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<title>yuzuossanのブログ</title>
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<title>川の流れのように稽古を続ける</title>
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<![CDATA[ <p>おはようございます、ゆず太郎です。</p><p>金曜日は、いつも通り峠を越えて道場まで２時間かけて稽古に行ってまいりました。</p><p>&nbsp;</p><p>道場の扉を開けると、人数がいつもより少ない。ここ１カ月ほど稽古のたびに見かけていた人たちの顔もありません。思い返してみると、これまでも同じようなことは度々あったように思います。</p><p>&nbsp;</p><p>多分ですが、試合が終わったからではないかと思います。試合や昇段審査の前になると、普段は見かけない顔をよく見かけるようになる。これも杖道の稽古では“あるある”のひとつですね。とはいえ、昇段審査の場合はそれでも受かったりしますから、不思議なものです。</p><p>&nbsp;</p><p>私は、試合や昇段審査は、その人なりの日常の稽古の流れの中にある通過地点に過ぎないと思っています。</p><p>週３日以上稽古できる人、週１回しか稽古できない人。稽古の流れは小さかったり大きかったりとそれぞれ違いますが、試合や審査がその流れの中で通り過ぎていく一つの場所に過ぎないことに変わりはありません。どのような流れであれ、最終的には同じ大きな海に向かって流れていくのです。</p><p>&nbsp;</p><p>だから大事なのは、途中にある通過地点を“目標そのもの”にしてしまうのではなく、海へと向かう川の流れをそこでぷつりと区切らせないことだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>私も、試合や昇段試験が一段落すると「今日は稽古休んでもいいかな」というなまけ心が頭をもたげることがあります。でも気づけば、道場の扉を潜っています。そして、自分の流れにそって淡々と杖や太刀を振り、形を練る。ただそれだけです。</p><p>&nbsp;</p><p>杖道が、寝ることや食べることと同じように、生活の一部として自然にそこにある。そんなふうになればいいなと思っています。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/yuzuossan/entry-12974509709.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Aug 2026 10:13:10 +0900</pubDate>
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<title>２階のない山小屋</title>
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<![CDATA[ <p>こんばんは、ゆず太郎です。</p><p>&nbsp;</p><p>夏休みの真っ最中ですが、暑さのせいか、子どもたちの声があまり聞こえませんね。 私たちが子どもの頃は、夏といえば山か川、そして少し遠出して海へ行くのが定番でした。 海か山かと言われれば、私は断然山派です。今日は、そんな山の怪談をひとつ。</p><p>&nbsp;</p><p>娘が中学生の頃、登山が好きな先生から聞いたという話があります。 場所は長野県のどこかだったと記憶しています。</p><p>&nbsp;</p><p>冬の登山で、先生は仲間と２人、雪の中を歩いて夜に山小屋へ辿り着いたそうです。</p><p>&nbsp;無人の山小屋――おそらく避難小屋だったのでしょう。 本来なら静まり返っているはずのその小屋には、すでに先客がいました。</p><p>&nbsp;</p><p>２階部分に数人いるようで、酒でも飲んでいるのか、ワイワイと騒いでいたそうです。 先生たちは荷を解き、疲れていたのでシュラフに潜り込みましたが、２階の騒ぎが気になって眠れません。 夜が更けてもいっこうに収まらない気配に、だんだん腹が立ってきました。</p><p>&nbsp;</p><p>「ちょっと文句を言ってくる」</p><p>&nbsp;</p><p>そう言って先生は、２階へ上るために立てかけてあったはしごに手を掛けました。 すると仲間が「ほっとけよ。やめておけ」と止めました。 酔っ払い相手に面倒なことになるのも嫌で、先生は渋々シュラフに戻りました。</p><p>&nbsp;</p><p>いつの間にか眠ってしまい、気づけば朝。 小屋の中はしんと静まり返っています。</p><p>&nbsp;</p><p>「昨夜は本当にうるさかったな」</p><p>&nbsp;</p><p>そう言い合いながら２階に目を向けたとき、２人は凍りつきました。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">小屋には、２階なんてありませんでした。</b></p><p>&nbsp;</p><p>「はしごは？　ここにはしごがあったよな」</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;仲間も「うん」とうなずきます。 