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<title>zumi2416のブログ</title>
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<title>日露領土問題</title>
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<![CDATA[ <p style="margin: 0px;"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">サンフランシスコ平和条約で日本は千島列島とポーツマス条約の結果獲得した南樺太の利権を放棄するとしている。ここで問題となるのが北方領土は千島列島に含まれるのかということです。これまでの条約を整理すると</font></span></p><p style="margin: 0px;"><span lang="EN-US" style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">&nbsp;</font></span></p><p style="margin: 0px;"><font size="2"><font color="#000000"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;">日露和親</span><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ ゴシック&quot;;">条約</span></font></font></p><p style="margin: 0px;"><font size="2"><font color="#000000"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;">得撫島以北はロシア領であり、</span><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ ゴシック&quot;;">択捉</span><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;">島以南は日本領と定められた。（樺太は雑居）</span></font></font></p><p style="margin: 0px;"><span lang="EN-US" style="margin: 0px;"><font color="#000000" face="Malgun Gothic" size="2">&nbsp;</font></span></p><p style="margin: 0px;"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">千島樺太交換条約</font></span></p><p style="margin: 0px;"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">得撫以北が日本領に、樺太は完全にロシア領になった。</font></span></p><p style="margin: 0px;"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">⇒択捉以南はすでに日本領だったから、少なくともこの条約で指す千島列島とは得撫以北の島を指す。</font></span></p><p style="margin: 0px;"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">⇒択捉以南は千島列島に含まれない。</font></span></p><p style="margin: 0px;"><span lang="EN-US" style="margin: 0px;"><font color="#000000" face="Malgun Gothic" size="2">&nbsp;</font></span></p><p style="margin: 0px;"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">ポーツマス条約</font></span></p><p style="margin: 0px;"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">　樺太南部を獲得⇒でもポーツマス条約で得たやつは放棄するとなっているから放棄する。</font></span></p><p style="margin: 0px; text-indent: 8pt;"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">だから、普通に考えると、日本は北方領土に関しては条約上法規はしていないのであって、ロシアによる占領は不当なもので、返還されるべき領土であると考える。</font></span></p><p style="margin: 0px;"><span lang="EN-US" style="margin: 0px;"><font color="#000000" face="Malgun Gothic" size="2">&nbsp;</font></span></p><p style="margin: 0px; text-indent: 8pt;"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">ただ、ソ連は条約調印をしていないので、北方領土に主権を認め、千島のみを放棄するというこの条約は認めていない。あくまで、ポツダム宣言時点での「日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びにわれらの決定する諸小島に限らなければならない」という取り決めこそ有効とする。…という立場をとることも可能です。</font></span></p><p style="margin: 0px; text-indent: 8pt;"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">だから、「われらが決する諸島」に北方領土が含まれていると考えることもできるのです。</font></span></p><p style="margin: 0px;"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">　</font></span></p><p style="margin: 0px; text-indent: 8pt;"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">じゃあ、ちょっと待て、ロシア条約に調印していないから樺太南部も日本領じゃね？と考える人もいるでしょう。実際地図によっては白色で紛争地扱いにされているものもあります。でも、これは誤りで、例えロシアが参加していなくても、日本は国際的に「放棄しましたよ！」と宣言しているわけですので、領有権を主張すると条約締結国との約束を破ることになるのでそれはできません。だから、ロシアが「放棄したんだから返してもらおう」と言っても何も得てないわけです。だから、樺太はすべてロシア領。でも、北方領土はポツダム宣言でも、サンフランシスコ平和条約でも明確に放棄を宣言していません。後者ではむしろ領有権が認められた形になっています。ロシアがサンフランシスコ平和条約の内容を認めず、ポツダム宣言の結果で領有権を主張し、日本は旧西側陣営とはいえ一応多数の国が領有権を認めてくれたと主張するのでかみ合わないのです。</font></span></p>
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<link>https://ameblo.jp/zumi2416/entry-12508989790.html</link>
