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<title>望む人生への旅路</title>
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<description>better late than never.</description>
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<title>ここ数年を振り返って</title>
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<![CDATA[ <p>　今は精神的にとても安定している。転職回数はこのブログを始めた当初からとても増え（今6社目？）、奇しくも自分が成ってはいけないと思った将来像に成っている。今更ながら俺は社会に根っから迎合できない社会不適合者何だろうな、と改めて思う。</p><p>　良くも悪くも人生を諦めつつある。昔思っていたような人生を歩めておらず、でも皆が望むような人生を自分も歩みたいという思いで藻掻いていたが、その思いと裏腹に自分の能力が無いことで精神的に壊れてしまった。今、このブログを見返すと、数年前は何であんなに希死念慮が強かったのか不思議である。冷静に成った今は、やはりあの時は鬱病だったんだと感じる。約2年前から心療内科に通院し抗うつ剤を飲み続けたら大分落ち着いた。やはり効果はあるんだな、と。鬱病に成る自分というのを認められず、精神疾患というものを否定してきたが、今では5大疾病の一つなのだから、ごくありふれた病気なのだ。</p><p>　自分の弱さを認めたことで、精神的には大分楽に成った。でも、その反面、色んな意味で気持ちの緩みが出ているな、とも思う。それは仕事に対してもプライベートに関しても。ただ、今は、「生活を落ち着かせる」という低いハードルに集中した方が良い気もする。ここ数年は20代後半という年齢を迎え、人生に焦ってしまった。ただ、淡々と人生を過ごせばそれで十分だったのかもしれない。</p><p>　「何故あの時頑張れなかった？」という後悔を時々してしまう。もしあのまま頑張っていれば・・。と。ただ、きっとそれは結果論であって、成るべくして成った今があるように思う。それに昔を思い出して、精神的にあの時には戻りたくないという気持ちもある。頑張ったが大多数が送るような人生を自分が送ることは無理なんだろうな。何となく30代に成った今は悟ったりもした。</p><p>　ただ生きるだけでも良いのかもしれない。</p>
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<pubDate>Fri, 10 Jan 2020 00:30:31 +0900</pubDate>
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<title>孤独が自分を破滅させる</title>
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<![CDATA[ <p>　学生時代も青春を送りたかった。恋愛したり、友人と遊んだり、自分の今の年齢だと結婚して子供がいてもおかしくないのだが。。ずっと生きることが辛いと思ってきた。楽しい思い出は殆どない。いつも思えば独りぼっちだった。きっと社会に適用出来なかったり、苦難を耐えられないのは、弱い上に孤独だからだと思う。このブログを始めた当初も、新しい土地で新しい仕事をし、誰にも仕事の相談も出来なかった。そして、ブログを通して少しでも人と関わる機会を求めていたんだと思う。ポーカーフェイスだけど、本当はとても辛いんだ。人と関われない事が。何故自分は大多数の人と同じように普通の人生を送れなかったのか。普通に成りたい！なのに、なんでなんでなんで・・。アダルトチルドレンに当てはまることが多い。</p><p>　新しい職場は決まった。ただ、とても不安。続くのか今から不安。今は気分が落ち込んでいるので、何もできる気がしなくなってしまった。そういう時はその事柄から一度離れることが大事だと過去の失敗を重ね気づいた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/zukan9/entry-12487444255.html</link>
<pubDate>Sat, 29 Jun 2019 00:16:39 +0900</pubDate>
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<title>転職先の選択</title>
