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<title>テレビ de おぺら</title>
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<description>田舎住まいのノンセレブ（びんぼー人とゆうやつ）によるテレビ画面でのオペラ鑑賞日記です。時に、生演を観られないことへの嫌言でしかないこともあるかもしれませんが、所詮はヒマもお金もない、つまらないおっさんのタワゴトということで、あしからず。。。</description>
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<title>『ラ・ボエーム』いろいろ</title>
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<![CDATA[ <div id="diary_body" class="FANCYURL_EMBED">予習の『<strong>グラインドボーンのフィガロ</strong>』を見終わりました。</div><div class="FANCYURL_EMBED"><br></div><div class="FANCYURL_EMBED">さて、いよいよ楽しみにしていた<strong><font size="3">ピーター・ホール演出フィガロ</font></strong>の番ですが、</div><div class="FANCYURL_EMBED">いかに名作とはいえ、さすがに３つ続けてフィガロというのも<font color="#808000" size="3"><strong>飽きそう</strong></font> なので、</div><div class="FANCYURL_EMBED">全然違う味わいのオペラを一つ挟もうと思いました。</div><div class="FANCYURL_EMBED"><br></div><div class="FANCYURL_EMBED">見たいＤＶＤは山ほどあるのですが、ずいぶん迷いました。</div><div class="FANCYURL_EMBED">とくにまだ見たことのない作品を早く見たいという気持ちも強いのですが、</div><div class="FANCYURL_EMBED">どうにも、<font color="#0000ff"><strong>ゼッフィレッリ演出の『ラ・ボエーム』</strong></font>が気になって仕方がないので、</div><div class="FANCYURL_EMBED">さんざん迷ったあげく、結局また『ラ・ボエーム』を見ることにしました。</div><div class="FANCYURL_EMBED"><br></div><div class="FANCYURL_EMBED">また、というのは、そんなに昔ではない以前、２週間くらいかけて</div><div class="FANCYURL_EMBED">４つの『ラ・ボエーム』を続けて観たことがあって、</div><div class="FANCYURL_EMBED">そのときわたくしは、コヴェントガーデン公演の分が特に気に入ったのですが、</div><div class="FANCYURL_EMBED">世間一般的には、ゼッフィレッリ演出のが最高だという噂をよく聞いていたので、</div><div class="FANCYURL_EMBED">自分が気に入ったのと比べて、どれだけ優れているのだろうと、気になっていたのでした。</div><div class="FANCYURL_EMBED">で、ごく最近、２つのゼッフィレッリ演出のを入手することができたというわけです。</div><div class="FANCYURL_EMBED"><br></div><div class="FANCYURL_EMBED">そういうわけで、本日は、以前４つ続けて観たときに、mixiの日記に投稿した感想を</div><div class="FANCYURL_EMBED">そのまま転記させていただきます。</div><div class="FANCYURL_EMBED">ゼッフィレッリ演出ミラノ・スカラ座公演のは、今、第１幕を見終わったところです。</div><div class="FANCYURL_EMBED"><br></div><div class="FANCYURL_EMBED"><br></div><div class="FANCYURL_EMBED"><strong>※<font color="#0000ff">1988年、 サンフランシスコ歌劇場公演</font> <br>　　ロドルフォ：ルチアーノ・パヴァロッティ <br>　　ミミ：ミレルラ・フレー二 <br>　　コルリーネ：ニコライ・ギャウロフ <br>　　演出：フランチェスカ・ザンベルロ <br>　　指揮：ティツィアーノ・セヴェリーニ <br><br>※<font color="#0000ff">1977年、メトロポリタン歌劇場公演</font> <br>　　ロドルフォ：ルチアーノ・パヴァロッティ <br>　　ミミ：レナータ・スコット <br>　　ムゼッタ：マラリン・ニスカ <br>　　演出：ファブリツィオ・メラーノ <br>　　指揮：ジェイムズ・レヴァイン <br><br>※<font color="#0000ff">2007年、藤原歌劇団公演</font> <br>　　ミミ：砂川 涼子 <br>　　ロドルフォ：村上 敏明 <br>　　指揮：園田 隆一郎 <br>　　東京フィルハーモニー交響楽団 <br><br>※<font color="#0000ff">1982年、コヴェントガーデン歌劇場公演</font></strong></div><div class="FANCYURL_EMBED"><strong>　　ミミ：イレアナ・コトルバシュ</strong></div><div class="FANCYURL_EMBED"><strong>　　ロドルフォ：ニール・シコフ</strong></div><div class="FANCYURL_EMBED"><strong>　　マルチェッロ：トーマス・アレン</strong></div><div class="FANCYURL_EMBED"><strong>　　ムゼッタ：マリリン・チャウ</strong></div><div class="FANCYURL_EMBED"><strong>　　演出：ジョン・コープリー</strong></div><div class="FANCYURL_EMBED"><strong>　　指揮：ランベルト・ガルデッリ</strong></div><strong><br></strong><div class="FANCYURL_EMBED"><br></div><div class="FANCYURL_EMBED"><br></div><div class="FANCYURL_EMBED">サンフランシスコので、わざわざコルリーネを書き加えてあるのは、第４幕でのあの短いけど有名な「<font color="#9370db" size="3"><strong>外套の歌</strong></font>」が特に素晴らしかったからです。 <br>ここはバスの聴かせどころですが、ギャウロフの歌は、<font color="#0000ff">なんとも柔らかく、深い思いに満たされた、心に染み入るような「別れの歌」でした</font>。 <br><br>同様に、メトロポリタンでムゼッタを書き加えてあるのは、第２幕の「<font color="#ff1493" size="3"><strong>ムゼッタのワルツ</strong></font>」が特に素晴らしかったからです。</div><div class="FANCYURL_EMBED">ただこれはさすがに有名曲だけあって、サンフランシスコもコヴェントガーデンでもそれぞれ素晴らしい歌が聴けたのですが、何故かこの<font color="#fa8072" size="3"><strong>マラリン・ニスカ</strong></font>の歌が、特に気に入って、このあとしばらく「ムゼッタのワルツ」が脳内で流れっぱなしになったのでした。 <br><br><font color="#0000ff" size="3"><strong>パヴァロッティ</strong></font>の聴き比べも楽しめました。 <br>私はパヴァロッティの経歴には詳しくないので分からないのですが、メトから10年後のサンフランシスコでの歌を聴いていると、このころ、この人は最盛期を迎えつつあったのではないかという気がしました。 <br>メトのは、いかにも若々しいが、それだけに少し雑かな、という感じがします。 <br><br>しかしながら、ここに管弦楽の演奏と、演出家の演技指導が加わってくると、感じがまた違ってきます。<br>サンフランシスコの<font color="#0000ff" size="3"><strong>セヴェリーニ</strong></font>の指揮は、明確です。</div><div class="FANCYURL_EMBED">このオペラにはいくつかの<font color="#0000ff"><strong>対比</strong></font>がありますが、たとえば、まるでオペレッタのように楽しい第１幕と第２幕に比べて、第３幕からはがらりと変わって、暗く切ない話になります。 <br>セヴェリーニは、明るいところは明るく、暗いところは暗く演奏しています。</div><div class="FANCYURL_EMBED">そのため、第２幕が終わって第３幕に入ると、<strong>あまりの雰囲気の違いにまるで違うオペラを観ているかのようなとまどいをおぼえます</strong>。 <br><br>対して、<font color="#0000ff" size="3"><strong>レヴァイン</strong></font>の指揮では、もう第１幕から、楽しい場面でも、ロドルフォとミミが愛を歌う場面でも、<font color="#0000ff"><strong>常にどこかに暗い影をさしているかのような</strong></font>響きがしています。 <br>このオペラはどんなにどんちゃん騒ぎをしようとも、最後はミミの死で終わる立派な悲劇ですから、こういう解釈には説得力がある気もします。</div><div class="FANCYURL_EMBED">同じスコアからこういう読み方ができるレヴァインの手腕はさすがです。 <br>しかし、これは演出も関係しているのですが、管弦楽が先読みしているせいもあって、メトでのボエーム（＝ボヘミアン、自由奔放な若者という意味です）たちは、</div><div class="FANCYURL_EMBED">まるで中年男女のやりとりをみているような、<font color="#0000ff"><strong>どこか物わかりの良さ（先行きが予感できているという意味で）を感じさせてしまっています</strong></font>。 <br><br>それに比べて、セヴェリーニの<strong>単純明解</strong>な指揮と、<font color="#0000ff" size="3"><strong>ザンベルロ</strong></font>の的確な演出で、</div><div class="FANCYURL_EMBED">行き当たりばったりで刹那的な若者像が（演者たちの年格好にかかわらず）、よりストレートに表現されているのが、サンフランシスコの方です。 <br>そのためかえって、第４幕で、ミミの死に際し、観ている方もより感銘を覚えるのではないかと思うのです。</div><div class="FANCYURL_EMBED">私はこのサンフランシスコの終幕では胸にぐっとくるものをおぼえました。</div><div class="FANCYURL_EMBED">物わかりのよい観客で、より感情移入する人なら、愚かとも思える若者達に腹立ちすらおぼえるかもしれません。 <br><br>藤原歌劇団公演では、ミミ役の<font color="#ff0000" size="3"><strong>砂川涼子</strong></font>さんが、とてもとても素敵でした。</div><div class="FANCYURL_EMBED">容姿だけでいえば、プッチーニの作った「ミミ」のイメージには、この人がまさにピッタリです。 <br>（原作の「ミミ」はだいぶ違うらしい。コヴェントガーデンの<font color="#ff0000" size="3"><strong>コトルバシュ</strong></font>も素敵で、原作も踏まえると砂川さんより<font color="#0000ff">ニュアンスに富んだミミ</font>という感じ。<font color="#ff1493" size="3"><strong>フレーニ</strong></font>はさすがに歌と演技でカバー） <br><br>砂川さんは、最初黒髪のショートカット（<font color="#ee82ee" size="3"><strong>可愛い</strong></font>）ですが、第４幕では、うすい茶色のロングのざんばら髪で、<font color="#9370db" size="3"><strong>顔面蒼白</strong></font>のメイク（ある意味美しい）で、衣装も替えて現れます。</div><div class="FANCYURL_EMBED">ここはなかなか心を衝かれる演出です。 <br>ただ、ここはいいのですが、藤原公演（日本人演出家、まだ若そう）では、歌詞に合わない動き、意味の感じられない動きなどが頻発しますし、ツボを押さえてくれないもどかしさを感じるところも少なくありません。 <br>細かいところはあまり書きたくありませんが、たとえば、第１幕幕開けで、ロドルフォがベッドに横になって登場するシーンを見ただけでも、私は萎えます。 </div><div class="FANCYURL_EMBED"><br>歌手達の演技指導にしても、オペラですからある程度身振り手振りが派手になるのは仕方ないのでしょうけど、それにしても動かせすぎです。</div><div class="FANCYURL_EMBED">日本人の顔にはそもそもああいう身振り手振りは合わないと思われるのに、欧米人よりも派手にやってます。</div><div class="FANCYURL_EMBED">たとえばコヴェントガーデンでの歌手達の身振り手振りは、もっと控えめです。そして、より演劇的です。 <br>もっとも、どこまで演出家が関与したのか、それは分かりませんが。</div><div class="FANCYURL_EMBED">ほとんど関与してない（歌手任せ）のでは、と思えるふしもあります。 <br><br>メトの<font color="#0000ff" size="3"><strong>メラーノ</strong></font>演出は、エンターテイメント指向とも受け取れるもので（特に第２幕）、それだけによく動きますが、全体の印象としては雑です。</div><div class="FANCYURL_EMBED">今歌っている歌手には、それなりにちゃんと演技をつけていますが、その時歌っていない別の演者の動きには、なんの指示もしていないかのような印象を受ける場面が多かったです。 <br><br>この３つのなかでは、<font color="#800080" size="3"><strong>サンフランシスコのザンベルロ演出</strong></font>が、特に特別なことはしていないけれど、細かいところまで神経が行き届いていて、安心して見られる演出でした。 <br>このサンフランシスコ公演だけ、<font color="#0000ff"><strong>ベノアとアルチンドロは同じ歌手が演じています</strong></font>。これはなかなか<font color="#0000ff"><strong>気が利いてます</strong></font>ね。</div><div class="FANCYURL_EMBED">意図したものかどうかは分かりませんが。 <br><br>そして、演出で言えば、<font color="#0000ff" size="3"><strong>コヴェントガーデン公演</strong></font>が、２、３の齟齬はあるものの<font color="#0000ff">別格の素晴らしさでした</font>。</div><div class="FANCYURL_EMBED">さすがにイギリスは演劇の国ですね。 </div><div class="FANCYURL_EMBED"><br>これについては、また後日。<br><br><a href="http://classic.blogmura.com/opera/"><img border="0" alt="にほんブログ村 クラシックブログ オペラへ" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fclassic.blogmura.com%2Fopera%2Fimg%2Fopera88_31.gif" width="88" height="31"></a><br><a href="http://classic.blogmura.com/opera/">にほんブログ村</a> </div>
