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<title>加藤亮太のブログ</title>
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<title>ヤフーブログが終わるというので急きょこちらに引っ越しをした。</title>
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<![CDATA[ ポール・ヴァレリー「精神の危機」
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<pubDate>Sat, 14 Dec 2019 00:05:39 +0900</pubDate>
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<title>運動</title>
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<![CDATA[ 毎日運動をするのはなかなか大変だ。<div>できるだけ毎日続けたいが、毎日だとある種の慣れが生じる。</div><div>慣れは飽きにつながりやすい。</div><div>飽きてしまっては元も子もない。</div><div>そのためには毎日短時間に抑えることも大切かと思われる。</div>
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<link>https://ameblo.jp/zookzook1968/entry-12312377908.html</link>
<pubDate>Wed, 20 Sep 2017 12:33:29 +0900</pubDate>
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<title>”生海苔とひとり酒”</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<pubDate>Mon, 06 Feb 2017 23:23:46 +0900</pubDate>
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<title>”もう一つの反省。”</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<pubDate>Sun, 15 Jan 2017 23:14:17 +0900</pubDate>
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<title>日本の国家観　戦後の総括の重要性</title>
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<![CDATA[ <div>貧富・思想・宗教・人種等々の差がこの世に少しでもある限り、</div><div>また人間の飽くなき欲求がある限り、現実的にこの世から戦争はなくならない。</div><div><br></div><div>先の大戦における日本の大敗の理由は数ある研究に委ねるが、</div><div>「勝てるかもしれない」と感じて始めた戦争に無残なまでに敗れ散った過去と、</div><div>今もなお散見する敗戦の落としたさまざまな影を私達は看過してはならない。</div><div><br></div><div>日清、日露、第一次と勝ち進んだ日本軍は、恐らく</div><div>「勝てるかもしれない」というよりも、「勝たなくてはならない」と</div><div>思い込んでいたに違いない。</div><div><br></div><div>だが、結果は周知の通りだ。</div><div><br></div><div>戦後、複数の思想が日本には息づいているが、敗戦時に多くが感じたことは</div><div>「もうこりごりだ」という思いだったに相違ない。</div><div>戦時後期、赤紙が届き、家族皆が悲嘆に暮れた話は、遠い昔話なのか？</div><div><br></div><div>日本はどんなことがあっても軽々に戦に身を投じてはならない。</div><div>また挑発に乗ってもならないし、<span style="line-height:1.4;">軽々にけしかけてもならない。</span></div><div>貴い先人の教えであり、この教訓を護るのは私達の使命だ。</div><div>（広島の原爆記念公園にある「あやまちは繰り返しませぬから」そのものである）</div><div><br></div><div>ことわっておくが、私はいわゆるサヨクでもSEALDsでも民共支持層でもないし、</div><div>自衛隊保有に大いに賛成だが、まず日本は現憲法をより発展的に利活用し、</div><div>他国に「この国家のあり方と目指すところ」を訴求したほうがいいと思っている。</div><div>改憲についても賛成ではあるが、まずは現憲法をさらにどう活かすかを</div><div>戦後の大仕事として考えに考えなくてはならない。</div><div>それは政治家や学者だけの責務ではなく、国民一人ひとりの責務でもある。</div><div><br></div><div>国民は、国民から負託を受けた政治家にあらゆる課題解決を託す。