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<title>肺がん男の囁き</title>
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<description>死に体に至るは、事既に遅し。語れりときに、語りおくべし。</description>
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<title>復讐に救われる私の巻</title>
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<![CDATA[ 久方ぶりの投稿。<br>すっかり忘れていたというわけでもなく、なぜか文章を書く気が全く起きなかったのです。<br><br>本を読む気にもならず、映画を見る気にもならず、特に今年に入ってから終始ぼーーーーっとしており、同時に頭パッカーン、鬱気味な私。仕事と、特に人間関係に疲れ切ってしまったようです。<br><br>だったのですが、今日何ヶ月ぶりかに映画を、パク・チャヌクの映画を観て、スパーンとストレスが発散されました。<br><br>映画ってスゴイ。<br>持つべきものは、映画です。<br><br>これで明日から、煩わしい仕事や人間関係を蹂躙する腹が決まりました。<br>遠慮なく叩き潰します、ええ。<br><br>昨年の最後の自分の投稿見て、なかなか良いこと書くじゃんと自画自賛してしまいました。<br><br>やはり社会は我々を殺しに来ているのです。<br><br>良い映画で活力を得て、そして自信を持って自分を肯定しましょう。<br><br>反撃開始です。<br>いつまでもおとなしくしてると思うな、バキヤロウ♪<br>さぁ、皆さんご一緒に、全力で復讐してやりましょう♪<br><br>今日の映画<br>「親切なクムジャさん」<br>
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<pubDate>Sun, 18 Apr 2021 23:37:27 +0900</pubDate>
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<title>バイバイ非日常</title>
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<![CDATA[ 自宅篭城生活終焉から数えて、早や1ヶ月半。<br>コロナ感染者数で言えば、終息しつつあった少し前に比べて増加してはいますが、身の周りはほぼ以前の日常です。<br>そうです、日常が帰って来たのです。<br><br>いつかはそうなるとわかってはいたけれど、なんと嘆かわしいことでしょうか。<br>私をよく知る方はご存知、現実なんて大嫌い。<br>非日常と荒廃した世界に憧憬を抱く私にとって、現実への回帰は地獄への回帰と同義なのです。<br><br>少し前に観た「サバイバルファミリー」を思い出しました。<br>道中なかなかおもしろかったのに、あのラスト。突然日常が帰ってくる地獄。ご丁寧に大停電の理由まで説明してくれちゃって、大いにガッカリしたものです。いや、それを悲劇としてくれればよかったんですが、そうではなかったので、非常に残念でございました。<br><br>同じく邦画より「仮面病棟」。<br>原作でのラストと比較し、映画のラストはあまりに非凡で、陳腐で、上部塗りの、虚構の現実です。<br>あれこそ地獄足る日常の権化とも言えるキレイゴト。<br>原作者の方も脚本参加していたようなので、はっきりと言いたい。<br>あのラストは、紛うこと無き蛇足です。<br><br>押井守にして曰く、「滅びゆく地球を救う救世主なんていらない。僕は世界に滅んで欲しいんだよね」<br><br>ウィルスによる死者も、戦争による死者も、災害による死者も嫌です。<br>でも、日常もやっぱり嫌なのです。<br><br>三浦春馬くんの死に、私はいくらか共感してしまった。<br>私など、彼に比べれば、ウンコとダイヤ。オシッコとドンペリほどの格差があるでしょうに、彼はなぜ死せねばならなかったのでしょうか。<br><br>ええ、わかりません。私には。勝手に共感しただけなので、真実は永遠に闇の中。<br>なにせウンコとダイヤ、オシッコとドンペリですから。<br><br>でもやっぱり、私にはこの日常が地獄以外に見えません。<br>死という代償を負ってでも立ち去りたい残酷な場所なのです。<br>そんな地獄をわざわざ生きる理由はないはずです。<br><br>京極夏彦にして曰く、「この世は間違いなく地獄です。しかし、天国なんてロクなもんじゃない。天国なんかより、生き方次第で、地獄の方が絶対楽しいんです」<br><br>天国のような真っ平らな現実が実現したとしたら、私たちは無感情の人形と化すでしょう。<br>「ハーモニー」のように。