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<pubDate>Thu, 03 Dec 2009 20:11:13 +0900</pubDate>
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<title>2006年ザルツブルク公演 『フィガロの結婚』(2)</title>
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<![CDATA[ <p>（前回からのつづきです）</p><br><p>この公演のDVDですが、鑑賞し終えてから実は２週間くらいが経過しています。</p><p>現在は２つめの予習「<strong>グラインドボーン公演のフィガロの結婚</strong>」の第２幕まで観たところでストップしています。</p><p>わたくしは、仕事から帰っても、自分の自由時間が１時間も無いということが多いため、１日で全幕通してオペラを観るということはほとんど無く、たいてい１日１幕みたいなペースになります。</p><p>このザルツブルク公演も、けっきょく４日かけて全部みました。</p><p>したがって、幕と幕の間で、仕事をしたり、飯を食ったり、風呂に入ったり、TVを見たりと、ぼ～っと考える時間が多いため、わたくしの鑑賞日記はどうしても<font color="#0000ff" size="3"><strong>妄想だらけ</strong></font> になりがちであるということを、前もってどうぞご了承ください。</p><p>しかも、２週間も経過しているので、細かいところは忘れてしまっています。。。</p><br><p>さて、このグート氏の演出では、<font color="#0000ff">時代設定をおそらく現代かそれに近い時代に移されている</font> と思われます。</p><p>第１幕の舞台は、本来これから新婚生活をおくることになる<strong><font color="#0000ff">フィガロとスザンナの部屋</font></strong>という設定なはずですが、この舞台装置は、なんだか階段の <font color="#ff1493" size="3"><strong>だだっぴろい踊場</strong></font>のような感じで、独立した部屋という感じではありません。</p><br><p>第１幕は、伯爵夫人以外の主要登場人物がほとんど出てきますが、スザンナとフィガロ以外は、そもそもこの部屋に居ては<font color="#008000" size="3"><strong>不自然</strong></font>な人物であるため、いろいろな<font color="#00bfff" size="3"><strong>騒動</strong></font>が持ち上がることになります。</p><p>この舞台では、部屋、という感じがしないため、そのへんの演出はどうしてもあいまいになります。</p><p>使い回すためか、あるいはグート氏がそういう本来の設定をここでは<font color="#800080" size="3"><strong>無視</strong></font>しているということなのでしょう。</p><br><p>無視しているとすれば、どういうことなのでしょう。</p><p>観ていると、この登場人物たち（もともとの設定は、この地方の領主の館、登場人物は貴族とその使用人たち）</p><p>は、<font color="#ee82ee" size="3"><strong>本当にここに住んでいるのか？</strong></font>、どうもそんな感じがしないな～というふうに思えてしかたありません。</p><br><p>もうひとつ気になることは、人物たちの仕草に<font color="#0000ff">現実感がうすい</font> ことです。特に誰かがアリアを歌っている間、同時に舞台上に居てアリアを歌う番ではない人物たちが、<font color="#008000" size="3"><strong>揃いの身振り手振りで</strong></font>並んで踊っていたりします。</p><p>たとえば、スザンナが歌っている間、伯爵とフィガロが踊っていたり、ケルビーノが歌っている間、伯爵夫人とスザンナが<font color="#ff0000" size="3"><strong>せくしぃ</strong></font>なフリで踊っていたりします。</p><br><p>伯爵夫人が身をくねらせていたら、それは<font color="#800080" size="3"><strong>欲求不満</strong></font>の表現だろうと受け取ることはできますが、<font color="#0000ff">新婦のスザンナに同じことを求めるのは、無理があります</font>。</p><br><p>登場人物の仕草やフリは、それぞれの心理表現の一部と受け取るのが普通だと思いますが、ここではそれだけではないようです。</p><p>アリアの歌詞に対して、<font color="#0000ff">演出家が提示するひとつの解答</font>なのかもしれませんが、それでは難解すぎて、わたくしには一度観ただけではとても読み解くことが出来ません。</p><br><p>そこで、<font color="#800080" size="3"><strong>妄想</strong></font>の出番となりました。</p><br><p>彼らの揃いの身振り手振りを観ていて、わたくしは、彼らは<font color="#00bfff" size="3"><strong>何か大きな力</strong></font>によって<font color="#0000ff">操られている存在</font>なのではないか、と思いました。</p><p>それには、あのイケメン天使くんが一役買っているようです。かれは、とにかくしょっちゅう舞台に姿を現して （けっこう <font color="#fa8072" size="3"><strong>うっとおしい</strong></font>） なんかやっているのですが、ときに<font color="#9370db" size="3"><strong>ハンドパワー</strong></font>で彼らを動かそうというマイムをやったりしているのです。</p><br><p>では、その何か大きな力というのが、この天使くんによるものなのかというと、そうではないように見えます。</p><br><p><font color="#0000ff">生活感のない舞台装置</font>にしても、なんか変です。</p><p><font color="#0000ff">調度品といったものが何もなく</font>、薄汚れていて、<font color="#0000ff">壁際には、落ち葉がたくさんたまっています</font>。左側に<font color="#0000ff">開け放たれた窓</font>があり、白い無地のカーテンがかかっているだけです。</p><p>階段のところには、カラスの死体とおぼしきものが落ちていたりします。</p><p>カラスといえば、第２幕では、その左側の窓のところに、カラスのフィギュアが３体配置されます。窓辺に留まっているのとか、羽根をひろげて飛び込んできたところのようなのとかですが、フィギュアですから、<font color="#0000ff">動きは止まっています</font>。</p><br><p>まるで、この館は、<font color="#808000" size="3"><strong>廃墟</strong></font>のような感じです。</p><br><p>かれらは、その何か大きな力によって、もともと住んでいたところから、この廃墟とおぼしき館へ、<font color="#ff1493" size="3"><strong>集団で運ばれてきた存在なのではないか</strong></font> と思えてきました。