</div><div>市井の人々は各々の生きざまのなかでそれらに日々思いを至らすとともに、</div><div>しっかりと政治家の活動状況を監視し、場合によっては何らかの形で提案をするのが</div><div>望ましいと考えている。もちろん国民全員の義務などとというわけではないが、</div><div>やらぬに越したことはない。</div><div><br></div><div>だが哀しいことに、現政権に限らずこの国の政治家は</div><div>「この国家のあり方と目指すところ」を必ずしも丁寧に創り上げようとはしていない。</div><div>そのときどきの周辺事態や国際情勢に是々非々で合わせるかのように</div><div>振る舞っているに過ぎない。</div><div><br></div><div>それはとりもなおさず、日本の「戦後の総括が出来ていない」ことゆえに尽きる。</div><div><br></div><div>隣国が何かにつけ金を寄こせ、謝罪しろと迫る姿は確かに疑問だ。</div><div>だが日本自身がそれらに明快な回答を出せない現状は、まさしく戦後の総括が出来ていないからこそのことではないだろうか？</div><div><br></div><div>北朝鮮や中国が侵略してきたらどうするか？</div><div>有事の際には職業軍人としての自衛隊や在日米軍が迎え撃つことになるだろう。</div><div><br></div><div>が、最も重要なのは、平時のうちに「そうならない」ようにするための政治的外交を</div><div>「命を懸けて」実践すること以外にはない。</div><div><br></div><div>初めから矛を交え合うことを前提とした政治のあり方は、必ず疲弊し破綻する。</div><div>破綻しないまでも終わりなき戦いに悪戦苦闘していくことも大いにあるだろう。</div><div>米国の、2001年9月11日以降の姿を見るまでもないことである。</div><div><br></div><div>何のための政治、対外政策なのか？</div><div>初めから武力行使を前提とした外交なのか？</div><div>武力行使は本当の最後の切り札ではないか？</div><div>普段からの外交で、交戦状態にならないように努めるのが政治家の使命であり、</div><div>それが出来ないようでは政治家失格だ。</div><div><br></div><div>もし北朝鮮や中国が攻めてきたら？</div><div>そして実戦が起こり、日本が勝利したとしたら？</div><div><br></div><div>だが、北朝鮮人や中国人がその戦闘で全滅するわけではない。</div><div>日本が彼らの地を占領するのか？</div><div>ともあれ、祖国に残った彼ら国民は、後世日本についてどう思い、どう語り継ぐだろうか。</div><div>それは彼らの気質云々もあるが、先の大戦から70年経過した今もなお</div><div>私達を悩ませる大きな事案であることを顧みると、極めて重たい。</div><div><br></div><div>私達の同盟、米国は何かあれば矛を交える。</div><div>私達は「横で見ていて」それらが素朴に正しいことだと鵜呑みにしてはいないだろうか。</div><div><br></div><div>まだ日本のあり方を論じる必要は大いにある。</div><div><br></div><div><br></div><div>昨日（2016年8月23日）にも北朝鮮から弾道ミサイルが発射された。</div><div>毎回思うのだが、たまたま海上に落下し、事なきを得ているだけだ。</div><div>着弾確実なら座して待て、座して死ねなんて言う所存はさらさらない。</div><div>だから自衛隊保持に賛同と書いた。</div><div><br></div><div>思考停止的に「戦争反対」を叫ぶ前にやることがいろいろあるのでは？と常々思う。</div><div><br></div><div>また反対に、安易に好戦的な姿勢を示した国家にもすべきではない。</div><div><br></div><div>例えば問題が北朝鮮ならば、徹底的に経済的に追い込み、</div><div>刈りアゲ君に外貨を得られなくするように日本が主導的に動く。</div><div>だが親朝国家もあるから簡単でもない。</div><div><br></div><div>こういったことは幾らも政治学者が検討してきているが、</div><div>米国の対アフガン・イラク・シリア戦略とは異なるアプローチを</div><div>日本は開発、実行出来ないものだろうか。</div><div><br></div><div><br></div><div>非武装で真の平和が得られるなどとは毛頭思っていないし、</div><div>平和を維持できるはずがない。</div><div>話にもならないほど非現実的な姿勢だ。</div><div>だから自衛隊保有に賛同だ。</div><div><br></div><div>戦後の総括が出来ていないと先に書いたが、それは周辺諸国への</div><div>賠償云々という問題に矮小化するものではなく、むしろ日本がどのような</div><div>国家観をもって存続していくのかという課題を指す。</div><div><br></div><div>平和憲法、自衛隊、日米安保、集団的自衛権、どれをとっても曖昧さが常に残る。