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<title>音楽真味只是淡</title>
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<description>行った演奏会の記録に記憶、クラシック音楽全般の雑感など。2025年10月27日開設。※それ以前の記事は遡って追加しています。</description>
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<title>5月の演奏会出没予定</title>
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<![CDATA[ 【5月の演奏会出没予定】<div><br></div><div>1日 宮川真人/ムジカ・アクターナ</div><div>2日 安藤敬/オーケストラ・ゲゼンゲ</div><div>7日 バルケ/ゲルトナープラッツ州立劇場管</div><div>9日 尾高忠明/岡山フィル</div><div>24日 三原未沙子/南紫音「DearBrahms」</div><div>30日 ポーガ/N響</div><div>31日 小林研一郎/東フィル</div><div><br></div><div>ムジカ・アクターナは名前すら知らなかった団体。調べたら中堅どころのプロ集団による挑戦的な選曲の室内アンサンブル。この演奏会、何より選曲が良い。普段なかなか聴けない2曲、シェーンベルクとブラームスというカップリングも良い。5月の休みが決定してからその演目の良さに惹かれて追加した演奏会。</div><div><br></div><div>オーケストラ・ゲゼンゲはアマチュア団体。普段アマチュアは聴かないが、これも休みが決定してから追加した演奏会。多くのアマオケとは違い、1つの演奏会の準備期間を1ヶ月前からとしているとのこと。その潔さと選曲の良さ(モーツァルトとチャイコフスキー)に惹かれて購入。30年以上ぶりのかつしかシンフォニーヒルズ。</div><div><br></div><div>どこか鄙びた固有の音がする、ヨーロッパの中堅オーケストラが好みであるとは過去にもこのブログでも書いたが、このゲルトナープラッツ州立劇場管もそんなオケだろう。バルケという指揮者もこのオケも初聴。今回の日本ツアーでブラームスがメインなのはこの日だけなので、逆にこのオケの普段の特性が出るのではと期待している。</div><div><br></div><div>尾高忠明というと個人的にはあまり好きなタイプの指揮者では無いのだが、最近は元来の端正さに加え、より深い克明さに時として凄絶な音楽を聴かせており、いよいよ円熟を感じさせている。岡山フィルの東京公演という晴れ舞台、この団体と深い関わりのあった故・秋山和慶さんも得意としたラフマニノフの第2番、期待したい。</div><div><br></div><div>特に強い印象を残すわけではないのに何か気になるピアニスト三原未沙子。ブラームスをライフワークとする三原渾身の年に1度の企画「DearBrahms」の第2回。昨年は實川風との2台ピアノで珍しい作品を聴かせてくれたが、今年は南紫音とのヴァイオリンソナタ全曲。恐らくは同年代の2人。今年も共感溢れる演奏に期待したい。</div><div><br></div><div>ポーガという指揮者は2015年にN響に客演した時の放送を見て、そのダイナミックな中に端正さを窺わせる音楽性に注目していた指揮者。実演では初めてとなる今回は新作初演にショスタコーヴィチ第4番と重量級の演目。最近はその音楽性もよりしなやかに変貌しつつあるようであるが、いずれにせよ楽しみな公演。</div><div><br></div><div>小林研一郎という指揮者はこれまでずっと避けてきた指揮者。最後に実演で聴いたのは1998年。もちろん日本を代表する指揮者、各種メディアでは聴いてはいたが演奏会に行く気に慣れなかった。そんな小林研一郎も80代後半、やはり聴いておくべきと思い購入。十八番のチャイコフスキー5番でその真価、今の真価を問いたい。</div><div><br></div><div>3月4月と仕事がやけにヒマになってしまい、これまで月に5回程度だった演奏会通いもこの2ヶ月は自分としては多い本数となっていたのだが、一転して5月は14連勤なども含み、なかなか忙しい月になりそうである。</div><div><br></div><div>これこそしがなき個人事業主の宿命と言うところなのだが、5月は全ての休みを演奏会に費やす事にしてみた。元々決めていた5回+2回の計7本なのだが、今月は珍しく、得体の知れない団体やアマチュアの演奏会も入ってくる。</div><div><br></div><div>普段なら行かないような演奏会もあれば期待して楽しみにしている演奏会もある5月、こうして音楽を聴ける環境にいることに感謝してコンサート会場に足を運びたいと思う。</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260430/08/njhattari-kun/b2/2e/j/o0560078615776816875.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260430/08/njhattari-kun/b2/2e/j/o0560078615776816875.jpg" alt="" width="560" height="786"></a><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260430/08/njhattari-kun/d7/f3/j/o0817108015776816878.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260430/08/njhattari-kun/d7/f3/j/o0817108015776816878.jpg" alt="" width="817" height="1080"></a><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260430/08/njhattari-kun/43/7f/j/o0764108015776816883.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260430/08/njhattari-kun/43/7f/j/o0764108015776816883.jpg" alt="" width="764" height="1080"></a><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260430/08/njhattari-kun/2b/01/j/o0700099015776816888.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260430/08/njhattari-kun/2b/01/j/o0700099015776816888.jpg" alt="" width="700" height="990"></a><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260430/08/njhattari-kun/0d/54/j/o0763108015776816890.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260430/08/njhattari-kun/0d/54/j/o0763108015776816890.jpg" alt="" width="763" height="1080"></a><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260430/08/njhattari-kun/35/d4/j/o0763108015776816892.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260430/08/njhattari-kun/35/d4/j/o0763108015776816892.jpg" alt="" width="763" height="1080"></a><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260430/08/njhattari-kun/58/b6/j/o0763108015776816894.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260430/08/njhattari-kun/58/b6/j/o0763108015776816894.jpg" alt="" width="763" height="1080"></a><div><br></div></div>
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<link>https://ameblo.jp/njhattari-kun/entry-12964608445.html</link>
<pubDate>Thu, 30 Apr 2026 08:35:13 +0900</pubDate>
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<title>浮ヶ谷孝夫/東京21世紀管弦楽団 (4/26/2026)</title>
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<![CDATA[ 2026年4月26日＠東京国際フォーラムホールC<div>東京21世紀管弦楽団第15回定期演奏会</div><div><br></div><div>指揮∶浮ヶ谷孝夫</div><div>ピアノ∶福間洸太朗</div><div><br></div><div>東京21世紀管弦楽団</div><div><br></div><div>曲目</div><div>「劇場支配人」序曲K.486 (モーツァルト)</div><div>ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466 (モーツァルト)</div><div>交響曲第1番ハ短調op.68 (ブラームス)</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260428/19/njhattari-kun/cf/02/j/o0810108015776287941.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260428/19/njhattari-kun/cf/02/j/o0810108015776287941.jpg" alt="" width="810" height="1080"></a><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260428/19/njhattari-kun/59/14/j/o0810108015776287945.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260428/19/njhattari-kun/59/14/j/o0810108015776287945.jpg" alt="" width="810" height="1080"></a><div>聴きに行く演奏会を選択するのに、自分の場合は決め手となるのはまずは指揮者なり演奏家である。この指揮者、この演奏家を聴きたいというものがまずは筆頭にある。</div></div><div><br></div><div>その他にも例えば藤原歌劇団や二期会は演目に関係なく都合が合えば観に行くし、聴いたこと無いけれど気になるオーケストラなども優先的な選択の中に入る。</div><div><br></div><div>そんな演奏会選択の優先順位で言うと1番低いのが演目である。この曲が聴きたいからその演奏会に行くというのは実は殆ど無い。</div><div><br></div><div>言っても月に5回程度の演奏会通いである、そのような演奏会の選び方をしていてもそうそうにその演奏会の演目が被ることはあまり無い。</div><div><br></div><div>にも関わらず、今年は何故かそんな「演目被り」が多い事に気付いた。</div><div><br></div><div>例えば1月に藤原歌劇団、2月に二期会と、2ヶ月連続で「カヴァレリア・ルスティカーナ」を観たし、1月にはウクライナ国立歌劇場、3月にはチッタディーノ歌劇団で「アイーダ」を観た。現在チケットを確保している今後でも5月に岡山フィル、6月に東響でラフマニノフの第2交響曲を聴く予定である。そしてブラームスの第1交響曲に至っては4月から3ヶ月連続で聴く事が決まっている。4月に浮ヶ谷孝夫/東京21世紀管、5月にバルケ/ゲルトナープラッツ州立劇場管、6月に阪哲朗/山形響といった具合だ。ちなみにチケットが取れれば10月にも聴く予定である。他にも5月と8月に気になる指揮者、オーケストラの演奏会があったが、メインがこの第1番だったのでさすがに購入は見送ったのだが...。</div><div><br></div><div>ちなみにブラームスの第1番、確かにベートーヴェンの第10交響曲なんて言われるように、その威容と内容の充実はブラームスの突然変異的な凄さだとは思うのだが、それ故に聴き疲れするというか、個人的には例えば自宅にいてこの曲を聴くということはまず無い。ブラームスであれば3番と4番を好む。</div><div><br></div><div>とはいえ同曲異演を楽しむというのもクラシック音楽鑑賞の楽しみ方のひとつであることは言うまでもなく、このブラームスの第1番も普段は好んで聴かない曲であったとしても、聴いたら聴いたでもれなく感動も伴う名曲であることには変わりない、しかも自分で聴きたいと思う指揮者とオーケストラによる演奏である、3ヶ月連続で「聴き比べ」をできることを楽しみにしている自分もいたりする。</div><div><br></div><div>さて、そんな3ヶ月連続のブラームス第1番の初回は、今回の浮ヶ谷孝夫/東京21世紀管弦楽団の定期演奏会である。</div><div><br></div><div>世間の注目度は低いが個人的に最も注目しているこのコンビ、その魅力についてはこれまでの当ブログでも何度となく取り上げたのでここでは割愛したい。</div><div><br></div><div>浮ヶ谷孝夫/東京21世紀管弦楽団のこの4月の定期演奏会はモーツァルトにブラームスというドイツプロ。ブラームスの第1番をメインに福間洸太朗をソロにむかえたモーツァルトのニ短調のコンチェルト、そして「劇場支配人」の序曲である。</div><div><br></div><div>いかにもスポンサー企業向けの名曲プロの風情であるが、ここに「劇場支配人」が入ってくるあたりはこのコンビらしい一捻りといったところだろう。</div><div><br></div><div>まずは前半のモーツァルト。「劇場支配人」序曲ではその重心の低い堅牢な響きにまず耳を奪われる。編成は8-6-4-4-2の8型の小編成にも関わらずその中身のぎっしりと詰まった響きの充実度がいかにもドイツ音楽としてのモーツァルトだ。</div><div><br></div><div>浮ヶ谷の棒は意外なほど遅めのテンポで、フレーズの受け渡しの隅々まで目の行き届いた克明なもので、この数分の小品をシンフォニックに纏め上げてゆく。</div><div><br></div><div>このコンビの魅力のひとつは伸びやかに歌われる高弦なのだが、今回は伸びやかさはそのままに、音色自体は艶消しされたようないぶし銀と言って良いもので、句読点を打つようなフレージングはその堅牢な響きも相まって、カイルベルトが指揮するモーツァルトを彷彿とさせるものだった。</div><div><br></div><div>モーツァルトの愉悦というよりは音楽本位の、まさにドイツ音楽としてのモーツァルト。例えば第34番の交響曲にも聴かれるモーツァルトのハ長調作品の、堅牢な一面をよく表した名演だっただろう。</div><div><br></div><div>続いては福間洸太朗をソロに迎えてのピアノ協奏曲第20番。ここでも浮ヶ谷は堅牢な、ドイツ音楽としてのモーツァルトを聴かせるのだが、ここではさらにしなやかさと、弱音への拘りが聴かれるものとなった。