</p><p>たとえば、<font color="#0000ff" size="3"><strong>次元転移装置</strong></font>のようなもので。</p><br><p>この館のなかでは<font color="#0000ff"><strong>時間が停止しているのかもしれません</strong></font>。</p><p>カラスが動かないのは、それが単なるフィギュアだからというのではなくて、<font color="#0000ff">この館の中だけ時間が止まっているからなのです</font>。</p><p>もともとこれは、フィガロとスザンナの結婚式当日の朝から夜までの物語、という設定ですが、左側の窓からは、ときおり朝の光のような強い光がさすこともあれば、夕方のようにオレンジ色になることもあるし、暗くなることもあります。</p><p>館の外では、<font color="#0000ff">普通に時間が進行</font>しているかのようなのです。</p><br><p>こう思いついてから、<font color="#800080" size="5"><strong>妄想</strong></font>がさらにどんどんふくらんでいきました。</p><br><p>この廃墟には、かつてはやはり貴族一家のような人たちが住んでいたのでしょう。</p><p>それがなんらかの理由で、この館は捨てられたものと思います。</p><p>その理由とは、なんでしょう？</p><p>もしかすると、この伯爵一家のように、恋愛だの不倫だののもつれが、<font color="#0000ff">収拾のつかない大騒動</font>となり、ついには一家が全員死に絶えるほどの、<font color="#800080" size="3"><strong>惨殺事件</strong></font>にまで発展したのかもしれません。</p><br><p>あの天使くんは、「愛」を司る神のもとにいる「<font color="#0000ff"><strong>愛の天使</strong></font>」たちの一人なのかもしれません。</p><p><font color="#0000ff">人間という愚かな生物たちは</font>、もともとは素晴らしい力をもつ<font color="#0000ff">「愛」というものの使い方がたいへんヘタ</font>なので、ある一家に不倫騒動が持ち上がったときに、「愛の神」によって、ある一人の「愛の天使」がつかわされたのです。</p><br><p>彼は、ハンドパワーだの、リンゴだの、白い羽毛だのといったアイテムを駆使して、その一家たちに<font color="#ff0000" size="3"><strong>愛のすばらしさ</strong></font> を教えて、本来あるべき関係に修復しようと努めますが、失敗し、<font color="#800080" size="3"><strong>凄惨な集団殺人事件</strong></font>という結末を迎え、華やかだった館は、廃墟となりました。</p><br><p>その「愛の天使」は<font color="#ee82ee" size="3"><strong>責任</strong></font>を問われることとなりました。</p><p>彼は、なぜ失敗したのか。</p><p>それはもしかすると天使の身分でありながら、<font color="#0000ff"><strong>人間の女性につい「恋」をしてしまったせい</strong></font> なのかも、しれません。</p><br><p>そこで、同僚の、（あるいは先輩の）天使くんが<font color="#fa8072" size="3"><strong>見本</strong></font>を見せることになりました。</p><p>神の力によって、<strong><font color="#0000ff">放っておけばおなじような騒動がおこりそうな（現代の）一家</font></strong>を、かつて事件があって今は廃墟となっているこの館に集団で転送してきて、<font color="#008000" size="3"><strong>芝居</strong></font>をさせることにしたのです。</p><p>そして、あの失敗した天使は、罰として羽根をとられ、ここの使用人の一人に<font color="#00bfff" size="3"><strong>転生</strong></font>させられたのです。それが<font color="#ff0000" size="3"><strong>ケルビーノ</strong></font>です。</p><br><p>イケメン天使くんは、この転送させられてきた一家に、<font color="#0000ff">騒動の種となるよこしまな恋愛感情</font>をまず<font color="#008000" size="3"><strong>増幅</strong></font>させます。</p><p>彼らは思ったとおり、どたばたの騒動を始めます。</p><p>象徴的なのは、第２幕で、イケメンくんがハンドパワーで、壁一面に登場人物の<font color="#008000" size="3"><strong>相関図</strong></font>のようなものを浮かび上がらせたりする場面です。</p><p>イケメンくんは、ケルビーノに見せつけるように、愛の持つ素晴らしい力、たとえば<font color="#0000ff" size="3"><strong>親子愛</strong></font>であったり、<font color="#ff1493" size="3"><strong>信じる心</strong></font>であったりを駆使して彼らを導き、よこしまな伯爵を懲らしめようとします。</p><p>しかし、ケルビーノは、失敗にも懲りず、<font color="#0000ff">人間の女性に恋する気持ちを捨て去ることがどうにもできません</font>。</p><br><p>一方、イケメンくんは、第４幕の冒頭で、哀しそうに膝をかかえて座り込んでいます。</p><p>ここがよく解せません。</p><p>思ったほどはうまくやれないなぁ、<font color="#0000ff">人間という生物はなんとやっかいなものか</font>、そんな感じかもしれません。</p><br><p>しかし、策略は結局うまく図にあたり、伯爵は悔悟し、全員が愛のすばらしさを高らかに歌い上げて、<font color="#0000ff">この芝居もおしまい</font>、となるはずでした。</p><p>イケメンくんは、さいごの重唱が歌われ始めると、満足した表情で窓から飛び去ろうとします。</p><br><p>ところがそのとき、<font color="#0000ff">人間たちがそれぞれ勝手に動き始めます</font>。</p><p>それまで、たとえば伯爵とかがときにイケメンくんのハンドパワーに抗うような動きを見せたりするのも、<font color="#0000ff">彼らがまだ本当の愛を知らないからでした</font>。</p><p>本当の愛を知った今となっては、<font color="#0000ff">かれらは天使の操るままになるはずでした</font>。</p><p>ところがそうはいかなかったのです。</p><p>イケメンくんは、なんとかまた操ろうとしますが、無駄でした。とうとう、<font color="#fa8072" size="3"><strong>なんてぇこった</strong></font>、とでもいうような表情を浮かべて諦めて帰ってしまいます。</p><p>その瞬間、<font color="#0000ff"><strong>ケルビーノだけが、まるで糸でも切れたようにその場に倒れ込み</strong></font>、照明が落ちて幕となります。</p><br><p>オペラは終わりましたが、その後、彼はどうなったのか。</p><br><p>ケルビーノが気がついたとき、周りにはもう誰もいなくて、彼だけが一人取り残されていたかも知れません。</p><p>廃墟は元の時代に戻され、ケルビーノはこれから、<font color="#0000ff"><strong>新しい人生</strong></font>を歩むことになりました、、、とか。</p><br><p>このケルビーノが成長した姿が、いわゆる、<font color="#ff1493" size="3"><strong>ドン・ジョヴァンニ</strong></font>（ドン・ファン）だ、という説もあるそうです。