</div><div>「成熟した理想的国家」は、過去の歴史から多くを学び、</div><div>揺るぎない根幹を基軸に国政を運営していける国家だと私は考えている。</div><div><br></div><div>なぜ戦後70余年も経って、未だに国旗国歌に違和感を覚える人がいるのだろうか。</div><div>それは「単なる自虐史観バ○」と罵れるほど素朴なものだろうか。</div><div>これも総括未完ゆえの見えやすい問題の一つだ。</div><div><br></div><div>安倍総理は戦後レジームからの脱却を連呼していたが</div><div>（そもそも自民党の党是がそれそのもの）、</div><div>先の大戦の総括を明確に実行した上での「昨今の取り組み」なのか、</div><div>何とも腑に落ちない。</div><div><br></div><div>過去日本軍の取った手法は指弾されるところが幾らもあるが、</div><div>いずれにせよ敗戦から次世代の国家観を創造出来ない国は愚かとしか言いようがない。</div><div><br></div><div>改憲には賛成だ。あまりにも現在の日本の対外ポリシーは曖昧であり、</div><div>多くの国民の腑に落ちていない現実を大いに憂慮する。</div><div><br></div><div>が、繰り返すが、拙速に改憲を進めたり、ましてや実戦で解決を図ろうとする前に、</div><div>たくさんの打つ手があるはずではないかと再度提起しておきたい。</div><div><br></div><div>それは決して「話せばわかる」「平和憲法を護持すればよい」などといった</div><div>児戯に等しいものではなく、いかにして近隣諸国の戦意を喪失させられるかを</div><div>第一に考えなくてはならない類いのものだ。</div><div><br></div><div>「戦争ほど後世に苦しみを残すものはない」という観念を</div><div>あらゆる場を活かして訴求すること。</div><div>取り返しのつかないほど、完膚なきまでに叩きのめされた70有余年前を</div><div>忘れてはならない。</div><div>赤紙が届いた瞬間に、もうここに戻ることはないと慨嘆・諦観せざるを得なかったような</div><div>あの無数の悲劇は二度と繰り返してはならない。</div><div>極端な話を挙げているかもしれないが、それこそが市井の個々人がかつて感じた</div><div>本物の心情であったはずだ。</div><div><br></div><div>それには政治だけではなく、当然経済も、場合によっては文学の力も必要かもしれない。</div><div><br></div><div>決して直情的になるべきではない。粛々と国際協調のための施策を進めるのみである。</div><div>そして日本のあり様、とりわけ対外政策、国防、国際政治経済、人権、</div><div>平和の観念につき、<span style="line-height:1.4;">繰り返し徹底的に考え抜き、</span></div><div><span style="line-height:1.4;">結果、自信をもって国政を運営でき、</span><span style="line-height:1.4;">国民一人ひとりも決して驕らず</span></div><div><span style="line-height:1.4;">かつ</span><span style="line-height:1.4;">卑屈にもならず、健全に生きていける社会を</span><span style="line-height:1.4;">構築する必要がある。</span></div><div><span style="line-height:1.4;"><br></span></div>
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<link>https://ameblo.jp/zookzook1968/entry-12557503476.html</link>
<pubDate>Thu, 25 Aug 2016 15:45:50 +0900</pubDate>
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<title>国民全員の安心・安全を保全する社会（特に雇用に関し）</title>
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<![CDATA[ 先日帰省したときに、「緩やかな社会主義、ならぬ、<br>基本的人権（生存権）に基づく国民全員の安心・安全を<br>保全・維持する施策、を日本政府は捨てるべきではなか<br>った」という件について父親と話しました。<br><br>ともかくここ一年ばかり、「格差社会」「下層階級」<br>などという、あまりいい印象のない文言が流布するように<br>なってきてしまいました。<br>しかも、一部は相変わらず「こういう兆候・潮流」を<br>「是」とする（つまり米系流儀の礼賛？）流れも強く<br>存在しており、「結局世の中は金だ、とか権力だ」という<br>暗黙のトレンドがいたるところで発生してしまって<br>います。<br>以前ここで書いたライブドアの話にも通底する内容です。<br><br>ここで整理しておかなくてはならないことは、米系の<br>やり方の中でも「頑張った人にはそれなりの報いをして<br>あげる」ということは重要だということでしょう。