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<title>インド放浪記</title>
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<description>管理人が2006年2月～3月にインドを旅してきた時に、日々綴った日記をブログとして公開します♪</description>
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<title>【あとがき】</title>
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<![CDATA[ <p>インドを旅して間違いなく自分の中の何かが変わった気がする。<br>使い古された表現をするならば、「視野が広がった」ということになるだろう。</p><p><br>日本に帰ってきてからしばらく、道を歩くと「牛がいない」「野良犬がいない」「クラクションがなっていない」「クルマがきちんと２列で走っている」「動物や人間の糞が落ちていない」などということに驚異を感じることができている。<br>これらは日本では「当たり前」だがインドでは「アリエナイ」である。</p><p><br>また列車が分刻みに正確に各駅で発着を繰り返す日本の鉄道と、その列車が10分遅れただけでクレームを入れる日本人は、まさに「驚異」そのものだ！</p><p><br>今回のインドの旅は、単なる娯楽の旅ではない。<br>楽しいことはもちろんたくさんあったが、つらいことの方が多かった。</p><p>なぜ決して小さくない額のお金を使って、学生時代の貴重な時間を使って、こんなに苦しい思いをしなければならないのだろう、と思うことが何度もあった。<br>「今すぐ日本に帰って、あの豊かで快適な暮らしに戻りたい」、と幾たび願ったことか――<br>しかし、それでも私（私たち）は旅を続けた。なぜならそこには目に見ない大切なものがたくさんたくさん転がっているからだ。</p><p><br>日本にいては一生かかっても目にすることのない光景や、感じることのできない情動が、旅先、とりわけインドのような特異な場所では、毎日嫌と言うほど浴びせかけられる。<br>私たちはそんな光景をただ見るだけではなく、目を背けることもせず、じっくりと向き合ってそこから何かを学びとろうと努力することが重要である。<br>そんなハードな自己との戦いを経てこそ、心の中に新しい世界をようやく招き入れることができるのではないだろうか。<br>――世界の人口の実に６分の１が暮らす複雑怪奇・魑魅魍魎の国、インド――<br>そのほんの一端だけでも私はリアルな体験を通じて、私の一部とすることができた。<br>この旅は、私にとってなくてはならなかったものだと、断言できる。</p><br><br><p>最後に、この長い長い（文庫本か！？というくらい長い）３週間のノンフィクションの物語を終わりまで読んでいただいた読者（友人）の方々に感謝したい。</p><p><br>ぜひ感想をこちらまで！ ↓↓↓ m(_ _)m<br><a href="mailto:cantaloupe_island_blog@yahoo.co.jp">cantaloupe_island_blog@yahoo.co.jp</a> </p><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Wed, 29 Oct 2008 01:11:34 +0900</pubDate>
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<title>[2006/3/12]ムンバイ⇒帰国</title>
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<![CDATA[ <p>【悪夢】</p><p><br>朝、私は悪夢にうなされていた。<br>詳細は覚えていないが、インドから日本に帰国しようとするのだが、いろんな邪魔が入り、このままでは帰国ができない！と焦って、苦心に苦心を重ね、ようやく成田に到着し、日本の友人たちに温かく出迎えをしてもらっているところだった。</p><p><br>次の瞬間、私は夢から覚めた。<br>もちろん、夢の中で安心した以上に安心し、溜息をついた。<br>「最後は夢にまで騙されたか・・・」<br>全く「インド的な意味で」手の込んだ夢であった。</p><p><br>起きたのは9時頃だったが、チェックアウトの12時まで部屋にいるつもりだったので、そのままゴロゴロして日記をつけたりしていた。<br>11時を過ぎてシャワーを浴び、部屋に戻ってくると、嗅ぎ慣れたニオイが部屋に充満していた。ガンジャである。<br>隣の部屋でずいぶんな量を吸っているようだ。私はもともと臭いには敏感なため、残りの時間を部屋でゆっくりする気が失せて、早々とチェックアウトを済ませた。<br>荷物は快くゲストハウスで預かってもらえたので、軽装で街に出る。今日の最大の目標は「満足できる」買い物をすることだ。<br>そんな当たり前のことがとても難しいのが、インドという国である。</p><br><p><br>【買い物と映画】</p><p><br>まず、露店のＴシャツ屋で、ガンディーの顔と「My Life is My Message」という言葉がプリントされたＴシャツに一目惚れして、2枚で300Rsで購入。<br>しかし、振り返って考えてみるとちょっと高すぎるだろう・・・。本日の初戦とは言え、不覚にも安易な交渉で終わってしまったことを反省し、次からはもっと慎重に挑むことを決意する。<br>そこからはしばらく、見て聞いて確かめることに徹した。<br><br>買い物の途中に「Regal Cinema」という映画館があったので、ちょっと覗いてみた。前日の夜『地球の歩き方』でインドの映画館の仕組みを読んでいたから、すぐにチケットの買い方は分かった。<br>たくさん買い物するとはいえどうせ時間をもてあますだろうから、私は一番人気の「TAXI NO.9・2・11」の16:30からのチケットを買った。<br>これでまたちょっと楽しみが増えた。</p><p><br>私は映画館を出ると、前回見れなかったムンバイ大学に立ち寄ってみた。大都市の中心に位置するためか、キャンパスは小さい。中に入ってみると古めかしい建物と立派な時計塔が立っている。私の地元の早稲田大学の時計塔に似ていなくもない。<br>中は日曜日だからだろう、閑散として落ち着いた感じである。それでも、ここが大学なんだと直感的に理解できた。<br>どんな国に言っても大学には「大学」っぽい雰囲気が必ず漂っているものかもしれない。</p><p><br>少しキャンパスを歩いていると、学生と思わしき陽気なインド人がHipHop調で「Yo!Yo!」と言いながら近づいてきた。<br>私はその超マイペースなインド人にキャンパスや周辺の街を案内してもらいながら、30分ほど一緒に歩いた。<br>歩いていると彼の友人の学生たちが、車通りの少ない路地でクリケットをやって遊んでいるところに合流し、私も混ざってクリケットを興じて遊んだ。<br>ルールがよく分からなかったが、とにかく負けじとボールをバットのような細長い板で思い切り打ち飛ばす。どうやら上手く打てたみたいで、みんなに褒めてもらえて楽しかった。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/77/28/10104476272.jpg"><img height="293" alt="ムンバイ大学とHipHop大学生" src="https://stat.ameba.jp/user_images/77/28/10104476272_s.jpg" width="220" border="0"></a> 大学の時計塔とHipHop大学生<br></p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/63/78/10104846631.jpg"><img height="165" alt="ムンバイ大学の学生たちと" src="https://stat.ameba.jp/user_images/63/78/10104846631_s.jpg" width="220" border="0"></a> ムンバイ大学の学生たちと</p><p><br>その後、インドの経済発展に興味があった私は、BSE（Bombay Stock Exchange：ボンベイ証券取引所）の建物を見に行った。BSEの周辺には世界各国の主要な銀行が居を構えており、まさに「金融街」というところだった。<br>そして、その一角に我が国の三菱東京UFJ銀行のオフィスもあった。<br>日曜日なので、ビジネスマンはほとんど街を歩いていなかったのだが、「それにしても・・・」と呆れるような光景を私は目の前にした。</p><p><br>三菱東京UFJ銀行の建物の入り口や壁に沿って、いかにも庶民的なインド人たちが屋台を構えていたり、昼ご飯を食べていたりと、やりたい放題にしているのだ。<br>インドではそれが普通なのかもしれないが、少なくとも日本では、休日に銀行の入り口の前におでん屋を開いて、壁に寄りかかりながらそのおでんを食べている人がいたら・・・ガードマンに注意されてアッサリ解散させられるに違いない。<br>インドに進出する企業の苦労は推して知るべしである。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/b6/a2/10104846634.jpg"><img height="165" alt="三菱東京UFJ銀行の現地オフィス" src="https://stat.ameba.jp/user_images/b6/a2/10104846634_s.jpg" width="220" border="0"></a> 三菱東京UFJ銀行の前で寛ぐインド人たち</p><p><br>さて、そうやって少し歩き回った後で私はまた買い物に精を出した。<br>ボンベイ・ストアという有名なお土産屋さんでも買い物をしたのだが、ここはいわゆる日本の通常のデパートに近い感覚で、いい物はたくさん置いてあるがどれも高価で、こちらがどんなに交渉しても一切値引きには応じてくれない。<br>やはり経済都市のムンバイではこういった店も増えてきているのだろう。<br>私はそこでチャイを作るための香辛料（紅茶に混ぜて使う）など、良質なお土産をいくつか購入し、今回の旅行資金をかなり使い果たした。</p><p><br>さて、映画の時間が近づいてきた。私は再びRegal Cinemaに向かい、事前に買っていたチケットで映画館の中に入った。<br>映画はいわゆる「ラブコメ」の部類だったため、映像を見ていれば大体何をしゃべっているかは分かった。</p><p>英語とヒンディー語が半々くらいで繰り広げられるため、どうあがいても内容をちゃんと理解するのは困難だったが、それでも十分楽しめた。<br>総じてインド人たちは日本人より映画に対する反応がよく、残念なシーンでは「あぁ・・・」と溜息が、ギャグがかまされた時は大きな笑いが起こったりと、隠れた「映画大国」であるインドではみんな映画を心から楽しんでいるようだった。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/d0/e4/10104846635.jpg"><img height="165" alt="映画館" src="https://stat.ameba.jp/user_images/d0/e4/10104846635_s.jpg" width="220" border="0"></a> 映画館「Regal Cinema」</p><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/9c/c4/10104847566.jpg"><img height="212" alt="TAXI No 9・2・11" src="https://stat.ameba.jp/user_images/9c/c4/10104847566_s.jpg" width="220" border="0"></a> 「TAXI NO.9・2・11」</p><br><br><p>映画が終わり、再び私は露店街に紛れ込み、買い物の続きをした。だんだんお金がなくなってきたので、今度は地元のスーパーのようなところに行って、インドの一般家庭で飲まれているだろう香辛料の入ったティーバックなどを買った。</p><br><br><p>【「アホ」リキシャーワーラー】</p><p><br>夕方遅くなり、お店もだんだん閉まってきたので、私は荷物を預けているゲストハウスに戻り、21時頃空港へ向けて出発した。<br>歩いてチャーチゲート駅へ。ここで、インドで最後の夕食を食べた。<br>電車にはスムーズに乗れて、近くにいたインド人のビジネスマンぽい人といろいろしゃべりながら、降りる駅を教えてもらい、アンデリ駅に到着。ここからオートリキシャーを使って空港まで行く。<br>ムンバイは大都市のため交通機関も発達しており、私は当然このまま空港までスムーズに行くものだと考えていた。しかし、やはり甘かった。<br>最後の最後までインドの「アリエナイ」は続いたのである。<br>私の身に起こったことを詳しく記しておこう。</p><p><br>アンデリ駅に着くと、空港に近い駅のせいだろう、たくさんのリキシャーが客を待っている。<br>私はそのうちの一人に声をかけ、「サハール空港まで」とお願いした。<br>そのリキシャーワーラー(運転手）は、なんだか分かったような分かってないような微妙なリアクションだったので、私は不安に思い「空港の場所は本当に分かっているのか？」と念を押すように聞いた。<br>すると、「分かる、分かる、大丈夫だ」と言うので、私もそこまで言うなら例え迷っても何とか到着するだろうと思ってこのワーラーに任せることにした。