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<title>私の履歴書</title>
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<description>これまでの自分の経験を書き綴ることによって、後で振り返る履歴書のようなものになればと考えつつ・・</description>
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<title>グリーンカード</title>
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<![CDATA[ 日本語では永住権、アメリカでは通称グリーンカードと呼ばれる。<br>またグリーンカードとしての名前の由来は1940年代当初に採用されたカードの色がグリーンだったことに起因するらしいが、このカードの色は1960年から1970年代まではブルー、1980年代は白、1990年代はピンクとなり、現在は白となっている。　<br><br>アメリカには学生ビザ（F-1)、就労ビザ（H-1)、駐在員ビザ（L-1)などをはじめ短期滞在を前提とした多くの種類の非移民ビザが存在するのだが、その全てが米国内での活動や滞在期間に制限が設けられており、それらのビザのまま、アメリカに制限期間以上滞在することは不可能になっている。一方でグリーンカードを保有している場合、１０年ごとに設けられた更新手続きさえしていれば、米国市民同様に何の制限も受けることなく米国内に住み、働き所得を得ながら生活していくことが永久的に可能となる。グリーンカードを保有していること＝永住権を保有していることであり米国市民以外に（日本の国籍を失わずに）米国内に永久的に滞在できる唯一の方法であるといえるだろう。<br><br>永住権の取得方法は、結婚や親族にスポンサーとなってもらう方法や、抽選に当たる等いくつかあるのではあるが、今回は主に就労ベースによる方法を紹介する。<br><br>永住権申請にはまず自分がどのカテゴリーに該当するのか判断する事から始まる。永住権申請は家族関係に基づくものと､雇用関係に基づくものとの2つに分けられるのだが、個々のカテゴリーでそれぞれ下記のように優先順位が決まっている。<br><br>雇用関係に基づく移民 <br>EB-1：優先就労者、国際組織に勤務する管理職者 <br>EB-2：高度の教育を必要とする職務に従事する者、並外れた能力の持ち主 <br>EB-3：熟練工、専門職者、その他の労働者 <br>EB-4：特殊移民 <br>EB-5：雇用促進者（投資家） <br><br>家族関係に基づく移民 <br>第一優先移民：アメリカ市民の21歳以上の未婚の子供 <br>第二優先移民：永住権保持者の配偶者および子供 <br>第三優先移民：アメリカ市民の既婚の子供 <br>第四優先移民：21歳以上のアメリカ市民の兄弟、姉妹 <br><br>雇用ベースの場合、EB-1で申請できるのはスポーツ選手（松坂や松井みたいな）や有名大学教授等のごくわずかの人間に限られるのだが、グリーンカードがおりるスピードももちろん一番早い。EB-1は無理だとしても、出来る事ならEB3よりはEB2で申請したい。<br><br>そしてグリーンカードには大まかに3段階の手続きがある。<br>1．Labor Certificate（LCA=労働許可証）<br>2．I-140　Petition for　Immigrant Worker　（実際に職務を勤める能力・経験があるかどうかを証明する書類）<br>3．I-485　Application for Greencard　（就労ビザより永住権への切り替えの為の書類）<br><br>上の３つはいずれも申請書類の名前である。<br><br>LCA外国人労働許可申請は、殆どの雇用ベース永住権権申請の第1ステップとされ、雇用スポンサー先は、米国市民や永住権保持者で最低資格条件を満たす適格な人材がいないことを証明しなくてはならない。雇用スポンサー先が求人募集活動(人材募集広告)を行った結果、最低採用条件を満たす米国市民や永住権保持者の求職者が見つからなかった場合、更に、外国人受益者・労働者が最低条件を満たしている場合、LCA外国人労働許可申請は承諾・認可される。資格条件は、職務をこなすのに最低必要な学歴、職歴、特殊技術・知識になり、雇用スポンサーはその労働者個人の属する州における特定職名の平均給与額を支払う義務がある。<br><br>以前のグリーンカードには、申請方法が大まかに通常申請（Normal）の場合と、RIRと呼ばれる特別プログラムの２つがあった。通常、雇用に基づくグリーンカードの取得には非常に時間がかかるのだが、これは永住権申請に必要な労働許可（LCA）が下りるまでの審査期間がとても長いためだった。そこで移民局は、審査の効率化を図るため、97年にRIRという特別プログラムを開始した。RIRは、米国で人材が不足している職種に限って労働許可の審査を短期間で行う制度で、永住権の短期取得を可能にならしめる当時画期的なものであった。適用条件としては：<br><br>● 雇用主が、申請前の６ヵ月間にその業界で通常使用される広告媒体を通じて求人活動を行い、適切な米国人労働者を見つけられなかったことを証明すること <br>● 当該職種がその地域で人材不足の職種であると認められていること <br><br>ＲＩＲが始まった当初は、日本食料理人やコンピュータ技術者などの限られた職種のみに適用されていたという記憶なのだが、最近では、アート・ディレクター、グラフィック・デザイナー、ブックキーパー、建築製図士、マーケットリサーチャーなど、その適用範囲は徐々に広がっていたみたいだ。<br><br>実はこのRIRもNormal申請も2005年4月以降もはや存在しない。<br>最近はPermという新しいプログラムが登場し、RIRもNormal申請も無くなりPermで統一された。このプログラムは、上記RIRで説明したグリーンカード申請時の第1段階目に当たるLCAの所である。労働許可証取得にかかる時間が、約45-60日に短縮される上、オンラインで申込みが出来、必要な書類も移民局からの要求がない限り監査されることがないという手続きだ。しかしグリーンカード取得のプロセスは、まだまだその先の第2段階、第3段階のステップがあり、これらの段階は従来と同じ時間がかかるので、結果的には、このプログラムによってかなり短期でグリーンカードが取れるかというと微妙な所だと思う。しかしその第1段階の労働許可証を取るだけで2年3年とかかっている所が45日から60日で終了できる訳だから、確かに時間の短縮には繋がると言えるはずではある。<br><br>その後I-140とI-485があるのだが、これは同時申請も可能である。<br>I-140が承認されるとEADカードと呼ばれる、発行時より一年間有効な労働許可証が発行される。これは、就労ビザが既に切れている場合就労ビザの代わりとなるもので、グリーンカードが取れるまで毎年更新することになる。I-140が承認され、その承認より180日経過した後にもしEADカードが手元に届いている場合、そのEADカードを行使して自分の所属する会社から他に移る事が出来る。EADカードを取得する事で、雇用ベースより個人ベースに移行するからである。今まで会社に不満を持ちながらグリーンカードの為に悪条件で働いていた人間達は、どうしても現状に我慢できない場合このタイミングを待って会社をかえる場合が多い。会社を移る人間は次の会社も同じようなポジション、同等もしくは以上の給料が求められ、また仕事先も同じ移民局の管轄である事が望まれる。