<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>読書人倶楽部のブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/dokushojinclub/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/dokushojinclub/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>名歌・名句 と わたし　　　　　第138回　佐藤　きむ（サトウキン）</title>
<description>
<![CDATA[ <p>元句　一人ごと誰に云うともなき日永　　蒲田　吟竜　　　(「陸奥新報」2026・4・3)　　　　　</p><p>「日永(ひなが)」は、日の落ちるのが遅く、昼の時間が長く続くかのように感じられること(季節)で、今は口語文では、「日長」と書くことが多いようです。　　　　　　<br>もじり句　一人暮らし誰に遠慮もなき日長<br><br>　さしもの大雪も消え去って、弘前の桜まつりも間近です。<br>　私の住居は、弘前公園の桜のトンネルまで徒歩3分という所にあります。10年ほど前までは、夫の兄弟の家族をはじめ、親戚、友人、教え子等々、花見の宿泊客で連日大賑わいでした。友人たちに言わせると、格別接待しないのが気楽でいいのだそうです。その友人たちは今や電話だけの交流というごく少数、兄弟の家族も甥・姪やその子供と世代が代わって、何年ぶりかで現われるといった状態です。<br>　私の一人暮らしは、70歳からスタートして24年目になりました。90歳を過ぎてからの一人暮らしというのは大変な事も少なくはありませんが、亡夫が迎えに来てくれるのを待って、のんびりと暮らしています。<br>　先日、大々的に部屋の模様替えをしました。正確に言えば、娘夫婦にしてもらいました。長い間、居間も客間も仕事部屋も寝室も、それぞれ物置兼用であったのを、物置をほぼ独立させました。一番改革したのは居間です。6畳間の擦り切れた畳はそのままに、和室用の脚を椅子用の高いのに替えた津軽塗のテーブルを真ん中に据えて、北側に休息用の椅子を、南側に仕事用の回転椅子を置きました。回転椅子の後ろはパソコンのコーナーで、今は椅子を南に向けてパソコンを打っているのですが、食事の時や書きものの時は、椅子を北側に向けてテーブルを使います。パソコン側の障子を開けると縁側で、玄関やトイレが近く、台所は北側に接しています。<br>　その他、ティータイムの道具や事務用品など日常必要なものは、最小限動くだけですむ場所に置いてあり、テレビは、休息用の椅子から最も見易い戸棚の上に座っています。電波時計も机の上にありますが、時間は全く無視。気ままな毎日です。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/dokushojinclub/entry-12962449177.html</link>
<pubDate>Thu, 09 Apr 2026 12:07:20 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>名歌・名句 と わたし　　　第137回　　　　　　佐 藤 き む (サトウキン)</title>
<description>
<![CDATA[ <p>元句　父母よりも命いただき梅の香を　　杉山 畝女　(陸奥新報「日々燦句」2026・3・26)<br><br>もじり句　父母よりも命いただきバッケの香<br><br>　元句の作者は91歳。両親よりも長く生きている感謝の句だそうです。「梅の香を」の「を」は間投助詞で、感動、余情、強調などの意を添えるものと、選者の解説にありました。<br>　私がパソコンに向かっている今の時刻は、3月26日午前10時。遅い朝食を済ませて新聞を開いたら、真っ先に目に飛び込んできたのが、この元句。早速ブログのもじり句に借用させていただきました。<br>　年齢を重ねるごとに春に対する感動が大きくなるのは、うららかな季節の感情だけでなく、無事に厳冬を生きて今年も春を迎えることができたという、生きていることへの感謝や喜びの気持ちがあるからだろうと思います。私の年齢は93歳、今回の元句は、私の胸に深く染みるものがありました。<br>　ただ、我が家の庭は、「梅に鶯」といった優雅なものではなくて、春の訪れを最初に伝えてくれるのは「バッケ(蕗の薹)」です。雪解けと同時に顔を出す小さなバッケ1個か2個を細かく刻んで味噌汁のお椀に入れるのが、長い間我が家の食卓の春の始まりでした。いつ頃だったか、店頭にもバッケが大量に並んだ時期があって、バッケ味噌作りを楽しんだことが思い出されます。<br>　父母よりもはるかに「命いただき」の今の私には、バッケ味噌なんてとんでもない。、庭の隅にほんのわずか形を留めているバッケを口にするのがやっとです。<br>　4日前の「日々燦句」に<br>　　そこはかと弾み返して春の土<br>という句が載っていました。その「土」を「バッケ」に替えてもじり句を1句。<br>&nbsp; 　そこはかとバッケの香り朝の椀</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/dokushojinclub/entry-12960967999.html</link>