<br>そもそも空港から一番近い駅のリキシャー（日本で言えばタクシー）の運転手が、空港の場所が分からないなどということがある訳ないと私も思っていたのだ。</p><p><br>リキシャーは元気よく出発したのだが、ものの５分ほど走ると、だんだんスピードが落ちてきて、道に迷っていることが分かった。周辺の同業者たちに道を何度か尋ねて進むが、一向に空港に向かっている様子はない。</p><p>そして結局リキシャーワーラーがたくさんたむろしている別なポイントでリキシャーを止め、周辺の人に詳しく道を確認し始めだした。</p><p><br>私は「やっぱり空港の場所が分からないんじゃないか！」と怒って、「もういいよ」と言って別なリキシャーのところに歩いていこうとした。すると、「待て、大丈夫だ、道は分かるから！」と往生際の悪いことを言ってくる。<br>しかし、こんなやつのために飛行機に乗り遅れでもしたら溜まったものではない。私は有無を言わさずリキシャーを降り、腕を掴んで引き止めようとする「アホ」リキシャーワーラーを振り切って近くにいた別なリキシャーのところまで来た。<br>すると、その「アホ」ワーラーはあろうことか、「ここまでの乗車賃を払え！」と言ってくるではないか・・・。<br>私は怒り狂って、その「アホ」ワーラーに「てめぇ、勝手にオレの時間を無駄にしたくせに金払えとか意味のわかんねーこと言ってんじゃねー！！！！むしろてめぇがオレに金を払え！！！」と大声で（もちろん英語で）怒鳴った。<br></p><p>近くの物分りの良さそうなリキシャーワーラーに事情を説明したら、「そいつはバカモノだから相手にするな」ということで、私は無事その新しいリキシャーで空港まで行くことができたのである。<br>やれやれ、最後の最後まで疲れる旅である。<br>しかしようやくこの国から出発できる国際空港まで到着した。</p><br><br><p>【帰国】</p><p><br>私は空港で搭乗の手続きを先に済ませ、その場にいた数人の日本人バックパッカーたちに交ざって旅の話をしつつ、みんなでトランプの「大貧民」をしながら搭乗時刻を待っていた。<br>格安チケットなので、行きも帰りも香港経由だ。<br>搭乗時刻が来て、香港行きの飛行機に乗り込む。<br>短い時間だったが、いろんなことを僕に経験させてくれたインドともついにお別れである。</p><p><br>飛行機はいつもと同じ格安エコノミーの典型的なものだった。<br>数少ない日本人向けのテレビ・チャンネルでは、映画『タッチ』がやっていたので、それを見た後で寝ることにした。<br>現地時間の午後15時頃、香港に到着。<br>スムーズに乗り換えて、16:20に香港から成田に向けてまた離陸した。</p><p><br>雲に沈む夕日。鮮やかな色のコントラスト。<br>「星の王子様」じゃないが、そんな空想の世界を髣髴とさせる美しい窓の外の眺めを見ながら、私は日本に近づいていった。<br>このスピードで真東に向かって移動していれば、12時間で太陽が一周し、24時間で2回夕日が見れる・・・。<br>そんなことを考えながら、人間の作り上げてきた文明のすごさを思ったりもした。</p><p><br>やがて、日が暮れ名古屋の夜景、伊豆大島、千葉、東京の夜景・・・と眺めているうちに、成田に到着した。</p><p><br>私のインドへの旅は終わった。</p><p><br><br></p><br>
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<pubDate>Mon, 27 Oct 2008 13:26:02 +0900</pubDate>
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<title>[2006/3/11]ムンバイ</title>
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<![CDATA[ <p>【再びムンバイへ】</p><br><p>起きるとバスはもうムンバイの郊外を走っているようだった。<br>隣に寝ていたおじさんの姿はない。<br>しばらくすると、「ここが最後の停留所だ」と言われ、私が「C.S.T.駅のところか？」と聞いても、ろくに返事をしてくれず、ここがどこだか全く分からないところに放り出されてしまった・・・。<br>「またかぁ・・・」</p><p>と、ぼやきつつも、こんな瞬間がインドを旅していることを一番実感させてくれるものだと思ったりもする。</p><p><br>長距離バスの疲れに重いリュックを背負った私は、まだ午前中とは言えクソ暑いムンバイの街を、ただ自分の勘だけを頼りに歩き出した。<br>しばらく行くと、幸いバス停で市バスを待っているようなおじさんに遭遇し、「インド門の方に行きたいのだが・・・」と話すと、バスの番号を教えてくれた。<br>ムンバイは一度一通り歩いていたことがあったおかげで、思ったよりすんなりとミュージアム前まで進むことができた。<br>後で確認すると、一応ゴアからのバスを降りた場所はC.S.T.駅の近くだったことが分かった。</p><p><br>私は市バスを降りると、インド門まで歩き、これからどうしようかと、とりあえず今後の予定を考えるためベンチに腰を下ろし、チップスを食べながら一人計画を練っていた。<br>いろいろ迷ったが、今日はインドの宿に泊まるのも最後だし、前に一泊して勝手の分かっているゲストハウスのシングルに泊まることにした。<br>そして休憩してから、エレファンタ島に行くか、ミュージアムに行くか、その時の気分で決めることにした。<br>お土産は翌日一日時間があるから、その間に買い揃えることにして、今日は通りがかったお店で「下見」をすることにしよう。</p><p><br>そんなことを考えていると、目の前をどこかで見たことのある人が歩いている。少し考えている間に通り過ぎてしまったが、すぐに分かった。<br>テレンスだ！<br>彼はどうやらここで白人向けのガイドの営業をしているのだろう。ベンチに座っている人々を嗅ぎ回るようにして歩き回っている。<br>私は声をかけようと思ったが、次の瞬間、彼を呼ぶのを止めた。正直、テレンスを相手にするには体力がなさすぎる。</p><p>比較的分かりやすい英語だが、テレンスはしゃべり始めると止まらないのだ。聞くだけでも大変なのに、英語でしゃべり返すのはさらに骨が折れる。<br>テレンスには悪いが、最後は自分のペースで旅をすることにした。</p><p><br>ということで、かなり疲労が溜まっていたので、相変わらず途中で付きまとってくる連中（物乞いやチップ目当ての「案内人」、土産物の売り込みなどなど）を振り切って、さっさとゲストハウスに行き、チェックインを済ませた。<br>シングルの狭い部屋で、ベッドに体を横たえると、より疲れをハッキリと感じる。なかなか動けないのだ。<br>しばらくゆっくりしていれば元気が出て、早めに出発すればエレファンタ島に行ける、と思っていたが、１時間経っても２時間経っても動く気になれない。<br>私はあきらめて体の求めるがまま、寝たり起きたりを繰り返していた。</p><p><br>部屋に入って気がついたことがもう一つあった。<br>これは自分でも不思議なことだが、どうやら20日間の旅の最後にして、初めて「シングル」の部屋に泊まったようだ・・・。<br>要するに私は今まで全てＷ（ダブル）かドミトリー、あるいは移動中のバスや電車に泊まっていたというわけだ。<br>私の旅がどれだけ人との交流に恵まれていたかを示すものである。私はそのことに感謝しなければならないと思った。</p><p><br>さて、私が結局休憩を終えて部屋を出たのは、16:30頃だった。あんまりダラダラとしていたため、「何もせずに１日が終わってしまう！」という危機感から、なんとか重い腰を上げたという感じだ。<br>私は18時に閉まってしまう、「The Prince of Wales Museum」へと急いだ。</p><br><br><p>【ミュージアム】</p><p><br>このプリンス・オブ・ウェールズ博物館の入場には300Rsもかかる。約850円だ。こちらの物価を仮に日本の３分の１とすれば、日本では2600円ということになる。<br>ちなみにタージマハルは6500円である。まさに法外な入場料だ。<br>ちなみにこれは「ツーリスト用」の価格で、インド人はたったの10Rsとか20Rsとかで入れる。<br>しかし、こんなに高くてもやはりツーリストは「せっかくインドに来たのだから・・・」ということで（私も同様だが･･･）チケットを買ってしまう。<br>インドはまことに「したたか」なお国柄である。</p><p><br>それにしても、観光業なくしてこの国は成り立つのだろうか、と疑問に思う。ところが政府にはツーリスト向けに気のきいたサービスをしようという姿勢は見られない。</p><p>考えれば考えるほど、我々の尺度では「はかれない」国なのだということだけがハッキリとしてきて、そこで考えるのを止めてしまう・・・。</p><p><br>先ほどの高い入場料の話に戻ると、これまでの私の経験上、高い入場料を取る観光地にあまりハズレはない、ということが一方で言える。だから、私はミュージアムに訪れたのである。</p><p><br>ミュージアムには閉館ギリギリまで中にいた。というのも、とても１時間やそこらでは見切れないほどの数々の展示物があったからだ。ここはまさに「総合」博物館と言うにふさわしく、古代インドからムガール帝国時代までの様々な遺跡や芸術品に加え、西洋や東洋のあらゆる美術品が所狭しとならんでいるのだ。<br>中には日本の陶器や浮世絵なども置いてあって非常に驚いた。また、珍しい動物の剥製の数々も見ものであった。</p><p>しかもこの博物館では、珍しく各国語に翻訳されたオーディオガイドの機械が一人一台貸し出され、なかなか気のきいた内容の説明を自分のペースで聞くことができた。<br>しかし、ゲストハウスであんなにダラダラせずにもっと早く来ておくべきだった。少々後悔しながらも良質な博物館を堪能できたことに満足し、私は再びムンバイの街に出た。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/80/43/10104476255.jpg"><img height="165" alt="プリンス・オブ・ウェールズ博物館" src="https://stat.ameba.jp/user_images/80/43/10104476255_s.jpg" width="220" border="0"></a> プリンス・オブ・ウェールズ博物館</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/06/25/10104476260.jpg"><img height="165" alt="インド門" src="https://stat.ameba.jp/user_images/06/25/10104476260_s.jpg" width="220" border="0"></a> インド門<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/65/c9/10104476264.jpg"><img height="165" alt="タージマハルホテル" src="https://stat.ameba.jp/user_images/65/c9/10104476264_s.jpg" width="220" border="0"></a> タージマハル・ホテル（インドで最高級のホテル）<br></p><br><br><p>【お土産バトル】</p><p><br>帰りに露店のお土産屋などを見て回った。旅行で土産を買うのは、楽しいけれどもある意味「一苦労」だ。<br>十分な時間をとってしっかりと店を回らないとなかなか自分も満足し、土産をあげる相手にも喜ばれるような買い物ができない。<br>そんな今までの旅の経験則をもとに、今回も最後の滞在地ムンバイには少々長めにいられるようにしておいた。</p><p><br>今日は「下見」ということで、品物とその相場価格をチェックする。<br>特にインドでは、この「相場価格」がクセモノである。</p><p><br>普通の価格交渉をしても、それはまだ「吹っかけられている」状況のままだ。<br>例えば、こんなやり取りがあったとする。</p><p><br>「200Rsか～、もっと安くしてくれよ！」<br>「わかった、じゃあ180Rsだ。文句ないだろう」<br>「うーん、おじさん、頼む、もう少し下げて！」<br>「いや、これが限界だよ」<br>「でも少しなら下げれるでしょ。ほらここが少し傷ついてるし、150Rsでなら買うよ！」<br>「分かった。君は友達だから特別に負けて、160Rsにしてやろう！」<br>（まだ買うと言ってないのに、勝手に袋に商品を包みだす）<br>・・・<br>といった具合が、「通常の価格交渉」だ。<br>こんな調子で買い物をしていたら、奴らの思う壺である。</p><p><br>そうではなく、通常の交渉をある程度した後、わざとその交渉を決裂させてお店を立ち去ろうとするのだ。そうするとようやく「相場」まで価格が落ちる。</p><p>同じ定価200Rｓの商品を例にすると・・・、</p><p><br>「これは魅力的な商品だけど、出せるのは50Rsまでだね」<br>「おいおい、この商品は通常200Rsのものだぞ！高いと言うなら180Rsまで負けるから買ってくれよ」<br>「いや、180は高すぎだよ。まあ、70Rsならなんとか出せるんだけどねぇ・・・」<br>「お前はふざけているのか？分かった、150Rsだ。もうこれ以上は無理だよ」<br>「あ、そう。じゃあ買えないなぁ。そこまで言うなら、最後に100Rsだったら買ってもいいよ」<br>「100Rs？だから定価は200Rsだって言ってるだろ！ふざけんな！」<br>「なんだ、100Rsがダメなら、本当はすごく欲しいけどしょうがないな・・・じゃあ、またねっ」<br>（ゆっくりめに次のお店に向かう）<br>「おい！ちょっとまて！分かった、120Rsに負ける。これが限界だ！ほら、買ってくれ！」<br>（おっさんが勝手に袋に包んで渡してくる）<br>心の中で「なるほど、100Rsも頑張ればいけるな・・・」と思いつつ、<br>「お、本当に？じゃあ、今日は下見だからまた明日買いに来るよ！100Rsだったら即決で今買うけど、どう？」<br>・・・<br>こんな具合だ。</p><p><br>物によっては最初の価格より３分の１くらいまで下がった（約67％オフである！）こともある。<br>そんなことを、面倒だが気になった商品で毎度毎度試していると、大体の相場の値段が分かってきた。</p><p><br>夕食を近くのレストランで済ませ、ゲストハウスに帰ろうとして歩いていると、何やら騒がしい音楽が遠くで聞こえてくる。<br>行ってみると、港に突き出たイベント会場のようなところで、会員制の小さな野外音楽祭がやっているようだ。<br>少し遠くからでも音楽はよく聞こえたので、そこで2、30分堤防に座りながら聴いていた。<br>しばらくすると音楽が鳴り止み、スピーチが始まったようなので、私はゲストハウスに戻ることにした。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/96/0d/10104476267.jpg"><img height="165" alt="音楽祭の会場" src="https://stat.ameba.jp/user_images/96/0d/10104476267_s.jpg" width="220" border="0"></a> 小さな音楽祭<br></p><p><br>部屋に戻ってからすぐに寝ようとしたのだが、案の定夜遅くなっても別な部屋からものすごい音量でテレビや音楽の騒音がゲストハウス中に鳴り響く。</p><p>仕方ないので、私はCDプレーヤーをまわし、イヤホンを耳栓代わりにして眠った。</p><br><br><br><br>