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<![CDATA[ <p>　今日も面接。車で2時間程のところ。仕事内容は、大学の事務。詳しい仕事内容は書けないが、未経験の仕事である。ただ、その他に経験職の仕事もある。平たく言えば事務系の何でも屋的な感じ。雇用形態は契約社員。今回が2次面接で最終面接（理事長面接）だった。</p><p>　理事長と副理事？の2人。殆ど副理事が話していて（マシンガントーク）、理事長とは10分ほどしか話せなかった（途中で喋りすぎなため、副理事に少し怒り気味で退席）。結局面接時間は2時間。最初のほうは畏まった感じの受け答えをしていたのだが、途中で副理事がどんな人か分かったので、疲れて適当な返答になった(笑)帰宅途中に電話で内定の連絡を頂いた。条件面は契約社員にしては大分良いと思う。本来出す予定だった金額よりも＋2万円程という話。</p><p>　現時点で内定を頂いているのは4社。正社員3社、契約社員1社（今回）である。正社員3社の内、2社は辞退の連絡をした。1社は保留状態。どちらに行けば良いのか、正直悩んでいる。正社員のほうは近場で条件もかなり良い。ただ、職場環境はあまり良くない印象。そして今日の大学職員は、学校だけあって雰囲気は良かった。職員も穏やかな印象だったし。ただ、遠方であり契約社員であることが引っ掛かている。理事長には「長く勤めて頂きたいとは勿論思っているのでゆくゆくは無期の可能性もある。」と言っていただいたが、この年齢で契約社員ってどうなんだろうか。。年収的にはそこまで悪くないんだけど、正社員のところより100万程下がる。あと仕事内容も多岐に渡り、新しく立ち上げる部署らしく、自分一人しかいないという状況にも気が引ける。今週中には決めて連絡しないといけない。どちらに行くべきか。。</p><p>　今、また無職に成って実家に戻ってきてしまったわけだが、改めて、一人暮らしをして、仕事をして、それを継続させないと。そこが自立への第一歩かな。こんなことをこの年齢で言ってて良いのか？と自分でも思うんだが。でも精神状態はかなり落ち着いた。結局俺は、寂しがりなくせに、コミュ障な上プライドが高いから病むんだよな。一人暮らしだと寂しいさが募るんだと思う。実家から出て、一人暮らしをして、仕事をすることが自立だと思っていたが、本質的な自立には至っていなかったのだと、振り返って感じた。精神的な強さというのはどんなものか？今は分かる。自分の良さも分かる。</p><p>　日々変化することを心掛け、また、人間的に大きな人間に成らないといけない。恋愛とか結婚はその後だな、と冷静に思った。ずっと恋愛したいとか思ってたけど、それはただ単に寂しさを紛らわしたかったからだったと思う。過去の失恋でどん底まで落ち込んだのは、相手に執着していたから。それにフラれた理由は「自分の過去にある」と囚われていたけど、一番は自分の弱さにあったな、って思う。今日の面接で通信制高校に入学した理由を聞かれたが、ハッキリ、「中学生の頃、不登校だったため。」と自信を持って言えた自分がいることに自信が持てた。「コンプレックスを強さにする。」どこかの本か動画で見た言葉だが、これこそ本当の強さだと思う。今は他人からどう思われても良いと感じる。これはある意味落ちるところまで落ちたから得られた心情。今まで学生時代にレールから外れた自分がいたから社会人に成ったらそのレールから出来るだけ外れないようにという気持ちで生きてきた。でもそれを思えば思うほど自分を縛り、窮屈にされた。自分は一般的な生き方は出来ないんだと割り切ったほうが魅力的な人間に成れる気がする。でもそんな自分が今では案外好きだったりする。</p><p>　今までは自分が良ければいいという生き方だったけど、それじゃあダメなんだ。相手だけが幸せでもだめで、双方がお互いに幸せでないと意味が無い。そんな当たり前なことに今頃気づいたりする。だから、この先の失敗だったり、落ち込む出来事に対して、そんな観点で捉えて、意味のある人生観を生きていきたいと思っている。また、気分の浮き沈みがあるが、沈んだ時は無理せず休めばいいと思うし、沈むだけ沈め！と思うのがベストな対応だったりするのかも。この先、自分の人生はどうなるか分からない。学生時代に思い描いていたサクセスストーリーでは、今の年齢で、「新卒で1流企業と言われる大手IT会社に入ってバリバリ評価されて、結婚して家を持ち、子供がいる」はずだったんだけど(笑)まぁ、能力が無いから上手くはいかないよね。でも、最近になってようやく他人と比べることをしなくなった。そうすると自分が成長することが楽しいんだよね。それに出来ないことを真正面から受け止めて自覚して出来ないことを出来ることにするのも楽しかったりする。だから出来なかったことや出来ないことを見つけたら、喜べる人間に成れたら強いよね(笑)その域にはまだ達してないけど。</p><p>　そういう考えが生まれてくるようになっただけで大きな進歩だと思っている。自分が思う魅力的な人間に大分近づいている気がする。</p>
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<link>https://ameblo.jp/zukan9/entry-12486223065.html</link>
<pubDate>Wed, 26 Jun 2019 00:20:10 +0900</pubDate>
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<title>残りの時間で何ができるだろうか？</title>