<pubDate>Thu, 26 Mar 2026 15:27:39 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>名歌・名句 と わたし　　　　第136号　　　 　　佐 藤 き む (サトウキン)</title>
<description>
<![CDATA[ <p>元句　草の戸も住み替(かわ)る代(よ)ぞ雛(ひな)の家　　　松尾 芭蕉　　　　(『おくのほそ道』)<br>もじり句　陋屋(ろうおく)にひとり住むわれ雛は箱<br><br>　桃の節句は過ぎてしまいましたが、旧暦ではまだ1月、今回は、雛人形の登場する俳句を使わせていただきました。「月日(つきひ)は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行きかふ(ゆきかう)年(とし)もまた旅人(たびびと)なり」で始まる『おくのほそ道』の最初の段は、中学校の教科書に必ず載っていましたから、その冒頭の段にあった「草の戸も」の俳句は、多くの日本人の心のどこかに残っているのではないかと思います。<br>　芭蕉は旅に出る前に、住んでいた芭蕉庵を人に譲って、門人であり経済的支援者でもある杉山(すぎやま)杉(さん)風(ぷう)の別荘に移りました。自分の出たあとに住む人には妻も娘も居るので、今までの侘(わび)しさとは違って雛人形も飾られることだろうと、芭蕉は、人生は旅であるという心境を込めたこの俳句を庵(いおり)の柱に掛けて出発しました。<br>　ところで、私がなぜ3月も半ばになってから雛の句を持ち出したかというと、実は我が家の雛は10年ほども箱の中で眠ったままです。今年こそは飾ろうとと思いつつも蓋が開かずのままに過ぎてしまい、せめてブログにだけでも登場させてやりたいと思ったのです。30年以上むかし、孫のY子の誕生祝いに高校時代からの友人K子さんが作ってくれた木目込み雛で、15人の雛人形と牛車・箪笥、鏡台などの道具一式を7段飾りの棚に並べると8畳間がいっぱいになるという、我が家には不釣り合いな豪華なお雛様です。初めての雛まつりの時に、真っ先に張り切ったのはY子の2歳年上の兄でした。「ぼく、段作る」と、説明書など読めるはずがないのに、どんどん骨組を作り上げていきます。「できた！」と歓声をあげると後は我関せず。幼い子供から私の友人たちに至るまで、若者たちは雛より団子、ばあさんたちはおしゃべり会と、様々の年代の人たちに雛段の前で楽しんでもらいました。　私の子供時代の雛まつりは、小学校5年生の時が最後で、雛飾りは全て空襲で焼失しました。中東情勢が厳しさを増す昨今、K子さん手製の雛人形が、Y子の娘、孫へと長く伝えられていく平和な世であることを、ひたすら祈ります。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/dokushojinclub/entry-12959483246.html</link>
<pubDate>Thu, 12 Mar 2026 12:17:42 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>名歌・名句 と わたし　　　第135回　　　　　　佐 藤 き む (サトウキン)</title>
<description>
<![CDATA[ <p>元句　ともかくもあなた任せの年の暮(くれ)　　　小(こ) 林(ばやし) 一(いつ) 茶(さ) 　　　&nbsp; &nbsp;(『おらが春』)<br>もじり句　ともかくも時計任せで今日(きよう)も暮れ<br><br>　今回の一茶の俳句は、句集『おらが春』の巻末に、1819年12月29日の日付けで掲載されています。同じ句集に、〈這へ笑へ二つになるぞけさからは〉と、前年5月に生まれた長女さとのことを詠んだ元旦の句があるのですが、その愛児が、天然痘で6月突然亡くなりました。その時の悲しみを一茶は、〈露の世は露の世ながらさりながら〉と詠んでいます。<br>　冒頭の句は、様々の大変な出来事のあった1年を振り返って、年の暮れの今となっては、ひたすら阿弥陀仏(あみだぶつ)におすがりするばかりである、という父親の心境を詠んだものです。長い前書きがあるのですが、その一部分を紹介します。〈さて後生(ごしよう)の一大事は、其身(そのみ)を如来の御前に投出して、地獄なりとも極楽なりとも、あなた様の御はからひ次第、あそばされくださりませと、御頼み申ばかり也〉<br>&nbsp;「あなた任せ」は、一切を阿弥陀仏に任すこと。浄土宗や真宗では、阿弥陀仏を「あなた」と称したそうです。<br>　ところで私の毎日は、もじり句には「時計任せ」としましたが、それも数年前までのことで、いつの間にか「気分任せ」になってしまいました。老齢の独り暮らしの私のために、週4回9年間通勤してくれている家事主任は、こんなに自由気ままに（本心は自分勝手にと言いたいところでしょう)暮らしてる人は居ないだろうと、多少羨み、大方あきれています。気分次第でも、何かをしているのならいいのですが、何もしないままに一日が終わったりするのですから不思議です。むかし中学校に勤めていた時の、生徒の作った短歌「夏休み何もしないで家のなか猫をいじめて夕焼け小焼け」は勉強からの解放感が見事に表現されていて、忘れることのできない作品ですが、毎日を「何もしないで家のなか」の私は、その次の「猫をいじめて」の代わりに入れる言葉を見つけられる暮らしを、目指したいと思います。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/dokushojinclub/entry-12957107242.html</link>
