しい言葉で新しい認識を語るべきであり、姓名の正確さが中核の自己紹介も、いっそ目立つほど突飛な言葉を使って面白がらせてくれたらいいのになどと思います。…<br><br>　（なんだかまとまっていないような気もするのですが、選挙カーがうるさくて書けません。耳栓はありません。わたしに耳栓がないことも歴史の一端でしょう。…では！）<br><br><br><br><br><br>　<br><br>　　<br><br>　<br><br>　<br>　
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<link>https://ameblo.jp/yuuugooo168/entry-12018695765.html</link>
<pubDate>Sat, 25 Apr 2015 14:39:52 +0900</pubDate>
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<title>たかが今日１日生きるだけが。</title>
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<![CDATA[ <br><br>４月２４日（金）。<br><br><br><br>　金曜日は好きだし、嬉しい曜日ではあります。<br><br>　子供のときから「明日のんびり」という感じを引き継ぐ、いい曜日です。<br><br>　この曜日へ「決断」が差し掛かると、迷うだけの資がありえます。<br><br>「決断」というほどのものでもありません。<br><br>「好調期」が来やがって、慣らし運転のような軽い怠惰の延続のようなのを、いざ吹っ切って、行動や挑戦に出ようというときふっと、「週末」であります。<br><br>　金曜日であります。<br><br>　怠惰も時間の猶予もなければ、もう始めています。<br><br>　強制力があれば、怠惰でいられないし、「気」のもうひと越えの盛り上がりを待つ逡巡も、選びとる自由がないでしょう。<br><br>　というわけで、金曜日は、区切り目へもう１歩のタイミングなわけです。<br><br>「区切り目」というやつに、悪い意味でも敏感な者は、月曜日から、万全を期し、始めたくなります。<br><br>　もちろん、怠惰が含まれて、本当に悪い意味での貴族意識が含まれているのは承知の上です。<br><br>　承知の上ではありますが、重い腰を上げるのに、なんとなく、日付の整合性を求めてしまう。月曜日からなら完璧に出来る、と幻想してしまう。---悪い意味で、「時空のたたずまい」のようなものに、過敏なのでしょう。<br><br>　だったらそういう専門家になって、辻褄を合わせれば、怠惰という解釈は引いてゆくだろう、と思います。<br><br>　怠惰の２字を封殺するには、専門性と、経済性でしょう。「時空のたたずまい」への過敏さを利用し、「時空」とやらを、「たたずまい」とやらを、実利の伴う関係性にて引き寄せればいいのでしょうが、わたしに出来るのは、曖昧で狭い、広くすると拡散してしまう、かけがえのない文芸だけなのです。…<br><br><br>　そこで、完全に好調の時期に入っている本日は、それでも何をどう整理し新たな書き物など出来るのかも推し量り、午後には本屋へ出かけるつもりとなっております。<br><br>　経緯はいよいよ盛り上がり、盛り下がり、いろいろ遷移をいたしましたけれども６月末の新人賞にはぜひ応募をしなければ調和がとれない感じになってきました。…<br><br>　数十年以上も前から応募している、純文学系の新人賞ですが、現実的に合格をして作家デビューにいたれるという目測を確実化して応募する、というような若い時代は遠くへかすんでいってしまいました。<br><br>　しかし、いろいろな道を経ても、どこかには戻ってくるのであり、試行錯誤というやつを軽侮しないのであれば、堂々と、若い日からの不成功を、またなぞるように、挑戦という別の語で潰していってもよいのでしょう。<br><br>　だからともかくも、今回の６月末が締め切りのはずの、「文学界新人賞」には応募しなければなりません。<br><br>　ずっと以前は、純文学系の雑誌は、６誌あったはずでした。<br><br>　文藝春秋社「文學界」の「文學界新人賞」。<br>　新潮社「新潮」の「新潮新人賞」。<br>　講談社「群像」の「群像新人文学賞」。<br>　集英社「すばる」の「すばる新人賞」。<br>　福武書店「海燕」の「海燕新人賞」。<br>　河出書房新社「文藝」の「文藝賞」。---<br><br>　このうち「海燕」はこわれていますから、今は５誌の存続かと思われます。<br><br>　各社、雑誌名が違う、大衆小説系の賞もやっておられて、厳密に違いますから、あくまでわたしの興味が伴った「純文学系」のは、以上というわけです。<br><br>　５つの新人賞ですが、締切が３月末だったり６月末だったり１０月末だったりします。<br><br>　規定枚数も、おのおの、違いますから、書店で雑誌そのものを買うか、公募ガイドを買うか、ネットで簡略に調べ、確かめる必要があるかと思います。<br><br>　さて、「ネットで調べる」という行動標準を取り落としていたわたし、午後から本屋へ、公募ガイドか何か、探しに行くつもりでしたのですから、お笑い者です。<br><br>　何を調べたいのか？