<pubDate>Mon, 19 Aug 2019 18:53:08 +0900</pubDate>
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<title>現代日本人は日韓の歴史にどう向き合うべきか。</title>
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<![CDATA[ <p style="margin: 0px; text-indent: 8pt;">&nbsp;</p><p style="margin: 0px; text-indent: 8pt;"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">私の同世代の人の殆どは、謝罪や反省という言葉を聞いても“生まれる前のことを言われても”とか、“俺たちじゃなくて先祖がやったことだし”と思う人がほとんどだと思う。しかし、韓国側からすると、そういう現状を見ると“ちゃんと歴史を学べ”だとか、“歴史を直視しろ”だとかいう話になってくる。“加害国の国民なのに無責任で他人事”と思う気持ちもわかる。どっちも間違っていないけれど、そこですでにかみ合わない。</font></span></p><p style="margin: 0px; text-indent: 8pt;"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">当事者として反省すべきととと、歴史を教訓に学ぶべきことは違う。現そこが論点のずれの始まりではないかと私は考えるのです。前者の場合は我々にも責任がある事案で、後者は私たちに責任はないけれど、しっかり学んで繰り返さないようにしなければならない事案です。</font></span></p><p style="margin: 0px;"><span lang="EN-US" style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">&nbsp;</font></span></p><p style="margin: 0px;"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">①当事者として反省すべきこと</font></span></p><p style="margin: 0px;"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">　日本という国に生きている以上、多かれ少なかれ良くも悪くもその社会の影響を逃れられません。戦前から継承されている偏見、差別意識は確実に存在するし、不勉強によって外国人に対して排外的になってしまうことなどについては現代社会の問題でもあるため私たちは当事者として問題意識を持たなくてはなりません。例えば戦前の差別自体は現代日本人には責任はないが、その価値観や感覚を継承して差別を行ったり、行わないまでもそういう意識を持ってしまっている場合などは反省に値するということです。</font></span></p><p style="margin: 0px;"><span lang="EN-US" style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">&nbsp;</font></span></p><p style="margin: 0px;"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">②歴史を教訓に学ぶべきこと</font></span></p><p style="margin: 0px; text-indent: 8pt;"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">言い換えれば、生まれる前のことそれ自体について「申し訳なく思う」必要はないし、謝らなくてもいいということです。ただし、かといって、忘れ去ってしまっていいものではありません。しっかり事実を理解して、現代に似たような事例はないか、よくない制度を引き継いでいないかを確認し、過ちを繰り返さないようにはしなければなりません。</font></span></p><p style="margin: 0px;"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">　例えば、旧大日本帝国が東アジアの国々に対して行ってきたことの中で、人道的に決して許されないことはいくつも存在しますが、これらの一つ一つの事例については、私たちが生まれる前のことなので責任を取れと言われても非常に困難であり、謝罪するべきことではないのかもしれません。しかし、当事者国民として、しっかり事実を学び日本の文化や社会構造、もしくは政治制度のどのような側面がそのような過ちを犯したのかについては考える必要があります。また、当時と同じような類の過ちは起きていないか、過去の過ちはそのまま継承されていないか“未来”を考えることも大切です。これは、過去に学ぶことであっても、責任をとって謝罪したり反省したりすることとは違うと思います。</font></span></p><p style="margin: 0px;"><span lang="EN-US" style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">&nbsp;</font></span></p><p style="margin: 0px;"><span style="margin: 0px; font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif;"><font color="#000000" size="2">こういうとらえ方をすれば日本人にもピンとくるのかなと思いました。（韓国の方はこれじゃ納得できないかな）</font></span></p>
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<link>https://ameblo.jp/zumi2416/entry-12508687882.html</link>
<pubDate>Mon, 19 Aug 2019 00:12:26 +0900</pubDate>
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<title>学びなおす日本史①～鎌倉幕府の封建体制についての考察～</title>
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<![CDATA[ <p>こんにちは。</p><p>　筆者は現在日本史を勉強しなおしている20代です。目的は、<span style="text-decoration:underline;"><span style="color:#00afff;">「歴史の初心者の参考になる知識の提供」と「歴史に詳しい方に意見をもとめる」</span></span>ことです。そのため、前半は中学校・高校の基礎レベルの話です。ただ、最後にはわかってそうで意外とあいまいなんじゃないかという点について問題提起を行います。要は、前半部で歴史に詳しくない人、すっかり忘れてしまった人には「へぇ」とか、「思い出した！」思ってもらい、歴史に詳しい人には「ここはこうなんですよ！」と逆に教えていただけるような内容にしていきたいと思っています。敢えて、中学生でもわかるような書き方にしますが、退屈な方は最後の方だけ読んでもらっても構いません。</p><p>　</p><p>　本当は、古代から順番にやっていきたいのですが性格上、気になったところを文字で書かないとイライラしてしまう性ですので、思いついたところから書いていきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>　そして記念すべき第一回が、「<span style="color:#00afff;"><span style="text-decoration:underline;">鎌倉幕府の封建体制</span></span>」です。