<pubDate>Wed, 18 Feb 2026 12:10:03 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>名歌・名句 と わたし　　　第134回　　　　　　　佐 藤 き む (サトウキン)　</title>
<description>
<![CDATA[ <p>元句　充電す脈打つ春は起動せり　　　高 杉 晶 子<br>&nbsp;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&nbsp;(「陸奥新報 日々燦句」2226・2・5)<br>もじり句　豆撒けど春の気配は起動せず<br><br>　2月5日の朝、陸奥新報の紙面の元句を読んで、そうだ、一昨日(おととい)が豆撒きで昨日(きのう)は立春だったんだと、物忘れのひどい私も咄嗟に思いました。それにしては、我が家の内も外も春の気配は全くゼロです。古い日本家屋の1階の硝子戸は、ぐるりと頑丈な雪囲いがしてあって、屋根の雪が降っては落ち、降っては落ちするのを、雪囲いが軒先の外側で上手に支えてくれています。今冬の豪雪で、我が家の荒れ果てた庭は、屋根の雪、通路の雪、その他もろもろの雪が積み重なって、家の中は、昼も雪明かりのみ、昼間の電灯が不用になるのはまだまだ先の話です。 &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;　そんなことで、新聞を見た途端、「春は起動せり」ていう俳句の文字が目に飛び込んできたのですが、更に今回は、選者敦賀恵子氏の「ふと携帯電話を想起。このごつごつした言葉の並び。現代社会に通じるものがある。(云々)」という解説で、老いた私の心にも響くものを感じることができました。この解説がなかったら、「充電す」から私はどんな充電を考えたことだったでしょうか。<br>　10代の頃から私が好んで読んだ文学のジャンルは、物語や小説で、文学の中でも、詩・短歌・俳句の類は教科書の程度しか読んだことがありませんでした。その中でも、特に俳句は難しくて理解できず苦手でした。それは今も変わりないのですが、時には、今回のように、季節とは無関係な現代の電化製品と結び付けた俳句に出会ったりすると、俳句の世界では季節感が意外なものとも友達であることなど、若い時とは違った感動を与えてもらっています。でも、新しく知った知識を使って俳句を詠むなんていう大それたことを望んだりせずに、相変わらず馬鹿なもじり句を作って楽しんでいる私です。、今回のもじり句も事実ではなくて、豆は撒かずに、「鬼は内」と家の周りの鬼を集めて、一緒に仲良くピーナツを食べた節分でした。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/dokushojinclub/entry-12956664554.html</link>
<pubDate>Sat, 14 Feb 2026 09:47:54 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>『世界秩序が変わるとき』　斎藤ジン　著</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　久しぶりの、知的興奮。新自由主義≒グローバリズムは、すでに終わりを告げ、覇権国家であり〝カジノのオーナー〟であるアメリカはゲームのルールを劇的に変えたという。</p><p>　東西冷戦時代のアメリカはソ連を筆頭とする東側陣営に勝利するために、日本には防衛力も技術もアメリカ市場も提供して高度成長を助けた。ところが、ソ連崩壊の後は、経済的にアメリカを脅かす存在になったナンバー２の日本を半導体規制、プラザ合意等で徹底的に叩いた。その結果が〝失われた<font face="Times New Roman, serif">30</font>年〟である。</p><p>　ところが中国が急激に台頭して、アメリカの覇権を脅かす存在となった。それが米中冷戦の本質である。今度は中国包囲網を形成するために、改めて強い日本が必要となった。そして「アメリカは〝ここに座れば勝つ〟というテーブルを日本のために用意している」と言う。</p><p>　<font face="Times New Roman, serif">2</font>月<font face="Times New Roman, serif">8</font>日投票の総選挙で〝責任ある積極財政〟と〝中国に対する毅然とした姿勢〟を掲げる高市政権が信認を得れば〝失われた<font face="Times New Roman, serif">30</font>年〟は終わりを告げ、日本のターンが始まる可能性は高い。<font face="Times New Roman, serif">3,40</font>年に一度の歴史的転換点を、今、我々は目の当たりにしているのかもしれない。