</p><br><p>･･･</p><br><p>いかがでしょう？</p><p>まぁ、我ながら <strong><font color="#800080" size="4">ひどい</font><font color="#800080" size="7"><font size="4"><font color="#800080">妄想</font> </font></font></strong>だなと思いますが。。。</p><br><p>グート氏の演出意図が<font color="#0000ff" size="3"><strong>ホントウ</strong></font>はどうだったのか、とても気になるところです。</p><p>誰か聞いてきてくれませんかね。。。</p><br><p>･･･</p><br><p>長くなりすぎたので、あとは簡単に。</p><br><p><font color="#ff0000" size="3"><strong>ネトレプコ様</strong></font>の歌は、最初この人はモーツァルトに合わないのではないか、などと思ったりしましたが、聴いているうちに <font color="#0000ff"><strong>とても素晴らしい</strong></font> と思うようになりました。今まで聴いたネトレプコの歌の中では、これが最高かも知れません。（そんなにたくさん聴いているわけではないんですけど）</p><br><p>しかし、それよりも、私にはやはり<font color="#0000ff" size="3"><strong>シェーファーの歌が絶品</strong></font>だったと思います。</p><p>それに、<font color="#0000ff">彼女に半ズボンを着せて男性役をやらせるというのは、とてもマッチしたキャスティングだと思います</font>。</p><p>ここではもう詳しくは書きませんが、いずれ、かつて観た「<strong>ヘンゼルとグレーテル</strong>」や「<strong>ルル</strong>」の感想を書くことがあったら、（「ヘングレ」の感想はかつてmixiに書いたことがありますが）、そのときに言及したいと思います。</p><br><p>また、収穫だったのは、<strong><font size="3">イルデブランド・ダルカンジェロ</font></strong>というバス歌手を知ったことです。</p><p>すっかりお気に入りになりました。</p><p>シェーファーとダルカンジェロは、同じ年のザルツブルクで、『<strong>ドン・ジョヴァンニ</strong>』にも出演しています。</p><p>近いうちに観たいなと思います。</p><br><p>マルチェリーナ役の人は、ＮＨＫの表記では、マリー・マクロックリンとなっていますが、この人は、<font color="#ff1493" size="3"><strong>マクローリン</strong></font>とわたくしが理解していた人と同一人物ですかね？</p><p>だとすると、かつてグラインドボーンでミカエラ役を観たことがあるのですが、とても<font color="#ee82ee" size="3"><strong>きれいな人</strong></font>です。</p><p>「椿姫」の外題役でも有名な人ですよね。</p><p>歌もきれいでした。</p><br><p>また、短いけど素晴らしく印象的なアリアを聴かせるバルバリーナ役も、よかったです。</p><br><br><p><strong>※モーツァルト</strong></p><p><strong>　　歌劇 『フィガロの結婚』</strong></p><br><p><strong>アルマヴィーヴァ伯爵 ： ボー・スコウフス<br>伯爵夫人 ： ドロテア・レシュマン<br>フィガロ ： イルデブランド・ダルカンジェロ<br>スザンナ ： アンナ・ネトレプコ<br>ケルビーノ ： クリスティーネ・シェーファー<br>マルチェルリーナ ： マリー・マクロックリン<br>ドン・バジリオ ： パトリック・ヘンケンス<br>ドン・クルチオ ： オリヴァー・リンゲルハーン<br>バルトロ ： フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ<br>アントニオ ： フロリアン・ベッシュ<br>バルバリーナ ： エヴァ・リーバウ</strong></p><br><p><strong>指揮：ニコラウス・アーノンクール<br>ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団<br>ヴィーン国立歌劇場合唱団</strong></p><p><strong><br></strong></p><p><strong>演出：クラウス・グート</strong></p><br><p><strong>2006年7月　ザルツブルク、モーツァルト劇場<br>（2006年、ザルツブルク音楽祭）</strong></p><br><p><strong><br></strong></p><p>よけいなひとことになりますが・・・</p><br><p>世界中で何人いるか、一人もいないのかわかりませんが、</p><p>この公演で初めて『フィガロの結婚』を見たという人がいるならば、</p><p>その方は不幸だと思います。。。</p><br><p>いろいろ考えることができたのは楽しかったですけどね・・・<br></p><p><strong><br></strong></p><a href="http://classic.blogmura.com/opera/"><img 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<link>https://ameblo.jp/zootsims/entry-10398617729.html</link>
<pubDate>Sun, 29 Nov 2009 11:13:38 +0900</pubDate>
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<title>2006年ザルツブルク公演 『フィガロの結婚』(1)</title>
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<![CDATA[ <p>デアゴスティーニから、アイーダの次に送られてきた『<font color="#0000ff" size="3"><strong>フィガロの結婚</strong></font>』を観ようと思ったのですが、</p><p>（もうすでに次の『ラ・ボエーム』まで送られてきているので、急がないと･･･）</p><p>演出が、<font color="#00bfff" size="3"><strong>ピーター・ホール</strong></font>氏ということで、これは予習しなきゃいけません。フィガロは、もう長いこと観てないのです。</p><p>ホール氏の演出では、以前『<font color="#ee82ee" size="3"><strong>カルメン</strong></font>』で、相当感心したことがあります。</p><p>（だいぶ前になりますが、mixiの日記で感想を書いたことがあります。あまりに長くなりすぎたので途中で放棄してしまいましたが、まとめてこちらに転載する予定です）</p><p>特に難しい演出をする人ではないけど、なにか<font color="#ff0000" size="3"><strong>斬新</strong></font>な見せ方をしてくれているんじゃないかという期待がもてる人です。</p><br><p>『<font color="#0000ff" size="3"><strong>フィガロの結婚</strong></font>』は、うちには他に３つDVDがありますが、その中から２つを予習として観ることにしました。今回は、2006年<font color="#800080" size="3"><strong>ザルツブルク音楽祭</strong></font>での公演です。</p><br><p>演出は、<font color="#0000ff" size="3"><strong>クラウス・グート</strong></font>という人。有名な人なんですよね？</p><p>読み替え演出系ということで、今まで敬遠していました。