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<![CDATA[ <p>　漠然と日々を生きている。ただ、以前のように「死ぬこと」よりも、何でも良いから少しづつ「出来ないことを日々出来るようにする」という目的を持ち、一日一日を過ごすようにしている。これからの人生どうしようか？考えると不安が襲う。行き詰ったときや不安が過ったときは休んでしまえばいい。そしてやる気が出たらまた始めればいい。ということを最近学んだ。今まではそれでも頑張ろうとして、頑張れない自分を許せなかった。だから、冷静さやキャパオーバーに成ったように思う。</p><p>　面白いもので今まで気にもしなかったことが、偶然繋がる現象がよく発生する。これはカラーパス効果に他ならないのだが。自分の今までの人生は失敗だった。もっと上手く生きられたら？とか、もっと他の人と同じように生きられたら？と思うことばかり。しかし抗っても、自分は自分でしかないということをここ数年で思い知らされた。今になって、学ぶことの大事さも、他人と関わることの大切さも感じるのに。でも、後悔しても本来の自分の持っている性格ではそれが出来なかったのだろう。発達障害？そんな風にも思う。</p><p>　</p>
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<link>https://ameblo.jp/zukan9/entry-12485268345.html</link>
<pubDate>Sun, 23 Jun 2019 20:02:11 +0900</pubDate>
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<title>勝手にしてください</title>
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<![CDATA[ <p>　ずっと人生のレールから外れた人生だった。だから、所謂、仕事して恋愛して結婚して子供が出来て・・という、一般的な幸せというのは10代の頃から、既に諦めていた。しかし、大学時代から、やはりその一般的な幸せが欲しいという感情が生まれた。高校時代（通信制）の時からその感情はあった。高校の制服を着た同世代の学生が友人と電車で楽しそうに話しているのを見て、自分は私服で常に誰かの視線に怯えながら一人だった。心の拠り所は、オンラインゲームしかなくて、それで孤独からは救われていた気がする。大学に入ってからは同い年の人と授業が一緒だったためより一層、青春というものに憧れた。しかし、引きこもりで、どもりも酷く、他人と話すと緊張で声が出ない。話す言葉も浮かばない。授業に出て、誰とも話さず、ただずっと席に座っていた。最初は友人を作ろうと頑張ったんだけど、、無理だった。</p><p>　あれからもう10年が経った。悪い意味で大学時代に想像していた自分とはまるで違う自分に成っている。今でも昔と変わらず、レールから外れっぱなし。やはり自分は欠陥品なのだと感じる。上記のような幸福を求めてみてもこの性格だから、恋人はおろか友人さえ真面に出来ない。しかし、今になって考えれば、以前勤めていた職場では、そんな人間関係も徐々に出来ていた気がする。ただ、それに耐えることが出来なかった。というより、繕った自分を保持することが出来なかった。他人が望む自分。年相応の自分を演じていただけだったのかな。</p><p>　ずっと過去を引きずって生きてきたが、もう恐れることも無い。自分には失うものも無い。他人と同じような幸せを求めるべきではなかったのだと改めて感じた数年間だった。ただ、まだどこかで期待している自分がいる。こんな自分でも認めてくれる人が現れるのではないか？と。また、心から信じられる人が現れるのではないか？と。ただ、それもただ祈るだけ。祈るだけで望みが叶えば苦労はしない。</p><p>　普通の人生を歩みたかったと心から思う。小中高の友人と思い出を作って、恋愛もして、家庭を持って、、。そんな人生を歩みたかった。悲観しても仕方ない。だから今は目先の出来ることだけに着目しないとな。</p>
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<link>https://ameblo.jp/zukan9/entry-12484348071.html</link>
<pubDate>Fri, 21 Jun 2019 23:20:26 +0900</pubDate>
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<title>孤独と自立</title>