</div><div><br></div><div>小編成ということ、響かないホールということもあり、その響きの薄さを感じることはあるのだが、その音楽自体が薄味になることはなく、味の濃い表現が聴かれる中に力み無く、例えば第2楽章の揺蕩うような美しさをたたえた弦にホルンの縁取りが柔らかく効いたあたりは、絶美というべき演奏だった。</div><div><br></div><div>今回初めて聴いた福間洸太朗というピアニスト、個人的にはちょっとどうだろうか、という印象である。</div><div><br></div><div>確かに粒立ちの良い音はしているのだが、繊細といえば聞こえが良いが、言い方を変えればダイナミクスに欠ける演奏。やりたい事はわかるのだが、そのロマンティックな解釈はいささかに短絡的に過ぎる。</div><div><br></div><div>このピアニスト1番の問題はフレージングの硬さにペダリングの甘さだろう。</div><div><br></div><div>速いパッセージをノンペダルで転がすあたりはフレーズがギクシャクし、それが狙ったものなのか、技術的な問題なのかはわからない程に中途半端なもの。逆に大きくペダリングする場所では時として音が大いに濁ってくるのだ。</div><div><br></div><div>浮ヶ谷の見事なバックを得たモーツァルトでは気にならなかったが、ソロで弾いたアンコールの「テンペスト」第3楽章はもはや噴飯ものの出来栄えだった。</div><div><br></div><div>短距離走的に揺れるテンポ、突然訪れるパウゼ、ベートーヴェンの楽譜の指定を無視した強弱、やりたい放題なのは別に否定しないが、どこを取ってもからっきし音楽的では無いのだ。自分で自分の演奏を「聞いて」面白がっているようなフシすら感じさせる。これを耽美的とかロマンティックということもできるかもしれないが、というかそう聴く人がいることも理解はできるが、自分は買わない。例えば同じやりたい放題でもハイドシェックの同じテンペストとは芸格も音楽性もまるで違う。</div><div><br></div><div>何より量産されたミスタッチはどうだろうか。この曲の技術的な難易度であれば中学生でも弾ける曲だ。にも関わらず福間の今回の演奏ではミスタッチが量産され、最後のユニゾンの速いパッセージでは溜めて溜めて慎重に行ったにも関わらずそのパッセージは見事にバラけた。その珍妙な演奏に引き続いた最後のバラけっぷりには思わず声に出して笑いそうになってしまった。</div><div><br></div><div>確かにモーツァルトでの自作のカデンツァや、テンペストでの主題が転調してゆく所の色彩感の見事さなど、ところどころに耳を奪われる瞬間があったのも事実だが、客席には追っかけと思われるオバサマたちが熱狂的な拍手を送っていたことを考えると、要は若くてイケメンのピアニスト、それ以上でもそれ以下でもないと言った所だろう。</div><div><br></div><div>さて、後半のブラームスであるが、最近特に成熟を聴かせる浮ヶ谷孝夫/東京21世紀管弦楽団というコンビの、ひとつの到達点というべき名演だったと言えるだろう。</div><div><br></div><div>第1楽章冒頭、浮ヶ谷は大きくゆっくりと腕を振り上げ、重量感たっぷりにこの曲を開始した。</div><div><br></div><div>今どき聴かれなくなった遅いテンポ。楔のように打ち込まれるティンパニ。弦は弓いっぱいに弾き切り、特にティンパニと同じ動きをするコントラバスが明瞭に、ゴリゴリと地響きをさせるように聞こえてくるその重量感は最高で、このカロリーの高い序奏部を聴いただけで身体の芯が熱くなるような熱演になることはわかった。</div><div><br></div><div>アレグロの主部に入ってからはいつもの浮ヶ谷の、速めのインテンポを基調とした中に自然なアゴーギクを加えてゆく職人的なものだったが、いつにも増してロマンティックなテンポとダイナミクスの揺らぎがあるものだった。</div><div><br></div><div>ブラームスの書き記した譜面を見るとそこには多くの「松葉」が書かれているのがわかる。「松葉」とはクレッシェンドとデクレッシェンド、ひとつのフレーズを豊かに膨らませる強弱なわけだが、浮ヶ谷の棒はこの「松葉」を克明に、そして音楽的に余すことなく処理をし、実にブラームスらしい豊かな音楽が展開されていた。</div><div><br></div><div>普段は非力なオケもこの日は大健闘というべき出来で、木管や金管の自発性溢れるソロにその楽器間の受け渡しは見事だったし、何より弦が素晴らしかった。伸びやかな高弦に原味溢れる中弦、バチバチと音を立てるほどに効いた低弦と、言う事なしの素晴らしさだった。</div><div><br></div><div>とにかくこの日の東京21世紀管、うねるのである。大きなうねりを伴った大きな音楽が聴こえてくるのである。</div><div><br></div><div>これはもちろん浮ヶ谷の棒に依る所も大きいのだろうが、何よりオケの自発性溢れるアンサンブルに依る所も大きかっただろう。</div><div><br></div><div>中間楽章は素朴ながら滋味深いこのコンビならではの演奏で、各ソロも見事、特に第2楽章で聴かせたコンサートマスターのソロは過去に聴いたこの曲のどの演奏よりも美しいものだったと特筆しておきたい。</div><div><br></div><div>特に印象的だったのは終楽章のコーダ。そこで浮ヶ谷は手綱を緩めるように力み無く、突進するオケの自発性に任せた棒を振っていたのだが、その勢い任せにならない音楽はどこまでも自然で立派なクライマックスを形成していた。</div><div><br></div><div>浮ヶ谷の迷いのない確信に満ちた棒はいつも以上に雄弁で、威厳に満ちたカペルマイスターそのもの。まさに「大人(たいじん)の風格」とはこのことだろう。ドイツでの経験の長い指揮者にしか出すことのできない味わいがそこにはあった。</div><div><br></div><div>果たして素晴らしいブラームスだった。前半のモーツァルトも含めて「ドイツ風」の演奏ではなく、ドイツ音楽のドイツ音楽本流の堂々たる演奏。こんな演奏は最近ではめっきり聴くことができなくなった。良い意味での古臭い、現代の演奏からは忘れられたような、しかし間違いなく良い音楽がそこにはあった。</div><div><br></div><div>演奏後の何度目かのカーテンコールで浮ヶ谷は拍手を制し「アンコールはありません」と客席の笑いを取った後、オーケストラメンバーを称えるスピーチをしたのだが、その浮ヶ谷の嬉しそうな表情からはこの日の演奏が会心の出来だった事をうかがわせたし、その後ろのオケメンバーの表情も、普段はカーテンコールでは固い表情をしていることが多いのだが、晴れやかな表情をしていたのが印象的だった。</div><div><br></div><div>惜しむべきはやはりホールの響き。拡散してまとまらない割に響かないという致命的なホール。今回は特にピアノのセッティングの関係で若干ステージ後方にオケが配置されていたのだが、そのせいかただでさえ鳴らないホールがさらに小ぢんまりとした響きになっていたのが悔やまれれる。この演奏で例えば東京文化会館の5階席や東京芸術劇場の3階席で聴いていたら、と考えずにはいられない。</div><div><br></div><div>そして選曲も、やはりスポンサー向けの名曲路線になるのは致し方ないとはいえ、次回9月はチャイコフスキーのピアノコンチェルトに新世界という、ど真ん中の名曲プロである。</div><div><br></div><div>このコンビならきっと素晴らしいR.シュトラウスを聴かせてくれるだろうし、シューマンも聴いてみたい。ベートーヴェンの1,2,4番あたりもきっと良いだろう。</div><div><br></div><div>招待客だらけのマナー劣悪な客席も含め、今はスポンサー向けの公演になってしまうのは仕方ない。</div><div><br></div><div>今後このコンビがより多くの音楽ファンに認知されて、より良い会場で、より良い客席の環境で、より多彩な演目で聴けるようになる日を楽しみにしているし、実際にそうなるに相応しいくらいのの音楽を聴かせてくれている。</div><div><br></div><div>これからもこのコンビ、浮ヶ谷孝夫/東京21世紀管弦楽団というコンビを追いかけていきたいと想いを新たにした見事な演奏会だった。</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260428/19/njhattari-kun/d2/e7/j/o1080081015776287948.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260428/19/njhattari-kun/d2/e7/j/o1080081015776287948.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div><br></div><br></div>
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<pubDate>Tue, 28 Apr 2026 19:35:54 +0900</pubDate>
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<title>新田ユリ/友好音楽祭オーケストラ (4/20/2026)</title>
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<![CDATA[ 2026年4月20日＠太田区民ホール・アプリコ<div>第16回東京・ヨーロッパ友好音楽祭</div><div>チャリティーコンサート</div><div><br></div><div>指揮∶新田ユリ</div><div>ヴァイオリン∶アントン・バラホフスキー</div><div><br></div><div>友好音楽祭オーケストラ</div><div><br></div><div>曲目</div><div>ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216 (モーツァルト)</div><div>交響詩「英雄の生涯」op.40 (R.シュトラウス)</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260421/20/njhattari-kun/4e/62/j/o0810108015773873250.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260421/20/njhattari-kun/4e/62/j/o0810108015773873250.jpg" alt="" width="810" height="1080"></a><div>今から35年前、1991年から自分の演奏会通いが始まった。</div></div><div><br></div><div>始めは当時通っていた小学校の音楽の先生が参加していた地元のアマチュアオーケストラ、江戸川フィルハーモニーオーケストラの演奏会。91年はその江戸フィルを2回、同じく地元のホールにやってきた岩城宏之/新日本フィル。そして隣町でニューフィルハーモニーオーケストラ千葉(現・千葉交響楽団)の演奏会を聴いた。</div><div><br></div><div>なにぶんにも35年も前の話しである。その演奏の詳細なんて覚えている訳もないのだが、やはり初めて触れたオーケストラの演奏会、その「光景」と指揮者の事はよく覚えているものだ。</div><div><br></div><div>1番最初に聴いた演奏会は佐藤寿一の指揮による江戸フィル。アウフタクトでの指揮者の鼻息が可笑しくてたまらなかった記憶がある。岩城宏之/新日本フィルでは岩城さんの丸い握りの付いた指揮棒。ニューフィル千葉で聴いた船橋洋介の痩身。どれもその「光景」は忘れ難い記憶だ。</div><div><br></div><div>とここまで書いて、もう1つ、どこかの千葉の駅、船橋駅の構内だったかでもニューフィル千葉を聴いたような記憶が蘇ってきたのだが、その時の指揮も船橋洋介だった気がする。これは正直記憶が定かではない。</div><div><br></div><div>あれから35年、当時少年だった自分は当たり前のようにオッサンになり、趣味で演奏会通いを続けている訳だが、あの頃聴いた指揮者たちの現在の動向を見つけるにつけ、その演奏会を聴きに行くことはないにせよ、懐かしく思ったりするものだ。</div><div><br></div><div>岩城宏之さんは亡くなってしまったが、佐藤寿一さんであればアマチュアオーケストラや学生オーケストラの指揮者として時折名前を見かけるし、船橋洋介さんも同じように名前を見かける。ただその1991年に聴いた指揮者で、ひとりだけ最近の動向が見えない人がいたのだ。その人こそが中村ユリである。</div><div><br></div><div>1991年9月、江戸フィルの定期演奏会で中村ユリという指揮者を聴いた。「オベロン」序曲にモーツァルトのクラリネット協奏曲、メインはチャイコフスキーの5番と、曲目までよく覚えている。当時は今よりも女性指揮者というのが少ない時代だったが、その颯爽とした指揮姿は今でも鮮明な記憶としてある。</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260421/20/njhattari-kun/23/54/j/o1080072315773873254.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260421/20/njhattari-kun/23/54/j/o1080072315773873254.jpg" alt="" width="1080" height="723"></a><div>ところがである、この中村ユリという指揮者、現在どうしているか、その動向を全く見かけないのである。そこまで熱心に情報を集めていたわけではないとは言え、ある程度演奏会の開催情報を見ていれば普通であれば目にするはずなのに、全く名前を見かけないのである。</div></div><div><br></div><div>まさに「あの人は今」状態でここ何年もいたわけだが、つい最近、本当につい最近、なんなら今年の3月、先月になってネットで検索をしてみた。そしたら何のことはない、現在は新田ユリという名前になっているということだった。</div><div><br></div><div>新田ユリであれば名前は聞いたことがある。あちこちでその名前は見かけている。アマチュアオーケストラの指導を中心に活動していることも知っているし、なんだったかシベリウス関係の偉い人というのも知っている。</div><div><br></div><div>恐らくは結婚をされて姓が変わったのだろう。「中村ユリ=新田ユリ」、そういうことだったかと、長年の疑問が解消された。それが実に今年3月の出来事である。</div><div><br></div><div>そこから今回の演奏会に繋がるわけだが、「中村ユリ」や「新田ユリ」とネット検索をする、そうすると優秀なGoogle先生はその検索を関連するFacebookなどのSNSに反映させてくるのだ。</div><div><br></div><div>そんなFacebookのタイムラインに流れてきたのがこの日の演奏会の情報であった。新田ユリの指揮する友好音楽祭オーケストラのチャリティーコンサート。開催日は4月20日。</div><div><br></div><div>偶然にも4月20日はたまたま仕事が休みになっている日。普段であればアマチュアの演奏会には行かないが、プログラムも極めて自分好み。35年前の思い出の確認の意味も込めて行かない手は無かった。</div><div><br></div><div>最終的にチケットを確保したのが4月に入ってのこと。たまにはGoogle先生、良い仕事をしてくれるものだ。</div><div><br></div><div>今回の会場は太田アプリコ。初めての会場だが、蒲田駅からのアクセスもよく、というか蒲田に来ると必ず立ち寄るネパール料理店のすぐ近く。そういえばある意味で伝説の迷指揮者、宇宿允人の複数ある第九の録音の中でもこのアプリコでライヴ録音されたものは「アプリコの第九」と呼ばれ、マニアの間ではプレミア価格で取引されていたっけ、なんて思いながら席についた。</div><div><br></div><div>1曲目はアントン・バラホフスキーをソロに迎えてのモーツァルト。