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<pubDate>Sun, 26 Oct 2008 09:31:24 +0900</pubDate>
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<title>[2006/3/10]ゴア⇒ムンバイ行きバス</title>
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<![CDATA[ <p>【アンディからのプレゼント】</p><p><br>今日はゴア最後の日である。<br>私はチェックアウトギリギリの9:30頃目を覚まし、シャワーを浴びる間もなく部屋を出る準備をした。<br>ちょうど10時に下のフロント（と言ってもイスとテーブルだけしかないが・・・）に行き、出発まで荷物を預かってもらう。<br>鍵を渡してデポジットの150Rsを受け取ると、アンディと私は外へ出た。</p><p><br>アンディは昨晩たまたま見つけた、DJ用の機器を備えているゲストハウス兼レストランで、シングルに泊まりながらDJの練習をさせてもらえるということで、そっちに引っ越すことになった。</p><p><br>アンディは昨晩自作のCDのコピーをお店に頼んであり、出来上がったものを手にすると、一枚私にくれた。<br>今まで私はトランスやテクノといったジャンルは割と敬遠していたため、その手のCDを持つのは初めてである。<br>しかし、私はこのCDが好きになれそうな気がした。<br>一昨日の「パーティ」で少しはその魅力も分かったし、何と言ってもゴアで素晴らしい５日間を共に過ごしたアンディの作ったものだからだ。<br>音楽というのはそんな「出会い方」も重要な要素だと思う。</p><br><br><p>【インドの新聞記事】</p><p><br>アンディとはまた17時に待ち合わせをし、朝食をとったレストランで私はしばらくの間新聞を読み、その後日記を書いていた。</p><p><br>新聞にはいくつか興味深い記事が載っていた。</p><p>インドの新聞には意外と日本の話題も多い。<br>一つは麻生外相（当時）による台湾発言問題だ。麻生外相が台湾を「国」だと発言し問題となったもので、こんなことまでずいぶん遠い国でニュースになったりするものだと思った。</p><p>もっと重要なニュースはいっぱいあると思うのだが・・・。</p><p>また前日の新聞では、日本の天皇制のいわゆる「女系天皇・女性天皇」の話題が少し大きめに取り上げられていた。</p><br><p>その他、3月13日（３日後）から「ゴア・バス協会」でストライキがあるかもしれないこと（アブナイアブナイ、危うく帰れなくなるところである・・・）や、マプサの川が深刻な環境汚染にさらされていたこと、などの記事を読んだ。<br>新聞を読みながら、やはりなるべくこういった情報はリアルタイムでチェックしておくべきだと感じた。<br>しかし、旅先ではどうしてもなかなか億劫になりがちである。</p><p><br>新聞を読んだ後、ずっと同じレストランで日記を書き続けた。数日分溜まっていたので、２～３時間かけてやっと前日（昨日）まで追いついた格好だ。<br>それにしても、いつもと比べたら非常にリアルタイムに近い形で、かつ詳細な記録を書き続けてきている。<br>我ながらよくここまで根気が続いているものだと感心する。</p><br><p><br>【ヌーディスト・ビーチ？】</p><p><br>日記を書いている途中、私は何度も集中を乱されることがあった。<br>その光景はかつてオーストラリアのビーチで目撃したものであるが、こちらの方がやや激しいかもしれない。<br>そしてその光景は男性にとってはまさに「たまらない」ものである。</p><p><br>美しいヨーロピアンの女性がビキニの上をはずして、ようするに上半身裸でビーチを歩き回ったり、仰向けに寝転がったりしているわけである。<br>かつては「ヌーディスト・ビーチ」も存在したというゴアだけに、人前で胸をはだけるのもそんなに抵抗がないのだろうか。<br>もちろん若い子からおばさんまで、様々な人がそうして大胆な格好をしているわけだが、私の座っていたレストランの前に現われたヨーロッパ系の女性は周りをアッと言わせるような美しさだった。</p><p><br>通りがかる男という男が皆振り返り、見惚れては残念そうに立ち去ってゆく・・・。<br>無理もない。「本能」というやつである。<br>恥ずかしながら私も、日記の文章が詰まるたびに少し離れたところに輝くその姿に目を奪われていたのである。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/91/e1/10103610060.jpg"><img height="165" alt="ヌーディスト・ビーチ！？" src="https://stat.ameba.jp/user_images/91/e1/10103610060_s.jpg" width="220" border="0"></a> ヌーディスト・ビーチ！？</p><br><p><br>【アンディとゴアにお別れ】</p><p><br>17時になった。私は他の男たちと同じく、後ろ髪を引かれる思いでそのレストランを出て、アンディの新しいゲストハウスに向かった。</p><p><br>アンディはビールを飲みながらDJのプレイ中だった。<br>私が行くと、いつものノリで迎えてくれ、DJの合い間に話しながらアンディの「ミックス＆マッチ」する電気的なサウンドに耳を傾けていた。<br>30分ほどして、「そろそろ行かないと」と切り出すと、私たちはゴアでの4泊5日を共に過ごした思い出を確かめ合いながら、固く握手を交わし抱き合い、別れを告げた。</p><p><br>荷物を預けてあるゲストハウスまで、ちょこちょことお土産の品を買いながら歩いた。<br>波寄せるビーチを眺めながら、「今日でゴアもラストか・・・」と早かったゴアでの日々に思いを馳せた。</p><p><br>ゲストハウスで荷物を背負い、バスの来るジャンクションまで歩く。<br>５分ほど待つとバスが来て、マプサへ。やしの木々の隙間に覗く夕日が美しい。<br></p><p>マプサではムンバイ行きのバス「Paulo」の発着点が容易に見つかったので、露店のオムレツサンドを食べながら、また少しアクセサリー類の買い物を済ませた。</p><p><br>バスが到着し乗り込むと、隣のシートにはインド人のエンジニアのおじさんが乗っていた。<br>話すとなかなかいい人。コルカタ（カルカッタ）に住んでいて、仕事でパナジに来ていたようだ。<br>私が旅の話をすると、「ブッダガヤはどうだった？」と聞いてくる。前に仕事で２年ほどブッダガヤに住んでいたらしい。</p><p><br>夜中の22時くらいに夕食タイムで30分ほど停車していたのを除いて、バスはひたすら13時間、ラフロードをムンバイに向けて進んだ。<br>いつしか体がバスの揺れに馴染んで、眠たくなってきた。</p><br><br><br>
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<pubDate>Thu, 23 Oct 2008 03:57:22 +0900</pubDate>
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<title>[2006/3/9]ゴア（４日目）</title>
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<![CDATA[ <p>【終わらない「パーティ」】</p><p><br>目が覚めると、もう空には太陽が昇り始めていた。<br>「しまった！」と思って周囲を見渡すと、何のことはない。<br>昨晩寝る前よりもたくさんの人が、変わらずDJに合わせて激しく踊り続けている。<br>夜は薄暗くてよく見えなかったが、今は一人一人の動きがハッキリと見えて面白い。<br>皆、思い思いのスタイルで音楽に身を任せて体を揺さぶっている。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/71/89/10101470970.jpg"><img height="165" alt="一夜明けた後のクラブ（１）" src="https://stat.ameba.jp/user_images/71/89/10101470970_s.jpg" width="220" border="0"></a> 一夜明けた後のクラブ<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/16/84/10101470975.jpg"><img height="165" alt="一夜明けた後のクラブ（２）" src="https://stat.ameba.jp/user_images/16/84/10101470975_s.jpg" width="220" border="0"></a> クラブで踊る人々<br><br>目は覚めたものの、私はそれに混ざって踊るほどテンションが上がらず、ヒッピーやバックパッカーたちの舞うステージを眺めていた。<br>それにしても一体いつまで続くというのだろう。午前8時を過ぎ、9時を過ぎても、ただただムードは高まるばかりで、ステージの人が少なくなる様子はない・・・。<br>さすがに気温が上がって暑くなってきたので、私たちは10時近くなった頃に「パーティ」を去ることにした。<br>私たちがドルチェ・デ・ヴィータから出ようとしたとき、ようやくいったん音楽が鳴り止んだ。人々の歓声が聞こえる。<br>しかし、ほんの数分後にまたDJが再開した。結局いつ終わるとも知れず、私たちはバイクに跨りゲストハウスに戻った。</p><p><br>部屋に戻ってから、私はまた寝ることにした。<br>疲れていたので、すぐに夢の中に入っていった。</p><br><br><p>【ヒロとお別れ】</p><p><br>私がゲストハウスの管理人のおばさんが、「コージー！コージー！」と呼んでいる。目が覚めた。<br>「ヒロが来ている」と言うので「分かった、分かった。入れていいよ」と返事をすると、「下にいるから！」と言われた。<br>時計は12時を指していた。</p><p><br>ヒロは今日でゴアを出発する。だからその前に私のゲストハウスに立ち寄ったのだが、なぜ部屋まで来ないのだろう・・・。<br>下へおりて事情を聞くと、どうやらヒロが私の部屋で「洗濯もする」と、バカ正直におばさんに言ってしまったため、部屋に入れてもらえなかったようだ。<br>私はヒロと少し話をした後、13時半にまた待ち合わせをすることにして、私はまた眠りについた。</p><p><br>13時半を過ぎても爆睡していたので、ヒロが部屋に入ってきてようやく気がついた。<br>私たちは近くのレストランに行き、食事を取りながらヒロの出発時刻の15時までゆっくりと過ごした。<br>ヒロはハンピで、私たちの頼みの綱である『地球の歩き方』をなくしてしまったらしく、私のを見て必死でムンバイの土産屋などをメモしている。<br>時間が来た。私はヒロとメールアドレスの交換をし、帰国後の再会を約束して別れを告げた。</p><p><br>インドで知り合った友人たちとは、決して長い時間を共に過ごしたわけではない。<br>しかし旅先での出会いとは、旅人たち、とりわけ「一人旅」をする者にとって、かけがえのない存在である。<br>それだけに別れの時には、ある感情――「感傷」に近いがそれとは異なる――が伴うものだ。<br>それは帰国するとだんだんと忘れてしまいがちなものだが、いつも少しもったいない気がする。<br>インドで出会ったナイスなやつらとは、これからもメールなどで連絡を取り合い、機会があれば再会できたらいいなと思う。</p><p><br>ヒロと別れた後、私はゲストハウスの下においてあった英字の新聞になんとなく目を通していた。<br>すると、「バラナシ（バナーラス）でテロ」と出ているではないか！？