<br>天国の実現を悲劇のラストとして描いた伊藤計劃はやはり偉大です。<br>私たちは地獄を生きる他なく、しかしそこに楽しむ道があることを教えてくれるものは、稀有ですが、確かにあるのです。<br><br>平山夢明にして曰く、「怖がりだから怖い映画や本を見ないという人がいるが、間違ってる。恐怖は逃げ回れば逃げ回る程肥大化する。目の当たりにしたとき始めて恐怖を越え、そして恐怖への対抗心が活力を産むんだ」<br><br>ハッピーエンド以外見たくない。<br>現実が厳しいんだから映画の中くらい、虚構でも幸せを感じたい。<br>金払って酷いもんなぜ観るの。<br><br>私も何度かこんなことを言われたことがありますが、私して曰く、いいえ違います。<br><br>ハッピーエンドは人を殺します。ええ、そう断言しましょう。<br>現実は厳しいどころではありません。私たちを確実に殺害しに来ているのです。<br>甘ったるいもん食ってる暇はないですよ。<br><br>というわけで何が言いたいかというと、生温い映画や本はいりません。<br>日常が戻ってきた今、私は戻ってきてしまった地獄のようなこの日常を楽しみたいのです。<br>残酷な映画に金を払い、不条理な本を書架に並べる。そのとき、私の中の禍々しいなにかが、この地獄を生きさせてくれるのです。<br><br>頼みますよ、クリエイターの皆さん。あなた方の生活費はお約束しましょう。<br>その代わり、この地獄を楽しめるだけの力を持った作品を下さい。<br>お待ちしております。
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<link>https://ameblo.jp/yyy-yuki777/entry-12612249866.html</link>
<pubDate>Mon, 20 Jul 2020 17:56:31 +0900</pubDate>
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<title>おうち</title>
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<![CDATA[ ステイホームライフ早や1ヶ月。<br>ゲームして、映画観て、喰って寝ての輪廻転生を繰り返してはいても、私の心は終ぞ飽和化しません。<br>マツコと同じくして曰く「インドアな人間としては天国」、なわけで（いろいろ大変な状況の方もたくさんおるとは思いますが）私は充実した毎日を送っております。<br><br><br>・ひとまず攻殻SAC新作を観るために、SAC1（約30分×26話）、SAC2（約30分×26話）、SAC劇場版（約2時間）をオサライ。<br>やっぱ2が好きです。<br>特に法廷回。あとゴーダ。監督さん同じウルトラマン(約30分×13話)のゼットン星人（？たぶんちがう）がゴーダに見えて仕方なかった。<br>こいつを観るためにウルトラマン観ても損なし。変なのがちゃんとした服着てるのってたまらん。<br><br>肝心の攻殻SAC新作（約30分×12話)はと言えば、スゲー中途半端なとこで終わってて愕然。<br>あとCMの印象から、政府から切り離されたスタンドアローンの9課なのかと思いきや、結局そうではなかった（ネタバレ）のがちょっとだけ残念でした。なんやかんや言いながら、やはり米帝はデカイ顔してるのね（ネタバレ2)。<br><br><br>・石の繭シリーズ。<br>刑事物。木村文乃に恋するためのドラマシリーズ。離婚してくれてバンザイ。<br><br>石の繭（約50分×6話）<br>水晶の鼓動（約50分×6話）<br>蝶の力学（約50分×6話）<br>悪の波動（約30分×5話)<br><br>オススメは石の繭と悪の波動。<br>犯人役の人が好きです。実は何年か前、汐留でなんかの撮影してるところに遭遇。当時はあんま印象になく、アイツ見たことあるー程度で素通りしてもーた。もっと見ときゃよかった。<br>あとは蝶の力学の木村文乃ちゃんの髪型が可愛い。たまらん。ちびまる子ちゃんみたい。<br><br><br>あとはチョロチョロ映画も観てるけど、古かったりマイナーだったりラジバンダリなのでスルーしましょう。主に連続モノを観てたと思ってくだされ。<br><br><br>・FF7リメイク。<br>いつのまにやら40時間オーバーもやってたわ。なつかしかたなー。<br>小学生の頃オヤジとやってたの思い出した。<br>あの頃はゲームも映画もテクノロジーと併走しながら向上してたのに、いまや・・・。<br>テクノロジーは向上して当たり前、実理性だけよこせと求める世論どうなっとんねんと当時の感覚との差分を感じてちょっとゲンナリした。攻殻と同時進行だったことも起因して、一人でおセンチな気持ちになってたようです。<br><br><br>・太鼓の達人。スイッチバージョン。<br>全然上手くならない。<br>けどおもしろいので、チャカチャカやってます。<br>霜降り明星の粗品が、テレビで紅蓮華オニ2倍速フルコンボしてて唖然。<br>もっとがんばろう私。<br><br>そんな感じ。<br>まだ休日は続きます。<br>