この辺は自身の弁護士に聞いていただいた方が良いと思われる。またEADカードを何回か更新する場合、申請・更新手続きに2－5ヶ月かかるので留意したい。<br><br>就労ビザよりEADカードに移行後、アメリカ国外に出れないという人がよくいるが、そんな事は無い。<br>EADを取得または更新する際に、AP(Advanced Parole）という書類を同時に申請すればよい。APは出国して再度アメリカに入国する際に各空港の移民局の窓口に提出する、通行手形のようなものだ。APは一度の申請につき2通おりる。<br><br>実際グリーンカードの取得は、まだ取得していない人にとってはアメリカに長期に渡り住み続ける為に必要不可欠な、アメリカでの成功への貴重な第一歩である。変な話、グリーンカードさえ持っていれば仕事があろうが無かろうが、また学生であろうが無かろうが全くもって関係無い。またアメリカを短期間離れようが何度でも戻ってこれる。（グリーンカード保持者の海外滞在については通常6ヶ月以内とされるが、移民局に特別申請をすると2年間までアメリカを離れる事が出来る。）<br><br>自分もグリーンカードを申請、3.5年間をグリーンカードが下りるのを待っていた経験上から言えるのであるが、グリーンカードを取得するまでにかかる労力それから弁護士料、そして取得までの年月はとてつもなく大きなコミットメントである。そしてまた、弁護士も人によりけりである。どの法律にもあてはまる事だとは思うのだが、弁護士によって出来る事が出来ないとされたり、申請に時間や金がかかったりするのである。またやはりこのグリーンカード申請に伴う法律もいくつかのグレーゾーンがある。これらグレーゾーンの解釈も弁護士によりけりである。<br><br>3.5年間を短いと見るか長いと見るかは個々の見方によるのであろうが、これだけの間自分の人生がグリーンカードに振り回され、制約されると否が応でもそれに伴う法律に詳しくなる。もし質問があるようであれば分かる範囲で回答して行ければとは思っている。<br><br><br>p.s.<br>最近グリーンカードがとてつもなく早く取得できるらしい。数人の知り合いが今年に入ってから6ヶ月以内に続々と取得している。通常RIRでさえ早くとも3年半、長ければ7－8年は待つというのが常識だったはずで、こんな事態は自分が知る限り過去10年では起こりえなかった事である。<br><br>Peace
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<link>https://ameblo.jp/zblack/entry-10081399571.html</link>
<pubDate>Thu, 20 Mar 2008 13:20:43 +0900</pubDate>
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<title>MBA（経営修士号）の勧め　2</title>
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<![CDATA[ <br>前回に書いたMBAプログラムに入学した元IBMでの同僚の一人であるが、彼はもう既に卒業し最近働き始めたとの事で、先日連絡をしてきた。彼はまだノースキャロライナのDurhamに住み、RTP（Research Triangle Park)と呼ばれる州の一大プロジェクト地域にあるRed Hat（Linux)で、プロダクト・マネージャーとして働いているとの事だ。余談ではあるが、ちなみにRTPとはノースキャロライナの州都 RaleighとDurham、Chapel Hillを線で結ぶ二等辺三角形の形をした地域で、そこにIBM、Cisco、Nortel、Red Hat、Ericsson、BASF等のハイテク会社や、政府系のBio関連企業が立ち並ぶ、いわゆる経済区域である。ノースキャロライナには全米でも著名な大学が多くある事でも有名で、バスケの名門であり常に学業でもトップ10に入るDuke大学、マイケル・ジョーダンが卒業した事でも有名そして且つ学業でもトップ20に入るUniv. of North Carolina at Chapel Hill、トップ30のWakeForest大学、理工系で強いといわれるノースキャロライナ州立大等がある。そういった有名校から卒業する学生達を州外への流出を阻止しようという動きがRTPの始まりである。<br><br>その元IBMの同僚であるが、WakeForestのMBAに入学し一年後のインターンで既にRedHatにて働いていたそうである。前回には書いてはいなかったのだが、MBA在学中のこのインターンが非常に大事である。これは自分にとっては自分が所属するMBAプログラムの名前を使って有名企業に簡単に入れるチャンスであり、それが卒業後のコネクションとなる。企業側からすれば、若い優秀な人材をインターンとしてお試し期間の間、Fulltimeの従業員として雇うより安価に、しかも卒業後の雇用を見越してリスクを軽減させながら働いてもらう事が出来る。もし仮に卒業後、そのインターンをさせてもらった企業で働くことが無くても、どこでインターンをしていたかというのは将来の仕事先に非常に影響してくる大事なポイントなので重要である。彼は卒業後、RedHatにてFulltimeのプロダクト・マネージャーとなり年収9万5千ドル（USドル＝115円とする）、日本円で1千92万を稼いでいる。一つ特記するとすれば、アメリカの平均給与体系は州によってばらばらであり、自分が現在住むシリコンバレーでは大よそ他の州より1万ドルから2 万ドル高いのが通常。　なので他の州の9万5千ドルは、シリコンバレーにおいて10万5千ドルから11万5千ドルくらいになるであろう。　日本円にして千二百万から千3百万くらいだろうか。もちろんこの数字をどう見るかはきっと個人的な見解によるものだろうが・・<br><br>現在自分はカリフォルニアのシリコンバレーに移りあれから仕事もかわった。彼とは２年間自然以外至って取り柄の無いノースキャロライナの一IT企業にて、苦楽を共にした仲であり色々な事を一緒に経験させてもらった。<br><br>今後ともにずっと連絡を取り続けたい友人の一人である。<br><br>ちなみに彼は現在満30歳。Peace
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<link>https://ameblo.jp/zblack/entry-10080614356.html</link>
<pubDate>Mon, 17 Mar 2008 13:00:07 +0900</pubDate>
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<title>MBA（経営修士号）の勧め</title>