</p><p><br><font color="#9370db">　※帰国後インターネットで確認すると、決して小さくないテロであることが分かる・・・。<br>　＜日本語のサイト＞<br></font>　　<a href="http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060309/114445/"><font color="#9370db">http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060309/114445/</font></a> <br>　　<a href="http://suta2voanews.seesaa.net/article/14682673.html"><font color="#9370db">http://suta2voanews.seesaa.net/article/14682673.html</font></a> <br><font color="#9370db">　＜英語のサイト＞<br></font>　　<a href="http://www.hindu.com/2006/03/08/stories/2006030812570100.htm"><font color="#9370db">http://www.hindu.com/2006/03/08/stories/2006030812570100.htm</font></a> <br>　　<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/2006_Varanasi_bombings"><font color="#9370db">http://en.wikipedia.org/wiki/2006_Varanasi_bombings</font></a> </p><p><br>ほんの一週間前まで私はそこに滞在していたのだ。新聞によるとバナーラスの街は厳戒態勢となっているようだ。<br>危機一髪。<br>私は「ここが日本ではない」ということを、今さらのように再認識させられた。</p><br><p><br>【雷】</p><p><br>部屋に戻るとまだ眠かったので、また床についた。今度起きたのはなんと18時頃。<br>私は夕日が見たかったので、アンディと共に海が見えるレストランへ出かけた。</p><p>少し曇っていたが、レストランから今日も妖しくも美しい夕焼けが見えた。</p><br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/56/1c/10101470979.jpg"><img height="165" alt="ゴアの夕焼け" src="https://stat.ameba.jp/user_images/56/1c/10101470979_s.jpg" width="220" border="0"></a> ゴアの夕焼け</p><p><br>その後、お酒を少し飲み、ビーチのレストランで横になってゴロゴロしていた。<br>そこが閉店すると今度は別なレストランでうたた寝をする・・・。<br>結局今日は一日スローな時間を過ごして、夜中の0時半にゲストハウスに戻った。</p><br><p>私はまた海面に漂う月明かりが見たくなったので、しばらく起きて日記を書いたりしていた。<br>月が出てくるまでもうしばらく待たねばならない。<br>すると、どこからともなく雷のような音が聞こえてきた。<br>「まさか？」と思ったが、今度は激しい雨の音も混ざって聞こえてきた。<br>私はたまらなくなって外に出てみた。</p><p><br>やはり真夜中の雷雨である。今日は一日曇り空だったとはいえ、雨が降るとは思っていなかった。<br>後で聞くところによると、これは雨季の始まりを告げる雷雨だそうだ。<br>旅行のシーズンは３月で終わりなのである。</p><p><br>私はしばらく立ち尽くして、雷の様子を観察していた。日本で見たことのあるどんな雷とも異なった、妖しげな光を発していたからだ。<br>古い蛍光灯がチカチカするのと同じくらい、頻繁に空が光る。<br>たまに強く光った後、数秒して「ゴロゴロ」と聞こえてくるが、ほとんどは光だけで消えてしまう。<br>私はその妖しげに光る空をボーっと眺めていたが、はたと今日は月が見れないことに気づき、少しがっかりした。<br>明日の夜はもうゴアを去り、ムンバイに向かうバスの中である。</p><p><br>私は部屋に戻って、少し物思いに耽ったが、長くは続かず眠りに落ちていった。<br></p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/zico883/entry-10153888883.html</link>
<pubDate>Mon, 20 Oct 2008 13:14:55 +0900</pubDate>
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<title>[2006/3/8]ゴア（３日目）</title>
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<![CDATA[ <p>ゴアについてから２日間スローな時間を楽しんでいたが、今日は激しく動き回り、濃い一日となった。</p><br><br><p>【パナジへ出発】</p><p><br>昨晩約束した待ち合わせの場所であるゲストハウスのレストランに、アンディと一緒に11時に行き、そこに泊まっているヒロが出てくるのを待っていたが、しばらく待っても来ないので部屋へ彼を起こしに行った。</p><p>案の定、ヒロは昨日の疲れが取れていなかったようで、まだ寝ていた。</p><p><br>アンディはアンジュナでフリーマーケットなどを見ながらゆっくりすると言うので、夕方帰ったらまた会うことにして、ヒロと私は朝食をとった後、出かける準備をしてパナジの方へ向けてバイクで出発した。</p><p>ヒロも昨日、私と同じようなスクーターをレンタルしていたので、バイク２台での小さな旅である。</p><p><br>ところで、バイクで市内の方に行くのは冒険だ。とういのも、バイクを借りる時、「マプサやパナジの市内には警察がいるから絶対に近づくな」と言われていたからである。<br>本物であれ、偽物であれ、ポリスに捕まったら面倒だし、やはり金を取られるのが怖い。また、ビーチを離れるとバイクに乗ったツーリストはほとんどいないらしい・・・。<br>しかし、せっかくバイクを借りてガソリンも入れてあるのに、それを使わないのはもったいない！<br>ということで、私たちは大きさの不明な「リスク｣を負って、周囲の様子を伺いながら、パナジまでバイクで行くことに決めたのだ。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/b4/78/10099786823.jpg"><img height="165" alt="Honda「Activa!」に乗って" src="https://stat.ameba.jp/user_images/b4/78/10099786823_s.jpg" width="220" border="0"></a> バイクで爽快に駆け抜ける！</p><p><br>パナジに行く途中、先に立ち寄ったのはカラングート・ビーチとフォート・アグアダである。<br>カラングートはアンジュナとバガを足して２で割った感じ。まあまあにぎやかそうだったし、通りに比較的ちゃんとしたお店（日本のビーチにありそうなお店）が多く連なっていて楽しそうだった。<br>しかし、ここはインド人ツーリストが多く、彼らは騒ぎ出すととてもうるさいので、近くにいるとだんだんウザくなってくる。</p><p><br>フォート・アグアダは高級ホテルがいくつか建っている小高い丘にあり、とても眺めがよいところだった。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/10/76/10101470036.jpg"><img height="165" alt="フォート・アグアダからの眺め" src="https://stat.ameba.jp/user_images/10/76/10101470036_s.jpg" width="220" border="0"></a> フォート・アグアダからの眺め</p><p><br>さて、フォート・アグアダから先の道は、さすがに緊張しながらの「ツーリング」であった。私たちは人に声をかけられても絶対に止まらないことを確認し合い、一路パナジを目指した。</p><p><br>途中、何回か道がわからず立ち止まって考えたが、それ以外は意外とスムーズに進み、私たちはパナジへと続く大きな橋のところまで辿り着いた。<br>ここを越えるとパナジの「市内」に入る。私たちは勇気を振り絞って橋を渡り、橋をくだってすぐのところにすばやくバイクを止め、何事もなかったかのように歩き出した。<br>無事、パナジに到着である！</p><br><br><p>【オールド・ゴア】</p><p><br>パナジの市内にはバスで知り合ったインド人家族のパパのお店以外に特に行きたいところもなかったので、私たちはすぐオートリキシャーを拾ってオールド・ゴアに向かうことにした。<br>料金は交渉の結果、行き帰りプラス、オールド・ゴアでの待ち時間１時間を含んで、220Rsで決着。<br>川沿いの道を辿って20分ほどするとオールド・ゴアに着いた。<br>思った通り、いくつかのチャーチがある他には特に何もない小さな街で、見てまわるのに１時間もあれば十分そうだった。</p><p><br>私たちはまずお目当てのボム・ジェズ教会に入った。<br>中ではちょうどミサか何かの儀式の途中で、100人近い信者やツーリストが座ったり歩き回ったりしていた。<br>この教会には、日本人にも馴染みの深い、フランシスコ・ザビエルのミイラ化した遺体が保管されている。<br>私たちは奥に進んで右側に、一際荘厳な装飾が施された銀色の棺桶を見た。ガラスを通して中が少し透けて覗けるようになっており、人の形をしているように見える。これがザビエルの棺だ。<br>『地球の歩き方』には撮影禁止と書いてあったが、ツーリストらしき人たちが何人もカメラを構えていたので、どさくさに紛れて私たちも中の様子をカメラに収めた。<br>ボム・ジェズ教会には他にも絵などの展示品があり、全体的に思ったより見ごたえのあるもので、これだけでも来て良かったと思う。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/09/77/10101470053.jpg"><img height="165" alt="ボム・ジェズ教会" src="https://stat.ameba.jp/user_images/09/77/10101470053_s.jpg" width="220" border="0"></a> ボム・ジェズ教会</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/41/44/10101470043.jpg"><img height="165" alt="ボム・ジェズ教会の中の様子" src="https://stat.ameba.jp/user_images/41/44/10101470043_s.jpg" width="220" border="0"></a> 教会の中の様子<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/36/b1/10101470046.jpg"><img height="165" alt="フランシスコ・ザビエルの眠る棺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/36/b1/10101470046_s.jpg" width="220" border="0"></a> フランシスコ・ザビエルの棺</p><p><br>次に隣にある「考古学博物館」に行き、植民地時代の歴代のゴア統治官や有名な司祭などと思われる人々の絵などをざっと見た。その中の一つがヴァスコ・ダ・ガマの肖像画である。<br>そこには、戦国時代の武将を思わせるような腰の据わった目をしたヴァスコ・ダ・ガマが立っていた。</p><p><br>約１時間、オールド・ゴアを十分に楽しんだ私たちは、チップスを食べながらオートリクシャーでパナジへ戻った。<br>パナジも少し歩いておきたいと思って動き出したが、すでに時刻は５時を回っている・・・。目標とするところもなく、「パパの店」がある市営市場も歩くには結構遠かったので、私たちはやっぱりバイクを置いたところに戻り、帰途につくことにした。</p><p><br>帰りもポリスに遭遇することもなく、比較的スムーズにアンジュナに到着することができた。<br>私たちは、帰りついでに「ナインバー」というこの辺ではメジャーなクラブの場所も明るいうちに確認して、いったんゲストハウスに帰った。</p><p><br></p><br><p>【「パーティ」】</p><p><br>今晩はビーチの方ではなく、メインロード沿いのレストランで夕食をとった。そこにはまたもや４人ほどの日本人バックパッカーがいて、私とヒロはご一緒させてもらうことにした。<br>ゴアで東アジア系の人を見たら、ほとんど確実に日本人だと言っていい。韓国人や中国人はなぜゴアに来ないのだろうか。それとも他のビーチに固まっているのだろうか。</p><p><br>そこにいた日本人バックパッカーたちによると、今晩「ドルチェ・デ・ヴィータ」というクラブで「パーティ」があるということらしく、彼らも夕食の後で行くのだそうだ。<br>オーダーしたアメリカン・チョプシー（かた焼きそばみたいなの）が出てくるまでの間に、私はヒロとビリヤードを１ゲームプレイした。「ナインボール」をやったが、私が負けてしまい、ゲーム代の20Rsを払った。</p><p><br>レストランを出るとまた一度部屋に戻り、今度はアンディを後ろに乗せてナインバーに行ってみた。<br>夕方来たときはちらほら人がいたのに、それが全くいなくなってしまって、フロアもライトが消えて真っ暗だった。どうやら今日はここでは「パーティ」は行われないようだ。<br>私たちは真っ暗な夜道をバイクで彷徨いながら、なんとかレストランで聞いた「ドルチェ・デ・ヴィータ」に辿り着いた。<br>そして、私はそこで、「パーティ｣の何たるかを初めて知ったのだ。<br>人からいろいろ話は聞いていたため、特に驚くことはなかったのだが、その今までに味わったことのない雰囲気に多少の違和感を感じながらも、完成された「場」のムードを五感で楽しんでいた。</p><p><br>その夜、私は酒を飲み、初めてガンジャを吸い、イスラエルから来たという有名DJの作り出すテクノのサウンドに身をまかせて踊ったりしていた。<br>しばらくアクティブに動き回っていたがさすがに疲れてきて、午前２時くらいからはまったりと、その場にいた日本人の女の子と話したりして過ごしていた。<br>そして、いつの間にか私は夢の中に入っていた。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/af/ee/10101470964.jpg"><img height="165" alt="ゴアのクラブで" src="https://stat.ameba.jp/user_images/af/ee/10101470964_s.jpg" width="220" border="0"></a> 「ナイン・バー」<br></p>