<br><br>「文學界新人賞」だけは、年２回で、６月末と１２月末が締切のはずですが、あやふやな夢に遊び遊ばれてしまい、夢遊の感覚では、あの文學界も、新人賞が年に１度になった、という情報を吹き込まれてしまい、現実がどうだったか否か、確かめなければ落ち着かない、というような機微が、わが狭い時空に、いつ頃からか起こって、いつかきわまる日が来て応募作を書き出す日が来たならぜひ、調べておかなければならないと思っていたのではありました。…<br><br>　つまり、わたしは妙な錯誤を２つしていたことになると思うのです。<br><br>　中くらいの規模で、「文學界新人賞が年に２回だったのが、１回になっちゃったのではないか、夢か本当かわからなくなっているありさま、としての錯誤」。<br><br>　小規模にて、「それを調べるにはネットでちゃかちゃかやれば済むのに、所定の書店へ行って、実在の雑誌か公募ガイドを手に取らねばならないと思い込んでいた、頭が衰えた者、としての錯誤」。<br><br>　何やら、小説を雑誌へ応募するということが、昔へ昔へ行く感覚のようになってしまって、ネットだの夢物語だのも、わからない希薄な空気になってしまっているのだろうかとも思います。<br><br>　全部の雑誌の新人賞に、毎回応募し続けたわけではありませんが、このところ、スカスカになっていた事情はありました。<br><br>　わがままながら、新人賞選考という難しい、秘儀的な形式なものに、実力のはまり具合が確かめ得られず、持ち込みとか、新人賞応募でない形式で、ときには、純文芸誌でないものにも、安直に、投稿していたこともありました。<br><br>　全体として、まさに試行錯誤なのは、人生には締切がないとの甘くて格好良いともとれる感覚に、寄りかかっていたからに他なりません。<br><br>　ある種の方々は、「君に才能がなかっただけだよ」と言い放つでしょうし、抗弁するには、それこそ人生すべてを語らねばなりません。<br><br>　成功しないままに来たこれまでを言い訳するためでなく、「才能」というものは何か、考えあわせて納得したい、という生理を、強烈に混ぜ合わす機会をもてなくては終われないからです。<br><br>　わたしは本当に、才能がなかったのか？---<br><br>「今」がもつ「結果」では、なかったのでしょうが、「いつか」が動きながらにもつ「結果」では、別の「経緯」が答えになっちゃうのかもしれません。<br><br>　ジャンル違いもあるとか。…小説という選択が、ほどよいわたしのはまり場ではなかったとか。…<br><br>　わたしはときに「文藝賞」にも応募したのでその昔の規定枚数「４００枚以内」までぎりぎりに書いて、応募したことがありますが、今は、長いものに、不適応を感じています。<br><br>　応募したのじゃないものでも長いものがありましたが、読み返す気概もないし、はっきり、いい作品には程遠い質感が確からしかったと観念しています。<br><br>　が、いつ頃からか書き出した、１篇５ページ、１ページが原稿用紙換算３枚の、いわゆる「掌編」では、いいものも悪いものも書ける段階にいっていたと思います。<br><br>　それを、１０００篇書いて、「一千篇」と総題をつけて、気持ちが落ち着いたら死んでもよい段階だぞ、と思ったりもしましたが、７００から８００篇までいって、中途のまま休んでおります。<br><br>　どうでもいい書き殴りのものも含めると、１０００を超えているのかもしれませんが、初期のやつなど読み返し、手直しをつい加えるなどしていると、使えない諸篇も多々あることがわかってきます。だから、７００篇くらいとか、１０００へは達していないとか、いわざるをえないのです。<br><br>　一時期、新しいのを書くのを止めて、やっぱり生きているうちに日の目を浴びたいじゃないかと思い、初期の頃からの「５頁作品」を、手直しを加え、「文學界」なら６篇か７篇、「文藝」なら２０篇以上可能、…というふうに、規定枚数に合わせて編集して、新人賞応募として調和を図ったこともありましたが、すべて予選で落ちました。<br><br>　あとで、それも心傷まぬようずっとあとで、ひそかに読み返し、やっぱり駄目だこんなのじゃ、と思うこともありましたが、いいのも中にはあるはずだがな、と思うこともありました。…<br><br>　応募の基本的な条件に合っていないのかとか、応募の際添付しなければならないプロフィールにおいて損をしているのじゃないかなどと、邪道のことを考え、再び三度、応募から離れたようなこともありました。<br><br>　最終的、の１歩手前くらいのところで、宗教のように、なんで君は固執するんだというような人もいるでしょうが、人生の何かに固執しない人がいて、その人が確かにすぐれているというのなら、自分はなるほどすぐれていない人なのかもしれませんね、という用意はあります。<br><br>　そしてその１時間後から、勢いを加えて文芸に固執する姿を見せるでしょう。<br><br>　わたしは賞を欲しいのかとか、文芸でなければならないのかとか、次第にわからなくなってきますが、わからなくても、悲しいことではないと思います。<br><br>　生身の人間として、他者にちやほやされたいのは当たり前だし、いざ思い込んでしまう資質を有しただけの、罪の軽い人間としては、このエスカレーターかベルトコンベアーか、昇天への過程の飛行船には乗ってゆかねばならない宿命があるのです。<br><br>　欲望を振り返ると、文芸でなくてもよいのかもしれません。<br><br>　しかるに、才能を信じるよすがとして、文芸というジャンルはずらせないものとなっており、結果論なのか、いまだ模索中なのかは、誰にもわからない、人生はこころよい秘密だと思われるのです。