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<title>ミルク飲みコアラの日記</title>
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<description>ヤフーブログをしてました。日々思っていること</description>
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<title>紙の砦について</title>
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<![CDATA[ 紙の砦、ゴッドファーザーの息子、等々は手塚治虫の数少ない私小説ならぬ私漫画です。<br>おそらく事実であろう戦中の話が綴られています。<br>でも、割かれたページ数的には少なく、本当は思い出したくない心情も見受けられます。<br>漫画ではなく、随筆(？)「ガラスの地球を救え」でも、いくらか語られます。<br><br>ところで、私が知りたいことは彼の母親についてでした。手塚治虫作品の中では母親は崇高なるものとしてよく描かれます。ブラックジャック で「私なら母親の値段は1000億でも安い」なんて台詞があります。<br><br>…そんなに手塚先生のお母さんはすごい人だったのかしら？<br>でも、「母は虐められていた自分に、ずっと頑張りなさいと言った」(意訳)「いじめっ子にお菓子を振る舞ってそれから虐められなくなった」「漫画家になることに賛成してくれた」くらいしか、母について語られません。<br>前者二つは正直普通のことだと思うし、おそらく大きいのは三つ目なのでしょうね。<br>想像ですが、お母さんは手塚の作品を全部読んで、心の底から感心してくれたのでしょう。で、多分お父さんは医者になれと言い続けたんでしょう。<br><br>少なくともとても可愛がってくれた母親だったのでしょう。母というのはときにものすごく大きな存在になりえる一つの例です。<br>まあ、昨今毒母なる言葉もありますし、こじらせると大変なのが家族なのですが。
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<link>https://ameblo.jp/yuzupine/entry-12560562483.html</link>
<pubDate>Wed, 18 Dec 2019 14:08:08 +0900</pubDate>
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<title>空気の底について</title>
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<![CDATA[ 一番手塚治虫らしい一冊を誰かに初心者に渡すなら、「空気の底」という短編にします。<br>ダークすぎることもなく、どれか一つが強烈に頭に残るわけでもありませんが、どれもとても手塚治虫らしいと思うからです。<br><br>手塚先生はちょっと飽きっぽいところもあって、読み始めても第一部で終わってしまったり、途中で尻切れとんぼになってしまっている残念な作品も多いです。<br>手塚治虫の真骨頂は短編じゃないかなと私は思います。<br><br>ブラックジャックもある意味短編集ですし、七色いんことか、ミッドナイトとかも…。<br>いや、毎週よくこれだけ描けるなって感嘆しますけれど…。<br><br>何度も何度も読んでいますが、一番好きなのは「野党と断崖」。悪人になりきれない人間臭さが好きです。<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/yuzupine/entry-12555857951.html</link>
<pubDate>Wed, 11 Dec 2019 13:44:20 +0900</pubDate>
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<title>仮面ライダー龍騎について</title>
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<![CDATA[ 小林靖子脚本のなかでどれがオススメって聞かれたら、<br>「今まで観たなかでは仮面ライダーオーズか、ウィッチブレイド」<br>と答えると思います。<br>でも、小林靖子で一番心に刺さり、今もふいにセリフを思い出すのは仮面ライダー龍騎なのです。<br>仮面ライダーの中で殺し合いをし、残った奴の望みが叶う.....とその時点で「それは仮面ライダーじゃないっっっ」って突っ込みましたけれど。<br>おそらく、監督の意向なのだとは思いますが、「この世に正義なんてない。どこにもない」というメッセージに溢れています。<br><br>もちろんそうなのですけれど、ここまで正面切って「正義なんてない」というお話を観たことがありません。小説でも、映画でも。<br>中高生のときに観ていたら、人生観が変わっていたでしょう。<br>たいていの娯楽は勧善懲悪です。それが一番心地いいから。<br><br>正義ってものすごく悪用しやすい言葉なんです。多くの戦争は正義を語っています。<br>正しいがあれば悪いがあり、正義の味方は悪がいてこそ成り立ちます。<br>でも、悪って何でしょう？法律を守らないこと？人の道を外れていること？<br>戦争の最中では人殺しも、器物損壊も英雄の仕事です。<br>お話に出てくる(死刑囚)朝倉も、時代が違って戦中の兵隊なら、きっと尊敬されてました。<br>時代が違えば価値観も違い、生き方も違います。<br><br>この世に正義はない。<br>でも望みはあります。きっと誰にでも。<br>願わくは、私と私の周りの人が安らかに暮らせますように。
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<link>https://ameblo.jp/yuzupine/entry-12555304499.html</link>
<pubDate>Tue, 10 Dec 2019 10:50:13 +0900</pubDate>
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<title>どろろについて③(若干ネタバレも)</title>