</p><p>　　鎌倉幕府といえば、1185年ごろに成立した（かつては1192とされていたが最近は説が代わってきている。）源頼朝による幕府ですね。朝廷から征夷大将軍に任じられた頼朝が朝廷から政治に関する権限を委任されて、鎌倉に開いた行政府（政治をするところ）が鎌倉幕府と呼ばれます。そこで、中学校くらいから出てくる有名な鎌倉幕府の統治の仕組みが<span style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">「御恩」と「奉公」</span></span>と呼ばれるものです。御恩とは、幕府が家臣である<span style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">「御家人」</span></span>にしてあげることで、方向というのが、御家人が幕府にしてあげることです。</p><p>&nbsp;</p><p>＜御恩＞</p><p>　例えば、幕府は自分たちのために戦ってくれた御家人たちに褒美を与えるわけです。</p><p>　具体的にどんなものがあったかというと…</p><p>　</p><p>　①戦ってくれた御家人たちが伝統的に支配している地域の支配を公的に認めること</p><p>　②新しい土地とその土地の支配権を与えること。</p><p>　</p><p>　この二つが主なご褒美です。まず、①ですが、頼朝は自分たちのために戦ってくれた御家人に対して、<span style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">「お前、何か土地持ってたよな。俺がお前をその土地の支配者として認めてあげるよ」</span></span>といったのです。まあ、それまでも支配者だったわけですが、時の権力者に認められるとなれば、それまでよりより一層強い支配力を持つことができるようになるわけです。このことを本領安堵といいます。</p><p>　</p><p>　次に、②ですが、一度土地の支配を認められた御家人がまた新たな功績を挙げた場合、あらたな褒美を挙げなければなりません。<span style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">「お前を支配者として認めるよ」</span></span>って言っても、御家人たちは<span style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">「いや、もう前に認めてもらってるんすけど…</span>」</span>みたいな感じになってしまいますよね。だから、頼朝は<span style="color:#ff0000;">「</span><span style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">よし分かった。ならお前には新しい土地を挙げるからそこの支配を任せるよ」</span></span>という訳です。このことを新恩給与といいます。有名な例としては承久の乱後の新補率法というものがあります。</p><p>&nbsp;</p><p>＜奉公＞</p><p>　ここまで御恩について話しましたが、一通り御恩を施した頼朝は一言付け加えるわけです。「ただし、これは将軍と幕府のために頑張ったご褒美なんだぞ<span style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">。だから、いざという時はまたしっかり戦ってくれよ</span></span>」と。このように、<span style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">御家人が幕府のために忠誠を尽くして戦わなければならないとするその義務のこと</span></span>を奉公という訳です。</p><p>&nbsp;</p><p>　このように幕府が御家人に褒美を与えるから、御家人はそのありがたみを忘れずにしっかりと忠誠をつくすというのが御恩と奉公の関係性であるといいます。</p><p>　いまさら何を。。。と思いますよね。</p><p>&nbsp;</p><p>　でも、ここで、疑問がわいてきます。「<span style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">御家人たちは（守護や）地頭に任命されて強力に所領を支配することを将軍から補償された</span></span>」という日本史Bの教科書の記述です。地頭に任じられたことによって土地支配が認められたというのはよくよく考えてみるといまいちわかっているようで、よくわからないことなのです。</p><p>　では、鎌倉・室町時代の必須キーワード<span style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">「守護」と「地頭」</span></span>について復習をしておきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>＜守護＞</p><p>　一国（昔の行政区域）に一人ずつ置かれ、特殊な任務を遂行するエリートの御家人です。特殊な任務というのは、</p><p>　　①謀反を起こしたものを捕らえること</p><p>　　②殺人犯を捕らえること</p><p>　　③京都の守りをしっかりやるように催促すること（<span style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">大番催促</span></span>と呼ばれます）</p><p>の三つです。この三つのことを<span style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">大犯三ヵ条</span></span>と呼びます。</p><p>&nbsp;</p><p>＜地頭＞</p><p>　税金をしっかり取り立てて、荘園（私有地）の所有者や国衙（今でいう地方税務署のようなところ）に届けることや土地の管理、治安維持という任務を与えられた役職です。</p><p>　これも中学高校で一通り習う内容ですね。</p><p>　これを読んでいて私は思ったのです。”これって土地を与えられたとか、土地の支配権を認めてもらったっていえるんだろうか”と<span style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">。結局荘園の支配者は荘園主だし、国衙は国を支配する国司や知行国主と呼ばれる貴族のもの</span></span>で、それを運営するための<span style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">雑務をやらされているに過ぎないのではないか</span></span>と思う訳です。確かに管理とかは任されているけど、取り立てた税金は自分たちのところに入るわけじゃないし、勝手に民衆を動員したり土地開発もできないんですよね。これって、いいよう使われているだけじゃ。。。と思うのです。ただ、本当にそうであったなら、御家人は幕府に御恩も感じるわけがないと思うので、「地頭になること」にははやはりメリットがあったのだと思います。でないと、御恩と奉公なんて成り立ちませんから。皆さんはどうおもいますか。私なりには見解がありますが、それは次回にして、今回は皆さんの意見を待ちたいと思います。では失礼します。</p>
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<pubDate>Mon, 08 Apr 2019 00:35:27 +0900</pubDate>
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