<br><br>　納得して死にたい、というだけで、文芸に踏み入り、居続けるのであれば、文芸には迷惑かもしれませんが、「わたし」があってから「文芸」があると言い抜けてしまうくらい、「わたし」が独自的であればいいわけで、そのときわたしは固着した「文芸」とやらに、迷惑をかけられている側の人間なのかもしれません。<br><br>　想えば、宇宙は「わたし」より前かもしれませんが、文芸は「わたし」より前ではない、というような感覚があります。<br><br>　文芸は、ジャンルに過ぎず、わたしこそが、ジャンルではないからです。宇宙くらいに、総括的すぎるものであって初めて、ジャンルについての悩みをなくすのだと思われます。<br><br>　さて、中くらいの規模や、小規模の話に戻って来、なおも延命が画策されておりますならば、宇宙の話はやめて、宇宙が含む過去の話もやめて、「文學界」に、またその新人賞に創作作品を応募する話に迂回して来なければなりません。<br><br>　まだ「文學界新人賞」が年２回で、６月末締切もあるのならば、心の方からというより、時を見極めても、無理やりすぐにでも猛進してゆかねばなりません。<br><br>　６月末があると思いますが、賞が年に１度になったとの夢遊を正しく現実化され直すなら、それが６月がなくなり１２月があるということならば、対策を建て直す形式主義に、いったん高まった心をうずめ直さねばなりません。<br><br>　が、きっと、６月末があるのでしょう。どういう傾斜した傾向性か、わたしはやっぱりネットで調べず、本屋へ行くのだとスウィッチが入ってしまったこころよさの予感につじつまを合わせ、地元の書店、そして埒が明かなかったなら電車で隣の駅へ行かなければならない、そんな覚悟ももっておりますのです。<br><br>　問題は、当たり前のことですが、勢いでもなんでもいい、「書けるか」なのであります。<br><br>　好調時の勢いのいいときに題材またはヒントのようなところへ噛みあえば「作業」的に進捗が図れようと思いますが、ちゃんと調子のいいうちに、来てもらえるでしょうか？　どんな納得の行き方でなら、むしろまだ「５頁作品」に固執して、それの手直しに信念の曲げられない頑迷さを表現していってもいいわけでしょうか？<br><br>　本当はもう、書き始めたり、編集作業に力を尽くしていてもいいのでしょうが、空気に溶けた「もうひと押し」が、凡庸にも、足りない感じであるのです。<br><br>　今日は、このあと風呂場で身体を洗い、郵便局へ行く用が１つ、そのあと本屋へ行くのだ、とスウィッチが入ってしまいました。<br><br>　いちばんのこころよさのためには以上の地味なミッションをクリアし、その簡略な完璧さに酔うように、何かを待ち、探しに行く感じを温めるしかありません。<br><br>　若い頃からの経験では、調子がいいなら必ずヒントの群れが、題材が、やって来ます。<br><br>　加齢してあれこれ変遷してしまい、落ち着いた書き方が必要な事情も自己にて体現しております。<br><br>　ですが、まずは、ブログを書きおさめることに成功しました。これでウォームアップ以上のものになりました。<br><br>　気をつけるべきは、事故に遭わないこと、といえば、格好つけていますが、他が必然のような気がし、必然でないかもしれない、事故のようなものをこそ、気をつける余地があるという発想です。<br><br>　６月末に「文學界」へ新人賞応募の作品を送る以上、もう少し時間がありますから、今は殴り書きでもいいような気がしてまいりました。<br><br>　ただ、愚直にも、まだ題材が浮かばず、また過去のことを書くのかな？、とも考えています。<br><br>　ある題材は、何度も往っては戻ってくる題材で、いちばん大事な題材なのかもしれませんが、たびたび「こんな状態のときに書いていいのかな？」などと、思う代物でもあります。<br><br>　それを書くかもしれませんし、書かないかもしれませんが、いちばん時空的に調和を強いられている、「今」「ここ」で思いついた新しいのを書きたい、そんな想いはいつもあります。<br><br>　久しぶりにものになりそうな高揚期が来たため、ものにするための非策略的便宜として、ブログの記事面を利用させていただいてしまったところでした。<br><br>　ブログに書いてしまえば、応募をやめることが出来なくなる、妙な義務感が生じますので、その意味で、あえて書いた面もあります。<br><br>　気温の高い、今の関東地方の感じはわたしに超順風といえましょう。<br><br>　緊張・興奮を鎮める何ものかも必要になって来ました。わたしは法律遵守的に、無糖の紅茶を、２リットルの大型ペットボトルからそのまま口につけて、ごくごく飲んでしまうのです。<br><br>　書いていてますます高揚が嵩増しされ、危なくない触感にもってゆくのも大事となりましたが、そのへんは病気とのこなれた関係で、はみ出さないように、書くときだけはみ出すように、調整していきたいと思います。…<br><br>　では、無糖の紅茶をごくごく飲むことで第１ラウンドおしまいです。無糖の紅茶のペットボトルが１・５リットルだったか２リットルだったかさっき確かめてから書きましたが、それを含め、そのまま冷蔵庫から出してそこにある、この大型ペットボトルの無糖の紅茶を、口を直接つけて、ごくごく飲み干して、…飲み切ってからして第１ラウンドの終わりであり、…それでも宇宙は続きますし、今日すらまだまだ終わりません。…<br><br>「宇宙はそうやって続いてゆくのでしょう」…でわざと終わりましょう。<br><br><br><br><br><br><br><br><br>　<br><br>　　<br><br>　<br>　<br>　<br>　<br><br><br>　