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<![CDATA[ MBAとはMaster of Business Administration（経営修士号）の略である。MBAを取るプラクティカルな理由の一つとしては自分の人生やキャリアにおけるステップアップだと言える。日本人MBA Candidateの場合、私費留学と企業からの派遣留学とに分かれる。<br><br>MBAと言えども学校によって様々なプログラムがあり、学校によってフォーカスが違うのではあるが一般的にMBAを取るということは、アメリカでも日本でも人生の勝ち組となる通行手形を手に入れると同意義と解される。日本人MBAはたくさんあるビジネススクールの中からTop20に入るビジネス・スクールを選んで受験するのが普通である。International枠とアメリカ人枠があり、通常International枠はアメリカ人枠よりもより高い基準を求められることになる。<br><br>入学審査に必要な物としては次が挙げられる。<br>*　GMATのスコア　GMATは巨大教育関連会社ETSから提供されるビジネス・スクール受験の為の試験。ビジネス・スクール以外はGREというこれまたETS提供の試験を受ける。ロー・スクールはLSAT、メディカル・スクールはMCAT。尚、ETSはCIAやFBIの職員採用試験、また次に述べるTOEFLをも提供している会社。数学と英語からなり、英語はかなり難しい。数学は練習次第で90-95%は取れるようになる。トップ20をInternational枠で狙うには大体GMATで700点以上が目安とされる。<br><br>*　TOEFLのスコア　言わずと知れた留学生がアメリカの大学・大学院に入る為のテストである。GMATに比べれば5倍易しい。<br><br>*　大学の成績証明書・卒業証明書　大学時の成績はGPAという計算方式によって数値として換算される。もちろんこのGPAが高ければ高いほど良い。<br><br>*　推薦状　これは学校にもよるが2通から3通必要となる。仕事の直属の上司、それから大学のゼミの教授にお願いして書いてもらう事になる。個人的にはPersonal Referenceとして誰か自分のプロフェッショナルな面とプライベートな面を良く知っているチーム・リード辺りの推薦がもう一つあると心強いとも思われる。<br><br>*　Essay（個人論文）　トップ20となるとEssayのトピックは大体各ビジネス・スクールから指定されてくる。それに沿って書くわけであるがその手の参考書や例は出版されているのであまり触れないことにする。<br><br>*　受験料　これはスクールによって様々である。Dukeの場合$200位、Univ.of North Carolina at Chapel Hillの場合$70。<br><br>*　面接　各スクールまで指定日に行って、担当官と面接をする。<br><br>*　残高証明　人生の勝ち組へのパスポートとは言え、その対価は決して安くは無い。プライベートのビジネススクールだったら授業料だけで年間400万もする。その場合2年で800万、それにアパート代、生活費等の諸経費を入れると1,200万は行くはずだ。<br><br>最後の残高証明についてだが、会社からの派遣だったら金は会社がほとんど持ってくれるわけであるから、これは意外に簡単に成し遂げられる。その代わり会社によっては、MBA取得者が、後に会社に戻り何年間働くかという誓約書を書かせられる。どれだけ法的拘束力を持っているのかについては疑問符が付くのだが・・<br><br>これの中ですべてが欠けても強いアプリケーションは出来ないとよくその手の出版本には書かれているが、それは本当であろう。しかし、推薦状やEssayはほとんどの人間が完璧に、そして強いものをみんな仕上げてくる。その中でもし自分が担当だったとしたら、やはりGMATやTOEFLの点数、それとGPAを合わせたコンビネーションで足切りをするのは必須だと考える。<br><br>個人的な意見で申し訳無いが、ビジネス・スクールで習うことは特に重要では無い。たった1.5年間もしくは2年間、MarketingやAccounting、Finance、Economy、MISやeBusiness等を自分の専攻に合わせて2,3個取るだけだ。その時は死に物狂いで勉強をしなければならないが、それによってビジネスのプロになるかと言えばそんな事は無い。ましてや自分が知っている、今まで見てきた日本人MBA達はみんなプレゼンの時やグループ・プロジェクトの時はPower Pointを作る役、又はボタンを押してページを進める役だ。しゃべったり、代表としてパフォームするのはアメリカ人に任せる。だが、試験になると日本で今まで鍛えられてきた受験勉強を通ってきた人間達である、いい点数ですり抜けるからどんなに発言等のClass Participationが悪くても教授が落第にすることは無い。（よほど逆鱗に触れた場合以外だが）<br><br>極論を言おう。最初にも書いた通り、MBAは勝ち組への通行手形・パスポートである。それが人生における勝ち組への保証では決して無いが、力強いパスポートである。高い授業料を払って、人脈、スクールにおける経験、そのビジネス・スクールの名前を買う。<br><br>２００５年、自分の友人3人がアメリカ、UK等の大学院を受けた。<br>3人とも既に受け入れ先が決まり、素晴らしい限りだ。一人は自分の同僚で、申し分ないGMATスコア、申し分ない推薦状にEssay、5年間の様々なITプロジェクトを誇る素晴らしい職歴を持ってもトップ10の第一志望、トップ20の第二志望は共にだめだった。しかし彼は第三志望に奨学金付きで決まった。<br><br>Peace
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<link>https://ameblo.jp/zblack/entry-10078842686.html</link>
<pubDate>Mon, 10 Mar 2008 15:38:21 +0900</pubDate>
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<title>アメリカの憂鬱</title>
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<![CDATA[ アメリカの憂鬱<br><br>Bowling forColumbineと言う映画がある。カメラとユーモアを武器に、世の中の不合理に鋭く迫る異端のジャーナリスト、マイケル・ムーアが、全米に大きな衝撃を与えたコロンバイン高校銃乱射事件を足掛かりに、アメリカ銃社会の矛盾を強烈に斬りまくった傑作ドキュメンタリーである。全米ライフル協会会長チャールトン・ヘストンに、お得意のアポなし取材を敢行するなどまさに体を張った渾身の一作。ドキュメンタリーとして46年ぶりにコンペに出品されたカンヌ国際映画祭では、その圧倒的人気に急遽＜55周年記念特別賞＞を新設してその功績を称えた。<br><br>　時は1999年4月20日、アメリカ・コロラド州の小さな町リトルトン。”トレンチ・コート　マフィア”を名乗る２人の少年は朝の６時からボーリングに興じていた。いつもと変わらぬ１日の始まり…のはずが、この後２人の少年は銃を手に彼らの通う学校、コロンバイン高校へと向かった。そして、手にしていたマシンガンを乱射、手榴弾を投げつけ、12人の生徒と１人の教師を射殺し23人を負傷させた後、自殺した。<br><br>マイケル・ムーアは問う、“なぜアメリカはこんなにも銃犯罪が多いのか”と。その疑問を解消するため、マイケル・ムーアはカメラとマイクを手に様々なところへアポなし突撃取材を始める・・　というのがこの映画のあらすじなのだが。<br><br>”Fahrenheit911”、邦名「華氏911」でも用いた彼の手法に、わざとトピックと関連性が薄いと思われる事実や、直接の繋がりが無い部分をいかにもそれが重要な部分であるかのようにしてフィルムに入れることがあり、そこを共和党とその支持団体に先の大統領選挙の際に突付かれたという事実がある。この映画も少しそんな部分があったが、アメリカ社会の根底にある実態とアメリカ人のMentalityをスクープして、この国の暗部にメスを入れるという根性の入った、よく出来た作品だというのが実際の感想である。　