</p><p>指揮は、<strong><font color="#ff1493" size="3">ニコラウス・アーノンクール</font></strong>。オケは、<font color="#008000" size="3"><strong>ヴィーン・フィル</strong></font>です。</p><br><p>歌手では、なんといっても、<font color="#ff0000" size="3"><strong>ネトレプコ様</strong></font>と<font color="#0000ff" size="3"><strong>シェーファー様</strong></font>の競演が聴けるということで、<strong><em><font size="3">わたくし的にはとても魅力的</font></em></strong>です。<font color="#800080" size="3"><strong>シェーファー様がズボン役</strong></font>というのも個人的には<font color="#008000" size="3"><strong>ツボ</strong></font>です。</p><br><p>序曲が始まると、なるほど、さすがに雰囲気が全然違います。<strong><font size="3">暗い</font></strong>のです。一言で言えるような単純なものではありませんが、こんなフィガロ序曲を聴いたのは、初めてです。</p><p><font color="#ee82ee" size="3"><strong>アーノンクールって</strong></font>モーツァルトをこんなふうに演奏する人だったか、と、わたくしは<strong><font color="#9370db" size="3">恥ずかしながら　そもそもモーツァルトをあまり聴かない人間</font></strong>なので、よく分からないのですが、そんなことを考えるいとまもなく、序曲の途中でするすると幕が上がり始め、<strong><font size="3">導入劇</font></strong>が始まりました。</p><br><p>舞台上には、主要登場人物である、<strong><font size="3">３組のカップル</font></strong>が、立っています。</p><p><font color="#ff0000" size="3"><strong>フィガロとスザンナ、</strong></font><font color="#0000ff" size="3"><strong>アルマヴィーヴァ伯爵と伯爵夫人ロジーナ</strong></font>、<font color="#008000" size="3"><strong>マルチェリーナとバルトロ</strong></font>です。</p><p>まるで、時間が止まっているかのように、彼らはみな<strong><font size="3">微動だにしません</font></strong>。</p><p>そこへ、<font color="#33cc33" size="3"><strong>不可解な</strong></font>人物が現れます。彼の背中には<font color="#9370db" size="3"><strong>白い羽根</strong></font>がついています。</p><p><font color="#00bfff" size="3"><strong>天使</strong></font>かなにかでしょう。モーツァルトの原作には登場しない人物です。</p><br><p>この若い<font color="#800080" size="3"><strong>イケメン</strong></font>の天使は、いたずらっぽい表情を浮かべながら、３組の周りを巡って、白い羽毛を散らしたり、カップルの間に<font color="#ff0000" size="3"><strong>リンゴ</strong></font>を置いたりしています。</p><br><p>序曲が終わりに近づいたころ、スザンナと伯爵が動き出します。</p><p>スザンナは伯爵の方へ近づいていきます。手をさしのべながら。</p><p>（あるいは、伯爵に何かを訴えようとした仕草だったか？）</p><p>その<strong><font color="#ff0000" size="3">ネトレプコ様</font></strong>（スザンナ）を、<font color="#808000" size="3"><strong><em>伯爵め</em></strong></font> は、いきなり抱きすくめて<font color="#ff0000" size="3"><strong>接吻</strong></font>し、部屋に連れ込んでしまいます。</p><br><p><strong><font size="4">な、なんでしょう、これは？</font></strong></p><br><p>ひょっとして、これは、（<font color="#800080" size="3"><strong>噂</strong></font>に聞く）スザンナと伯爵は実は<font color="#ff0000" size="3"><strong>デキていた</strong></font>、という設定でしょうか？</p><p>あるいは、ただ単に、物語の前提を示しただけのものでしょうか？</p><p>はたまたあるいは、未来の二人を（物語後の）、象徴的に見せたものなのでしょうか？</p><p>スザンナが見せた、やや複雑な表情（この後も時々見せる）を読み解けば、<strong><font color="#0000ff" size="3">謎</font></strong>が解けるのでしょうか？</p><p>今後の展開に<font color="#008000" size="3"><strong>俄然興味</strong></font>がわいてきました。</p><br><p>そんなこんなで、ようやくオペラの本筋が始まるわけですが、</p><p>まず気になるのは、序曲同様、全体的に暗い雰囲気が続くことです。</p><br><p>もともとはブッファ（喜劇）なのに　－ブッファと呼んでいいのか分からないけれど－</p><p>ここでの登場人物たちは、みなそれぞれ陰があるのです。</p><p>そして、それぞれが誰かに対して、怒りというよりも<font color="#800080" size="3"><strong>憎しみ</strong></font> の感情を抱いているかのように見えます。</p><p>憎しみ合う大人たちが、（ブッファの軽快なセリフのまま）<strong><font size="3">本心を隠してやりとりしてる</font></strong>感じです。</p><br><p>照明、セット、どれをみても暗さがあります。</p><p>そして、ときには、まるで<font color="#ff0000" size="3"><strong>スプラッター・ホラー</strong></font>にでも発展しそうな雰囲気が醸し出されることすら、あります。</p><p>たとえば、第２幕で、伯爵が、ケルビーノが隠れている部屋のドアをこじ開けようと、道具をもってくるところでは、<font color="#808000" size="3"><strong>ボー・スコウフス</strong></font>があの貌で、<font color="#800080" size="3"><strong>大きな斧</strong></font>を担いで現れるものだから、シュールなユニークさがあって、普通なら笑えるところです。現に会場にも笑い声は漏れますが、わずかなものでした。全体的に笑えるような雰囲気の劇になってないのです。</p><p>そして、現に、このすぐ後の場面では、このまま殺人劇が繰り広げられても何らおかしくないような、<font color="#008000" size="3"><strong>重苦しい</strong></font>演出が続きます。</p><br><p>また、順序が逆になりましたが、第１幕で、<font color="#0000ff" size="3"><strong>ケルビーノ</strong></font>が、フィガロにからかわれる場面、有名なアリア「<strong><em><font size="3">もう飛ぶまいぞ、この蝶々</font></em></strong>」のシーンですが、ここなども、<font color="#9370db" size="3"><strong>サディスティック</strong></font>です。