バラホフスキーは現在紀尾井室内管弦楽団及びバイエルン放送交響楽団のコンサートマスターを務め、今回はこのモーツァルトのソロと、後半の英雄の生涯ではコンサートマスターも務める。</div><div><br></div><div>ステージに登場した新田ユリ、こう言っては大変失礼だがやはりビジュアルが変わっており、35年前に見た中村ユリの記憶とはだいぶ違う。</div><div><br></div><div>ところが指揮をし始めた途端、あの日の記憶が鮮やかに蘇ってきた。</div><div><br></div><div>指揮棒を上に向けて的確に拍を刻んでゆくその端正な指揮ぶりは紛れもなくあの日見た中村ユリその人であった。</div><div><br></div><div>同一人物なのだから当たり前といえば至極当たり前の話なわけだが、そんな所に妙に感動してしまった自分がいた。</div><div><br></div><div>そんな35年ぶりの感慨に浸る間もなく、その演奏が耳に入ってくるわけだが、その端正で目の行き届いた指揮ぶりに反してオケはアマチュアレベルのそれであった。</div><div><br></div><div>まともに吹けないホルンに木管、弦も速いパッセージがガサガサと揃わない。アマチュアなので多くは求めないとはいえやはりこの手の演奏を聴き慣れない自分にとっては失笑してしまうものだった。</div><div><br></div><div>バラホフスキーの独奏も第1楽章ではそんなオケの状態に影響されたかのように、艶消しといえば聞こえが良いが、言ってしまえば鳴り切らない楽器に時として弾き飛ばすような雑さを感じる演奏となっており、モーツァルトを聴く愉悦からは程遠いものだった。</div><div><br></div><div>ところが第2楽章からは演奏に安定を聴かせ始め、纏綿と紡がれる息の長い歌は見事だったし、第3楽章では時としてノンヴィブラートも交えながら味の濃い、しかし愉悦に満ちたソロを聴かせてくれた。やはり流石というべきだろう。</div><div><br></div><div>前半を聴いた印象ではやはりアマチュアはアマチュア、正直オケの精度に関してはかなりの不安を抱いたが、一転して後半では見事な演奏を聴かせてくれた。</div><div><br></div><div>結論から言って後半の「英雄の生涯」は、驚くべき一級品の名演だったと言える。</div><div><br></div><div>力みが無い余裕を持った響きでしなやかに、しかし質感に不足すること無く、そして雄渾にこの曲が開始された時、まさに理想的なこの曲の響きが聴こえてきた。</div><div><br></div><div>何より弦の響きが素晴らしい。これは褒め言葉と受け取ってほしいのだが、間違いなくヨーロッパ、というかドイツのB級オケの音がしていた。</div><div><br></div><div>これは明らかにコンサートマスターの席に座ったバラホフスキーの手腕に依るところが大きいだろう。バラホフスキーは時としてオケに向き直り、さらにはヴァイオリンの後方プルトにまで振り返るようにしてオケをどんどんとリードしてゆく。そしてそのソロは言うまでもなくR.シュトラウスの、求め得る最高のソロだった。</div><div><br></div><div>まさに千両役者の風情。全てを巻き込む引力がコンサートマスター席から発せられているような感覚にとらわれた。</div><div><br></div><div>新田ユリのその隅々までに行き届いた的確な棒は誇張なく、かつ格調高く音楽を作り上げてゆくもので、ド派手になりがちなR.シュトラウスを音楽本位で纏め上げており、その手腕は言うまでもなく確かなものであり、バラホフスキーの圧巻のリードぶりと高次元で結びついていた。</div><div><br></div><div>正直言って驚いた。まさかここまでの演奏が聴けるとは全く以て予想だにしていなかった。アマチュアなので精度は求めないが、英雄の生涯は間違いなく一級品の演奏だった。</div><div><br></div><div>面白かったのが新田ユリの指揮棒。前半のモーツァルトでは恐らくグラスファイバー製の普通の長さの棒を使用していたが、後半の英雄の生涯では木製の長い指揮棒に変えていたのだ。かつて山田和樹が曲によって指揮棒を変えるという話をしていたが、実際にひとつの演奏会で指揮者が指揮棒を変えるのを見たのはロジェストヴェンスキーと今回の新田ユリだけである。</div><div><br></div><div>そして英雄の生涯ではその長い木製の指揮棒が熱演のあまり折れてしまった。しかも英雄の戦いが終わり、その功績が回想されるというタイミングで。</div><div><br></div><div>これはもちろん偶然だとは思うが、その絶妙なタイミングに思わずこれは作曲家による演出なのでは無いだろうか、そんなことすら思ってしまうほどのタイミングだった。そして指揮棒を持たずに柔らかく指揮された"英雄の隠遁と完成"は言うまでもなく極上の美しさだった。</div><div><br></div><div>35年前に1度だけ聴いた中村ユリという指揮者の思い出の確認程度の軽い気持ちで足を運んだこの演奏会だったが、まさかの特大ホームラン級の素晴らしい演奏会となった。</div><div><br></div><div>かつて当ブログで松尾葉子さんの事を「日本指揮者界の女帝もしくはラスボス」と書いたが、新田ユリさんの場合は「日本指揮者界の女傑」と言ったところだろうか。なんにせよその芸格の高さには感服させられた。</div><div><br></div><div>本人が望むかどうかは別として、もっと日本のプロオーケストラはこのような人たちを呼ぶべきだろう。例えば新田さんであれば東響や読響が合うと、個人的には思う。</div><div><br></div><div>いつの日かプロオーケストラで存分に、その音楽性を発揮する演奏会を聴けることを楽しみにしているし、それが実現しなくとも近い未来にまたこの人を、アマチュアの公演であっても、再びこの新田ユリという指揮者を聴きに行きたいと思っている。</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260421/20/njhattari-kun/d8/4b/j/o1080081015773873259.jpg" data-uploaded-image="up51br6kdejlcglz9kz4k"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260421/20/njhattari-kun/d8/4b/j/o1080081015773873259.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div><br></div><br></div>
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<pubDate>Tue, 21 Apr 2026 20:11:45 +0900</pubDate>
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<title>東京二期会「ルル」(4/19/2026)</title>
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<![CDATA[ 2026年4月19日＠新国立劇場オペラパレス<div>東京二期会</div><div><br></div><div>歌劇「ルル」(ベルク)</div><div><br></div><div>指揮∶オスカー・ヨッケル</div><div>演出∶カロリーネ・グルーバー</div><div><br></div><div>ルル：冨平安希子</div><div>ゲシュヴィッツ伯爵令嬢：川合ひとみ</div><div>劇場の衣裳係,ギムナジウムの学生：郷家暁子</div><div>医事顧問：峰 茂樹</div><div>画家：大川信之</div><div>シェーン博士：大沼 徹</div><div>アルヴァ：山本耕平</div><div>シゴルヒ：狩野賢一</div><div>猛獣使い,力業師：北川辰彦</div><div>公爵,従僕：高柳 圭</div><div>劇場支配人：金子 宏</div><div><br></div><div>ソロダンサー：中村 蓉</div><div><br></div><div>管弦楽∶東京フィルハーモニー交響楽団</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260420/15/njhattari-kun/2e/93/j/o0810108015773447564.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260420/15/njhattari-kun/2e/93/j/o0810108015773447564.jpg" alt="" width="810" height="1080"></a><div>2020年の春に当時働いていた音楽業界を辞めた。便宜上コロナが原因としてあったが、実際のところはコロナとは関係なく、早い段階から退職が決まっていた。</div></div><div><br></div><div>仕事を辞めてはみたものの、当時はコロナ禍真っ只中である。日に日に増える感染者、緊急事態宣言、当然のように音楽業界に戻ることは難しかった。</div><div><br></div><div>そんなわけでそこから約1年半、給付金やら何やらで、仕事もせずにのほほんと暮らしていたのだが、さすがに何もしないわけにもいかないと、2021年の秋頃に仕事を始めた。</div><div><br></div><div>当時はコロナ禍全盛期、こう言ってはなんだが、働き口に関してはコロナバブルとも言える状態だった。コロナ関連の行政案件が、しかも高額のギャランティでかなりの求人があった。</div><div><br></div><div>その中からいくつかの案件を試して、最終的にとあるコロナ関連施設の責任者という仕事に落ち着いた。</div><div><br></div><div>その施設というのが中央沿線の某駅前にあり、そこに週に5日程度出向いていたわけであるが、仕事が終わると週に3日くらいは大久保で途中下車をして、乱立するネパール料理店の中のお気に入りの店で一杯やってから自宅のある東京の1番千葉寄りまで帰っていた。</div><div><br></div><div>一杯やるとは言え、次の日も7時起きで仕事なわけで、大体1時間程度、軽く飲んでお腹を満たして帰るという感じだったのだが、大久保で飲んだ帰りに必ずと言って良いほど立ち寄る場所があった。それが大久保公園である。</div><div><br></div><div>新宿方面からだと歌舞伎町を抜けた先、大久保病院の先にある公園が大久保公園。ご存知の方もいると思うが、一時期この場所は、体を売る女子たちが客待ちをする、立ちんぼをする場所として知られていた。</div><div><br></div><div>この大久保公園をぐるりと囲むように、ガードレール沿いに何十人という女子たちが立ち、その何倍もの数の男たちがその周りをぐるぐると品定めをするように歩き、目星を付けては交渉をし、目出度く交渉成立となると近所のホテルに消えて行く。これが日本とは思えないような異様な光景だった。</div><div><br></div><div>特に自分がその中央沿線のコロナ関連施設で働いていた時期がその大久保公園の最も賑わっていた時期ということもあり、大久保で飲んた帰りは酔い冷ましも兼ねて少し歩いては、大久保公園に集まる人達を、そこに見られる人間模様を観察に出かけたものだ。</div><div><br></div><div>残念ながらその公園に立つ女子たちに話を聞くことはなかったわけだが、色々と噂を聞いたりネットで見たりすると、公園に立つ女子たちには色々な裏事情があるようであった。</div><div><br></div><div>その多くは遊ぶ金欲しさ、ホスト遊びがしたいがためにという事らしいが、その他にもそれこそコロナで仕事を失った人、シングルマザー、心の病気で普通の仕事ができない人、様々な理由でその公園に立っていたらしい。中には公園に立つことで自分は必要とされているという、心の拠り所になっている人もいたということである。</div><div><br></div><div>いずれにせよこの時の大久保公園は、男も女も、そしてこの場所までも、全てが「共依存」の関係にあったのだ。だからこそこのような場所が生まれたのだろう。</div><div><br></div><div>なぜこのブログ恒例の長いマクラにこんな話がでてきたかと言うと、言うまでもない、今回の二期会の『ルル』の公演を観て、というか『ルル』という作品と、上記した自分の経験が密接に結びついたからである。</div><div><br></div><div>大久保公園という場所はそこに立つ女とそれに群がる男、それにこの場所自体も含めて強い「共依存」の関係にあったと思う。そしてこのベルクの歌劇『ルル』に出てくるルルと様々な男たちも「共依存」の関係にあり、ルルはルル自身にも共依存していると思うからだ。</div><div><br></div><div>今回の東京二期会の『ルル』の公演では全2幕+組曲の初演版での上演。第3幕でルルが惨殺されることもなく、魔性の女として、自分自身も欲望にまみれたルルが本来の自分を取り戻すというストーリーである。</div><div><br></div><div>これを自分はルルの共依存からの脱却であり、この『ルル』というオペラの、少なくとも初演版のテーマだと思っているのだ。</div><div><br></div><div>演出を担当したグルーバーはその本来の自分を取り戻すルルの過程を、ダンサーの動きと共に上手く演出していたと思う。マネキンの使い方なども突飛なイメージもなく、どちらかと言えば忠実にわかりやすい演出だったのではないだろうか。</div><div><br></div><div>歌手勢は二期会らしい全員野球の抜群のチームワークで聴かせたが、どうにも歌詞が、ドイツ語が聞こえてこない嫌いが全体的に感じられた。とはいえこの難解な楽曲を見事に自分のものにしていたと言えるものだった。飛び抜けた個性を放つような人はいないが、このチームワークの良さもまた二期会の公演を観る楽しみでもあろう。</div><div><br></div><div>ヨッケルの棒は明晰に、そしてニュアンス豊かにこの難解な音楽を纏め上げていたとは思うが、若干表現の持って行き方が短距離走的に感じられたが、第2幕の組曲部では遠慮なしといった風情でオケを鳴らし切り、雄弁にして凄絶な音楽を聴かせていたのが印象的だった。</div><div><br></div><div>オーケストラについては特にコメントすることもないが、軽い響きの、特に弦の響きの薄い響きはいつものピットの東フィルクオリティといったところだろう。</div><div><br></div><div>正直言って今回の二期会による『ルル』、第1幕は不出来という印象だった。そのチームワークの良さは感じたが、この難解な音楽に対しこれまで積み重ねた練習の成果を見せられている、発表会的な印象を受けてしまったのも事実。全体的に小さく纏まり、客席に訴えかけえくる要素が音楽としても聴こえてこないのだ。</div><div><br></div><div>ひょっとしたら会場がいつもの東京文化会館と違うというのも影響したかもしれない。あの極上の東京文化会館の音響と比較するのも残酷だろう。</div><div><br></div><div>第2幕では音楽が雄弁に客席に届き始め、歌手勢も振り切った見事な歌唱を聴かせ始め、息を呑むような瞬間が多く聴かれた。演出もどちらかと言えば第1幕では説明的な印象だったが、第2幕ではより心理的な実在感で見せた印象。</div><div><br></div><div>これがルルであるという説得力に充分な第2幕だった。</div><div><br></div><div>個人的に今回失敗したのは席選択で、上手が見切れる席を選択してしまったということ。今回の演出では結構上手の死角の部分で色々と起こっていたようである。それは上手なので当たり前といえば当たり前なのだが、逆に言えばがらんどうの下手を延々と眺めた印象もある。</div><div><br></div><div>例えばであるが、ここまでがらんどうにするのならここにちょっとしたステージを作り、ダンサーは舞台上を動き回るのではなくここに板付き固定で、例えるならば手話通訳のようにルルの心情を表すという手法はどうだろうか？最後の最後にそのステージから降りて実際のルルとひとつになるという具合だ。