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<pubDate>Wed, 20 May 2020 02:48:19 +0900</pubDate>
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<title>猫のT</title>
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<![CDATA[ 知人が飼っている、猫のTが死んだそうです。<br><br>Tというのは、彼がそうブログで綴っていたものそのままで、真の名は知れません。<br>タマなのか、トオルなのか、はたまたセオドア(Theodore)という可能性も捨てきれないでしょう。<br>そんなことはどうでもよくて、とにかく猫のTが死んだそうなんです。<br><br>Tの死は壮絶で、彼曰く、十数時間は苦しんで絶命したと。<br><br>彼はプロテスタントのクリスチャンであり、真の意味で敬虔な信者って本当ににいるんだと、私に教えてくれた人でもあります。<br><br>彼はT に祈ったそうです。<br>しかし、キリスト教において、動物に死後の世界はありません。<br>死の先は無以外になく、キリスト教に則って言えば、T は消滅したのです。彼もそう綴っています。<br><br>では、なぜ彼はT に祈ったのでしょうか。<br>彼の真意はわかりません。<br>しかし、T はきっと彼にとってかけがえのない存在だったのでしょう。それたけはわかります。<br>彼のブログを見て、最初に思ったのは、なぜ猫の名前を匿名のT と称したんだろうということでした。<br>匿名は、人にしか普通は使わないでしょう。<br>それは、彼にとってT が猫以上の、そして人間以上のなにかだった証なのではなかろうか。<br><br>そして彼は最後にこう綴り、ブログの投稿を締め括っています。<br><br>「T はもういない。T はもう苦しむことはない」<br><br>T は消滅し、この世にもあの世にも存在しません。<br>苦しみから解放され、無と化し、しかし彼の中で生き続ける。私はそう感じました。<br>それが、彼が祈った理由なのではなかろうか。<br>自分の中にいるT に祈り、そしてT は今、安らぎを得ていることでしょう。<br><br>私は日本に最も多い、愚かな無宗教者です。<br>ただ、どこかでこんな文言を耳にしたことがあり、なんとなく信じている言葉があります。<br><br>「死者は忘れられたとき、二度目の死を迎える」<br><br><br>T はもういない。<br>T はもう苦しむことはない。<br>T は彼の中で、永遠に生き続けるのだから。<br>
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<pubDate>Fri, 13 Dec 2019 18:18:56 +0900</pubDate>
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<title>肺ガン男の「トウキョウ伝説」。少し嫌な気分になりたい人だけ読んでね。</title>
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<![CDATA[ 「コンビニを何軒もハシゴするんですよ」<br><br>ヤマノさんは、私を見つめながらそう語った。<br>ヤマノさんは、仕事終わりにコンビニのイートインで缶ビールを一本ひっかけてから帰るのが、毎日の楽しみだった。<br>毎日同じコンビニに通っていて、はたと気付いたのが、2つ席を挟んだテーブルに、トイレをしきりに凝視している男がいる。<br>毎日いるのだ。<br><br>その席はイートインの角の席であり、トイレに最も近い席だった。<br>凝視していたと思うと、男はふと立ち上がるときがある。<br>人がトイレから出てくると、席を立ってトイレへ向かうのだ。<br>単に順番待ちかと思いきや、しばらくして出てくると、また同じ席に座り、トイレを凝視する。<br>これをずっと繰り返すのだ。<br><br>数十メートル先の他のコンビニでも、彼を目撃したことがある。<br>同じように、トイレに一番近い席を陣取り、「ご使用の際には店員に一声お掛けください」という申し書きの貼られたトイレのドアを睨み付けていた。<br><br>トイレから出てきて、そのまま店を出ることも稀にあった。そのときは決まって、トイレに入る前には持っていなかった、コンビニ袋を提げていた。<br>ヤマノさんは、その男の行動と、コンビニ袋の中身が気になって仕方がなかった。<br><br>ある日、意を決して、缶ビールを2本購入し、その内の1本を男の前に差し出した。