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<title>備忘録～モノローグ的～</title>
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<description>人に見せる想定はなく、後日の自身を想定読者とした備忘録。ひたすら個人的なブログなので他者には何の得もない仕上がり。ひとりごとに近いかも。</description>
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<title>「免許返納!?」鑑賞</title>
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<![CDATA[ <p>7月5日(日)、曇りから雨の休日。今朝は3時半に目が覚めた。トイレに行き、ゴロゴロしていたが眠れず、5時に起きた。洗濯機を回しながら朝食を食べた。このあと映画を観に行く予定でいたが、土砂降りの雨が降り出した。自転車で行くつもりだったが、電車に変更しようかと思った。ところが、しばらくしたら止んだ。洗濯物を干して、「これなら行けるか？」と自転車で出かけた。観た映画は舘ひろし主演の「免許返納!?」。32年前、1994（平成6）年に公開された「免許がない！」の続編（？）なのかどうか、わからないが、直感的に観てみたいと思い、鑑賞を決めた。「免許がない！」は当時、私自身が自動車学校に通っていたため、観ていて妙に感情移入した記憶がある。同作の劇中、自動車学校へ通う舘ひろしが教官に懇願して言う台詞、「ハンコおしてくれよ！」が印象に残っている。</p><p>さて、映画館の入ったモールへ到着して、開館までフロアで待った。いつものことだが鑑賞するにあたり、空いている環境が好きなので、観るのを朝イチの回にしたのだ。フロアには、トイ・ストーリーも上映するためか、子供連れも割といた。やがて開館し、入場。入口でポスター撮影。</p><p><br></p><p></p><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260705/12/yy4122/13/64/j/o0813108015799524951.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260705/12/yy4122/13/64/j/o0813108015799524951.jpg" alt="" width="813" height="1080"></a><div><br></div><p>こちらを改めて見たら、ちょうど桜桃忌が公開日だった。だから何ということではないけども。</p><p></p><p>客の入りは、朝イチなのになかなか混んでいる印象だった。それもそのはず、観客はシニアやその周辺の年齢と思われる人たちが多かったのだ。そりゃあそうだ。舘ひろしの主演映画を観ようという層のボリュームゾーンは舘ひろしの世代近辺のはずだろうからだ。明らかに私より上の世代の人たちが多かった。高齢であれば、私と同じかそれ以上に朝は早いだろう。アニメ映画を観るのとは客層が違う。むしろ朝の回に来る方が自然だ。ちなみにネットで調べたら主演の舘ひろしは1950年3月31日生まれ。早生まれなので一級上だが、母と同い年だ。すでに後期高齢者の仲間入りをしている。とても見えないが、今年76歳だ。「ゴールデンカムイ」で土方歳三を演じていたが、役と同じく若々しい。まぁ、シニア層の方々は、静かに鑑賞して下さるので、混んでいても心配ない。</p><p>ともかく、久しぶりに映画を観た。直近に観た作品が昨年9月の「ベストキッド・レジェンズ」だから9カ月ぶりの映画だ。</p><p>同作で舘ひろしは、「免許がない！」と同じ役名、南条弘で登場。職業も同じく俳優と言う設定。続編とは言わないまでも、後日談的な（アンサーソング的な？）位置づけなのか、と一応結論づけた。とは言え、ストーリーは完全に独立したものとなっている。だから前作（？）未見でも全く問題なく楽しめる。劇中、ハズキルーペが小道具で出てきたり、どこか「西部警察」の渡哲也（ショットガンと言えば大門！）を思わせる映像表現があったりと、思わずニヤリとしてしまう演出が多々あった。舘ひろしと言えば、私の中では「西部警察」の鳩村刑事で初めて見たという認識だ。「クールス」というバンド活動もあったが、当時は子供過ぎてわかっていなかった（岩城滉一や横山剣も在籍していて今思えば凄いメンバーだ）。でも、「西部警察」の、九州かどこかを舞台にした、時限爆弾解除のエピソードで、群衆の注意を引くためだったと思うが舘ひろしがバンドをバックに歌うシーンがあったと記憶している。本当におぼろげな記憶で自信はないけれど。俳優舘ひろしはその後も、「あぶない刑事」や「刑事貴族」など、刑事役のイメージがあるが、特に「あぶない刑事」でコミカルな一面を開拓したと感じている。時代は前後して、バラエティでも「とんねるずのみなさんのおかげです」などにも出演して、かっこよくて面白い「二枚目半」のキャラクターが定着したように思う。ドラマでも西田ひかると共演した「上を向いて歩こう！」では元プロ野球選手のキャスター役を務めるなど、演技にも幅の広さを感じさせられた覚えがある。</p><p>今作でも、舘ひろし演じる南条弘は、アクション俳優を経て、劇中では古希を迎え（実年齢よりも6歳若いが）、芸術性の高い作品に出演する演技派俳優となっている。だが、本人は、まだアクション映画への出演を望んでいる。自ら愛車のフェラーリを駆り、「俺のための車」と、古き良き男の美学を貫いている。そんな中、宇崎竜童演じる同時代のライバル俳優、尾崎誠への対抗意識からの発言で、世間から「免許返納」の期待を一身に集めてしまう。本人にはその気は全くないのに、だ。何の気なしに口にした言葉が「切り取られ」、「拡散され」、「本人が言ったこと」になってしまうプロセスが丁寧に描かれている。そこへ、ライバル俳優の尾崎誠にハリウッドからオファーが来ているというネットニュースを知る南条。キャリアで追い抜かれることに焦ったのも束の間、尾崎はバイク事故で瀕死の重傷を負う。そして、そこから物語が動き出す。3度の結婚・離婚を繰り返した尾崎が残した息子の不遇と、南条の、妻との約束。これらが絡み合って繰り広げられるドラマがとても素敵な映画だった。尾崎への、ライバル意識や友情だけでは割り切れない複雑な心情、亡き妻への思いを秘めた主人公を舘ひろしが見事に演じていた。笑えて、泣けて、どこか懐かしくて、そんな良い映画を観られて大いに満足だった。また、準主役、脇役含め、キャスティングも良かった。南条が所属する事務所の社長を吉田鋼太郎が演じ、南条のマネージャーを西野七瀬（あまり知らなかったが、役にハマっていて良かった）が全力で演じて舘ひろしとのやり取りを面白く盛り上げていた。また、先々で南条が出会う人物たちも、「ええ！」というなかなか豪華なメンバーだった。恵まれない境遇にあった尾崎の息子の苦悩・問題は割とあっさりと解決しそうな展開ではあったが、作中の、ある人物が言うとおり、「だって、映画でしょ。」と思える。ご都合主義的、と言う向きもあるかもしれない。だが、現実には、目を背け・耳を塞ぎたくなるようなことが多い今の時代、映画の中でくらい、人は救われて然るべきだと考えている。</p><p></p><p>本作には、全編を通じて、優しい雰囲気が伏流していた。そして免許返納は、どちらかというと副次的なテーマ、というか物語を起動させる装置だったのかもしれない。描かれていたのは、同じ時代を生きた（生きる）人間同士のシンパシーや友愛だったのではないか、と思っている。また、年齢に関係なく、人生は「まだこれから！」という未来志向もメッセージとして、あったように感じられた。エンディング曲はTHE ALFEE。鑑賞後は、とても穏やかな気持ちになれた映画だった。</p><p></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/yy4122/entry-12971761856.html</link>
<pubDate>Sun, 05 Jul 2026 12:16:46 +0900</pubDate>
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<title>手術痕とご対面</title>
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<![CDATA[ <p>7月4日(土)。曇り空の休日だ。4時前に目が覚めて、顔を洗い、そのあと再び布団に戻り、ゴロゴロして過ごした。今日は三男のサッカーの試合がある。妻には、息子が持って行く弁当の用意やら送り出しやらがあるので、その時間帯は動線を塞がないようにしたいのだ。なので、彼と妻が起きたあと、しばらくして私は起き出した。妻と息子はワールドカップサッカーのアルゼンチンVSカボベルデを観ていた。今大会が初出場ながら、活躍している台風の目、カボベルデを三男は応援している。私はもともと興味もないので、すぐに着替えて、皮膚科の順番取りに出た。7時台前半の時間帯だ。部活らしい中学生やら、駅へ急ぐ高校生やらがチラホラ見受けられた。途中、かかりつけの医院の先生とすれ違った。今週の風邪でもお世話になった。向こうも気づいたら挨拶しようと思ったが、気付かれなかった。先生は今日も診療だ。</p><p>そのまま、昨日のクリニックに到着。受付カウンターに用意されている番号札を診察券に付けて、受付の箱に入れる。36番だった。かつて、三男のイボの治療や、私のアテロームの治療で8時頃に順番取りに来たことがあったが、40番台から60番台のことが多かったので、今までで一番早い順番だ。</p><p>そのまま家に戻り、三男の自転車を出してやり、洗濯機を回しながら朝食にした。妻は、友達が迎えに来た三男を送り出して、再び寝た。</p><p>長男、次男も続々起きてきて、朝食を食べ、その後は部屋で思い思いに過ごしている。</p><p>洗濯物を干しながら、2回目の洗濯でおしゃれ着洗いをした。今月に入り、私の仕事の服装も、いわゆるクールビズになったので、シャツに加えてチノパンが洗濯物に入った。夏場は、おしゃれ着洗いとアイロンが増えるのだ。1回目の洗濯物を干し終わり、新聞など読んで、2回目の終わりを待つ。洗濯機が終了の電子音を鳴らす。ゆるく脱水されたおしゃれ着を干した。</p><p>その後、10時過ぎに家を出て皮膚科へ行った。受付に確認したら、一度、私の順番が来たとのことだった。昨日に引き続き、「夏帆」を読みながら待つことしばし。呼ばれて診察室へ入った。看護師から奥に案内された。長椅子に腰掛けて、手術痕を覆っているガーゼを外してもらった。近すぎて見えないので、鏡を使って傷口を見せてもらった。横にひと筋、しっかり縫い目が確認できた。看護師に傷口を消毒して、化膿止めを塗る手順を教わった。続いて医師が来て、生活上の注意と、来週早々に診せにくるように、と言った。これで、仕事を休まないといけなくなった。</p><p>診察室を出てからは、例のごとく会計も30分待ちでそれも終え、薬局で消毒液と化膿止めをもらった。いずれも待つ間は、「夏帆」を読んでいた。</p><p>帰宅後、妻が作ってくれた昼食を食べて、コーヒーを飲んでいたら、三男が試合から帰ってきた。結果は3-2で敗戦。奇しくも彼が今朝、応援していたカボベルデと同じだ。