<br><br>下の数字は映画の中に出ていたもので、自由主義経済国別比較で年間銃がらみで殺された人間の数である。　<br><br>ドイツ　381<br>フランス　255<br>カナダ　165<br>イギリス　68<br>オーストラリア　65<br>日本　39<br><br>アメリカ合衆国 11,127<br><br>憶測するに、映画が作られたのが2003年、とすると多分前年2002年の数字かと思われる。<br><br>カナダはアメリカと同じようにK-MartやWallMartで簡単に銃と弾丸が手に入る。しかも、店内がアメリカのそれと同じ仕様なので、子供達の多数集まるスポーツ用品売り場の中の一つのセクションとして、もしくはそのすぐ隣で売られている。そしてアメリカ同様、国の総人口に対して銃を購入する人々の割合が高いことも事実だ。それからカナダの失業率はアメリカの2倍もある。ましてやカナダの非白人の割合は全人口の13％で、アメリカのそれとほぼ近い。<br><br>Michael Mooreは問う。<br>それではなぜアメリカだけが異常なのか？アメリカが建国以来たどってきた暴力的歴史のせいなのか？　世界にそんな国は他にも多いのでは無いのか？殺しに走った2人の高校生はMarilyn Mansonのファンだったからこんな事を犯したのか？MarilynMansonはゴス・ミュージックの本拠地ドイツでは聞かないのか、もしくはもっと激しい音楽を彼らは聴いているんじゃないのか？ボーリングにそういった衝動を駆り立てるような要素があるのか？　たとえそうだとしても、ボーリングは他国ではポピュラーじゃないのか？　アメリカの子供達が最近、暴力的なビデオゲームで遊ぶからか？それらのほとんどは日本から来るのでは無いのか？　アメリカの家庭の崩壊が原因なのか？　しかし家庭の崩壊はイギリスの方が進んでいるのでは無いのか？ <br><br><br>NRAという組織がある。National RifleAssociation（全米ライフル協会）。　武装市民の権利をまもりあたかも銃メーカーの広報部として活躍する全米最大のロビー団体で、非常に有名な共和党支持母体である。NRAは1871年に設立され、360万人の会員と年間150億円予算を持つ。「銃が人を殺すのではない。人が人を殺すのだ。」が、銃を擁護する彼らのキャッチフレーズになっている。経済力にものを言わせ、選挙では、あらゆる中傷で銃規制派の議員候補の落選を画策する。<br><br>その当時（2003年）のNRA会長　チャールトン・へストンにMooreが単独インタビューをした。　ちなみにこのヘストンと言う男、映画「猿の惑星」・「ベン・ハー」の英雄を演じた男である。ヘストンは、”銃を持つというのはアメリカ人にとって、憲法で保証されたアメリカ人としての権利である。私はその権利を行使しているに過ぎない。”と言っていた。　なぜアメリカ人だけが銃で殺しあうのか？というMooreの問いには "I don'tknow"を繰り返し、言葉を詰まらせる。Mooreの間髪を入れない鋭い質問の嵐に、彼はとうとう怒って席を立ってしまう。よろよろとMooreの前を歩き去る老人に「ベン・ハー」を演じた俳優だった頃の面影は薄かった。<br><br>結局のところ、この映画でMooreが導き出したかった究極の疑問は、なぜアメリカ人はそこまで疑心暗鬼に他人・隣人を恐れるのかである。<br><br>少し結論を急ぐとする。自分なりの考えをまとめよう。<br><br>まずこの国の銃使用についてだが。人間誰しも人に対して切れる事はあるだろう、そんな時に誰もが容易に銃を手に入れれるという状況が問題なのである。アメリカで良く使われる言葉に「Trigger Happypeople」というのがある。意味は直ぐ銃をぶっ放す人間達という意味だ。人に対する猜疑心はこの様なTrigger HappyPeopleを生み出す。銃には銃を持って対処する、やられる前にこちらからやるという考えが完全に正当化される。<br><br>そしてアメリカ人の他人への疑心暗鬼は、この国の徹底した個人主義の脅迫観念と、それがキリスト教から来る性悪説とが相まってもたらした負の遺産なのである。<br><br>例を挙げて説明するなら、「壁のあるコミュニティ－」である。最近、アメリカで流行っているのは、壁で囲まれたコミュニティ－の中に自分達の豪華な家を持ち、ゲートをもって外からの人のアクセスを制限する壁に囲まれたコミュニティ－で安全な生活を送る事。そんなコミュニティ－に住むのはアメリカのアッパー・ミドルクラスより上の階級のかなり高額所得層の人間達だ。　そんなコミュニティ－には子供の居る家族ももちろん多いのだが、コミュニティ－内に学校を建設する事をコミュニティーに住む一部の母親達が提案すれば、住民投票で大多数を持って却下してしまう。なぜなら、コミュニティ－に学校を作る事になれば、ゲートの外からも同じ学区の他の人間がコミュニティ－の中に入ってくる事になり、自分達の生活が脅かされる又はコミュニティ－の価値が下がるからだ。こんな壁に囲まれた高級コミュニティ－がこの国には多数点在する。<br><br>もう一度言うが、彼らの他人に対するそこまでの疑心暗鬼は、こういった壁のあるコミュニティ－に住む又は、住もうと望む人間達から分かるように、徹底した個人主義そしてそこから派生する貧富格差から始まる。彼らにとっては、他人の事なんかどうでも良い。自分達さえ安心して暮らせれば、同じ堀に囲まれたコミュニティ－に住む人間達でさえどうなろうが知ったことでは無い。自分達に子供が居なければ、他人の家庭の事情なんて構わない、学校を作った事で外の人間が入り込み、自分達の生活が乱されるのは全くもって迷惑だ。<br><br>最近のアメリカは、貧富の差をむしろ奨励するような社会に変貌しつつある。そしてアメリカの民主主義の理念は、個人主義の前に締め出しを食らっている。<br><br>Peace
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<link>https://ameblo.jp/zblack/entry-10076255524.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Feb 2008 10:38:30 +0900</pubDate>
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<title>Darrell Royalの手紙</title>