<br>「いつもいらっしゃいますよね、僕もここのコンビニの常連なんですよ。1本いかがですか？」<br>男は嬉々として缶ビールを受け取り、意気揚々と乾杯した。男は不可思議な行動とは裏腹に、気さくで、明るく、憎めないひょうきん者といったような性格で、コンビニだけで話は尽きず、居酒屋に移って数時間に渡って杯を交わした。<br>建築関係の仕事をしていること、元プロボクサーだったこと、仲の良い弟がいること。<br>あらゆる身の周りの話を聞いて打ち解けたところで、ヤマノさんは切り出した。<br>「そういえば、いつもトイレ見てますけど、なんでですか？」<br>途端、男の表情が変わった。<br>目付きが明らかに鋭くなり、口角を下げ、陰を落とす。<br>ヤマノさんはぎくりとして、背筋を凍らせ、以後の言葉が紡がれることを妨げた。<br>男はしばらく値踏みするように、コンビニのトイレと同様、ヤマノさんに鋭利な視線を突き刺す。<br>と、なにやら男は満足したように、にこりと笑った。<br>ヤマノさんはすっかり凍結した躰を解放され、同じようににこりと笑って返す。<br>「君ならいいか、ダレニモイウナヨ」<br>男はそう言うと、ジョッキを傾け、ぐびりとひと飲みすると、赤らめた表情で楽しげに話し始めた。<br>「みんな女性だったことに気づいてたか？俺がトイレに入る前に出てきた人」<br>ヤマノさんは首を横に振った。<br>「我慢できねえんだよな。完全にフェチなんだ。悪いとは思ってるんだけど、やめられなくてね」<br>男はそう言いながら、トイレから出てくるときに提げていたコンビニ袋を、鞄の中から取り出す。<br>袋の中身は、使用済みの生理用品、ナプキンだった。<br>「まずコンビニのトイレに入って、ゴミ箱を空にする。その後イートインから監視して、女がトイレに入って、出てきたところをすかさず入れ違いで入り、ゴミ箱を漁るってわけだ。最近は男女別のトイレばかりで困る。意味もなく長居ができて、男女兼用のトイレなんて、コンビニくらいしかないんだ」<br>ヤマノさんはぎくりとしながらも、なぜそんなものを？と聞いた。<br>「擦れた血が固まって、ドス黒くなってるだろ。これがたまんねえんだ。その女の大事なとこから溢れた、その女がまさしく"女"であることの証であり、結晶さ。<br>トイレを穴が空きそうな程睨んでたのは、中に入った女の顔を脳裏に焼き付けるためだ。<br>家に帰って、極めてリアルにその女の顔を思い浮かべながら、ナプキンに付着した紅い凝りを眺め、鼻を寄せ、嗅ぐ。一番濃い箇所を指でつつき、顔をうずめ、舌を這わせる。最後に俺のアレをくるんで、時間を掛けて散々弄んでから達するのさ」<br><br>その話を聞きながら、私はゾッとする悪寒が背の奥を通り過ぎた。<br>話の内容に、だけではないことを私ははっきりと理解していた。<br><br>この話をしてくれているヤマノさんもまた、建築関係の仕事をしており、元プロボクサーであり、仲の良い弟がいることを私は思い出したのだ。<br>私の察するところを見抜いたヤマノさんは、高らかに笑った。<br>「確かに興味本位で聞いてきた奴は何人かいたんですけどね、適当な事を言って煙に巻いてました。真実を話したのは、肺ガンさんがはじめてですよ」<br>「なぜ僕に？」<br>「わかりませんけど、なんか溜まってるものがあったんだと思いますよ。話してみて、やっぱりスッとしました」<br>そう言ってヤマノさんは再度笑い、缶ビールを豪快に飲み干すと、ダレニモイワナイデクダサイネとだけ残して、コンビニのイートインから立ち去った。<br><br>私はここ数年、ヤマノさんとは会っていない。<br>iPhoneの中には、今でもヤマノさんの電話番号が入ったままだ。おそらくヤマノさんのiPhoneの中にも。
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<link>https://ameblo.jp/yyy-yuki777/entry-12537077107.html</link>
<pubDate>Fri, 18 Oct 2019 20:08:27 +0900</pubDate>
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<title>続 チェーホフの銃と新しい海</title>