とは言え、三男のチームにはクラブチーム出身の経験者が多く、元々初心者だった彼は今日はスタメンにも入れてはいなかったのだけど。</p><p>一通りの三男の話を聞いてから昼食の片付けをして、歯を磨いた。</p><p>その後、妻と一緒に、ボックスティッシュのセールをしているスーパーと、激安の八百屋さんをハシゴした。</p><p>帰宅後、妻は再び食料品が安い店へ出かけた。私はその間、風呂を洗い、シャツなどをアイロンがけして、洗濯物を畳んだ。</p><p>そして、入浴前、せっかくなので手術痕を撮影。</p><p></p><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260704/19/yy4122/a8/48/j/o1080081015799310243.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260704/19/yy4122/a8/48/j/o1080081015799310243.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div><br></div><p>画像で改めて手術痕を見た。古い話だが、縫い目が出来て呪術廻戦の羂索（偽夏油）の額のようになった。幸い、今のところ痛みはなく、むしろ少し痒い。</p><p></p><p>風呂では、局所をゴシゴシ洗わないように注意した。入浴後は午前中に教わった通り、コットンに消毒液を染ませて傷口を拭き、化膿止めを、容器から綿棒で取って塗った。その上からガーゼ付きのテープで覆った。</p><p>現状、まだ手術後1日目だが、順調と言って良いだろう。早く治るように養生しようと思う。</p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/yy4122/entry-12971650005.html</link>
<pubDate>Sat, 04 Jul 2026 09:56:32 +0900</pubDate>
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<title>ホクロ切除と「夏帆」</title>
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<![CDATA[ <p>7月3日(金)。早朝は雨、午前中のいつからか晴れたらしい。</p><p>今日は、先月に予定を入れた、左胸のホクロの切除の日だった。今朝は、４時過ぎに目覚めて、太宰治の「津軽通信」2周めを読みながら出勤した。校舎を開けて、視聴覚機材を各教室にセッティングした。いつもはもっと早くに若い先生がやってくれているが、今日は彼が休みなのだった。彼は休んだ方が良い。</p><p>午後半休を取得していたので、午前中の授業を終えて、早々に帰路についた。帰りの電車は座れた。また「津軽通信」を読みながら帰った。途中駅でたまたま、期末試験で早帰りの次男が乗ってきた。時間も車両も同じとは。そのまま一緒に帰宅。間を置かず妻も一緒に3人でお昼を食べに出かけた。食後、妻はそのまま買い物へ行った。私はコンビニコーヒー好きの次男にコーヒーを買ってあげて２人で帰った。私は今週はじめに引いた風邪の薬を飲むのもあったので、控えることにした。ホクロ切除に際して風邪薬は、やや懸念材料だった。抗生物質が処方されているのだが、今日のホクロ切除のあとも傷口の化膿止めで出されるだろうと思われた。抗生物質が重複するのは薬局で問題視されるはずだ。いちいち医師に相談するのは面倒くさいが、黙っていても薬局で指摘されるだろう。正直ベースで医師に相談しようと観念した。次男がコーヒーを飲んでいる間、新聞でも読もうとテーブルの上にある今朝の朝刊に目を向けた。一面の最下段、書籍の宣伝スペースに「帆」、「春樹」、「、本日発売」の文字が見えた。「まさか！」と四つ折りの朝刊を手に取る。「夏帆」、「村上春樹」、「最新長編小説、本日発売」とある。まったく知らなかった。ハルキストを名乗るのはおこがましく思える我が身なれど、村上春樹は36歳頃から読むようになった。ちょうど、待ち時間に読めるとばかりにタブレットにダウンロードした。本当は紙の本が欲しいのだけど。</p><p>その後、薬を飲んで歯を磨いて風呂に入るつもりだった。切除後の当日は入浴出来ないことを手術予約の際に言われていたので、妻が風呂を用意してくれていた。しかしその前に、今生の別れをするホクロを写真におさめた。後日、傷痕なども記録しようと思う。</p><p></p><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260703/18/yy4122/4e/36/j/o1080081015798984729.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260703/18/yy4122/4e/36/j/o1080081015798984729.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div><br></div><p>そんなことをしているうちに、買い物を終えた妻が戻ってきた。彼女と私の分のコーヒーを買ってきてくれた。歯磨き後だったが、有難くいただいた。</p><p>やがて、予約の時間が迫ってきた。家を出た。駅の向こう側だが、徒歩圏内だ。</p><p>クリニックに着いて、手術予約の旨を伝えて当時渡された紙を受付に出した。ソファは満席。立ち待ちの患者がいっぱいいた。私もその一人になった。皮膚科はいつも混んでいる。</p><p>村上春樹の新刊、「夏帆」を読み始めた。太宰2周めはしばらくお休みだ。複数作品を同時進行する器用さが私にはないのだ。「夏帆」は主人公の女性の名前だった。思ったのは「色彩を持たない田崎つくる～」同様、人物名がタイトルに入っているなぁ、というだけのことだが、ダイレクトに名前だけがタイトルになっている、というのに村上作品の読書歴が浅い私は、珍しい印象を受けた（もしかしたら、過去作にもあった？それがわからないからハルキストは自認も自称もしない）。読み始めたばかりで、つかめないのと、万一、これを読まれた方にネタバレもよくないので、ストーリーには触れないが、相変わらず、読ませる文章だ。読んでいて心地よい。リズムや語感が良い。心地よいのは太宰もだが、また違った趣がある。</p><p>ただ感じたのは今作には、今のところだが、文章の終わりに「まるで～みたいに。」が多用されているように思われた。 近年、村上春樹ファンがネット界隈で、村上春樹っぽい書きぶりをネタに文章を書いているのが見受けられるが、この「まるで～みたいに。」で結ぶ文体が選好されているようだと感じている。まさか、本家がファンのムーブメントに影響されるわけはないと思うが・・・。まぁ思い過ごしだろう。</p><p>さて、そんな読書に没入しながらも予約時間を過ぎても診察室に呼ばれないのは気になった。だが、当然のように、しばらく待てば呼ばれるのである。名前を呼ばれ、診察室へ。</p><p>すぐに診察台に通された。前開きの服を着てくるように指示されていたが、結局、上を全部脱ぐことに。前開き意味なし。看護師に指示されるまま、診察台に仰向けになった。背中にひんやりと診察台のカバーの温度を感じた。何だかお腹が痛くなりそうな、便意にも似た感覚がした。風邪薬で出された抗生物質の副作用でこのところ、お腹がゆるめなのだ。手術自体はあまり緊張はしてなかったが、そっちで緊張した。いい年をして、うっかり粗相などはシャレにならない。</p><p>私のいるところと診察室の間にある仕切りの反対側から医師が一旦、別の患者の診察を終えるようなやり取りが聞こえた。ほどなくして、医師がこちらへ来た。一通りの手術の説明後、麻酔を打たれた。局所麻酔だから意識はハッキリしている。そして、すぐに切除がはじまった。左胸の上の方なので、切除の様子が全然見えない。なんなら、手術の邪魔だから、顔を反対側に向けているように指示されてしまった。なかなかないことなので、見てみたかったが・・・。途中、血管が切れたようで、血が霧のように吹き出るのは見られた。私の頬とマスクに飛沫が飛んだ。手術中、痛みは全くなかった。かつては、歯科の治療などでも、麻酔をしても痛くて、麻酔など気休めでしかないと思っていたが、最近は歯科でも医科でも麻酔は完全に痛みを取り除いてくれる。技術の進歩は素晴らしい。</p><p>お蔭で、手術はすんなり終わって、例の風邪薬の話を医師にした。抗生物質のみ、こちらで処方したものに切りかえれば良いとの指示だった。その後、看護師が私の顔を拭いて、マスクを取り替えてくれた。最後に、取り除いたホクロを看護師が見せてくれた。今思えば、写真を撮らせてもらえばよかった。これは、生検に回されて、後日、悪性か良性かがはっきりする。</p><p>診察室を出て、会計を待つ。意外にもソファにスペースがあり、座れた。「夏帆」を読む。結構な時間待った。隣の男が、会計待ちが長いことを一人で愚痴っていた。まぁ、わかるよ。</p><p>診察後30分ほどして、会計が終わった。明日も傷痕の管理で来なければならない。少し気鬱だ。その後、薬局へ行き、薬を受け取ったが、案の定、抗生物質が風邪薬と重複することを指摘されたので、医師の指示をそのまま伝えた。</p><p>薬局を出て、帰路についたが、クリニックの前に医療証と処方せんが落ちていた。怪訝に思って拾ったら、すぐに私の後ろから若い女の子が、「すみません。」と声をかけてきた。落としたらしかったので、渡して帰った。帰り道、書店前を通ったら、透明な自動ドア越しに「夏帆」が平積みで置いてあるのが見えた。本当は紙が良いんだよなぁ、と心の中でつぶやいた。</p><p>さて、帰宅はしたものの、風呂には入ったし、夕食までは時間がある。アイロンする洗濯物もない。明日になれば子供たちの学校関係のものや、私のシャツが出てくるのだけれど。酒も運動も今日はダメときてる。</p><p>そんなわけで、これを書くことにしたのだった。今後も、傷痕のことなど、備忘のために記していきたい。</p><p><br></p><p></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/yy4122/entry-12971595832.html</link>
<pubDate>Fri, 03 Jul 2026 18:44:11 +0900</pubDate>
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<title>ある午後の悲劇と「テヘランの死神」～コガネムシが教えてくれたこと～</title>