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<![CDATA[ <p>テキサス大元名フットボールコーチ　Darrell RoyalがUTのチームの選手に宛てた手紙の紹介。<br><br>Darrell Royalの手紙 <br>　 <br>　親愛なるロングホーン諸君 <br><br>　打ち負かされること自体は、何ら恥ずべきことではない。打ち負かされたまま、立ち上がろうともせずにいることが、恥ずべきことなのである。ここに、数多くの人生での敗北を喫しながらも、それから立ち直る勇気を持ち続けた、偉大なる男の歴史を紹介しよう。 <br><br>　1832年　失業 <br>　1832年　州議選に落選 <br>　1833年　事業に失敗 <br>　1834年　州議会議員に当選 <br>　1835年　婚約者死亡 <br>　1836年　神経衰弱罹病 <br>　1838年　州議会議長落選 <br>　1845年　下院議員指名投票で敗北 <br>　1846年　下院議員当選 <br>　1848年　下院議員再選ならず <br>　1849年　国土庁調査官を拒否される <br>　1854年　上院議員落選 <br>　1856年　副大統領指名投票で敗退 <br>　1858年　上院議員、再度落選 <br>　 <br>　そして1860年、アブラハム･リンカーンは米国大統領に選出された。 </p><p><br>　諸君も、３軍でシーズンを迎え、６軍に落ちることがあるかもしれない。１軍で始まり、４軍となるかもしれない。諸君が常に自問自答すべきことは、打ちのめされた後、自分は何をしようとしているのか、ということである。不平をこぼして情けなく思うだけか、あるいは闘志を燃やし再び立ち向かっていくのかということである。今秋、競技場でプレーする諸君の誰もが、必ず一度や二度屈辱を味わわされるだろう。打ちのめされたことがない選手なんて、かつていたことがない。 <br>　ただ一流選手はあらゆる努力をはらって速やかに立ち上がろうと努める、並みのフットボール選手は立ち上がろうとするのが少しばかり遅い、そして敗者はいつまでもグラウンドに横たわったままである。 <br><br>　『新フットボール専科』より<br><br>peace</p>
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<link>https://ameblo.jp/zblack/entry-10075565333.html</link>
<pubDate>Tue, 26 Feb 2008 16:15:34 +0900</pubDate>
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<title>アメリカに生きる日本人</title>
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<![CDATA[ <br><br><p>自分を含め、一概にアメリカに住む日本人は、日本人としてプライドが強いのではないかと思う。</p><br><p>自分の場合それは以前にも記述したが、アメリカン・スクールに育ち、日本人としてのIdentityの欠如を真剣に悟ったという事ももちろんそうさせる要因としてあるだろう。それから、この国では中国人・韓国人からは日本人と言うだけで本当に露骨な、嫌な態度をたくさん受けた。アメリカ育ちの自分の友人達も境遇は同じだ。自分も友人達も、何もみんな一歩離れた所から彼らを観察していたわけでは無く、何も知らなかった好奇心に溢れた幼い頃は、彼らの文化や彼らの日本との関係を理解しようと積極的に努めた。しかし、中に入り込もうと努力すれば努力するだけ、それが限りなく不可能に近いのでは無いかという思いに駆られた。海外で育った日本人が意外と日本人として、または国としての日本に求心力が強いのは、他民族との軋轢を自分の肌で感じる回数が普通の日本人より多いからであると断言出来る。<br><br>自分が成長の過程で日本人としての自我を確立し、世界における日本として、国家ベースでのベストを考えるのがいけないことだろうか？　または右翼的な事だろうか？　日本に居る時は、それがまるでタブーであるかのようなプレッシャーすら感じた。日本はアメリカに戦争で負けて、正直本当に腑抜けにされてしまったのだろうかとすら感じた。　<br><br>家族ベースでならどうであろう？　自分の家族が他から脅かされる事の無いように、もしくは損をしないように、出来るだけリスク・危険を避けながら、自分の家族が平和にそして繁栄できるのかという事をきっと考えるに違いない。</p><br><br><p>私は、自分が今まで人生の約半分を過ごした自分の母国日本が、母や祖母が生まれ育った日本という国が、今後50年、100年経っても他民族に名前を変えさせられる事無く”日本”であって欲しいし、他国にその存在を脅かされる事無しに、50年、100年後もそこにあり続けていて欲しい。欲を言うならば、今の経済力を維持できていて欲しい。そして何よりもかによりも、自分が日本人だと誇れるような、今以上に魅力的な国であっていて欲しい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/zblack/entry-10075271265.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Feb 2008 11:15:11 +0900</pubDate>
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<title>世界のPro Japanな国々</title>
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<![CDATA[ 世界のPro Japanな国々<br><br><br>Pro Japanな国々とは、日本語で言う所の親日な国々である。<br>海外で暮らす日本人は概して望郷の念が強いのは事実であろう。色々な人種や民族と共に他国に生き、そして外国人として扱われる理由等から、自分が日本人であると言う事を強く認識、または考えさせられる機会が非常に多いのだ。しかし反対に、そういう事実を踏まえて生活していると、日本人または日本に良い印象を持っている国々、いわゆる親日国家から来ている人々が結構居る事にも気がつく。人によって色々と親日国家というのがあるみたいだから、まず自分の経験から思う親日国家を挙げさせて頂く。尚、台湾と香港は大抵、ほとんどの日本人が親日国家として既に認識していると思われるので、敢えて省略させていただく。<br><br><br>経験上、親日国家として案外知られていないのはインドだ。アメリカのIT業界に居るものならこれは周知の事実なのだが、何しろインド人の割り合いがとてつもなく大きい。自分のプロジェクトの人数はオフショアやマネジメントも含めて60－70人位の部隊なのだが、その中でインド人は8割位いる。そしてみんなべらぼうに数学能力が高い。インド人の小学生高学年生は三桁の暗算が常識で数学の能力が不思議にも高いうえ、英語が公用語というメリットがある。性格的にも自己主張だけが激しくても責任をとらない中国人より扱いやすい。それからインドの大学就学率は中国より高いうえ、難しい英語も比較的容易に通じるため、欧米企業にとって恵みの雨みたいなものだ。だから欧米は中国人よりインド人を雇用したがる。ムンバイ、ハイドラバード、バンガロールなどの先端都市はＩＴ産業のメッカとなり、摩天楼が林立し、クルマも洪水の様に走っている。<br><br>またインド人のコンピューター技術は本当に目を見張るものがある。自分が以前働いていたオフィスには、インドの現地法人から派遣され2－3年のプロジェクトの為にアメリカで就労している人間が多いのだが、その彼らの90%が本国インドでJavaの開発者として2－3年の経験を有している。SQL（データベースの定義や操作などを実現するためのデータベース言語の一つ）をやらせれば5行位のコマンドラインをマシンガンの様にキーボードを叩いていとも簡単に20秒位で作ってしまう。JavaもSQLも数学的な思考能力（例えば、集合や数学的帰納法等である）が必要とされる。<br><br>以前同僚のインド人が何桁にもなる数字の組み合わせの不思議な計算方法を見せてくれた。今まで日本・アメリカでは見たことも無い計算方法で、いとも簡単に複雑な数字のコンビネーションを計算する。何でもこれはインドの何千年も前の太古の古典にも書かれているとの事だった。インド人達は、技術立国としてその存在を世界に確立した日本の事を本当に尊敬している。