こうなるとダンサーの負担がさらに増すかもしれないが、個人的には面白いと思う。</div><div><br></div><div>総体的に観れば二期会らしい「攻め」と「全員野球のチームワーク」のバランスの良い二期会「らしい」好演だっただろう。</div><div><br></div><div>正直言えば感動までには至らなかったが、深い印象に残る名舞台だったと言えるだろう。</div><div><br></div><div>静かなるブラボーを二期会に送りたい、そんな公演だった。</div><div><br></div><div>しかし『ルル』というのは言うまでもなく重い作品である。聴いた後には何とも複雑な気持ちになる。</div><div><br></div><div>オペラシティで演奏会を聴いた帰りは、余程の事が無い限りは新宿駅まで歩くようにしている。</div><div><br></div><div>時間にして約20分くらいだろうか、演奏会の余韻を噛み締めながら歩くというのがこの会場に来た時のルーティーンになっている。</div><div><br></div><div>今回もオペラシティ目の前の大通りを新宿に向かって歩き始めた。すぐのコンビニで缶ビールを買うのもいつものことだ。</div><div><br></div><div>ついさっきまで聴いていた『ルル』の余韻を噛み締めながら、間もなく新宿に着くとなったわけだが、そのまま駅に向かうことはなく、足は歌舞伎町の方角へ向かった。</div><div><br></div><div>歌舞伎町を抜けた先の大久保公園、そこはかつての賑わいは無くなっていた。</div><div><br></div><div>それもその筈、数年前に一斉摘発が行われ、その後も摘発が続いた影響だろう。</div><div><br></div><div>しかしその隣のブロックのホテル街に目をやると、多くの女子たちがそのホテルを取り囲むように立ち、客待ちをしているのだ。</div><div><br></div><div>そんな光景を眺めながら、彼女らが共依存から脱却し、自分を取り戻すのはいつなのだろうか、そんなことを思いながら、さらに足を延ばして大久保に飲みに向かったのであった。</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260420/15/njhattari-kun/83/cd/j/o1080081015773447568.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260420/15/njhattari-kun/83/cd/j/o1080081015773447568.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260420/15/njhattari-kun/06/24/j/o1080081015773447573.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260420/15/njhattari-kun/06/24/j/o1080081015773447573.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div><br></div></div>
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<pubDate>Mon, 20 Apr 2026 15:58:09 +0900</pubDate>
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<title>モランディ/読響「マノン・レスコー」(4/16/2026)</title>
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<![CDATA[ 2026年4月16日＠東京文化会館<div>東京春祭プッチーニシリーズvol.7</div><div>「マノン・レスコー」(演奏会形式)</div><div><br></div><div>指揮：ピエール・ジョルジョ・モランディ</div><div><br></div><div>マノン・レスコー：イヴォナ・ソボトカ</div><div>レスコー：ルーチョ・ガッロ</div><div>デ・グリュー：リッカルド・マッシ</div><div>ジェロンテ：湯浅貴斗</div><div>エドモンド：大槻孝志</div><div>旅籠屋の亭主／弓兵：ジョン ハオ</div><div>舞踏教師／点灯夫：糸賀修平</div><div>音楽家：林 眞暎</div><div><br></div><div>管弦楽：読売日本交響楽団</div><div>合唱：新国立劇場合唱団</div><div>合唱指揮：冨平恭平</div><div><br></div><div>曲目</div><div>歌劇「マノン・レスコー」(プッチーニ)</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260419/22/njhattari-kun/01/0c/j/o0810108015773212397.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260419/22/njhattari-kun/01/0c/j/o0810108015773212397.jpg" alt="" width="810" height="1080"></a><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260419/22/njhattari-kun/34/10/j/o0810108015773212410.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260419/22/njhattari-kun/34/10/j/o0810108015773212410.jpg" alt="" width="810" height="1080"></a><div>最近でこそ藤原歌劇団に二期会、その他にも観に行く機会が増えたが、途中3年ほどのブランクがあったとはいえ、35年に渡る演奏会通いの中では本格的な舞台上演によるオペラ公演を観に行くことはほとんど無かった。</div></div><div><br></div><div>約3年の演奏会通いのブランクの前、1991年から2019年まではその演奏会のほぼ全てがオーケストラの公演であり、舞台上演のオペラとなると1995年だったかの藤原歌劇団の「蝶々夫人」、1997年のメトロポリタン歌劇場の引っ越し公演のパヴァロッティとグレギーナによる「トスカ」のみしか経験が無かった。</div><div><br></div><div>これは別にオペラが嫌いだったとか言うわけでもなく、むしろオペラは好きだったわけだが、本格的な舞台上演によるオペラを観に行くという発想が、どういうわけか自分には無かったのである。</div><div><br></div><div>2022年に演奏会通いを再開して以降は舞台上演のオペラの素晴らしさに気付き、藤原歌劇団と二期会の公演をメインに足を運んでいるわけだが、もっと若い内にも本格的なオペラの舞台を見ておけば良かったと今になっては思ったりもする。</div><div><br></div><div>本格的な舞台上演でのオペラに触れてこなかったとはいえ、それなりの数のオペラ作品には演奏会形式という形で実演に触れてきた。</div><div><br></div><div>印象に残っているものだけを挙げても1990年代半ばに聴いたネッロ・サンティの「アイーダ」の極めつけの名演。ジョン・ネルソンの「椿姫」、2000年代に入ってからは「ローエングリン」に「トリスタン」、「タンホイザー」「フィデリオ」と言ったドイツオペラ。「蝶々夫人」「カヴァ・パリ」といったイタリアオペラ、そして何より印象深いドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」。他にも聴いたとは思うが、これらはどれも忘れられない演奏会だった。</div><div><br></div><div>一口に演奏会形式のオペラと言っても様々なタイプがある。それこそ90年代に聴いたいくつかのものは舞台上にオーケストラが並び、その前に歌手陣がずらりと並び、ほぼ棒立ちの状態で音楽のみをひたすらに聴かせる形や、そこに軽い身振り手振りを加える形が主流だった。2000年代に入って増えてきたのは小道具を使ったり、ちょっとした衣装を纏ったり、ステージも舞台前方ばかりではなく後方も上手く使い、多少なりとも演出をされたもの、時として「セミステージ」などと呼ばれる事もあるのがこれだ。</div><div><br></div><div>いずれにせよこれらの演奏会形式の場合はオーケストラはピットの中ではなくステージ上で堂々たる音楽を響かせる。ピットの中で演奏する場合は、その多くの場合が指揮者の責任ではあるのだが、時としてオーケストラは単なる伴奏、劇伴に成り下がることがあるのだが、演奏会形式ではそのような事はほぼ無いと言って良いだろう。</div><div><br></div><div>基本的にオーケストラの前に立って歌う歌手陣の声もかき消されるということもなく聞こえてくるし、演奏会形式で聴くオペラというのはやはり音楽本位というべき素晴らしさだろう。</div><div><br></div><div>これはもちろん舞台上演でのオペラ公演を否定するものではない。舞台装置、衣装、そして演出、それに音楽と、総合芸術としてのオペラ公演の素晴らしさは言うまでもないし、これはどちらが良いという話ではないということは強調しておきたい。</div><div><br></div><div>さて、話は今回の東京春祭プッチーニシリーズの「マノン・レスコー」である。</div><div><br></div><div>毎年春に開催される東京・春・音楽祭ではワーグナーシリーズとプッチーニシリーズと題して、それぞれに1作品ずつ、演奏会形式でのオペラ公演が行われている。</div><div><br></div><div>昨年まではどうしてもヤノフスキの指揮によるワーグナーシリーズの影に隠れがちだったが、プッチーニシリーズも実力派の指揮者、歌手陣による東京春祭らしい企画だというのは言うまでもないだろう。</div><div><br></div><div>今年のプッチーニシリーズはモランディ指揮の読売日本交響楽団による「マノン・レスコー」。</div><div><br></div><div>実を言えばこの公演、当初は行くつもりでは無かった。もちろん魅力的ではあったが、東京春祭ではヤノフスキのグレの歌、ブッフビンダーのベートーヴェンを優先させた。</div><div><br></div><div>3月半ばに入り、4月の休みが確定した際、大体いつもその確定した日に何か良さそうな演奏会が無いか調べるのだが、4月16日にはこの「マノン・レスコー」の公演があると知った。</div><div><br></div><div>会場は大好きな東京文化会館、チケットサイトを見てみたら極上の音のする5階天井桟敷の自分の1番好きな席まで空いている。言うまでもなく即購入となった。</div><div><br></div><div>イタリア人指揮者によるイタリアオペラ、歌手陣も豪華、それを極上の会場で聴けるのだ。</div><div><br></div><div>そしてその演奏は期待通りの、そして演奏会形式で聴くオペラ公演の醍醐味を存分に味わえるものとなった。</div><div><br></div><div>ステージ上に並んだオーケストラは14型。大編成と言って良いだろうオケは堂々と鳴り響き、その前に立って歌う歌手陣の声がかき消されるということもなく、その大迫力の合唱も含め全ての音がビンビンに5階席に立ち上がってくる。</div><div><br></div><div>当然そこには舞台装置も無ければ衣装や小道具もない、歌手たちは出番に応じて出入りをし、軽い身振り手振りを加えての歌唱。そこに音楽を邪魔しない程度の適度な照明演出があったのだが、これが実に良かった。まさに音楽に彩りを加えていた。</div><div><br></div><div>モランディの棒は快速テンポで鳴らしまくるドラマチックなもの。イタリア人らしく良い意味で大味な棒なのだが、ニュアンスや持って行き方の職人的な上手さも光った。餅は餅屋とは当にこの事、流石の棒だった。</div><div><br></div><div>そしてオペラ経験豊富な読響も、その棒に見事に応えた。物理的にピットの中よりも大きな編成だったというのもあろうが、強靭に、しかし軽やかに鳴っていたし、柔らかなニュアンスの表出にも事欠かなかった。</div><div><br></div><div>個人的にはより豊かなカンタービレがオケから聴こえてくれば良かったと思ったが、これは指揮者の方向性と、自分の好みの問題だろう。何よりシンフォニックにプッチーニの豊かなオーケストレーションを聴かせてくれたのが良かった。</div><div><br></div><div>歌手勢は海外勢の主役陣は言うまでもなく、脇を固める日本勢も気を吐いた見事な歌唱を聴かせてくれた。</div><div><br></div><div>海外勢ではデ・グリューを歌ったマッシは若干不安定さを感じたが、このロールを歌うには適役と言えるものだったし、レスコーを歌ったガッロの味わい深い歌唱うも印象的だった。そして何より素晴らしかったのがマノンを歌ったソボトカ。1人だけ譜面台を前にしての歌唱で、演技的な意味では動きが少なかったが、その歌唱は見事で、幕が進むにつれて、そのマノンの成長と共に深みが増し、第4幕の絶唱と言える壮絶な歌唱の実在感は舌を巻く素晴らしさだった。</div><div><br></div><div>日本勢歌手も安定感抜群の歌唱で聴かせ、ほんのチョイ役で登場する人まで抜かり無く、海外勢に向こうを張る気迫すら感じる見事なものだった。特にエドモンドを歌った大槻考志の好演が光っていた。</div><div><br></div><div>合唱を担当した新国立劇場合唱団もモランディの棒に見事に応えるドラマチックな歌唱で、合唱団からもチョイ役で登場した人も含め、高い安定度で聴かせた。個人的にはオペラシンガーズよりも新国立劇場合唱団の方が、特にこの手のオペラ作品には適正があるような気がするのだが、どうだろうか。</div><div><br></div><div>この日の公演は、生のステージらしいちょっとしたアクシデントが2つあった。それはどちらも第3幕で起こったのだが、1つは乗船させる際の点呼のシーン。ここで弓兵が登場し、"道を空けろ"と歌うわけだが、最初のロールがなっている間に飛び出して歌い始めるというアクシデント。その後はモランディの執拗なキュー出しの洗礼を受けていたのは言うまでもない。</div><div><br></div><div>もう1つも第3幕。具体的なシーンは覚えていないのだが、モランディの譜面台が盛大な"バチン"という音を立てて落ちたのだ。1988年のテンシュテット/ロンドン交響楽団、伝説の東京公演の光景が蘇るような瞬間だった。</div><div><br></div><div>ちなみにこの時の自分は、そう言えば弦は何人だっただろうかと、後ろに人が座っていないのを良いことに、少々身を乗り出して死角の弦のプルト数を数えていたタイミングでの大音量での譜面台降下で、マナー違反をした事を怒られたような気がして腰を抜かすくらい驚いたものだ。</div><div><br></div><div>そんなアクシデント、というほどでもないが生演奏ならではの出来事があったりしつつ、前半では威勢は良いが何となくとっ散らかった印象の演奏も、幕を進めるうちに纏まりと実在感を増していき、第3,4幕ではイタリアオペラを聴く、演奏会形式で聴く醍醐味に酔いしれた。</div><div><br></div><div>本音を言えば最初は、演奏会形式でプッチーニってどうなんだろうと、少々懐疑的に感じていた節もあったのだが、プッチーニの、否が応にでも感動させにかかる天才性、音楽本位の天才性を聴くにはこの演奏会形式こそが実は良いのでは無いかと、考えを改めさせてくれる程の説得力がある演奏だった。</div><div><br></div><div>このプッチーニシリーズもまた、東京春祭の東京春祭たる、「らしい」公演だったと言えるだろう。</div><div><br></div><div>東京文化会館が長期改修工事に入った後、来年以降の東京春祭がどうなるのかはわからないし、このプッチーニシリーズも継続されるのかはわからないが、今後も東京春祭らしいプロダクションに期待したい。</div><div><br></div><div>今年の東京春祭の追尾を飾るに相応しい、誠に東京春祭らしい、演奏会形式でオペラを聴く醍醐味を堪能した良き夜だった。</div><div><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260419/22/njhattari-kun/66/6b/j/o1080081015773212425.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260419/22/njhattari-kun/66/6b/j/o1080081015773212425.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260419/22/njhattari-kun/e5/a8/j/o1080081015773212435.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260419/22/njhattari-kun/e5/a8/j/o1080081015773212435.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div><br></div></div>