</p><p>　著者は在ワシントンの投資コンサルタント会社の共同経営者で、ソロスを大儲けさせ、ベッセント財務長官の盟友である伝説のヘッジファンドアドバイザー。</p><p><font face="Times New Roman, serif">2024</font>年刊行　文春新書</p><p><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260204/12/dokushojinclub/fc/1f/j/o0526070115747663738.jpg"><img alt="" height="560" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260204/12/dokushojinclub/fc/1f/j/o0526070115747663738.jpg" width="420"></a></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/dokushojinclub/entry-12955613802.html</link>
<pubDate>Wed, 04 Feb 2026 12:38:22 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>　名歌・名句 と わたし　　　第133回　　　　　　　佐 藤 き む (サトウキン)</title>
<description>
<![CDATA[ <p>&nbsp; &nbsp; &nbsp;元句　人間の海鼠(なまこ)となりて冬籠　　寺 田 寅 彦　　(『カラー図説 大日本歳時記』)<br><br>　もじり歌　人間の海鼠(なまこ)となりて冬(ふゆ)籠(ごもり) 年越(としこし)膳(ぜん)に海鼠は不在<br><br>　1月もはや下旬、正月らしい我が家の行事は、毎年恒例になっている大学勤務時代のゼミ生たちの新年会だけ。〈締め縄〉も〈門松もどき〉もなしの新年は、あっという間に普段の暮らしに戻りました。<br>　最も正月らしくなかったのは食べ物で、姑からの伝統を守ったのは元旦の雑煮のみ。姑が戦中戦後の食糧難の時でさえ、年越しのご馳走ばかりは子供たちに腹一杯食べさせたという料理も、作ったのは〈氷(ひ)頭(ず)なます〉だけです。かつてのゼミ生たちが在学中、山村育ちの姑から受け継いだ田舎料理を喜んで食べてくれて以来、新年会の昼食は我が家の年越し料理が慣習だったのですが、数年前から出前の弁当になってしまいました。10年ほど前までは、高校時代の友人たちとも行ったり来たり交流の機会があったのですが、卆寿を過ぎて、格別の用事もないのに雪の中を外出する人は居なくなってしまいました。私も、その冬籠りの一人なのですが、先日今回元句に使わせてもらった寺田寅彦の俳句に出会って、「人間の海鼠となりて」とは、なるほど私自身の姿だと、表現の上手(うま)さに驚嘆しました。歳時記には、この俳句に関連して、「尾頭のこころもとなき海鼠かな　去来」も紹介されていました。　寅彦にしろ去来にしろ、海鼠の価値を高くは評価していなかったようです。事実、海鼠を食用としていたのは限られた地方だけで、珍重されるようになったのは戦後になってからです。青森県で昔から食べられていたのは、近海で獲れて安く手に入る貴重な海の幸であったのではないでしょうか。<br>　今や海鼠は、高級食品として持てはやされるようになりました。私の口などには入らぬ値段になったのは大した事ではありません。日中親善に海鼠が役立つ道はないかしらと、現代社会と遮断して冬籠り中の老婆は馬鹿なことを考えています。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/dokushojinclub/entry-12954332918.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Jan 2026 12:34:04 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>”名歌・名句 と わたし　第132回　佐 藤 き む (サトウキン)”</title>
<description>
<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p><iframe class="reblogCard" data-ameba-id="dokushojinclub" data-entry-id="12953486804" frameborder="0" height="234px" sandbox="allow-same-origin allow-scripts allow-top-navigation" scrolling="no" src="https://ameblo.jp/s/embed/reblog-card/dokushojinclub/entry-12953486804.html?reblogAmebaId=dokushojinclub" width="100%"></iframe></p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/dokushojinclub/entry-12953486904.html</link>