先生は一度、上ろうとして手を掛けたのです。見間違いではありません。 しかし、そこにははしごなど存在しませんでした。 そもそも２階がないのに、はしごがあるはずがありません。</p><p>&nbsp;</p><p>じゃあ、昨夜の騒ぎはなんだったのか。 騒いでいたのは誰だったのか――</p><p>&nbsp;</p><p>「ここ、やばいんじゃないか」</p><p>&nbsp;</p><p>２人はゾッとして、急いで荷物をまとめ、小屋から逃げ出しました。 外は雪もやんで青空が広がっていたそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>小屋から１００メートルほど離れたとき、背後から男の声がしました。</p><p>&nbsp;</p><p>「おーい」</p><p>&nbsp;</p><p>何度も呼びかけられます。 振り向いた２人は、雪の上で腰を抜かしそうになりました。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">小屋の屋根近くに、はっきりと男の顔だけが浮かんでいました。</b></p><p>&nbsp;</p><p>男は先生たちに向かって&nbsp;笑っていたそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>先生たちは叫び声を上げて、一目散に逃げ出しました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>登山系の怪談といえば、作家で登山家の安曇潤平さんが有名ですね。 私はどちらかというと、同じ山の怪談でも身近な生活圏での山を舞台にしたノンフィクション作家・田中康弘さんの「山怪」系の話が好みです。&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/yuzuossan/entry-12974481777.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Aug 2026 00:34:46 +0900</pubDate>
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<title>限界をつくらない心──『片田舎のおっさん』第2期4話を観て</title>
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<![CDATA[ <p>こんばんは、ゆず太郎です。</p><p>&nbsp;</p><p>連日、猛暑日が続いて疲労困憊しています。こうも暑いと、稽古どころではありません。幸い、私が通う道場にはクーラーが付いているので助かっていますが、地元の稽古場はなかなか厳しい状態です。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、「片田舎のおっさん　剣聖になる」第２シーズン４話。 主人公の“おっさん”こと剣術家・ベリル・ガーデナントが故郷のビデン村に帰郷する回でした。</p><p>&nbsp;</p><p>これから、ベリルの“心の壁”となっている父・モルディアとの勝負が描かれます。 「年老いた親父にすら勝てない」という自己評価の低さの原因にもなっている相手ですから、見どころになると思います。</p><p>&nbsp;</p><p>杖道でも、自分で勝手に「この人には勝てない」「あの人より上手くなれない」と限界をつくってしまうことがあるのではないでしょうか。 実は私もそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>先日、師匠が言われた言葉があります。&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>「杖道の試合は、相手と戦うのではなく自分自身との戦い」&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>まさにその通りだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>苦手な相手と対戦することになった時、「嫌だな」という感情を抱えたまま戦うのか。 それとも雑念を消し去り、無心で試合に臨むのか。 その違いが、結果を変える可能性を生むのだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、勝ったからといってそれで終わりではありません。&nbsp;同じ相手に次も勝てるとは限りません。 それでも、一度でも「心の障壁」となっていた相手に勝てた事実は、大きな自信や成長につながるはずです。</p><p>&nbsp;</p><p>ここで思い出すのが、歌人（うたびと）・村下孝蔵さんの言葉です。 私は村下さんのファンで、今でも曲を聴きますし、カラオケでもよく歌います。</p><p>&nbsp;</p><p>以前、広島のタレント・西田篤史さん（「あっちゃん」「孝蔵兄ちゃん」と呼び合う仲だったそうです）から直接うかがった話があります。</p><p>&nbsp;</p><p>西田さんがテレビ番組の視聴率が伸びず悩んでいた時、村下さんは人生を山登りに例えて、こう言われたそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>「 あっちゃんはすぐ上に登ろうとするけれど、 １合目、５合目と、その時の景色を楽しんでほしい。でもね、頂上はすごく狭いから、次に来る人に明け渡してあげなきゃ。 あっちゃんは次の山を目指せばいいんだから&nbsp;」</p><p>&nbsp;</p><p>杖道修行にも通じる、深い言葉だと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>ベリルとモルディアの勝負、楽しみです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/yuzuossan/entry-12974264873.html</link>