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<pubDate>Sun, 19 Apr 2026 22:00:15 +0900</pubDate>
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<title>アルヴェン・カルテット (4/15/2026)</title>
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<![CDATA[ 2026年4月15日＠浜離宮朝日ホール<div>アルヴェン・カルテット</div><div><br></div><div>出演</div><div>ヴァイオリン∶荒井里桜</div><div>ヴァイオリン∶石原悠企</div><div>ヴィオラ∶湯浅江美子</div><div>チェロ∶水野優也</div><div><br></div><div>曲目</div><div>弦楽四重奏曲第79番ニ長調op.76-5 Hob.III:79 (ハイドン)</div><div>弦楽四重奏曲第1番変ホ長調 op12 (メンデルスゾーン)</div><div>弦楽四重奏曲第2番イ短調op51-2 (ブラームス)</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260417/15/njhattari-kun/43/92/j/o0810108015772349241.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260417/15/njhattari-kun/43/92/j/o0810108015772349241.jpg" alt="" width="810" height="1080"></a><div>個人的に今最も注目している若手音楽家のひとりが、ヴァイオリンの荒井里桜である。</div></div><div><br></div><div>その真っ直ぐに伸びる音と素直な音楽性、そして舞台姿に華があるのが実に良い。</div><div><br></div><div>初めて荒井の演奏を聴いたのは2023年1月。飯守泰次郎/東京シティフィルの演奏会でシベリウスのコンチェルト。この時の演奏では若干線が細いと感じたが、その真っ直ぐに伸びる音と素直な音楽性は確かなもので、ときおり飯守氏がソリストの荒井に対し「ソレッ！」と言わんばかりに強烈なキューを、もはやこちらには喝を入れているようにしか見えない強烈なキューを入れると、それにクールに対応してゆく器の大きさも感じられた。</div><div><br></div><div>その演奏会以来、自分にとって荒井里桜という音楽家は要注目の存在となったわけだが、なかなか予定が合わずに実演に触れることは出来ずにいた。</div><div><br></div><div>そしてその次に荒井の演奏に触れたのは昨年(2025年)8月。ロームファンデーションの奨学生によるショーケース的な演奏会。多くの若手演奏家たちがソロにアンサンブルにと、次々に登場するのだが、ここで荒井はシューマンのピアノトリオを弾いた。</div><div><br></div><div>この時の演奏が素晴らしかった。伸びやかな美音に素直な音楽性は変わらずだったが、特に緩徐楽章での深く沈着するような音色は見事で、荒井の確かな成長と深化を感じさせるものだった。そして何より、その舞台姿に華があった。舞台上に姿を現しただけでその存在感がまるで違うのである。</div><div><br></div><div>これまでに趣味の演奏会通いで数え切れないほどの演奏家を見てきたし、ライヴハウスの中の人という仕事をしていたことも考えると、数千人レベルでステージに立つ人間たちを見てきた。</div><div><br></div><div>その中にはプロもいればアマチュアもいるし、性別も年齢も、見た目もバラバラだ。しかしやはり「華」があるかないか、その人が生来持ち合わせている、その人にだけ備わる華があるかないか、これは実は音楽の才能以上に重要なのでは無いかとすら思っている。</div><div><br></div><div>そう考えるとこの荒井里桜というヴァイオリニストは、才色兼備などという陳腐な言葉は使いたくないが、確かな音楽性と華を併せ持った、本当に今後が楽しみなヴァイオリニストと言えるだろう。</div><div><br></div><div>そんな荒井を始めとした若手音楽家たちが集まって結成されたのがアルヴェン・カルテット。その結成旗揚げ公演がこの演奏会である。</div><div><br></div><div>ヴァイオリンに荒井里桜と石原悠企、ヴィオラに湯浅江美子、チェロに水野優也という布陣だが、失礼ながら荒井の他の3人は知らない人。経歴を見ると若手の中でも実力派であろうとことはわかった。</div><div><br></div><div>兎にも角にも自分が最も注目する若手音楽家のひとりである荒井里桜が参加するカルテット、実力派の若手音楽家たちで結成されたカルテット、その旗揚げ公演ということで大いに期待を持って会場へ向かった。</div><div><br></div><div>ちなみに、正直申し上げて自分は室内楽には全く明るくない。定番どころをおさえている程度で、カルテットであればもっぱらウィーン弦楽四重奏団やブダペスト弦楽四重奏団の古い録音を聴いては懐古趣味的に、なんと古き良き時代なんて言って喜んでいるいる程度である。今回も少なくともメンデルスゾーンとブラームスは初めて聴く曲で、それこそブダペスト弦楽四重奏団の古い録音で予習して会場へ向かった。</div><div><br></div><div>そんな訳なので、普段から頓珍漢な当ブログであるが、今回はさらに頓珍漢な方向へ進むかもしれないがご了承願いたい。</div><div><br></div><div>さて、そんな期待を持って向かったアルヴェン・カルテットの旗揚げ公演、ある意味では予想通り、そしてその予想を越えてゆく魅力にも溢れる公演だった。</div><div><br></div><div>まずはハイドン。ここでは緊張からか、はたまた旗揚げの気負いからか、若干固さを感じる幕開けとなった。</div><div><br></div><div>この曲の出だし、この曲らしい寛いだ雰囲気が無く、特に荒井のヴァイオリンがどうしたものか伸びやかさに欠け、言い方を変えればガチガチなのだ。</div><div><br></div><div>すぐに登場するヴァイオリンの上昇音型も固い音で決まりきらず、その後も自由に装飾音を加えながら進んでゆくのだがどうにも杓子定規であり、ハイドンの愉悦とは遠い演奏が続いた。</div><div><br></div><div>まぁ1曲目だしこんなものかと思いながら聴いていたのだが、すぐにその反面、このカルテットの素晴らしさに気付くこととなった。</div><div><br></div><div>それは石原、湯浅の見事さだった。この「真ん中の2人」が実に雄弁に、音楽をリードしているのだ。</div><div><br></div><div>深い呼吸で縦に横に、音楽を豊かなものにしてゆくのだが、そこに確実にアンサンブルを纏めていく堅実な仕事ぶりがちゃんとそこにはあった。</div><div><br></div><div>経歴を見ればなるほど、湯浅はバイエルン放送交響楽団の第1ソロ奏者、石原は読売日本交響楽団の第2奏者であり、並み居る世界的な指揮者の下で豊富なオーケストラ経験を積んでいる2人である。その経験が物を言っているということだろう。</div><div><br></div><div>そんな2人に触発されるかのように、始めは固かった演奏も徐々に自由度を増してきて、室内楽の範疇を超えない中に音楽的な呼吸感が息づき始めた。</div><div><br></div><div>このハイドンであれば第3楽章のスウィング感などはこのカルテットならではのフレッシュな音楽性だったと言えるだろう。そして第4楽章では意外なほどにこの4人が火花を散らすような瞬間も聴かれ、音楽は上滑りをし、崩壊しそうになった所を踏みとどまるような部分も聴かれた。個人的には若さゆえに崩壊しても突き進むくらいの勢いがあっても良かったとは思うのだが...。</div><div><br></div><div>そして続くメンデルスゾーン。これはこの日の白眉とも言える名演だった。</div><div><br></div><div>このアルヴェン・カルテットではメンデルスゾーンの作品を継続的に取り上げるということだが、なるほどこの若い作曲家の感性とこの若者たちの感性が合致するのだろう、その伸びやかで素直な演奏は弦楽四重奏を聴く楽しみと、メンデルスゾーンを聴く喜びに溢れていた。</div><div><br></div><div>どこを聴いても弦楽四重奏という範疇を超えない中に各々が自由な息遣いと音楽性を発揮し、アンサンブルという集合体としても一体感を感じさせる、伸び伸びとした演奏がとても良かった。</div><div><br></div><div>印象的だったのは第2楽章、速くなった所で後ろが全音符で引き伸ばす所、この全音符をノンヴィブラートで演奏していたのだが、そのバランスと原味は思わず耳を奪われるほどの見事さだった。</div><div><br></div><div>そして豊かな瑞々しい歌に溢れた第3楽章、迫力満点の第4楽章と続くわけだが、この第4楽章で聴かせた迫力は特に見事で、もちろん各々が弾き切っているからの迫力なのだが、それ以上にカルテットとしての集合体としての纏まりが生んだ迫力だっただろう。まさに4人によるオーケストラを聴いている感覚だった。</div><div><br></div><div>確かに今回のこの演奏を聴くと、メンデルスゾーンはこのカルテットの看板となってゆくだろう、そんな予感をさせる見事な演奏だった。</div><div><br></div><div>そしてメインのブラームス。もはや前半に感じさせた固さは微塵もなく、このカルテットらしい伸びやかで素直な音楽を聴かせてくれたが、やはりブラームスとなるとそのロマン性や独特の寂寥感を描き出すまでには至っていないように感じられた。</div><div><br></div><div>これがブラームスの、一筋縄ではいかない難しさだとは思うのだが、例えば今回の演奏に一寸の隙間感や余白みたいなものを感じさせてくれたらなお良かっただろう。とはいえ実力は充分な4人のことだ、これから演奏を重ねてゆく上でここらへんは良くなってゆく事と思う。</div><div><br></div><div>会場は終始暖かなムードに包まれ、熱狂的というよりはこの若い4人の新たな船出を見守るといった風情だったが、本編終了後に荒井がマイクを手に挨拶をした時は、その口から語られた率直なこのカルテットに対する想いが感じられ、会場からはさらに暖かい拍手が送られていた。</div><div><br></div><div>そしてアンコールにはモーツァルト。終わったと見せかけて静かに終わる仕掛けに客席からはフライングで拍手が起こったが、それもまた微笑ましい光景だった。</div><div><br></div><div>このアルヴェン・カルテット、敢えてここまで「荒井里桜が参加する」と書いてきたが、最後の挨拶を聞くとやはり、このカルテットのリーダーは荒井であると言えるだろう。</div><div><br></div><div>伸びやかな美音と素直な音楽性で歌う荒井、それを地味ながら堅実な演奏で下を支える水野、そして豊かなオケ経験と音楽性でこのカルテットの音楽的支柱といえる「真ん中の2人」の湯浅と石原、それぞれがそれぞれに、自らの個性を保ちながら、カルテットという、室内楽の範疇からはみ出すことなく良いアンサンブルを聴かせていた。</div><div><br></div><div>会場を後にする人たちからは「ちょっと優等生過ぎるかなぁ」などという声が聞こえていたが、確かにその印象には同意できる。若い4人であればより火花を散らすような瞬間が聴かれても良かっただろう。</div><div><br></div><div>しかしながら4人がそれぞれに、自身の持ち味を生かしながらカルテットとしてのひとつの方向性に向かおうとする、その真摯な姿勢は存分にこちらに伝わってきた。</div><div><br></div><div>機会が合えばまたこの4人の進化と深化を、この4人でしか聴くことのできない音楽を聴きたいと思うし、その変遷を楽しみにしている。</div><div><br></div><div>これからが楽しみな4人衆の船出を聴いた。</div><div><br></div><div>何よりその満足感に包まれた佳い夜だった。</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260417/15/njhattari-kun/7b/c8/j/o1080081015772349244.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260417/15/njhattari-kun/7b/c8/j/o1080081015772349244.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260417/15/njhattari-kun/11/8f/j/o0810108015772349245.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260417/15/njhattari-kun/11/8f/j/o0810108015772349245.jpg" alt="" width="810" height="1080"></a><div><br></div></div>
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<pubDate>Fri, 17 Apr 2026 15:46:10 +0900</pubDate>
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<title>ペイジ/都響「四季」東京春祭 (4/12/2026)</title>