<br>反対に、ちょっと成果が出なかったから簡単に賃金を<br>落とす、などのリストラの断行は、変な流行（すべて<br>日産のゴーン氏流が悪いとは言えないが）に乗らず<br>できるだけ回避して次策を捻出すべき、ということで<br>しょうか。<br><br>ゴーン氏の「バッサリ」方式については当然賛否両論が<br>ありましたが、日産再生の立役者として結果オーライ的な<br>「賛美」論ばかりが結局目立っています。<br>が、前にも話題として出たように、「結局あのリストラ<br>方式は日本では誰もできなかったことをやったに過ぎぬ」<br>なんですよね。もっとも、それくらいの外科手術をしな<br>ければとても「再生」不可能、という状態まで陥って<br>しまっていたのだろうとは思いますが。<br><br>突然「地縁」も「血縁」もない人間が落下傘でやってくる<br>がごとく現れて、リストラを容赦なく断行する、という<br>図式は、当然それらの流儀に不慣れな日本人を恐怖に<br>慄かせました。<br>少々結論を急いで申してしまえば、かつて（5年くらい前でしょうか）<br>トヨタ自動車の奥田会長（※）も言った通り、できるならば<br>人員削減（工場廃止等含む）という形のリストラは<br>やらないに越したことがない、というのはやはりここに<br>来て本当に正義なのだろう、と思わざるを得ません。<br>※奥田氏は本日の報道によると、近々会長職を退き、相談役に<br>なるとのこと。<br><br>図らずも「リストラ」の話に移ってしまいましたが、<br>格差社会という構造は確かに進行したと言えましょう。<br>「頑張った人がそれなりにいい思いをする。何が悪い」<br>という向きも世には多いのでしょうが、問題なのは<br>「その陰」の部分です。<br>正確な数字を入手していないので客観性はありませんが、<br>本当に格差社会による自殺者数が増えていたらこれは<br>問題です。<br>また、子ども社会にも親の所得の差によるすみ分けの<br>ようなものが発生しているとすれば、さらにゆゆしき<br>ことです。<br><br>米系の方式は基本的にグローバルスタンダードとしばしば<br>評され、ここ昨今ではもはやそれを受け容れるのは<br>企業あるいは個人としても当然のこと（所与のこと）である、<br>という風潮があることも否定できません。<br>が、戦後日本社会がそれなりに作り上げてきた緩やかな<br>社会主義的（あくまでここでは「的」という言葉を強調<br>しておきたい）なパラダイムをいまここで完全に捨て去る、<br>あるいはそれを旧いものと見做して「脱皮」する、という<br>発想は果たして「正しい」のでしょうか？<br>それほどまでにグローバリズムというBigWaveに乗らなければ<br>いけないのでしょうか？<br>いや、それに乗らないことが即ち「鎖国政策」だとまで極端に<br>言えてしまうのでしょうか？<br>長期的な国益主義をもしも考慮していくのであれば、日本という<br>風土に見合った方式を今後も引き続き展開していかなくては、<br>「長期的」な国力（つまり国民の安心・安全を保持し、さらに<br>ヤル気を出させ、各人が頑張ってもらうことによってはじめて<br>維持発展されるもの）維持の重要性を考えたときに、ひじょうに<br>末恐ろしい展開・結末にならざるを得ないのではないか、と<br>思われる次第です。<br><br>さて一方で日本的雇用という言葉がまた見直されつつあるのは<br>ご存知かと思いますが、ではそのエッセンスはどこにあるので<br>しょうか？<br>私が思うには「すぐにはリストラ（もうここで明快に言う<br>なれば「首切り」ということ）させず、給与（ベア）は<br>ほとんど変化を与えない。が、頑張った人には何らかの<br>明確な褒賞を与える。すぐにはやめさせないけれども、<br>居てもらう限りは頑張ってもらう風土を作っていく。<br>最低限の福利厚生を会社側が用意できるように努める。<br>定年もできれば延長し、70歳でも75歳でもヤル気のある<br>人には何らかの形でかかわり続けてもらう」というような<br>ところ・・・もちろんこれが巧く稼動する会社がすべてで<br>はないのだろうとは思いますが・・・かと思います。<br><br>少し、理想主義すぎる話でしょうか。<br><br>下記、ヤフーニュースからの一記事です。子どもの間にも<br>格差でしょうか。誠に世知辛いことです。<br><br><a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060418-00000003-oric-ent" target="_blank">http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060418-00000003-oric-ent</a>
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<link>https://ameblo.jp/zookzook1968/entry-12557503474.html</link>
<pubDate>Wed, 19 Apr 2006 11:15:42 +0900</pubDate>