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<![CDATA[ <p>6月30日（火）、曇り空の合間、薄日の差す天気。薄日でも、陽射しがあると結構暑く感じる。</p><p>今日は、日曜日の休日出勤の振替休日だ。周囲からはワールドカップサッカーの日本VSブラジル観戦のために休んだと思われそうで癪だが、私はサッカーのみならず、あらゆるスポーツに興味がない。このところのNHKは朝からワールドカップの試合を放映している。朝は時計代わりにNHKをテレビでつけておくのだが、朝の５時から米津玄師の「烏」が流れ出すと、「もうだめだ。」となる。試合を放映するのは百歩譲って、構わない。どうせ弁当の準備やら出勤の支度やらで観てはいないのだから。しかし、時計表示がなくなるのは、いただけない。そのため、大会期間は仕方なく民法にチャンネルを変えている。しかし、これがまた喧しくていけない。情報番組とは言え、朝なのにテンションが高めに感じられる。女子アナたちがはしゃいでいる姿など、心底かなわくて、うんざりしてしまう。ともかく、全日本チームはブラジルに善戦したらしい。惜敗、と言っていいだろう。身を削って戦っているのは選手たちなので、敗戦をとやかく言うことはない。興味はないが、称えたいとは思っている。</p><p>さて、昨夜は何だか具合が悪く、食欲もなかった。筋トレも、スクワットを１セットしたらイヤになって止めてしまった。夕食を軽く食べて、さっさと眠った。妻が喉がイガイガする、というのでうつったのかもしれない。</p><p>今朝は９時ごろに起きた。喉がイガイガした。すでに子供たちを送り出して洗濯物を干してくれていた妻に、今日の予定を確認した。昼前に出かける予定があったので、予約を入れてすぐに受診することにした。</p><p>妻は現在、更年期障害の投薬をしているのだが、もともと薬を飲むのは好まないタチなので、風邪くらいでは医者にはいかない。それにしても、（昔からそうなのかもしれないが）今の更年期障害の薬は便利で、皮膚に貼るパッチで女性ホルモンの補充が出来るようになっている。あとは漢方薬の加味逍遥散（かみしょうようさん）だ。これには芍薬（シャクヤク）、牡丹皮（ボタンピ）という生薬が含まれている。ちなみに、更年期障害には他に知柏地黄丸（ちばくじおうがん）があり、知母（チモ）という百合科の植物が生薬として用いられている。これに付随して、女性を形容する「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という古い文句があり、これらは全て女性向けの処方に用いられる生薬なのだということだ。これはあくまで私が若い頃に、漢方の先生から教わった話なので、今やルッキズムとかジェンダーに鑑みれば、使われない形容ではあろうけども。</p><p>ともあれ、私は喉のイガイガでかかりつけのクリニックを受診した。診断は風邪だ。薬を出してもらい、帰宅後すぐに朝の分を飲んだ。少しでも早く良くしたい。よく「風邪薬は症状をおさえるだけで治すわけではない。」と言われる。しかし、症状をおさえられていた方が、日々の暮らしは楽なのだ。</p><p>薬を飲んで、妻と買い物がてら昼食を食べに行った。暫く行っていなかった蕎麦屋へ行き、妻は満足したようだった。帰って、２人でコーヒーを飲んだ。しばらくして、妻が思い立ったらしく、２人で彼女の実家に行くことになった。お中元を渡すのに、今日が良いタイミングだったらしい。彼女の実家は比較的近いので電車でちょっと出かけて、お中元を渡し、義父と義姉にお線香を上げて帰ってきた。</p><p>そんな感じで、もう夕方だ。昨日は、その夕方より少し早い午後の出来事が、胸に残った。</p><p>昨日の午後の授業が終わったあとのこと。私は用事で校舎の外階段を移動していた。ふと、階段にコガネムシをみつけた。下にいるので、誰かに踏まれてもかわいそうだと思い、手に取った。その流れで童心に返って、しばらく手のひらで遊ばせた。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260630/15/yy4122/89/ba/j/o0768057815798020784.jpg"><img alt="" height="316" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260630/15/yy4122/89/ba/j/o0768057815798020784.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>ちなみに、カナブンと区別がつかない人がいるようだが、カナブンは少し角ばったフォルムで、樹液を餌にしている。コガネムシは丸い身体で、葉っぱを食べるので害虫にカテゴライズされているようだ。まあ、別に区別がつくからどうということでもないのだが。</p><p>しかし、さすがに葉っぱを食べるだけあって、手に載せていると指の皮をかじるようで、少し痛い。</p><p>「じゃあ、そろそろお別れ。」とばかりに宙へ放った。羽を広げて飛び去るコガネムシ。ふと視界の左からカラスが飛来した。そのまま「パクッ！」とコガネムシをくわえてしまった。カラスは素早く電線の、電柱に近いところに留まり、コガネムシを飲み込んでいるようだった。「ああ・・・。」と私は微かながら落胆した。コガネムシを「踏まれたら可哀そう。」と宙へ放った結果、カラスに食べられてしまったのだ。つくづく「烏」にやられている。</p><p>その時に、私の頭をよぎったのは、「テヘランの死神」だ。初出はどこかは、恥ずかしながら私は知らない。知ったのは、ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」でだ。戦時中、ナチスの収容所に収容された精神科医のフランクルの体験談が主な内容だ。そこに、人の営為のままならないことを示す寓話として語られていたのが「テヘランの死神」だ。</p><p>内容はおおむねこんな感じだ。「テヘランの死神」だから、舞台はイランだと思われる。ある日、屋敷の主人のもとに、使用人の若者が来て言う。「今朝市場で死神に会いました。死神に『お前は今日死ぬ』と言われました。ご主人、一番速い馬を貸してください。テヘランまで逃げればきっと私は助かります。」と。主人は若者に、持っている中で一番早い馬を貸して、逃がしてあげた。その後、時を置かず、主人はその市場へ行った。そこで若者に「予言」をした死神を見つけたので、主人は死神に抗議した。「死神よ、なぜうちの使用人を驚かせるようなことを言ったのだ？」これに対して死神は言った。「いやいや、驚いたのは私の方だ。今朝、彼がまだこんなところにいるからビックリしたのだ。彼とは今夜テヘランで会うことになっているのに。」</p><p>そうなのだ。若者は慌てず、テヘランへなど逃げなければ、おそらく死なずに済んだはずなのだ。逃れようと何かをすることで、かえって悪しき運命に導かれてしまうことの寓話なのだと思う。やや大げさかもしれないが、良かれと思って宙に放ったコガネムシはカラスに食べられたのだった。これも「テヘランの死神」だ。</p><p>だが、「このままではいけない。」という思いや、それを打開しようとする人間の意志は否定されるべきではない。例え運命にからめとられたとしても、自分の意志で行ったこと、その結果は受け止めはするが、自分がその結果を・その運命を受け入れられない限りは反抗し続けて良いと思う。かつて読んだアルベール・カミュの「シーシュポスの神話」で学んだことだ。小さなコガネムシだが、私に運命との向き合い方を思い出させてくれた一事だった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yy4122/entry-12971275750.html</link>
<pubDate>Tue, 30 Jun 2026 16:42:30 +0900</pubDate>
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<title>台風接近と「津軽通信」</title>
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<![CDATA[ <p>6月27日(土)。雨。今週はじめから取り沙汰されていた、台風7号、8号の接近が現実になった結果の空模様だ。8号はすでに去ったが、これから7号の影響でさらに雨足は強まりそうだ。</p><p>昨夜はそんな心配をしながら妻とお酒を飲んでいたら、突然の地震速報が鳴った。慌てて食器棚や本棚をおさえた。幸い居住地域では大きな揺れはなかったが、山梨県の富士五湖周辺が震源のようで現地は震度6弱という大きさだった。日中には千葉県を震源にした地震もあり、職場のエレベーターが止まったという思いをしたばかりだった。</p><p>ついその前日にも青森県と、そして南米ベネズエラで大きな地震があった。また先週の火曜日にも、茨城県を震源とする地震があった。最近の地震の多さには、不安を覚える。毎回あの地震速報の「音」にやられる。あの音を聞かされて揺れを体験する、というのを繰り返しているので、「パブロフの犬」のように音だけでも異常に緊張する。</p><p>そして今は、台風の通過をひたすら待っている。昨夜から雨戸は閉めたままなので、時間感覚が薄れているが、夕方４時過ぎだ。先ほど妻と買い物に行きがてら、コインランドリーで洗濯物を乾かしてきたところだ。</p><p>台風接近に伴い、長男の大学での実習は休講、次男の高校はオンライン授業、三男のサッカーの試合は延期となった。</p><p>そして今は特にこれと言ってすることもなく、ぼんやりと過ごしている。</p><p>先週の金曜日には桜桃忌に合わせて太宰治の墓参りをしてきたが、あの日の暑さやアクティブさが遠い昔のようだ。このところ、蒸し暑いが冷房や薄着は寒いし、着たら着たで暑い。近年まれに見る、梅雨らしい気象だ。好きではない天候だが、こういう風にアナログ的に夏に移行していけば良い。それが自然な季節の移ろいというものだ。身体にも優しいはずだ。最近はデジタル的に唐突な夏の到来が当たり前になっていたと思う。しかも早い時期に。</p><p>さて、太宰治である。彼のお墓がある東京三鷹の禅林寺には森鷗外も眠っている。その所縁を私は知らなかったが、墓参りのあと、<a href="https://musashino-bungakukan.jp/saijiki/post001/">むさし野文学館</a>というサイトでそれを知ることが出来た。</p><p></p><div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><div style="display:none">&nbsp;</div><a class="ogpCard_link" href="https://musashino-bungakukan.jp/saijiki/post001/" target="_blank" rel="noopener noreferrer" data-ogp-card-log="" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">鷗外と太宰も眠る 禅林寺 - 武蔵野歳時記</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">東京西郊の三鷹駅に降り立ち、南口の商店街を通り抜けたその先に、禅林寺という黄檗宗おうばくしゅうの寺院があります。