</p><p>いじめられる<font color="#ff0000" size="3"><strong>シェーファー嬢</strong><font color="#000000" size="2">に</font><strong>萌え～～</strong><font color="#000000" size="2">となる人がいても理解できなくもないところですが、萌えない人間にとっては、とても息苦しい気持ちになります。あの軽快で楽しげなアリアの時に！</font></font></p><br><p>ケルビーノといえば、第１幕で最初に現れたときには、不思議な行動をします。</p><p>彼は、あの<font color="#9370db" size="3"><strong>イケメン天使</strong></font>と同じ服を着ています（半ズボンです）。</p><p>バルバリーナと思わしき女性を追いかけて、部屋から飛び出してくるのですが、急に自分の背中に羽根が無いことに気づいて、困惑したような表情を見せます。</p><p>そして、目の前に立っているあのイケメン天使に向かって、助けを求めるような演技をします。</p><p>その天使くんは、導入劇のあとでも、しょっちゅう舞台に現れては、なんかしています。登場人物たちには、彼が見えていないようです。</p><p>つまり、<font color="#800080" size="3"><strong>ケルビーノだけ</strong></font> には、この天使の姿が見えているということです。<br><br>ケルビーノは、元天使だったのに、なにか神の怒りに触れるようなことでもしたのか、翼をとられた<font color="#9370db" size="3"><strong>堕天使</strong></font>とでもいうような設定なのでしょう。</p><p>この２人、天使と元天使という設定から、読み替えとなっている<strong><font size="3">全体のプロット</font></strong>を、少し考えてみることにします。</p><br><p>（翌日以降につづく）</p><br><a href="http://classic.blogmura.com/opera/"><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fclassic.blogmura.com%2Fopera%2Fimg%2Fopera88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 クラシックブログ 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<link>https://ameblo.jp/zootsims/entry-10397799373.html</link>
<pubDate>Fri, 27 Nov 2009 08:25:07 +0900</pubDate>
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<title>サンフランシスコ公演『アイーダ』</title>
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<![CDATA[ <br><p>「<font color="#0000ff" size="3"><strong>敵役</strong></font>」って大事ですよね。</p><p>主役を際だたせる役目としても重要ですが、時には主役を食ってしまうことだってあります。</p><p>私にとって、「<font color="#ff1493" size="3"><strong>アムネリス</strong></font>」はそういう存在です。<br>主役の「アイーダ」よりもこの人の方が好きなんです。<br>わたくしが「ラダメス」なら、躊躇なくこの<font color="#33cc33" size="3"><strong>王女様と結婚</strong></font>しますが・・・</p><br><p>今回観たのは、定期購読しているデアゴスティーニから送られてきた<font color="#ffd700" size="3"><strong>ヴェルディの『アイーダ』。</strong></font><br>白状しますと、この大名作を私が観るのは今回が２度目となります。</p><p>前回のはヴェローナ公演のやつでしたが、だいぶ前になるので記憶はあやふやながら、<br>そのときのアムネリス役は<font color="#00bfff" size="3"><strong>コッソット</strong></font>で、これが素晴らしかったのでした。</p><br><p>今回のは、サンフランシスコでの公演。</p><p>ラダメス役は<font color="#0000ff" size="3"><strong>パヴァロッティ</strong></font>、アイーダ役は<font color="#ff1493" size="3"><strong>プライス</strong></font>。<br>この２人の歌を聴けるだけでも、これは価値ある一枚といえそうです。<br>らくらくと歌い上げるパヴァロッティはさすがだし、プライスの歌も、深みのある味わい深いものでした。</p><br><p>お金がかかっていそうな舞台装置もすごかったし、衣装もよかったですね。<br>あの祭司たち（だと思う）がかぶっていた、白い卵型の、帽子のような兜のようなもの、あれはなんでしょう？<br>黒く塗れば、まるで<em><strong><font size="3">エイリアン</font></strong></em>の子供のような･･･</p><br><p>演出は、<font color="#00bfff" size="3"><strong>サム・ワナメイカー</strong></font>という人。<br>セットがしっかりしているので、あまり手の込んだことはしなかったような感じ。<br>可もなく不可もなくといったところですが、しかし、<em><strong><font size="3">ユルいな～</font></strong></em>という感じは否めません。<br>ほんのちょっとした手先の動きでも、感情表現ってできると思うのですが。</p><br><p>いや、その時々の感情表現というよりは、問題は、キャラクター設定でしょうか。</p><br><p>たとえば、アムネリスの魅力は、その「<font color="#ff0000" size="3"><strong>ツンデレ</strong></font>」さにあると思うので、もっとツンツンしてくれてたほうがわたくし的には<font color="#fa8072" size="3"><strong>萌えます</strong></font>（笑）。Ｍではないけど。</p><p><br>その方が、第４幕で、彼女が心情を吐露する場面や、幕切れでの彼女の祈りの言葉も、より魅力的、感動的になると思うのです。</p><p>というのも、最後の、アムネリスが地上で愛するラダメスに安らかにと祈るシーンでは、地下ではそのラダメスがあの<font color="#9370db" size="3"><strong>憎っくき</strong></font>アイーダと抱き合ってるわけで、当然アムネリスは知らないわけですが、そのことをただ<font color="#00bfff" size="3"><strong>アイロニー</strong></font>とだけでしか受け取れないのでは、つまらないというわけです。 </p><br><p>それというのも、アイーダが、あの墓所に潜入できたことも、そもそも<font color="#008000" size="3"><strong>不自然</strong></font>だと思うからです。私は、オペラの設定とは無関係に、背景とかをあれこれ想像するのが楽しいので、ついいろいろ考えてしまうのですが、この場合、ラダメスは、いやしくも一軍を預かる将軍なわけですから、彼を敬愛する幕僚や兵士がいたっておかしくないし、彼ら陪臣たちの何人かでも、取り返して共に亡命しようと企むことだってあり得るし、それに、ラダメスは反逆罪として処刑されるわけですから、敵であるエチオピアが特殊工作員でも送り込んでラダメス救出を目論むであろうということだって、当然想像できるわけです。