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<![CDATA[ 2026年4月12日＠東京文化会館<div>東京春祭 合唱の芸術シリーズvol.14</div><div><br></div><div>曲目</div><div>オラトリオ「四季」Hob.XXI:3 (ハイドン)</div><div><br></div><div>指揮：イアン・ペイジ</div><div><br></div><div>シモン：タレク・ナズミ</div><div>ハンネ：クリスティーナ・ランツハーマー</div><div>ルーカス：マウロ・ペーター</div><div><br></div><div>管弦楽：東京都交響楽団</div><div>合唱：東京オペラシンガーズ</div><div>合唱指揮：西口彰浩</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260414/18/njhattari-kun/30/fe/j/o0810108015771425286.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260414/18/njhattari-kun/30/fe/j/o0810108015771425286.jpg" alt="" width="810" height="1080"></a><div>ハイドンのオラトリオというとまず思い浮かぶのは「天地創造」だろう。</div></div><div><br></div><div>その内容的にも音楽的にもヘンデルの「メサイア」やバッハの「マタイ受難曲」に肩を並べる、人類の至宝ともいえる大作と言って良いと思う。</div><div><br></div><div>実際に2009年にブリュッヘンの指揮でこの曲を聴いたときは、音楽を超えた何か特別な場所にいるような感覚に陥る、稀有な音楽体験として未だに深く心に残っている。</div><div><br></div><div>そんなハイドンのオラトリオで「天地創造」と双璧となるのが「四季」だろう。</div><div><br></div><div>こちらも演奏時間2時間を超える超大作。「天地創造」の成功裏にその続編として作られたわけだが、知名度や演奏機会は劣るものとなっている。</div><div><br></div><div>これが続編、パート2の悲しき運命と言えばそれまでだが、この「四季」、やはり内容的には劣ると言わざるを得ないのである。</div><div><br></div><div>この「四季」で繰り広げられるのは、簡単に言ってしまえば1年を通しての農民の生活である。天地創造によって創生された宇宙、地球、生命、人間、それらのその後としての人間生活という意味での続編ということはわかるが、やはり比較してしまうとドラマとしては薄い。</div><div><br></div><div>ハイドンはこの「四季」作曲に際して異例なほどの時間がかかり、挙げ句には根を詰めすぎて病気になってしまうほどだったという話であるが、そこら辺についてはウィキペディア始めネットで見ることのできる解説に詳しいのでここでは割愛したい。</div><div><br></div><div>そんなハイドンの「四季」であるが、個人的には音楽的な充実度は天地創造と双璧、もしくはそれ以上と思っている。苦しんで書いた割にはハイドン熟達の筆が冴え渡っているとすら感じるのだ。</div><div><br></div><div>とはいえ内容は薄い曲なので、そんな熱心に聴くような曲でもなく、もっぱら何か作業している時などになんとなく聴いているような、自分にとってはそんな音楽である。</div><div><br></div><div>好んで聴くこの曲の録音は、カラヤンの1972年録音のもの。大編成のオーケストラをたっぷりと鳴らした重厚なもので、現代のハイドンを聴く愉悦からは程遠いが、そのオペラティックな持って行き方の上手さは言うまでもなく、カラヤンスタイルを徹底した名盤である。</div><div><br></div><div>ちなみにカラヤンの個人的な名盤を3つ挙げろと言われたら、1975年録音のチャイコフスキーの第5番、1973年録音のボエーム、そしてこの1972年録音の四季と、なんと全て1970年代に録音されたものばかりである。1970年代のカラヤンのベートーヴェンやブラームスなどは気持ち悪くて聴けたものではないと思っているのに、面白いものである。</div><div><br></div><div>さて、そんなハイドンの「四季」、なかなか実演に触れる機会がない、というか自分もこれまでに実演に触れたことはなかったわけだが、その実演に触れるチャンスが、しかも東京文化会館で聴けるチャンスがやってきた。今年の東京春祭である。</div><div><br></div><div>間もなく改修工事による長期休館となる東京文化会館。個人的に思い出も多い大好きな、そして何より他にない素晴らしい音響を誇る東京文化会館。ここでこの大作が聴けるのである。</div><div><br></div><div>言うまでもなく発売初日に、この東京文化会館でも1番良い音のするエリアの席をおさえた。ちなみに最安席。5階サイドの2列目、1番ステージ寄りの席。この会場で最もステージが見切れる席でもある。しかし音は最高だ。</div><div><br></div><div>ちなみに今回の指揮者であるイアン・ペイジという人は初聴で良く知らないし、歌手勢も昨年に同じ東京春祭のパルジファルで聴いたシモンを歌ったタレク・ナズミが記憶にある程度だ。指揮者は当初の予定なら今月読響を振るアイヴァー・ボルトンだったはずだが、恐らくはスケジューリングのミスでペイジに変更となった。</div><div><br></div><div>しかしこう言っては失礼かもしれないが、自分にとってはこの演奏会に関しては出演者がどうこうというのは不要だった。東京文化会館という大好きな空間で、この大曲を聴く。それが一番にして最大の目的であったからだ。</div><div><br></div><div>そして実際にその演奏も、期待通りのものとなった。</div><div><br></div><div>「春」の冒頭、ノンヴィブラートによる荘厳で味の濃い表現からスタートした演奏だったが、演奏が進んでいくにつれ、その演奏が実は穏当なものであるというのにすぐに気付いた。</div><div><br></div><div>近年のハイドン演奏というと、ピリオドアプローチによる刺激的な演奏が主流になりつつあるが、今回の演奏では部分的にピリオドアプローチを取り入れつつも、圭角の取れたまろやかな響きで、ダイナミクスの幅もさほど大きくない穏当な演奏となっていた。</div><div><br></div><div>東京オペラシンガーズの合唱も、この団体は時としてオペラティックに絶叫系の歌を聴かせることも多いのだが、柔らかでマイルドな歌唱、無理のない美しい歌唱を聴かせていた。</div><div><br></div><div>そう、このペイジによる今回のハイドンのアプローチは、オケ合唱共に余力を持って鳴らすもので、表現自体も実に中庸を得たものなのだ。</div><div><br></div><div>音楽的な面白さを直裁的に刺激的に演奏する方向になりがちな近年のハイドン演奏だが、今回のペイジによる演奏は、格調高くオーソドックスな中に豊かなニュアンスを込めてゆくものだった。</div><div><br></div><div>大きなテンポ変化や虚仮威しのような音響効果も無く、一聴すれば淡々としているように聴こえるが、よく聴くと豊かなニュアンスをたたえた演奏。</div><div><br></div><div>それ故に前半では慣れない楽曲ということもあり、初共演の指揮者ということもあり、オケ指揮者どちらにも固さが聴かれ、やや単調な印象を受けてしまったのも事実だ。</div><div><br></div><div>この日のオケはコントラバス5本の12型という比較的大きめの編成を取っていたのだが、ペイジのわかりやすいとは言えない棒に対し入りが不確かなものとなり、テンポ感が安定しないなどの場面が多く聴かれたが、総体的なアンサンブル面は都響ならではの安定感を聴かせていただろう。</div><div><br></div><div>海外勢で固められた独唱陣は、時として適度にオペラティックに、このオラトリオの音楽的な側面を上手く聴かせていたとは思うが、ソプラノのランツハーマーが若干鼻声になるのと、テノールのペーターが若干不安定になる嫌いがあった。</div><div><br></div><div>独唱陣で素晴らしかったのはシモンを歌ったナズミ。朗々と深い声とその表現力は見事で、特に随所のレシタティーヴォでのストーリーテラーぶりは圧巻と言うべきものだった。</div><div><br></div><div>前半はややあっさりし過ぎ、特に個人的にこの曲の中で最も好きな「夏」の冒頭、序奏が終わった後のレシタティーヴォとカヴァティーナの部分が何の感興も無く過ぎ去ってしまったのは個人的には残念だったが、その「夏」の嵐の予兆あたりからその音楽は豊かに息づき始め、豊かなニュアンスをより自在に表出し始めた。</div><div><br></div><div>音響的に金管やティンパニを鳴らしまくる事はなく、弦のざわめきの濃淡で聴かせる嵐、そしてその後の見事な弱音による終結など、なるほどこのペイジという指揮者が目指すこの曲の演奏がよく分かるものだった。</div><div><br></div><div>休憩を挟んでの「秋」と「冬」は、前半の固さも無くなり、ペイジの自在なニュアンスの棒にオケもよく応えた見事な演奏が繰り広げられた。</div><div><br></div><div>前半に比べ明らかに演奏自体の自由度が上がっていたように感じられたのはリハーサル時間の関係か、などと思ってしまうほど後半では中庸を得た中に豊かなニュアンスが自由度と自発性を持って聴かれ、「秋」での収穫祭のホルンの強奏なども充分な迫力のあるものだったが、常に均整は保たれ、突出すること無く美しく響いたのはこの指揮者の美質といえるだろう。</div><div><br></div><div>同じ「秋」の狩のシーンでのティンパニの一打は、来るぞ来るぞとティンパニに注目していたら何小節も前から慌ただしくなり、入念にリズムを取りながら決めた一打はティンパニの実音よりもリムの方が音量的には大きいもので、個人的にはその「バチッ」という音が好みでは無く失敗したかまで思ったものだが、よく考えてみれば当時の猟銃は火縄銃みたいなものだろうし、こういうチープな音の方が良いのかもしれない等と思ったりもした。</div><div><br></div><div>後半では独唱陣もさらに安定感を増し、前半で気になった部分も解消され、特に重唱でのバランス感覚と適度な劇性は素晴らしかった。そしてやはりバスのナズミの実在感のある深い歌唱が光った。</div><div><br></div><div>そして「冬」のクライマックス。1年を通した農民の生活を描写した、いわば世俗的なこの音楽はこのクライマックスでは宗教的な音楽となるわけだが、ここでもペイジは殊更に高らかに歌い上げるわけでもなく、抑制された響きの中にその音楽的な価値を見出すような終結となった。</div><div><br></div><div>全曲を通しての音楽的な伏線がしっかりと取られていたためにこの壮大なクライマックスが、今回のように抑制された、大向うを狙った演奏でなくとも必要にして充分の、充実の演奏となっていたのが印象深い。</div><div><br></div><div>繰り返しになるが、近年のハイドン演奏というと音楽的な面白さを直裁的に刺激的に演奏する方向になりがちな中、今回のペイジによる演奏は、格調高くオーソドックスな中に豊かなニュアンスを込められたもので、そこに聴かれた豊かな音楽は紛れもなくハイドンを聴く喜びに溢れていた。</div><div><br></div><div>とはいえ今回のこの公演、演目も演奏も、やや玄人向けだったような気もする。まさに「合唱の芸術」。東京春祭ならではの「芸術の春」といった風情。</div><div><br></div><div>春爛漫の昼下がり、上質な音楽を上質な演奏で、最上級の会場で聴く喜びに満ち溢れた演奏会だった。もはやその他に何も求める必要はないというくらいの佳き時間だった。</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260414/18/njhattari-kun/8b/2b/j/o1080081015771425294.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260414/18/njhattari-kun/8b/2b/j/o1080081015771425294.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260414/18/njhattari-kun/98/ed/j/o1080081015771425300.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260414/18/njhattari-kun/98/ed/j/o1080081015771425300.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260414/18/njhattari-kun/7f/a9/j/o0810108015771425305.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260414/18/njhattari-kun/7f/a9/j/o0810108015771425305.jpg" alt="" width="810" height="1080"></a><div><br></div></div>
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<pubDate>Tue, 14 Apr 2026 18:40:06 +0900</pubDate>
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<title>ルイージのN響首席指揮者退任と桂冠名誉指揮者就任について</title>
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<![CDATA[ かつて見たYouTubeの動画で、デンマーク国立交響楽団の首席指揮者の発表シーンがとても印象に残っている。<div><br></div><div>リハーサルに集められたオケメンバーを前に、その次期首席指揮者に決定した指揮者からの手紙を読むのだが、最後に「ファビオ・ルイージ」と名前がわかるとメンバーが一斉にワッと歓声を上げるのだ。</div><div><br></div><div>日本のオーケストラの首席指揮者なり音楽監督なりの発表がどのような形で行われるのかは知らないが、少なくともこのような歓声が上がるということはないだろう。また、この歓声がルイージだから上がったのか、別の指揮者でも上がったのか、それもまたわからない。ひとつだけ言えるのはルイージの名前が出た瞬間に歓声が上がったという事だ。</div><div><br></div><div>先日N響の発表で、現在その首席指揮者の任にあるルイージは28年の任期満了と共に首席指揮者を退任し、同9月のシーズンから「桂冠名誉指揮者」の称号を得るというものがあった。</div><div><br></div><div>首席指揮者としての任期を2年残してのこの発表は時期として随分早いとは個人的には思うのだが、近年では何でも先出し先出しで情報を出す世の中なので、これはこれであり得るのかもしれない。</div><div><br></div><div>とはいえ今年はN響100周年の記念の年。この記念すべき年にルイージの桂冠名誉指揮者就任という発表と共に、年内にルイージ以降の首席指揮者なり音楽監督の発表をしたいというN響の算段があるのかもしれない。はたまたただ単にルイージの今月の来日に合わせて決定しただけの話かもしれないし、ともすればいまいち売れ行きの良くない今月の定期演奏会のチケットを売るための、注目度を上げるための発表なのかもしれない。</div><div><br></div><div>さて、そんなルイージのN響桂冠名誉指揮者就任のニュース、SNS上では様々な意見が飛び交っている。</div><div><br></div><div>中には桂冠名誉指揮者という最高位のポストをルイージが得るのは不適切。前任のパーヴォ・ヤルヴィの方が余程N響に貢献したなどという意見も見られる。</div><div><br></div><div>確かに個人的な好みで言わせてもらえば、ルイージとN響の演奏はさほど魅力を感じるものではないのも事実である。</div><div><br></div><div>2022年9月に聴いた就任披露のヴェルディのレクイエム。これは掛け値なしの超名演。自分にとっても忘れ難いN響にとっても畢生の名演奏だったと言えるだろう。</div><div><br></div><div>しかしその後が続かなかった。同月に聴いたR.シュトラウスはオーケストラの気合いは充分に感じられたが、拙速な印象が拭えない、オーケストラの機能美だけが感じられた演奏。数ヶ月後のモーツァルトとメンデルスゾーンではモーツァルトは産毛が立つような柔らかな響きをNHKホールの巨大な空間を見事に満たした名演だったが、メンデルスゾーンではコーダで急に熱血漢と化したルイージがオケを煽りまくって幻滅。年が空けた2023年のサン=サーンスとフランクではロジェの名人芸が光ったが、フランクの交響曲ではふた時代も前のような古式騒然とした駄演だった。そしてそのフランクの演奏会からルイージの指揮する演奏会に行く事は無くなった。