徐おもむろに墓地に入り中心部まで進むと、向かって右手に明治を代表する文人森鷗外のお墓が、左手に昭和を代表する […]</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img class="ogpCard_icon" alt="リンク" loading="lazy" src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" width="20" height="20" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%"></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">musashino-bungakukan.jp</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img class="ogpCard_image" loading="lazy" src="https://musashino-bungakukan.jp/saijiki/wp-content/uploads/2022/12/img_ochibayuki.jpg" alt="" data-ogp-card-image="" width="120" height="120" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)"></span></a></article></div><p></p><p>それは、太宰の短編「花吹雪」にあると言うことを知れた。私の未読の作品だ。これを機に久しぶりに太宰治に触れてみようと思い立った。先週の土曜の夜、アルコールで覚束なくなった指先がスマホの決済ボタンをタップしていた。件の「花吹雪」を収載した短編集「津軽通信」をダウンロードした。本当なら文学作品は紙の本で読みたい。しかしながら、スペースの問題は如何ともしがたいのだった。だが、まぁ、私は「ダザイスト」を自称も自認もするほどの者ではない。若いときに太宰治の作品に心を焦がしたことがあるだけの人間だ。懐かしさと、かつての自分の太宰治への想いの「余熱」みたいなものを感じてみたいだけの人間なのだ。なんなら芸術領域の「ダダイスト」は聞いたことがあったが、「ダザイスト」という言い方は今回の墓参りに先立って色々調べていたところで初めて知ったほどだ。割と若い人たちの言い方なのだろうか？そこまで掘り下げて調べはしなかった。村上春樹の「ハルキスト」みたいなものか、くらいの認識だ。まぁ、それぞれが好きな仕方で太宰治を好きであれば良いし、好きな人が増えれば私も嬉しい。</p><p></p><p>さて、今週に入って通勤時に「津軽通信」を読み始めた。短編集なので、通勤中に読むのにはちょうど良い塩梅だ。太宰のお茶目な皮肉が効いた筆致が光る文章がいっぱいだ。記憶の中の太宰の作風と少しブレるような気もしている。受け手の私が変わったのか、太宰の時期的な変化なのかは判じかねるところだ。しかし半ば読み進めた程度だが、嫌いではない。思わず笑みがこぼれる書きぶりに引き込まれる読書体験だ。なかんずくは、ちょいちょい登場する黄村先生（おうそんせんせい）の、威厳がありそうでいて、どこか滑稽な人物描写だ。私でも太宰治の師匠に当たるのは井伏鱒二だということは知っている。その井伏鱒二が黄村先生のモデルらしいことは察しがついた。だが、作中で主人公は黄村先生に呆れたり、心の中でツッコミを入れたりという接し方で、それほど厳格な師弟関係という感じはしない。実際、太宰治は「富岳百景」の中で、登山途中の休憩の際に井伏鱒二が煙草を吸いながら放屁した、と書いている。師匠が放屁した話を書く弟子ってどうだろう、とは思うが、私小説とはそういうものなのかもしれない。後年何かで読んだが、井伏がこの「富岳百景」の放屁のくだりが気に入らず、太宰に抗議したそうだ。その時、太宰は「確かに（放屁）なさいました。３回なさいました。」と譲らなかった、というやり取りがあったらしいから、割と包み隠さず何でも書く人だったことがうかがえる。まぁ、そこも太宰の作品の魅力なのだろうけど、井伏鱒二には少し気の毒な気もする。</p><p>何はともあれ、実に30年ぶりくらいに太宰治に会えた感覚が嬉しい今日この頃だ。「津軽通信」のあとは、本棚に残っている「人間失格」も再読してみようと思うし、未読作品も探してみようとも思う。50歳を過ぎて、感じ方の違う自分を発見するのも、きっと楽しいだろう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yy4122/entry-12970969350.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Jun 2026 16:42:02 +0900</pubDate>
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<title>桜桃忌に禅林寺を訪ねた話</title>
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<![CDATA[ <p>6月19日(金)。ここ数日で一番晴れて暑い日となった。今日は太宰治の命日（正確には遺体が発見された日）、桜桃忌だ。10代の終わり頃から20代に太宰治を夢中で読んだ時期がある人間として、是非訪ねてみたかった禅林寺へ、桜桃忌の今日、行ってみた。</p><p>今日は、午後に授業が入っておらず、午後半休を取って出た。今まで、6月19日に授業がないタイミングがなかった。土日に被っても、家のことや、かつては臨床をしていた関係でなかなか行けなかったのだ。</p><p>少し前から、ネットで調べてみたが、当日の午後２時に法要が執り行われるとの情報が散見された。こちらは、どうあがいても間に合わないので、とにかく現地へ行き太宰治のお墓参りを出来れば良い、と心に決めて行った。これは、なんと言っても30年来の願いなのだ。太宰の作品はほとんど読んだが、20歳前後の頃、私は特に「斜陽」のヒロインの弟、直治に随分と感情移入していた思い出がある。当日はもう、書く文章が、どれも明らかに作中の直治の遺書のような書きぶりになっていたと記憶している。もちろん、似せた・寄せた「つもり」でしかなかったことは言うまでもない。オリジナルの、繊細で皮肉が効いていて、それでいて心を締めつけられるような筆致は、私のような凡百の太宰ファンでは遠く及ばないだろうことは明らかだ。</p><p></p><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260619/18/yy4122/18/db/j/o1080081315794507999.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260619/18/yy4122/18/db/j/o1080081315794507999.jpg" alt="" width="1080" height="813"></a><div><br></div><p>ともあれ、そんな思い出に浸りながら電車を乗り継いで、三鷹駅に到着した。不思議と、道中は音楽も聴かず、Kindleで本も読まなかった。普段行かない所だから、乗り過ごしがないように、というのではない。何となく、現地までの車内の音や窓からの風景も楽しみたいと思った。私の桜桃忌は、もう始まっていたのだろう。余すことなく楽しもうと思えた。こんな気持ちになったのは久しぶりだった。</p><p></p><p>事前にチェックしたGoogleマップによれば、三鷹駅南口から徒歩10分程度とのことだった。しかし、歩けども歩けども商店街が続いた。不安になり、Googleマップをチラチラ見ながら歩いた。幸い、ルートを間違えてはいなかった。おそらく、炎天下をスーツで歩いていたので、感覚的に時間と歩く距離が長く感じられたのだと思う。その商店街は、個人経営の家具店や果物屋、精肉店などがある、良い商店街だった。ダイソーや大戸屋、日高屋などのチェーン店もあったが、個人経営の古い商店が軒を連ねる商店街が残っている街には活力や活気がある、と言うのが私の持論だ。きっと三鷹も良い街なのだろう。</p><p>さて、しばらく歩くと、商店街が切れて、景色が変わった。三鷹のコミュニティセンターが目に入った。</p><p></p><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260619/18/yy4122/be/04/j/o1080081315794508001.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260619/18/yy4122/be/04/j/o1080081315794508001.jpg" alt="" width="1080" height="813"></a><div><br></div><p>晴れたのは良いが、暑すぎるので、ここで少し休ませてもらった。施設の表にも、暑さ対策の休憩に使って良い旨の掲示があった。トイレにも行って、アクエリアスを自販機で買って水分補給も出来た。コミュニティセンターを出たところで、禅林寺の帰りと思しき若者とすれ違った。なぜ、そうとわかったか？それは、彼が着ていた「人間失格」Tシャツゆえなのだ。昨年、私もネットで購入しており、本当は着てきたかったが、私のは長袖だし、何より職場から 直接来ているので、土台無理な望みだった。</p><p></p><p>何にせよ禅林寺は、もうすぐ近くだった。</p><p></p><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260619/18/yy4122/4e/b3/j/o1080081315794508002.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260619/18/yy4122/4e/b3/j/o1080081315794508002.jpg" alt="" width="1080" height="813"></a><div><br></div><p>そして、いよいよ禅林寺に到着した。割と新しめの門に迎えられた。つい、礼を忘れて入ってしまったので、急いで門の前まで戻って礼をして入り直した。</p><p></p><p><br></p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260619/18/yy4122/c7/99/j/o1080081315794508003.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260619/18/yy4122/c7/99/j/o1080081315794508003.jpg" alt="" width="1080" height="813"></a><div><br></div><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260619/18/yy4122/d3/85/j/o1080081315794508006.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260619/18/yy4122/d3/85/j/o1080081315794508006.jpg" alt="" width="1080" height="813"></a><div><br></div><p>入ってすぐ右には綺麗な枯山水があった。ちなみに、上の2点の写真は帰りに撮ったものだ。行きには気づけないくらい、変な緊張で視野が狭まっていた。