<br><font color="#800080" size="3"><strong>警戒は厳重</strong></font>にする必要があります。ましてや、アイーダは指名手配中の身なわけだし、近づくことすら困難であったでしょう。 </p><br><p>それにそもそも、アイーダはあの場所にラダメスが生きたまま埋められると、<font color="#808000" size="3"><strong>どうして知ったのでしょう？</strong></font>私が警備担当なら、まず、処刑の場所は秘密にします。 </p><br><p>こう考えてみると、わたくしには、「<font color="#00bfff" size="3"><strong>アムネリスがアイーダをあの場所に導いた</strong></font>」、としか考えられないのです。登場人物以外に想像はできないですから。</p><p>第４幕の１場と２場の間に、この<font color="#ee82ee" size="3"><strong>二人のやりとり</strong></font> があったと、私は考えたいのです。どんな会話があったのか。火花の散るほどの激しいやりとりだったかもしれませんし、そうでもないかもしれません。アイーダは、ラダメスの無実を訴えようとしたでしょう。アムネリスは、「<font color="#ff0000" size="3"><strong>もう遅いわよ！</strong></font> 」と叫んだかもしれません。<br>それでも、彼女は、同じ男を愛するものとして、最後には、ラダメスと一緒に死にたいという<font color="#fa8072" size="3"><strong>アイーダの願いを叶えてやる</strong></font>気になったのでしょう。とうとう最後まで自分になびかなかったとはいえ、それでラダメスが少しでも<font color="#33cc33" size="3"><strong>安らかに死ねるのならば</strong></font>、と。 </p><br><p>そんな視点をもって、最後の<font color="#9370db" size="3"><strong>アムネリスの祈りの歌</strong></font>を聴いてみると、いろいろ複雑な思いを抱きながらも、<font color="#008000" size="3"><strong>ただ祈るだけしかない</strong></font>彼女の心情が、<font color="#fa8072" size="3"><strong>とても痛ましく、また愛らしくも</strong></font>思えてくるのです。<br>この人はただ傲慢なだけの王女様ではなく、ファラオの娘という立場で育てられたがゆえに、身分の低い相手には強圧的になることもままあるけれど、生まれつきの心の奥底には、アイーダにも負けないほどの清らかで愛らしいものを持っていたんだな、とそう思えてきます。</p><br><p>このことを、私は初めて見たヴェローナ公演で、そう感じさせられたわけですが、それが、演出家の意図としてそうであったのかどうなのかは、覚えていません。しかし、少なくとも今回のこの演出では、そういう感動を味わうには、不十分でした。 </p><br><p>また、以上の文章で、第３幕とか第４幕というのは、通常の幕割りに基づくものです。<br>この公演では、「<font color="#0000ff" size="3"><strong>演出家の意図</strong></font>」として、第１幕と第２幕の計４場を一緒にして第１幕としています。したがって、第３幕は第２幕、第４幕は第３幕と表示されます。</p><br><p>わたくしは、この「<font color="#0000ff" size="3"><strong>演出家の意図</strong></font>」を一生懸命考えてみましたが、<strong><em><font size="3">てんで分かりませんでした</font></em></strong>。<br>通常の第１幕と第２幕の間には、設定上は、おそらく１週間か10日くらいの、時間の経過があるはずです。その時間の感覚が壊されるわけですが、それを補ってあまりある「<strong><font color="#0000ff" size="3">意図</font></strong>」があるならば、<strong><em><font size="3">それはなんだったのでしょう？</font></em></strong><br>一つ言えることは、この４場を続けて演奏することで、音楽が、<font color="#ff1493" size="3"><strong>まるで一つのシンフォニー</strong></font>のように聞こえることです。第４場が、まるでシンフォニーの壮大なフィナーレのように聞こえてきて、<strong><font color="#008000" size="3">見事</font></strong>です。<br>ただ、そのため、バランス的に、<strong><em><font size="3">残りの２幕が軽く感じてしまいます</font></em></strong>。終幕の感動がうすく感じてしまったのは、そのせいもあるかもしれません。 </p><br><p>それぞれの歌については十分楽しめました。</p><p><br>アムネリス役を歌ったのは、<font color="#ff0000" size="3"><strong>ステファニア・トツィスカ</strong></font>という人で、ルックスはもうアムネリスにぴったりですね。高音がきれいで、その分低音部分になると、すこし弱くなるような気はしますが。<br>でも素晴らしかったです。最後のカーテン・コールでの、この人への拍手は、<font color="#33cc33" size="3"><strong>パヴァロッティにすら負けてなかった</strong></font> と思います。アムネリスファンとしては、嬉しかったですね。 </p><br><p>アモナズロの<font color="#9370db" size="3"><strong>サイモン・エステス</strong></font>もよかったです。<br>こちらもルックスはぴったりで、観ているこちらとしては、「アモナズロの<font color="#ff0000" size="4"><strong>バカ</strong></font>め！」とホントに怒りを覚えてしまうほど、見事でした。<br>第３幕（第２幕）幕切れ近くでの、<font color="#008000" size="3"><strong>ラダメス、アイーダ、アモナズロの三重唱</strong></font>は、迫力満点で、圧巻でした。 </p><br><br><p>※ヴェルディ</p><p>　　歌劇『アイーダ』</p><p><br>　　アイーダ：マーガレット・プライス<br>　　ラダメス：ルチアーノ・パヴァロッティ<br>　　アムネリス：ステファニア・トツィスカ<br>　　アモナズロ：サイモン・エステス<br>　　エジムト王：ケビン・ランガン<br>　　ランフィス：クルト・リドル、ほか</p><br><p>　指揮：ガルシア・ナバロ<br>　サンフランシスコ歌劇場管弦楽団、合唱団<br>　<br>　演出：サム・ワナメイカー</p><p>　1981年、ウォー・メモリアル・オペラにて</p><br><a href="http://classic.blogmura.com/opera/"><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fclassic.blogmura.com%2Fopera%2Fimg%2Fopera88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 クラシックブログ オペラへ"></a><br><a href="http://classic.blogmura.com/opera/">にほんブログ村</a><br>
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<link>https://ameblo.jp/zootsims/entry-10378108158.html</link>
<pubDate>Tue, 10 Nov 2009 11:05:43 +0900</pubDate>
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