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<title>深夜に味わう豊かさのひとつ ～ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」～</title>
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<![CDATA[ <p class="img"></p><p align="center"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20191213/16/zookzook1968/6c/d6/j/o0600040014673091066.jpg" alt="イメージ 1" width="560" border="0"></p><p></p>この曲がかなり好きなことは実はGREEにて随分披露してきております。昨晩も5回くらいリピートさせて聴き入っておりました。<br>◇ちなみにGREEの私のページ：　<a href="http://gree.jp/140648/" target="_blank">http://gree.jp/140648/</a><br><br>作曲者モーリス・ラヴェルがいかに否定しようとも、聴き手である私はどうしてもこの曲を究極の癒し系楽曲として見做してしまうのです。<br>私鉄の小さな最寄り駅からアップダウンある道を歩くこと約10分、閑静な住宅地の奥まった箇所に私の部屋があります。普通は帰宅するとだいたいすぐにラジオ（NHK東京第一放送）をつけますが、たまにいきなりクラシックを流したい（聴きたいというよりもむしろ）と思うことがあります。<br>そのようなときにまず候補となるのがこの「パヴァーヌ」です。<br><br>イントロの奥行きのある音色のピアノに早速しびれ、例のメジャーな旋律が始まります。ちょっと和風に言えばいきなりサビから入る曲と言えるのでしょうか。<br>そして私が特に好きな場所は、その後にやってきます。<br>サビのすぐ後、なんだか黄昏たような、ちょっと懐かしいような雰囲気のフレーズが現れます。ベース音がしばらく変わらずに推移するのかと思いきや、ちゃんと「解決」します。繰り返しになるとしっかりベースも進行し、かなり印象的な、ある種この曲の「中締め」的な箇所が来ます。ここを今まで一体何回繰り返して聴いたことでしょうか。<br>そして再びイントロのメジャーなサビが戻り、しばしば音楽評論家が「極めて東洋的神秘性のある」と評する後半部になります。先ほどの「中締め」までの前半部の、やや落ち着いた曲想に比すと、ずっと抑揚に富んでいるためか醸し出す雰囲気はぐっと変わります。好き嫌いが割とはっきり分かれるところでしょうか。<br>そして三たびサビがやってきて、静かながらも燃えるような一瞬の足跡を遺してパヴァーヌは終わります。<br><br>ひと言であっさり癒し系とだけは言えない、癒しの中に興奮がさり気なく織り込んである楽曲と表現できるのが、このモーリスラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」です。
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<link>https://ameblo.jp/zookzook1968/entry-12557503470.html</link>
<pubDate>Thu, 02 Mar 2006 10:35:47 +0900</pubDate>
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<title>豊かさを感じられる街づくりとは？（その１）</title>
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<![CDATA[ <p class="img"></p><p align="center"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20191213/16/zookzook1968/bc/d1/j/o1160087014673091049.jpg" alt="イメージ 1" width="560" border="0"></p><p></p>昨日は珍しく休日出勤して、ご丁寧に雨の西新橋を携帯で撮影までしてしまった。日曜の午後なんかに出社すると、もう月曜がやたら長く感じられて滅入って仕方がない。ならば出なけりゃいいじゃん！との声もありましょうが、ほんまに止むを得ない状態であったのであります。ま、休日だから当然スーツは着ずにえらい適当なカッコで井の頭線～銀座線と新橋まで出てきたのですがね。そんな自分の姿もどうも新橋にしっくりこない気がした。<br>新橋はあくまで仕事場という観念が明確化されているためか、カジュアルな服装ではあまり訪れたくないのである。また、土日の新橋もどうにも面白くない。新宿・渋谷ならむしろ土日のほうがにぎわっていて面白いくらいだけれど、都内の特に山手線東側エリア（上野～秋葉原は除く。特に神田～品川あたり。ちょい延長すれば大崎、五反田あたりも含まれるか）は、どうも休日が面白くない。もともとオフィス街であったり倉庫街、工場街だったりした地域特性がいまだに残存しているのであろう。<br>このところ都心各方面にて各種再開発が喧しいが、土日も楽しいエリアという「街づくりにとって大事な観点」をどうもすべての再開発事業が重視してきてはいなかったように思われてならない（恵比寿ガーデンプレイスはぎりぎり渋谷エリアに入るのか？