</p><p></p><p></p><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260619/18/yy4122/0a/68/j/o1080081315794508007.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260619/18/yy4122/0a/68/j/o1080081315794508007.jpg" alt="" width="1080" height="813"></a><div><br></div>そして、禅林寺の入り口。脇にはトイレがあった。<p></p><p></p><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260619/18/yy4122/a6/af/j/o1080081315794508009.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260619/18/yy4122/a6/af/j/o1080081315794508009.jpg" alt="" width="1080" height="813"></a><div><br></div>敷地内に良い感じの 鹿威しがあった。<p></p><p>そして、墓地は、入り口から見て、敷地の左奥にある通路の先にあるらしかった。やや狭い通路を抜けると、墓地があった。案内板で太宰治だけではなく、森鷗外のお墓もあることを知った。恥ずかしながら、禅林寺＝太宰治だった。森鷗外には、医学史の授業で色々な話題を提供してもらって、お世話になっているのに申し訳ない思いだ。</p><p>法要はすでに終わったようだったが、墓参者は10人ほどいた。その人達が列をなしており、私はその最後尾に並んだ。やがて、すぐに私の後ろにも人が並んだ。この後もまだ人が来そうな気配だ。太宰の求心力のゆえだろう。</p><p>来ている人たちは、女性が圧倒的に多かった。それも結構若かった。一応、その中に若い男子もいたが、一緒にいる彼女に連れてこられた感がハンパなかった。来るときにすれ違った「人間失格」Tシャツのような、骨のある男子はいなかった。多くの墓参者は手を合わせては、鞄からさくらんぼを出して、墓前に供えていた。そして、写真を撮って帰って行く。職場から来ている私は手ぶらだったが、わずかばかりながら、同様の人がいたので、気にはならなかった。年を取って良くも悪くも図々しくなったこともあるかもしれない。また、お墓の脇の方に貼られていた「お供え物はお持ち帰りください。」の札に勇気をもらった。</p><p></p><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260619/18/yy4122/aa/00/j/o1080081315794508012.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260619/18/yy4122/aa/00/j/o1080081315794508012.jpg" alt="" width="1080" height="813"></a><div><br></div><p>私の番が来て撮らせてもらった写真。「太宰治」の墓碑銘にさくらんぼが詰められている。太宰の短編「桜桃」、そして「桜桃忌」にちなんでのことだ。初めて知ったが、太宰の本名は津島修治だが、津島家と並んで太宰治名義の墓石があるのは新鮮な驚きだった。</p><p></p><p>お参りの時に私は一礼して、</p><p>「やっと来られました。夢中で読んでました。」と心の中で話しかけて手を合わせた。上の写真はそのあとに撮らせてもらったものだ。墓石と、私の後ろに並んでいる人に礼をして太宰の墓石をあとにした。ちょっと進んですぐ左手に森鷗外の本名、「森林太郎」の墓碑銘が刻まれた墓石があった。来たときに、森鷗外のお墓参りもしようと思っていたが、場所がわからず不安だった。だが、太宰治のお墓参りのあとにハシゴしている墓参者がいたのですぐにわかった。そんな太宰の近所の森鷗外のお墓にも手を合わせた。</p><p></p><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260619/19/yy4122/d4/14/j/o1080081315794536137.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260619/19/yy4122/d4/14/j/o1080081315794536137.jpg" alt="" width="1080" height="813"></a><div><br></div><p></p><p>「授業で、話題にさせていただいています。ありがとうございます。」と心の中で告げた。</p><p>そのまま来た道を戻って三鷹駅へ。まだ午後3時台なのに何だか混んでる中央快速で三鷹をあとにした。</p><p>念願の桜桃忌に太宰のお墓参りが出来て嬉しい。自らに課されたミッションをクリア出来たような清々しい気分だ。今後も、自身の「やり残したこと」を思い出したら迷わずコンプリートしていきたいと思う。人生も後半戦、なるべく悔いは少ない方がいい。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/yy4122/entry-12970166432.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Jun 2026 18:00:06 +0900</pubDate>
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<title>体罰論とAI～ハルシネーションと民明書房～</title>
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<![CDATA[ <p>6月14日（日）。曇りがちで、時折太陽が顔を出す感じの天気だ。</p><p>昨夜は、少しお酒を飲んで、遅めに眠った。今朝は6時にトイレに起きた後、再び眠れて10時ごろに起きた。以前と比べてかなり眠れるようになった。この傾向が続いてくれるといい。</p><p>少し前のことだが、プロ野球の巨人軍の監督、阿部慎之助氏が長女に暴力を振るい、これに対する児相介入を経ての阿部氏の逮捕報道があった。この後、阿部氏は早々に監督を辞任した。世間からはそれを当然とする声と、彼を擁護する声が聞こえてくる。</p><p>この件に対して、体罰という、家庭内での暴力の是非についてと、児童相談所に通報することの是非、AIに相談するという行動について、世の中には様々な意見が飛び交っている。</p><p>まずは体罰について考えたい。以下はあくまで、体罰の是非について、であって、本件の関係者を批判するものではない（日記で断ることでもないだろうけど）。本件に付随して、体罰をめぐっては、往年の名選手による体罰容認論のような暴論もみられる。体罰を良しとする人たちの論理は、「体罰があった『から』（良くなった）今がある。」というものだ。そういう人たちは、体罰は必要なもので、体罰を受けた人間は、その経験から成長して、より良い未来を築くのだとして、それを正当化する。だが、現実は「体罰があった『けど』（良くなった）今がある。」のだと思う。体罰のあった過去と、満足できる現在は「順接」でなく「逆接」の接続詞でつながっている。私自身、いわゆる昭和の教育を受けた人間なので、家庭でも学校でも体罰を受けて育った人間だ。今となっては、正直、そういう過去は「どうでもいい」と思えている。忘れてしまったことも大半だ。しかし、体罰があったから、現在の私がとりあえず悪事も働かず、善良な市民になったとは考えていない。体罰なんて、ない方が良かったと思う。そして、後世の人たちには家庭であれ、学校であれ、体罰のない人生を歩んでほしいと願っている。私は体罰には反対の立場の人間だ。かく言う私だが、10代の頃までは体罰容認派だった。もちろん、当時は独身だから我が子に体罰とかはしていないが、いずれ親になったら、体罰有りのつもりでいた、ということだ。これは、おそらく私が、家庭、学校ともに体罰込みで育ったため、それ以外の方法を知らなかったためだと思う。また、体罰の「影響」をよくわかっていなかったのだとも思う。そんな私が、大学時代に教職課程を取り、母校の高校へ教育実習に行った。2週間の実習だ。指導教員は、私が高校生だった時に日本史を担当してくれた先生だった。ある日、私が実習授業を行なう教室へ、その先生と向かう途中のことだった。まだ、休み時間の終わり前くらいのタイミングだったので、廊下に生徒たちが出て喋っていた。不意に、その指導教員の先生が一人の男子生徒の頭を張ったのだ。理由は、ポロシャツの裾をズボンの外に出していたから、とのことだった。今は、どこもそんな決まりはないと思うが、学校の制服のシャツは基本タックインだったのだ。ましてや、それから外れたからと言って体罰を受けることは、現在はないだろう。確かに、その先生は私が現役の頃から体罰をする人ではあった（というか体罰をしない先生がいなかった）。だが、私が教育実習生という教師寄りの立場で、この光景を目にしたとき、ものすごく悲しかったし、ショックだった。教育実習生は物珍しさもあり、生徒たちは何かと声をかけてくれたし、拙い私の授業でも盛り上がってくれた。そんな日々の中で彼ら、彼女らに親しみを覚えていた。そういう存在が暴力に曝されることへの気分の悪さを強く感じた。暴力は人の尊厳を踏みにじるものだと思っている。親愛の情をもって交流していた子たちが暴力を振るわれるのを見るのは辛いし、止めることが出来なかったことにも申し訳ない思いだった。その彼にしたって、暴力を振るわれ、尊厳を踏みにじられる姿を人に見られたくはなかっただろう（だからと言って人目につかなければいいということでもない）。親と子、教師と生徒、師と弟子の信頼関係を、暴力は断ち切るものだと思う。また、当時私が感じたような、周囲の人たちへの心理的な悪影響も無視は出来ない。私は、子供の頃からの、体罰が「日常」だった時代を過ぎて、大学という、暴力からの「無菌室状態」を経験した。そして、教育実習生という立場で、再び体罰に触れたのだ。その時に「体罰」は「しつけ」でも「教育」でもないと心で理解したのだった。時は過ぎて、私にも子供が生まれた。ここまで、「絶対に叩かない」というポリシーは貫けた（はず？）。まぁ時に、押さえつけて動きを制したり、くすぐったりして、悪さをしないようにはしたが、暴力になるようなことはしていないはずだ（多分）。だからと言って、偉そうに誰か批判をするつもりは全くない。論じているのはあくまで体罰の是非だ。</p><p><span>私自身、親としてのここまでの来し方にも、これからにも何の自信も確信もない。ましてや、他人様にあれやこれや言える立場にもない。そしてむしろ、親として自信満々な人間がいるとしたら、その方が信用出来ないと感じてしまう。</span></p>ともかく、親をやっていれば、ついつい感情的になることもあるし、反省や後悔をすることもあると思う。とは言え、酒が入っていようといまいと、暴力はいけない、ということに変わりはない。阿部氏のことは家庭内のことだから、と言う人がいるが、これが二人は他人同士で、駅の構内ならどうか？酔っ払いによる明らかな暴力になることは明白だ。加害者と被害者の関係性や、場所は関係ないのだ。