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<link>https://ameblo.jp/yuuugooo168/entry-12018194251.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Apr 2015 10:44:26 +0900</pubDate>
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<title>心傷ついても優しくはなれない。</title>
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<![CDATA[ <br><br>４月２３日（木）。<br><br><br>　単に昨日、母の大きなお出かけにつきあい、思いつきの築地行きに行って、たいそう疲れた、それだけの理由か、そうでないか、起きたときから眼がぎらぎらしておりました。<br><br>　６時４０分に目覚ましをかけている日々、昨晩は、あえてかけるのも負担でかけていなかったので、鳴らないうちに、時刻を知り、意志で、６時４０分に起き出せたというわけでありました。<br><br>　木曜日は、「プラスチックその他」のごみ。<br><br>　確実に、ごみ捨てと外の消灯と新聞受けを済ませたら、もう一度寝る、という確信犯で、疲労と付き合おう、疲労を処理しよう、と思いました。<br><br>　玄関にいたり、鏡を見ますと、疲れている顔、というのとともに、気づくことがありました。<br><br>　肥って、顔がぷくっと膨らんだこと。と同時に、まだ致命的ではないこと。---<br><br>　痩せなくちゃならないぞ、終わりのない旅だ、と思いました。<br><br>　わたしはトイレだけ済ませてごみをまとめ、「プラスチックその他」ごみだけで３袋もあるのに対峙、母がまだ寝ているので鍵をかけ外へ、そうしてごみを出してきて、外の消灯を済ませ、新聞を受けて手に持って帰って、鍵を開けてまた、室内へ戻りました。…<br><br>　もう一度眠りに落ち、目覚めるとなんと、１２時半であります。身体のテーマが疲れと肥りになっております。わたしは好調期の自覚旺盛なので、よく起きれもしましたが、よく眠れもしたかもしれません。が、一度いいときに起きれ、二度目いいときというにはたっぷりすぎるあとに起き、快眠はいいですが、加齢により精神的な怠惰ももよおしているのは、加齢の親戚の「調和の迷走」ででもありましょうか。テーマは疲れと肥りと精神障害と加齢になりました。が、障害とやらが好調期の局面、仮面なので、全体を喜びをもってとりしきることが出来ました。…<br><br><br>　しかし、好調期でも、限界を突きつけるのは、加齢であり、体力の衰えであります。対応するように出てくる向上心は、肥ることなど許さぬはずでしょう。いろいろな気持ちで迷走をととのえ、何かの情報で刺激を抑え込まねばならないとき、母が「おはよう」といい、テレビ画面に俳優・萩原流行が事故死したニュースがありました。<br><br>　局面と仮面いろいろあり、あるチャンネルのある番組のある時間帯では、警察の護送車が事故に関わっているという切り口が中心でした。ですが、わたしに興味があるのは、真面目で優しい事故死の死者が、どれだけ「鬱か、双曲線障害か」、それが事故と関連されているか、そして本人は、病気と行動との関連が滲み出た面があったのか、などでした。<br><br>　珍しく、母とほとんど会話せず、１人でご飯をあつらえながら、考え込んでしまいました。<br><br>　わたしもいつ死ぬか死なないかはわからない点で他の誰でもと同じ人間ですが、統合失調症ということになっております。<br><br>　統合失調症も、いいときと悪いときがある病気ですが、いわゆる躁鬱病---双曲線障害も、いいときと悪いときがある病気でしょう。<br><br>　わたしが統合失調症だとずっと思っているのは、思春期からにして、性意識をもって発症した経緯が拭えないからですが、当時、医師らが、統合失調症ですね、といったからでしょう。（当時、「精神分裂病」といっておりましたが。）<br><br>　ところが数か月前、わたしがかかっている主治医は、「統合失調症じゃないんじゃないかって思ってる」などといいましたのです。<br><br>　長いこと、統合失調症であった、妙な誇りの自己同定を慣らしていたわたしとしては、悲しい言い方に思えました。<br><br>　発達障害の領域にされる、アスペルガー症候群というのが流行っていて、それの潜在性を今更重視されたのかな、と思いましたが、深く追究しないでおきました。<br><br>　追究して、本当に「統合失調じゃない」と決められたら、悲しみにもまさると思えたからであります。<br><br>　わたしは患者として、実例を提示することは出来ますが、紙の上の専門的認識として、きれいに整理された言葉をとりまとめるのは好きではありません。<br><br>　このたび事故死された俳優が「鬱か躁鬱か」なら後者であってほしいですが、ではわたしは「統合失調なのか、双極性じゃないのか、あらためてアスペルガーがあるのか」ということになると、「統合失調症で何十年もやってきました」という自己防御がしたくなるのです。