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<![CDATA[ アニメ「どろろ」は十回以上観ています。<br>こんなに夢中になったのはいつ以来でしょう。中学生の頃のドラゴンボール以来かもしれないですね。<br><br>初めから終わりまで、百鬼丸が「生きたい！」と叫んでいるようでした。<br>彼自身は一度もそんなこと言わないのに、ハッキリ伝わります。<br><br>一期のエンディング「さよならごっこ」は作品通しての総括みたいな歌だったと、最後に気づきました。<br>そして、これだけの字数でそれを作詞した才能には舌を巻きました。<br>もっとも脚本家さんは「せっかく百鬼丸に生きたいという言葉を使わせずに表現したのに、その言葉を使われてしまった」と苦笑したかもしれませんけれど。<br><br>アニメ独自の物語の骨子は一人を犠牲にして何千人を救うことの是非について。<br>それは無理やりで、犠牲にされる人間には有無を言わせません。<br>これは絶対に答えの出ない難問です。<br><br>ただ脚本家小林靖子はこれまでの作品で何度も何度もこの問題を書き続けています。<br>ですから次回はその第一歩、仮面ライダー龍騎から感想を述べたいと思います。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/yuzupine/entry-12553940697.html</link>
<pubDate>Sat, 07 Dec 2019 16:00:28 +0900</pubDate>
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<title>どろろについて</title>
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<![CDATA[ 手塚治虫が亡くなって半年くらいした頃、アメリカに行く機会がありました。<br>アメリカといえばディズニーの国。そしてアメコミというものがあるらしい。そういう期待があって、きっとアメリカには素晴らしいアニメや漫画があると信じていました。<br>でも、アメリカで見たのは、トムとジェリーやウッドペッカーなど数十年前のアニメと、タートルズというアニメでした。<br>わたしにはそのタートルズがひどく稚拙に見えました。<br>本屋に行っても、コミックは戸棚の隅っこにスーパーマンが二冊だけ。<br>　<br>当時、まだマンガやアニメが日本文化であるなんて、教えてくれる人はいませんでした。<br>日本では小さな本屋にも百冊以上漫画が置いてあり、毎日のようにアニメの新作が発表されているというのに。<br>ディズニーの後継者はアメリカにはいなかったんだ。<br>日本にいたんだ。<br>手塚治虫追悼番組でしてた。日本のストーリー漫画の先駆けであり、長らくそれを牽引してきたのは手塚治虫だって。<br>アニメの週間放送を世界で一番に始めたって。<br>そっか。そういうことだったのか。<br>この人が始まりで日本はこうなったのか。<br><br>そういう理由で、私はアメリカで手塚治虫を発見しました。<br>帰ってきてから、手塚漫画を買いあさって、とは言っても学生の小遣いでは限界もあり、当時5分の1くらい読んだと思います。<br>初めてブラックジャックや火の鳥を読み、心の底から「スゴイ」って思って、でもそれより作品数が膨大すぎてついていけませんでした。<br><br>そんななかで出会ったのが「どろろ」<br>パクり作品を見てたので、頭が真っ白になってしまいました。<br>私のなかで、ブラックジャック が一番、火の鳥が二番に好きな作品ですが、どろろは別枠でしか語れません。<br>一番ではないけれど、三番かと言われれば違います。何番ってつけたくない、でも強烈に心に残る作品。<br>だからこそ、今回こんなに面白いアニメにしてくれて、ありがとうとしか言いようがないのです。<br>どろろは誰でもない手塚治虫の作品だって、そしてこんなに可能性があったんだって証明してくれたのが嬉しかったのです。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/yuzupine/entry-12553491740.html</link>
<pubDate>Fri, 06 Dec 2019 14:32:46 +0900</pubDate>
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<title>どろろについて</title>
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<![CDATA[ 今年1月から上映されたアニメ「どろろ」は私の心を思いっきり揺さぶって今に至っております。<br>その後、小林靖子マラソンをしたり、手塚治虫を読みあさったり、古橋一浩作品を観たり、ある意味ずうっと「どろろ」三昧の生活をしています。<br><br>　手塚治虫の「どろろ」。<br>私がこの作品に出会ったのは中学生の頃、それはどろろという名前ではなく、魍魎戦記マダラという名前でした。当時大変ブームになって、漫画もゲームも、素晴らしい出来栄えでした。<br>　しかし、その作品のあらすじ95%が、実はどろろという作品だと気付いたときの、驚きと絶望を何と表現すべきなのか。<br>　とにかく怒りがありました。<br>それは、作者に？<br>それともそんなことを許している出版社に？<br>それとも訴えすらしない手塚治虫本人に？<br>それともどろろよりマダラの方が面白いなと思っている自分自身に？<br>今になってもよくわかりません。<br><br>ところで私の恩師が手塚治虫ファンで、全集ももっているし、火の鳥の初版本が宝物って方がいます。その人に言わせると、<br>「手塚の骨子は反戦。戦争体験者だから、とにかく戦争がいかにろくでもないか、繰り返し描いているの」<br>だそうです。<br>改めて考えると、劇画に分類されるものの多くは戦争を題材にしています。<br>どろろなど、日本史上稀にみるひどい時代で、飢餓、流行病、天災、戦争などに見舞われております。<br>それは加賀一向一揆に繋げるための時代設定のはずですが、しかし、描いているのあいだに、自身の戦争体験を思い出したに違いありません。<br><br>どろろの母が火傷しながらお粥をもらうシーン、あれは誰かから聞いた事実ではないのか？<br>みおと戦災孤児のシーン、あの障害のある子供たちも手塚治虫の記憶の中にいたのではないか？<br>「こんな時代にいいもん食っているのは侍だけだ」というシーン、軍部に食料がしっかりあることを恨んでいた過去ではないのか？<br><br>そう考えると、あれはただのフィクションではない、かなり重い話なのかもしれないと思うわけです。<br><br>さて、しばらく小林作品や手塚作品について書いていく予定です。<br>
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<link>https://ameblo.jp/yuzupine/entry-12553009481.html</link>
<pubDate>Thu, 05 Dec 2019 10:47:24 +0900</pubDate>
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