<pubDate>Thu, 15 Jan 2026 12:45:27 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>名歌・名句 と わたし　　　第132回　　　　　　佐 藤 き む (サトウキン)</title>
<description>
<![CDATA[ <p>元句　去年(こぞ)今年(ことし)貫く棒の如(ごと)きもの &nbsp; &nbsp; &nbsp;高 浜 虚 子　　　　　(『六百五十句』)<br>&nbsp; &nbsp; &nbsp; 去年といい、今年といい、暦の上では別の年として記される。だが、よく考えてみると、自分の生活も、他の人々の生活も、また歴史も文化も、すべてひとときも断絶することなく、ただ昨日に続く今日として続いている。去年と今年との二つを貫いて、一本の太い棒のようなものが厳然と存在している。その棒のようなあるものに、神の意志とてもいうべき強力なものを感じる。(『俳句の解釈と鑑賞事典』旺文社）<br><br>もじり句　去年(こぞ)今年(ことし)貫く棒は先細り　<br><br>　遅ればせながら新年おめでとうございます。<br>　今年も「名歌・名句 と わたし」を、弘前読書人倶楽部のブログから、月3回を目途に発信させていただきます。お目通しいただければ嬉しく存じます。<br>　今回の元句は、1950年12月20日、虚子が翌年の新春放送のために作った俳句で、虚子76歳の時の作品です。そのときの句には、<br>　　見栄も無く誇(ほこり)も無くて老の春<br>というのもあります。<br>　私がこれらの句を知ったのは、作られてから半世紀後の2002年、70歳の時でした。以来、私の胸底に染み付いているのですが、近年、正月を迎えるごとに、前の年と繋(つな)いでくれる棒の先が細くなっていくのが感じられるようになりました。ですが、それは悲しいことではなくて、見栄も誇りも無くて穏やかな老いの暮らしの可能なのは、戦火に襲われることのない平和な国に住んでいるからこそなのだと感謝しています。<br>　地球上の天災の無き年であることを、そして、何よりも愚かな人災である戦火の消え去る年であることを、93歳の老いの春を迎えて、ひたすら祈ります。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/dokushojinclub/entry-12953486804.html</link>
<pubDate>Thu, 15 Jan 2026 12:44:25 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>名歌・名句 と わたし　　　第131回　　   　　　佐 藤 き む (サトウキン)</title>
<description>
<![CDATA[ <p><br><br>　元句　セーターの疲れし形に脱がれをり　　　榊　せい子<br>　　　　　　　　　　　(「陸奥新報日々燦句」2025・12・7)<br>　もじり句　ゴム長のすっくと立ちて脱がれおり<br><br>　雪の季節になりました。我が家の玄関にも雪用の靴が2足並んでいます。<br>　1足は、見るからに暖かそうな毛の付いた若草色のブーツ、もう1足は、昔ながらのスタイルとほとんど変わらないゴムの長靴です。若草色は、私より20歳若い我が家の家事主任のもの、ゴム長は、4年ほど前に買った私のです。<br>　ゴム長を買った時に、娘夫婦が安全で履き易そうだと一緒に選んでくれた革のブーツが気に入って、私はゴム長よりもそちらを愛用していたのですが、足の不自由度が増した今年は、専らゴム長のお世話になっています。全く手を使わずに、足を片方ずつ上げ下げするだけで、履いたり脱いだりできるのですから、こんなありがたい雪靴は滅多にありません。しかも、下駄箱などにつかまって、上がり框(かまち)に踵(かかと)をかなり乱暴にこすりつけながら脱いでも、転びもせずに左右揃えてすっくと立ってくれるのですから、短靴以上に健気です。<br>　冬のゴム長については、敗戦の年の忘れられない思い出があります。私の家族は空襲で何もかも失って悲惨な生活でしたが、それでも女学校1年生の私は、従姉のゴム長をお下がりしてもらうことができました。使い古しの擦り減った靴でしたので、雪道の滑ることといったら並大抵ではありませんでしたが、私の場合は、どんなに擦り減ってもゴム長はゴム長です。最も気の毒だったのは、3月10日の東京大空襲で被災して弘前に疎開してきたというMさんでした。空襲の夜に履いていた革靴で雪道も歩かなければならなかったのです。Mさんが転ばないようにと雪の季節中ずっと手を組んで支えてあげたのがSさんでした。高校卒業後東京に帰られたMさんは、一昨年他界されましたが、弘前でのたくさんの友情の中で一番忘れられないのは、雪の通学路のことだと、折りに触れて話されていました。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/dokushojinclub/entry-12950989060.html</link>
<pubDate>Tue, 23 Dec 2025 12:26:44 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