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<![CDATA[ 前投稿の続きです。<br>早速、天気の子のいくつかの詳細について考えてみましょう。<br><br>チェーホフの銃。<br>という言葉が様々なところで論じられているのですが、こちらを軸に書こうと思ったところ、新海さん本人の言及の一切が見られません。<br>もしかしたら風評の可能性もありますが、新海さんの目に触れることなど決してないだろうと思うので（触れたところでですが）、そこは好き放題書いてしまいましょう。<br><br>チェーホフの銃とは、「発砲されない銃は舞台上に置いてはならない」<br>翻って、「物語の早い段階で導入された要素は、後段になってから活用されなければならない」という、まぁそういう演劇技法のことみたいです。<br><br>今作で言えば、主人公の少年が2発銃を発砲しますね。<br>今作における銃は、社会に突き付ける反逆の寓意であると同時に、少年の男性性の発露という見方もできるかもしれません。事実、1度目の発砲は事のはずみで、2度目は自らの意志で発砲します。<br>しかしながら、アニメにしては、あまりに予定調和が過ぎます。<br>チェーホフの銃は、舞台という限定された空間で、生身の役者が演じているから有効なのです。<br>舞台という空間は、それ自体が感情移入を阻害します。なぜなら、そこは単なる舞台であって、本当に街や世界がないことは誰の目にも明白だからです。<br>舞台の上には、作り物のキャラクターを演じる役者がいるだけです。キャラクターそのものは存在しません。<br>作り物であることが前提であれば、当然、設定や演出も作り物で、より整合性が取れているものを求められます。だからこそ、チェーホフの銃という概念が成立するのです。<br><br>劇作家の本谷有希子さんは、「派手な設定や演出は、舞台という空間では幼稚になる。舞台には、より現実的で、限られた設定が必要である」と語っており、それは逆にアニメーションで活用してしまうと、ガチガチの歪さが発生するとも言えます。<br><br>そもそも天気の子において、銃という劇装置自体がなにやら歪です。<br>それは、この映画に、銃で撃たれて然るべき悪が存在しないからです。（1度目の発砲でヤクザに発砲しますが、ヤクザというのはあくまで設定であり、この映画内では無前科な一都民ですから、そのヤクザにすら当たりません）<br>存在しない以上、撃ったところで人に当たらないことは予測できますし、同時に銃が登場すれば、それは銃という物ではなく、象徴や概念としてのみ残り、違和感として画面に表出します。<br><br>そこから考えるに、アニメ&lt;実写映画&lt;舞台、の順で、より整合性を求められると言って良いと思われます。<br>押井守は、「アニメは、見る人間のあらゆる感情移入を許す」と語っており、役者の演じる舞台上のキャラクターと違い、アニメのキャラクター達は、アニメの世界の中で確かに生きている（ように錯覚できる）のです。<br>故に、決定付けられた行動や言動は、アニメの世界では違和感として浮き上がります。<br>それを逆手にとって映画を作り続けているのが押井守であり、どんなにおもしろくないだの、難解だの言われても、押井映画を映画ではないと反論できる人はおそらくいないでしょう。舞台的演出をどれだけ持ち込んでも、彼の作る映画は、実写であろうがアニメであろうが、映画であり続けているのです。商業映画ではない、とは言われるかもしれませんが。<br><br>そして、それは第2のチェーホフの銃にも繋がります。<br>主人公の少年の親が一切出てこない問題です。<br>親を出したところで、大して描けないから、出さない。という選択をしたということですね。<br>これもまた浅はかです。<br>「映画は、見えているものと、見えていないもので演出される」と語ったのは、また押井守です。<br>登場させなければ存在しなくなるわけではありません。存在はするが、登場しなかった。ということになります。<br>これもまた舞台とアニメの、了解事項の範囲の違いが顕著です。<br>舞台では親を登場させなければ、（キャラクターとして）存在しないことになりますが、アニメでは登場させない演出として機能してしまいます。<br>鑑賞者は、当然、登場しなかった理由を考えることになりますが、もしその理由が単にこの時間では描ききれないから。という理由であれば、当然感情移入を阻害します。<br>限られた時間では描けないという観念は、鑑賞者の脳内に広がる天気の子の世界ではあり得ませんから。それを提示すれば、鑑賞者は現実世界に引き戻されます。<br>テーマにしても、キャラクターデザインにしても、感情移入させるように用意しておきながら、阻害するというのは如何なものでしょうか。<br><br>舞台的な演出で言えば、秒速5センチメートルの方が遥かに上手くいっていたと言えます。叙事的で、抗えない世界に沈殿していく主人公は、モノローグの多さも相まって、舞台的で、現実的（現実の厳しさという意味です)で、しかし制限された確固たる物語がありました。<br><br>ここまで書いてきて、わたしはふと思いました。<br>これは、新海さんと出資者の相反する欲望が同居したことで発生した歪な映画なのではないかと。<br>商業映画に仕立てたい出資者と、それに相反する演出家。<br>そしてこの双方は、ある程度折り合いがついているのかもしれません。<br>もしそうなら、次作以降もこの歪さは永遠に残り続けることでしょう。そうであってほしくありませんが。<br>むしろ、前投稿で書いたように、大きな椅子に座ってしまったことによる葛藤から生まれている過渡期であってほしい。<br>でなければ、中途半端に折り合いのついたオトナの事情映画が連綿と続くことになってしまいますからネェ。そんなのにお金払う気は毛頭ありません。<br><br>というわけで、宮崎駿のように、キューブリックのように、立派な映画を作らなければいけなくなってしまった監督たちと同じように、その境遇でもがき、出資者とバチバチやり合い、自分のクリエイティブマインドにずかずか土足で上がり込まれ、踏み躙られる地獄を味わいながら、映画を絞り出して頂きたい。<br>というわけで、この辺で。<br><br>ンジャマタ。