…<br><br>　わたしの今の主治医は、Tという医師で、いっとき顔がぷっくり膨れまして眼の前に現れました。「統合失調じゃないかも」といわれたのと別のときですが、顔の肥立ちも印象に残りました。<br><br>　なんとなく、いつも医師が上ですから、医師が「下」の面を見せたようで、ざまあみろ、というか、逆に親しみやすくなりすぎるというか、あまり楽しくない気分になりました。<br><br>　わたしも今日のごみ出しのとき、玄関の鏡で、顔が肥ってぷっくりしているのを悩みましたが、不摂生の顔の肥立ち、すなわち昨今、ストレスから無駄なものを喰いすぎていた、という反省の実態の自覚がありました。<br><br>　T医師にも、不摂生といいますか、ストレスがあったのだ、という想いが生じていたのでありました。<br><br>　独特に直接に検知し、T医師も、ストレスを抱えてつい食べてしまうタイプの人のように思えました。<br><br>　独特に直接に、医師のタイプ分け、肥立ちの理由を検知してしまうのは、とても無責任であり、やはり独特に直接に、人の病気の名前わけをしてしまうのと、同断なのかそうでないのかいまいちわかりません。<br><br>　わたしはT医師の顔がぷっくりしているのを、今日も想い出したわけです。<br><br>　ごみ出しへ行く前、「プラスチックその他」ごみの小さな３つのビニール袋を手に下げ、玄関の鏡で想い出したのでした。<br><br>「これは絶対、肥れないぞ」と思いました。<br><br>　そのくせ、二度寝の床へ入ると、１２時半まで無反省の、疲労除去に忙しく、母がテレビを見ていたそばでは玄米や卵や海苔のつくだ煮やよくわからないごった煮のお汁だけにも増して、袋ラーメンを、１つ、平皿にお湯をかけてレンジに２分かけてつくり、肥ってしまうとよくいわれるラーメンのスープまで、残って寂しくくすんだ玄米の残りの上からどぼどぼふんだんにかけるのを喜び、全部、飲み干してしまいました。…<br><br>　こんな、ある種の諦めだけが、いろんなテーマを連れてくるのです。<br><br>　すぐに疲労すること。<br>　調子の悪いときは破滅を想うこと。<br>　いいときは、いいときとはっきりわかる場合をもち、そんな場合でさえ、万全に書き物が出来　　　ないときをもつという、最終的悲哀に巻き込まれつつ、素知らぬふりで生きる、いわば「自己不憫の甘美」のようなものの、仮の完成。---<br><br>　体力が衰えたといっても、人は毎日、同じことをしてゆかなければなりません。<br><br>　毎日、同じことを、つらい素振りをも見せずに踏み行ってゆくのは大変なことであります。<br><br>　わたしは一言、いい意味でも悪い意味でも、それが出来ないのか？、という疑問があります。<br><br>　もっと重い、自分自身への疑念は、「それが出来ないのを肯定して、格好いいと思っているのではないか？」ということです。<br><br>　自分の心の資質に甘えて、常識領域内でのことも出来ないとのたまう人間に、なりたいわけではありませんが、心の資質をきっちり知る旅にも終わりがなく、きっと普通の暮らしが出来ずに、勤勉でなく強壮でなく、死んでゆくばかりなのです。<br><br>　しかし、医師に「統合失調症じゃないかも」といわれて悲しく思ったように、自分自身への見解は、自分で決めたいのはもちろんで、これから自分がどう生きてゆきたいのかより、過去側への方が、わかりたい気持ちが上のような気がするのが厄介なのでしょう。<br><br><br>　事故死した俳優のニュースをやりながら、いろいろな顔がいろいろな表情で「自分は不謹慎じゃないぞ」と主張しますが、ある女のキャスターは、事件事故にこなれすぎていてか、緩むのがかえって嘘でなさ、真実っぽさを与えると思っているのか、ときに笑顔のかけらを仕組んで物語るのですが、巷の不思議な事件のその不可思議さを、「もしかしたら精神障害者の犯行？」という想定を、かけらもしないでいるのに出逢うと、わたしなどはまっさきにそれを想定するので、事故死の俳優の心との距離も、相当、離れているうえで、報道せざるをえないのだな、などと思ってしまいます。<br><br>　わたしも頑張れない時期につい肥立ち、頑張れる今の時期ならまた痩せようと思い、昨日遠くへ出かけて疲れたならたっぷり眠り、病気だからと怠け、すべて盛り上がってくることを待ち、さて、盛り上がっても素晴らしい創作作品でも書けないのならば、ただの駄目人間であり、そこでは精神障害も発達障害もないことに気づかされるだけが落ちでしょう。<br><br>　今は死なないで済んでいるのは、適度に調和しおおせているからに他なりません。やや過剰に想いを馳せれば、バイクの免許をもっていないことも、ストレスがあればお菓子などを喰える金や時間があることも、顔がぷっくり膨れたT医師に、的確な投薬を受けていることも、わたしの延命の理由なのでしょう。そして、延命の理由など、生まれたときから始まっているので、本当に死ぬという事態に立ち至るまで、理由は数限りなくあるともいえるのでしょう。…<br><br><br><br>　<br>　
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<link>https://ameblo.jp/yuuugooo168/entry-12017859500.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Apr 2015 15:18:34 +0900</pubDate>