<pubDate>Thu, 30 Jul 2026 22:59:27 +0900</pubDate>
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<title>精進あるのみ</title>
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<![CDATA[ <p>こんばんは、ゆず太郎です。</p><p>&nbsp;</p><p>昨日は杖道の県大会に参加しました。結果は……ぼろ負けでした（笑）。 ただ、負けたからこそ見えた修正点がいくつもあり、非常に有意義な一日だったと思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>大会には、私がお世話になっている道場から個人・団体ともに多くの方が参加されました。 みんなで出場すると、誰かが必ず写真や動画を撮ってくれます。これが大会の記録としてだけでなく、自分では気づけない癖を教えてくれる“鏡”にもなるのです。</p><p>今回も何枚も写真をいただき、早速チェックしてみました。そこから気づいた点をまとめると、以下の通りです。</p><h2><span style="font-size:1em;">① 打突時の後ろ足の向き</span></h2><p>特に形の後半、引落打から相手の顔面を攻めた場面で、後ろ足のつま先が自分の感覚以上に開いていました。 普段から気を付けていたつもりでしたが、まだ無意識レベルには落とし込めていないようです。</p><p>&nbsp;</p><h2>② 腰（股関節）の使い方</h2><p>①とも深く関係する部分です。</p><p>引落打などの時、「腰を回せ」「へそを相手に向けろ」とよく言われますが、私は腰のラインよりも<strong>股関節のライン</strong>を意識しています。 古武道の本などにもあるように、腰を回すより股関節を内側にたたむ方が、動きが速く、安定する気がします。</p><p>この動きができれば、後ろ足のつま先が開くことも防げるはずです。</p><p>&nbsp;</p><h2>③ 太刀の構えを解いた時の姿勢（仙骨）</h2><p>試合で太刀を持った時の写真を見ると、相手の組の太刀の方の姿勢より、自分の腰が少し前に傾いているように見えました。</p><p>理由はすぐに分かりました。<strong>仙骨</strong>です。</p><p>本手・逆手・引落の構えでも、仙骨を立てると上体の傾きがなくなり、姿勢が安定します。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><h2>無意識レベルまで落とし込むことの難しさ</h2><p>結局、気づいて修正しようとしていたことが、まだ身体に染み込んでいなかったということなのでしょう。 試合では考える余裕などありませんから、良い意味でも悪い意味でも“そのままの自分”が出ます。</p><p>技も姿勢も形も、<strong>無意識レベルでできるようになるまで練り込むこと</strong>。 これが試合で通用するための最低条件だと、改めて感じました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>精進あるのみです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/yuzuossan/entry-12973977462.html</link>
<pubDate>Mon, 27 Jul 2026 22:34:02 +0900</pubDate>
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<title>再び「老い」について</title>
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<![CDATA[ <p>こんにちは、ゆず太郎です。</p><p>&nbsp;</p><p>放映中のアニメ「片田舎のおっさん、剣聖になる」第２シーズンの３話が、「老い」に関連した話でした。</p><p>&nbsp;</p><p>今回、主人公のベリル・ガーデナントは、北欧神話に登場するフェンリル狼のようなモンスターと死闘を繰り広げます。 ちなみにベリルも“おっさん”ですが、設定では還暦の私より１５歳ほど若い。&nbsp;</p><p>その彼が、年老いた魔術師学院の教頭から言われた <strong>「老いの恐怖、君にはわかるまい」</strong> という言葉に理解を示し、 <strong>「自分にもいつか剣を置く時が来る」</strong> と未来の自分に思いをはせるシーンが心に残りました。