だから、これはれっきとした暴行事案であり、阿部氏の長女が児相に通報したのは然るべき対応だったと思う。<p></p><p>そして、これに付随してもう一つ。「この事件で阿部氏が職を追われた、野球を奪われた（だから立場を回復させろ）。」という論調についてだ。基本的なことだが、暴力に限らず加害者になること、というのは「そういうもの」だ。暴力も痴漢も猥褻も賄賂も汚職も、加害者の地位、名誉、職、ときには財産をも失わしめるものだ。どこかのサラリーマンが駅員に暴行を働いて、会社をクビになったからと言って、世の人々が「復職させてやれよ！」なんてムーブメントは起こるわけがないのと同じだ。有名人だから、功績があるから、で許されていいことではないのだ。</p><p>次に、AIに相談するということについて考えたい。現在はAIに答えを求めるのは当たり前のことになっているし、私も批判をするつもりはない。ただ、ネット記事で言われていて、私が印象に残ったのは、これが「大人がAIに敗北したこと」だとする論だ。長女が父に暴力を振るわれた。では母に相談するか？誰か頼れる大人に相談するか？という状況で、彼女はAIに相談した。大人よりAIを頼ったとする意見だ。確かにその通りだが、彼女にしても、友人に相談するという選択肢はなかったのか？という疑問も出てくる。これは決して、長女の人間関係が希薄だとか言うのではない。この件に限らず今の時代、家庭のトラブルや悩みを相談できるほどの人間関係が、もはや築きにくくなっているのではないだろうか。今は、何が何でもリアルに人間と顔を突き合わせてコミュニケーションを取らねばならない世の中ではなくなった。むしろ、どんな恥ずかしい悩みでも、とりあえず受け止めて、反応してくれるAIが手の平にある。加えてAIは何かのはずみでそれを他者に漏らす心配もない（悪意のハッカーがいれば別だが、個人の恥ずかしい悩みを知りたいためになどスキルは使わないだろう）。おそらく、今の若者にとって、AIは一番身近に存在していて、第一選択で相談する相手なのだ。だから、見え方として、「人間よりAIが頼りにされた」ように感じるが、現代人には、きっと人間に相談することはハードルが高いのだと思う。そのため、アクセスのハードルが低いところから相談していくのではないだろうか。そうすると逆に、それでも解決が難しい時には「誰か」に相談をするはずだ。</p><p>そのように考えると、周囲の若者たちが、たとえAIを第一の相談相手とするとしても、どこかでこちらにアクセスしてくることがあるかもしれない。年配者としては普段から、「相談して大丈夫だよ。」という安心感を周囲に与えられるように振る舞うことが求められるだろう。そしてこれはAIには出来ないことなのだ（・・・と思う）。</p><p>それにしても、AIが花盛りである。最近ではアンソロピックの「クロード・ミュトス5」などの提供が全面停止された。安全保障上の危険があるためではないか、と報道されている。「そんな危ないものを作るなよ。」と思うが、シリコンバレーのマッド・サイエンティストいや、マッド・エンジニアたちの好奇心が止まらないのだろう。</p><p>私自身は、未だにAIを使わずにいる。あまり必要を感じない。授業の資料も様々な文章も、「ああでもない。こうでもない。」と図案や言葉などを考える作業が好きなのだ。そんな創作の「一番おいしい部分」をAIに任せるなんてもったいない、と思ってしまうのだ。</p><p>また、ついこの前、「ハルシネーション」なる言葉を知った。AIがウェブ上の誤情報を、「回答」として利用者に伝えてしまう、というものだ。事実、最近の私の職場の学校説明会に来校される方たちに散見される事象がある。それは当校に「存在しないコース」を希望して来校される方が一定数いる、ということである。聞けば「御校にそのコースがある、とAIに言われた」そうだ。AIを使いこなすためには、そう言う特性を理解することも必要なのだろう。</p><p>そんなエピソードを受けて、「ハルシネーション」を調べたら、AIに書かせた論文の「引用文献」に「存在しない書籍」が記載される事例があるそうな。私は恐ろしさを感じるより先に、「あること」を懐かしく思い出した。それは「民明書房」である。</p><p>「民明書房」は1980年代、ジャンプ黄金期に小学時代を過ごした、元少年たちにはおなじみのものだ。それは、宮下あきら先生の名作「魁！男塾」に登場する「存在しない出版社」だ。「男塾」も当時のジャンプ掲載作品の例にもれず、「バトル路線」になっていった。敵味方問わず、拳法や格闘術の使い手が登場する。その時に、登場人物の一人、雷電（すごい名前だ！）が「ぬうっ！あれはまさしく○○（技名・もしくは拳法の名称）！」と驚嘆し、すかさず誰かしらが「知っているのか！？雷電！」と返す。次のコマで、その技や拳法の説明がなされる。そして出典が「民明書房」の書籍、というわけだ。私は中学生までこれが実在すると信じていて、本屋に行くたびに探した記憶がある。サンタクロースを信じる子どもみたいなものだ。</p><p>やがて時代は令和。AIなどという、最先端技術に生み出された奇妙奇天烈な最新便利ツールが登場した。だが、ウェブ上の玉石混交の情報を統合して提供するという性質上、「嘘」や「間違い」が混じってしまうということなのだろう。結構、自分には遠い存在と思っていたAIだが、「民明書房」を信じていた中学時代の私と同じような間違いをすることに、かえって親近感を覚える今日この頃だ。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/yy4122/entry-12969646283.html</link>
<pubDate>Sun, 14 Jun 2026 16:35:48 +0900</pubDate>
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<title>今週の出来事～ホクロ切除予約と半日断食（？）の効果～</title>
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<![CDATA[ <p>6月13日(土)晴れ。今朝は4時頃にトイレに起きて、ゴロゴロしているうちに、また眠れた。その後、7時に起きて洗濯機を回しながら朝食を食べた。かかりつけの眼科の診察のためにその後、出かけた。開院前に行くと、せいぜい前に3～4人程度しかいないので、ほとんど待たずに受診できるのだ。</p><p>・・・なんて思って行ったが、開院前の入り口には溢れんばかりの人の列が。</p><p>「ミスドのもっちゅりんか！？」</p><p>くらいに並んでいた。開院後、少し遅い時間になると、待合室は混み合うことがあるが、開院前にこんなに人が並んでいるのは初めて見た。長らく待つことを覚悟して、最後尾に並んだ。やがて、入り口のシャッターが上がり、2階の院へつながるエレベーターが、列の人たちをピストン輸送で上げていく。3回くらい待って、私もエレベーターに乗った。マイナ保険証で顔認証して、臨時的に用意された椅子に座った。ソファは満員だった。受付から30分後くらいに眼圧検査や視力検査を受けたが、最終的に診察を受けたのは到着から1時間半後くらいだった。それは別によいのだが、長時間座るのはお尻が痛くなるのだ。なので、後半は立って待った。高齢者もいたので、座りたい人が座ればいい。そして今日は子ども連れが目立ったので、おそらく最近、近隣の小中学校で眼科検診があったのかもしれない。ここの院長は先代から、うちの子供の中学校の学校眼科医もされている熱心な先生なのだ。他校でも学校医を引き受けているのかもしれない。当たり前だが、子ども連れは、付き添いの保護者と子供本人の最低2名いることになる。待合室も満杯になるというものだ。別に不満な訳ではない。そんなことを推測してみた、ということだ。</p><p>薬局での薬の受け取りまで、2時間弱を要したが、無事ミッションはクリアした。この後、しばらく土曜日に仕事やら予定やらがあり、来られそうにないので、薬をもらっておきたかったのだ。</p><p>さて、今週の出来事で書き残すこととしては、火曜日に有休を取ったことがある。何やら身体がしんどいのだった。いや、心身ともに辛いのだった。少し前に、この日に予定していた会議が流れたので、「これは神の啓示」とばかりに、有休取得を申請した。とにかく休もうと思った。前の土日もよく眠った、というより「起きたくない」のだった。何もしたくなくなって、意欲も活力も枯渇したと感じていた。</p><p>そんな9日(火)は、時折雨が降る、すっきりしない天気。未明の2時半と5時半にトイレに起きて、再び9時頃にトイレに起きたが、また布団に潜り込んだ。前夜は11時前には就寝したものの、この段階で、まだ起きたくなかった。</p><p>結局、昼の12時に眼が覚めた。昔なら「いいとも！」の放映時間だ。このところの不調も、そんな理由で休むことも、妻には伝えていたので、「眠れたならよかった。」と言ってくれた。妻が外食したいというので、近くに昼を食べに出かけた。</p><p>午後は、妻とコーヒーを飲みながら話をした。ふと、皮膚科に行ってみようと思って、妻にそう言った。左の胸、鎖骨のすぐ下くらいにでっかいホクロがあるのだ。いつからあったのか思い出せないくらい前からあるものだ。10年近く前の当時、前に比べて少し大きくなったので、行きつけの内科に併設している皮膚科で診てもらい、窒素で焼いたことがあった。</p><p>それが、最近、輪をかけて大きくなり、妻にも心配されていた。それは時折、痒みも感じさせた。春先は特に痒くて、その時も皮膚科の受診を考えたが、混雑がイヤで二の足を踏んでいた。そうこうするうちに痒みは落ち着いたので、そのままにしていた。昨年春にも皮膚が痒くなって、「花粉症の皮膚症状」と皮膚科で診断・投薬を受けてはいたが、今年は我慢で乗り切った恰好だ。痒みはともかく、ホクロそのものの正邪を見極めないといけない。皮膚がんだったりすると、放置は危険だ。</p><p>・・・ということで、コーヒーを飲み終えて、午後の診察に向けて診察券を出しに行った。23番目の順番を取って一時帰宅した。</p><p>準備をして、改めて院へ行った。平日にも関わらず、なかなかの混雑だった。しばらくして呼ばれて診察室へ。</p><p>看護師に来意を聞かれたので、ホクロのことと、ついでに、ここ数年見られる首の数カ所にあるイボのことを伝えた。その後、診察室内のソファでしばらくの間、待った。医師が顔を出して、手に持った特殊な診察器具を通して胸のホクロと首のイボを診た。</p><p>曰く、首のイボは「軟性線維腫」という老人性の良性のものだとのこと。希望すれば手術で取れるとのことだ。窒素で焼けるかと思ったが、そうではないらしかった。そして、「老人性」。そう言う年になってきたのだ。遺伝的な要素もあるらしく、両親の、どちらかにないか医師に聞かれたが、わからない、と答えた。</p><p>肝心のホクロは、見る限り悪性の可能性は低いが、完全に良性であると言い切るには「生検」と言って、組織を取って検査しないとわからないという。良性のホクロは「色素性母斑」と言って、それでも時間とともにサイズも大きくなっていくとのこと。5年後には倍くらいになる速度ということだった。今が、見た感じで直径1cm近くある。そして5mmほど出っ張ってもいる。5年後に直径2cmは、ちょっと気になる大きさだ。結局、生検と切除を同時にするのが早い、ということになった。それはそうだ。ホクロの一部を取って生検後に改めて取るなら、はじめから全部取った方が話が早い。