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<pubDate>Wed, 15 Oct 2008 22:40:29 +0900</pubDate>
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<title>[2006/3/7]ゴア（２日目）</title>
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<![CDATA[ <p><br>【偽ポリス】</p><p><br>長距離バスの疲れもまだ残っていたのだろう。私たちが起きたのは昼近かった。<br>アンディはまだ寝るみたいなので、11時頃私は一人でバイクにまたがり、散歩に出た。</p><p><br>アンジュナの北端にあたる丘にバイクで登ろうとしたが、道がよくわからない。<br>グルグルほっつきまわっていると、２人乗りでバイクに乗ったインド人たちに声をかけられ、私は道を聞こうと思って止まった。すると彼らは「ポリスだ」と名乗り、「ライセンス（免許証）を見せてみろ！」と言ってきた。<br>しまった・・・、こんなところで捕まるとは・・・。</p><p><br>友人が偽ポリスに捕まって高額の賄賂を払って解放されたという話を聞いていたので、彼らが明らかに偽ポリスだと分かりながらも、私は血が凍るような思いをしながら、必死で日本の免許証を見せたりして抵抗した。</p><p>賄賂で済めばまだいいが、本当に逮捕されてしまうと日本に予定通り帰れるかどうかさえ危うくなる・・・。<br>10分ほど粘って抗議し続けていてると、お金の要求もなく思ったよりあっさりと引き上げてくれた。<br>私はとんでもない朝を迎えた。が、何事もなくゲストハウスに帰れたので幸いであった。</p><br><br><p>【ジェットスキー】</p><p><br>部屋に戻り、アンディを起こすと、私たちはバイクでビーチに出て遅い朝食をとった。<br>同じレストランに４人ほど日本人がいたので、混ざっていろいろ会話した。<br>そのうちの一人、ヒロは今朝散歩の途中で会ったバックパッカーで、今日ゴアに着いたばかりだ。<br>私たちはお互いの旅の話をしながら仲良くなった。彼の南インドやハンピなどの旅の話を聞いたり、タンブラーというインドの太鼓みたいな楽器を見せてもらったりした。</p><p>タンブラーを日本に持って帰って売ると、数倍の高値で売れるらしい・・・。<br>そして私たちは３人でバガ・ビーチに、昨日発見したジェットスキーに乗りに行くことにした。</p><p><br>少々道に迷ったが、バガに到着。</p><p>さっそく浜辺にドカリと置いてあるジェットスキーを見つけ、おっさんに声をかける。<br>すると昨日とは話が違って、1Roundで200Rs、10分で1000Rsだと言うではないか。<br>私はおかしい、と言って交渉したが、結局10分800Rsにしかならなかった。<br>昨日のは何だったんだろうか・・・。もしかしたら聞き間違えかもしれないが・・・。事実は闇の中である。</p><br><p>私たちは食事を取りつつ作戦会議をし、最終的に5分で400Rsで、３人とも順に乗ることにした。<br>思ったとおり、ジェットスキーは「水上のバイク」という感覚で、すごく爽快で楽しかった。<br>しかし、やはり5分は短い。日本に帰ったらライセンス（小型船舶免許）を取って、今度は思う存分乗ってやろうと思う。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/de/86/10099786820.jpg"><img height="165" alt="３人でジェットスキーに！" src="https://stat.ameba.jp/user_images/de/86/10099786820_s.jpg" width="220" border="0"></a> ヤマハのジェットスキー！（左からアンディ、ヒロ、私）<br></p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/0c/b1/10099786815.jpg"><img height="165" alt="道端で遭遇した象" src="https://stat.ameba.jp/user_images/0c/b1/10099786815_s.jpg" width="220" border="0"></a> 道端で遭遇した像<br>写真を撮ると、像の飼い主が「金を払え！」と言ってきた・・・。</p><p>もちろん私たちはバイクで逃走。笑</p><br><br><p>【日本人大学生たち】</p><p><br>暗くなると道が危険なので、私たちは6時前頃にバガ・ビーチを出て、綺麗な夕日を左手に眺めながら、アンジュナに帰った。<br>帰ってからまたビーチに出て、そこで会った日本人大学生２人と混ざって、計５人で楽しく夕食をとった。私以外は皆ガンジャ（マリファナ）を吸っており、だんだん口数が少なくなってきてボーっとしているようだった。<br>ちなみにタカシとマサという名の２人の大学生は早稲田生で、一緒にバガに行ってきたヒロは慶応生だ。<br>皆大学４年生で（私は「５年生」だが・・・）、私たちは大学生活の話題でも盛り上がった。<br>ヒロの父親がある大手総合商社の人事で、タカシがその内定者だと言う。ものすごい偶然である。</p><p><br>私たちはそこでしばらくマッタリとしていたが、タカシがすごく眠いと言うので、私たちは早々にそれぞれのゲストハウスに帰ることにした。<br>今日も月明かりが美しく水面に輝いている。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/zico883/entry-10150770474.html</link>
<pubDate>Mon, 13 Oct 2008 00:58:33 +0900</pubDate>
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<title>[2006/3/6]ゴア（１日目）</title>
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<![CDATA[ <p><br>【ゴアのアンジュナ・ビーチへ】</p><br><p>目が覚めると、隣のインド人家族はは皆起き上がって荷物整理をしており、外は完全に明るくなっていた。<br>こんなに激しいバスの揺れの中でも人間はちゃんと眠れるものなんだと感心する。<br>聞くともうすぐマプサに到着するようだ。</p><p><br>昨晩暗くて書けなかったため、パパの店の名前と場所をメモ帳に書いてもらう。娘さんと大学の話などをもう少し話したかったが、荷作りを終えた頃にはもうマプサについてしまった。<br>別れを告げる間もなく、慌てて下車。できればその家族と後日食事でも、と思っていたのに残念だ。</p><p><br>気を取り直して当初決めていた通り「カラングート・ビーチ」を目指そうとバス停の方へ歩くが、道がよくわからないので、同じバスから降りてきた欧米系のツーリストに声をかけた。彼はタクシーでアンジュナ・ビーチに行くつもりだと言うので、なんとなく一緒に乗せてもらい、15分ほどで海岸近くのゲストハウスが連なる一角に着いた。</p><p><br>そのツーリストはイギリス人で、私と同い年の23歳だった。名前はアンディー。どこかボサッとした感じがあるが、nice guyである。<br>私たちはちょうど降ろされたところのMary's Holiday Homeというゲストハウスに、ダブルで泊まることにした。<br>Andyはインドに来てまだ間もないが、これからゴアに１～２ヶ月住むつもりでいるようだ。テクノやトランスが大好きで、自らDJもこなす。<br>まさにゴアは彼のような若者のためにあるようなリゾート地だ。</p><p><br>私たちはゲストハウスに荷物をおいてから海岸線をずっと歩き、少し離れたところから始まるビーチに出て、遅い朝食をとった。<br>綺麗なビーチに美味いメシ。私はついにゴアに来たんだ！と少し嬉しくなった。やはり海はいい。<br>しかし波を見ると穏やかで、とてもサーフィンができそうなところではなく、少しがっかりもした。何日かかけてスポットを探せたら良いが、今までの情報をまとめるとかなり遠くまで行く必要がありそうだ。</p><p><br>朝食を済ませ軽くビーチで昼寝をした後、一度ゲストハウスに戻り、私はかねてから話を聞いて決めていた通り、バイクを借りに行った。<br>ちょうどゲストハウスの目の前がバイク貸しのたまり場となっていたので、そこで値段交渉をし、Hondaの「Activa!」というスクーターを一日140Rsでとりあえず２日間レンタルすることにした。<br>インドでバイクに跨るのは２回目だ。快調に滑りだすアクティバに乗って風を切ると最高の気分だ。</p><p><br>しばらく近くの複雑に入り組んだ道を走っていたが、私はバイクを置いて今度は一人でビーチに出た。<br>すると、たまたま日本人のバックパッカーらしき人がいたので、ゴアの情報を集めるためにしばらく一緒にお茶することにした。</p><br><p><br>【インドの少年】</p><br><p>いろいろ話をしていると、ビーチでインド人の少年がボディボードの板だけを持って海に入っていったのが見えた。<br>私は「これは！」と思って少し後に海パンに着替え、貴重品をその日本人バックパッカーに預けて海に入り、少年に声をかけた。<br>ラメシュという名の少年は快く私にボードを貸してくれて、一緒に波乗りを楽しんだ。<br>いい波を求めて少し離れたところまで行ってみたが、それでもやはりまともに乗れそうな波はなく、１時間ほどして砂浜に上がった。</p><p><br>荷物を預かってくれていたバックパッカーとは、夕方また近くのレストランで会うことにしていったん別れ、私はボードを貸してくれたラメシュと、その友達のアペシュを連れてレストランに行き、お礼としてラッシーなどを奢ってあげた。<br>また、２人が店を見ていけと言うので、暇つぶしにバイクに乗ってラメシュの母親が開いている、布・アクセサリー屋に行き、130Rsでネックレスを買った。なかなか良いのが見つかったのでけっこう満足。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/cd/fa/10099786445.jpg"><img height="165" alt="インドの少年、ラメシュとアペシュ" src="https://stat.ameba.jp/user_images/cd/fa/10099786445_s.jpg" width="220" border="0"></a> ラメシュ（右）とアペシュ（左）と私（中央）<br><br>その後、またラメシュに道案内を頼み、隣のバガ・ビーチまで行ってみた。バガ・ビーチはとてもにぎやかなビーチで、浜辺はビーチ用のベッドやシートで埋め尽くされ、人で込み合っている感じであった。<br>人ごみが嫌いな私はアンジュナに来て正解だったようだ。<br>バガでもサーフィンはおろか、ボディボードをしている人も一人もいなかった。<br>しかし、私はそこでいいものを見つけた。ヤマハのジェットスキーだ。<br>ジェットスキーを貸し出しているおじさんに値段を聞くと、10分200Rsだと言われた。思ったより安いので、次の日に誰かとまた遊びに来ようと決めた。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/5b/c4/10099786446.jpg"><img height="165" alt="バガ・ビーチ" src="https://stat.ameba.jp/user_images/5b/c4/10099786446_s.jpg" width="220" border="0"></a> にぎやかなバガ・ビーチ<br><br>バガまでの道は、後で考えればメインロードを通らなかったためだが、非常に複雑だったので、ラメシュが後ろに乗っていてくれてよかった。アンジュナへ帰ると、別れ際に少しチップを渡し、私はゲストハウスに戻った。