</p><p>&nbsp;</p><p>ところで、ベリルではありませんが、</p><p>&nbsp;</p><p><strong>「あと何年、こんな稽古ができるのだろうか」</strong></p><p>&nbsp;</p><p>稽古を終え、今日もやりきったという満足感とともに、 同年代の方なら一度はそんな考えが頭をよぎったことがあるのではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>私も、金曜日夜の稽古を終えて帰る車の中で、いつも考えます。 それだけ、道場での稽古が充実しているということなのかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>道場まで車で片道約２時間。 稽古だけでなく、車の運転もいずれ免許返納を考えなければならなくなります。 地方では都会のように公共交通が発達しているわけでもないので、 運転をやめたら「バスや電車で通えばいい」というわけにもいきません。</p><p>&nbsp;</p><p>年を取って稽古を続けるということは、 体力だけでなく、<strong>自分を取り巻く環境の変化</strong>も影響してきます。</p><p>&nbsp;</p><p>そう考えると、体力と相談しながら稽古を続けても、 道場に通ってしっかり稽古できるのは、最大であと10年ほどでしょうか。 この年齢ですから、自分や家族の身に何かあれば、もっと短くなる可能性もあります。</p><p>&nbsp;</p><p>私も、ベリルより短いこれから先の人生でどれだけ杖を、太刀を振れる時間が残っているのかは分かりません。でも“その日”は誰にでもいつか必ずやってきます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>残り少なくなっていく時間に反して、師匠や先輩弟子から学ぶことはまだまだたくさんあります。やっかいですね（笑）</p><p>&nbsp;</p><p>これから先、&nbsp;限られた年月で<strong>どれだけ新しいことに挑戦し、学び、自分を成長させることができるのか。</strong></p><p>&nbsp;</p><p>不安もありますが、楽しみでもあります。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/yuzuossan/entry-12973602149.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Jul 2026 00:10:17 +0900</pubDate>
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<title>新築だからって……</title>
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<![CDATA[ <p>こんばんは、ゆず太郎です。</p><p>&nbsp;</p><p>今夜は、新築の２件の家で起きた怪談について書いてみたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>20数年前のことです。今住んでいる新興住宅地に引っ越してきた頃、近所の家族同士でよくバーベキューをしていました。周囲はみんな新しい住人ばかりで、どこか「これからこの土地でつながりをつくっていく」という、明るい空気がありました。</p><p>その中に、ひとり“視える奥さん”がいました。今もご近所に住んでおられる、ユニークで明るい方です。</p><p>&nbsp;</p><p>その奥さんの家ももちろん新築でした。しかし、家の中に家族以外の「知らない人がいる」と言うのです。それも２人……</p><p>&nbsp;</p><p>奥さんのお子さんは、わが家の娘と同じ年齢でした。その子の部屋には、</p><p>&nbsp;</p><p>「男の子が１人いる。でも子どもが怖がるので言えないのよ」</p><p>&nbsp;</p><p>と話されました。</p><p>&nbsp;</p><p>家にひとりでいると、誰もいないはずの２階を子どもが走り回る足音が聞こえることもあるそうです。そして、階段から自分がいるリビングをのぞいていることもあったとか……</p><p>&nbsp;</p><p>さらに、仕事が休みの日。リビングでうたた寝をしていた奥さんがふと目を開けると、「知らない中年のおじさんが、ソファに座って楽しそうに笑いながらテレビを見ていた」</p><p>&nbsp;</p><p>といいます。奥さんが「誰ですか」と言うと、そのおじさん、かき消えるように姿を消したそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>奥さんの話ぶりは淡々としていて、作り話のような誇張がまったくありませんでした。ほかにもいろいろと体験があるようでしたが、深くは語られませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>そういえば、その新興住宅地に越してくる前。娘が通っていた幼稚園の保護者の中に、医師をされているお父さんがおられました。</p><p>&nbsp;</p><p>その方の家でも、奇妙な現象が起きていたといいます。</p><p>&nbsp;</p><p>コップや食器が目の前で飛び回ったり、勝手に物が移動する――いわゆるポルターガイスト現象です。</p><p>&nbsp;</p><p>医師という職業柄、科学的な視点を持つ方の体験談は、妙に説得力がありました。確か、その方の家も新築でした。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>２軒の家で起きていた現象が、その後どうなったのかは聞いていません。</p><p>ただ、新築の家だからといって、心霊現象が起きないわけではない―― そんなことを知った出来事でした。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><h2>&nbsp;</h2>