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<![CDATA[ <p>　今日は面接だった。大学の事務職での採用。場所は実家から70㎞程離れた場所。面接官や学校の雰囲気は良かった。しかし「過去不登校で学校嫌いだった人間が学校で働くのか？」と自問自答。面接終了後、帰宅途中に電話があり、一次面接は通過し、来週最終面接となった。ただ、今回の求人は契約社員としての採用。この年齢で契約社員ってどうなんだろうか。。っと言っても、常識的な考えからもうすでに逸脱しているのでそこに囚われても仕方ないのか？県内で正社員として内定を貰っているところもあるので少し検討（雰囲気が微妙）。</p><p>　このブログを始めたきっかけは、新しい仕事（2社目）を始めて、また、一人暮らしをした後である。「何故始めたか？」は今でも鮮明に覚えているが、只々、孤独が辛かったからである。慣れない仕事で慣れない土地。且つ、毎日のように小言を言われ、臨機応変に対応する仕事でもあった。コミュニケーションも大切で、コミュ障な自分には重荷だった。そんなことを誰にも相談出来ない寂しさ。25歳という年齢での不甲斐ない自分へのやるせなさが募り、それを吐き出す場所が欲しかった。ホリエモンの「ゼロ」って本を今読んで、そんなことを思い出していた。この本にも書いてあったが、結局自分は孤独に打ち勝つことが出来ず、無理が来て精神が崩壊してしまった。この本には「自立」についても書かれており、全くもって自分は親から自立できていなかったと反省した。常に親に弱音や相談をする毎日。これも改めたい。</p><p>　友人や彼女が欲しかったのも孤独を埋めたかったからだと思う。でもこんな自分では得られるはずもなかった。というか、大多数の人は学生時代の友人や同期の友人に相談したり、遊んだりして孤独を無くすものなのかもしれない。ただ自分にはそれが無かったから欲しくて仕方なかった部分が大きい。ようやく自分がどうなっていくべきか？気づいた気がする。親への依存、また、自分と似ている唯一の友人への依存を断ち切るべきなきがする。ちゃんと孤独と向き合わないといつまで経っても成長できない。</p><p>　強くなりたい。そう強く思う。</p>
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<link>https://ameblo.jp/zukan9/entry-12483842927.html</link>
<pubDate>Thu, 20 Jun 2019 21:50:22 +0900</pubDate>
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<title>自分に勝つ努力</title>
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<![CDATA[ <p>　自分は凄い未熟な人間だと日々思う。ただ、そんなに完璧な人間もいないのだろうけど。。未熟でも自信を付けるにはどうしたら良いのか？ずっと考えてきた。そしたら本や芸能人（ホリエモンや星野源等）が言っていた言葉がしっくり来た。「自分に勝ち続ける。」とか「自分がかっこ悪いと思うことはしない。」どちらも言ってることは同じだと思う。自分が決めたことや誰も見てなくても怠けない、結局常に自分に合格点を出すことが大事だということが分かった。今まで自己啓発の本を沢山読んで、プラス思考に考えようと思っても結局長くは続かなかった。それは思考だけでネガティブ思考→ポジティブ思考に持っていこうとしていたから。でもそこには実績が無いから自信には成らない。「頑張れた自分」が居ないと。これには環境を変えるのが一番。故に、仕事や社会生活っていうのは物凄く大切だな、と思う。自分は今まで働きたくなくて仕方なかった。苦労や苦痛がとても嫌で怠け者だったから。人と関わるのも嫌だったし。でも今は仕事がしたくて仕方ない。不本意ながら無職に舞い戻ってしまったが。内定は貰っているから来月には働けるかな。</p><p>　人生とは何か？ずっと考えてきたけど、当面の答えは、「自分が出来なかったことを出来るように成る。」で良いかな？って思う。昔の自分は「そんな短絡的な答えを求めてるんじゃない！」と怒ったかもしれないけど。そんなに深く考えても答えなんて見つからないし、どうせ死ぬって思うなら死ぬ前にどれだけ出来なかったことを出来るようにするか？ゲーム感覚で楽しんでも良いんじゃない？って最近は思う。良くも悪くも、自分は欠点だらけの人間だし、過去引きこもりの経験もあり、色んな経験をしてこなかった。その分やることが多い。それで苦悩して理想（何でもできる自分）と現実のギャップに病んだわけだけど。遅すぎるけど、今までの経験を踏まえて、ここからリスタートして、今日何を出来るようにしようか？毎日行動していきたいと思う。</p><p>　ずっと、生まれてこなければ良かったと思って生きてきた。その考えを改められるように日々を生きたい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/zukan9/entry-12483353581.html</link>
<pubDate>Wed, 19 Jun 2019 21:28:48 +0900</pubDate>