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<link>https://ameblo.jp/yyy-yuki777/entry-12527201441.html</link>
<pubDate>Thu, 19 Sep 2019 07:01:55 +0900</pubDate>
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<title>チェーホフの銃と新しい海</title>
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<![CDATA[ 大幅ご無沙汰です。<br>ママレードボーイ実写評については、忘れてください。書く前に自分の頭の中で完結してしまう映画は、なんか書く気起きないんですよね。という、尤もらしい言い訳をカマしますが、ようはおサボりです。<br>高橋ヨシキ風にざっくりひと言解説だけしますと、「ムッツリ仕事人」。<br>それがこの映画の内容、というより監督さんの特徴ですね、ハイ。<br><br>そんなことは措いて、タイトルでピンとキタ方もおりますでしょうか。そうです。<br>話題沸騰、「天気の子」です。<br><br>以下、ネタバレ御礼。基本的に鑑賞済さま対象です。<br><br>ひとことで結果から申し上げましょう。<br><br>「新海誠、絶賛迷走中」<br><br><br>前作が興収250億円、今作も100億円突破しているということで、これはもうポスト宮崎の椅子にお座りになられたと断言しても間違いではないかもしれません。<br>しかしながら、その椅子に座った以上、受け継がれるのはお金だけではありません。<br>ヒットメーカーの呪いもまた同じように付き纏うのです。<br><br>キチンとした映画作らなきゃいけないシンドロームとでも言いますか。<br><br>周りの様々な制約でがんじがらめ。好きなことなんて何ひとつできない。<br>と、宮崎駿を評したのは、作家平山夢明であり、押井守でしたが、まさしく新海誠は片足突っ込んでいると断じて良いと思います。<br><br>今回の天気の子はまさしくそれです。<br>舞台的な演出なども、まるっきり功を奏さず、ガタガタ。<br>舞台的演出の限界は、押井守の傑作アニメ「御先祖様万々歳」で既に実証済であり、今更実験する必要などありません。<br>舞台的演出は、そのままアニメや映画に持ち込むと、そのルールの枠から外に出てしまい、無効化どころか劣悪化させてしまう。<br><br>それを理解した上で、自分の映画として確立させている押井守に比べ、新海誠はあまりに浅はかです。<br>細部はまた後日語るとして、仕掛けた演出が全て違和感として浮き彫りになり、それによって「君の名は。」の頃から言及されているご都合主義に拍車がかかるだけでなく、感情移入をさせに来ているキャラクター達でありながら、感情移入を阻害させるという真逆の演出が持ち込まれていることも、軽率と言わざるを得ません。<br><br>では今作が駄作かと問われれば、素直に首を縦に振れないのは、一重に、風景の卓越した描写力と、恵まれたスタッフ以外に理由はありません。<br><br>なぜ舞台的な演出を持ち込んだのか。<br>自分の映画を、伝説のような、あるひとつの上部ステージに上げたいという新海さんの気負いなのではないかと勘繰っているわたしです。<br><br>単に自分で実験してみたかった。<br>舞台的演出に関して言及したのは、聞いてくる奴らを煙に巻きたかったから。<br>というマッソーな理由であることを祈りたい。<br><br>いずれにしても今作は、荒削りで、過渡期的な一作であることは明白です。<br>問題は、それが意図されたのか、否か。<br>それは次作以降で明らかになることでしょう。<br><br>ネタバレ御礼と言ったものの、概要のようなものばかりになってしまって、アハハです。<br><br>次回は、ディティールについて触れていきたいと思います。<br>オサボリしなけれな、書くことでしょう。<br>期待しないでお待ちください。<br>合言葉は、「チェーホフの銃」です。<br><br>ンジャマタ。<br>