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<link>https://ameblo.jp/yuzuossan/entry-12973490273.html</link>
<pubDate>Wed, 22 Jul 2026 21:25:43 +0900</pubDate>
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<title>またまた自主稽古</title>
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<![CDATA[ <p>こんばんは、ゆず太郎です。</p><p>&nbsp;</p><p>連休最後の月曜日、また自主稽古をしました。 金曜日の夜から数えると、４日間連続の稽古になります。 還暦のおっさんなのに、ようやるわと自分でも思いますが、何より自由にさせてくれている家族に感謝しないとですね。</p><p>&nbsp;</p><p>地元の大会が終わった後に稽古を行い、内容は全日本剣道連盟杖道（制定）が中心でした。その稽古録です。</p><p>&nbsp;</p><p>この日の稽古での私の課題は逆手打で、特に左手の形に注意してみました。</p><p>&nbsp;</p><p>逆手打は七本目の「霞」、十一本目の「乱留」に出てきます。 簡単なようで難しい技で、私自身は苦手意識が強く、この二つの形をやる時はいつも緊張します。</p><p>&nbsp;</p><p>逆手打には、姿勢を含めていくつか注意点があると思います。その一つが、太刀を打った時の左手首の形です。</p><p>&nbsp;理想は、手の甲から手首、腕が自然に真っすぐになった状態。しかし気を抜くと、打突時に手首が手の甲側へL字型に曲がってしまいます。 この形になる人は意外と多く、観察していると、杖を振りかぶった時点ですでに手首が曲がっているようです。</p><p>&nbsp;</p><p>また逆手打だけでなく本手打などにも共通しますが、肩甲骨と肩の使い方にも気を配る必要があると感じています。 杖を振り上げる時から打突まで、肩をあまり上下させないこと。これは杖だけでなく太刀の振り方にも通じるのではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>稽古は演繹的に積み上げていくものですが、技が何となくうまくいかない時は、帰納的に流れを遡ってチェックすることが大事だと思います。 私の場合も、逆手打や引落打がおかしい時は、たいてい始まりの構えが崩れているのが原因でした。</p><p>&nbsp;</p><p>ここに書いたことは、上手い人たちはすでに気付いているか、無意識にできていることばかりだと思います。 ひょっとしたら間違っていることもあるかもしれません。 ただ、凡人である私のような杖道愛好家にとっては、一つの技や形について「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤することも、稽古の楽しみの一つなんですよね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/yuzuossan/entry-12973305484.html</link>
<pubDate>Mon, 20 Jul 2026 22:58:57 +0900</pubDate>
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<title>小さいおじさん</title>
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<![CDATA[ <p>こんにちは、ゆず太郎です。</p><p>&nbsp;</p><p>皆さん、以前、怪談系のテレビ番組や動画などで騒がれていた「小さいおじさん」の話、覚えていますか。</p><p>俳優の渡辺徹さんや釈由美子さん、的場浩司さんなど芸能人の方が体験談を話されていたと思います。イチゴを一口かじったり、お風呂に出現したり、その姿はいわゆるおっさんそのもので、怖いというよりもどこかぷっと吹き出してしまうような内容でした。この小さいおじさん、東京の永福町にある神社にお参りした人のところに出現する、などいろんな話もありましたが、どうなんでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>今回は、私と娘が体験した“二つの小さいおじさんの話”を紹介します。</p><p>&nbsp;</p><p>まず、私の話です。大学生の頃の話です。</p><p>私の場合、高校生の頃から大学生くらいまでが一番金縛りなどの体験が多かったように思います。