</div><div><br></div><div>その後はルイージとN響の演奏は放送で見るだけとなったわけだが、どれも印象に残るものはなく、なによりオケの無法地帯的な響きが気になるものも多かった。</div><div><br></div><div>唯一2024年末の第九は、その快速テンポの中にがっちりとした様式美と、豊かなカンタービレを感じさせる、1930年代のトスカニーニを彷彿とさせるような名演だったとは思うが、当然トスカニーニほどの説得力もなければ、ベートーヴェンの音楽を聴く充実度からは遠いものだった。</div><div><br></div><div>個人的な好みからは遠い、そう片付けてしまえばそれまでだが、確かにルイージの音楽性には疑問が残る。やはり気になるのはそのオケの無法地帯的な響き。なんとなくオケが好き勝手に弾いているように聴こえるのだ。</div><div><br></div><div>ひょっとしたら好き勝手に自由に弾ける事を許容するのがルイージであり、そういう点ではオケからの信頼が厚いのかもしれない。そう考えるとあのデンマークのオケメンバーの熱狂ぶりもよく分かる。オケから愛される指揮者なのだろう。N響桂冠名誉指揮者の就任の理由もさもありなんかもしれない。</div><div><br></div><div>とはいえルイージのN響に対する功績は大きいだろう。コロナ以降のオケの建て直しの中心にいた指揮者だっただろうし、批評的には別としてもヨーロッパ公演を成功に導いたのもルイージの世界的な知名度も大きかっただろう。</div><div><br></div><div>そこにN響と深い関係にあった、同じ桂冠名誉指揮者であるサヴァリッシュと師弟関係にあったことからも、桂冠名誉指揮者という称号は不自然なものではないだろう。</div><div><br></div><div>ルイージのN響桂冠名誉指揮者就任について、個人的には賛否両論どちらもない。なんならどうでも良い。興味が無いとも言える。</div><div><br></div><div>SNS上では今回の発表を受けて、N響の次期首席指揮者なり音楽監督は誰だろうかという憶測が飛び交っている。</div><div><br></div><div>有力視されているのはソヒエフ。確かに近年密接なN響との関係もあるし、今年はシーズンを跨いで2度の客演となる。1年の間にポストを持たない指揮者がN響に2度客演する例は2000年の朝比奈隆以来ではないだろうか。</div><div><br></div><div>いずれにせよソヒエフも、個人的にはしっくり来ていない指揮者である。また、ソヒエフが例えばN響の音楽監督になる利点も見えづらい。</div><div><br></div><div>N響のルイージの後の指揮者が誰になるのか。はたまた特定の指揮者を置かない時期が続くのか。それはわからない。N響ほどの名実があれば、特定の指揮者をポストに置かないという手もあるだろう。実際に1996年にデュトワが常任指揮者(後に音楽監督)に就任するまでの数十年間は、特定の指揮者ポストを設けずにいたのだから。</div><div><br></div><div>いずれにせよ日本を代表するオーケストラ。言ってしまえば日本一のプロオーケストラであるN響。今後の展開を楽しみにしたい。</div><div><br></div><div>個人的には、超個人的には、日本人指揮者で埋もれてしまっている、誰とは名前は挙げないが、実力に知名度が伴わない指揮者にポストに就任して欲しいと思っている。</div>
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<link>https://ameblo.jp/njhattari-kun/entry-12962596299.html</link>
<pubDate>Fri, 10 Apr 2026 20:11:42 +0900</pubDate>
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<title>小泉和裕/都響-ベートーヴェン4&amp;7番 (4/7/2026)</title>
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<![CDATA[ 2026年4月7日＠東京芸術劇場<div>東京都交響楽団第1041回定期演奏会Cシリーズ</div><div><br></div><div>指揮∶小泉和裕</div><div>東京都交響楽団</div><div><br></div><div>曲目</div><div>交響曲第4番変ロ長調op.60 (ベートーヴェン)</div><div>交響曲第7番イ長調op.92 (ベートーヴェン)</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260408/15/njhattari-kun/f7/4d/j/o0810108015769247287.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260408/15/njhattari-kun/f7/4d/j/o0810108015769247287.jpg" alt="" width="810" height="1080"></a><div>個人的に好きな日本人指揮者を5名挙げるとすると、その個性的な表現に嘘がなく高い音楽性を感じさせる上岡敏之、大植英次、阪哲朗の三人衆。知名度は劣るがドイツ叩き上げの堅実な音楽を聴かせる浮ヶ谷孝夫。そして今や他を寄せ付けない圧倒的な音楽的な存在感を聴かせる小泉和裕となる。他にも三石精一、十束尚宏、福村芳一などの名前も挙げたいところだが、彼らの場合は高齢であったり活動拠点が海外であったりと、日本でほぼ聴くことができない。三石精一さんは高齢ゆえに難しい所もあるとは思うが、十束尚宏さんや福村芳一さんに関しては、どこかのプロオーケストラが招聘しても良いだろうし、するべきだろう。それくらいの実力を持つ日本人指揮者だろう。</div></div><div><br></div><div>さて、そんな個人的に好きな日本人指揮者の中でも、小泉和裕さんの最近の「無双」ぶりは目を見張るものがある。</div><div><br></div><div>もともとそのスタイリッシュで正攻法な音楽性と、真空殺法的なオケの鳴らし方はこの人ならではのものではあったが、特にここ数年ではそこに低い重心とさらに克明な表現が加わり、まさに今その円熟期にいると言えるだろう。</div><div><br></div><div>昨年聴いた都響とのプロムナードコンサートでの魔弾の射手序曲での重心の低い安定感と流動感の同居や友人フリッツ間奏曲の振り切った表現、同じく昨年聴いたショスタコーヴィチ10番での克明な演奏などが記憶に新しく、どれもがまさに今の「小泉無双」を象徴するものだった。</div><div><br></div><div>そんな小泉氏の手兵とも言える、長い関係性を持つ都響との演奏はやはり安定感も高く、期待を裏切らないものなのだが、再びその都響との演奏会がやってきた。</div><div><br></div><div>今回演奏されたのはベートーヴェンの第4番と第7番。正攻法の小泉氏による正攻法ど真ん中のプログラムである。</div><div><br></div><div>小泉氏のベートーヴェンというと2年前に九州交響楽団で聴いた第2番が16型の大編成を余裕を持って鳴らした機動力抜群の名演だったが、同時に第2楽章の快速テンポに溢れた歌心も忘れられない。今回は個人的に最も好きな第4番ということもあり、普段以上の期待を胸に会場へ向かった。</div><div><br></div><div>ちなみに今回のプログラム、ベートーヴェンの第4番と第7番はこの公演日である「4月7日」に掛けたものであるという発言をXでいくつか見かけたが、真意のほどはわからないがそれはそれで洒落が効いていて良い。</div><div><br></div><div>そしてその演奏であるが、従来の小泉和裕、そして今の小泉和裕を象徴するような、まさしく「小泉無双」というべき演奏だった。</div><div><br></div><div>まずは第4番。その神秘的な序奏は力み無くレガート主体の中に克明な演奏が聴かれる。</div><div><br></div><div>この序奏自体がヴァイオリンのボウイングまでが判るような精密な音楽なわけだが、小泉は例えば主旋律の四分音符が半音階で下がる所でその対旋律の逆に半音上がる音型を自然に強調し、より神秘性を得るなどという、さらに克明な棒が光った。</div><div><br></div><div>アレグロに入る前のアコード2発は間を詰めて、コントラバスが早く飛び出すカラヤン流。そしてそこからは快速テンポで力み無く、しかし鳴りに不足しない小泉和裕ならではの音楽が展開される。</div><div><br></div><div>オーケストラはコントラバス8本の16型でこれは予想通りだったが、やはり都響の弦を中心とした合奏力の高さを痛感させる、良い意味でのヴィルトゥオーゾ的な演奏で、引き締まった、しかし重心の低い演奏が見事だった。</div><div><br></div><div>小泉の棒はやはり最近の傾向に変わりなく克明さが増し、特にこの第4番ではその音価の使い分けが鮮やかで、時としてオケの厚みを変化させてダイナミクスを形成する熟達の技を聴かせていた。</div><div><br></div><div>第2楽章は快速テンポでリズムを明確に刻み、そこに豊かな歌を乗せていくのだが、2年前の九州交響楽団との第2番の時のように歌謡性を存分に引き出したというよりは、より器楽的に、句読点をはっきりと取るような歌わせ方で、これは昨年末のチャイコフスキーでも同様であった。</div><div><br></div><div>そして前半の白眉は第3、4楽章だろう。</div><div><br></div><div>快速テンポで力み無く、真空殺法的にズバズバ鳴らす小泉の棒が冴え渡る。指揮の技術的には短い跳ね上げを積み重ねて行くものだが、音楽は寸詰まりになることが無く、時として聴かせるレガートの流動性と合わせて立体的にして質感豊かな演奏となっていた。</div><div><br></div><div>オケはそんな小泉の棒に、特に弦を中心に良く応えていたが、いかんせんティンパニが金ダライのような音を出しており、第2楽章などは余程音楽的とは言えないものだったし、決め所で決まらないもどかしさも感じた。第4楽章のファゴットが速いパッセージを拭ききれていなかったが、これはこのテンポでは仕方ないだろう。</div><div><br></div><div>前半の第4番から見事な小泉劇場。前半終了にしてあちこちから盛大なブラボーが飛んでいた。</div><div><br></div><div>そして後半の第7番。ここでは他を寄せ付けない圧倒的な「小泉無双」ぶりを聴かせてくれた。</div><div><br></div><div>長嶋茂雄的に言えば"スッと来てズバン！"と鳴りまくるオケ。小泉和裕ならではの真空殺法的なスタイリッシュな鳴りなのだが、こんなズバズバ決まる鳴りもなかなか無い。聴いていて思わず笑ってしまうほどだった。</div><div><br></div><div>変わらず快速テンポで駆け抜けるスタイルだったが、この7番ではより微細なアゴーギクを加え、音楽そのものを豊かにしていた。</div><div><br></div><div>一聴していると一本調子に聴こえるのだが、細部の克明さとその豊かな音楽は小泉和裕という指揮者の確かな音楽性とそのキャリアを感じさせる見事さ。</div><div><br></div><div>快速テンポの中に器楽的な歌と、その内声の克明な表情付けが見事だった第2楽章などは今の小泉和裕を象徴するような演奏だっただろう。今の小泉和裕という、円熟の真っ只中にいる名匠の。</div><div><br></div><div>後半2つの楽章はもはや小泉の真骨頂。もはや「何も言えない」状態だったのだが、印象的だったのは、間を詰めて流動的に進んでいくスタイルは言うまでもなくカラヤンスクールのそれなのだが、例えば第3楽章のトリオで聴かせた魂が跳躍するような愉悦はクライバーのそれだった。</div><div><br></div><div>他にも第4楽章の内声の克明な扱いど、確かにクライバーの影を感じることがあった。言われてみればこのベートーヴェン4番7番のプログラム、クライバーが得意にしていたプログラムでもある。そして余談だが、来年は来年でこの小泉和裕/都響でモーツァルトのリンツとブラームスの2番という、これまたクライバーが得意としたプログラムでの演奏会が予定されている。</div><div><br></div><div>都響は前半同様に小泉の棒に弦を中心に必死に食らいついており、特に2ndヴァイオリンの奮闘が光ったが、その反面で小泉の微細なアゴーギクに反応しきれなかった部分も木管を中心に散見された。いつも見事な演奏を聴かせてくれる、日本のオケでもトップクラスの木管セクションを誇る都響であるが、この日はリハの関係か、メンバーの関係か、若干調子が悪かったのかもしれない。決め所を決められない金ダライティンパニは前半から変わらず。</div><div><br></div><div>とは言えこれほど高水準のベートーヴェン演奏もそう聴けるものではない。好き嫌いは別として完璧な演奏の、1つの完成形をどうだと言わんばかりに提示された。そんな印象である。</div><div><br></div><div>唯一残念といえば残念だったのは、第4楽章フィナーレで弦が掛け合う部分。ここで一瞬オケが上滑りをし、それを食い止める為にテンポを置きにいってしまい、結果的にほんの僅かな停滞を最後の最後で生んでしまったこと。ここは崩壊しかけても突き進んで欲しかった。</div><div><br></div><div>演奏終了後は前半よりもさらに盛大なブラボーが飛び交い、大いにもりあがったが、ソロカーテンコールは無く終了。</div><div><br></div><div>今回の演奏会。快速テンポ、リピート無し、ソロカーテンコール無しでほぼ90分で終了となった。まさしく「駆け抜けた」90分だったといえるだろう。</div><div><br></div><div>もはや誰も手を付けられない、他の追随を許さない完膚なきまでの圧倒的小泉無双。</div><div><br></div><div>感動とはまた趣を異にするが、小泉和裕と都響による唯一無二の小泉劇場を聴いたという満足度は計り知れない。</div><div><br></div><div>そこにあったのはベートーヴェンのスリル、そしてベートーヴェンのリアルだった。</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260408/15/njhattari-kun/a4/45/j/o1080081015769247288.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260408/15/njhattari-kun/a4/45/j/o1080081015769247288.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260408/15/njhattari-kun/a9/29/j/o1080081015769247290.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260408/15/njhattari-kun/a9/29/j/o1080081015769247290.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div><br></div></div>
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<pubDate>Wed, 08 Apr 2026 15:47:59 +0900</pubDate>
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<title>ブッフビンダー/東京春祭オーケストラ-ベートーヴェン2〜4番 (4/4/2026)</title>