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/7a/42/10099786448.jpg"><img height="165" alt="バガ・ビーチへの道の途中" src="https://stat.ameba.jp/user_images/7a/42/10099786448_s.jpg" width="220" border="0"></a> アンジュナ・ビーチからバガ・ビーチへの途上<br><br>アンディはしばらく部屋で寝ていたらしく、私が部屋に入ると目を覚ました。<br>彼が起きてすぐ一緒に近くのネットカフェに行き、日本にいる親や友人にメールをうった。その後またビーチの方へバイクで２人乗りで行き、心地よい音楽が流れているレストランを見つけてディナーを食べた。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/ac/fe/10099786451.jpg"><img height="165" alt="美しいサンセット" src="https://stat.ameba.jp/user_images/ac/fe/10099786451_s.jpg" width="220" border="0"></a> 美しいサンセット<br>でもこの風景の中には（隠れて見えないが）牛もいる・・・。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/60/fa/10099786452.jpg"><img height="165" alt="夕暮れの浜辺" src="https://stat.ameba.jp/user_images/60/fa/10099786452_s.jpg" width="220" border="0"></a> 夕暮れの浜辺<br></p><br><p><br>【ゴアのクラブへ】</p><br><p>ディナーの後、しばらくゆっくり星を眺めて歩いていたが、近くのクラブで夜中の１時頃から「パーティ」があるようだ、とアンディが言うので、私たちは様子を見に10時頃からそのクラブに行ってみた。<br>中に入るとすぐアンディはDJボックスに入り、音楽を「Mix&amp;Match」し始めた。<br>生のDJを見るのは初めてである。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/70/a3/10099786813.jpg"><img height="165" alt="DJプレイ中のアンディ" src="https://stat.ameba.jp/user_images/70/a3/10099786813_s.jpg" width="220" border="0"></a> DJプレイ中のアンディ<br><br>店のつくりもなかなか手の込んだもので、半分洞窟のようになっていてブラック・ライトが妖しげに光るフロアに、大音響のクラブ・ミュージックが響き渡る。<br>丘の上に位置しているためそこから海が一望でき、まさに最高のロケーションである。</p><p><br>私はそこで、「DJの友達だから」ということでバーテンダーにカクテルをただで出してもらい、酒に酔いながら海面に美しく光る月明かりを眺めてうたた寝していた。<br>気がつくともう午前１時を過ぎていた。しかし、人は少なくなっており、下におりてアンディを見つけると彼も帰るところであった。どうやら今日の「パーティ」は中止のようである。<br>仕方なく私たちは宿に戻ることにした。</p><p><br>その途中、なぜだかよくわからないが、私は急に気分が悪くなり、一度吐いた。<br>カクテルの水があたったのか。まだ少しお腹がムカムカしていたが、吐いたらかなり楽になったので、とにかくベッドで眠りにつくことにした。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/zico883/entry-10149665221.html</link>
<pubDate>Fri, 10 Oct 2008 13:09:15 +0900</pubDate>
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<title>[2006/3/5]ムンバイ⇒ゴア行きバス</title>
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<![CDATA[ <br><p>今日も旅はエキサイティングだ！<br>今私はGao（ゴア）行きの長距離バスに乗っている。Non A/CのSleeperだ。<br>日本だったら絶対に誰もお金を払わないようなオンボロのバスだが、こちらではまあまあのもの。<br>これならGoaへの15時間の長旅も難なく過ごせそうだ。<br><br>バスの揺れがハンパじゃないため、かろうじて識別できるほどの文字しか書けない。だが、この間に２、３日溜まっている日記を片づけておかねば・・・。</p><br><p><br>【テレンス】</p><br><p>今朝はめずらしく電話で起こされた。<br>最初、ホテルのボーイが「電話だ」と言って起こしに来た時、私は「何かの間違いだろう」と思って相手にしなかったが、わっちーが彼のベッドにいないのを見てピンときた。<br>電話主はわっちーだったのだ。<br><br>彼はもうインド人の友人に会って、ガイド料などの話をしておいてくれたみたいで、とりあえずUnitedLodgeという彼の友人が住んでいると言う安宿にバスで向かうことにした。<br><br>インドで市バスを使うのは、空港で一度乗って以来だ。どうなることやらと思ったが、ムンバイの人は親切な人が多く、何度も同乗客に場所を尋ねてなんとかクロフォード・マーケット近くのUnitedLodgeにたどり着いた。<br><br>わっちーの友人テレンスは、イタリアからの移民が祖先とのことで、顔が「インド人離れ」していた。一見すると欧米からのバックパッカーのようにも見える。<br>彼はそのメリットを生かしているのか、ムンバイを拠点に欧米人観光客向けのガイド業で生計を立てているようで、今回「友人」とは言え、ガイド料の交渉をせざるを得なかった。結局格安の400Rsということで、（実際は安いかどうか微妙なところだが・・・）交渉成立。私たちは表に出た。<br><br>テレンスはものすごいおしゃべり好きで下ネタ好きな陽気な性格の持ち主で、四六時中くだらないジョークを織り交ぜながら、様々な話をしてくれた。<br>まず、軽く朝食をとってから、ジャイナ教の寺院を見て、それから電車に乗りムンバイの北に広がる郊外の方へ移動した。<br><br>途中、一度電車を乗り換えたのだが、日曜日というのに列車はものすごいラッシュで、２本も見送ってやっと乗ることができた。<br>車内には男しかおらず（女性は女性専用車がある）、とても汗臭い。人に揉まれながら吊革につかまっていると、大都市の交通事情はどこも変わらないのだと実感する。<br>ただし、インドでのそれは3、40年前の日本を思わせるような激しいものだが・・・。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/b5/09/10099310439.jpg"><img height="165" alt="インドのラッシュ（通勤列車？）" src="https://stat.ameba.jp/user_images/b5/09/10099310439_s.jpg" width="220" border="0"></a> インドのラッシュ（通勤列車？）<br><br>こちらではめずらしいのだろうか。テレンスは小さな乳牛牧場を案内してくれた。が、あまり見る価値があったとは思えなかった。寝転がってた可愛い犬がいたのでその写真だけ撮っておいた。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/38/7b/10099310440.jpg"><img height="165" alt="牧場にいた犬" src="https://stat.ameba.jp/user_images/38/7b/10099310440_s.jpg" width="220" border="0"></a> 牧場に寝転がってた犬</p><p><br>次にまたラッシュに揉まれて行ったのは、インド最大と言われ、公式発表されているだけでも300万人の貧しい人々がひしめく、ムンバイのスラム街の一角だ。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/23/8d/10099310445.jpg"><img height="165" alt="300万人が住むと言われるスラム街の一角" src="https://stat.ameba.jp/user_images/23/8d/10099310445_s.jpg" width="220" border="0"></a> スラム街の一角</p><br><p>よく見ると線路沿いに人がたくさん歩いている。というか、線路と家との間に境がない・・・。<br><br>一ツーリストとしてはなかなか入り込めるところではない細い路地に足を踏み入れ、私たちは掘っ立て小屋が延々と続く彼らの生活スペースを見てまわった。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/f7/4c/10099312516.jpg"><img height="165" alt="スラム街の風景" src="https://stat.ameba.jp/user_images/f7/4c/10099312516_s.jpg" width="220" border="0"></a> スラム街の風景<br></p><br><p>その路地にはアパートのようなビルがいくつも建っており、それらは政府などが建てた格安で住める住居なのだそうだが、役人への賄賂も払わなければならないため、そこに住むには結局たくさんのお金が必要なのだ、とテレンスは教えてくれた。<br><br>それにしても、いくら貧しくともインドの子供たちは皆元気で人懐っこい。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/1e/51/10099310448.jpg"><img height="165" alt="スラムの子供たち" src="https://stat.ameba.jp/user_images/1e/51/10099310448_s.jpg" width="220" border="0"></a> スラムの子供たち</p><p><br>私たちがカメラを構えると、満面の笑みでポーズを決め、撮り終わると決まってデジカメのディスプレイを覗きに駆け寄ってくる。<br>私は、インド行きのために友人から借りたデジカメのバッテリーを気にしながら（充電できないため電池がなくなったらそこで終わりなのだ）、やはり子供たちに見せてやりたくなってしまうのである。<br><br>スラム街とは言え、私たちが見たのはそれなりに皆生計を立てて暮らしていけているところのスラム街であり、少し物足りなさも感じたが、こんなに近くでガイドの説明付きで見てまわれたので、私は満足できた。<br><br>この後、大規模な「洗濯場」という、12万人のドービーワーラー（洗濯を代々職業としている人たち）が一日中洗濯物をする風景を短時間見て、UnitedLodgeに帰ってきた。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/13/70/10099312518.jpg"><img height="165" alt="大洗濯場" src="https://stat.ameba.jp/user_images/13/70/10099312518_s.jpg" width="220" border="0"></a> 大洗濯場（のごく一部）<br></p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/16/65/10099310441.jpg"><img height="165" alt="わっちー、テレンスと" src="https://stat.ameba.jp/user_images/16/65/10099310441_s.jpg" width="220" border="0"></a> わっちー、テレンスと<br></p><br><p><br>【ゴア行きの長距離寝台バス】</p><br><p>私たちはお金の清算をして、ゴア行きのバスストップまで歩いた。<br>バスが出発するまでの30分間、わっちーとテレンスはずっとそこにいて見送ってくれた。<br>テレンスはもちろんそこでもツーリストへの営業をするのを忘れなかった。<br>バスの出発時刻が近づき、私たちは後でEメールすると約束し合い、固い握手を交わした。<br>本当に短い間だったが、また一つ良い思い出ができた。<br>私がバスに乗り込んでしばらくして、バスがゴアへ向かって動き始めた。<br><br>Sleeper（寝台）のバスに乗ったのは初めてである。<br>普通の長距離バスに比べたらかなり楽ではあるが、一人分のスペース、特に横幅が非常に狭いのには辟易した。<br><br>途中、隣と向かいの席にはインド人家族が乗車してきた。ちょうど夕暮れ時で私はしばらく窓からボンベイ（ムンバイ）の湾に沈む夕日を眺めていた。<br>夜の21時前くらいから夕食タイムで、食事ができる小さなレストランのあるパーキング・エリアのようなところで、30分ほどバスが停車していた。<br>しかし、まともに食べれそうなものが何もなかったので、私はお菓子とみかんで仮の夕食ということにした。</p><p><br>その後、バスで隣のインド人家族と様々会話させてもらった。お父さんはこれから向かうパナジに自分のお店を持っていること。同乗していた娘さんはゴア大学に通っているということ。<br>どうやらインドではまだ数少ない「中流」の家庭のようだった。いつも話をしては決裂してしまう、一般のインド人と違い、「まともな会話」が成り立って、私はとても楽しかった。<br><br>そうやってしばらくお互いの話をした後、上下左右に激しく揺れるバスの上で、私たちは眠りについた。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/zico883/entry-10148922423.html</link>