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<title>優先席パニック</title>
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<![CDATA[ <br><br><br>４月２２日（水）。<br><br><br><br>　母と、築地まで行って来ました。<br>　平日の朝から、次男と老いた母とで行く場所かどうか、わかりません。<br>　電車に乗り、銀座、築地と参りました。<br>　銀座は三越の上の上、みのりテラスを楽しみました。<br>　母は贅沢な買い物が出来ない、にこにこした人です。<br>　日頃の面倒な妄想をやめて、築地本願寺にも行きました。<br>　歌舞伎座の地下がこうなってる、上はエレベーターに乗って庭園がある、などと案内してくれました。<br><br>　天気に恵まれ、暑いくらいでした。<br>　ついに主目的の築地市場を見ましたが、時間によってはこんなんじゃない、そうです。<br>　何軒もある「すしざんまい」に入り、会計が２人で、「７」と「８」しかない４桁の数字であるのを、先に店の外にいた母には教えないようにしました。<br>　そのときふっと、想い出しました。<br>　築地の本願寺で、チャリーンと入れたお賽銭。---<br>　硬貨を１枚ずつ全種、５００円玉だけ除いて入れて、満足したはずが、５０円玉は、すっかり忘れてしまっていたのでした。<br>　わたしは１００円玉１枚、１０円玉１枚、５円玉１枚、１円玉１枚、---計１１６円を入れただけであったことを想い出したのでした。…<br><br>　わたしたちは天に恵まれ神に祝福され地と人にも悪魔にも鬼にも補完を受け、こうして往き、帰ることが出来たのですが、往復の物理面を、具体的に頼らせていただいたのは電車です。電車も昔は詩人らによって、マッチ箱とも比喩される不遇時代を経てきておられますが、母とわたしには、それは今や不思議の存在です。心臓に難を抱えておられる方々がある区画へ入ってこられましたら遠くへ線も魔法もなくつながり対話が出来る科学機器を、その電源とやらを消して対応しなければなりません。母は妙に詳しく、どこどこの駅ではここがエスカレーターの位置とか、エレベーターの位置とか、いちばん出口に近いとか、何種類か熟知していて、必ずどこかの車両の優先席のあるところへホームで待つのからして自然に策略を練ることが出来る人なのでありました。<br><br>　さて、行きはOの駅から京浜東北線を使いました。まだ埼玉、まだまだ埼玉と油断していると、徐々に乗客は混んできました。３つ座席の並んでいる優先席の真ん中に、しっかり乗り込むときから座ることの出来た母は、耳の悪いのをさらに手厚くするためか、眼も閉じておりました。わたしは真ん前に立っておりました。最初、母が席の１つを占めたとき、わたしに隣に座るよう促したのは、面白いと思いました。そこへ座るのは、母が優先を受ける資格があるのを確信犯的に狙ったはずのものなのに、わたしをも座るよういうのは矛盾と思ったからです。わたしは手を振り、生真面目に立ち続けておりましたが、やがて埼玉も終わりを迎える頃でした。…<br><br>　わたしの背になる向こうには、やはり対称に、３つの優先席が並んでいます。すでに混み始めた車内は、向こうの人間の良さも、こちらの蛙の悪さも見通せないほど、動けるものらで視界のよくない状態になっておりました。そこへ、背の方の優先席の、右の席をめがけ、声をかける男がありましたのです。<br><br>　「ペースメーカーなんです。音楽やめてもらえますか？」<br>　振り返りますと、乗ってきたばかりの５０歳くらいの男が、優先席の、３つのうち右の席に座った若い女性に対し、真っ直ぐな身体の姿勢を示しております。若い女性は、両方にイヤホンをつけたままであり、外そうとする前に、まずは「変な人が来た？」といううろたえ方をしているように見えました。そして、とにかく場から逃げ出すものだろうと仮決めし、ようやくイヤホンを２つ外すのに成功、席を立って、どこかへ逃れていってしまいました。<br><br>　５０歳くらいの男は、「立たないでいいんだよ。座ってったって別にいいんだよ」と、半分周りの空気にいいましたが、若い女性は難を逃れるのが大事とみていて、イヤホンを外すのが遅れたのを見れば、ペースメーカーの事情での注意だったのかは、本人にはわかっていないのかもしれない、そんなたたずまいで消えていったのでした。…<br><br>　初めて、「ペースメーカーを使う人」を見ました。<br><br>　優先席の付近では、携帯電話の電源を切るべきなのは、有名な鉄の掟です。当然ながら、音楽を聴いていてはいけないでしょう。あるいは音楽でなく、英会話とか落語とか、教祖の教えでも、ほぼ平等に、禁止とすべき良識が広まりを見せています。若い女性は、明らかに、マナー違反です。ですが、男が若い女性のかわりに優先席に座るをよしとした頃、とたんに周りの人々いっさいが携帯電話の電源を消すにいたったかはわかりません。というのも、１人１人の顔や携帯電話の諸事情をチェックするのは新たなマナー違反ですし、わたし自身は、このとき奇跡的に、自分の電話の電源を、電車に乗り込む際から切っていたのでありました。<br><br>　わたしが電車に乗るとき、電源を切る気まぐれの率が、ほぼ５分５分なのは、あえて優先席のそばに、いつも乗り込み、位置取りを確かにすることが多いからです。