インド人の中で有名な日本人はSonyの創業者AkioMoritaなそうだ。そして日本の電化製品を褒めちぎる。そんな彼らは日本のビジネス慣習についても詳しい人間達が多い。会うインド人のほとんどは、自分が日本人だと分かると非常に友好的な態度を示す人達が多い。国を発展させる理由で、日本の民主的社会システムや経済構造、そして日本人の勤勉の美徳を教えているインドの国策もその背景にあることは確かだ。<br><br>確かにIBMという巨大な会社で働く同僚の彼らは、インドで熾烈な競争を潜り抜けてきた猛者達であり、またこれは自分のオフィスに働くインド人の話であり、彼らを持って一般のインド人を述べる事は出来ないのではある・・　が、思うのは、インドみたいな大国で、近年のＧＤＰ成長率が10%を超えるこれからの世界経済を担うであろう国が、親日国家であり、また日本の文化や慣習を模範としてくれている事は、非常に心強い事である。日本がこれから将来、インドとのビジネス提携を模索していくのはいい結論を導きそうな気がする。<br><br>それからTurkey（トルコ）だ。過去オスマン帝国時代にロシアに脅かされていたトルコは、日露戦争で勝ったアジアの小国日本に熱狂した。そして1890年のエルトゥールル号事件の際に、和歌山付近で遭難しかけたトルコ人海軍兵を村民が総出で救助と生存者の介抱に当たった。この時、台風により出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、島民は非常用のニワトリすら供出するなど、献身的に生存者たちの回復に努めた。この結果、司令官オスマン・パシャをはじめとする587名が死亡または行方不明となる大惨事ながら、69名が救出され生還することができた。こんな過去の歴史も何か手伝うのであろう、学生の頃は仲間にトルコ人が何人か居たが、他のヨーロッパ人の様な気取ったところが無く、みんな気さくで親しみやすいいい奴らだった。そして何かと日本びいきだったのを覚えている。<br><br>ドイツ人は親日かと思われ勝ちだがこれは人によると思う。自分が今まで会ってきたドイツ人は確かに日本人に対して至って友好的で、たまに第二次世界大戦での同盟関係や、お互いの大戦後50年の復興の奇跡について話しをしたり、共通の歴史や価値観も多いのだが、正直どうも彼らの国民的な垢抜けない気質が苦手ではある。未だに彼らを思うと、気分屋でムスっとしていて神経質、それからけちというイメージをどうしても払拭出来ない。<br><br>それから東欧のポーランドやフィンランド、ハンガリーは親日と言われている。ポーランドは帝政ロシア時代の日露戦争によるものからだと推測されるが、ハンガリーに至っては少し異なるみたいだ。アッティラ大王に率いられたフン族がその地に侵攻して祖先のマジャール人と混血し現在のハンガリーの基礎を作ったとされる。フン族は匈奴（古中国語でHungnu）の一部とされ、ハンガリー（Hungary)の国名はそこから来ていると聞いた。そして日本語の語源はモンゴル語と同じウラル・アルタイ語源に属すと言われるが、ハンガリー語そしてフィンランド語も語源は一緒になる。これらの国の人たちとはあまり接点が無く、周りの人間を通して聞くのみなので、親日かどうかというのは良く分からないのだが、ハンガリー人の友人曰く、ハンガリー人は自分達の事をフン族の末裔だと自称しているとの事だ。事実、ハンガリー人の乳児の臀部には蒙古斑（もうこはん）をもって生まれる赤ん坊が多いという事も聞いた。もしかしたらその辺が彼らが親日と言われる所以と何か関係するのかも知れない。あくまでも憶測であるが・・<br><br>他にも親日国家があれば是非興味があるので教えて欲しい。<br><br>Peace
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<link>https://ameblo.jp/zblack/entry-10075265142.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Feb 2008 10:53:33 +0900</pubDate>
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<title>アメリカでの就職・仕事探し 3</title>
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<![CDATA[ <p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/93/90/10050017916.png" target="_blank"><img style="CLEAR: both; FLOAT: right" height="164" alt="Aliyah2" src="https://stat.ameba.jp/user_images/93/90/10050017916_s.png" width="220" border="0"></a>　このトピック、自分にとっては尽きる事が無い。日本における仕事探しと言うのはあまりどういうものか把握していないので、今回も前回同様アメリカでの話に限定させて頂く。<br><br>アメリカでの仕事探しの基本は、まずインターネット上でJob Searchサイトに登録する事から始まる。それらのうちで有名なものを下記に載せると　：<br><br>monster.com<br>hotjobs.com<br>careerbuilder.com<br>dice.com<br>computerjobs.com<br><br>等であるが、これらに登録してResume(履歴書）を公開するのが一般的だ。もしくは自分が応募したい仕事があればそれに直接Resumeを送りつけて応募するという感じだ。日本ではどうか分からないのであるが、似たようなシステムを持っているのだろうと推測する。ちなみに自分が仕事を探す場合には、それらのサイトすべてに登録する。もし自分のスキルや経験、教育が会社のニーズに合った場合に、その会社のHR（人事部）もしくはその候補となる人物を欲しがっている部署の直属の上司が電話をしてくる。そして部署の人間が電話をしてくる場合大抵、その人が採用された際には自分の上司となる。　HRと直属の部署、どちらがコンタクトしてくるかの確率は、半々だ。ここが日本のそれとは違うのかも知れない。<br><br>リクルーターは人材派遣会社に働く人間達で、自分達は有名・無名企業とベンダー契約を結び、それらの企業が必要とする人材をオンラインで探し出し、それらの会社に派遣するのが彼らの仕事だ。彼らの収入源は、ベンダー契約を結んでいる会社（クライエント）が、リクルーターを通してその会社で働いている人材一人頭に支払うPO（Purchase Order－賃金）内から10－30%位を毎月2回、クライエントの給料の支払い日に受け取る事にある。つまり、仮にクライエントが提示する人材一人頭のPOが年間$100k（一千万円）だとすると、それの$10K－$30K（100万から300万）が彼らのポケットに入る。残りが実際に働く人材のSalaryとなる。もちろん、401Kプランや健康保険等、Taxはすべて働く個人のSalaryからの負担となる。また、ただ紹介料(10－30%）を取るだけの会社もある。<br><br>彼らの収入源についてとやかく言うつもりは無いし、そんなビジネス・モデルは存続している以上、数多の企業にとって有益なもので有るのだろうとは感じるのだが、彼らのビジネスマナーについては結構むかつくことは多い。