<pubDate>Wed, 08 Oct 2008 18:02:08 +0900</pubDate>
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<title>[2006/3/4]ムンバイ</title>
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<![CDATA[ <p>【タクシとお別れ】</p><br><p>チェックアウトは9:00。ビジネスマン用のホテルだけあって、他のホテルに比べるとかなり早い。<br>しかし、「早起きは三文の徳」と言う。私たちは９時ちょうどにShipを出た。</p><p><br>しばらく同じ方向に向かって歩いていたが、一緒にムンバイまで来たタクシと私は、それぞれ新しい宿を探すため、ここで別れることにした。固い握手を交わし、日本での再開を約し合いながら。</p><br><p>この旅で初めて一人になった私は、インドの旅にもかなり慣れ、「自由｣の空気を吸っていた。<br>いや、しかし、私はずっと「一人」だったのだろう。私は今回の旅でも、いつもそうであるように、良き出会いに恵まれて多くの道をその場で知り合った仲間と共にしてきた。<br>だが、それは、それぞれが「独立」し、お互いに「協力」することはあっても「頼る」ことはしないという関係が前提にある。<br>やはり、旅は「一人」に限る。<br>確かに一人旅は大変なことも多い。しかし一人であるからこそ、旅はにぎやかなのであり、一人であるからこそ、多くのことが「経験」となるのである。</p><br><p><br><font color="#9370db">【「旅」と「旅行」について】 </font></p><br><p><font color="#9370db">　　<strong>※インドの話と関係ないので、興味のない人はここを飛ばして読んでください。</strong></font></p><br><p><font color="#9370db">少し話が脱線してしまうが、「旅」と「旅行」について、要するに私自身の「旅についての所感」を記しておこう。</font></p><br><p><font color="#9370db">「旅は道連れ」とはよく言うが、私は旅の途上でこの言葉を思い起こすたびに、よくも「旅の心」を絶妙に表現したものだと感心する。</font></p><p><font color="#9370db">しかし、今の時代「道連れ」にできる人間はとても少ない。特に日本では世界的にみてかなり少ない方だと思う。</font></p><br><p><font color="#9370db">言葉を変えると、「旅」ではなく、単なる「旅行」に来ている人が多すぎる。そういう人たちはこちらが人懐っこく話しかけても、不審そうな顔をして、こちらをまるで犯罪者でも眺めるかのような目で見てくる。（まぁ、実際怪しそうに見えるという事情もあるのだろうが・・・）</font></p><p><font color="#9370db">日本人は本当の「旅」を求めて家を出る人よりも、レジャーとしての「旅行」を楽しもうと、旅行会社のカモとなって出かける人があまりに多い。</font></p><p><font color="#9370db">私から見ると、なんとつまらないことか、と率直に思ってしまう。</font></p><p><br><font color="#9370db">私は「旅」と「旅行」とを分けて考えるようにしている。</font></p><p><font color="#9370db">もちろん一つの遠出を、「旅」か、「旅行」か、と単純に割り切れるものではないが、少なくともどちらの要素が強いか、ということは言えると思う。</font></p><br><p><font color="#9370db">つまり、「旅」寄りの遠出か、「旅行」寄りの遠出かは明確に違う。</font></p><p><font color="#9370db">しかし、どう違うかと言えば、答えは単純ではない。</font></p><br><p><font color="#9370db">まず、「旅行」寄りとはどういうことか、考えてみる。</font></p><p><font color="#9370db">目的地とそこでの目的とする体験･行動（多くの場合、観光）を第一義とするのは非常に「旅行」的であり、まさに典型的なのが修学旅行の類である。</font></p><p><font color="#9370db">学校に集まってバスに乗り込み、直行で宿舎へ到着し、その周辺の観光地を次々に回って「勉強だ」などとぬかしている。私は「集団行動が苦手」だという別な理由もあるが、こういった画一的でマンネリ化した「旅行」は頼まれても行く気がしない。</font></p><br><p><font color="#9370db">一方、「旅」寄りとはどういうことか。</font></p><p><font color="#9370db">簡単に言ってしまえば、目的地に行って帰ってくるその間の「過程」を大事にするというのが「旅」の特徴だ。</font></p><p><font color="#9370db">この「旅」は、若いうちの人格形成にも、大人になってからの人生経験にも非常に有益だと思う。</font></p><p><font color="#9370db">この「旅」の心を言葉できちんと説明するのは、私のような無能な人間には大変難しいので、三木清の「旅について」という有名な随想の、有名なくだり（カッコ１～カッコ９）を拝借しつつ、以下に詳しく述べることとしよう。</font></p><br><p><font color="#9370db">（１）「どのような理由から旅に出るにしても、すべての旅には旅としての共通の感情がある。一泊の旅に出る者にも、一年の旅に出る者にも、旅には相似た感懐がある。恰（あたか）も、人生はさまざまであるにしても、短い一生の者にも、長い一生の者にも、すべての人生には人生としての共通の感情があるように。」</font></p><br><p><font color="#9370db">まず、ここでは「旅」は「物理的な時間の長さ」とは無縁のものであるということ。</font></p><p><font color="#9370db">長いから「旅」、短いから「旅行」というものではない。</font></p><br><p><font color="#9370db">（２）「旅におけるかような解放ないし脱出の感情にはつねに或る他の感情が伴っている。即ち旅はすべての人に多かれ少なかれ漂白の感情を抱かせるのである。解放も漂泊であり、脱出も漂泊である。そこに旅の感傷がある。」</font></p><p><font color="#9370db">（３）「旅の心は遙かであり、この遙（はる）けさが旅を旅にするのである。それだから旅において我々はつねに多かれ少なかれ浪漫的になる。」</font></p><br><p><font color="#9370db">「旅」にはある特殊な感情が伴うものだ、ということ。</font></p><br><p><font color="#9370db">（４）「ただ目的地に着くことをのみ問題にして、途中を味わうことができない者は、旅の真の面白さを知らぬものといわれるのである。」</font></p><br><p><font color="#9370db">↑名言過ぎ！（説明不要）</font></p><br><p><font color="#9370db">（５）「平生（へいぜい）の実践的生活から抜け出して純粋に観想的（かんそうてき）になり得るということが旅の特色である。旅が人生に対して有する意義もそこから考えることができるであろう。」</font></p><p><font color="#9370db">（６）「途中に注意している者は必ず何か新しいこと、思い設けぬことに出会うものである。旅は習慣的になった生活形式から抜け出ることであり、かようにして我々は多かれ少なかれ新しくなった眼をもって物を見ることができるようになっており、そのためにまた我々は物において多かれ少なかれ新しいものを発見することができるようになっている。」</font></p><br><p><font color="#9370db">「非日常」こそ「旅」の特徴であるということ。</font></p><p><font color="#9370db">「友達と一緒に」あるいは「家族と一緒に」というのはそもそも「日常」の延長と言わざるをえない・・・。</font></p><p><font color="#9370db">この「日常の延長線上にあるもの」を私は「旅行」と呼んでいる。</font></p><br><p><font color="#9370db">（６）「旅の利益は単に全く見たことのない物を初めて見ることにあるのでなく、――全く新しいといい得るものが世の中にあるであろうか――むしろ平易自明のもの、既知のもののように考えていたものに驚異を感じ、新たに見直すところにある。　（中略）　旅が経験であり、教育であるのも、これに依るのである」</font></p><br><p><font color="#9370db">全くその通りだと思う。これも名言だ。</font></p><p><font color="#9370db">私のインドでの「旅」の経験は私に、「インドが驚異の国だったこと」よりもむしろ、「日本が驚異の国であること」を教えてくれるだろう。</font></p><br><p><font color="#9370db">（７）「何処から何処へ、ということは、人生の根本問題である。我々は何処から来たのであるか、そして何処へ行くのであるか。これがつねに人生の根本的な謎である。そうである限り、人生が旅のごとく感じられることは我々の人生感情として変わることがないであろう。」</font></p><p><font color="#9370db">（８）「旅は我々に人生を味（あじわ）わせる。あの遠さの感情も、あの近さの感情も、あの運動の感情も、私はそれらが客観的な遠さや近さや運動に関係するものでないことを述べてきた。旅において出会うのはつねに自己自身である。自然の中を行く旅においても我々は絶えず自己自身に出会うのである。旅は人生のほかにあるのでなく、むしろ人生そのものの姿である。」</font></p><p><font color="#9370db"><br></font></p><p><font color="#9370db">ここで三木清は「旅＝人生」という方程式を言い表している。</font></p><p><font color="#9370db">読む人によっては極端だと思われるかも知れないが、やはり旅の特徴の一つは「人生のようなものである」ということだ。逆に「人生が『旅』のようだ」、と考えてみるとうなづけるのではないだろうか。</font><br></p><p><font color="#9370db">「旅において出会うのはつねに自己自身である。」←名言過ぎ！その二。</font></p><p><font color="#9370db">そう、私たちは「旅」に出ると、とりわけ「一人旅」に出ると、なぜか「自分と対話する」ことが多くなる。</font></p><p><font color="#9370db">仕事で悩んでいる時や、恋人にふられた時に「旅」に出たくなるのも、「旅」にはそういう効果があるからかも知れない。</font></p><br><p><font color="#9370db">（９）「真に旅を味（あじわ）い得る人は真に自由な人である。旅することによって、賢いものはますます賢くなり、愚かな者はますます愚かになる。日常交際している者が如何なる人間であるかは、一緒に旅してみるとよく分るものである。人はその人それぞれの旅をする。旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。人生そのものが実に旅なのである。」<br></font></p><p><font color="#9370db"><br></font></p><p><font color="#9370db">「旅することによって、賢いものはますます賢くなり、愚かな者はますます愚かになる。」</font></p><p><font color="#9370db">これを読んでドキッとした人は私だけではないだろう。</font></p><p><font color="#9370db">でも、これは三木清が極端な言い回しをしただけだ、と私は勝手に解釈している。</font></p><p><font color="#9370db">「旅」は人間を賢くするし、成長させる。なぜなら「旅＝人生」だから。</font></p><p><font color="#9370db">「旅」に出ることで、「小さな自分の人生」と向き合うことができる。その後の人生に、「旅」の経験を役立たせることができる。</font></p><p><font color="#9370db">だから、人は「旅」に出るのである。</font></p><p><br></p><p><strong>　　　※ココからインドに戻ります・・・。</strong></p><p><strong><br></strong><br>【ムンバイ一人歩き】 </p><br><p>さて、私はとりあえず、安宿街になっているインド門やタージマハル・ホテルの周辺を歩いて、『地球の歩き方』に載っているホテルをいくつかチェックしてまわった。</p><p><br>そうやって歩いていると、これまた親切にも、いつものごとくインド人のおっさんが付きまとってくる。<br>そして「チープ・ホテル？バス・チケット？」と何度も聞いてくる。