首のイボも 胸のホクロも、医師には「急ぐことはないから、その気になったら後日予約を入れて。」と言われた。が、混んだところを待って、わざわざ来たので、ここで予約を入れることにした。医学的にはホクロを先にやった方がよいとのことで、来月早々にそれの手術が決まった。首のイボは後で考えれば良い。感染性ではないので、ひとまずは放っておいても良い。</p><p>さて、ホクロ切除は大した手術ではないが、その日は入浴できないの、翌日には診せに来いのと言われた。少々面倒くさいが、すっきり取れれば良いし、これも経験と割り切ることにした。これでホクロとは来月はじめまでのお付き合いとなる。</p><p>その翌日、10日(水)は、学校説明会で夜まで勤務した。夜の説明会前に軽く夕食を食べて、歯を磨いた。その後は説明会を滞りなく終えて、校舎を閉めて帰宅した。夜の勤務後は、夕食から時間も経って小腹が空くのでついつい、何かをつまみながらお酒を飲んでしまうのが常だった。が、この日は、空腹感もあまりなく、お酒を飲みたいとも思えなかった。本当に不調なのだ、などと考えながら、入浴後、床に入った。</p><p>途中覚醒は全くなく、翌朝眼が覚めた。何だかすっきりしていた。起き抜けから空腹感もあった。心身ともに何か落ち着いた感覚があった。心なしか仕事にも打ち込めた感じがあった。</p><p>夕方以降に何も食べずに眠るというのは、心身に良い影響がありそうだ。この日の朝食は、出勤後の7時半頃だったから12時間以上、食事を抜いたことになる。半日断食なんてものがあるのか知らないが、そう言えなくもない。また、その夜のお酒は久しぶりに美味しく飲めたとも思えた。今週は木、金と、最近にしては仕事を含め、生き生きと生活出来たように思う。</p><p>たまに半日くらい食事を抜いて眠る日をもうけるのも良いのかも知れないと思えた体験だった。今後も夜間勤務の日には、夜食と飲酒を控えて検証してみたい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/yy4122/entry-12969522896.html</link>
<pubDate>Sat, 13 Jun 2026 13:16:34 +0900</pubDate>
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<title>あれから～体育祭とデンジとシーシュポス～</title>
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<![CDATA[ <p>6月6日（土）。昔のドラえもんの絵描き歌に出てきた日付だ。確かドラえもんの両手が描かれるくだりだったはずだ。</p><p>今日は、曇り時々晴れのような天気だ。本当に久しぶりに昼過ぎまで寝てしまった。眠れた。昨夜は、夕方から恐ろしい眠気があったので、夕食をキャンセルしてさっさと寝るつもりだった。しかし、妻と酒を飲んでしまった。色々話も弾んで、寝たのは夜11時ごろだった。未明の2時半ごろにトイレに起きて、また眠った。次男と三男は土曜授業だったので、朝起きていく気配は感じた。しかし、本当に何年振りかで泥のように眠った。いつもなら身体が痛くなったり、どうにも目が冴えて起きてしまったはずだが・・・。年齢によって身体がまた変わる時期なのかもしれない。土曜授業の三男は、午後には部活のサッカーの試合に行くことになっていた。妻はママ友とそれを見にランチも兼ねて出かけている。家に残っていた長男と昼ご飯を食べて、一息ついているところだ。まあ、さっき起きたばかりで一息もなにもないのだが。</p><p>気づけば暦が変わって6月だ。先月下旬に、義姉の葬儀に参列してから2週間が経とうとしている。先週の土曜日、5月30日は子供たちの運動会があった。それも次男の高校と三男の中学の体育祭・運動会が被ってしまったのだ。なんなら小学校も被ったので、知り合いのちびっ子の活躍も見に行けない状況になった。私が次男の高校、妻が三男の中学へ行くことになった。そこに、長男が気まぐれに小学校へ知り合いのちびっ子を観に行くことになった。</p><p>当日の朝は6時に起きて、身支度をして出かけた。高校の最寄り駅までは、電車で1時間ほど、その後、徒歩でまあまあ歩くのだ。</p><p>有難いのか生憎なのか、天気はものすごく良かった。気温も30度を超える予報だった。高校の校庭には初めて入るので、日影があるのかないのかもわからず、不安を感じながら駅からの道を歩いた。到着時には、応援合戦が始まっていた。私自身は、幼稚園からずっと学校生活というものに良い思い出はないので、自分の子供の出番だけ観ればそれで良い派だ。果たしてそんな派閥があるとも思えないが。さて、次男が出る競技は午前、午後2種目ずつ。職場でホコリをかぶっていた私物のハンディムービーを持ってきた。彼の競技の際にはズームにして本人を探した。液晶が好天に照らされてものすごく見づらい。加えて老眼が、撮影の難度を数段階引き上げる。何とか撮影はできた。次男の姿を捉えることができた。出番を終えたら後ろに下がって、「おっさんの癖に。」と思われることも厭わず日傘を差して次の出番を待った。近年の太陽は凶暴だ。強い紫外線は視力も奪う。奈良時代に来日した唐の大和上、鑑真がよい例だ。しかし、一日中立ちっぱなしもきついので、休めるところを探して敷地内を見て回った。体育館と校舎をつなぐ部分に日影と、腰かけやすい段差とか階段とかがあった。ほかの保護者もそこに座っておしゃべりなどしている。私も空いているところに腰をかけて、タブレットで「ゴールデンカムイ」を読みながら、息子の次の出番を待った。</p><p>それにしても高校の体育祭、今時は保護者が多く観に来るものなのだと驚く。子供たちも自分の親を見つけては、友達との写真を撮ってもらうなどしている。私の頃にはあり得ない光景だ。私の時代は誰もが基本、親には「来なくていい。」だったし、学校で会っても恥ずかしいので絡みたくはなかった。中学校の時など、喧嘩が強くて手のつけようのないヤンキーが廊下で、授業参観に来た母親に「○○（名前）ちゃ～ん」などと呼びかけられ「うるせーな！」と照れていた姿を目撃したものだ。家での溺愛ぶりを垣間見た瞬間でもあった。今の子供たちには「そういう時期」はないのだろうか？などと思っていたら、体育館内にあるトイレに来た次男に会った。普通に話しかけられて、やりとりをした。時代とともに親子の在り方も変わっているのだろう。ちなみに長男の高校は体育祭が平日だったため、私は一度も観には行っていない。妻も仕事をしていたので行っていなかったが、昨年最後の年は、仕事を辞めた妻が観に行った。</p><p>その後、次男の出番に撮影、日影に戻って「ゴールデンカムイ」のサイクルで動いた。昼休みには、外に出て、駅近くの商店街のラーメン屋で食事をした。このご時世に、商店街が元気な良い街だ。</p><p>午後も、同様に撮影と「ゴールデンカムイ」に取り組んだ。全競技を終えて、高校をあとにした。</p><p>翌日5月31日（日）は休日出勤だった。午後の早い時間には終わって帰宅した。家では、三男と妻がトラブっていて、妻と色々話し合った。緊張をほぐすのも大事なので、マッサージをした。だが、やはり、更年期の影響もあるだろう、ということにもなり、近日中に受診することを決めた。性ホルモンが低下すると、もはや精神論では追い付かない無力感とか、制御困難な感情とかが出てくるようだ。私自身は鬱的な傾向と怒りが強かった記憶がある。ともかく「一緒に生きていこう。」ということを妻には伝えた。</p><p>6月1日（月）からの一週間は火曜日の休日出勤の振り替え休日以外は当然だが、仕事をした。火曜日の休みには妻の希望で食事に出かけ、カラオケにも行った。満足したようで良かった。</p><p>翌日3日（水）は台風6号の接近があり、子供たちの大学、高校、中学は休校。私の職場も休校だったが、職員は出勤だった。思いのほか台風の影響は少なく、電車が空いているのと雨が強い以外はいつも通りで、通勤・就業できた。休校にしなくても良かったが、それは結果論だ。</p><p>6月4日（木）の朝には「チェンソーマン」の24巻が配信になった。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260606/15/yy4122/ad/f5/p/o0878128615790082999.png"><img alt="" height="615" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260606/15/yy4122/ad/f5/p/o0878128615790082999.png" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>今年の3月だったかに、連載が最終回を迎え、賛否が渦巻いていたと思う。私は単行本派（この派閥はある・・はずだ）なので、ネタバレされないようにそれらの批評は目にしないように努めた。それがいよいよ、最終巻、24巻という形で目にする日を迎えたのだった。通勤時の車内で読んだ。</p><p>結論から言うと、「ハッとした。」のだった。私にとっては、納得の行く最後だった。この作品は、主人公のデンジが、病に侵されながら、悪魔が暗躍する世界で奮闘（？）する場面から始まる。貧困な中で、ヤクザの手先になって悪魔を退治する生活を送っていたデンジ。ある日、デンジはチェンソーの悪魔で、犬のような外見をした相棒、ポチタとともにそのヤクザに殺されてしまう。その時に、デンジはポチタの心臓をもらって生き返り、チェンソーマンに変身できるようになった。さらにポチタの心臓のお蔭で病気も治り、金に換えて失った眼なども元通りになった。間もなく彼は公安に拾われ、デビルハンターとして人並みの生活を送れるようになる。物語の第一部は、「銃の悪魔」を倒すという目的を軸に進むが、最終的にはその裏でデンジの心臓（＝ポチタ＝チェンソーマン）を狙う「支配の悪魔」との戦いになってゆく。その後の第2部は、もう一人の主人公の女性、アサが「戦争の悪魔」（＝ヨル）と自身の身体の主導権を争いながら、デンジと関わっていく物語だ。1999年の「ノストラダムスの大予言」をモチーフにした「世界の終わり」を招く「死の悪魔」、「飢餓の悪魔」、そして「戦争の悪魔」の思惑が錯綜する。物語の舞台は、現実世界ではない。まだ「ソ連」があり、それでいて「ノストラダムス」が話題になる1999年の時代背景だし、町並みはどこか香港の「九龍城」を思わせる。そんな中、デンジはモテたいがために、ヒーローとしてあがめられているチェンソーマンの正体が自分なのだとバラしたくて仕方がない。様々な思惑が交わる中、アメリカの核開発によって人々が戦争の恐怖を思い出す。人々の恐怖が悪魔の力になるこの世界で、それによって力を増した「戦争の悪魔」の手で世界は終末的な様相を呈していく。最後はチェンソーマンVS戦争の悪魔だ。その途上、「死の悪魔」をチェンソーマンが食べてしまう。「チェンソーマンが食べたものは、この世から消滅する」という設定によって、世界から「死」がなくなったのだ。これによって、人はバラバラになっても燃えても死ななくなってしまう（でも、元通りに再生するわけではない）。まさにこの世の地獄のような状況だ。「どう収拾つけるんだ～？」と不安になる展開だ。それでも「戦争の悪魔」と決着をつけて、デンジはアサとエッチをする約束を取り付け、狂喜する（ずっと女の子とエッチがしたい子なのだ）が、悪魔に襲われる。