<br><br>彼らはオンラインで探すことの可能な膨大なResumeの中から、自分達のクライエントが求める特定の、具体的なスキル名やアプリケーションの名前を、検索欄に入力する事によって検索する。例えば”WebSphere”のスキルを持った候補を探す時は”WebSphere”をそのまま入力して、検索ボタンをクリックするだけだ。それに引っかかるResumeの中から候補者を手当たり次第に電話していく。しかしいざ電話がかかってきて話をして見ると、　”WebSphere"の事など何も知らない。クライエントが求めるスキルと経験を良く把握していない。なぜ電話をしてくるのかと言えば、Resumeに”WebSphere"と載っていたからだと言う。こちらのResumeさえ十分に読んでいない。<br><br>リクルーターからの電話の90%（米系、日系含めて）がこんな感じだ。<br>だから、最近のアメリカで仕事を探す人間達は、自分のスキルを磨くよりもResumeに奴らが好むKey Wordを載せる事に躍起になる。IT分野に居る友人達は、リクルーターから電話をもらう為に、大して使ったことも無いそういったKey Wordを自分達のResumeに散りばめる。そして電話をもらってから勉強したり対策を練り始めると言う具合だ。その次のクライエントからの電話に備えて、3日－4日かけてフェイク出来る様に触りだけをマスターする。<br><br>こんな所にもアメリカのキリスト教の性悪説に基づく考えが、ここに強く出ているような気がする。<br>アメリカでは、あるスキルにおいて経験の無い人間が、努力してそのスキルを習得すると言う行為を非常に疑う。日本みたいに文系出の人間が、他の部署に回され理系の仕事をするなんてまず難しいであろう。社会そのものが日本の様に性善説に基づいて成り立っていないから、仕事に置いても、人の可能性を信じるより専門を縦割りに作り、その専門での経験と実践のみを評価するスペシャリスト育成に重きを置く。正確に言えば、会社が育成するというよりは自分で専門を取得しろと言う、経営者フェーバーな社会である。日本の様に会社が金を出して歳月を掛けて従業員をジェネラリストにし、全体のオペレーションを分かる様に育てる社会では無い。<br></p><br><p><br>そこで何となく腹立たしく思うのは、そんな自分達にスキルも職歴も無い、ましてや自分達の成すべき仕事すらしていないリクルーター達が人のResumeについて云々抜かす時だ。もちろん、この限りでないリクルーターも色々知っているのだが、自分がまだ駆け出しだった頃、”君のResumeはこれが足りないな”、”君のスキルで、この給料はちょっと高すぎるよ”等と抜かされた時はやはりむかついた。<br><br>キャリアの勝ち組・負け組的な本を出版している、人事コンサルタントとやらもまず謙虚に、自分達の仕事の有り方を考える事を進める。自分達が赤の他人の仕事の採用・不採用を決めるに際して、自分達はそれを決めれる能力と見抜くだけの目を持っているのかどうかをまず自分自身に問いかける事だ。<br><br>敢えて具体的に言うのならば、自分よりもその分野についての本を読み、業界におけるトレンド、うかつに口にするアプリケーションの実用性・仕様を大まかにでも分かってから電話して欲しい。そして人間的にも向上心があり、学習能力があり、人を見下した態度を取らない謙虚で、少なくともコミュニケーションの出来る人間で有るべきだ。というか、そうであってもらわなければ逆に納得がいかない。</p><p><br>自分が彼らから自分の分野でプロフェッショナルであるのを求められるように、彼らにも自分達の仕事に対してプロフェッショナルであって欲しい。<br><br>写真　=　Aliyah<br></p><p>Peace</p>
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<link>https://ameblo.jp/zblack/entry-10074731742.html</link>
<pubDate>Sat, 23 Feb 2008 07:46:24 +0900</pubDate>
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<title>アメリカの引越し</title>
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<![CDATA[ <br><br><div><a target="_blank" href="http://stat.ameba.jp/user_images/88/5a/10049769602.jpg"><img width="220" height="161" border="0" style="clear: both; float: right;" alt="US" src="https://stat.ameba.jp/user_images/88/5a/10049769602_s.jpg"></a></div>　アメリカに長く住む人間達、特に働く人間にとって、引越しは切っても切れない不可欠な行動なのではないだろうか？そして仕事を変える際に、運良く同じ街で違う仕事を見つけられる人間は幸いである。自分自身がIT分野で働いているという観点から話すのであれば、このアメリカでどの街でも共通して仕事口があるのは大体次のIT職種3つに限られる。<br><br>1．コンピューター・プログラマー　（特にC++/Java - J2EEで経験3年以上）<br>2．データベース・アドミニストレーター（DBA: DB2もしくはOracle、出来ればUnix/AIXのShell Scriptingの知識要）<br>3．ソフトウェア・テスター　（Testing Toolを何か使いこなせる人材）<br><br>反対に言えば、経験のあるJavaの開発者であったりOracleのDBAであれば、働いてみて条件が合わないもしくは仕事が気に入らなければ、同じ街でいつでも仕事が探せると言う事だ。こういうテクニカルな専門職は、今の所アメリカではどの街でも需要があり重宝される。Salaryの相場としては、普通のアメリカの地方都市で$60K－90K、シリコンバレーだと70K－130Kの間という感じであろう。シリコンバレーは特殊な土地柄であるので、分けて考えた方がいいかも知れない。<br><br>IT以外だと何であろう？<br>CPA（会計士）や企業のAudit等であろうか？　これも確かに需要が高くて専門知識が必要とされるProfession（職業）ではある。CPAのライセンスを持ち実際の会計経験を有する人材はかなり重宝されるであろう。<br><br>もう一度言うが、ここにあげたこれらの職種は、もし仕事が解雇になってもその専門性と需要の高さの為に、他の州や街に移ることなく、同じ街でまた同種の仕事が見つかる確立の高い職種である。こういう職種についた人間は、その住む街で家庭を持ち家を購入したりするという、長期的なVisionを持ちながら生活する事が他の職種の人間よりもたやすい。もちろん、それ以外の職種でもずっと同じ所に住めるラッキーな人間というのは居る。<br><br>だが大抵のアメリカ人またはアメリカに住む人々は、高い離婚率もその要因の一つとなって、引越しを繰り返して生きていくのが普通と言えるかもしれない。<br><br>そういう自分自身、現在まで州を超えての引越しは4回、同じ街でを含めると7回になる。<br><br>人それぞれ家族構成によってMover（引越し会社）を頼んだり、U-haulや、Penske等の引越し専門会社から個人牽引トラック・トレーラー等を借りる事になる。