<br>金欲しさに案内を買って出てきているようなので、「金は払わないよ」と言った上で、一応おっさんの勧めるホテルも見てみた。<br></p><p>すると、ここが思ったより安くて綺麗だったので、ここに泊まることにした。<br>ドミトリー（集団部屋）が150Rsだから、インドのホテルとしては決して安くないのだが、ここムンバイ（旧ボンベイ）は本当に物価が高いようで、それなりに質を保っているならこの価格でよしとするしかない。ムンバイの物価は地方に比べて２～３倍は高いように感じた。</p><br><p>チェックインを済ませた後も、そのおっさんは私に付きまとってきて、私から離れようとしない。</p><p>仕方ないので、彼の勧める両替所でT/C（トラベラーズ・チェック）をルピーに換え、さらに明日のゴア行きの長距離バスも予約を取ってしまった。<br>Non-A/CのSleeperで690Rs。「地球の歩き方」の相場とほぼ一致していたので、つい値切るのを忘れてしまっていたが、後で人に聞くと実際は400Rsくらいで取れるみたいだ。これは失敗。<br></p><p>まったくこういうことばかりが続くから、インド人が信用できなくなってしまうのだ。<br>彼らはツーリストから金を巻き上げることしか考えていないようにしか見えない。しかも、ツーリストを騙したり、惑わしたりすることが、全く悪いことだと思っておらず、その上非常にしつこいのでたちが悪い。<br>これがインドを旅する上での最大の厳しさと言えるのだ。</p><p><br>予想通り、最後にそのおっさんはチップを要求してきた。</p><p>私が「気持ち」として20Rsを渡すと、「これだけたくさん世話してやって、たったの20Rsだけか！？」と、不機嫌そうにわめきたてるから、私は心の中で「バカヤロウ！！」と叫びながらその場を立ち去った。</p><br><p>ようやくおっさんから解放され、一人で街を歩き始めた。少し歩いていると日本人らしきツーリストの姿が見えたので声をかける。すると、ゴアの方からムンバイに来たところらしく、夕方まで暇みたいなので一緒にお茶することにした。<br>ゴアの話などをいろいろ聞かせてもらいながら、北インドの経験を私が彼に伝え、お互いに情報交換をする。<br>さらにその後、ムンバイの政府観光局（今度はちゃんとしたところ）や、ボンベイ・ストアー（有名なショッピングセンター）、マクドナルドなどへも共にして、仲良くなった。<br>立命館大学に通う彼は、ロバートというミドルネームを持つ、イギリス人と日本人のハーフだ。私と同じく、大学の春休みを使って気ままな旅をしているようだ。</p><br><p>ところで、インドのマクドナルドには、ぜひ一度行こうと思っていた。</p><p>日本人にとってとても馴染みがあり、かつ全世界に店舗を持つマクドナルドは、各国文化の比較対象として興味深いものがある。全世界で基本的に「同じ味」、「同じサービス」を展開するマクドナルドが、「あえてその国に合わせているところ」は、裏を返せば「その国では絶対にそうしなければいけないところ」なのである。<br>ちなみに私はオーストラリアのマクドナルドにも行ったことがあるが、日本とほとんど全く変わらなかった。</p><br><p>私は、日本で言う「ビックマック」に当たると思われる、「マハラジャマック」のセットを頼んだ。「マハラジャ」とは「王様」という意味である。105Rsなので、値段は日本の三分の一くらい。こちらの物価を考慮すると一食の値段にしては少々お高い。<br>食べてみるとバーガーの味はやはりインド風というか、ツンとするスパイスが入っていて、食べたことのない味がしたが、それなりに美味い。ポテトの方は見た目も味も日本と全く変わらなかった。</p><p>インドのマクドナルドは他の国と決定的に違うところがある。それは、ハンバーガーの命とも言うべき「牛肉」を一切使用していないのだ。</p><p>人口の約8割が、牛を神聖な生き物とするヒンズー教徒であるので、それはある意味で当然だとは思うのだが、「牛肉のないハンバーガー屋さん」はマクドナルドにとってインドが初らしい・・・。</p><p>「マハラジャマック」も、牛肉に似せた味付けにはなっているが、中身は鶏肉や子羊の肉だという。また、野菜だけでできているハンバーガーのメニューもあった。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/f9/e6/10099173571.jpg"><img height="165" alt="インドのマクドナルド" src="https://stat.ameba.jp/user_images/f9/e6/10099173571_s.jpg" width="220" border="0"></a> インドのマクドナルド 「マハラジャマック」</p><br><br><p>さて、ロバートと歩いていた途中、妙なことに遭遇した。<br>簡単に言うと、パキスタンのツーリストと名乗る男が、「サイフ以外の荷物を全部盗まれてしまったので、これからデリーに行かなければいけないのを助けてくれないか」と、困り果てた感じで話しかけてきたのだ。<br>10分ほど話を聞いてやって、アドバイスをしてみたが、とても助けてあげられそうにないので、お気の毒にと思いながらその場を立ち去った。が、しかし、やはり話がキレイすぎる・・・。<br>この先をどう展開するのか分からないが、これもたぶん詐欺の一つなのだろう、と私たちは二人で話しながら、すぐにそのことを忘れた。</p><br><p>午後３時をまわった頃にロバートと別れ、私は広いムンバイの街を再び一人で歩き始めた。地図を確認しながらMarineLine駅まで行き、明日乗るバスの発着点を確認。<br>その駅で切符の買い方が全く分からなかったので、切符なしで電車に飛び乗り、２駅目のGrantRoad駅で下車。</p><p>切符なしで乗れてしまうところもある意味すごいところだが、切符が必要だったのかどうなのかは不明である。</p><br><p>私はそこから歩いて「マニ・バヴァン」を訪れた。</p><p>ここは若かりし頃のマハトマ・ガンディーがしばらく住んでいたという家で、中にはガンディーにまつわる様々な展示品が置いてある。要するに小さな「ガンディー博物館」といったところだ。</p><p><br>マニ・バヴァンは大変見つけにくい所にあり、一度通り過ぎてから道行く人に尋ねてようやく発見した。</p><p>見てみると、なんと大掛かりな改装工事中であった。<br>しかし、マニ・バヴァンは当然のごとく開館していた。中で工事している若い兄さんたちは、「いらっしゃい」とでも言うかのごとく「上だよ」と案内してくれる。</p><p>こういうところがとても「インドらしさ」を感じる瞬間である。日本なら間違いなく「只今、改装工事中につき休館」と張り紙をだしてあるに違いない。また仮に工事中に開館していても、作業員の人は、案内はおろか、来館する客と目も合わせないだろう。<br>一通り中の展示品を見たり、カメラに収めたりしてから、好奇心で屋上に上ってみると（屋上に上れるということ自体がやはり日本ではありえないが・・・）、改装工事用の工具やペンキなどで一杯になっていた・・・。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/ed/c2/10099173576.jpg"><img height="165" alt="「マニ・バヴァン」" src="https://stat.ameba.jp/user_images/ed/c2/10099173576_s.jpg" width="220" border="0"></a> 「マニ・バヴァン」<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/c5/46/10099173573.jpg"><img height="165" alt="ガンディーの像" src="https://stat.ameba.jp/user_images/c5/46/10099173573_s.jpg" width="220" border="0"></a> マハトマ・ガンディーの像<br></p><br><p>マニ・バヴァンの次は、マリン・ドライブの最北端近くの小高い丘にある公園に登り、ムンバイが一望できる景色を楽しんだ。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/02/65/10099173579.jpg"><img height="165" alt="マリン・ドライブを一望" src="https://stat.ameba.jp/user_images/02/65/10099173579_s.jpg" width="220" border="0"></a> マリン・ドライブを一望<br></p><p><br>その後、夕日を右手に眺めながら、マリン・ドライブをひたすらホテルに向かって歩き続ける。何キロあるだろうか。通常は「歩く」距離ではない。しかし、夕日が沈むのを眺めていたかったし、「歩くこと」で土地勘がつくということを経験から知っていたので、私はくたくたになりながらインド門まで歩いて帰ってきた。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/3e/66/10099173797.jpg"><img height="165" alt="マリン・ドライブ" src="https://stat.ameba.jp/user_images/3e/66/10099173797_s.jpg" width="220" border="0"></a> マリン・ドライブは恋人たちの憩いの場である</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20/87/10099173798.jpg"><img height="165" alt="マリン・ドライブからの美しい夕日" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20/87/10099173798_s.jpg" width="220" border="0"></a> マリン・ドライブからの美しい夕日<br></p><br><p>やれやれ、これでホテルに戻ってやっとベッドで休めると思っていると、何やらインド門の辺りが真っ暗なのにたくさんの人でにぎわっている。これからライトアップでもするのかと少しその様子を見ていると、テレビ局っぽい感じのカメラマンとアナウンサーが待機しているのが分かった。<br>私は近寄ってそのアナウンサーに英語で話を聞いてみると、彼は「ANI（Asian News International）」という大きなテレビ局の記者で、どうやらインド政府が節電政策を打ち出したことについて街行く人にインタビューをしようとしていたところのようだ。</p><br><p>彼は私の英語を上手いと褒めながら、私に興味を持ってくれているようだった。</p><p>実際に間近で２組の家族にインタビューするのを見ていると、その記者は突然私に向かって「君もインタビューに応じてくれないか？」と言ってきた。<br>あまりに予想外だったので、私は「いや、自分はただのツーリストなので・・・」と、その申し出を断ってしまった。</p><p>私は自分が「引っ込み思案な日本人」の一人であることを思い知らされたようで、なんだか決まりが悪い。「もう少し心の準備をしておけば・・・」と後悔しつつも、私はその記者の人と握手をし笑顔で別れた。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/be/bc/10099173799.jpg"><img height="165" alt="テレビ局のインタビュー" src="https://stat.ameba.jp/user_images/be/bc/10099173799_s.jpg" width="220" border="0"></a> ANI（テレビ局）のインタビュー<br></p><br><p>さて、ホテルに戻り地図を確認してみると、なんと今日一日で軽く10km以上歩き回ったことになる。我ながらよくやるもんだ、と感心。</p><br><p><br>【「地獄に仏」】</p><br><p>ホテルで改めてドミトリーの中を見渡してみると、ある異変に気づいた。<br>「ん？ここはアフリカか？」と思ってしまうほど、黒人が多い・・・。<br>ロビーで夕食をとりながら何人かの人と話していると、どうやらナイジェリアからの旅行者が多いみたいだ。<br>それにしてもドミトリーに長いこと住みついているような黒人が多く、さらに話を聞くと世界中で麻薬のディーラーをしている人たちだということが分かった・・・。</p><br><p>目の前で見ていると本当に黒人は強そうだ。皆体格がよく、体脂肪率が極端に低そうな筋肉ムキムキの体つきをしている。「コイツらと揉め事になったら一溜まりもない」と思って、私はシャワーの後、大人しく日記を書いたりしていた。<br>すると、「地獄に仏」とはこのことか！なんと斜め向かいのベッドに日本人らしきバックパッカーがいるではないか。<br>彼は私を見つけると近づいてきて、私たちはその場でいろいろと旅の話などをし始めた。</p><br><p>彼の名前はわっちー。バンコクから入って、トルコを目指し、長期の旅をしている途上だと言う。<br>わっちーは明日、インドの友人とムンバイのスラム街を見に行くらしいので、私が「ぜひ連れて行って欲しい」と頼むと、「うまくいくか分からないけど、話してみる」と約束してくれた。</p><p>私たちはまた明日会うことにし、ベッドに寝転んだ。<br></p>
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<pubDate>Wed, 08 Oct 2008 00:10:28 +0900</pubDate>
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