といいますのも、優先席付近は、ただでさえ空いている車両を選んで乗るわたしにおいて、さらに確実に、空いている場所を獲得するのに便利なしるしのひと区画だからです。わたしは電車で座る習慣がなく、かわりに必ず空いた場所に位置し、のんびりやろうとするのが好きな習癖でした。これは「思い込みパニック障害」の危惧がいつ襲ってくるかわからないからではありますが、空いている車両ならパニック症が来にくい思い込みの傾きに便乗したものではありました。ただ、今日のように、母と２人だと、母も足が悪いとか、いつものパターンがあるだろうとか考えますと、母の乗り方に譲ることくらい出来る、そして現に、一度もパニックにやられた現実は生起していない、そんな事情なので、パニックは思い込みにすぎないことそのものなのは、確かなのです。が、事前的に傾きを傾けてしまうのが、本物になるか否かはわかりませんし、１人での乗車ならもちろん、いちばん空いている場所を求めて、ずっと立っているのを苦にしない、乗車マナーを守っているのでありまして、さらにたとえば少しおかしな方が乗って来られて空気が気まずいかな、というときも、ますます一般乗客は、優先席付近から離れ、苦しい呼気と吸気のせめぎ合い感もなくなりますから、わたしはますます満足して、ありがたい「優先席付近」に、堂々と立ち続けたりするのでもありました。…<br><br>　さて、ペースメーカーの人が背後で座ったので、付近の全員が、携帯電話の電源を切ったかどうかの問題ですが、わたしは自分が切っていたので少し安心しました。ちゃんと母が優先席に座るだろうからと、わたしもそばに立つだろうからと、乗り込む当初から切っていたのだろうと思いますが、５分５分でも今日は切っていたのでよかった、とは思いました。問題は、耳が悪く眼もつぶっている母に、耳元に大きな声を届けて、「お母さん、電源切って。ペースメーカーの人が来たから」などといえるかですが、いえるはずがありません。ペースメーカーのご本人にはもちろん、周囲の皆々様方にも、何かしらの訴えになってしまうと思われるからです。本心で、「どうせみんな、電源切ってないんだろうなあ」という本音はあります。よくあるアナウンスでは、通話はご遠慮ですし、優先席付近では、電源を切るのがマナーだったかルールです。ペースメーカーの男は、音楽か何かのあの若い女性に注意したので他の人たちも即座に携帯の電源を切る（いわなくても）の作戦でもあったのだろうか、と思いました。あるいは、ペースメーカーは、若い女性のやっていた科学機器には危ないが、携帯の電源になら、ぎりぎり危なくないとでもいう、指標があるのでしょうか？　あるいは「どうせもなにも、みんな、完璧にマナーを守って、示唆されるまでもなく、電源をシャットアウトして久しく、わたしごときの方が、踏み迷えるだけ、心も身体も汚い」そんな可能性もあるのかと思いました。<br><br>　母はこちらの優先席３席の、真ん中を占めておりました。川口や赤羽でどどっと乗って来て混んだ車内は、しばらくして田端になると、どどっと出ていきまして、空いている車両でもない、空いている席の周りでもないところへいたわたしは、本来、事前恐怖が主体のパニック障害の症状にやられ、ぶっ倒れて介抱され、急がなくてはならない方々に迷惑をかけ、病人救護のため電車を止めさせ、一言でいえば、電車文化における大変な困りものの１人になるところだったはずですが、全然大丈夫でした。ペースメーカーの男の人の事件で、想いの集中力が生じてしまい、いわゆる「パニック？　それどころじゃない」状態に、頭の方がなってしまっていて、これが功を奏し、いつもの「混むぞ混むぞ怖いぞ」と、自分を追い込む暇もなかったのが、焦点だったようでした。また、経験では、母、あるいは誰かと同伴であることの、当たり外れがあると思いますが、本来、母は、当たりでない人であり、ここではなにより、ペースメーカーの事件が、わたしを大丈夫にした、当たりの項目なのでした…<br><br>　このとき母の隣、わたしから向かって右には、若いママと乳幼児と思える女の子が座っておりました。乳幼児は、置いたベビーカーからはみ出し、ママの服の中へ入って来たので、昔ながらの感覚の、老いた母が笑いかけると、笑い返してくれました。こういう介入を嫌うママもいて、理由もしっかりあると思いますから、わたしははらはらして見ておりまして、母が手まで出して、女の子の小さな手に、指でつんつん、とやっているのを見ると、思わずママのうつむきがちな顔を見たのでした。が、若いママは、のんびりやっていて、子供がご機嫌がよいので４番バッターの気分で、老母の「マナー違反・非違反」を、喜んで受け入れてくれました。わたしはそれが嬉しかったので、自分のパニック恐怖など小さいものだ、みんな苦労しているんだ、と肯定的に思えたのでもありました。…<br><br><br>　さて、帰りは地下鉄で池袋まで出てから埼京線でした。母は、地元の小さな駅で、ちょうど改札の真ん前になるように、「４両目の終わりか５両目の最初かがいいの」といって、うっかりわたしにはわからずどちらかに乗り込んだのでしたが、ちゃんと優先席のところで、母は今度は、すぐ優先席に座ることが出来ませんでした。<br><br>　向かった優先席３座席は、右２つが、やはり若いママと乳幼児、左が３０代くらいの眼鏡をかけた男でした。若いママは、真ん中の席に、ぐったりと疲れた様子、乳幼児は、右に、さらにぐったり、汗に湿って眠りこけていて、罪のない男の子とわかりました。男の子は、顔をぺったりママの腿の上あたりに投げ出すのに不成功、下へ向けて傾いていました。