取り敢えずオープンして10余年たった今も土日閑古鳥というわけではなさそうだ）。六本木ヒルズはその巨大さから話題にもなり、都心の休日の名所入りを果たしたのかもしれないが（丸ビルや表参道ヒルズもそうか）、六本木地区などの大規模再開発だけが注目されるというのも何だか健全とは言い難い。もっと小規模でも楽しい（つまり交通の便がそこそこよく、大きな目玉があること）エリアの誕生が俟たれてならない。<br><br>昨日、休日出社の帰りに渋谷に立ち寄ってちょっとおしゃれなカバンでも買おうかなと思っていたが、割と雨足が強く早々に井の頭線に逃げ込んだ。<br><br>今日明日はまずまずの好天らしいが、明日は冷えるとのこと。水・木は崩れるらしい。週末の好天に期待。そろそろツーリングを再開させたいから。
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<pubDate>Mon, 27 Feb 2006 11:19:35 +0900</pubDate>
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<title>ラジオ中継で聞いた、荒川静香選手の金メダル獲得の瞬間</title>
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<![CDATA[ おはようございます。<br>今朝は6時ごろ～もそもそと布団の中で枕元のラジオを<br>聞いておりました。<br>トリノオリンピックの実況中継放送（NHK第一）です。<br>安藤、荒川、村主（村主選手だけは6時半からのラジオ<br>体操による実況中断にて聞けず）各選手の演技を、音<br>だけによる中継で楽しみました。<br><br>ラジオから聞こえてくる音楽と演技中継は、月並ですが<br>完全に想像力を目一杯掻き立てるに十分な要素でした。<br><br>また、明け方の生温い時間帯に、目を閉じて耳だけを<br>小さなラジオのスピーカーに集中させられるというのも<br>なかなか悪くないものでした。<br><br>とにかく荒川選手、おめでとう！<br>3人とも頑張りましたね！<br>おつかれさまです。
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<link>https://ameblo.jp/zookzook1968/entry-12557503456.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Feb 2006 09:16:04 +0900</pubDate>
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<title>近代音楽を勝手に愛している自分にとって、現代音楽とは？</title>
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<![CDATA[ 標題の件ですが、何となくお分かりかもしれませんが<br>私は基本的にクラシックにおけるいわゆる現代音楽をあまり<br>聴きません。<br>いえ、楽しく聴けない人間なのです。<br>ネット上には恐らくたくさんのクラシックファンがいらっしゃる<br>でしょうから、あまりヘタなことは申せないのですが、<br>どうもその無理やり何か伝統らしきものを破壊しようとする<br>勢いの感じられる曲調が好めないのであります。<br><br>確かにすごく斬新で、ほかにはないよさを多分に持っている<br>のが現代音楽・・・だとは思います。<br>バロック以前から営々として築かれた音楽世界を、かなりの<br>速度と強度で変革しようとしたそのパワーには、ある種<br>平伏すしかないくらいの勢いがあると言っても過言では<br>ありません。<br>また、長年の伝統は破壊してなんぼのもの、という発想も<br>21世紀の現在にも大いに通じるものがあると思われます。<br>で、友人の奨めでブーレーズやメシアン、バルトーク、<br>シェーンベルクなどを聞いてみたことはあります。<br>が、どうしても・・・<br><br>ま、それはそれで・・・<br>音楽のほうも、きっと聴く人を選んでいるのかと。<br>ならば致し方なしか？<br>あはは。<br>（笑って済ませるなって）<br><br>武満徹氏は実はほとんど知っているうちには入らない作曲家<br>なのですが、昨日（2/20）東京のどこかで現在のN響音楽監督の<br>ウラディミール・アシュケナージ氏による没後10周年記念<br>コンサートが開催されたそうです（N響だからNHKホールなのか<br>なと思ってサイトを見たら違ったので、どこかほかなのでしょう）。<br>武満氏の楽曲をそこで演奏したかどうかは分かりませんが、<br>どうも私の好きなドビュッシーの何かを演ったそうです。<br>演目をご存知の方、是非教えてください。
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<link>https://ameblo.jp/zookzook1968/entry-12557503453.html</link>
<pubDate>Tue, 21 Feb 2006 09:30:49 +0900</pubDate>
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