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<link>https://ameblo.jp/yyy-yuki777/entry-12525431464.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Sep 2019 04:01:40 +0900</pubDate>
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<title>甘くて苦い、ア・イ・ツ♡</title>
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<![CDATA[ 少女漫画。<br><br>その多くは恋愛もので、なぜそうかと言えば、現実と向き合うための自我が男性に比べて女性の方が早くに発露するからである。<br>とするのは、それなりに人生を過ぎたるオトナであれば、誰もが経験から知る事実であり、<br>と同時に、映画の最たる典型は男女間のゴタゴタであるという普遍的前提に立ち、SFやサスペンスなどの非日常ではなく、現実（本質をマスキングされた綺麗な部分に限ったとしても）を観たいとするなら、それが例え幾千の屍を重ね、興業的な成功すらそっぽ向いた作品群であろうと、鑑賞して損はありません。<br><br>お前のことが好きだ！ 、わたしどうしたらいいの〜、キャピ〜、リア充〜<br><br>などと登場人物たちがのたまっていても、決して目を背けてはいけません。<br>現実に向き合うのです。ええ、そうです。<br><br>というわけで、「実写ママレードボーイ」です。<br><br>80年代に生まれ、妹を2人持つ兄である私にとって、90年代中期から後期に至る小学生を対象とした少女漫画リテラシーには事欠きません。<br>セーラームーンは勿論、赤ずきんちゃちゃ、こどものおもちゃに、赤ちゃんと僕に至るまで、その知識たるやこれらタイトル群の全盛期を経た女性のそれを遙かに上回ります。<br><br>女性の生理的反発必定ではありますが、どんな知識や理解もある閾値を超えれば、真理に辿り着くものなのです。決して侮ってはいけません。<br>ママレードボーイが他の作品と一線を画していたのは、物語が全て"勘違い"によって展開していくところを、臆面も無く提示して見せたことにあります。<br>全てのフィクションは詰まるところ、これに尽きます。<br>登場人物たちは本質を勘違いし、その正体を突き止める、あるいは勘違いしたが故に本来と違う行動を余儀なくされ、話が展開していくものなのです。<br>その中において、ママレードボーイが私にそれを教えてくれた理由は、"勘違いが本当に単なる勘違いダッタ"という、見方を変えれば尻切れトンボヨロシク、裏の裏は表、散々ゴチャゴチャした結果、よくよく考えてみたらなんの変哲もない平和な日常だったヨーンとして、その物語が堂々たる幕を下ろすところにあります。<br>褒めてるんですよ、ええ。<br>ただ、激怒した人もいっぱいいたでしょうけどネェ。<br>いやはや、大したタマですよ、作者さんわ。<br>編集者に「ナメてんのか、小学生向け少女漫画で、その展開が全部事実なんてオチにできるか。フザケルナ」<br>と脅された可能性もありますが。<br>いずれにしても、大小関わりなくクリフハンガーとはなにかを私に教えてくれた重要な作品であることに変わりはありません。<br><br>と、これまでの論評は全て原作のお話。<br>では今回の、実写映画ママレードボーイはどうだったのかと言われれば、打つの疲れてしまったし、長くなったので、後日にしまショウ。<br><br>ンジャマタ<br>
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<link>https://ameblo.jp/yyy-yuki777/entry-12508983714.html</link>
<pubDate>Mon, 19 Aug 2019 18:32:32 +0900</pubDate>
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<title>本当にあったコワイ話。「電車の恐怖」</title>