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<title>焦りと孤独の中で感じること</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;外でタブレットとキーボードを使ってブログを更新してみる。少し前に iPadの新型を買ったがほぼ使用していなかった。使用用途を模索し外でPCの代用としても使えないか？と考えて実践。SIMフリーモデルを買い、SIMが入っているので外でのネットも可能。マウスが使えないというのは知らなかったが、キーボードだけでも案外使える。ただ、マウスが使えないとやはり不便。今後OSが対応することを期待。</p><p>&nbsp;ボケっとドライブ中に他人が魅力を感じる人間とは、どういう人間か？考えていた。自分はずっと孤独に生きてきて、一人で生きることに慣れ過ぎた。だけど、どこかで他人と生活することや日々を送ることを望んでいる。それは生物として当たり前の欲求に思う。普通であれば、青年期に学生生活を通してそういったことを経験したり、学生時代の友人の延長線上で必然にできるネットワークだと思うのだが、それができなかった。今でもそれは同じ。短期離職を繰り返してしまったことも根本的な原因はここにあると思う。精神的な幼さも同様。・・で、魅力的な人間とは？結局、大多数（自分）ができないことをできる人間。または、自分と似ている（共通点が多い）人間だと思う。自分はずっと自分の殻の中で生きてきた。全く面白くない人間だなーと改めて感じた。まぁ、それで良いか。と今は開き直っているけど。</p><p>&nbsp;最近になって、ようやく、人と関わることへの楽しさを思い出したり。色々な人と関わっていく中で自分の経験の無さを痛感したり。また、他人の人生を考えて、自分の人生を鑑みたり。他人から受ける影響の大きさを思い知る。自分の幅を広げるには自分の価値観とは違う人と関わったり、違う環境に身を置くという強制的な方法しか無いように思う。また、本来、終わっていなければいけないモラトリアムな時期をずっと脱しきれていないのは上記にも書いたように自分を脱しきれていないからである。他人と関わる中で人は幸福を感じる。自分はそれが出来なかったから、常に不幸に感じる人生だったように思う。壁打ちをしても喜びは感じない。他人とキャッチボールをしたり、大勢で野球をしたほうが大きな楽しさがあるように。</p><p>&nbsp;臆病で不変を求めてきた人生だったが、最近は、変化を求めて生きている。出来ないことを出来るようになる事は人生においてとても楽しいものだ。そんな根本的な感情もずっと忘れていたが、最近はそんな感情も蘇ってきた。だから、緊張して動悸がすることほど、大事な経験に感じる。気づくのが遅すぎるかもしれないけど。</p><p>&nbsp;なんで、ずっと「周囲と同じような人生を送れなかったかな？」と今でも思う。もうさすがにこんな悩みを持って良い年齢じゃ無いけど。。もっと早く、それに気づけていたら良かったのに。</p>
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<link>https://ameblo.jp/zukan9/entry-12483209795.html</link>
<pubDate>Wed, 19 Jun 2019 15:18:09 +0900</pubDate>
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<title>他人による影響の大きさ</title>
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<![CDATA[ <p>　実家に帰ってきて、のんびりした時間を過ごし、また過去の自分を思い出しつつ日々を過ごしている。最近は、出来るだけ楽観的に物事を考える癖を付けようとしている。あと本意ではないが、転職回数を重ねて色々な人に出会った事を思い出したりしていた。そして、他人から受ける影響の大きさを知る。また、その人が好きなものを自分は以前まで偏見の塊で拒否していたものや国についても興味を持ったりした。だから、自分という存在を表すためにも、また、人生の幅を広げる為にも、心から好きだと言えるものは大事だな、と感じる。青年期から引きこもり、偏った考えに至る。大衆に評価されたものとか、流行りのものについては、触れることをせず、ただ否定していた。でもそういう考えをここ数年改めて、映画や音楽、娯楽等、あらゆることを一度経験しようと思った。そして、批判しようと。でも大多数が評価するものって、、良く出来てるんだよね。その大多数が評価するものを否定することで自分は特別でありたかったように感じる。でも実際はあらゆる能力は凡人以下で、今は、とことん、「普通でありたかった。」と望むことが多い。</p><p>　大学生の頃は、兎に角、大多数の意見やレールに外れることがないように生きようと必死だった。過去の不登校というコンプレックスを払拭したくて、有名な会社に入社して評価されて出世したいという願望とか。結婚して家庭を持ちたいという気持ちもあった。でも実際は学生時代に受けた新卒での面接も失敗。人と関わることを全くしてこなかったから、まるで話すことが出来なかった。そして、３桁位受けたが結局、無内定で卒業した。そして何社も入社しては合わずに現在に至る。しかし、ここまで世間一般のレールから外れてしまうと案外スッキリ。恋愛も偽りの自分を演じて空回りしていた。今思うと、自分を大切に出来なかった人間が他人に好かれるわけがないな、とも感じる。今は過去は過去でしかないと割り切れるけど、少し前までは、過去にずっと囚われていた自分がいたから。自分は自分でしかない。