</p><p>最終的には、悪魔に食べられてしまったデンジが、精神世界（黄泉の国？夢の中？）でポチタと再会して話をする。デンジは「もう少しでエッチできたのに。」と悔やむが、ポチタは言う。「出来なくてよかったんだよ」と。これまでも「パンにジャムを塗って食べたい。」から始まった普通の生活だが、ポチタは、デンジがそれでも「どこか幸せじゃなかったよね」と語りかける。「デンジは飢えて苦しんで悪魔と戦ってボロ小屋で腐ったパンを食べているほうがずっと幸せだった」「デンジはね」「地獄の中じゃなきゃ天国を見つけられない・・・・・最悪だけど最高な脳みそを持っていたんだよ」とデンジに言うのだ。そして、チェンソーマンの姿でデンジを抱きしめる。</p><p>これが、ものすごく哲学的で、究極的な幸福論だと感じられた。以前読んだアルベール・カミュの「シーシュポスの神話」を想起させた。神への罪で、急斜面を、大岩を押して頂上へ転がして運ぶ罰を受けたシーシュポス。頂上へ運び終えたのも束の間、大岩は再び頂上から麓まで転がり落ちてゆく。大岩を追いかけて斜面を降りるシーシュポス。再び大岩を運び上げる。このサイクルを永遠に続けるのだが、カミュによれば、大岩を追って斜面を降りてゆく僅かな休息の時、シーシュポスは自らの運命に勝利している、というのだ。ポチタのいうデンジの「幸せ」はこの「シーシュポスの神話」における「運命への勝利」に通じるものがあると私には考えられた。デンジが感じるのは病魔に侵され、貧困に苦しみながら悪魔退治で小金を稼いで、パンをかじる時に感じるひとときの幸福。そして夜、眠っている時に見る夢に慰められる。そんな幸せなのだと思う。これが「地獄の中で天国を見つける」ことなのだ。本作のアニメの第1期の主題歌、米津玄師の「KICK　BACK」にも「いつかみた地獄もいいところ」という歌詞があったが、これにも通じるように感じられた。デンジに限らず、人生は困難の連続だが、その中で幸せを見つけ、感じることは生きる上で大切な能力だと思う。その能力は「最高な脳みそ」によってもたらさせるのだ。</p><p>さて、話を終えたポチタはチェンソーマンの姿で、自らの心臓を食べる。この世界から「チェンソーマンの存在が消える」というわけだ。ここまでは、「貧困から抜け出して楽しいことを経験するデンジの夢をポチタも一緒に見る」という「デンジとポチタの夢の話」だったが、それはここで終わる。ポチタは去り際、「デンジはもっともっと夢を見続けて」と告げる。</p><p>その後、場面が変わり、世界がチェンソーマンのいない世界に再構築され、病気を抱えたデンジは物語の冒頭と同じくボロ小屋で血を吐いている。換金して失われた眼もそのままだ。形は違えどデンジの、デビルハンターとしての生活が始まる様子が描かれて、物語は幕を下ろす。私は、この終わり方は好きだと思った。</p><p>様々な意見があって良いが、私は良い読後感を持ってタブレットを閉じることが出来た。家のスペースの問題がなければ紙の本が良い派（この派閥はある。絶対に！）なのだが。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/yy4122/entry-12968651469.html</link>
<pubDate>Sat, 06 Jun 2026 16:42:32 +0900</pubDate>
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<title>身近な故人の教え～「生きる意志」を周囲に伝えることの大切さ～</title>
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<![CDATA[ <p>5月23日（土）。どんより曇って寒い日だ。一昨日あたりから雨が降って、気温がぐっと下がった。衣替えも終わっているので、えらく寒く感じる。職場にいると、それほど気温の変化も感じないが、家にいるとテキメンに寒さを感じる。そして、もうだいぶ前に沖縄で梅雨入りの声が聞こえたが、これからの季節はあまり得意ではない。</p><p>最近、何の加減か、以前のように早朝に目が覚めたり、休日にも朝から起きて動いたりすることが出来なくなってきた。夜の９時台～10時頃に就寝しても、目覚ましをかけないと翌朝9時くらいまで寝てしまう。加えて、先週の水曜辺りから右足の親指の関節が痛い。腫れてもいないのに痛む。木曜日の朝は、駅の上りの階段でコケた。生命的に次のフェーズに入ったのか、単に調子が悪いだけなのかは不明だ。加えて、今日は妻の調子も悪く、午前の終盤ごろから寝込んでしまった。とりあえず、洗濯はこちらで終えて、子供たちの昼食も終えて、今、午後のひとときだ。</p><p>昨日から、大学生の長男は、学校の行事で泊りがけで出かけている。次男は中間テストを終えて一息ついている。末っ子は午前中に部活に行き、昼食後に勉強を終えたら遊びに行ってしまった。</p><p>ひとりぽつんと家に残った私は、かねてから妻に依頼されていた包丁研ぎをした。今までの経験を活かし、刃をこちらに向けて、包丁をかなり寝かせ、体重を乗せ気味に上半身ごと前へ押し出して研いだ。新聞紙で切れ味を確かめながら、両面を3～4回ずつ研いだ。刃の先、先端近く、中ほど、柄の近くのすべての部分で切れ味が戻ったことを確認して、研ぎを終えた。これから、洗濯物を畳んで、タイミングが合えば、妻の治療もしようと思っている。彼女もこのところ、忙しいのだ。先月、義父が亡くなった関係で、相続や諸々の手続きがあり、義母と一緒に行動している。その最中、先週半ばに、義姉が亡くなった。年は私たちより少し上だが、同じ50代だった。奇しくも、先月亡くなった義父の月命日に。</p><p>義姉との付き合いは、私に限れば、当然だが妻との結婚後からになる。我々に子供が生まれるくらいまで、義兄夫妻一家と一緒に旅行に行くなどしたものだった。やがて我々にも子供が生まれ、忙しくなってからは年賀状のやり取りくらいになり、義兄とは年末に少し会う程度で、義姉とは長らく会ってはいなかった。その義姉は昨年、インフルエンザに罹って、病院へ行き一旦治ったものの、別の何かに罹患したのか、再び風邪症状が出ていたらしい。しかし、その時には受診はせず、普通に生活して、仕事もしていたが、ある日、突然意識を失って、そのまま入院していたのだった。義兄夫妻の子供たちは皆成人しているが、まだ若い。もっと長く見守っていたかっただろうと思うと、彼女の無念の大きさは察して余りある。明日には、その義姉の葬儀がある。妻にしてみれば、私よりもずっと長く付き合いのあった人だ。しかも先月の義父の逝去から立て続けだ。私でもかなり堪えているのだから、妻の心中は推して知るべしだ。</p><p>こういう時に改めて思うのは、「家族のためにも生きなきゃ。」ということだ。もちろん、天命もあり、寿命もあるから個人の意志は自身を含め誰の生死をも左右はできない。生きたくても生きられないで、訪れるのが「死」なのだから。それは承知した上での「心構え」みたいなものの話だ。まあ、妻が私に対して「さっさと死んでくれ。」と思っているならこの限りではないが、普段の会話から、そうでもないようなので、老後に一緒にいた方が、多分良いと思う。</p><p>私自身は、割と最近まで、「死ぬのは仕方ないし、早いか遅いかの違いはどうでもいい。」と思っていた。なんなら「早くても構わんぞー。」くらいに思っていた。これは鬱を抜きにしてもそうだった。</p><p>しかし、こうやって、娘（私の妻だ）をはじめとした子供たちや義母を残して逝ってしまった義父や、義兄と、成人しているとは言えまだ若い子供たちを残してこの世を去った義姉を思うと、「あなたたちのために少しでも元気で長く生きようと思っています。」という意志を、家族に伝える必要があると感じる。亡くなることは、自死を除けば、病死も事故死も、事件に巻き込まれての死も老衰もみな自然なことだったり運命だったりするわけで、責めるようなことでは当然、ない。亡くなる当事者にすれば、本人が一番「無念」なはずなのだ。そういう意味では自死を選んだ人も、正当化するとか、しないとかは抜きにして「無念」なのは同じはずだし、責めることは出来ないのかもしれない。そしてそこは、今に限ればさほど重要ではない。主題は、故人がこの世に残した人たちの「気持ちや心」のことを考えないといけないな、と言うことをいい年をして私が悟ったという話だ。</p><p>もし、私が普段から「いつ死んでもいいや。」と折に触れて周囲に伝えていたとする。そしてある日、願い通り（あるいはいざその時には「やっぱ噓嘘！死にたくない！」と思っても）突然に私に死が訪れる。妻や子供たちはどう思うだろう？そして、まだ存命中なら両親はどう思うか？弟妹の心中は？おそらく彼ら、彼女らは、「さほど、この世や私たちに執着しない人だったから、何も思い残すことなく晴れやかな思いで死んだに違いない。」と考えるだろう。それは、実際に私が死んだこと以上に、悲しさを増す要素になりそうだ。残した家族に、「あの人は私たちに心を残さず死んでいった。」という思いをさせるのは、あまりに忍びない、と思い至った。妻とは「老後も長らくよろしくね。」と、子供たちには「大人になってもずっと見守っているから、家を出ても時々顔出せよ。」と、「長生きするつもり」を伝えなきゃいけないんだと、今更ながらに気づいてしまったのだ。そして私が本当に思いがけず早く死んでしまっても、生前にそう伝えていたことが、妻や子供たちに与える悲しみを幾ばくかでも減じることになるのだ、ということにも。あまりに未練なく、「この世も家族も何もかも、思い残すことはないや。」なんて常日頃言っていてはいけないのだ。「思い残すことなく逝く」のが良いことだと思っていたが、最近、身近な人の旅立ちに際して、残された人間の立場から考えさせられたのだ。遺族にしてみれば、故人が遺族に心や思いを残して逝くことは、「心残り」ではなく、「もし、故人が生きていれば引き続き自分に愛情を向けてくれたであろう」という「あり得た物語」となって遺族の心に中にあり続けるのだと思うのだ。それが、遺族の「これから」を生きる力にもなるはずだ。それゆえに葬儀の席で、故人の家族をはじめ、周囲の人たちが、「無念だったろうね、家族ともっと一緒にいたかったろうに。」とか「お孫さんを見たいって言ってたもんね。」とか、その人が「まだ生きていたら願っただろうこと」を語ってくれるように、生きているうちに振る舞わなければいけないのだ。だからもし、今までの「思い残すことがない（と思っている）」私が近々死んだ場合、家族には「あの人『いつ死んでもいい』なんて、私たちのことはどうでもよかったんだろうね。」などと言われてしまうだろう。そして、故人に未練を残されなかった（と感じた）家族は、より深い（不快？）悲しみに沈むことになる。これではいけない。軌道修正できるうちに、あるべき道に戻ろうと思う。</p><p>だから、これから、妻の治療をしがてら、妻子のためにも老後も元気でいるつもりだと伝えようと思う。多分、近しい人を続けて亡くした妻には、私の支えが必要なはずなのだ。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/yy4122/entry-12967060816.html</link>
<pubDate>Sat, 23 May 2026 16:14:27 +0900</pubDate>
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