</p><p>金縛りにあうのはだいたい、布団の中でうつらうつらしている時です。だんだんと大きくなる「カン、カン、カン」という鉦の音みたいな音が聞こえ、それがマックスになった瞬間、「キーン」という金属音のような耳鳴りがして体が動かなくなるんです。</p><p>&nbsp;</p><p>ある晩、寝ていると案の定、金縛りに遭いました。金縛りになるとだいたい何かの声が聞こえたり、何か不可解なものを視たりするのですが、その時は何と祭囃子が聞こえたんです。にぎやかな笛や太鼓の音、そして「わっしょい、わっしょい」という神輿を担ぐような掛け声です。</p><p>&nbsp;</p><p>恐る恐る目を開けると、いましたよ。法被を着て締め込み姿の小さなおじさんたちが。おじさんたちは私の方には目もくれず、布団の横を円を描くように神輿を担いでにぎやかに２、３回ぐるりと回るとそのまま姿を消しました。</p><p>&nbsp;</p><p>続いて、長女の話です。こちらは今から２０年ほど前の話になります。</p><p>&nbsp;</p><p>ある時、長女が小学校から帰ってくると</p><p>&nbsp;</p><p>「学校にある和太鼓の中に、小さな緑色のおじさんたちがいる」</p><p>&nbsp;</p><p>というのです。クラスの子どもたちの多くが目撃しているそうです。興味が出てきた私がいろいろと尋ねてみると、次のようなことが分かりました。</p><p>&nbsp;</p><p>その和太鼓は、皮の一部が破れているため使われておらず、音楽室か体育館の倉庫に置かれていました（記憶が定かでなく、すみません）。その破れた皮の隙間から中をのぞくと、</p><p>&nbsp;</p><p>「緑色の服を着たおじさんたちが、中でびしっと整列していた」</p><p>&nbsp;</p><p>「中をのぞいた時、太鼓の内側を必死によじ登っていたおじさんたちと目が合った。おじさんたちは驚いて、『あーっ』と言いながらずるずると滑り落ちてしまった」</p><p>&nbsp;</p><p>などの目撃談があるそうなのです。当の娘も「整列している姿を視た」と言っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>その話はやがて担任の先生の耳にも入り、太鼓の中をのぞくのは禁止になったということでした。</p><p>&nbsp;</p><p>この話、聞いた時は面白かったのですが、幼い子どもたちの「共同幻想」ではないか、とも思いました。</p><p>最初は本当に視えた子どもがいたのかもしれません。でも、その話がクラスという小さなコミュニティの中で広まると、どうしても「視えない、いない」という意見が言いづらくなる。結果、おじさんたちは「いる」ことになってしまったのではないかと。「視えない」と言うことが、場合によっては「仲間外れ」の踏み絵になるかもしれませんからね。だから先生も禁止されたのではないか、とも思ったのです。</p><p>&nbsp;</p><p>いずれにしても小さいおじさんは、怖いというよりどこか愛嬌のある存在ですよね。ケルトの神話や民話にでも登場するような不思議な存在で、私は大好きです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/yuzuossan/entry-12973245542.html</link>
<pubDate>Mon, 20 Jul 2026 11:46:31 +0900</pubDate>
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<title>合同稽古</title>
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<![CDATA[ <p>こんばんは、ゆず太郎です。</p><p>&nbsp;</p><p>本日は午前中から夕方まで、５時間ほど道場で稽古をしてきました。２か月ぶりの合同稽古でした。</p><p>&nbsp;</p><p>私がお世話になっている道場では月に１回、合同稽古会なるものがあっており、支部のほか、他団体からも杖道愛好家が集まります。今回は約２０人の杖道愛好家が参加しました。道場にはクーラーが付いていて猛暑や酷暑の中でも快適に稽古ができるので助かります。</p><p>&nbsp;</p><p>普段の合同稽古では、午前中は全日本剣道連盟杖道（制定）、午後は神道夢想流杖術（古流）の稽古が行われるのですが、今日は昇段審査や試合を控えている人もいたため、午前は制定、午後は制定、古流の自由稽古となりました。</p><p>&nbsp;</p><p>特に午前中は、制定の形稽古の前に、師匠の号令でしっかりと相対動作に取り組みました。</p><p>&nbsp;</p><p>杖は常に太刀の動きをしっかり見るということや、間合や理合を考えながら杖、太刀を使うことなど相対動作を通して学ぶことはたくさんあります。以前も相対動作について触れたことがありましたが、改めて相対動作には初心者にも高段者にとっても大事な要素が詰まっている気がしました。</p><p>&nbsp;</p><p>午前、午後とぶっ続けで杖と太刀を持ちましたが、栄養ドリンクを２本飲んだおかげか何とか踏ん張れました。</p><p>&nbsp;</p><p>数年前までは、そのようなもの必要なかったのに……　年には勝てませんね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/yuzuossan/entry-12973208177.html</link>