自分の場合、U-haulからトラックを借り、それに自分でベッドや家具・電化製品を運び入れ、トレーラーをトラックの後ろにHitchで付けてその上に自家用車を載せ、そのトレーラーを牽引したトラックを自分で運転して、今まで引越しを繰り返してきた。この場合、トラックの免許は特に必要とされない。出発地点のどこかのU-haul営業店よりトラックとトレーラーを借り、目的地のU-haul営業店（どこでも構わない）でそのトラックとトレーラーを返却するだけだ。<br><br>2003年の8月、テキサス州の州都Austinからノースカロライナ州Raleighまで、1,378.0マイル（2,217Km）をかけて引越しをした。仕事がこのノースカロライナ州で見つかった為だ。トラックを運転し、それにトレーラーを付けていることで機動性にかけた事もあり、Raleighに着くまでに丸3日を要した。同じAustinに住んでいた友人は自分の引越しから半年後、カリフォルニア州のSunnyvaleに仕事を見つけ1766.7マイル（2842Km)を旅した。<br><br><br>その後、また2005年の5月からテキサスに戻り、2006年の4月にはLAに。　2007年10月に今のシリコンバレーに移った。このシリコンバレーには仕事が多いからであろうか、何となく少し腰を据えてもいいような気がするのだが　・・・・　　自分がプログラマーやCPAで無かった事に対する惨めさはむしろ無い。<br><br>Peace<br><br><br><a href="http://www.manachan.150m.com/" target="_blank">&nbsp;</a>
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<link>https://ameblo.jp/zblack/entry-10074300548.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Feb 2008 13:27:27 +0900</pubDate>
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<title>アメリカでの就職・仕事探し　2</title>
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<![CDATA[ <p>前回からの続き・・</p><br><p>　大学院当時に企業との面接と称してフリー旅行させて頂いた回数は10回、働き始めてからは6回になる。行った場所（つまり企業のあった場所は）は、NYC、SF、Indianapolis、Portland,OR、Atlanta、Boston、Dallas、Austin等だ。Alabamaの僻地やOhioの廃れた旧鉄鋼産業の街に行ったこともある。違う面接ごとに複数回行った場所も何箇所かある。<br><br>アメリカでは一つの仕事・ポジションに平均200人が応募すると言われる。それらの候補者の中からResume Screeningを経て、また電話インタビューを数回経て、面接にまで辿り着く。わざわざ企業の方が費用を全て支払い、そこまでして面接に呼ばれるという事は採用まで近い事を教えるものでもあるのだが、そこではまだ何人か居る候補者の中の一人に過ぎない。<br><br>前回にも述べたように、学生の頃は、その面接に呼んでくれた会社がすべて費用を出すので、ただ旅行が出来るのが単に楽しかった。正直、その為に就職活動をしていたと言っても過言では無い。だから仕事が決まるかどうかも大事だったが、同時にあまり期待も無かった様に思える。ただ働き始めてからは、現状を変えるため、またその必要性からの切羽詰っての決断、という状況もあっての仕事探しであるから話は多少は違う。<br><br>どんなに不況でもIT以外の会社では金のある企業も結構あるものだ。そういう会社は、自分達の求める人材に近いと思われる候補者達を、次々に採用基準に合致する人材が現れるまで面接して行く。この場合、一番最初に面接に呼ばれるというのは、概してあまり好ましい事では無い。会社は最初の人間を持ってその後の面接基準とするからだ。<br><br>そして面接方式も様々だ。主な面接としては、候補者が一つの部屋に通され、自分が配属される予定のチームから、直属の上司を含める5-6人と次から次へと個人面接をするやり方だ。一人が30分位で、休憩も入れて大体3時間から4時間かかる。この場合、一番最初に面接をするのは概して直属の上司又はDecision・Makerとなる人間である事が主だ。ユニークなものとしては、NYのあるコンサルを受けた時に、2人のパートナーの前で自分のプレゼン・スキルであるとか仕事への絶対的自信の程であるとかを1-5段階のマークシートで評価しろと言われた事がある。そしてその理由をDefendするという形式だった。分析力に優れるであったか・・　自分はその、2人のいかにもアイビーリーグ上がりのパートナーたちを目の前にして、多少謙虚らしさを出そうと考え、その項目に４をつけた所、’俺たちが若かった頃は全部5にしたもんだがな　笑’とたしなめられた事もあった。</p><br><p>又、ある医療系の会社では、何か一つIT技術について20分くらいのプレゼンを大勢の前でやる事を要求された事もあった。その時はたまたまMasterの最終試験でSupply Chain Managementの口頭プレゼンテーションを終えたばかりと言う事もあり、それをそっくりそのまま使わせて頂いた。<br><br>自分の場合、たまに働く会社で面接を行う側になる事もある。こんな時、面接を受ける側の人間を良く観察する事が出来る。アメリカでは業種にもよるが、面接を受ける人間がカジュアルな服装で来たり、椅子に踏ん反り返ったり、足を組んだりと人それぞれ格好も態度も千差万別であるのだが、それでは彼らはびびってないのかと言うと決してそうでは無い。わざと臆さない振りをしているのだ。アメリカでは面接時にいい人カードを使うよりも、物事を聞かれた事に対してはっきり言える、言動に自信が伴っていて、足を組むくらいの態度で望むのが一番効果的だ。もちろん、日本でそれらをやるのはリスクが高いのだろうが・・　ちなみに自分はいつも黒のスーツにブルーのシャツ、黒のタイで、やはり足を組んで座る。</p><p><br>コンサルの面接でNYCに行った時に、Wall Streetで行き交う人々に紙を配っているスーツを着た男が居た。近くまで行ってその配られている紙を良く見るとそれは彼自身のResumeであった。その経歴ははっきり言って凄いもので、なぜこんな人がここでResumeを配っているのだろう・・こんな人間でも首になるのだろうか等と改めてWall Streetの凄さを見せ付けられたのだが、それと同時に年収ミリオンを稼ぐ人間達の集まる世界の金融センターのこのWall Streetで、こうやってResumeを配っているこの男も凄い奴だと思った。<br><br>彼ならきっとあの後直ぐに仕事を見つけたのだろうと信じている。<br><br>Peace</p>
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<link>https://ameblo.jp/zblack/entry-10073806062.html</link>
<pubDate>Tue, 19 Feb 2008 12:19:05 +0900</pubDate>
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