ママの思うところは、姿勢を正して、出来たら２人で１席へ立て直したい、という希望があって、でも赤ちゃんが起きて泣いてしまうので出来ない、というものではないかと思われました。<br><br>　母は、今や優先席にすら座れないことが少ない、立派な年齢を誇っています。が、歩くのとか階段がつらい割にはただ立っているだけとか、トイレに行って帰ってくるとかには、まだまだたくましい体力を示すお年寄りです。かわりに、観察力を駆使し、眼の前のママと乳幼児がどんな思い方と考え方をしているかまでは、よくも悪くも察しません。すると、わたしに勇気のない、でも責任感のようなのが生じ、眼が、左の３０代くらいの眼鏡をかけた男に及ぶこととなりました。男は知らぬふりか、知らぬふりまであえてやる理由なく純真にか、わたしの母には席を譲らずうつむいているばかりです。母が、年齢だけでなく、銀座・築地を歩いて来たあとなのですから、堂々と資格をにおわし真ん前に立てば、少し違ったのかもしれませんが、男には、こりゃ今更譲らないなあ、というオーラがありました。と、武蔵浦和という駅に着いたとき、杖をついた、１人の痩せたおばあさまが乗り込んでこられました。とたんに礼儀正しくなった男は、杖をついた、１人の痩せたおばあさまに席を譲り、すたすた向こうへ行ってしまいました。母が、若く見えたのだとしたら、それもいいし、意外に男がシャイなだけの者かもしれませんし、まさか、優先席に座っていた理由にしても、個人的、超個人的な何かの事情が介在していたかもしれません。わたしたちは損得を軸に、あれこれを解釈し、１人に１つずつの宇宙を尊重しきれず悪だ、善だといってしまいがちです。しかし、ステージの中央で歌う花形の人間にも人生が１つのように、誰も中心者としては見ないバックダンサーたちにも１人１つの宇宙があるわけです。３０代の男が最後まで誰にも席を譲らなかったとしても、本当の内実を知り尽くしてわれわれが彼を批評出来るわけではないのでしょう。<br><br>　「お譲り下さい。この席を必要としているお客さまがいます」と一文が掲げられますと、窓内に４例が示されています。<br><br>　からだの不自由な方。<br><br>　お年寄りの方。<br><br>　妊娠している方。<br><br>　乳幼児をお連れの方。<br><br>　母の眼の前の２席を、「乳幼児」と「乳幼児をお連れの方」が占めているので、思考の迷宮へ入り込みました。<br><br>「乳幼児をお連れの方」とは、どう解釈すべきか？<br><br>　１。ママやパパと、赤ちゃんが、計２席を占める。<br>　２。ママやパパと、赤ちゃんとで、頑張って１席におさまる。<br>　３。ママやパパが立ち、赤ちゃんで１席。赤ちゃんがベビーカーで、ママやパパが、うまく１席を便宜化。<br><br>　さらに、考え出すと、２人の赤ちゃんのときは？　３人の赤ちゃんでは？　ママとパパがいたら、パパは当然、外で、ママも、…つまり臨機応変にやらなければならないのでしょう。<br><br>　１。の、ママ（「やパパ」と書くのもどこか偽善的な感じ）と、赤ちゃんが、計２席を占める、でいいのだと思うのですが、つい２。を挙げたのは、わたしの母を前にしたその疲れきったママが、なんとか赤ちゃんを起こさないようにしつつ、努力して態勢を替えよう、席を２つ占めるのをやめようと、明らかに思ってくれて、大変な運動をしてくれていたからでした。<br><br>　そして、いちばん右の方へ、赤ちゃんをだっこしながら、おさまりきってくれて、赤ちゃんは無事、泣かず、母は、笑って「どうもすみません」といって、ちゃっかり真ん中の席へ、腰を落ち着けることが出来ました。<br><br>　このとき世界には、いい人も悪い人もいなかったのです。<br><br>　ママと赤ちゃんは、次の駅で降りました。一駅でも席を譲ってくれたのが、逆に嬉しくてたまりませんでした。<br><br>　母は凝りもせず、わたしに空いた優先席を促します。優先席の妥当性があるから狙ってそこへ来た母が、息子に空いたところを促すのは、やはり矛盾しています。<br><br>　わたしは何より、思い込みパニックの恐怖が現出せぬまま終わった今日の電車での出来事を、ありがたく思いました。ただの優先席の問題にしても、わたしのパニック症への恐れにしても、人を信じるという問題が絡まっているかと思いました。どんな不特定多数の集団、密室での緊迫性でも、同じ空間を分け合っている人たちを心から信じていれば、危ないときでも大丈夫と思え、いちばんまずい「事前的な高まり」が引くということにもなるかと思えるからです。また、優先席周辺でも、多くが多くを信じていれば、余計な勘繰りがいらなくなり、相手を言外に読み澄まして行動する日本人には、譲る譲らないに関し、余計なストレスがなくなることも考えられるからです。もちろん、わたしが勝手なことをいい、迷惑される方々もいましょう。パニック障害の本物の方々は、大変なご苦労をされていると思われます。わたしの受けた実例の１つたりとも引っかからない優先席の事例がいくらもあるでしょう。まず、電車に乗れること、座席に座れることの簡単な感謝の想いから始めて、かけがえのない人間関係の端緒を喜び合えたらと思うのでした。…<br><br><br><br><br>　
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<pubDate>Wed, 22 Apr 2015 20:42:57 +0900</pubDate>
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