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<![CDATA[ 世の中には、コワイ場所というものがあります。<br>それはバーの奥の方だったり、深夜の公園のトイレだったりするわけですが、ある種それは異質な場所だったりします。<br>なぜなら、基本的に我々はそこに足を運ばないからです。<br>では、日常でそれに類するコワイ場所があるとするなら、これほど恐ろしいことはありません。<br>しかも、そこに行かざるを得ない場合、わたしたちは戦う他ないのです。<br>その場所はどこかと言えば、そうです。<br><br>電車の中です。<br><br>電車って、兼ねてから変な場所だよなと思ってたんですよね。<br>だって、シンプルに変な人多くないですか？、という身も蓋もない問いかけがなんとも心苦しいですが、そう思いませんか、みなさん。<br><br>電車の中というのは、例えば東京なら東京というひろーいフィールドに分散してる人間たちをぎゅっ！とした、濃厚こってりしょうゆとんこつ的(しょうゆである必要ナシ)に世界が凝縮した特殊空間なのではないだろうかと思うわけです。<br>なので、普段出会いにくい変な人種とも遭遇しやすいのではなかろうか。<br><br>話が逸れますが、映画において、走ってる電車の中は、(ジェームズ・ボンドやイーサン・ハントなどを除けば)ほぼ完全な密室であり、物語を展開させやすい格好の舞台なのでしょう。<br>と同時に、ボンド君やハント君の非凡性を際立たせることにも一役買うわけですから、いろんな意味で便利な乗り物なのです。<br>その用途はあらゆる演出を許し、遅延させることで物語を展開させた深海誠監督の「秒速5センチメートル」や、逆に止まりたいけど止まれないもどかしさとして「藁の楯」、ゾンビと極めて近い空間にいる恐怖として「新感染」、舞台劇の舞台場として「ある戦慄」などなど挙げればキリがありません。<br>キモは、キャラクターたちが動いてなくても、電車が動いているので、動的な画になるという点です。<br>それに類する装置としては、車、飛行機はもちろん、エレベーターや仮想現実に接続できる部屋、ロボットのコックピットなどもこれに分類されますが、電車がそれらより圧倒的に活用される要因は、たくさん人が乗れることと、車両ごとを切り離された別の空間として使えることが大きいのでしょう。<br>同じ空間でありながら、別空間を同時に実現できる場所で、且つ全体が動いていて、いっぱい人がいる場所などという都合の良い場所は、そうそうありませんからネェ。<br><br>翻って、この特殊空間に登場人物としてぶち込まれてごらんなさいよ。現実で。<br>スンゲェ怖いですよ。<br>吊革に手を掛けて立ったその横に殺人鬼がいてもおかしくない上に、逃げられませんからネェ。<br>だからこそ変な気を起こす連中も多いのかもしれませんね。<br>木を隠すには森てな具合に、あんだけいっぱい人がいれば、変な人はもちろん、変に見える人もたくさんいますから。<br>しかも、誰かが身投げすれば血生臭くなるし、それで電車が止まってしまえば、会社に間に合わねぇじゃネェカ！！予定に遅れチャウ！！みたいな、自分の世界も映画が如く状況が逼迫していくわけです。<br>ナンテコワイ場所なんだ、電車。<br><br>それでも今日も、我々は電車に乗らなければならないのです。<br>恐怖は日常にアリ。<br><br>ンジャマタ。
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<link>https://ameblo.jp/yyy-yuki777/entry-12505867562.html</link>
<pubDate>Tue, 13 Aug 2019 17:11:05 +0900</pubDate>
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<title>純情な感情</title>
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<![CDATA[ 寝ちゃうんだよね。<br><br>それ以外に更新をサボった理由はありません。では、寝るのが好きかと聞かれれば、嫌いです。<br>だって、時間もったいないじゃないですか。人生サンブンノイチ稼働できないなんざ、グリコ買う動機はほぼオマケのオモチャ目当てですというのと、変わらない本質ではなかろうか。<br>さらに私はカフェに行く動機のま70%は空間に<br>金を払っているのであって、コーヒーは残り30%に過ぎないのです。<br>そう考えると世の中は、だいたいサンブンノイチくらい無駄になってると言えなくもありません。<br>ということは、寝るのはもしかして正しいことのように思えてきました。<br><br>そういうわけで、勘弁してください。<br><br>天気の子はやく観たいなー。<br>客が多すぎるんだもの。<br><br>公開終了間際に、ひとりでぽつんと観たいな。好きな席で、誰にも邪魔されずに観れないとサンブンノイチくらい損してしまいそうですからネェ。<br><br>ンジャマタ<br>
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<link>https://ameblo.jp/yyy-yuki777/entry-12501592659.html</link>
<pubDate>Sun, 04 Aug 2019 23:58:45 +0900</pubDate>
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