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<![CDATA[ 2026年4月4日＠東京文化会館<div>東京・春・音楽祭</div><div>ベートーヴェンピアノ協奏曲全曲演奏会Ⅰ</div><div><br></div><div>指揮/ピアノ∶ルドルフ・ブッフビンダー</div><div>管弦楽∶東京春祭オーケストラ</div><div><br></div><div>曲目</div><div>ピアノ協奏曲 第2番 変ロ⻑調 op.19 (ベートーヴェン)</div><div>ピアノ協奏曲 第4番 ト⻑調 op.58 (ベートーヴェン)</div><div>ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 op.37 (ベートーヴェン)</div><div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260405/20/njhattari-kun/76/d9/j/o0810108015768277121.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260405/20/njhattari-kun/76/d9/j/o0810108015768277121.jpg" alt="" width="810" height="1080"></a><div>『この時間が永遠に続いて欲しいと思えるくらいの極上の音楽がそこにあった。まさしく稀有な音楽体験。</div></div></div><div><br></div><div>衰えを感じさせない、しかしその年輪は充分に感じさせる老巨匠の偉大なる至芸を眼前に聴いた。』</div><div><br></div><div>上記はこの演奏会終了直後にXに投稿した感想である。</div><div><br></div><div>ブッフビンダーが弾き振りしたベートーヴェンの第2〜4番のピアノ協奏曲の演奏会。一生の記憶に残るだろう素晴らしいものだった。</div><div><br></div><div>まずこの事を記しておいて、恒例の長いマクラに移ろうと思う(笑)。</div><div><br></div><div>6歳の時から約15年、ピアノの専門教育を受けていた事がある。</div><div><br></div><div>幼稚園の頃から我が家にあった母親のピアノをおもちゃ代わりに弾いていたのだが、ちょうど近所にピアノ教室ができたのを期に、その教室に通うようになった。</div><div><br></div><div>さほど熱心に練習したわけでもないし、さほど熱心な教育家庭でもなかったが、それでも一般的なピアノメソッドは通過し、一応音大入試レベルにまではなっていた。そして和声、聴音、楽典と、音大進学に必要な楽理も高校時代に勉強を始めた。</div><div><br></div><div>これはもちろん音大進学を視野に入れてのことだったのだが、実際には自分は音大には行かなかった。</div><div><br></div><div>高校3年生の、いよいよ自分の進路を決定するとなった段階で、ピアノ師匠から1つの提案があった。その師匠の出身の音大であれば、特例で学長との面談のみで入学することが可能だと。</div><div><br></div><div>その音大、日本でも5本の指には入るだろう有名音大ではある。しかし自分はその提案を断った。</div><div><br></div><div>今考えれば随分と生意気な考えだったのだが、その音大を出たところでその後は街のピアノの先生か、ちょっとしたピアノ演奏家くらいにしかなれないだろう、と。</div><div><br></div><div>当時の自分の夢を叶えるには選択肢は藝大か桐朋以外の選択肢は無かった。しかしそこに辿り着くには圧倒的に自分に足りないものが多過ぎた。というかそこまで強い熱意は持てずにいた。</div><div><br></div><div>そんなわけで結局音大に進学はせず普通の大学に進学するわけであるが、もしあの時、師匠の提案に乗っかっていたら自分の人生はどんな風になっていたのだろうか、そんな事を思うこともある。</div><div><br></div><div>さて、そんなピアノ学習者だった頃の自分が得意としていたのはモーツァルトとベートーヴェン。バッハにもだいぶ惹かれて平均律やゴールドベルク変奏曲に手を出し始めたあたりでクラシックピアノから離れていった。</div><div><br></div><div>中でもベートーヴェンは当時10代にも関わらず複数の出版社の楽譜を取り寄せたりと、何とも熱心に勉強していたようであり、実際に今でも自宅に当時の、たくさんの書き込みのされた楽譜がある。</div><div><br></div><div>そんな当時、ベートーヴェンのピアノソナタのCDも複数所有しており、もちろんバックハウス、ケンプ、グルダ(新旧録音)と、定番どころは揃えていたのだが、1番のお気に入りとして当時聴いていたのがブッフビンダーの録音である。</div><div><br></div><div>ブッフビンダーによるベートーヴェンのピアノソナタは現在では複数の全集があるようだが、自分が聴いていたのはテルデック録音の旧録音である。</div><div><br></div><div>強烈な個性や煌めき感じるようなタイプの演奏ではなかったが、その瑞々しい音楽性、なによりベートーヴェンの音楽そのものに語らせるような演奏に魅了された。</div><div><br></div><div>そんなブッフビンダーも今年で80歳をむかえようとしている、今や立派な巨匠ピアニストとなった。</div><div><br></div><div>そんなブッフビンダーが今年の東京春祭では東京春祭オーケストラを弾き振りしてベートーヴェンのコンチェルト全曲を演奏する。</div><div><br></div><div>今年の東京春祭の中では、もちろん先日のヤノフスキによる「グレの歌」が1番の目玉であり本命の公演であったが、個人的にはこのブッフビンダーの演奏会も目玉公演であった。</div><div><br></div><div>どうせなら2公演全てを聴きたかったが、4月は聴きたい演奏会も多く、それならとベートーヴェンのピアノ協奏曲の中でも最も好きな4番と2番が演奏される今回を選んだ。</div><div><br></div><div>選んだ座席は言うまでもなく5階ステージ寄りの席。大好きな東京文化会館の中でも屈指の音響を誇るエリアだ。</div><div><br></div><div>ちなみにブッフビンダーの実演に触れるのは今回が初めてである。数十年に及ぶ長い期間、演奏会と言えばオーケストラの公演ばかりで、あれほど録音で聴いていたにも関わらず、実演には触れずにきていたのだ。</div><div><br></div><div>10代の頃から録音で聴き続けていたブッフビンダーが弾き振りで、大好きなベートーヴェンの4番と2番のコンチェルトを、大好きな東京文化会館で聴ける。全ての条件は揃った感と期待を胸に会場へ向かった。</div><div><br></div><div>そしてその演奏は、期待に違わぬ、いや、期待以上の素晴らしいものだった。</div><div><br></div><div>はじめに演奏されたのは第2番。まず耳を奪われたのはそのオーケストラの響きである。低音にマスを置いたがっしりとした立体的な響き、最初の数小節を聴いただけでメンバーの自発性の高さが伺えた。しかしながらいかんせん音が固くゴツゴツとした無骨さが拭えない印象だった。</div><div><br></div><div>そこにブッフビンダーのピアノが入り込んでくるわけだが、ブッフビンダーのピアノは精錬な軽いタッチによるもの。こちらはベートーヴェンの無骨さというよりはモーツァルト的な軽さを感じる演奏。</div><div><br></div><div>演奏の始め、特に第1楽章ではこの両者が溶け合わず、なんともアンバランスな印象を受けたものだが、そのピアノの音、クセのない清らかな音楽性は紛れもないブッフビンダーそのものだった。</div><div><br></div><div>そして第2楽章。ベートーヴェンの数ある緩徐楽章の中でも絶美と言えるこの第2番の第2楽章、ここからはオーケストラの固さも無くなり、ブッフビンダーのピアノと見事に溶け合うようになってきた。</div><div><br></div><div>柔らかく溶け合うピアノとオーケストラ。この楽章の後半でピアノとオケが長いモノローグで呼応し合うような、幻想曲風な場面はため息が出るほど美しかった。</div><div><br></div><div>この第2楽章で確実に息が合ったオケとブッフビンダー、第3楽章では両者が一体となった有機的な、そして直裁的にして感覚的な遊びが聴こえてくる。</div><div><br></div><div>例えばト短調になってピアノがシンコペーションで上昇してゆく所など、ブッフビンダーはわざとそのタイミングをずらしてゆく。</div><div><br></div><div>これはアゴーギクとかルバートという概念よりは"タイム感"と言うのが適切だと思うが、こういった所にブッフビンダーの「遊び」が垣間見れ、しかもそれが大変に音楽的なのがこのブッフビンダーが積み重ねてきたピアニストとしての年輪と言えるだろう。</div><div><br></div><div>「いのちを賭けた遊び」とは宇野功芳さんの言葉で、それはいささかに大袈裟過ぎるとは思うが、このブッフビンダーの演奏からは魂が跳躍するような遊びを感じられた。</div><div><br></div><div>そんな「遊び」に自発性豊かなオーケストラが見事に呼応し、ムジツィーレンとはまさにこの事、ブッフビンダーがリハーサルで語った「大きなチェンバーオーケストラ」という意味がとても良く解る演奏だった。</div><div><br></div><div>続いて演奏された第4番は先に演奏された第2番を遥かに凌駕する演奏となった。</div><div><br></div><div>この曲はピアノのト長調の和音で静かに始まる。ここを多くのピアニストが弱音でありながらも固い発音でしっかりと弾くわけだが、ブッフビンダーは柔らかい発音でレガートを聴かせて始めた。そしてそれに応えるかのようにオーケストラが柔らかく繋がってゆく。なんとも多幸感に満ちた美しい、極上の美しさによる始まりだった。</div><div><br></div><div>ここでのブッフビンダーのピアノはその力みのない極上の美音はそのままに天衣無縫というべき自由さ。第2番同様の良い意味でのモーツァルト的な演奏ではあったが、あちらこちらに仕掛けを施し、しかしその仕掛けは恣意的なものではなく極めて音楽的だ。そして時として味の濃い表現も聴かせた。</div><div><br></div><div>この第4番ではオーケストラも完熟といった風情で、特に中低弦の味の濃さたるや最高であった。そしてなにより自在なブッフビンダーのピアノに対し各プレイヤーが個として、そしてオケという集合体として自発性に溢れ、見事に融合してゆくのだ。</div><div><br></div><div>第2楽章では決然としたオケに対しブッフビンダーは大きく間を取って沈着した音色で語りかける。その間に生まれる静謐さは息を呑むばかり。そして第3楽章では冒頭のチェロとの掛け合い、そしてその後の有機的なヴィオラとの絡みなどはまさにこの音楽が今生まれたかのような見事さだった。</div><div><br></div><div>かくも見事な第4番。個人的にベートーヴェンのピアノ協奏曲では最も好きな曲。大昔に聴いたブレンデルの演奏が忘れられないが、その印象を超えてくる名演。演奏後には演奏会が終わったかのような盛大なブラボーが飛んでいた。</div><div><br></div><div>ここで休憩となったわけだが、前半で個人的に大好きな2曲を演奏されてしまい、後半はあまり得意ではない第3番である。この前半の満足度の高さでお腹いっぱいとなっており、まぁ、軽い気持ちで聴くかと、休憩後に再び自席に着席した。</div><div><br></div><div>そして後半に演奏された第3番。これまたブッフビンダーと東京春祭オケによる爛熟の超名演となった。</div><div><br></div><div>ベートーヴェンのピアノ協奏曲でも唯一の短調作品ではあるが、勿体ぶった所や過度に誇張される劇性もなく、前半の長調作品と変わらぬ軽やかさと美しさでの演奏だったが、時折ブッフビンダーが立ち上がりオケを煽ると、途端に凄絶な顔も覗かせる。</div><div><br></div><div>ブッフビンダーのすぐ脇でオーケストラをリードしていったコンサートマスター豊嶋泰嗣の存在も忘れてはいけない。時としてブッフビンダーと音楽を介して会話をし、それをオケに伝達してゆくような「仕事ぶり」だった。</div><div><br></div><div>ブッフビンダーのピアノは洗練と自由度の極みで、時として聴かせる味の濃い表現は前半よりさらに凄みを増していたし、オケの響きの充実度と自発性はこれ以上ないくらいのものであった。もはや「何も言えない」。ただ眼の前の音楽にひれ伏せるだけであった。</div><div><br></div><div>特に印象的だったのは第2楽章。その絶美の演奏に耳を傾けていたら自然と涙が溢れてきた。</div><div><br></div><div>この第2楽章はホ長調という調性なのだが、美しく明るい音楽にも関わらず涙が溢れてきたのだ。</div><div><br></div><div>明るい音楽なのに聴く者の涙を誘う。これが本物の音楽の、そして一部の演奏家の演奏にのみ許される本物の音楽なのだろう。</div><div><br></div><div>第3楽章はこの夜のブッフビンダーと東京春祭オケの総決算ともいえる見事さで、本当に幸せな時間だった。</div><div><br></div><div>演奏後は珍しくフライングブラボーも、しかも日本特有のお世辞にも綺麗とは言い難い絶叫型のブラボーが聞かれ、それに対し舌打ちをするようなお客もいたが、個人的にはそんなフライングブラボーも納得してしまう、それくらいの演奏だった。</div><div><br></div><div>ちなみにこの日の公演はお世辞にも盛況とは言えず、1階前方こそ埋まってはいたが、それ以外は寂しい限り。普段なら音楽ファンで埋め尽くされる5階サイドも両サイド合わせても20名に満たない状況。</div><div><br></div><div>にも関わらず客席の拍手の熱量の高さは、もうそれは前半からのことなのだが、この日の演奏の充実度を物語っていただろう。</div><div><br></div><div>果たして素晴らしい演奏だった。客席で聴いていてこの時間が永遠に続いて欲しいと願うほどであった。</div><div><br></div><div>どこを取ってもブッフビンダーの独壇場。どこを取ってもブッフビンダーの音楽。にも関わらずその向こう側から聴こえてきたのは紛れもないベートーヴェンの音楽。</div><div><br></div><div>スター街道とは無縁に、自分の音楽と向き合ってきた巨匠にしか聴かせられない偉大な音楽、偉大な至芸にに触れた夜。</div><div><br></div><div>良い音楽に触れた満足感しかそこに残るものはなかった。</div><div><div><br></div><div>そしてこのブログを書いている今も、その余韻は深く自分の中にある。</div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260405/20/njhattari-kun/e6/4e/j/o1080081015768277131.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260405/20/njhattari-kun/e6/4e/j/o1080081015768277131.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260405/20/njhattari-kun/1c/04/j/o1080081015768277140.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260405/20/njhattari-kun/1c/04/j/o1080081015768277140.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div><br></div></div>
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<link>https://ameblo.jp/njhattari-kun/entry-12962075720.html</link>
<pubDate>Sun, 05 Apr 2026 20:26:00 +0900</pubDate>
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