<pubDate>Sun, 19 Jul 2026 23:46:30 +0900</pubDate>
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<title>桜の公園にいる子ども</title>
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<![CDATA[ <p>こんばんは、ゆず太郎です。</p><p>&nbsp;</p><p>連続して投稿します。次は怪談です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>長女が子どもの頃、ある特定の交差点で信号停車していると必ず言うことがありました。&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>「パパ、パパの横に誰も乗っていない赤いバイクが止まっているよ」&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>もちろん、そんなバイクなどいませんでした。でもその辺り一帯は、昔から妙な噂があるところでした――</p><p>&nbsp;</p><p>そのバイクの話の交差点のすぐ横に、こんもりとした森があります。今は、周辺の開発でだいぶ小さくなったのですが、そこには桜の木が何本も植えてあり、一応、今でも「〇〇〇公園」という名前が付いています。</p><p>&nbsp;</p><p>これは、そこで友人たちと数人で花見をした時、不思議な体験をしたという自営業の男性から聞いた話です。</p><p>&nbsp;</p><p>夕暮れ時、男性たちはサクラの花を見ながら楽しく酒を飲んでいると、友人の１人（女性）がおかしな行動を取り始めました。</p><p>&nbsp;</p><p>「かわいいねえ」と言いながら、しきりに小さな子の頭をなでるような仕草をしているのです。みんな最初は黙って見ていましたが、だんだん気味が悪くなってきました。</p><p>&nbsp;</p><p>「おい、やめろ。何やってるんだ」</p><p>&nbsp;</p><p>男性は注意しましたが、その人は</p><p>&nbsp;</p><p>「ほら、この子かわいいでしょ。どこの子だろう」</p><p>&nbsp;</p><p>と言うのです。男性は気味が悪くなり、</p><p>&nbsp;</p><p>「子どもなんてどこにもいない。だからやめろ」</p><p>&nbsp;</p><p>声を荒らげ、腕をむりやり引っ張ってやめさせました。</p><p>&nbsp;</p><p>するとその女性は</p><p>&nbsp;</p><p>「どうしてそんなことを言うの。ここに着物を着たかわいい女の子がいるでしょう」</p><p><br>と反論します。</p><p>&nbsp;</p><p>もう酒を飲んで楽しむ雰囲気ではなくなっていました。みんな、不安そうにしています。何だか男性も気持ちが悪くなり、今日はお開きにしようということになりました。</p><p>&nbsp;</p><p>後片付けをして、いざ帰ろうとすると、車が全く動かないことに気づきました。</p><p>&nbsp;</p><p>燃料のメーターを見て目を疑いました。ガソリンは、公園に来る前に満タンにしていたのですが、信じられないことに空になっています。</p><p>&nbsp;</p><p>「やっぱり、ここは何かがおかしい」</p><p>&nbsp;</p><p>男性は公園から出てタクシーを呼び、車を置いたまま友人たちと一緒に帰宅しました。</p><p>&nbsp;</p><p>翌日、男性はおかしくなった友人を連れてみんなで氏神様など３か所の神社にお参りをしてお祓いを受けると、おかしかった友人の様子も元に戻りました。そして男性は再び公園に戻ったそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>車のエンジンを掛けると、すぐに車は動き始めました。燃料計の針も満タンを指していました――</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>この男性の話のほかにも、公園付近を車で走っていると突然公園の方角から霧が出てきて、その霧の中からう男性のうめき声のようなものが聞こえてきた、なんて体験談も聞いたことがあります。</p><p>&nbsp;</p><p>「あそこでは空襲で多くの人が亡くなった」などという人もいますが、私が知る限り、そのような記録などを見つけることはできませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>その公園には私も一度、夕暮れ時に行ったことがあります。とにかく空気が重くて森を出た時にホッとしたのを覚えています。あまり行きたいとは思わない場所です。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yuzuossan/entry-12973083660.html</link>
<pubDate>Sat, 18 Jul 2026 22:28:35 +0900</pubDate>
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