もしそれで好かれないなら、その人とは縁がなかったんだと今なら思える。「自分がもっとこういう人間だったら嫌われなかった。」とか、「あの時こうしていればよかった。」とかずっと考えていたし、それによって、自分を責め続け、精神的に病んでしまったけど。勿論、自分自身の今までの人生を振り返れば、努力が足りなかった。それは事実。ただ、もう十分、過去逃げてしまった人生について苦しんだと思う。だから今後は、先を見ていきたい。</p><p>　毎日、何かしら出来ないことを出来るようにしていこうかと思っている。何でも良いから少しづつ。「死にたい」という選択肢を除外して如何に人生を生きるか？を模索している。あと、緊張して恐いことをやってみると、最初は失敗するけど何回も繰り返していくうちに、出来はしないけど恐怖は無くなる。そんな経験を積んでいくと出来る幅は広がり、人間的にもとても成長する気がする。本にしても、今までと毛色が違う本を読んでみたり、日々変化を起こすことを心掛けている。少しの変化でも１年通せば大きな変化に繋がるはず。</p><p>　就職活動は内定が３社出ている。月末にはどこに行くか決定する予定。明日も面接。しかし、全ての条件が揃うなんて無理なんだろうな～。。</p>
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<link>https://ameblo.jp/zukan9/entry-12481399995.html</link>
<pubDate>Sun, 16 Jun 2019 22:51:23 +0900</pubDate>
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<title>無為に人生が過ぎていく</title>
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<![CDATA[ <p>　ここ2年程、俺は何も成長することなく時間だけ過ぎてしまったように思う。結局、このブログを始めた当初勤めていたところにずっと居れば良かったと後悔している。条件等色々な不満はあったものの、人間的に成長出来ていた。あのまま勤め続けていれば、人間関係も勤続年数も長く続いたのに。。本当に大事なものはそういったものだったように今は思う。ただ、当初はそれがとても煩わしかった部分もあった。</p><p>　今は精神状態は落ち着いているが、「これで良いのか？」と疑問に感じる。確かに精神は落ち着いたが、内面的な成長はまるでしていない。寧ろ、後退している。やはり人の本質は変わらないのかもしれない。ただ、その本質を変えないと、自分が望むような人生は得られない気がしてならない。では、自分が望むような人生とは何なのか？「一般的な結婚して家庭を持ったり、多くの人と人生を共有したい」なんだと思う。しかし、冷静に自分を振り返ってみると、それができるような気がしない。今まで人と生きることを避けてきた人間だったし、一人で生きることに慣れすぎた人生だ。もっと普通に人生を送りたかったな、って思うことばかり。でもこれが自分なんだと最近はようやく納得できるようになった。ただ、幼いころからずっと感じてたことだけど、やはり、多くの同年代と関わって楽しい人生を送りたかったな、とも思う。もし、そんな人間だったら、人が離れていくことも無かったのかな。とか、社会生活もちゃんと送れたのかな？と感じる。</p><p>　苦労や責任を背負うことを恐れている。だから大人に成り切れない。誰かの人生を背負ったり、縛られたりするのが恐い。また、自分が乱れるのも弱さを見せるのも恐い。少し前まではそれが顕著に出ていて、「なんで人生はこんなに上手くいかないんだ。」とパニック状態に成っていた。ただ、人生の大半は自分の思うようにはいかないと、多くの失敗を通じて学び、自分の中に落とし込めた気がする。また、努力なしで成果は無いという当たり前の心理も重々理解できた。人間的にとても未熟だったし、視野がとても狭かった。誰かにどう見られるか？ばかり気にして、雁字搦めに成っていた。今は自分という人間を改めて理解し、落ち着いて日々精進することの大切さと流れに身を任せる柔軟さの大切さを学んだ。人生の心理として、何かを欲すれば欲するほど、それは逃げていく気がする。逆に何とも思っていない時のほうが青天の霹靂でチャンスがやってくる。「人生の法則の一つ」として今後に活かしたい。そんな法則を人生を通して何通りも見つけることが幸福への近道だったりするのかな。あと、「上手くいかないことを如何に上手くいくようにするか。」を楽しめるようになったら、人間的にとても素晴らしい人間に成れると思う。</p><p>　とりあえず、何事も実践あるのみ。そして種を蒔き続ける。いつかそれが何個か実を結ぶはず。</p>
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<link>https://ameblo.jp/zukan9/entry-12480942079.html</link>
<pubDate>Sun, 16 Jun 2019 01:27:43 +0900</pubDate>
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